「ハァハァハァ・・・・」
荒い呼吸を何とか整えていく。リリーゼが街を駆けずり始めてから、既に小一時間がたっていた。ラクラシア家の動きは既にガバリエリ家とラバンディエ家にも伝わったらしく、それらしい二、三人の集団がそこかしこにいる。
これまでイストが宿泊していたという宿屋を幾つか見つけた。しかしどの宿屋も出立した後ということで、本人を見つけるには至っていない。
「一日ごとに宿を変えているのか・・・?」
疲労と苛立ちが募る。
こういう事態を想定して一所に留まらないようにしていたのだろうか。あの男ならそういう思考をするのではないか。そう考えたら皮肉っぽい笑みを浮かべたイストの顔が浮かんだ。
(『気分』とか言いそうだな・・・・・。想定していたなら、あの男のことだ、単なる嫌がらせに決まっている・・・・!)
短い、それこそ半日程度の付き合いしかしていないが、それでもリリーゼはイストに対して「軽薄で酔狂」という先入観を持っていたし、それは正しい感想であると言えるだろう。それがイスト・ヴァーレの一面であるという意味では。
頭を振り、考えを切り替える。今はイストの人間性についてあれこれと考えている場合ではない。一刻も早く奴を見つけ、この事態を収拾する。それが今の目的だ。幸いなことに今のところ流血沙汰は起きていない。
一日ごとに宿を変えているならば、この時間は宿ではなく食事のできる食堂か酒場あたりにいるかもしれない。
「そちらをあたって見るか・・・・」
長い夜は続いていく。
**********
さらに二時間ほどが経過した。未だにどの勢力もイスト・ヴァーレを見つけることが出来ないでいる。それどころか有力な手がかりさえ見つけること出来ない。今朝の目撃情報を最後にこの都市で彼を見た者はいないのだ。
異常な事態である。三家たるラクラシア家、ガバリエリ家、ラバンディエ家、それにヴェンツブルグに拠点を置くレニムスケート商会。この四つの勢力が総力を挙げて探しているのである。しかも今回は名前と特徴まで分かっており、しかもイスト本人は自分が探されていることに気づいていないはずだ。まあ、これだけ大掛かりに捜索されれば気づくかもしれないが。
「それならあの男の性格からして自分のほうから出てくると思うのだが・・・・・」
とある可能性が頭をよぎる。もしかしたらイスト・ヴァーレはもうこの都市に居ないのではないか。恐らくは四つの勢力共にその可能性には気づいているはずだ。
だが、引くに引けない。いや、当事者が誰であれこの状況で諦める愚か者はいないだろう。一縷(る)の望みさえあればそこに全力を傾けるはずだ。
(それだけの価値があるのだ。「水面の魔剣」を作った職人には)
腰に吊るした魔剣を無意識に触りながらリリーゼの思考は走る。
そもそもこれだけの腕を持った職人が今まで無名で、世間から気づかれずにいたこと事態が異常で、この都市の権力者たちからしてみれば奇跡なのだ。ほんの僅かな可能性さえもないと悟らない限り、この事態が収集されることはないだろう。
「くっ!」
他の勢力より早く見つけなければと気持ちは焦る。が、実際には何の成果もないまま走り回っている。
ただただ焦りとイライラだけが募っていく。
そしてそれはリリーゼ1人に限った話ではない。今宵この都市を縦横無尽に駆けずり回っている四つの勢力の全員に言えることだ。
既にあちらこちらで小競り合いが頻発している。道を通せだの通さないだの、ここはウチが調べるだのいやウチがだの、理由自体はくだらない。そんな理由で小競り合いを引き起こしてしまう精神状態こそが異常なのだ。
「くそっ!人の気も知らないで!」
頭に浮かんだイストに悪態をつく。
さっさと出て来い、イスト・ヴァーレ。でないと小競り合いで程度ではすまなくなるぞ。そう半ば呪うかの如くに念じながらリリーゼ・ラクラシアは夜のヴェンツブルグを疾走する。
そうやって疾走するリリーゼの視界に四人の男が入ってくる。三人が刃物をチラつかせながら一人を囲んでいる。
恐喝。思考は単語で走り、行動に直結する。
「痴れ者が!!」
「水面の魔剣」を抜き放つ。刃物を持った三人がリリーゼに気づいた。彼女の持っている剣が魔剣であることは一目瞭然だが、小娘と侮ったのかそれとも数を頼んだのか、それともその両方か、はたまた魔剣を奪おうとでも考えたのか、三人は目標をリリーゼに変えた。
最初の1人が正面から手にした刃物を突き出す。それを、右足を軸にして体を回すようにしてかわす。さらに勢いあまった男とすれ違う瞬間、体を回した勢いそのままに魔剣の柄を男の首筋に叩き込む。
(まず一人・・・・!)
倒れこむ男の存在はすぐに思考からはじき出し、残りの二人に意識を向ける。気配は左右。左が速い。
一人目に魔剣の柄をぶつけたことで体を回した際の勢いは既に死んでいる。突き出された刃を、僅かに体をズラす事でかわす。男が的を外し、体制を崩していく様子がやけにゆっくりと瞳に写る。
転ばないために男は大きく右足を踏み出す。一閃。その右足の太ももを右上段から魔剣で撫でるように斬る。足の筋を斬られた男は体重を支えることができず、そのまま倒れこんだ。
(二人・・・・!)
最後の気配は後ろ。倒れこむ男を避けるようにして飛んで間合いを開ける。体を反転させると、最後の男が刃物を斜めに振り下ろしてくる。それをバックステップでかわし、相手の右上腕部の筋を斬る。
「ちっ、覚えてよ・・・・」
短く悪態をつくと男は傷口を押さえてその場から走り去った。恐喝されていた男を捜すと、既に逃げたのか姿はない。
礼が欲しかったわけではない。が、やはり虚しさは否めない。それは、一刻も早くイスト・ヴァーレを見つけなければならないのに、こんなところで格下のゴロツキ相手にチャンバラを演じなければならない、自分の現状に対しても言えることだ。
「ああ、もう・・・・」
募る苛立ちを押さえ、リリーゼは再び走り出した。あちらこちらから物騒な喧騒や悲鳴が聞こえた。
なぜ気づかなかったのだろう。
あの時、彼が「水面の魔剣」の探査能力を使って見せたときに。
あれは決して偶然などではない。彼は知っていたのだ。この魔剣にその能力があることを。当然だ。「水面の魔剣」の元々の所有者はイストなのだから。
そもそも自分に色々な魔道具を見せてくれたのは、その情報を父や兄たちに伝えさせてこの状況を招くためではなかったのか?
「だとしたら私は・・・・!」
とんでもない道化を演じさせられてことになる。仮にイストにその意図がなかったとしても、「水面の魔剣」の元々の所有者が彼であることに気づいていたなら、今のこの混沌とした状況は多少なりともマシになっていたはずだ。
「弱音を吐くな」
イストに怒りをぶつけるのも、自分を責めるのも後でいい。今は、
「できることをする。そう決めたはずだ」
彼女の夜は長い。