吹雪、とはよく言ったもので強い風に吹かれた雪は、下に落ちるのではなくほとんど水平に飛んでいく。地吹雪が雪原に風の模様を描くロム・バオアの大地に、移動式のテントが幾つか立っている。ゼゼトの民が使用する「パオ」と呼ばれるもので、気密性に優れており中は驚くほど温かく、骨組みがしっかりしているおかげで強風下でも壊れることはほとんどない。
それらのバオの中の一つに、ある男が胡坐をかいて座っている。長身痩躯で、歳の頃は三十と少しといったところか。黒い髪を無造作に伸ばしている。彼のすぐ脇には一本の大剣が鞘に収められて置かれていた。魔剣「災いの一枝(レヴァンテイン)」。パルスブルグ要塞司令官及び要塞常備軍司令官シーヴァ・オズワルドの愛剣である。
シーヴァは背筋を伸ばしてすわり腕を組み、目をつぶって瞑想している。後ろに控えている女性仕官もまた声を発しない。
「司令、客人がお見えになりました」
声はパオの外から聞こえてきた。扉が開き兵士に案内されて、三人のゼゼトの民が中に入ってくる。その姿を確認し、シーヴァと女性仕官は立ち上がった。
「招きに応じていただけたことを感謝する。私がシーヴァ・オズワルドだ。それとこちらが私の副将を勤めている………」
「ヴェート・エフニートです」
自己紹介を済ませると彼女はそれ以上なにも言わず、またすぐにシーヴァの後ろに控えたたずんだ。
「ワシはエムゾー族族長ウルリックという」
ゼゼトの民は、エムゾー族、ベレグサ族、トルドナ族、シジュナ族、クセノニア族の五つの氏族に分かれている。姓名は基本的にはなく、無理に名乗るのであればそれぞれの氏族の名を名乗ることになる。例えばウルリック・エムゾーといったふうだ。
ウルリックと名乗った男は、ゼゼトの民としては小柄なほうだった。とはいえ服の上からでも分るそのがっしりとした体つきは、彼がまぎれもなくゼゼトの男であることを証明している。
「五人の族長で話し合った結果、ワシが代表になった」
ひとまずお手柔らかに頼む、とウルリックはシーヴァに手を差し出した。シーヴァはその手を握り、内心でひとまず胸をなでおろした。
(冷静な話し合いには応じてもらえるようだ)
とはいえ油断や侮りはない。たとえ相手が蛮族であっても、そういった先入観をもって臨めば思わず足をすくわれるだろう。実際ウルリックの言葉は明瞭だし、その目は油断がならない。
「それとこっちの男はガビアル。トルドナ族族長の息子じゃ」
紹介された男は典型的なゼゼトの民であるように思われた。背が高くて肩幅が広く、胸板が厚い。まさしく巨躯である。そしてその巨躯にふさわしい大剣を持っていた。シーヴァも長身だが彼よりも背が高く、肩幅にいたっては二倍近くあるかもしれない。
カビアルは軽く頭を下げたが、なにも言わなかった。その目には友好的とは言いがたい光が宿っている。
「それとこの娘はメーヴェ。恥ずかしながら我が娘じゃ」
どうしても付いて行くといって聞かんでな、とウルリックは頭を掻いた。
ゼゼトの民で規格外なのはどうやら男だけらしい。メーヴェと呼ばれた娘は少なくとも表面上は普通の女性に見えた。目鼻立ちは整っている。可愛いというよりは鋭利とでも言うべき顔立ちをしており、その鋭い視線も重なり氷や刃を連想させた。こちらは弓と矢の詰まった矢筒を携えている。
一通りの紹介が終わると、シーヴァは腰を下ろすように勧めた。三人と二人はパオの真ん中に置かれた暖炉をはさんで向かい合うようにして座った。
「すでに承知していると思うが改めてお願いしたい。手を貸してほしい」
アルテンシア半島を切り崩す為に、とはシーヴァは言わなかった。この場にいる人々にとっては既にそのことを知っているからだ。この会談の前にシーヴァは一度ゼゼトの民に話を通してある。
「受けるにしても断るにしても、一度あって話をさせてほしい」
そういうわけで、この度の席が設けられたのだ。ゼゼトの民のほうでも、ある程度は話し合いが成されてきたはずだ。
「ふざけるなよ………!」
代表であるはずのウルリックは黙してなにも語らない。代わりにほとんど唸るようにして声を上げたのはガビアルであった。
「ロム・バオアの大地に上がりこみ我々を北に押し込めたのは貴様らだろうが!それをこの期に及んで手を貸せとは虫が良すぎる!」
