ポルトールの王都アムネスティアに程近い街道沿いの街パートーム。その街にある魔道具工房「ドワーフの穴倉」で、冬の間イストは魔道具製作に励んだ。
風の上を滑るようにして空を駆ける「風渡りの靴」。直径が五十センチほどの戦輪と、それを自在に操るための腕輪をセットにした「戦場を駆ける者(ワルキューレ)」。そして未だに名前が決まっていないあの魔剣。
イストは他にも様々な魔道具を作った。眼を見張るほど素晴らしいものからなぜ作ったのかよくわからないものまで、手当たりしだいに乱造したといっていい。
「よくそんなに次から次へと違う魔道具を考えられますね…………」
図らずもこの街で弟子にしたニーナ・ミザリが、感嘆とも呆れともとれない声音でそういった。
「旅の中で理論は完成させておいて、後は作るだけにしてあるからな。この街で頭に捻って理論仕上げたのはあの魔剣だけだし」
弟子になったとはいえ、ニーナは師匠であるイスト手ずから教えを受けているわけではなかった。弟子になったその日のうちに古代文字(エンシェントスペル)で書かれた古い三冊の本をわたされて、
「百回読み通せ」
といわれたのだ。百回というのはさすがに冗談だろうが、出鼻に本を読んで自習しろと言われ、さすがにニーナも落胆を隠せなかった。
「人から与えられただけの知識に何の価値がある?自分で頭ひねって血肉に染込ませろ」
イストの言葉は厳しい。それでも「解説ぐらいしてくれてもいいのに」と、ニーナが思ったのは当然のことだろう。
とはいえ、ニーナはすぐに解説が基本的に不要であることを知った。手渡された三冊の本は、魔道具製作の知識と技術について基礎の基礎から解説しており、さらに平易な言葉で書かれているので、かつてイストの部屋で睨めっこしていた資料などと比べればはるかに理解しやすい内容であった。
とはいえ書かれている内容の一から十まで、全て理解できているわけではもちろんない。解らない箇所は多々あり、そういったところはイストに聞いてみたのだが、
「とりあえず先に読み進んでみろ。自然と解るようになるから」
と言って彼は取り合ってくれなかった。これに関してはさすがにニーナも半信半疑であったが、二度三度と読み返してみると、本当に理解できるようになっていて驚いた。恐らくだが知識が増えるにしたがって、知識が互いに補完しあい理解が及ぶようになったのだろう。それでも解らないところは、さすがに解説してもらったが。
こうしてニーナはイストが「ドワーフの穴倉」を間借りしている期間、ひたすら渡された書物を読み漁り読みふけっていたわけだが、思えばこの間中弟子らしいことは何もしていなかった。例えばカイゼルとトレイズの師弟のように、世間一般的には弟子は師匠の作業を手伝ったり、様々な雑用を任されたりするものだが、イストはニーナにそういうことを一切言いつけなかった。
「あの………、何か手伝いましょうか………?」
そう遠慮がちに申し出たニーナを、イストは「馬鹿野郎!」と叱り飛ばした。
「弟子は師匠を踏み台にしてのし上ればいいんだよ!」
「師匠…………!」
「まあそう簡単に踏み台になってやる気はないけどな」
「師匠…………」
同じ台詞でもイントネーションが明らかに異なった、その理由は推して知るべし。とは言え、いろいろと残念な気分にさせられはしたが、イストは自分の言葉を決して曲げなかった。ニーナは彼の弟子であった間、「アレをやれ、コレをやれ」と頭ごなしに雑用を指示されることはついになかったのだから。
