変わることが唯一の成長だとは思わない
しかし停滞し続けることで成長が望めないのもまた確か
まずは一歩を踏み出してみることだ
でなければそれが前進なのか後退なのか
それさえも判らないのだから
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第六話 そして二人は岐路に立ち
ゴクリ、とニーナは生唾を飲み込んだ。
強く握り締めた両手はじっとりと汗をかき、少々気持ちが悪い。普段であれば手を洗いたいところだ。しかし、生憎ニーナはそんなことを考える余裕がないほど、ガチガチに緊張していた。
そんなニーナの目の前で、イストが一つの魔道具を査定している。手のひらに乗るくらいの大きさの筒型の魔道具で、万華鏡を想像してもらえば一番近いかもしれない。魔道具の名は「鷹の目(ホーク・アイ)」。倍率を任意に変えることのできる望遠鏡型の魔道具で、イストがニーナに作らせていた練習用の魔道具である。
ニーナがこの試験(・・)を受けるのはこれで三回目である。「三度目の正直」となるのか、はたまた「二度あることは三度ある」の運命を辿るのか、彼女としては気が気ではない。
課題の魔道具である「鷹の目(ホーク・アイ)」の基本的な構造は、普通の望遠鏡とほとんど同じだ。主筒の両端にガラスのレンズが着いている。ただこれだけでは像が逆さまに写ってしまうし、またピントを合わせることができない。普通の望遠鏡であれば、“正位レンズ”と呼ばれるもので像を元に戻し、筒の長さを調節してピントを合わせるのだが、これを術式で行ってしまおうというのが「鷹の目(ホーク・アイ)」である。
エプティアナの森を越えジェノダイト国内を旅している途中でニーナは課題のレポートをまとめ終わり、ついに刻印の作業を生まれて始めて行ったのである。
本来ならばレンズとして用いているガラスに刻印を行うのが最もスマートなのだろうが、生憎とガラスは魔道具素材といては劣悪で、ニーナは小さな合成石を選んで術式を刻み核として筒に取り付ける方法を選んだ。
(最初の出来はひどかった………)
何しろ像は逆さになっているどころか斜めに傾いているし、倍率はほとんど変化せず、さらに像は白黒になってしまった。核になっている合成石を取り外したほうがまだマシ、という有様である。当然査定は不合格で、師匠であるイストには爆笑されてしまった。
(いっそ笑われてよかったくらいだけど………)
あそこで優しく慰められていたら、情けなくて泣いていたかもしれない。
失敗した原因は誰に言われずとも判っている。刻印だ。
術式の刻印、特に複数の術式を合成しながら行う刻印は、職人たちが言うとことの「バランスを取りながら」行う必要があるのだが、これがなかなか感覚的な作業で、他人に説明するのが難しい。いや、説明する意味がない。この作業をどんな感覚で行うかは個人差が大きく、例えばイストは「水が澱まないように流す感じ」というし、その師であるオーヴァ・ベルセリウスは「天秤をつりあわせる感じ」と言っている。つまり説明してみたところで、同じ感覚で作業することなど出来ないのだ。
はじめて刻印の作業を行うにあたり、ニーナは師匠であるイストに助言を求めた。求めたのだがイストには「こればっかりは一度やってみるしかない」と言われた。イストにしてみれば自分の感覚を説明してみたところで意味がないし、また妙な先入観を持ってやればかえって有害ですらあると考えたのだろう。
かくしてニーナはなんの事前知識もなしに、そして緊張に体を硬くしてはじめての刻印作業に臨んだのだが、この作業の彼女の感じ方は、
「水がいっぱいに入ったコップを、零さないようにはこぶ感じ」
だったという。もっともこの感じ方にしたって、作業が終わった後に冷静になって思い出したものである。刻印中は本当に手一杯でそこまで考える余裕がなかった。気がついたら終わっていて失敗した、そんな感じである。
ちなみに失敗した一番最初の合成石は、自戒と記念の意味をこめてペンダントにし、今は首から下げている。
今イストはニーナの作った「鷹の目(ホーク・アイ)」を接眼部から覗き込み、倍率と色彩を確かめている。倍率がどれ位あるかはもちろんだが、ものを見る魔道具である以上色彩が狂っていないかも重要になってくる。
「ふむ」
査定が終わったのか、イストが一つ息をついた。それを聞いたニーナは両手を握り締め、なおいっそう緊張で体を硬くした。
「合格」
その一言を聞いて勢いよく上げた頭に、放って返された「鷹の目(ホーク・アイ)」がぶつかる。痛いのを我慢してなんとかその筒状の魔道具を捕まえ、ぶつけた額を擦りながらニーナはイストのほうを見た。
「…………本当に?」
