イストが「ドワーフの穴倉」で間借りするようになってから、およそ一週間が過ぎた。この間、イストは魔法陣の理論構成に精を出していた。工房の二階に設けられた彼の部屋には、資料が散乱し足の踏み場もない状況になっている。(寝るときに蹴落としているのか、ベッドの上はきれいだった)
「ど、どこからこの資料、取り出したんですか!?」
驚愕するニーナにイストは「玩具の本棚《ミニチュア・ブック・シェルフ》」という魔道具を見せた。この魔道具、見た目は本当に玩具の本棚なのだが、魔力を込めると本物サイズの本棚になる。ここに資料を収めてもう一度魔力を込めると、資料ごと玩具サイズに戻る。確かにこの魔道具があれば大量の資料を持ち運ぶことができるだろう。
二階で魔法陣の術式を構成し、下におりてきてそれを試し(さすがに狭いところではやりたくないらしい)、その結果を記録しまた二階に戻って術式の構成を考える。ちなみにイストは魔法陣を試すとき、「光彩の杖」を使って魔法陣を描いているのだが、これにはニーナだけでなくガノスも驚いていた。ただイストに言わせれば、
「紙や地べたに描くよりもよっぽど効率的」
なのだという。たしかに「光彩の杖」を使えば術式の書き換えも容易で、効率的といえるだろう。ただし「光彩の杖」の扱いに熟練していれば、だが。
とはいえニーナはちょっぴり不満である。イストが現在取り組んでいる魔法陣はどれも高度に難解なものばかりで、いくら古代文字(エンシェントスペル)が読めるとはいっても、その内容を理解することなどできはしない。部屋に散乱している資料を読んでもみたのだが、さっぱり理解できなかった。魔道具職人としての知識なり技術なりを、この一冬の間にイストから盗もうと画策している彼女としてはなんとももどかしい。
「まったく新しい魔道具を一から作ろうとしたら、魔道具職人の仕事の半分は術式構成だ。技術職っていうよりは、どっちかって言うと理論屋だな」
あるときイストは彼の部屋で資料とにらめっこしていたニーナにそういった。だとすれば彼女にとって由々しき事態である。これらの資料を理解できない彼女は、魔道具職人にはなれないことになってしまう。
なんとか知識を得たいとは思う。しかし忙しくしているイストに、弟子でもない自分が教えを請うのは躊躇われた。悶々とした思いを抱えながら、ニーナはここ数日を過ごしていた。
ニーナがイストから街の案内をすることになったのは、一晩中降り続いた雨が上がり随分と寒くなった朝のことであった。
「合成結晶体を見に行きたいんだが、店を教えてくれないか」
合成結晶体とは魔道具の素材の一つで、主に核として用いられることが多い。本来は自然界に存在する結晶、簡単に言えば宝石を用いていたのだが、如何せんコストがかかりすぎるため、人工的に合成されたものが出回るようになった。
これらの結晶体は「練金炉」と呼ばれる魔道具を用いて合成されるのだが、もともと宝石を模してつくられており、その見た目の美しさから装飾品としても用いられるようになっている。
「結晶のストックが無くなりそうだから買っておきたい」
だから扱っている店を教えて欲しい、と頼んできたイストに対しニーナは自分が案内すると申し出たのである。もちろん彼女の腹のうちには、そうやってついて行けば何か教えてもらえるのではないかと言う思惑がある。
イストは彼女の思惑について、おおよそは察しているのだろう。特に何も言わず好きにさせていた。知識や技術に対して貪欲な姿勢は、彼も嫌いではない。だから、店に向かう道すがら彼がこんなことを言い出したのは、あるいはただの気まぐれではなかったのかもしれない。
「人工石(合成結晶体のこと)と天然の宝石、何が違うと思う?」
煙管型禁煙用魔道具「無煙」を吸い、白い煙(水蒸気だという)ながら、ごく自然にイストはそうニーナに聞いた。
「えっと、値段、じゃないんですか」
すっかり見慣れてしまった「無煙」を吸うその姿はどこまでも自然体だ。しかしニーナは欲していた知識を得られる機会が突然やってきたことに驚いた。
「一応正解。確かに人工石と天然石ではコストが違う」
だが、とイストは続けた。その口調はまるで生徒を教える教師のようだ。
「今でも天然石のほうを好んで使う職人さんはたくさんいる。コストがかかることを承知で、だ」
なんでだ、とイストはニーナに問いかけた。
「見栄え、ですか・・・・・?」
それ以外、思いつかなかった。
「三十点」
イストの採点は辛口だった。というより何点満点なのだろう?