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アルジャークなどと比べるとポルトールの春は早い。三月の半ばに差し掛かる少し前、日が十分に長くなり気候が安定してきたのを見計らったイストは、ガノスとニーナにそろそろ旅立つことを告げた。ニーナがイストに師事して、彼らか魔道具製作のイロハを教わるためには、彼女もまた共に旅立たねばならない。一度旅立ってしまえば再びここに帰ってくるのは、さて何年後になるのか今は予想すらつかない。
「今ならまだ止められるぞ」
イストはそう言ったがニーナの心はもう決まっているし、ガノスもそれを受け入れている。とはいえ永遠ならざる別れを思い、気分が少なからず落ち込んでしまうのは仕方がないことであろう。
ちなみに、ガノスが製作していた魔道具はまだ完成していないが、すでにそのメドは立っている。これでひとまず工房「ドワーフの穴倉」は大丈夫だろう。
「必ず、立派な魔道具職人になって帰ってきます…………!」
固い決意を胸に、ニーナは故郷の街を旅立ったのである。
さて、旅立つにあたり問題が一つあった。それは国境を越えるための身分証である。これをもっていないと国境の関所を越えられない。もっともこの問題はすぐに解決した。イストがニーナに魔導士ギルドの準ライセンスを取得させたからだ。
準ライセンスとは正式なライセンスの一ランク下に位置づけられているもので、もともとは魔導士が弟子に持たせるものだ。これをもっていると身分証の代わりとなったり、魔道具が所持できたりするようになる。ただし、魔道具(特に武器)の所持に関しては正ライセンスを持っている者の監督が必要だが。
正ライセンスの取得はリリーゼの場合のように試験を受けなければならないが、準ライセンスにはそのような試験はない。申請用紙に必要事項を記入して提出すれば、その日のうちにライセンスカードを発行してもらえる。ちなみに発行手数料はイストが出した。
「出世払いの三倍返しな」
恐縮するニーナに、イストはそう気軽に告げた。それから彼女に一つ宿題を出す。
「仕事柄、ライセンスを持っていると便利なことが多いから、その内ちゃんと取るように」
「わたしに取れるでしょうか………?」
自慢できることではないが、ぜんぜん自信がない。
ニーナ・ミザリの戦闘能力は当然ながら皆無であし、また自分にそっち方面の才能があるとは到底思えない。そんな体たくらで正ライセンスなど取れるのだろうか。
「試験と言っても戦闘技術を見るものばかりじゃない。比較的簡単に取れる試験もあるから、今度教えてやるよ」
ちなみに試験の中身は様々にあれど、発行されるライセンスは全て同じである。要はどれだけ魔道具を扱えるかを見る試験なのだ。
イストが彼の最大の秘密、すなわち「アバサ・ロット」の二つ名をニーナに明かしたのは、旅立った日の夜のことであった。告げられた当初はさすがにニーナも半信半疑であったが、何もない空間に忽然と現れた石造りの扉と、その扉の先にあるアバサ・ロットの工房「狭間の庵」を見せられ、その非常識さに言葉を失った。
「な、何なんですか、コレは!?」
目ん玉が飛び出るとか顎が外れるとか、そういう表現をありったけ集めたようなニーナの反応に、イストは満足そうに意地悪な笑みを浮かべるのであった。
イストの個人工房である「狭間の庵」は、彼が常に肌身離さず付けている腕輪に固定された亜空間の中にある。この魔道具を作ったのは初代アバサ・ロットであるロロイヤ・ロットである。彼は空間拡張型や亜空間設置型の魔道具の製作に比類のない才能を示し、この分野に関していえば彼を越える才能は未だに現れていない。ロロイヤの遺した作品は多々あるが、その中でもこの「狭間の庵」は最高傑作であると、歴代のアバサ・ロットたちは意見を同じにしている。
工房は地上二階建ての地下一階付きで、一階は作業場、二階は資料室、地下一階は物置となっている。
