アルテンシア半島はその北西部と南東部で天国と地獄ほどの差を見せている。半島の北西部を治めているのはシーヴァ・オズワルド。南東部を支配しているのはアルテンシア同盟に参加している領主のうち残っている者。
シーヴァ・オズワルドの元の肩書きはパルスブルグ要塞司令官及び要塞常備軍司令官である。いや、混乱のさなか解任動議は出ていないので今でもそうなのかもしれない。まあ、例え解任されていないとしても、もはや何の意味もない肩書きではあるが。
彼はアルテンシア半島を支える同盟軍の将軍であった。それゆえアルテンシア同盟という彼の古巣から見れば、シーヴァは反逆者であり簒奪者であり強盗でしかない。しかし彼が切り取った版図に生活する半島の住民の意見は違う。彼らにとってシーヴァは救世主であり解放者であり改革者であった。
「私はなにも特別な支配をしているわけではない」
彼の統治形態はどう言い繕っても専制君主制である。つまりこれまでの歴史の中でもなんら特異なものではなく、民主主義がもてはやされる時代においては独裁国家の批判を免れないものである。
もちろんシーヴァは客観的に見ても愚かな主君などではなかったが、それでも彼が“救世主・解放者・改革者”として受け入れられたのは、つまるところそれまでの領主の支配が酷過ぎた、というただそれだけのことである。たどり着いた地点がゼロだとしても元がマイナスであれば、人々はそれを向上と受け取るのだ。
無論、全ての領主が腐っていたわけではない。これまでにシーヴァが切り取った半島北西部には、良心的な領地運営を行っている領主が少なくとも五人いた。彼らは腐り果てた同盟に嫌気がさしていたし、また同時に危機感を抱いてもいた。彼らと事前に連絡を取り合いまた綿密に計画を練ることで、シーヴァたち解放軍(同盟側からみれば反乱軍)は二ヶ月で九〇州余りを切り取るという偉業を成し遂げたのである。言うまでもないことだが、この行軍において住民たちの熱狂的な協力は大きな力となった。
シーヴァ率いる解放軍の戦術において特筆すべき点は、魔道具の運用法だろう。
魔道具「とく速き射手(アルテミス)の弓」。シーヴァはこの魔道具をベルセリウスに依頼して三十張作ってもらった。ちなみにベルセリウスが「つまらない仕事」といったのは、同じ魔道具を三十個も作るのがつまらない、ということで「とく速き射手(アルテミス)の弓」がつまらない魔道具だったということではない。
この魔道具は魔力を束ねて放つタイプで、放たれた閃光は途中で十発の光弾に解けて、広範囲に攻撃を仕掛けることができる。つまり三十張全てで同時に放てば、合計三〇〇発の光弾が敵陣に降り注ぐことになる。
一つ一つの光弾の威力は、人の頭ほどの石が落ちてくるのと同じくらいだろうか。魔道具としては火力が小さいほうに類するだろう。しかし当たれば致命傷になるし、なによりも三〇〇発の光弾が一度に降り注ぐその光景は、威力以上に敵軍を震え上がらせた。なによりも恐怖は伝播する。腰の引けた同盟軍など、シーヴァの敵ではなかった。
遠征の最初に協力を求めたゼゼトの民は、最も密度の濃かった最初の二ヶ月が過ぎると、族長たちが「義理は果たした」と判断し大半がロム・バオアへと帰っていった。シーヴァにしても彼らの力が欲しかったのは一定の勢力圏を確保するまでで、族長たちのその決定に異を唱えることはなかった。
事前の約定通り、シーヴァはゼゼトの民にロム・バオアと半島の間の自由な渡航を認め、さらに戦いに参加した者には十分な恩賞を与えた。長い歴史的な背景や感情の問題もあるため、すぐにゼゼトの民と友好な関係を築くのは難しいかもしれない。しかし少しずつでも関係を改善していくことを約束し、族長たちとシーヴァは握手を交わすのであった。
さて、大半のゼゼトの民がロム・バオアに帰っていったその一方で、トルドナ族の族長の息子であるガビアルやエムゾー族の族長ウルリックの娘メーヴェをはじめとする三十人ほどのゼゼトの民の若者はシーヴァのもとに残って戦うこと選択した。