「確かに王族や貴族から依頼された品は、見栄えを気にして天然石を使うことが多い。だけどちゃんと技術的な理由もある」
分かるか?とイストは「無煙」を吹かしながら聞いた。
「・・・・・・分かりません・・・・・」
小さな声で、呻くようにしてニーナは答えた。俯き悔しそうに下唇を噛む。自分の無知が恨めしかった。
そんなニーナの様子を、イストは恐らくは意図的に無視して、それまでと一向に変わらない調子で正解を口にした。
「天然石には一個一個、くせとも言うべきものがあるんだな」
「えっと、それはつまり宝石の種類ごとに特性があるってことですか・・・・・?」
横目で窺うようにしてニーナが尋ねた。
「確かに天然石にはその種類ごとに特性がある」
例えば赤い石は炎と相性が良く、青い石は水や氷と、緑の石は風と相性が良い、と言ったふうだ。この場合、「相性がいい」とはすなわち「魔法陣(術式)と相性がいい」と言うことであり、「刻み込んだ術式以上の効果を得られる」ということだ。一種のブースターのようなものだと思えばよい。
「ただ、これは人工石も同じだ。そもそも人工石は天然石を模して作られたものだし」
人工石にもまた、天然石と同様の特性がある。まったく特性を持たない人工石もあるが、これは例外的な存在だ。程度の幅こそあれ、その点では人工石と天然石には差異はないといえる。
「だから、さっきオレが言ったくせってやつはそういう特性とはベツモノだ」
イストは「無煙」を吹かし、白い煙(水蒸気らしい)を吐き出した。
「赤い石、例えばルビーやガーネットは炎と相性がいい。これは種類に共通した特性だ。だが同じ種類、ルビーならルビーでも一つ一つの石が別の特性を持っている。これをくせと言うわけだ」
「・・・・・・良く分かりません・・・・・・」
首を捻るニーナに、イストはさらに説明を続ける。
「例えば『鳳凰の剣』ってあるだろ?」
「鳳凰の剣」とは世間一般に良く知られた炎の魔剣だ。生み出された炎が優美な鳥の姿に似ていることからこの名前が付けられた。
「あの魔剣は大粒のルビーを核に使っているんだが、術式だけ見れば炎が鳥の形になる訳がないんだ」
つまり核に使用されたルビーの特性によってそうなったと言える。
「だけどルビーを核に使っている炎の魔剣なんて、この世に幾らでもあるだろう?」
だがその中でただ一本「鳳凰の剣」のみが、鳥を模した炎を生み出すことができる。これはつまり「ルビーの特性」によるのではなく、「使用されたルビーの特性」によるものだと考えることができる。
「・・・・・つまり結晶体にはその種類ごとに特性があって、その中でも特に天然石は一つ一つの石が異なる特性を持っている、ってことですか?」
分かるような、分からないような。
「そう。もっと簡単に言えば『天然石は特性を二つ持っている』ともいえる」
なるほど、そう言われれば簡単だ。
「あの、一つ質問があるんですけど・・・・・」
とりあえず分った気になったところで、ふとニーナの頭に疑問が浮かんだ。
「ん?」
「そのいわゆるくせって使う前に分るものなんですか」
でないと物凄く使い勝手が悪いような気がする。
「いや、術式を刻んでみるまでは分らない」
ビックリ箱みたいで面白いよな、とイストは笑った。だがニーナとしてはそこまで楽天的にはなれない。
「それじゃあ設計もできないんじゃないんですか」
「特性に反するくせはないし、刻んだ魔法陣と反発するなんてことも聞いたことがない」
完全な予想はできないが、まるっきり想定外のものができ上がるという事もない。そういうものらしい。
そんな講義を聞いているうちに、二人は目的の店に着いたのであった。
************
ニーナに連れられてやってきたのは、なんてことはない普通の宝石店だった。この店は「エバン・リゲルト」ができて、パートームが村から街に発展するその過渡期にできたのだと言う。奥は小さな工房になっており、選んだ宝石を指輪や首飾りにはめ込んだりといった加工もしているらしい。
「人工石を見せてくれ」
店に入ると、イストはカウンターの向こう側にいた品のいい中年男性の店員にそう声をかけた。
「合成石(人工石のこと)が目当てと言うことは、お客様は『エバン・リゲルト』の新しい職人さんでしょうか?」