まず一階の作業場に入ったニーナは、そこで再び目をひんむいて驚くこととなる。床面積は「ドワーフの穴倉」と同じくらいで、そこには魔道具製作に必要なあらゆる機器が備わっていた。これらの機器は歴代のアガサ・ロットたちが、
「あると便利だから」
という理由で次から次へと作っていったもので、その結果例えば鉄鉱石などの原料さえあれば、一から魔道具が作れるようになっている。金属の精錬・成型・鍛錬、あるいは宝石の研磨や革製品の加工に織物の機械まで、本当になんでもある。
世間一般から見れば明らかなオーバースペックで、「ドワーフの穴倉」という比較対象を見知っているニーナはその設備の異常な充実度を正しく理解できた。できてしまった。
「も、もう何でもアリですね………」
驚けばいいのか呆れればいいのか分からない。そんな様子でニーナは呟いた。明らかに異常な設備をたった一人の魔道具職人のために用意する。それがアバサ・ロットという伝説の魔道具職人の一面であるとことを、幸か不幸かニーナはこのときまだ理解していなかった。
「こっちだ」
イストはまずニーナを地下の物置に案内した。そこは物置と言う言葉から連想されるような散らかった場所ではなく、むしろ一見して整理されていることがわかった。結晶体などの細々とした素材はその種類ごとに棚に収められ、鉄や銅といったものも種類ごとに樽に入れて保管されていた。工具類もひと目で必要なものが見つかるようになっている。
またここには完成した魔道具も保管されていると言う。少し見ただけでも、それとわかる魔剣や魔槍、鎧などが置かれていた。
「なんていうか………、これだけでもう一財産ですよね………」
しかもその全てが、かのアバサ・ロットの作品なのだ。見る人が見れば卒倒してもおかしくない光景である。
「歴代のアバサ・ロットたちは自分の作品以外興味がないからな。しかも完成させてしまえば次の作品に興味は移る」
その結果、しかるべき使い手にめぐり合えなかった作品たちはここに積み上げられ、日の目を見ることなくホコリを被っていると言うわけである。時の権力者たちが強力な魔道具を血眼になって探しているその裏で、歴代のアバサ・ロットたちは魔道具を作りっぱなしにして物置に放置していたのだ。武力をもって覇道を志す者たちが知ったら、悲鳴を上げて喚くか、呪いの言葉を吐くか、目の色を変えて狂うか、いずれにしても正気ではいられないだろう。もっとも、後でこの感想を聞いたイストは、
「そんな器の小さい連中が覇道を遂げられるものか」
といって相手にしなかったが。
さらに聞くところによれば、空間拡張型の魔道具を利用して保管しているため、今目に見える範囲のものでさえほんの一部であると言う。もし全ての魔道具が世に出ていたら一体幾つの伝説を作り上げたのだろうと、ニーナは呆れた。呆れて、次の瞬間には背筋が寒くなった。
この時代、魔道具が伝説を作ると言うことは、大量の血が流れることと同義である。もしここに保管されている魔道具全てが世に出たら、一体どれだけの血を流し、どれほどの町や村を焼き払い、幾つの国を覆し、幾筋の涙を人に強要するのだろう。
世界のパワーバランスの一端が、実はこんなところにあったのかと、ニーナは呆れればいいのか怖がればいいのか判断に迷った。しかも歴代のアバサ・ロットたちがこれらの魔道具を表に出さなかったのは単に、「興味がなかったから」だ。そんなごくごく個人的な感情を理由に力の暴発が防がれていることに、ニーナはうすら寒いものを感じずにはいられなかった。
「おーい、こっちこっち」
世界を覆す力を保管している、現代のアバサ・ロットが手を振っている。その能天気な様子に、一抹の不安を感じずにはいられないニーナであった。
(大丈夫なのかな、この世界は…………?)
