アルジャーク帝国皇太子レヴィナス・アルジャークと旧オムージュ王国王女アーデルハイト姫の婚礼が終わり少し経ったころ、ポルトールでも事態は急速に動き始めていた。
ラディアント公をはじめとする軍閥貴族の面々が、王都アムネスティアからそれぞれの領地へと一斉に帰還を始めたということは、すぐにアポストル公ら文官貴族たちにも知れ渡った。
この行動が意味するものはただ一つである。
すなわち、ラディアント公が武力をもってアポストル公を排除することを決めた、ということだ。
領地へと下るラディアント公らの背後を襲うという案もあったのだが、現状まともな戦力はランスローが連れてきた騎兵二千しかない。下手に手を出せば逆襲があるかも知れず、この戦力を自分たちの護衛から外すことに、文官貴族たちは消極的だった。
ここに至り、ついに内戦は避けがたい現実のものとなったのである。
歴史書を紐解けば、この時二人の公爵が掲げた大義名分を知ることができる。
ラディアント公は、「国事を差し置いて私利私欲のために国を売らんとする逆賊コステアを討つ」といって自らの正当性を主張した。
これに対しアポストル公は、「正当なる王統を守るために忠臣としてやむなく兵を起こす」と主張した。
どちらの言い分が正しいかは内戦が終わった後に決まるだろう。正しいほうが勝つのではない。勝ったほうが正しいことになるのだ。
内戦が避けられなくなったこの事態に際し、アポストル公も自身の派閥の貴族たちに、自分の領地に戻って兵を組織するよう命じた。当然ランスローも領地から残りの兵を連れてくるように言われたのだが、彼はそれを断った。
「ティルニア領から兵を動かしたところで所詮は孤軍。王都に着く前に袋叩きにあって全滅するのがオチです」
ティルニア伯爵家はもともと軍閥貴族であるから、その領地は派閥の他の貴族とは異なり国の南部にある。当然回りは敵だらけで、領地から軍を出そうとすれば袋叩きにあうのは目に見えている。
「それよりも、領地に兵を残しておけば、ラディアント公もそれを警戒し兵を残さなければなりません」
そうなれば王都近くで決戦する際のラディアント公の兵力を減らすことができる。むざむざと兵を全滅させるよりは、よほど賢い選択と言えるだろう。
「フン!」
と不満そうに鼻をならしてアポストル公はランスローの言葉を受け入れた。
ランスローは父であるアポストル公に先のように説明したのだが、彼個人の思惑は若干異なる。もし領地から兵を連れてきてしまえば、領地そのものが、ひいては妻のカルティエが無防備となってしまう。十分な戦力がいなければ領地の蹂躙は容易かつ迅速になされてしまい、そのときにカルティエがどのような目に遭うのかなど想像したくもない。彼女の身を守るためにも、残してきた領軍を動かしたくはなかった。
とはいえやはり賭けの部分もある。領地に軍を残しておけばラディアント公はそれを警戒するだろう。警戒して押さえに兵を残していくくらいならよい。だが、後背の憂いを絶つために全力でティルニア領を落としにかかる可能性も十分にある。
(だがラディアント公の目的は父上のはずだ…………!)
だからラディアント公は余計な道草などせず、真っ直ぐに王都アムネスティアを目指してくる可能性のほうが高い。高いが十割ではない。ゆえにランスローはやきもきさせられるのだ。
さて、忘れてはならないのがカンタルク軍である。
カンタルク軍はブレントーダ砦から動いていない。ただ交渉等で使者のやり取りはしているし、斥候の報告では砦近くのポルトール領内で連日五万人以上を動かす大規模な演習を行い、こちらを威圧してくれている。
これから始まる内戦は、内戦であるからポルトールの勢力同士が戦うわけである。しかし現実問題としてカンタルク軍という第三勢力が存在している以上、これを無視することなどできない。しかも厄介なことに、この第三勢力が最も戦力を持っているのである。考えれば考えるほどこの状況で内戦を戦うことは無意味どころか有害でしかなく、ランスローの気分は加速度的に沈んでいく。
しかしアポストル公の考えは違う。彼はこの状況だからこそ内戦を戦う意味があると思っていた。
三つの勢力の戦力数を単純に比べてみると、アポストル公の派閥十万、ラディアント公の派閥十二万、カンタルク軍十八万となっている。ただアポストル公とラディアント公について言えば、これは最大限に動員できる人数であるから、今回の内戦で動くのは恐らく多くても半分程度だろう。時が最大の要であることも重々承知しているだろうし。
さて、こうして比べてみるとアポストル公が如何に不利な状態かよくわかる。軍閥貴族を束ねるラディアント公に対して、第一に兵の数で及ばず、第二に兵の質で及ばず、第三に指揮官の質で及ばない。かろうじて兵と指揮官の質で並びうるとすれば、ランスローが鍛えてきたティルニア軍だけだろう。
だからこそ、是が非でもカンタルク軍を引き込む必要があるのだ。
今カンタルク軍は単純な戦力でも頭三つ分くらいはずば抜けている。さらに総司令官はかのウォーゲン・グリフォードである。指揮能力は申し分ないし、その隷下にいる兵は精鋭ぞろいだろう。
単純な話、今回の内戦はカンタルク軍を味方にしなければ勝てない。ラディアント公もカンタルク軍を味方に引き込むべく画策していると思うが、彼の場合カンタルク軍は最悪敵対しなければそれでよく、アポストル公より状況は切迫していない。
「カンタルクはマルト王子に、我々に交渉を申し込んできたのだ。大丈夫、カンタルク軍は我々の味方だ………」
アポストル公の憶測はある程度の説得力をもっている。しかし楽観が過ぎるようにランスローには思えた。
カンタルク軍がどちらの味方をするかは、結局のところウォーゲン・グリフォードの胸一つである。勝敗を左右する要素が不確定要素であるとは、一体どんな神頼みの状態なのだろう?