天然石に比べて廉価な合成石は、装飾品としても広く流通している。だがこの街では装飾品としてよりも、魔道具の素材としての需要のほうが多いのだろう。後で知った話だが、この店で取り扱っている商品の実に八割が人工石だという。
「ハズレ。オレは流れの職人だよ。今は『ドワーフの穴倉』に厄介になってる」
流れの職人なんているんですねぇ、と妙なところに感心して、店員はカウンターの上に箱を幾つか並べた。その中には色とりどりの石が納まっている。言うまでもなくすべて合成石だ。
「さすがにクオーツはないか・・・・・」
並べられた人工石を眺めながら、イストはそうもらした。
「クオーツ?水晶でしたら、ございますが・・・・・」
「あ、いや。オレの言うクオーツってのは『エレメントクオーツ』のことだ」
そういってイストは商品を取り出そうとする店員を制した。
「エレメントクオーツ?」
聞きなれない単語にニーナは首を捻る。
「ん?親父さんの工房では使わないのか?」
「ということは魔道具の素材ですか?」
宝石にはその種類ごとに特性があり、一つ一つがくせ(・・)をもつ。これはすでに説明した。だがそれはあくまでも術式を刻んだ後に現れるのもであって、その前はただの宝石でしかない。
エレメントクオーツとは、言うなれば「自前の術式をもった結晶体」だ。
例えば炎のエレメントクオーツは、魔力を込めるだけで炎を生み出すことができる。こうして刻む術式を簡略化できるのだ。
「確かにそのような商品は、当店では扱っておりませんね・・・・・」
「ま、人工石と違って魔道具にしか使い道のない素材だからな。当たり前か」
間違って魔力を込めたときに、いちいち炎を吹いたり雷が奔ったりしていては危なすぎる。イストは特に気落ちするでもなく、目の前に並べられた合成石に意識を戻した。
「いいのが揃ってるな」
「ありがとうございます」
「とはいえ一応は、だけど」
そういってイストは懐からルーペを取り出し右目に装着した。
その横でニーナが展開についていけず、首を捻っている。並べられた合成石は確かにどれも綺麗だ。しかしイストは魔道具の素材として合成石を見に来たわけで、見た目は関係ないはずだ。どこを見て「いいもの」と判断したのだろう。
今イストは人工石を一つ一つルーペで鑑定している。ジャマをするのは気が引けたが、とても気になるのだ。
「ん?どうかしたか」
気が付くと、ニーナは彼の服を引っ張っていた。こうなってはもう腹をくくって聞くしかない。
「どこを見ればいいのかな~って・・・・・」
少々誤魔化しながらそういうと、イストはすぐに、ああ、といって得心したようだった。
「結晶体を選ぶ際の第一条件は『見た目』だ。綺麗にカッティングされているものは魔力の通りがいい。ちなみに大きさは特に関係ない」
これは天然石と人工石の両方とも同じな、とイストは説明した。それから右目に付けていたルーペをニーナに渡す。
「そいつは魔道具『目利きのルーペ』。魔力の流れを可視化してくれる魔道具だ」
この結晶に魔力を流してそいつで見てみ、とイストはニーナに結晶体を一つ手渡した。言われたとおり結晶体に魔力を流して「目利きのルーペ」で見てみる。
「うわぁぁ・・・・・」
それは、はじめて見る光景だった。結晶体の中を、筋状の青い光が幾つも流れるように奔っている。魔力を見たのが初めてということも重なり、それはとても幻想的だった。
「今度はこっち」
そういってイストはもう一つ結晶体を手渡す。そちらも同じようにして見てみると、
「ん?」
さっきの結晶よりも、青い光が少ないように思われる。ルーペを外して二つの結晶体を比べてみると、大きさや色、形に特に差はない。
「青い光の量が違っただろう?」
「はい。最初に見たほうが多かったです」
「つまり最初の人工石のほうが、魔道具素材としてはいいってことだ」
なるほど、とニーナは感心した。それら、ふと疑問が浮かぶ。
「どれだけ魔力を通せばいいのか、基準みたいのはあるんですか?」
「ないな。経験積んで自分なりの基準をつくるしかない」
ニーナからルーペを受け取ると、イストは鑑定を再開する。
(やりたい・・・・・!)