とはいえ今の彼女の身分は「魔道具職人見習い」あるいは「アバサ・ロットの弟子」であって、いうまでもなく世界をどうこうなどできる筈もない。せいぜい師匠たるイストの良識を願うばかりだ。
「今行きます」
小走りにイストのもとに駆け寄ると、彼はタンスから若葉色でフードつきのローブを取り出してニーナに渡した。色は少々くすんでしまっているが、十分に実用に耐えうるローブだ。羽織ってみるとサイズもちょうどいい。どうやらこのローブは女性用らしい。
「そっちを使うといいよ。オレのヤツはでかいだろうから」
旅立ちにあたり、ニーナはイストからモスグリーンの外套を借りている。が、如何せん大きすぎて何かと都合が悪かった。
「女性のアバサ・ロットが使っていた品らしい。オレが貸してたやつと同じで魔道具だから、役に立つぞ」
イストが使っている外套は「旅人の外套(エルロンマント)」という魔道具である。その能力は外套の内側の温度調節と防水、および風除けである。この外套を羽織っていれば季節が真夏であろうが真冬であろうが快適に過ごせるし、激しい雨に吹かれても体が濡れることはまずない。
「コレさえあれば雪原で野宿をすることになっても大丈夫!」
というのが謳い文句らしい。ただしイストからは、
「狼に喰われるから止めておけ」
と言われた。たしかに魔道具だけではどうしようもない限界というやつがある。ただ便利であることは間違いなく、なまじ服を何枚も用意するより「旅人の外套(エルロンマント)」を一枚持っていたほうがよほど役に立つと、歴代のアバサ・ロットたちも重宝したらしい。
ニーナは礼を言ってからその若葉色のローブを受け取り、借りていたモスグリーンの外套をイストに返した。
「それと、ホイ、これ」
次に手渡されたのは、イストが持っているのと同じ道具袋だった。魔道具「ロロイヤの道具袋」。空間拡張型の魔道具だ。確認してみたが中身は空っぽだった。
「オレが前に作ったヤツだ。必要になるから持っとけ」
師匠にこういわれては断るわけにもいかない。ニーナは素直に道具袋を受け取った。ただ、聞いたところによれば「ロロイヤの道具袋」の容量は、小さな部屋ほどもあるらしく、本当にそんなに必要なものがあるのか、少々懐疑的であったことは否めない。
「さて次だ」
次にイストが向かったのは二階の資料室だった。
「うわ…………」
その部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、ニーナは空気が変わったことに気づいた。部屋は古い紙のにおいで満ちていて図書館を連想させ、そのせいかひどく落ち着いた雰囲気が漂っている。
二階は本棚で埋め尽くされていた。人が両手を広げたくらいの幅の通路が、本棚の間を縫うようにしてあるほかは、一面すべて本棚であった。
以外なことに、製本された本は少ない。ここに保管されている資料のほとんどが紙の束をまとめただけのもので、糸で縫いとめてあればいい方だった。
「初代から数えておよそ千年。千年の間アバサ・ロットたちが蓄積してきた、知識と技術だ」
もしオレにこの頭と腕より重いものがあるとすれば間違いなくコレだ、と語るイストの口調からは間違いなく誇りが感じられた。
「師匠が作った魔道具の資料もここに保管してあるんですか?」
「ああ、こっちにある」
イストは本棚の二つを使って資料を保管していた。魔道具ごとにそれぞれの資料を紙袋に入れて戸棚に並べてある。ベージュ色の紙袋は二つの金具に紐を回して封をするタイプで、表には魔道具の名前が記されており、中に入っている資料がなんなのか一目でわかるようになっていた。天井にまで達する高さの本棚が既に一つは一杯になり、もう一つも半分以上紙袋で占領されており、イストのコレまでの遍歴を垣間見せている。
「すごい量ですね…………」
未だ作品数ゼロのニーナとしては、そういうしかない。同時に師匠に劣らぬ職人になろうと、決意を新たにもした。