「じゃ不合格」
「え!?あ、いや………。ちょ、それは………!」
合格の朗報があえなく幻と消え、ニーナは焦る。そのワタワタとした慌てっぷりを、イストはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて楽しんでいた。
「素直に喜べばいいんだよ」
弟子が焦って慌てる様子を満足いくまで鑑賞した意地悪な師匠は、呆れたようにそういった。それでニーナも落ち着きを取り戻す。
「………師匠の場合、なにか裏があるんじゃないかって心配になるんですよ………」
まだそう長い間、一緒に旅をしているわけではない。しかしその間にも、弟子という立場ゆえなのか、イジられたりからかわれたりすることがよくあった。この前のエプティアナの森で魔女の真似事をさせられたことなど、いい例だ。
しかし、ニーナとてやられっ放しではない。ちゃんと学習しているのだ。
「そうかそうか、お前にそんなに無駄なことを考えてる暇があるとは知らなかったな。今後は修行に集中できるように、断腸の思いで不合格にしてやろう」
………功を奏しているとは言いがたいが。役者としてはまだまだイストのほうが一枚も二枚も上手であった。
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エプティアの森を越えジェノダイトに入国したイストとニーナの師弟は、そのまま進路を西にとった。
ジェノダイトの北には神聖四国が一国、「サンタ・ローゼン」がある。余談だが、神聖四国はそれぞれ国名に、「聖(サンタ)」の名を冠することを教会より許されている。この「聖(サンタ)」の名こそが神聖四国と教会の深い結びつきを内外に示すものであり、これによってこの四カ国は国力でも武力でもなく尊厳や敬意、簡単に言えばエルヴィヨン大陸中の信者から支持を得られると言う点で、他の国々と太い一線を画している。
「金銭や権利とかとは別の次元の話だからな。厄介だぞ、こういうのは」
煙管型禁煙用魔道具「無煙」を吹かしながらイストはそう評して見せたのだった。
ジェノダイトには、このサンタ・ローゼンの国境付近に「トロテイア山地」がある。その麓にあるトロテイアの街に、今イストとニーナの師弟はいた。
トロテイアの街は、その字面を眺めれば一目瞭然であるように、トロテイア山地からその名前を取っている。ジェノダイトにおいてこの街は国境付近のいわば「辺境の町」なのだが、トロテイア山地が教会の巡礼コースの一つとなっており、そのため多くの巡礼者が訪れにぎわいを見せていた。
イストとニーナは魔導士ギルドの斡旋所にいた。斡旋所は別名「ギルド・ホーム」とも呼ばれ、ギルドのライセンスを持つ者に対し、ギルド・ホームに依頼された仕事を斡旋するのが主な業務である。ただ今日二人が斡旋所に来た目的は仕事を請け負い旅の資金を稼ぐことではない。大仰な言い方をすれば、情報収集をするためである。
旅をする身であろうとも、いや旅をする身であればこそ情報は重要だ。例えばこれからいこうとしている国の情勢を知っておくだけでも、騒乱を避け身を守ることが出来る。もっともイストをはじめとする歴代のアバサ・ロットたちの場合、あえて混乱の渦中に飛び込むことが多々あるが。
「まあ、そう気を落とすな」
張り出されている紙を見たり居合わせた人から話を聞いたりして、斡旋所で一通り情報を集め終えると、肩を落としているニーナにイストはそう声をかけた。今ニーナが知りたいのは故郷パートームの、ひいては父であるガノスのことだ。
ポルトールとカンタルクの戦端が開かれたことは、ニーナも旅の中で聞いている。聞けばブレントーダ砦が落ち、シミオン第一王子が戦死したという。今のところ故郷であるパートームが戦火に巻き込まれたという話は聞かないが、祖国で待ってくれているただ一人の肉親の安否が、どうしても気になってしまう。比較的大きなこの街ならば、なにか情報が入っているかもしれないと期待していただけに、特に目新しい情報はなく空振りをくったニーナの落胆は大きい。
ただ師であるイストはガノスの身の安全については楽観していた。
「ガノスさんは腕のいい職人だからな。最悪カンタルク軍に捕まったとしても、扱いは丁重だと思うぞ」
腕のいい魔道具職人は一流の魔導士十人よりも価値がある。殺すなんてもってのほかだし、仕事が出来ないほどの傷を意図的に負わせるなどということも、まともな将であれば決してしない。それどころか可能な限りの好条件で味方に引き込み、魔道具を作らせようとするのが普通だ。だから工房はともかく、ガノス自身は五体満足でピンピンしているだろう、とイストは言った。
「はい………、そうだと、いいんですかど………」