納まりが付かないのか、ガビアルは積年の恨みを吼えるようにしてまくし立てた。それに同調するようにウルリックの娘であるメーヴェも声をあげる。
「十分な食料を得られないせいで、冬を越せない子どもたちが何人いたと思う!?同胞がなめてきた辛酸をわかっているのか!?」
「なにを勝手な・・・・・!」
たまりかねたのか、ヴェートが身を乗り出してくる。シーヴァはそれを、片手を上げて制した。
彼女が言いたいことはわかる。もともと先に略奪を行い始めたのはゼゼトの民が先である。ロム・バオアにパルスブルグ要塞を建造してゼゼトの民を北に追いやりその活動範囲を制限したのも、制海権を確保しゼゼトの民が半島に来られないようにしたのも、穀物を渡さず食糧事情を圧迫したのも、全てはアルテンシア半島の民を守るためであった。
しかし、シーヴァはそれらの事情をこの場で言うつもりはない。言ってしまえばそれこそ双方納まりが付かなくなる。それではこの席を設けた意味がなくなってしまう。
「力を貸していただければ、要塞を除いて我々はロム・バオアから撤退する。後は自由にされるがよかろう。交易で半島に渡ってこられる分には、これを妨げるつもりはない」
略奪をするようであれば相応の覚悟をしていただくが、とシーヴァは付け加えた。ガビアルがまたなにか吼えるが、それを無視して彼は続ける。
「無論、協力していただいた礼は存分にさせていただくつもりだ。好きなものを望まれるがよかろう」
如何か、とシーヴァはウルリックに返答を促した。
「………確かにお前さんが砦の長になってから、ワシらは随分と楽になった」
「親父殿!?」
メーヴェが驚いたように父親の顔をのぞきこんだ。そんな娘を嗜めるようにウルリックは言葉を続ける。
「本当のことじゃろ。豊かになったとは言いがたいが、この男が穀物を融通してくれるようになってからは、餓えて死んだものはほとんどいない」
シーヴァは要塞司令になると、それまで制限されていたゼゼトの民との交易を大幅に緩和した。もちろん彼らが海を越えて半島へ渡っていくのを許可したわけではないが、それでも要塞近くでの取引を認めたことにより、ゼゼトの民は主に獣の肉や毛皮と交換することで、小麦をはじめとする穀物を手に入れられるようになったのだ。ちなみにこのパオも、穀物と交換したものだった。シーヴァの側からすれば、半島から肉類を持ってくるよりもゼゼトの民から仕入れたほうが安上がりである、という理由もあった。
「だが同胞たちの恨みは!」
「それは双方同じこと。それにこのままではどうにもならんと思ったからこそワシらはこの場に来たのじゃ」
先の見えておらんガキはだまっておれ、とウルリックは睨むようにして叫ぶ娘を黙らせた。彼の気迫に押されてガビアルも言葉を詰まらせる。若者二人を黙らせてから、エムゾー族の族長はシーヴァに向かい合った。
「シーヴァよ、お主が言ったことすべてを守ってくれるならば、我々としても力を貸すのはやぶさかではない。それが族長たちで話し合った結果じゃ」
ウルリックの後ろに控えていたメーヴェとガビアルが驚いたように顔を上げる。どうやら彼らもこの話は知らなかったようだ。
「それはありがたい。無論約は守るが、さてどうすればそれを信じていただけるのか」
大陸に住む人々の常識からすれば、このような場合は約束の内容を書面にしたため、そこに双方が署名をする、というのが一般的だ。
「お主たちの紙切れになんぞ用はない。そんなものがあろうがなかろうが、守るものは守るし、破るものは破る」
その言葉を聞いてヴェートが唸った。国同士の条約が破られただのそんな事例は歴史書を紐解けばいくらでも見つかる。それを知っているだけにウルリックの言葉を否定することが出来ないのだろう。
ようはシーヴァ・オズワルドという人間が信頼できるかどうかだ、とエムゾー族の族長は視線を鋭くして言った。
「ふむ。信頼を得るために私になにをしろと?」
そう言うと、ウルリックは悪戯を思いついたように笑った。
「そうじゃの、ここにいるガビアルと仕合ってもらおうかのう」
そのとっぴな提案に、シーヴァも思わず笑いが漏れる。
「勝てばよいのかな」
そういうことにしておくか、と嘯くウルリックにシーヴァは了承を伝えた。
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さすがにパオの中で立ち会うわけにもいかず、シーヴァたちは外に出た。