「まあ、オレのはいいから。それよりお前さんに必要なのはコッチだ」
そういってイストはニーナに資料の束を渡した。
「それとコレとコレと、はいコレも」
「え?あ、ちょ、ちょっと………!」
またたく間にニーナの手には資料が積み上げられていった。当然その資料は古代文字(エンシェントスペル)で書かれている。積み上げられた厚さは三十センチ程度はあるだろうか。結構重い。
「…………全部読むんですか?コレ…………」
顔が引きつりそうになるのを堪えながら、ニーナはイストに聞いた。本を三冊渡されてひたすら読みまくっていた記憶は新しい。今度はこの資料を「百回読め」と言われるのだろうか。
「いや、必ずしも全部読む必要はない」
イストが言うところによれば、これらの資料は全てとある一つの魔道具の資料らしい。この魔道具は練習用に作るのにとてもよく、イストをはじめ多くのアバサ・ロットたちが弟子時代にこれを作ったという。
「じゃあコレは全部同じ魔道具の資料なんですか?」
何でこんなに大量にあるのか。
「一言でいえば“意地”だな」
「意地?」
つまりは「人と同じレポートを作りたくない」というアバサ・ロットたちの意地だ。その結果、一つの基本的な魔道具について多角的な解析と解説がなされ、さらに非常に多彩なアイディアや発想が生まれたのだと言う。
「とりあえずその資料読んで、自分なりにレポートにまとめろ。で、それができたら実際に作ってみる。できた作品がダメだったら作り直し。合格だったら次の課題だ」
この先、ニーナの修行は万事この調子であった。いきなり魔道具を作らせてもらえるとは思っていなかったニーナは目を輝かせる。
「分らないところがあったら、渡しといた本を見ろ。それでも分んなきゃ聞きに来い」
「はい。わかりました」
それと最後に、といってイストはニーナを見た。その目はいつになく真剣だ。
「『決して妥協するな』。これが唯一のルールだ」
忘れるなよ、とイストはいった。
こうしてニーナは魔道具職人として、また一歩前に進んだのであった。
**********
「どういうおつもりですか!?父上!」
ダンッ!と勢いよく執務机に両手を付き、身を乗り出すようにしてランスローは父であるコステア・フォン・アポストルに迫った。その声からは、怒りと焦りが感じられる。
「カンタルク軍の世迷言を真に受けて独自に交渉を行うなど………!父上はこの国を内戦で割るおつもりか!?」
事の始まりはカンタルク軍の通達だった。
「和平交渉の相手としてマルト王子を指名する」
この通達が来るより前に、ポルトールの宮中ではラザール王子を摂政とし、この事態の収束にあたるという対応が決定している。であるならばカンタルクとの和平交渉において顔役になるのは、当然ラザール王子であるべきである。いかにカンタルクがマルト王子を指名しようとも、それは突っぱねるべきなのだ。
なのに、アポストル公はこの申し出を受け入れてしまった。
「これはカンタルクと言う国家が、マルト王子を次期王位継承者として認めたと言うことだ!」
ウォーゲンが予想したようにアポストル公はそう主張し己の予測、いや願望を根拠に独自に交渉を開始した。当然、ラディアント公らには秘密裏に、である。
この対応は三つの意味で間違っていると、ランスローは考えている。
まず第一に相手国、ましてや敵国に要求されて交渉の顔役を変えていては、国家の体面を保てない。交渉役が決まっていない段階であるならばともかく、すでに決まっている交渉役を敵国にいわれて変えるなど、そんな馬鹿な話があるだろうか。それは自国が格下であると認めるようなものであり、将来に対して禍根を残すことになるだろう。
ラザール王子を交渉の顔役にというのが曲りなりも国家の決定である。にもかかわらず一部の貴族がその決定を無視し独自に交渉をまとめてしまえば、「国家の意思を貴族の意思が超越する」という悪しき前例を残すことになってしまう。そうなれば国の体制そのものが揺らいでしまう。これが第二の理由だ。
