「ザルゼス陛下が崩御された………?」
目の前が真っ暗になるのを、ランスローは自覚した。
**********
カルティエに見送られたランスローは、騎兵ばかり二千を率いてポルトトール王都アムネスティアへと駆け上った。王都に着いた彼はイエルガに軍を預けて郊外に残し、自身は数騎の護衛を引き連れてまずはティルニア伯爵邸を目指したのである。
そこで義父であるミクロージュと数ヶ月ぶりに再会したランスローは、挨拶もそこそこに今度は実の父であるアポストル公爵のもとへと向かったのであった。
五年ぶりに再会した父は、随分と老け込んでしまったように見えた。ランスローと同じ色の髪の毛は細くなり、しわの数が増えている。体から溢れる“覇気”は五年前と変わっていないが、老いのせいかどこか狂気じみたものを感じてしまう。
「連れてきたのは騎兵ばかりを二千騎か………」
自分の三男からあらかたの報告を受けたアポストル公は、不満そうな声を隠そうともせずにそう唸った。
「なるべく早くアムネスティアに来たほうが良いと思いまして。ただ準備はさせてありますので、呼び寄せることは可能ですが」
権力闘争に巻き込まれたくない、という極めて個人的な理由はおくびも出さず、ランスローは涼しい顔で答えた。それが聞こえているのかいないのか、アポストル公は眉間にしわを寄せ、難しい顔で考え込んでいる。
「………どうかされましたか?」
父であるアポストル公が“思慮を重ねている”様子はランスローとて何度も見ている。しかし今アポストル公は明らかに“悩んで”いる。父が悩む様子など見たことのなかったランスローは、その姿に不安を感じる。
(つまりそれほどまでに状況は切迫しているのか………?)
彼のその予感は最悪の形で的中することとなる。
「お前はまだ知らないようだから教えておいてやろう」
そういって視線を上げるアポストル公の眼には、やはり狂気が混じっている。そして彼はその重大な事実を告げたのだ。
「ザルゼス陛下が崩御された」
**********
「ザルゼス陛下が崩御された………?」
目の前が真っ暗になるのを、ランスローは自覚した。
「シミオン殿下の戦死を聞かれ、心が折れたのだろう。病状が悪化し、そのままお亡くなりになられた」
「まさか、そんな………」
無意識のうちにもれた自分の声でランスローは我に返った。あらゆる動揺と浮かんでは消える思考をひとまず全て自分の中に押し込め、最大の懸案事項を口にした。
「………それで………、王位継承について、何かご遺言は………?」
ほとんど祈るような気持ちでランスローは父であるアポストル公に問いかけた。ラザール王子にしろマルト王子にしろ、ザルゼス陛下が自分の後継者を指名していれば、国を二分する問題を未然に防ぐことができる。しかし彼の期待は裏切られた。
「なにも。遺書が開封されたが、シミオン殿下を喪主に、としか書かれていなかった」
家長の葬儀の際に喪主を務めるのは、その家を継ぎ家長となるものである。であるから、この場合「シミオンを喪主に」と言っているのは、「シミオンを次の王に」と言っているのと同義、ということになる。
しかし、すでにシミオンが戦死している以上、そんな遺言書には何の意味もない。
ランスローは愕然とする一方で、どこか納得するものを感じていた。それは父アポストル公から感じる狂気の、その理由だ。
(マルト王子を玉座に。それを諦められないということか…………)
我がことではないにせよ、自嘲に似た想いがこみ上げてくる。あるいは、それはこれから起こるであろう権力闘争に巻き込まれたくないと思いながらも、すでに諦めてしまっている自分に対するものなのかもしれなかった。
「それで、陛下の葬儀の日程は?」
「詳しくは決まっていない。シミオン王子のご遺体が戻られてから合同でおこなわれる」
略式だがな、とアポストル公は続けた。ブレントーダ砦をカンタルク軍に占拠された今の状況では、確かに大掛かりな式を催すことは困難だろう。事態を収束してから改めて正式な葬儀をおこなうのだろう。