とても、とてもやりたい。経験を積むしかないのであれば、この場でその経験を積みたい。やりたくて、やりたくてウズウズしているのが自分でも分った。
あるいは、その空気が伝わったのかもしれない。
「やってみるか」
「いいんですか!?」
ニーナのあまりに嬉しそうな様子に、イストは苦笑した。是非やらせてください、と迫るニーナに「目利きのルーペ」を渡す。
「じゃ、五・六個選んでみて」
イストと同じように右目にルーペを装着し、ニーナは結晶体を一つ一つ鑑定してくる。そして魔力の通りがよさそうなものを取り分けていく。一回りしたら、今度は選り分けた物の中からさらに選別していく。それを繰り返し、最後には色も大きさもまばらな五つが残った。
「・・・・・終わりました・・・・・」
「ん、じゃ、みして」
ニーナから「目利きのルーペ」を受け取ると、イストは彼女が選んだ五つの人工石を確かめていく。その様子を見守るニーナは妙な緊張感に包まれていた。
「大丈夫だな。じゃ、これお願いします」
イストがそう店員にいったとき、ニーナは自分の目利きが間違っていなかったことを知った。彼女のうちに、じわじわと歓喜と安堵が湧き上がってくる。
代金は三十ミル(銀貨三十枚)だった。イスト曰く、
「これが天然石だったら、銀貨が金貨になる」
とのこと。もはや年収だ。合成石が普及した理由が良く分る。
カウンターの向こうで店員が合成石を手早く包装していく。彼らが現れたのは、そんなときであった。
「おやじ、人工石を見せてくれ」
そういって若い男が三人ほど、店内に入ってくる。
「いらっしゃいませ。いつも御贔屓にしていただいてありがとうございます」
店員はそういって頭を下げた。どうやら見知った客らしい。
「品物はこちらに出ておりますので、ご自由にご覧ください」
先ほどまでイストたちが見ていた合成石をさして、彼はそういった。既に買い物を終えているイストとニーナは、端によって男たちに場所を空けた。
「ん?お前たちも人工石をみていたのか」
「まあな。とはいえもう選んだから、気にしてくれなくていい」
イストがそう答えると男たちは了解したようで、それぞれが「目利きのルーペ」を取り出して鑑定を始めた。
(あいつら、「エバン・リゲルト」の職人か・・・・・・)
この街で「目利きのルーペ」を使って人工石を鑑定する人間など、それ以外にいるまい。ニーナには気づいていないみたいだから、「ドワーフの穴倉」にいたという職人たちではないのだろう。
「なんだこれは!?」
「どれもこれもクズばっかりじゃないか」
「かろうじてこれが平均くらいだが、いやしかしなぜ・・・・・・。今までこんなことはなかったのに・・・・・・」
男たちの目線が、先ほどまで同じ商品を見ていたイストたちに向かう。
「お前が買ったのか?」
「何を?」
イストはとぼけてみせた。それが勘にさわったのか、男たちの雰囲気が険しくなる。
「魔道具素材として優れている人工石を、私たちより先に買ったのはお前か?」
ことさら詳しく丁寧に言ってみせたのは、苛立っていることの裏返しだろう。とはいえ既に確信しているのだろう。イストが何か言う前に、別の男が声をあげる。
「それは我々が使うものだ。代金は払うから、渡してもらおう」
「おやじ、その包んであるヤツはいくらだ。こちらで払う」
「おいおい」
先に買った人間の意見を無視して勝手に話を進めようとする男たちに、イストは怒るよりもむしろ呆れた。職人としての腕は分らないが、先に人が選んだものを横からシャシャリ出てきて掠め取るとは、礼儀以前に常識をわきまえているのだろうか。
「お客様・・・・・」
店員も困った様子でこちらを見ている。
「お前が買った人工石、見せてもらっていいだろうか」