そして第三に、ランスローは現状これが最大の理由だと考えているが、事が露見するのは時間の問題であり、そうなれば間違いなく派閥抗争が激化する。アポストル公もラディアント公も決して引かないだろうから、行き着く先は内戦である。しかもすぐ横にはカンタルク軍という外敵まで抱えているのだ。もし内戦が起これば、将来に禍根や悪しき前例を残す前に、ポルトールと言う国そのものがなくなってしまう可能性が高い。
「どう考えても悪手です!それがお判りにならないのですか!?」
「これしかないのだ!!マルト王子を玉座に就けるには!!」
アポストル公は片手で頭を抱えている。その指の隙間から、睨むようにして彼は自分の三男を見た。その目に狂気が宿っていることはもはや疑いもない。
「それに、お前、ラディアント公がカンタルク軍に申し出た交渉の中身を知っているか?」
「いえ。使者を立てた、ということは聞きましたが。父上はご存知なのですか」
ラディアント公は交渉の内容をおおっぴらにはしていない。父はどうやってそれを知り得たのか。
「カンタルク軍のウォーゲン・グリフォード大将軍から使いが来た」
曰く「ラザール摂政はこのような条件を提示してきたが、これはマルト王子もご承知のことか」
向こうから交渉の相手役としてマルト王子を指名してきた以上、こうやって確認を取るのは当然にも思えたが、ランスローとしてはどうしても「余計なことをしてくれた」とおもってしまう。こんなことをすればアポストル公がますます調子に乗るのが目に見えているではないか。
「奴らはな、国境際の十州をカンタルク側に割譲するといったのだぞ!?」
妥当な線だとランスローは思った。ブレントーダ砦を落とされた以上、もしこれからカンタルク軍と事を構えるならば野戦が主となるだろう。カンタルク軍がまず手をつけるのは国の北部、つまり文官貴族の勢力圏で、彼らだけで敵軍に抗しきれるとは到底思えない。そうなれば十州以上を切り取られてしまうのは目に見えている。
ならば今のうちに先手を打っておこう、ということなのだろう。ラディアント公にしてみればライバル派閥の土地だし、もっと大盤振る舞いするかとも思ったがなかなかに良識的だ、とランスローは判断した。
「なにを馬鹿なことを言っている!?その中には我が公爵家の領地も一部含まれているのだぞ!?」
「父上………!!」
貴方はこの期に及んでまだそんなことを、という言葉をランスローは飲み込んだ。唐突に理解できてしまったからだ。父が狂っているその理由を。
(なんのことはない。もとから狂っていたのだ…………)
事態の進展にともない、狂い始めたのではない。隠していた狂気が、事態が悪化するに連れて表に出てきた。ただそれだけのことだった。
「………安心せよ、ランスロー」
幾分落ち着いた声で、アポストル公は話し始めた。ただその口調はランスローに話し掛けているというよりは、まるで自分に言い聞かせているようである。
「カンタルク軍が交渉の相手役に指名してきたのは我々だ。条件そのものもラディアント公よりもいい。交渉はすぐにまとまる」
「………提示した条件を、教えてもらえますか?」
嫌な予感がヒシヒシとする。
「国の南部から二十州を割譲する、と提示した。飛び地にはなるが、自前で塩を生産できるようになる。奴らにとってもいい話のはずだ」
半ば以上予想通りの答えに、ランスローは頭痛を感じ始めた。南部はラディアント公の派閥の領地。これでは子どもの仕返しと同じだ。
(ラディアント公が認めるわけがない………)
秘密裏に交渉をまとめるとこができても、ラディアント公がその結果を認めなければ、結局内戦が起こる。
――――内戦。
その未来はどうしようもなく避けがたいのではないかと、ランストーは思い始めた。
**********
「これはどういうことだ!コステア卿!」
ランスローがアポストル公と話をしてから数日後、王宮で緊急に催された会議の席でエンドレ・フォン・ラディアント公爵の怒号が響き渡った。彼は優れた騎士としても知られており、その怒号は聞いている人々の腹に響いた。