「喪主はサントリア侯爵で、ということになっている」
それを聞いてランスローは頷いた。サントリア侯爵という人選はこの状況下では容易に想像できたし、また納得もできるものであった。
サントリア侯爵家は王家の外戚で、王家の外にあってその血筋を保全してきた。ただ政治的権力とは無縁で、代々ポルトール王国の歴史の編纂を家業としている。当然政治的には中立の立場で、それゆえに派閥抗争の調停役として声がかかることが度々あった。
「カンタルク軍への対応はいかがなさるおつもりですか」
ザルゼス国王の葬儀の話が日と段落すると、ランスローは急を要することに話を変えた。途端にアポストル公の表情が苦々しく歪む。その様子を見てランスローはだいたいの事情を察した。すなわちアポストル公の思い通りにはならなかったのだろう、と。
「ラザール殿下を摂政に据え、和平交渉を申し込むことが決まった」
妥当な決定であろう。アポストル公としてはマルト王子を交渉の矢面に立たせたかったはずだが、お飾りであることが明白である以上味方の士気にまで悪影響が及んでしまう。ラザール王子にしても、ラディアント公のお飾りであることに変わりはないのだが、少なくとも彼は成人男性であり体面を保つことはできるだろう。摂政にしたのは王位継承の問題を先延ばしにするためか。
さらに野戦を挑むのではなく和平交渉を申し込むというが、こちらも少し考えればすぐに納得できる。カンタルク軍はポルトールの北側から南下してくるのであり、国の北側に勢力を持っているのはアポストル公を中心とする文官貴族の勢力だ。当然戦は苦手で、仮にカンタルク軍と同数の兵を集めたとしても抗しきれるのか、はなはだ疑問である。であるならば早期に和平交渉をまとめ損害を最小限にしたい、というふうに思考が傾いたのだろう。
また南部に勢力を持つ軍閥貴族たちにしても、ライバルの土地を守るためにわざわざ兵を出し遠征するというのを嫌ったと考えられる。
「ふん!ラディアント公の考えることなど見え透いておるわ」
アポストル公は苦々しく鼻をならした。
ラディアント公の思惑としては、ラザール王子の名で早期に交渉をまとめ上げその功績をもって彼を至高の座つける、といったところだろう。
事態がこのまま進めば、アポストル公にそれを阻む術はない。シミオン王子の義理の兄として権力の座に最も近かったはずが、最後の最後で大逆転負け。狂いたくもなるというものだ。ラディアント公もこの事態に狂っているだろう。ただしそのベクトルの方向は真逆のはずだが。
「何か………、何か手はないものか………」
アポストル公が呻く。そんな父の様子をランスローは冷めた目で見ていた。彼としては今後の方針がきちんと決定し、派閥抗争に巻き込まれずに済みそうなのを歓迎する気持ちのほうが強い。
(どうかこのまま収束に向かって欲しい………)
しかしそんなランスローの願いは、またもや打ち砕かれることになる。
「父上!!」
そう叫んでアポストル公の執務室に飛び込んできたのは、アポストル公爵家の長男でランスローの兄でもある、ライシュ・フォン・アポストルであった。随分と急いで来たらしく肩で息をしているが、その表情からは明らかな喜色が窺える。
兄のその顔を見て嫌な予感にとらわれたのは、どうやらランスロー一人だけのようであった。
「どうした!?なにがあった!?」
アポストル公の声も、さきほどより幾分弾んでいる。
「先程、『共鳴の水鏡』でブレントーダ砦のカンタルク軍から通信が入りまして………」
ライシュは一旦そこで息を整えた。そしてウォーゲン・グリフォードが打ってきた「傾国の一手」を明かしたのだ。
「交渉の相手役としてマルト王子を指名する、と!」
************
「解せないという顔じゃな、アズリアよ」
からかうようなウォーゲンの声で、アズリアは我に返り顔を上げた。その視線の先には面白そうに微笑んでいるウォーゲンがいた。
「仕事も一段落着いた。なんぞ聞きたいことがあるなら言ってみるがよい」