ニーナの言葉は弱い。師匠の言葉は正しいと理解はしているのだが、納得して受け入れることはなかなかできない。どれだけ頭で理解してみても、グルグルとしたこの気持ち悪い不安は消えてくれない。たぶん確実な情報にめぐり合うまでは、この不安は決して消えないだろう。
それが分っているのか、イストはそれ以上何も言わなかった。孤児院の家族を皆殺しにされた経験を持つものとしては、今の彼女の不安は容易に想像できる。そして安っぽい慰めになんの意味もないことも。
「お茶をもらってくる。それを飲んで落ち着いたらいくとしますか」
それだけ言うと、イストはさっさと行ってしまった。師匠の気遣いにニーナは感謝する。まったくあの師匠は普段の言動はとんでもないくせに、どうしてこういう気遣いができるのだろうか。
しばらくしてイストはマグカップを二つ手にして戻ってきた。中に入っている紅茶は、蜂蜜でも入れたのかほんのりと甘い。今はその優しい甘さが心地よかった。甘い紅茶は体に染み渡り、変な力が抜けていく。
紅茶を飲み終える頃になると、ニーナの不安も和らいだ。紅茶を飲んでなにか問題が解決したわけではないが、まあ、クッションが必要だった、ということだ。
「紅茶、おいしかったです」
ごちそうさまでした、と呟きマグカップを机に置く。仕事の斡旋や依頼の受付をしているカウンターのほうから、多い声がしたのはその時であった。
「お願いします!何とかして見つけてください!」
「そう言われましても………」
一人の学者風の男が、額をカウンターにこすり付けんばかりの勢いで、受付嬢に何かを懇願している。受付嬢のほうは若干引き気味だ。男の隣は腰に剣を挿した男がもう一人いる。がっちりとした体格で、もしかしたら護衛かもしれない。
「なんとか今日中に見つけないと遺跡の発掘計画に支障が出てしまう。お願いします、何とかしてください!!」
「………遺跡?」
ピクリ、と“遺跡”という単語にイストが反応した。彼の趣味は遺跡巡りだ。
「ですが、古代文字(エンシェントスペル)の読める人物なんてそうそう………」
いるわけがない、と受付嬢が言おうとしたそのとき、イストが話しに割り込んだ。
「いるよ」
学者風の男とその護衛と思われる男そして受付嬢、三者六つの目がイストに集中した。
「読めるよ、古代文字(エンシェントスペル)」
護衛風の男は感心したような驚いたような顔をしているし、受付嬢は厄介ごとから開放され喜んでいるように見える。そして学者風の男は、目を輝かせ歓喜を表現していた。
「君は………、本当に読めるのかい?古代文字(エンシェントスペル)が」
「ああ。だから詳しい話を聞かせてくれないか」
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「悪い、待たせたか」
魔導士ギルドの斡旋所での一件があった次の日、トロテイアの街の北門前で考古学者とその護衛、シゼラ・ギダルティとジルド・レイドの二人組みを見つけると、イストは遅れたことを詫びた。
「いえ、我々もついさっき来たところですから」
昨日は興奮してなかなか寝付けず今日も早く来てしまった、と話すシゼラに一同は苦笑する。四十近いおっさんのくせに妙に子どもっぽいところがある。
「じゃ、行きますか。途中までは巡礼道を通っていけばいいんだよな?」
シゼラが頷くと、一行は歩き出した。考古学者で本来旅慣れしていないシゼラにペースをあわせているため、イストなどからすればのんびりと散歩をしているような感じだ。
巡礼道は街の北門からトロテイア山地を通り、サンタ・ローゼンへと至る。シゼラたちが現在発掘を行っている遺跡は「ハーシェルド遺跡」といい、この巡礼道から外れて少し山地に分け入ったところにあるという。今からおよそ三五〇年ほど昔の遺跡なのだが、つい最近この遺跡の地下に新たな遺跡が見つかった。建築様式などが異なることから、もともとこの遺跡があった上にハーシェルド遺跡を造ったのではないかと、シゼラたちは考えていると言う。
新たに見つかった遺跡(便宜上ハーシェルド地下遺跡と呼ぶ)は、建築様式などから考えると、どうやら千年近く昔の、しかも教会に関係する遺跡らしい。保存状態もほどほどに良く学者たちは喜んだのだが、すぐに一つの問題が出てきた。
「発掘された石版や、壁画なんかに使われている文字が全て古代文字(エンシェントスペル)なんですよ」
昨日、ギルドの斡旋所で仕事の説明を求めたイストに対し、シゼラはそういった。
千年前は古代文字(エンシェントスペル)が主流であったはずであるから、その文字が使われていることはなんら不自然ではない。が、古代文字(エンシェントスペル)は今現在まったくといっていいほど使われておらず、当然その解析ができる人間などそうはいない。