「ラザール王子を摂政とし事態の収束に当たると決めたはず!にもかかわらず独自の交渉を行うとは、一体どういう了見なのだ!」
糾弾されたアポストル公は苦虫を数十匹まとめて噛み潰したかのような顔をした。彼が秘密裏に進めていた交渉をなぜラディアント公が知りえたかと言えば、当のカンタルク軍がわざわざ使いを立ててきたからだ。
曰く「当方はマルト王子とこのような交渉を行っているが、ラザール摂政はご承知のことか」。
これを聞いたラディアント公は激怒した。剣を手に暴れまわったと言っていい。けが人が出なかったのは彼が意図的にそうした結果ではなく、周りの人々が「君子危うきに近寄らず」の精神を発揮したからだ。手を付けられず放置されたとも言うが。おかげで彼の屋敷は、局地的暴風にさらされた様相を呈している。
ウォーゲン・グリフォードがわざわざ使いを立てて交渉の進行状況を報告し、またその確認を求めてきたのは、一見して至極当然のことである。最終的に交渉結果を承認するのは摂政の地位にいるラザール王子のはずで、ならば彼に確認を取るのは当たり前のことである。しかしウォーゲン・グリフォードの取った行動に言いようのない悪意を感じているのは、ランスロー一人ではないはずだ。
「カンタルク側がマルト王子を指名してきたのだ!我々の行っている交渉こそが正当なものだ!」
秘密の交渉を暴露してくれたウォーゲンと、立ちはだかり邪魔ばかりしてくれるラディアント公に、苦々しい思いを抱きながらアポストル公はそう主張した。
「そのような申し出突っぱねるべきであろうが!」
言い訳がましいアポストル公の弁を、ラディアント公は一刀両断に断ち切った。
「いつからポルトールはカンタルクのいいなりに成り下がった!?」
ラディアント公の言葉はどこまでも正論で正しい。しかしその根底にあるモノは道徳や正義などではなく、権力への渇望であることをアポストル公は嗅ぎとっている。それゆえにその言葉がいかに正論であろうとも、そこに説得力を感じることはない。
アポストル公もラディアント公も、お互いここで勝った方が至高の権力を手にすると知っているため決して引かない。終止怒号と暴言をもって行われた会議は、結局平行線で終わった。
ラディアント公を先頭に肩を怒らせて会議室を出ていく軍閥貴族の面々を見て、事態が最悪の結末に至ったことをランスローは知った。回りを見渡せば、同じ結論に至ったのか、表情を硬くしている者たちがちらほらと見受けられる。
ただ彼らが心配しているのは、この国の行く末ではなく、自分たちの富と権力を守れるのか、ということだ。
(それが貴族の習性か…………)
同じ貴族として、またその筆頭を親に持つ身として、ランスローはわが身を自嘲するしかなかった。
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「もはや一戦避けることあたわず!!」
屋敷に集めた軍閥貴族の面々を前にしてラディアント公は声を張り上げた。使用人たちの必死の努力により局地的災害からの復興を超短期間で終え、なんとか派閥筆頭公爵邸の威厳を保ちえた屋敷には、いまピリピリと斬りつけるかのような戦場にも似た空気が漂っていた。
「これよりラザール王子をお連れして領地に下る。各々自分の領地で兵をまとめ、我が公爵家の旗の下に集え!」
王都アムネスティアに至る街道上でラディアント公爵家の旗を目印に集結しろ、という意味だ。指示が幾分抽象的に過ぎると思われるが、何も問題はない。これだけ申し伝えておけば後は各自が自分で考えて行動するだろう。それを確信できるほど、特に行軍に関して練度は高い。
「国事を私物化しようとするコステアを排除し、未曾有の危機よりこの国を救わん!」
ラディアント公の前に居並ぶ貴族の面々も「応!!」とおうじる。
「正義は我らにあり!!神々が正道をなされんことを!!」