「優れた戦士と共に戦えることは、我らにとって誇りだ」
ガビアルはそういって残った者たちの胸の内を代弁した。ただ唯一の女性はそこまで素直になれないらしく、
「わ、わたしが残るのはヤツがゼゼトの民の敵になったときに殺すためだっ!」
と言い張っていた。
イストとニーナがハーシェルド地下遺跡で古代文字(エンシェントスペル)の解読作業に勤しんでいるころには、版図拡大に当初の疾風迅雷の勢いはなくなっていたが、それは常識的なペースに落ち着いたという意味で、遠征そのものはさしたる問題もなく順調に進んでいる。
この時点でシーヴァが切り取ったのは、半島北西部の一二一州。アルテンシア半島の版図が二三七州であるから、ちょうど半分程度といったところであろう。そしてこの数字はこの先さらに増えるであろうことが容易に想像された。
半島の南東部では領民たちの反乱が相次ぎ、シーヴァがその隙を突いて侵攻を仕掛けている、というのが傍目に見える構図だが事実は少々異なる。むしろシーヴァの侵攻に呼応するように、領民たちが反乱を起こしているのである。領民たちから三行半を突きつけられた領主たちは、外の敵に対応できないまま内側から崩れていき、もはや同盟そのものが風前の灯となっていた。
シーヴァの最終的な目的は、アルテンシア同盟を瓦解させ半島を一つの統一国家としてまとめ上げることである。ゆえに彼の覇道は未だ道半ばであり、手中に収めた版図の内政は五人の領主たちに任せ、シーヴァ自身は戦場に立つことが多かった。とはいえ彼にしか判断できない事案も確かにあり、そういったものを含め様々な報告がシーヴァの元にはもたらされていた。
「これは、どうしたものか………」
今シーヴァが目を通している書類も、そんな報告の一つである。
「どうかしましたか」
副将であるヴェートが怪訝に思ったのか声をかけてくる。副将という立場からも分るように彼女は武人であり、一度戦場に立てば一軍を率いて獅子奮迅の働きをする。加えて最近ではこうして書類仕事の手伝いもしてくれており、文武両道な才女であることを証明していた。
そんなヴェートにシーヴァは読んでいた報告書を見せる。
「これは………!」
そこには「教会と神聖四国それにその周辺諸国が、アルテンシア半島への十字軍遠征を計画している」という報告が載せられていた。加えてかなり正確な報告が数字を交えてなされている。
教会が旗振りをしている十字軍遠征の計画は、極秘裏に進められているわけではない。神聖四国のどこかの酒場にでも行けば、黙っていても噂話を聞くことはできるだろう。しかしシーヴァの勢力圏であるアルテンシア半島北西部と教会と神聖四国がある大陸中央部の間には、幾つかの国が横たわりさらには混乱を極める半島南東部が存在している。
したがって待っているだけで大陸中央部の正確な情報が入ってくることは期待できないだろう。だからこの時点でシーヴァがこの報告を受け取っているということは、彼が大陸中央部にある程度の諜報網を持っていることを示している。
それはともかく。目下の問題は十字軍遠征についてである。
「予想していなかったわけではないが、少し早いな」
「聖銀(ミスリル)の製法漏出が原因ではないかと」
ヴェートの言葉にシーヴァは頷いた。
半島が混乱をきたしているときに大陸から侵略者がやってきたことは過去にもある。だから十字軍遠征自体に驚くことはない。しかしもう少し話がこじれて時期が遅くなるのではないかと読んでいたのだが、思いのほか遠征の話が速くまとまった。
軍というヤツは動かすだけで金が掛かる。そして言うまでもないことだが大規模になればなるほど、さらに金が掛かる。だから十分に潤っているはずの教会や神聖四国の中には、十字軍遠征に反対する者もいると踏んでいたのだが、どうやら聖銀(ミスリル)の製法漏出による被害は深刻らしい。