ウォーゲンの声は穏やかだった。部下があれこれとでしゃばったり疑問をさしはさんだりすることを嫌う者もいるが、彼はそういうタイプの上官ではない。むしろ話せる範囲内のことは全て話し、部下たちに明確な目的意識を持たせるのがウォーゲン流だった。それはアズリアも良く知っている。
「ではお聞きしたいのですが………、マルト王子を交渉の相手役に指名することには、どんな意味があるのでしょうか?」
アズリアがそういうとウォーゲンは、ふむ、と呟いて顎の無精ひげを撫でた。
「まず、ポルトールという国の権力構図がどうなっているか、分るか?」
「たしか、貴族たちが二つの派閥に分かれてしのぎを削りあっているとか」
アポストル公を中心とする文官貴族の派閥と、ラディアント公を中心とする軍閥貴族の派閥が対立していることは他国の、しかも大して政治に興味のないアズリアでも知っている。それほどに有名な話だ。
「そうじゃ。そしてアポストル公はシミオン王子を、ラディアント公はラザール王子をそれぞれ担いでおる」
もっともシミオン王子は既に戦死しているので、アポストル公が今現在担ぎ上げているのは、シミオン王子の嫡子であるマルト王子だ。
「今回、摂政に就任し交渉を申し込んできたのはラザール王子じゃ。つまりラディアント公の派閥が現在優勢、ということじゃろう」
「そこまでは分ります。ですがそこでなぜ…………」
なぜ、マルト王子の名前が出てくるのか。
「ラザール王子の名前で交渉を申し込んできたからと言って、実際にかの人がその席に着くことはないじゃろう」
実際に交渉を取り仕切るのはラディアント公であるはずだ。つまりラザール王子の名前を使ったのは、王族という血筋を使って対外的な体面を保つためと、どちらの派閥に主導権があるのかをはっきりさせるためである。
「ラディアント公の思惑としては、交渉をまとめた功績を盾にラザール王子を王座に付ける、といったところじゃな」
「それでなおのことこちらからマルト王子を指名したとしても、相手にされないのではないのでしょうか?」
それに相手に言われて交渉役を変えていては国家の面子に関わるだろう。「ポルトールの交渉役はカンタルクが決めるのか」と、まともな政治感覚を持っているものならば必ず反対する。
「さよう。普通ならば突っぱねられる」
ウォーゲンもそれを認めた。
「ではなぜ………?」
困惑顔のアズリアを見てウォーゲンはニヤリと笑った。
「さて、ここで問題になるのはアポストル公じゃ」
これまでの派閥抗争で優位に立っていたのは、シミオン王子の義理の兄であるアポストル公だ。それが、シミオン王子が戦死したことで事態が急転する。あれよあれよ言う間にラザール王子が交渉の顔役になり、事態の主導権をラディアント公の派閥に持っていかれてしまった。
国王の義理の兄として絶大な権力を手にするまで後一歩というところだったのに、最後の最後で大逆転負け。面白いはずがない。
「そんなときにマルト王子を交渉役に指名されたら、アポストル公はどう思うかのう?」
「どうって………、分りません」
「『カンタルクがマルト王子を次期国王として認めた』。そう主張することができると、こう考えるのではないかな」
「あ…………!」
実際にカンタルクが国家としてマルト王子を次期国王として認めているのか、それ自体は実はどうでもいい。アポストル公にとって重要なのはそう解釈できる、ということなのだ。そうすればマルト王子を担ぐ派閥として、事態に関与する余地ができる。
その先の思惑は、固有名詞を入れ替えればラディアント公とほぼ同じであろう。すなわち、
「交渉をまとめた功績を盾にマルト王子を王座に付ける」
ということだ。
「ですが、それをラディアント公が認めるでしょうか………?」
「認めるわけがないじゃろうな」
さも当然、といったふうにウォーゲンは答えた。こちらを試すような、それでいてからかうかのような彼の声音に、アズリアは困惑を深める。
「結局のところ、なにが目的なのですか?」