(結局カンタルク軍の一人勝ちではないか…………!)
内戦に干渉するにせよ、傍観するにせよ、はたまた独自行動をとるにせよ、一番美味しいところを持っていくのはカンタルク軍であるに間違いない。
(ええい、ままよ…………!)
こうなってはランスローとしても個人の利益を追求するしかない。彼にとって最大の利益とはすなわちティルニア領を、ひいてはカルティエを守ることであり、そのためにはこの内戦、アポストル公に勝ってもらわねばならない。
(これ以上カンタルク軍について考えても仕方がない)
カンタルク軍が最大の懸案事項であることは間違いないが、かといって打てる手も限られている。せいぜい援助をもとめる書状を出すくらいだ
(それよりも考えるべきは………)
それよりも考えるべきは、派閥に属さない中立の勢力だろう。
この場合魔導士部隊は考えなくとも良い。この部隊はブレントーダ砦で壊滅的被害を受け、現在再建の真最中だ。そもそもカンタルクと同じくここポルトールでも魔導士という劇薬は国家によって管理されており、アポストル公にしろラディアント公にしろ、手持ちの魔導士は少ない。精々護衛につけるのが精一杯だ。注意が必要なのは、王都近衛軍である。
王都近衛軍はポルトールにおける最精鋭部隊であり、国王の直接の指揮下にある。兵力は三万で、王都アムネスティアに通じる三つの街道に置かれた関所の管理と、戦場における国王の護衛が主な任務である。
この王都近衛軍は得がたいものを二つ持っている。
一つは単純な戦力である。最精鋭部隊三万が丸ごと味方に加わってくれれば、カンタルク軍を当てにせずとも、おそらく戦力は拮抗できる。
そしてもう一つが王都近衛軍の管理している関所である。関所と言うよりはちょっとした砦を想像してもらったほうが近い。この“砦”は王都を中心にして北、南西、東に配置されており、ラディアント公の軍が王都を目指す場合には南西の関所を通ると思われる。もしここに篭って戦うことができれば、戦力差を多少なりとも埋めることが可能だ。
自前の戦力に不安があるアポストル公はこの二つを手に入れるべく、王都近衛軍を味方に引き込もうと様々に画策したのだが、すべて徒労に終わった。
「王都近衛軍は国王陛下の直属部隊。陛下を別にしては何者からも命令を受けはしない」
王都近衛軍司令官エルトラド・フォン・ジッツェール伯爵はそう言って、アポストル公からの使者を追い返した。
「あの石頭め………!」
その時のことを思い出してアポストル公は苦々しく呻き、机を拳で叩いた。
「…………エルトラド伯の説得ですが、私がやってみましょうか?」
「お前が………?」
ランスローの申し出に、アポストル公は怪訝そうに眉をひそめた。彼はこれまで事態に積極的に関わろうとしてこなかったため、不審に感じている部分もあるのだろう。
「この戦いに負けて困るのは私も同じです」
半ば投げやり気味にそういうと、アポストル公はひとまず納得した様子だった。
「ふん。このまま何もせずいるよりはいいだろう」
少しばかり毒気の含まれた言葉に、ランスローは頭を下げた。
(さて、私は私のために少しでも勝率を上げるとするか…………)
他の誰でもない自分のために。そしてひいては愛する妻のために。
***********
「今度は貴方ですか、ランスロー子爵」
半ばうんざりした様子で、王都近衛軍司令官エルトラド・フォン・ジッツェール伯爵はランスローを迎えた。
「何度来られようとも、私の返答は変わりませんぞ」
「まあそう言わず、話だけでも聞いていただけませんか」
そう言うと、エルトラドはランスローを執務室に迎え入れた。部屋のソファーに向かい合って座るやいなや、まず口を開いたのはエルトラド伯の方であった。
「ランスロー子爵、貴方は派閥抗争の中にあっても比較的まともであると聞いておる。ならば分っているはずだ。今この状況で内戦を戦うことの愚かしさが」
私よりも先にお父上を、アポストル公を説得するのが先のはず、とエルトラド伯は説く。その言葉が正しいことはランスローも重々承知している。そして同じくらい無意味だと言うことも。
「………残念ですが、私が言ったところで父は聞かないでしょう」
「………でしたら、これ以上お話しすることは何もありませんな………」