「本当に仕合をなさるおつもりですか」
ヴェートが心配そうに近づいてくる。アルテンシア半島の人間にとって、ゼゼトの民への恐怖や不信感はそう簡単に拭えるものではないのだろう。
(それは向こうも同じだろうが)
シーヴァは横目に少し離れたところにいる三人のゼゼトの民を見た。まさしく先ほどウルリックが言ったとおり、双方同じこと、だ。
「仕合にかこつけて閣下を殺害するつもりでは………」
それはシーヴァも考えている。だが、彼のうちにはウルリックに対する奇妙な信頼感が既に芽生え始めていた。この男ならそのようなことはするまい、ということではない。彼ならば命を狙うにしても堂々とやるであろうということだ。
「ウルリックが立ち合いの中で何を見たいのかは分らん。が、やれという以上やるしかあるまい」
胸のうちのその“信頼”をシーヴァはヴェートには言わなかった。確証があるわけではないし、こういうものは自分が確信していればよい。
「ですが………」
未だに心配そうな副将の肩に、シーヴァは手を置いた。
「ヴェートよ。そなたの上官はこのようなところで死ぬ男か?」
なんら理論的な説得ではなかったが、彼女を安心させるにはそれで十分であった。
「いえ。閣下はこのようなところで倒れるお方ではありません」
シーヴァとヴェートが話しているのを横目に、メーヴェは父親に詰め寄っていた。
「親父殿!これはどういうことだ!?あたしたちはなにも聞いていないぞ!」
怒髪天を突く(風に髪があおられているのでそうみえる)勢いで彼女はウルリックに詰問する。
「言っとらんのだから知らなくて当然じゃ」
ウルリックは飄々と娘を受け流した。そのまま突然立ち会えと言われたガビアルに視線を移す。
「エムゾーの族長殿…………」
彼の様子には少しばかりの戸惑いが見られる。ただし戦うことに関してではない。ゼゼトの民で、しかも戦士である以上そこに戸惑うとこなどありえない。ガビアルはただ自分にどんな役回りが求められているのか、図りかねているのだ。
「ガビアル………」
ゼゼトの民の中でも屈指の戦士の名を呼び、横目でシーヴァを窺う。
「殺してええぞ」
それを聞き、メーヴェは目を見開いた。そしてガビアルは壮絶な笑みを浮かべるのであった。
雪原でシーヴァとガビアルはそれぞれ剣を手にして向かい合った。シーヴァが手にしているのは愛剣たる魔剣「災いの一枝(レヴァンテイン)」だ。漆黒の大剣で、片刃の刃には黄金に輝く古代文字(エンシェントスペル)が印字されている。
「天より高き極光の」
この場に古代文字(エンシェントスペル)が読める者がいれば、印字された文字をこのように読んだであろう。
一方ガビアルの剣も、片刃の大剣であった。いや鉈を大剣のサイズまで大きくしたもの、といったほうが正しいかもしれない。刃は分厚く、切っ先は垂直になっている。
「最初に言っておくが、俺は全力でやる。そのつもりでいろ」
ガビアルが不敵な笑みを浮かべながら、シーヴァにそう宣告する。それを見てシーヴァはガビアルが自分を殺すつもりでいることを察した。とはいえそのことに危機感は感じない。ヴェートがそうであったように、シーヴァ自身も己の力と力量を信じている。
何も言わずシーヴァは「災いの一枝(レヴァンテイン)」を構えた。ガビアルもそれに倣う。
睨みあいは数瞬。
先に動いたのはガビアルだった。雄たけびを上げながらシーヴァに迫り、分厚い大剣を振りかぶり真正面から振り下ろす。切り裂くためというよりは押しつぶすためのその一撃を「災いの一枝(レヴァンテイン)」で受けとめた瞬間、シーヴァは凄まじい圧力を全身に感じた。彼は柔らかく膝を使いその圧力を上手く逃がしながら、ガビアルの一撃を捌く。
上からの力と下からの力が拮抗する。ギチギチと刃がこすれる音が雪原に響く。
この拮抗に先に焦れてきたのはガビアルのほうであった。自慢の怪力で押し切れないことに苛立っているのか、顔がゆがんでいく。一方シーヴァはどこまでも無表情で、そのくせ眼だけはどこまでも鋭い。それがさらにガビアルを苛立たせる。
ガビアルの集中が、一瞬途切れる。その瞬間、シーヴァは膨大な魔力を愛剣に喰わせ、その威を解き放った。
「黒き風よ……!」
黒い魔力の奔流が「災いの一枝(レヴァンテイン)」から放たれる。解き放たれた黒き風はその威を十分に発揮し、ガビアルの巨体を五、六メートル向こうに吹き飛ばした。