「それで昨日ギルド・ホームに頼みに行ったんですけど、即日中に見つけるのは難しいと言われて……。本当にイストさんたちがいてくれて助かりましたよ」
古代文字(エンシェントスペル)が読める人と言うのは探せば見つかるであろう。しかし即日中というのは個人的な伝手でもない限りは無理だ。あの受付嬢も無理難題を吹っかけられてさぞかし迷惑したであろうと、イストは苦笑した。しかもシゼラはいたって本気で、しかも必死でさえあったから尚たちが悪い。
しかし今回は幸運なことに、イストとニーナという古代文字(エンシェントスペル)が読める二人がその場に居合わせた。シゼラにとっても受付嬢にとっても、そして遺跡巡りが趣味のイストにとってもまことに幸運であったといえよう。師匠の趣味に付き合わされた弟子がどう思うっているかは分らないが。
ちなみにニーナが持っているのは魔導士ギルドの準ライセンスであるが、これを持っている者はギルドの斡旋所が達成可能と判断した仕事のみ受けることができる。
イストとニーナが請け負った仕事の内容は「遺跡の古代文字(エンシェントスペル)の解読」である。期間は一ヶ月で休みなし。報酬は一人3シク20ミル(金貨三枚と銀貨二十枚)で、三食付き。平均的な家庭の月収が3~5シクであることを考えると、高いのか安いのかは判断に迷う。ただイストが疑問に思ったのは別のことであった。
「随分金払いがいいな。気前のいいパトロンでもいるのか?」
遺跡の発掘は学術的には価値があるが、そこから直接的に利益が出るかと言われれば多くの場合答えは「否」である。そのため国や貴族などは予算を出し渋り、発掘作業は少ないお金を切り詰め帳面と睨めっこしながら行うというのが普通である。しかしシゼラを金の使い方を見ていると、懐には幾分の余裕があるように見受けられた。
「ええ、ハーシェルド地下遺跡に興味を持ってくれた方がいまして、その方が資金を出して下さっているんです。ただ定期的に経過報告するように言われていて、昨日も斡旋所に行くついでに、その報告書を出してきたんですよ」
「てことは、そのパトロンはトロテイアの街にいるのか?」
「いえ、アルテンシア半島の方なので、届けてもらうんですよ」
「アルテンシア半島ねぇ……。どこの領主か豪商か知らないが、そんなことやってる暇あるのかねぇ………」
アルテンシア半東は今、北西と南東で対極的な状態にある。シーヴァ・オズワルドが切り取った版図は安定を見せ始めているが、旧来の領主たちが治める領地では反乱が相次いでいると聞く。無論その混乱をシーヴァが見逃すわけもなく、当初の勢いはないものの彼は着実にその版図を増やしている。むしろ今のペースが常識的であるといったほうがいい。
「あ、ここで巡礼道を外れてこっちに行きます」
さして高くもない山の中腹付近に来たとき、シゼラはそういって木々が生い茂る森を指差した。当然そこには道らしい道などない。しかも山地だけあって足元は斜面になっており、エプティアの森などと比べると歩きにくい。
「遺跡の近くは比較的平らなんですけどねぇ………」
こればっかりは仕方がないとシゼラは苦笑した。この山道が一番堪えるのは、他ならぬ彼であろう。
「じゃあ、ジルドさん。よろしくお願いします」
「うむ」
ジルドは短く返事をして、一行の先頭に立った。どうやらここからは彼が先導をするようだ。
「あの、一つ聞きたいんですけど………」
ニーナが一番後ろから遠慮がちに声を上げた。
「ん?なんだい?」
「ジルドさんって魔導士ですよね」
「うむ。魔導士ギルドのライセンスを持っており、魔道具を所有していると言う意味ではその通りだ」
ちなみにジルドが持っている魔道具は「不屈の魔剣」と呼ばれるものである。刻まれている術式は、魔剣の強度を上げ刃毀れなどを防ぐ「強化」と、切れ味を上げる「切断」である。「折れずに良く切れる」というのがうたい文句で、魔道具の中ではありふれた品物であり値段も安いが、それでも一般の剣と比べれば十倍以上の値段になる。
「それで、護衛の仕事を請け負ったんですよね………?」
「その通りだが………。どうかしたか?」
ニーナが何を聞きたいのかいまいち分らず、ジルドも首を傾げる。
「なんで遺跡調査に護衛が必要なのかなって………」
確かに「遺跡調査」と「護衛」と言う単語はなかなか結びつかない。あるいはハーシェルド地下遺跡には危険なトラップの類が仕掛けられているのだろうか。
「いや、警戒しているのは地竜のほうだ」
答えたのはジルドだった。
「地竜!?竜ってあのおとぎ話の中の………?」
火とか吐いたりするのだろうか?