王都近衛軍は国王陛下の、ひいてはポルトール王国の剣。内戦などに使うべきものではないし、使うつもりもない。内戦が避けられないのであれば、むしろ積極的に温存しておかなければならない。そういってエルトラド伯は自分の決意を語った。
王都近衛軍がそうであるように、エルトラド伯個人も派閥抗争に関しては中立を守ってきた。彼は中立貴族の中では力のある貴族で、それゆえに先王ザルゼス陛下からも頼りにされていたと聞く。そんな彼だからこそ、敬愛する主君の後継を争う内戦は見るに耐えないものなのだろう。
「お引取りを願いたい」
硬い声に拒絶の意思を乗せてエルトラド伯は言った。だが、ランスローとしてはここで引き下がるわけにはいかない。この内戦がいかに馬鹿馬鹿しいものであろうとも、彼としては勝たねばならず、そのための努力をすると決めたのだから。
「確かに内戦に王都近衛軍を使うのは馬鹿げています。それは私も同じ考えです」
ランスローがそういうと、予想していなかったのかエルトラド伯は眉をひそめた。
「ですが、相手がカンタルク軍であったらどうでしょう?」
「カンタルク軍、ですか………」
アポストル公とラディアント公は二人ともカンタルク軍に助力を願い出ている。その内容は、若干は異なるかもしれないがおおよそ同じはずだ。しかしカンタルク軍がそのどちらか一方を必ず受け入れる、という保証はない。二人の公爵が内輪もめをしている間に、ポルトール国内で無法を働く可能性だって十分にある。
「王都近衛軍司令官殿には、アシュタドの門に近衛軍全軍を集め、カンタルク軍に対処していただきたい」
アシュタドの門とは王都近衛軍が管理している三つの関所の一つで、北の街道に置かれている。ちなみに東の街道に置かれている関所はツェボルの門といい、南西の街道に置かれている関所はゼガンの門という。
ちなみにこれは命令ではない。王都近衛軍司令官に命令できるのは国王唯一人である。しかし要請することならばできるし、国王不在の今、その要請を受け入れるかはエルトラド伯の胸一つである。
ランスローの申し出を聞いたエルトラド伯は眉間に寄せたシワをさらに深くした。
王都近衛軍は確かに精鋭ぞろいである。しかしその戦力は三万。カンタルク軍十八万に対処するにはどう考えても少なすぎる。それが解らないランスロー子爵ではあるまい。
エルトラド伯はランスローの言葉をもう一度思い出し、その裏にある意図を探った。そして彼が出した結論は、
「…………ゼガンの門を明け渡せ、いや不法占拠を黙認しろ、ということですかな」
その答えに、ランスローは満面の笑みを浮かべた。無論、業務用であったが。
王都近衛軍がアシュタドの門に全軍を集めれば、当然残り二つの門は空になる。空になったその門を失敬させていただこうと、ランスローは考えたのだ。これならば欲しいものの一つは手に入る。
「この辺りが良い落とし処だと、そうは思われませんか?」
「いや、しかし………」
渋るエルトラド伯に、ランスローは言葉を続けた。
「このまま王都近衛軍がゼガンの門に残っていれば、父は攻撃を仕掛けてでも門を奪うでしょう」
「………私を脅すおつもりか………!」
だがその可能性が高いことはエルトラド伯も承知している。野戦をおこなうとなれば、アポストル公はラディアント公に及ばない。となれば篭るための拠点がどうしても必要になる。協力してもらえないのなら力ずくで、とそう考えるようになるだろう。
「それにゼガンの門に篭らないとすれば、王都に篭ることになります」
そうすると今度は街道を北上してくるラディアント公が、王都近衛軍がアポストル公に味方していると考えて、門に攻撃を仕掛けるかもしれない。そうでなくとも王都攻略の拠点として門を欲するかもしれない。
「………門を開いておけば、そのようなことにはならないでしょう………」
エルトラド伯の口調は弱い。そのことに同情を覚えながらもランスローはさらにたたみ掛ける。
「ですが、それでは王都アムネスティアが戦場になってしまいます」
そうなれば王都近衛軍の存在価値はどこにあるのか。そう言うとエルトラド伯は苦々しく顔を歪ませた。
部屋の中を、しばしの間沈黙が支配する。その沈黙は重く、エルトラド伯の心の葛藤の深さを思わせた。
ランスローもまた何も言わない。言うべきことはすでに言った。後はエルトラド伯の出方次第だ。