「遺跡の発掘は間に合いませんでしたね」
ヴェートが別の資料を手にそう呟いた。教会という宗教組織と敵対する事態を、シーヴァはかなり早くから想定していた。そのため教会を口撃するための大義名分を色々と探していたのだが、最近見つかった教会に関係するというハーシェルド地下遺跡の発掘調査に資金を援助したのもその一環であった。
「そうだな………」
ヴェートから受け取った報告書には、「古代文字(エンシェントスペル)の解読要員を見つけたので、これから本格的な発掘調査に入る」という内容が書かれている。かりに地下遺跡にシーヴァの求める大義名分が眠っているとしても、すでに十字軍遠征の計画が形になりつつあるのであれば、遠征が始まる前にそれを知るのは難しいだろう。
まして教会が旗振りをしているのである。神聖四国はもちろんのこと周辺諸国も協力的だろうし、兵士も数を揃えやすいであろう。かなり速く準備が整うと想定しておいたほうがいい。
ただ遠征が上手くいくかは別問題であろう。アルテンシア半島の入り口にはゼーデンブルグ要塞がある。この要塞は常時十万の兵を駐在させ大量の兵糧を抱え込んだ大要塞である。十字軍がいかに数を揃えようとも、この堅牢を誇る大要塞を落とすのは容易ではあるまい。そして攻城戦が長引けば基本的に寄せ集めの連合軍である十字軍には亀裂が入ると、シーヴァは予測していた。
ただ懸念もある。集めた情報によると、ゼーデンブルグ要塞に駐在させている軍を出して、反乱軍を鎮圧しようという計画があるらしいのだ。この反乱軍というのはいうまでもなくシーヴァ率いる解放軍のことであり、このような計画を企てているということは、同盟に残っている領主たちがかなり切羽詰っていることを意味している。
つまりこれは解放軍が有利であることの証拠なのだが、駐在軍が要塞を空ければ当然その防衛力は低下する。そこを十字軍に狙われればゼーデンブルグ要塞はたやすく陥落するだろう。自分たちの存在が侵略者どもを利することになってしまうのは、なんとも面白くない。
さらにシーヴァの思考は加速する。
アルテンシア同盟と十字軍が手を結ぶ可能性、である。その場合の共通の敵は言うまでもなくシーヴァ率いる解放軍ということになる。数こそ膨大になるだろうが、所詮は欲望にまみれた結びつき。烏合の衆でしかない軍に、シーヴァが恐怖を感じることはない。一度戦って勝たずとも手ごわいところをみせれば、自然と崩壊するだろう。
そんなことを考えながら、シーヴァは報告書を斜め読みしていく。そして古代文字(エンシェントスペル)の解読要員の名前のところで、ふと目がとまった。
(イスト・ヴァーレとニーナ・ミザリ、か………)
ニーナ・ミザリのほうは聞いたことがないが、イスト・ヴァーレのほうはどこかで聞いたことがあったような気がした。
(そういえばベルセリウス老も古代文字(エンシェントスペル)が読めると言っていたな)
なにか関係があるのかもしれない。今度折に触れて尋ねてみよう。
(しかし、もしベルセリウス老の関係者であったとすれば………)
あの老人の関係者だ。きっとこのイスト・ヴァーレという人物も、アクとクセの強い、いわゆる“変人”の類なのだろうと、シーヴァは苦笑するのであった。
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「女には女の戦場がある」
それが、アルジャーク帝国皇后の持論だった。
そこでは軍馬がいななくことはないけれど。そこでは矢が飛んでくることはないけれど。そこでは血にまみれる事はないかも知れないけれど。
けれどもそれが戦いである以上、勝利の美酒に酔いしれることができるのは勝者だけなのだ。敗者に待ち受けるのは死であり、あるいは死以上に辛い恥辱や汚名に甘んじなければならない。
(そのような屈辱、わらわは決して認めぬ………!)