「正式名称は『リザイアントオオトカゲ』。“地竜”は俗称だ」
どうにも話しについていけていないニーナにイストが助け舟を出した。
――――リザイアントオオトカゲ。
牛ほどの巨躯と鋭い牙そして爪を持つ、獰猛な肉食獣だ。その体は硬いうろこで三重に覆われ、普通の刃物では傷つけることさえできない。何より凶悪なのはその尾だ。体長ほどの長さのある尾の先は硬い鈍器のようになっている。リザイアントオオトカゲはこの尾を武器として使うのだが、その威力たるや凄まじく、馬の首を一撃でへし折ったという記録も残っている。
当然のことながら普通の剣や槍などでは手を出すことができず、仮に討伐するとしたら魔導士が最低でも三人必要だと言われている。
「それじゃあ、ジルドさん一人で大丈夫なんですか………?」
「そうなんだけど、予算がね………」
シゼラが決まり悪そうに頬をかいた。確かに地竜を討伐できるだけの戦力を雇うおうとしたら、決して安くない費用が掛かる。いくら金払いのいいパトロンがいるとはいえ、直接発掘調査に関係しない分野に予算をつぎ込むことはしたくなかったのだろう。もし雇っていれば、イストとニーナを雇う分の余裕はなかったかもしれない。
一連の話を聞くと、ジルドは苦笑した。遠まわしにとはいえ「お前一人では不安だ」と言われたのだ。地竜に遭遇したことはないが、その獰猛さは聞き及んでいる。確信をこめて反論ができない以上、ジルドとしては苦笑するしかない。
「ああ!別にジルドさんの腕を信頼してないわけじゃないですよ!?」
シゼラが慌ててフォローするが時すでに遅し、だろう。もっともジルドも大人でさして気にした様子でもなかったが。
「まあ、地竜の生息地域はトロテイア山地のもっと奥のほうだ。遺跡の近くまでやって来ることはほとんどないだろう」
当のジルドにそう言われてしまい、シゼラはバツが悪そうに頬をかいた。やっぱりこの人は子どもっぽいところがある。
ジルドは地竜対策に雇われたと言っていたが、山歩きの先導や大陸中に生息しているバロックベアなど、他の獣の対策もかねているのだろう。そういう意味では彼を雇ったのは正解であったといえるだろう。
(とはいえ………)
とはいえ、地竜の住処に近づいていっていることは確かである。街にいたり巡礼道を歩いているよりも遭遇する確率は自然高くなる。
(どーすっかね、鉢合わせしたら………)
現状、戦力として使えるのは護衛のジルドとイスト(自分)のみである。戦闘能力ゼロの弟子と考古学者は順当に除外される。「討伐には魔導士が最低でも三人必要」と言われている獰猛な野獣を狩るにはいささか心もとない。遺跡に到着すれば戦力は増えるのかもしれないが、不確定要素をアテにはできない。どうするか。
「ま、いっか」
不確定要素をアテにしないというのであれば、そもそも確率が上がったとはいえ遭遇確率はまだ十分に低い地竜を警戒する必要はあるまい。
(鉢合わせしてから考えよう)
そういうことに、なったらしい。