「結局のところ、内戦を起こさせるのが目的じゃ」
ウォーゲンは悪戯を成功させたような、そんな楽しげな調子でそう言った。だが言われた内容は衝撃的だった。ウォーゲンは続ける。
「交渉をまとめた派閥、そこが次の王を決める。それを分っておるから、双方とも決して引くまい」
そうなれば自然と対立は深刻化し激化していく。カンタルク軍の側からそれを煽ってやれればさらに良い。その果てにあるのは武力衝突、すなわち内戦だ。
「内戦が起これば、後はこちらのものじゃ」
互いに潰しあうのを傍観し、残ったほうを叩いて漁夫の利を得るもよし。どちらか一方に肩入れして、新政権に対して影響力を持てるようにしてもよし。内戦を戦っている隙に国境際の土地を切り取ってもよし。無数の選択肢があると言えるだろう。
「ですが、そう思惑通りにいくでしょうか?」
こちらの思惑通りにポルトールが踊ってくれる保障などどこにもない。アポストル公にしろラディアント公にしろ、政に関わっている以上この状況下で内戦を起こすことがどれだけ愚かしいことか、重々承知しているはずだ。
「さそいに乗ってこないならばそれでもよい」
こちらは一言伝えただけで、失うものなど何もない。突っぱねられても普通の交渉を行うだけだ。
「ブレントーダ砦を落とした以上、国境際の五~十州を割譲させるのはそれほど難しくあるまい」
もともとゲゼル・シャフト・カンタルクの虚栄心から始まった遠征だ。勝ったという体裁さえ整えば陛下も満足するだろう、とウォーゲンは考えていた。
さらに言えば交渉自体は決裂してもいい。そうなれば改めて軍を進め、自らの手で土地を切り取ればよいのだから。
「深いお考えあってのことだったのですね………!」
アズリアに尊敬の眼差しで見られ、ウォーゲンは年甲斐もなく恥ずかしそうにするのであった。
**********
「ふむ………」
ポルトールへの遠征に向かっているウォーゲン・グリフォード大将軍から届いた、途中経過の報告書を読んだゲゼル・シャフト・カンタルクは不満そうな声を漏らした。
「大将軍はどういうつもりなのだ?」
報告書には、ブレントーダ砦を落としシミオン王子を討ち取ったこと、その遺体は既に砦の明け渡しを条件に返還したこと、さらにポルトールとの和平交渉に入るつもりだ、ということが書かれていた。
シミオン王子の遺体の返還など、どうでもよい。遺体や首をさらして敵の戦意を挫くという手もあったが、ゲゼル・シャフトは死体には興味がない。だが和平交渉は別だ。砦を落としたということは、今カンタルク軍の目の前に広がっているのは、阻むもののないポルトールの土地だ。なぜ切り取ろうとしないのか。
「こうも早期に交渉を始めるなど、ウォーゲンはなにを考えている?」
ゲゼル・シャフトの視線が報告を持ってきたウォーゲンの副官である、モイジュ・フォン・ハルゲンドに止まった。そのミドルネームが示すとおり貴族の家柄で、そのせいかウォーゲンなどからは「硬い思考をする」と言われている。ただ一般的な話をすれば、彼の物の考え方は貴族としてはごくごく普通だし、まともであるとも言える。ウォーゲンの影響を受けているウィクリフなどのほうが、貴族の中にあっては異端的であると言えるだろう。
モイジュは、「アポストル公とラディアント公の派閥対立を煽り、激化かつ深刻化させることで内乱を誘発する」というウォーゲンの策略を手短に説明した。
「わざわざラザール王子に摂政という肩書きを与えたことを考えますと、ポルトールの次期王位継承者は未だ正式には決まっていないものと思われます」
モイジュの説明を聞いても、ゲゼル・シャフトは不満そうだった。
「大将軍も迂遠なことをする。もっと直接的に侵攻を図ればよいものを」
「この交渉において、カンタルクが損をすることはありえません。陛下が望まれるだけの成果が得られなければ、大将軍はすぐにでも兵を動かされるでしょう」
ゲゼル・シャフトはまだ不満そうである。そこでモイジュはこの策略におけるウォーゲンの最大の狙いについて語った。