故に彼女は武装する。
鋼の鎧の代わりに絹のドレスを身にまとい。
兜の代わりに化粧をほどこし髪を結い。
剣の代わりに舌鋒を。
盾の代わりに微笑を。
戦術の代わりに話術を駆使し。
彼女は己の戦場を駆け抜ける。狙う首はただ一つ。アルジャーク帝国皇帝ベルトロワ・アルジャークの、その首である。
**********
時間は少し遡る。クロノワがカレナリア軍との緒戦に臨もうとしていたまさにその頃、アルジャーク帝国皇后もまた彼女が望んだ戦いの、その緒戦へと臨もうとしていた。
「これは皇后陛下、ご機嫌麗しく………」
客間のソファーから身を起こし、恭しく一礼した男の名はブラム・ターナー。彼の家は代々役人を輩出しており、彼自身もその例に漏れない。ただターナー家は別としてもブラム自身は小物で、以前から皇后とのコネを作るべく色々と稚拙に暗躍していたらしいが、彼のような小物が自分の役に立つとは思えず、彼女は相手にしていなかった。少なくとも今までは。
「呼びたててしまい、申し訳ありませんでしたね」
内心では「小物」と侮りつつも、それは顔にはおくびも出さず皇后は優雅に微笑んで見せた。それを見てブラムはいよいよ恐縮する。
「いえ、そのようなことは!皇后陛下からのお招き、恐悦至極に存じます!」
ブラムに席を勧めソファーに座らせ、皇后もテーブルを挟んで向かいの席に腰を下ろす。お茶を用意した侍女を客間から下がらせ、しばらく雑談に興じる。これも含めて挨拶だ。そしてブラムの緊張が解れてきたところを見計らって、皇后は本題に入っていく。
「実は、今日はターナー殿にお願いがあって、お呼び立てしたのですよ」
「わたくしに、ですか?さて、どのようなものでしょうか?」
ブラムとしてはそう応じるしかない。彼の内心では期待と不安が渦巻いている。ここで皇后の「お願い」とやらを上手くかなえることができれば、念願かなって皇后との繋がりを持つことができる。しかし自分の手には負えない無理難題を吹っかけられれば、それはもう断るしかない。そうなれば皇后の心象は確実に悪くなり、自分の出世は遥か彼方へと遠ざかっていくだろう。そんな彼の心のうちを、皇后はほぼ正確に把握していた。
「実は、わらわは最近不眠に悩まされていまして………」
「そ、それは、御労しい………」
ブラムは必死だった。皇后の言葉の端々から必死にその意図と、「お願い」の内容を推し量ろうとしている。それが表に現れてくるあたり、小物の小物たる所以だろう。多少なりとも交渉事を心得ている者ならば、余裕を持ってにこやかに微笑むくらい造作もないだろうに。
「それで、ターナー殿には睡眠薬を差し入れて貰いたいのですよ」
そういうとブラムは怪訝な反応を示した。睡眠薬を手に入れることに限れば、なにも難しいことはない。皇后がそれを望んでいる以上、差し入れることにも問題はあるまい。しかし、睡眠薬が欲しいのであれば、まずは専属の医師団に相談し処方してもらうのが筋ではないのだろうか。それをわざわざブラムを呼び出して頼む、皇后の意図はどこにあるのか。
「医師団に相談などすれば、妙な噂が立ってしまいます」
彼女のようにやんごとない立場の人間が不眠に悩まされるとすれば、その原因は十中八九心労であろう。医師団そのものは口が堅く信頼できるかもしれないが、皇后のような立場ともなればどこからともなくその近況は漏れていくものである。となればその心労のもとについて根も葉もない噂が飛び交うのは目に見えている。帝都に何千羽と生息しているおしゃべり雀たちにわざわざ娯楽の種を提供してやるのも癪だし、なにより「皇后が心労を抱えている」などという話は醜聞に属する類の噂だ。わざわざ表に出したい話ではないだろう。
「ですが薬である以上、むやみやたらと飲めばいいというものでは………」
ブラムに医学や薬学の知識はないがそれぐらいのことは分る。自分が用意した睡眠薬が原因で皇后が体調を崩した、などという事態はなんとしても回避しなければならない。そなれば責任を取らされ、最悪首が飛ぶかもしれない。いろんな意味で。
「なにも文字通りの睡眠薬を用意して欲しいと言っているわけではないのですよ」
小心者のブラムの、リスクを負いたくないという胸のうちは、皇后にとって手に取るように分りやすいものだった。小心者を安心させるように皇后はさらに優しげな微笑を浮かべる。声音を努めて穏やかにし、胸のうちの思惑は決して外に出さぬ。その様子は悪魔が獲物を追い詰めていくのに似ていた。
「そう例えば………、ハーブの中にはそのような作用があるものもある、と聞いています。そういったものを用意できませんか」
それを聞いてブラムの表情は明るくなった。用意するものがハーブの類であれば話は変わってくる。背負うリスクはほとんどないだろうし、また達成も良いだろう。
「なるほど。そういうことでしたらこのブラム・ターナー、必ずやお役に立ってみせましょう」
ブラムの声からは興奮が窺えた。最初に懸念していたような無理難題を押し付けられることはなく、「お願い」の内容も実に簡単なものだ。どうやら自分にも運が向いてきたようだと彼は内心でほくそ笑んだ。
その様子を、皇后は微笑みの裏に隠した眼光鋭い目で観察していた。どうやらこちらの本当の意図には、この話し合いが皇帝暗殺のための下準備だとは、気づかれていないようだ。
自分が皇帝暗殺を企てていることを、皇后は誰にも話していない。そしてまた気づかれるようなヘマなどしていないと自信を持ってもいた。
(決して気づかれるわけにはいかないのです………!)