「これでよいのかな?」
シーヴァはウルリックに問いかける。ウルリックはなにも言わない。代わりに吼えるようにして声を上げたのはガビアルであった。
「ふざけるな!!」
全身に雪をつけながら、巨躯の戦士は吼える。その眼は怒りで血走っている。
「そんな卑怯な勝ち方、俺は認めぬぞ!」
「卑怯?」
面白がるようにシーヴァは笑った。彼が何をさして“卑怯”と叫んでいるのか、彼は当然承知していたがあえて問いかける。
「なにが卑怯なのだ?」
「その剣だ!」
雪を振り払いながらゼゼトの青年が立ち上がる。自分はその魔剣に負けたのであってお前に負けたわけではない。その魔剣が強いのであってお前が強いのではない。そんなことをガビアルは叫んだ。
「ふむ。ではこの『災いの一枝(レヴァンテイン)』、お前が使ってみるか?」
そういってシーヴァは「災いの一枝(レヴァンテイン)」を彼の方に放った。その行動に三人のゼゼトの民は一様に驚いたが、最も驚いたのはガビアルだろう。自分の前に突き刺さった漆黒の魔剣を恐る恐る引き抜いた。
「・・・・・いい、のか?」
彼の声には先ほどまでの勢いがない。明らかに戸惑っていた。シーヴァは、かまわん、と言って、自身はヴェートから剣を借りた。こちらは魔剣ではなくただの剣だ。
剣を構えるシーヴァを見て、ガビアルはひとまず考えることを止めた。シーヴァがなぜこの魔剣を自分に使わせるのか、その腹のうちは分らない。
(だが殺してしまえば同じだ………)
そのための最高の道具は、今ガビアルの手の内にある。その魔道具「災いの一枝(レヴァンテイン)」に彼が魔力を込めたその瞬間……。
「!?」
突然視界が回った。貧血を起こしたかのように四肢に力が入らず、ガビアルは思わず膝をついた。
(終わったな………)
膝をついて青い顔をしているガビアルをみて、ヴェートはそう断じた。シーヴァのあの魔剣「災いの一枝(レヴァンテイン)」は確かに強力な魔道具である。だがその力を発動するには膨大な魔力を喰わせる必要があるのだ。しかも一度魔力を込めると、あとは半強制的に魔力を吸い上げるという厄介な性質(ともすれば致命的な欠点)を持っている。そのため魔力量の少ないものや、量はあっても訓練を受けていないものが使おうとすると、全身の魔力を根こそぎ喰い尽くされ今のガビアルと同じ状態、いやともすれば死に至る危険さえある。あの魔剣「災いの一枝(レヴァンテイン)」を自在に操れる人間を、ヴェートは自身の上官以外知らない。
冷や汗を流して荒く息をして動けないでいるガビアルに、シーヴァは剣を持ったまま近づいていく。
「お前は先ほどこう言ったな」
自分はその魔剣に負けたのであってお前に負けたわけではない。その魔剣が強いのであってお前が強いのではない、と。
「ではその魔剣すら使えないでいるお前は何だ?」
シーヴァの言葉に嘲笑が混じる。それを聞いたガビアルは血走った眼を彼に向けた。死よりも嘲笑と侮辱を、彼の誇りは許さない。
歯を食いしばり、立ち上がる。漆黒の大剣を両手で構え、そしてガビアルは吼えた。
「オ、オオ、オオオオオオオオオ!!」
ありったけの魔力をガビアルは「災いの一枝(レヴァンテイン)」に喰わせた。彼の魔力を喰い尽くし魔剣はその威をシーヴァに向かって発動する。放たれた黒き風はしかしまともに狙いをつけられてはおらず、そのほとんどはただ雪原をえぐり雪を巻き上げるだけで、シーヴァには届かなかった。
舞い上がった雪が風に吹かれてどこかへ行き、シーヴァの姿が現れる。
「見事」
短くゼゼトの青年を賞賛する彼の頬には、赤い線が一筋走っている。発動させることさえ難しい「災いの一枝(レヴァンテイン)」を使ってガビアルが放った黒き風は、確かにシーヴァに届いたのだ。
だがそれをガビアルが見ることはなかった。ありったけの魔力を「災いの一枝(レヴァンテイン)」に喰わせた彼は、力尽きて今は雪原に倒れてしまっていた。死んだわけではない。気絶しているだけだ。
「さて、ウルリック殿。こういう結果になったが?」
立っているシーヴァと、倒れてしまい少しも動かないガビアル。勝敗は明らかだった。それを見てエムゾー族の族長は満足そうに頷いた。
「シーヴァ・オズワルドよ、そなたを信用にたる誇り高き戦士と認めよう」