門限には何とか間に合った。遅れていたらと考えると恐ろしい。昔兄たちが門限を破ったときに受けたおしおきの数々は、幼かったからこそ聞いただけでもトラウマになっているのだ。電撃だの水攻めだの逆さ釣りにして回されるだの、そんな目には遭いたくない。ちなみにおしおきをするのは父ではなく母のほうだ。何を隠そうラクラシア家最強は母であるアリア・ラクラシアなのだ。
最近新作が試せなくてつまらないわ、などとアリアは不満げにぼやいていた。何の“新作”なのかは考えたくもないし、試されたくはもっとない。
ふう、と何度目か分からない安堵の息をつく。門限に遅れていたら今目の前にあるこの夕食も食べられなかったに違いない。食卓の上に所狭しと並べられたおいしそうな料理の数々は母であるアリアの作だ。
今日の夕食には家族が全員そろっていた。ここ最近仕事が忙しく家に帰ってきていなかった父や兄たちも、今日は合間を見つけたのかそろっている。
その席でリリーゼは今日体験した貴重な経験について語った。
「・・・・・それで泉の近くである魔導士と出会ったんです。遺跡めぐりが趣味で、名前は確か・・・・」
「イスト・ヴァーレ?」
その名前を言ったのはクロードだった。
「そうです。そう名乗ってしました。どうしてクロード兄上がその名前をご存知なのですか?」
「騎士団で入出国表を確かめていたら、その人物がここ最近何度も出たり入ったりしていてね。備考の欄に遺跡めぐりが趣味だって書いてあったから、もしかしたらってね」
そうでしたか、と言ってからリリーゼはさらに話を進めた。
イストが光彩の杖で劣化して読み取れなくなっていた魔法陣を発動して見せたこと。転送された先が鍾乳洞だったこと。
「・・・・それで目印を残したんです。ペイントボールという元々は仮装パーティーなんかで使う魔道具で、見せてもらったものは鳥が翼を広げる様子の絵柄でした。視覚補助用の魔道具とリンクしていて大まかな位置関係が分かるといっていました」
ペイントボールには他にも獅子や蛇、馬に狼など、他にも種類があると言っていましたね、とリリーゼはその時の様子を出来るだけ忠実に思い出しながら説明した。
狼か、と呟いて考え込んだのは長兄のジュトラースだった。
「他にはどんな魔道具を持っているといっていたのかね?」
ディグスが穏やかな口調でリリーゼに問いかけた。
「そうですね・・・・、禁煙用で“無煙”という煙管型の魔道具とか、あと見せてもらってはいませんが、髪や眼の色を帰ることが出来る魔道具も持っているようなことを言っていました」
そう、リリーゼが言った瞬間だった。和やかだった食卓の雰囲気が変わったのは。ラクラシア家の男三人はそろって厳しい顔をして互いに視線を交錯させた。
「ジュトラース、手勢を集めろ。クロード、騎士団を動かせるようにしておけ。そのイスト・ヴァーレという魔導士を探すぞ」
は、と短い返事をして兄弟は食卓を後にした。ディグスもその後を追うようにして出て行く。後に残されたのはさっぱり事態が飲み込めていないリリーゼと、穏やかに微笑んでいるアリアだけだ。
「・・・・母上、これは一体・・・・?」
「リーちゃんがお父様から頂いたあの魔剣、どうやらそのイスト・ヴァーレさんが持ち込んだみたいねぇ」
のんびりと答えるアリアには緊張感の欠片もないが、その言葉を聞いたリリーゼは殴られたような衝撃を受けた。これから起こるであろう事態が、頭の中を駆け巡る。
「くっ」
短いうめき声を残しリリーゼも走って食堂から出て行った。恐らくは一度部屋に戻り、水面の魔剣を帯びてから町へ駆けていくのだろう。
「あらあら、大変ねぇ」
ぜんぜん大変そうじゃない態度と口調と雰囲気のままでアリアはお茶を優雅に口にした。
「門限に関しては、今日は大目に見てあげましょう」
それからまだ多くの料理が残っているテーブルに目を向け、
「お料理、冷めちゃうわねぇ・・・・・」
そう、少し悲しそうに呟いた。
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リリーゼが父であるディグスから貰った魔道具「水面の魔剣」は優れた魔道具である。が、今回問題なのは水面の魔剣そのものではなく、それがイスト・ヴァーレという魔導士によって持ち込まれた、という事実であった。
(おそらく闇ルートで売り払ったのだろう)
暗黙の了解を守っているうちはそういう商売が黙認されていることを、当然リリーゼも知っている。
さて、非合法のルートで魔剣が持ち込まれたということは、正式な工房に属していない職人がいるということだ。魔道具の製造は規制されていなくても、売買は法によって規制されているからだ。
もっとも在野(この場合の在野とは工房に属していないことを言う)に魔道具職人がいること事態は珍しいことではない。ただし水面の魔剣ほどの魔道具を作れる職人となれば話は別だ。これほどの腕をもった職人は滅多にいない。どんな手を使ってでも口説き落とし抱え込みたい、と少々の富や権力を持っているならば誰もがそう思うだろう。
(そしてヴェンツブルグの三家はそういう野心を抱くのに十分すぎるほどの富と権力を持っている)
手早く動きやすい服装に着替えながらリリーゼは苦い表情を浮かべた。
そして、水面の魔剣を作った職人への手がかりがあのイスト・ヴァーレなのだ。
恐らく、というかほとんど確実に、父と兄たちはラクラシア家の全力を挙げてイストを探すだろう。そしてラクラシア家が動けばガバリエリ家とラバンディエ家もそれを察知して動くだろう。
リリーゼはこのとき思い至ってないが、レニムスケート商会もまたイスト・ヴァーレの身柄を狙っていた。
「大変なことになるぞ・・・・・!」
おとなしくイスト・ヴァーレを探し回るだけならいい。だがそうはならないだろう。あちらこちらでいざこざが起こるはずだ。それだけなら三家の問題で収まるが、その混乱に乗じて狼藉を働く者たちが出てくるだろう。
今夜この都市は混沌の様相を呈するだろう。そのなかで自分に何が出来るだろうか。
「くっ・・・・・」
だが、だからといって「何もしない」という選択肢はリリーゼにはありえない。イストに関わった人間として、事態が収まるのをただ待つだけなど到底出来なかった。
何も出来ないかもしれない。自分が未熟なことなど、自分が一番よく分かっている。だがそれでも、
「何もしないよりはましだ」
そう自分に言い聞かせ「水面の魔剣」を掴むと、彼女は夜の帳が下りた街へと駆け出していった。