「………分りました。王都近衛軍は全軍をアシュタドの門に集め、カンタルク軍に対処することにしましょう」
ただし!とエルトラド伯は強い調子で続けた。
「王都近衛軍はツェボルの門とゼダンの門の管理権を放棄するわけではない。あくまでも一時的に空になるだけのことですぞ」
貸すわけではない、状況ゆえに不法占拠を見逃すだけだ、ということだ。その建前がなければ、王都近衛軍がアポストル公に味方したと思われてしまう。ランスローの見積もりどおり、この辺りが最大の妥協点だろう。
「それで十分です、エルトラド伯。ご理解に感謝いたします」
恭しくランスローは頭を下げた。これでラディアント公に対してなんとか五分々々の戦いをすることができるだろう。そんな彼にエルトラド伯は苦笑する。
「さて、何に対する感謝ですかな」
「それはもちろん、“カンタルク軍の押さえ役を買って出て下さったこと”に対して、ですよ」
満面の笑みを浮かべてランスローはそういった。今度の笑顔は業務用ではなかった。
**********
「こうも上手くいくとは思わんかったな…………」
机の上に並べられた二通の書状を前にして、ウォーゲン・グリフォードは苦笑をもらした。並べられた書状の差出人はアポストル公とラディアント公である。そしてその内容はまったくと言っていいほど同じで、つまるところが、
「自分たちに味方してくれ」
ということであった。ただ二通の手紙には温度差がある。アポストル公の手紙からは必死さが窺えるのに対し、ラディアント公からの手紙は、敵対はしないで欲しいといった程度に抑えられていた。その温度差がそのまま二人の公爵の戦力差を表しているようで、ウォーゲンとしては苦笑するしかない。
「儂らが敵で侵略者であると、忘れておるのではないかな」
国家の末期症状を示す言葉として、こんなものがある。
「派閥抗争は癌のようである。彼らは外の敵よりも内の味方を憎む」
まさに今のアポストル公とラディアント公の状況に当てはまるだろう。カンタルク軍という外敵を抱えているこの状態だ。いくらカンタルク軍がブレントーダ砦から動かずいまだ領地に実質的な被害が出ていないとはいえ、そのような状況で内戦を戦うことを決意するなど、利害関係を超えた憎悪がなければ決断できるものではない。しかもその外敵と手を結ぼうとしているのだがから、もはや救いようがないと言っていい。
「さて、決戦(パーティー)の招待状をもらったのに出向かないのは無作法じゃろうな」
ウォーゲンはニヤリと壮絶な笑みを浮かべてそういった。それを側で聞いていた三人の副官は一様に緊張で体を硬くした。
「………出陣、なされるのですね?」
モイジュの口調は疑問ではなく確認だ。その言葉には隠しようのない熱がこもっている。彼もまた間違いなく戦士だ。
「ウィクリフ、ひよっこ共の様子はどうじゃ」
「十分実践に耐えうるかと。もちろん元々の精鋭の代わりにはなりませんが」
ウィクリフの言葉にウォーゲンは頷いた。彼自身、新兵五万の調練を何度か視察し、その動きがさま(・・)になってきていることを確認している。
「二日で準備を整えよ。それが済み次第、出陣する」
「二日、ですか………?準備は一日もあれば可能ですが………」
アズリアが怪訝そうにそう言った。もとより今は遠征中。兵士各員は大将軍の声がいつかかってもいいように常に準備をしている。余裕をもって見積もったとしても、準備に二日もかからない。
「主役は遅れて到着するものじゃ」
その言葉で副官三人はウォーゲンの真意に気づいた。どちらに味方するにせよ、彼は二人の公爵を争わせ戦力を消耗させるつもりなのだ。
「それで、どちらに味方なさるおつもりなのですか?」
ウィクリフが三人を代表する形で最大の懸案事項を尋ねた。
「そうじゃな、弱いほうに味方すれば大きな恩を売れるじゃろうが、強いほうに味方して確実に勝つというのも捨てがたい」
両方まとめて叩き潰すのもいいのぅ、まるでレストランでメニューを選ぶかのような気楽さで、ウォーゲンは答えた。
「………つまり、まだ決めておられないと?」
「ま、道すがらゆるりと考えるとするかのぅ」
悪戯めかしてウォーゲンはそういった。彼が本当にまだ決めていないのか、三人の副官は互いに目配せしつつ考えたが、老将の言葉や表情からその心中を察するには、彼らはまだまだケツが青い。