「大将軍がおっしゃるところによると『うまくいけばポルトールを属国化することができる』と………」
「なに?ポルトールを属国にとな」
「はっ」
ゲゼル・シャフトの声の調子が変わった。
仮にポルトールを完全に併合してしまえば、その国土や臣民について最終的に責任を被るのは国王たるゲゼル・シャフト・カンタルクである。
しかし併合せずに属国としてしまえばどうか。その国土や臣民について責任を持つべきはポルトールの王であり、カンタルクの国王であるゲゼル・シャフトは完全に無責任でいられる。
つまり責任を取ることなく、ポルトールからその富を存分に搾り取ることができるのだ。考えようによっては完全に併合してしまうよりも征服者側にとって都合がよく、また悪質であるとさえ言えるだろう。
「そうできれば確かに最上の結果よな」
ゲゼル・シャフトの声が弾みだした。
因縁の敵国を併合するのではなく属国とする。ポルトールの民は我が奴隷となり、ポルトールの王がこの自分の前に膝をつくのだ。そうなればどちらの国が格上であるか、一目瞭然ではないか。そしてこのゲゼル・シャフト・カンタルクは、国史上初めてポルトールという国を完全に屈服させるのだ。彼らには誇りある滅びすら与えない。
(言わなければ良かったか………?)
ゲゼル・シャフトが己の虚栄心を際限なく肥大化させていく様子を見ながら、モイジュは己の判断の正否を決めかねていた。
ゲゼル・シャフトの様子を見る限りウォーゲンの方針に許可が下りるのはまず間違いない。そういう意味では彼の判断は正しかったといえる。しかし「属国化うんぬん」は最大限うまくいった場合であって、そうならない可能性も十分にある。そうなった場合、ゲゼル・シャフトの期待に沿えなかった仕官や兵士たちが、断罪されるようなことにはなるまいか。そうなってしまえば彼の判断は間違っていたことになる。
「大将軍には、このままやるように伝えよ」
興奮が窺える声で、ゲゼル・シャフトはそう勅命を下した。モイジュは短く返答すると、深く頭をたれた。
(こうなってしまっては、もはや私の手には負えぬ………)
無責任かもしれないが、後はウォーゲン・グリフォード大将軍の手腕に期待するだけだ。
「ああ、それと………」
苦い思考にはまりかけていたモイジュを、ゲゼル・シャフトの声が現実に引き戻した。その声は先程よりも幾分冷静になっている。
「大将軍の隷下にある軍のうち、歩兵五万を新兵と入れ替える」
「それは…………!!」
言われた内容にモイジュは呆然とした。今回ウォーゲンが率いているのはカンタルク軍の中でも精鋭と呼ばれる兵士ばかりだ。それを新兵と入れ替えるという。訓練を始めて間もない新兵が、精鋭と同じ働きができるわけもないから、兵の数は同じでも実質的には戦力ダウンである。最前線の戦力を増やすどころか減らすとは、一体ゲゼル・シャフトはなにを考えているのか。
「交渉ごとがメインであれば、大将軍も暇であろう。新兵の鍛錬などして時間を潰すがよかろう」
「………承りました。そのようにお伝えいたします」
まさか一副官の身分で国王に意見するわけにもいかない。モイジュは静かに頭をたれた。しかし彼の胸のうちには微かな安心が芽生えていた。
派遣した軍が独立し牙を向くという事態は、為政者にとっては常に想定すべき悪夢である。ウォーゲンの当面の活動は交渉ごとであり、軍を直接動かすことは少ない。であるならば万が一ということも、とゲゼル・シャフトは考えたのだろう。大将軍に限ってそのようなことはありえないとカンタルクの軍人ならば誰もが知っているが、あえてやって見せることで将来同じような事態が起きたときに、前例をもってけん制することも思惑のうちなのだろう。このような判断ができる辺り、ただ虚栄心が強いだけの愚王ではない。
(思ったよりも冷静でおられるようだ………)
このような冷静な判断が下せるということは、仮にポルトールを属国化できなかったとしても、そのことが理由で断罪を受けることはないだろう。モイジュはそう考えるのであった。