狙う首が皇帝以外のものであれば、そこまで神経質になる必要はないだろう。「陛下」という敬称が示すとおり、このアルジャーク帝国において彼女は皇帝と並び立つ唯一の人物であり、その影響力もそれ相応のものである。つまり皇帝以外の者であれば、それは彼女にとっては格下の人間であり、周りに使えている者にとってもその命は“軽い”く、暗殺を命じられれば葛藤はあれど最終的には奪えてしまうだろう。
しかし皇帝は違う。皇帝はただ一人皇后と並び立ち、またその上に君臨することを許された存在だ。それに皇后の権力は皇帝によって保障されているといっていい。そのような上位者を弑することを「畏れ多い」と感じてしまう人間は多いだろう。そうなればどこから計画が漏れるか、分ったものではない。
今の皇帝、ベルトロワ・アルジャークに反意を抱いている者はいるだろうが、そういう人物を抱き込むことも皇后には上手い考えとは思えなかった。そういう人間は大抵自分が冷遇されているから反意を抱いているのだ。
暗殺計画はハイリターンであるかわりにハイリスクである。成功すれば新たな皇帝の下で目立った地位を得られるだろうが、仮に失敗すれば一族郎党皆殺しになる。そこ参加していた当人がどれほど残酷な殺され方をするかなど、考えるだけで背筋が凍るというものだ。ならば暗殺計画の密告という功績で妥協し、保身と少々の出世を望むという選択肢は十分にありえるだろう。
ゆえに皇帝暗殺を企てていることは、何人にも気取られるわけにはいかない。暗殺計画は一人で考え、一人で準備し、一人で実行しなければならない。それが一番安全で確実であると、そう皇后は考えたのだ。
「できれば、他のハーブとブレンドした、ハーブティとして持ってきていただけると助かりますわ」
そのほうが噂が立ちにくいだろうから、と皇后はブラムに説明した。ブラムはその説明になんら疑問を感じることはないようで、なるほどなるほどその通り、としきりに頷いている。
「わかりました。必ずや皇后陛下のご希望通りに」
「お願いしましたよ、ターナー殿」
意気揚々と客間を出て行くブラムの背中を見送り、皇后は内心で一つ息をついた。無論表には出さないが。
鈴を鳴らして侍女を呼び、冷めてしまったお茶をかえさせる。今彼女は一つのハードルを越えたことに、深い充足を感じていた。
(断られることはないと、分ってはいましたが………)
それはそうだろう。皇后がブラムに頼んだのは「睡眠作用のあるハーブを、ブレンドしたハーブティとして持ってきて欲しい」ということで、なにも毒薬を持ってこいと命じたわけではない。しかも他ならぬ皇后の「お願い」だ。多少の野心を持っている人間ならば喰い付かないほうがおかしい。
とはいえ交渉が成功したのはまた別の話だ。これで緒戦を勝ったことになる。この先も戦いは続くが、それでも一つ勝てたのだ。今はそれを喜びたい。
(わらわは勝つ………!勝ち続ける………!そしてあの子を、レヴィナスを必ずや皇帝にしてみせる………!)