最初に質問してきた男が、イストにそう尋ねた。イストは軽く頷いて了承してみせと、男は店員から包みを受け取り、中に入っている人工石を先ほどと同じように「目利きのルーペ」を使って鑑定していく。
「お前、魔道具職人か」
鑑定を終えた男が、疑問系ではなく断定するようにそういった。あれだけの質の人工石を選んで買っているのだ。それ以外には考えられないだろう。
「ご名答」
イストが短く肯定すると、男の視線が鋭くなった。
「そうか。ウチでないとすると『ドワーフの穴倉』の新しい職人か?」
そう言いながら男は包みを店員に返す。受け取った店員は簡単に包装しなおすと、それをイストに渡した。
「ハズレ。オレは流れだからな。とはいえこの冬の間、間借りするつもりではいるが」
いいながらイストは店員から包みを受け取り、そのまま懐にねじ込んだ。横から掠め取ろうとしていた二人が声を上げるが、目の前の男がそれを押しとどめた。
「先客が居たんだ。仕方ないだろう」
どうやらこの男がリーダー格らしい。そういわれて二人は押し黙った。それでも不満で一杯らしいことは見れば分る。
「流れの職人など聞いたことがないが、それなら『エバン・リゲルト』に来る気はないか。腕相応の待遇を約束できるが」
腕が未知数であっても、一人でも多くの職人を囲い込みたいのが一般的な工房の本音だろう。今までも何度か工房に誘われることはあった。とはいえイストの答えはいつも同じだ。
「お断りするよ。オレは流れのほうが性にあってる」
肩をすくめながら軽い調子で答える。すると後ろの二人は小ばかにしたように嘲笑を浮かべた。
「ふん。たいした腕じゃないから、流れをやるしかないのだろう」
「寂れて自分のことで手一杯な『ドワーフの穴倉』なら、技術なり知識なり、盗まれる心配もないもんなぁ?いや、逆に盗むつもりで入り込んだんじゃないのか?」
だったら無駄足だったな、あそこには盗むほどの技術も知識もない、と二人は嗤った。イストとしてはこういう馬鹿な手合いが何を言ったところで、相手をしてやる気はさらさらない。だがニーナはそうではなかったようだ。頭に血が上っているのが、傍目にも良く分った。
(ここで言い争いになっても、面倒なだけだしな・・・・・)
そう思ったイストはさっさと機先を制することにした。
「何か問題があるのか」
「なに?」
面倒くさそうにそういうと、男たちとニーナの視線がイストに集まった。
「知識や技術の十や二十、盗まれたところで何の問題がある?」
「・・・・・・・!」
イストのその発言にその場の一同は絶句した。
知識や技術の流出は工房にとって最大の悪夢であり、それゆえにどの工房でも情報は厳重すぎるほどの厳重さで管理されている。当然だろう。なぜならそれこそが工房と職人にとって富と名誉の源泉なのだから。
ゆえに、それを盗まれてもかまわないというイストの発言は、ニーナも含めたその場にいる人物たちにとってあまりにも不可解なものだった。
「その程度のことでオタオタしているようでは、『エバン・リゲルト』も大したことはないな」
そう言い放つと、イストはさっさと出口に向かって歩き始めた。ニーナがその後を慌てて追う。
「ま、まてっ!」
店から出ようとする二人を「エバン・リゲルト」の職人たちが呼び止める。
「盗まれてもかまわないというなら、教えてもらおうじゃないか!」
「そうだ!どれほどの腕を持っているのかみせてもらおう」
未知の知識と技術は新たな富と名誉への最短コースだ。彼らが目の色を変えているのも当然だろう。だがしかしイストはそこまでお人よしではない。
「阿呆。オレは盗まれても問題はないって言ったんだ。教えてやるなんて一言も言ってない」
白い煙(水蒸気らしい)を吐きながら「無煙」を吹かし、そう冷たく突き放す。そして、今度こそ二人は店の外へ出て行ったのであった。