流れに身を任せて生きていくのも
流れに逆らい生きていくのも
どちらも等しく容易ではない
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第四話 工房と職人
ポルポートという国がある。カンタルクの南に位置し、そのさらに南には海が広がっている。国土は六七州であり、この国が北のカンタルクと因縁の仲であることは良く知られている。
このポルポートの王都アムネスティアから程近い位置にパートームという街がある。もともとは街道沿いにあるただの村でしかなかったのだが、ここ十年程で急速に発展した街でありさらにもう二十年後には、ポルポートにおける一大都市になっているであろうと言われている。
その理由はこの街に作られた国営の魔道具工房「エバン・リゲルト」である。本来は王都に建てるつもりであったらしいのだが、適当な土地が見当たらないと言う理由でパートームに置かれることになったのだ。この国内最大の工房のおかげでパートームはポルトールにおける魔道具の一大生産拠点となり、それまでとは桁違いの人・モノ・金が流入するようになったのである。
そのパートームのとある飲食店に一人の男がいた。
背丈は一七〇半ばくらいで、年の頃は二十代の始めといったところか。整った目鼻立ちをしているが、取り立てて美形というわけではない。注文したサンドイッチを片手でパクつきながら、机の上に広げた本やノートとなにやら難しい顔でにらめっこしている。
余談ながら、彼が今食べているこの「サンドイッチ」という食べ物は、とある伯爵がカードゲームを楽しみながら食べられる食事として、コックに作らせたのが始まりとされている。その伯爵の名前はサンドイッチ伯爵。大した事をしていない人物だが、恐らくは本人も考えていなかった分野で歴史に名を残すことになった。
「ふむ、やっぱりこの術式は複雑になるな。合成もするし、もう少し簡略化できないもんかね」
ぶつぶつ独り言を言いながら、男はノートにペンを走らせる。しかし今もし誰かが彼のノートを覗き見したとしても、その内容を理解することはできなかっただろう。なぜならばそこで使われていたのは一般に普及している常用文字(コモンスペル)ではなく、すでに廃れてしまった古代文字(エンシェントスペル)だったからだ。
もっともお客の少ないこの時間帯、ぶつぶつと独り言をもらしている人物に近づく物好きなどいなかったが。
店の扉が開き、一人の少女が入ってくる。
「おばさん、研ぎ終わった包丁、持って来ました」
そういって少女はカウンターの奥にいる女主人の方に近づいていく。
「おや、ニーナちゃん、ありがとうね。自分で研いだりもするんだけど、やっぱりニーナちゃんのところでやってもらうと、違うからねぇ」
そういわれると、ニーナと呼ばれた少女の表情が綻んだ。
「ありがとうございます。今後ともご贔屓に」
包丁を受け取った女主人は一つ一つ手にとって、その研ぎ具合を確かめてゆく。最後の包丁を確かめ終わると、満足したように頷いた。
「でも悪いねぇ。ニーナちゃんの所って本当は魔道具工房なのに、包丁砥ぎなんてさせちゃってさぁ」
「いえそんな。うちには刃物を研ぐための魔道具がありますから」
ニーナはそういったが、彼女の表情はどこか暗い。多少なりとも現状に不満を持っているのだろう。
「それに、文句ばっかり言っていても仕方ありませんし」
少女がそういうと女主人は、そうかい、と言ってそれ以上は何も言わなかった。この飲食店は「エバン・リゲルト」ができて、パートームが発展する以前からここで店を構えている。当然ここの女主人は、ニーナや彼女の父ガノスの工房である「ドワーフの穴倉」について古くから知っている。そのため今日の現状が彼女たちにとってあまりよいものではないことも重々承知していたが、軽々しく口にすべきではないと思っているのだ。
「お金は月末にまとめて集金しますので、その時におねがいします」
「あいよ。お父さんにもよろしく伝えといとくれ」
一言礼を言ってニーナは足を出口に向けた。その時、あのサンドイッチを食べていた男が机に広げていた本やノートが、彼女の視界に入った。
「・・・・・術式理論?」
何気なく呟いたニーナのその独り言は、男の耳に届いていた。
「そうだが、古代文字(エンシェントスペル)が読めるのか?」
これがニーナ・ミザリの人生を大きく変える、イスト・ヴァーレとの出会いであった。
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「すると、親父さんの工房はもともとニーナさんのお祖父さんがはじめたものなのか」
「そうです。あ、あとわたしのことはニーナでいいです」
「じゃ、オレも呼び捨てにして」
イストは今ニーナと一緒に彼女の父親の工房である「ドワーフの穴倉」に向かっている。さきほどの飲食店でイストは魔道具に刻む術式、つまり魔法陣の理論設計をしていた。それを見たニーナは、彼が「エバン・リゲルト」の職人ではないかと思ったらしい。
「違うよ。オレは流れの職人だから、どこの工房にも属してはいない」
イストのその説明を彼女はあっさりと信じた。
「お祖父ちゃんのお師匠さんも、流れの魔道具職人だったらしいんです」
そのせいか、彼女にとって流れの魔道具職人と言うのは、世間一般が考えるよりもずっと身近な存在らしい。
さらに聞くところによれば、その師匠は魔道具の記録を付けるのに古代文字(エンシェントスペル)を用いており、当然ながら弟子にもこの現在は廃れてしまった言語を覚えるよう強要したという。
「その流れでウチの工房はいまだに古代文字(エンシェントスペル)を使っていて、わたしもお祖父ちゃんから習ったんです」
あんまり役に立ってはいないんですけどね~、とニーナは笑った。
そんな彼女の話に相槌をうちながら、イストは古代文字(エンシェントスペル)を用いる流れの魔道具職人について考えていた。
(もしかすると、アバサ・ロットかもしれない・・・・・)
というか、それ以外心当たりが無い。
ニーナの父祖がその人に弟子入りしたということらしいから、イストの師匠で先代であるオーヴァの若かりし頃か、あるいはその前の代の、つまり先々代のアバサ・ロットかもしれない。
(ま、確かめる術はないけれど・・・・)
ニーナの祖父はすでに他界しているらしい。もし仮に彼の師匠がアバサ・ロットだったとしても、それを家族に話しているとは思えない。かの魔道具職人に関する情報は軽々しく人に話すにはあまりにも危険で、そのことはアバサ・ロットの近くにいればいるほど良く分かる。
(直接の弟子だったんなら、師匠の名を使わなくたって自立していけるだろうし)
実際に自分で工房を開いて、それが今現在まで残っている。彼の人生はそれなりに順調だったのだろう。
「それよりもいいのか、オレが親父さんの工房にお邪魔しちゃって」
今イストがニーナに連れられてドワーフの穴倉に向かっているのは、イストが流れの職人だと知ったニーナが、
「それならうちの工房を使ってください」
と言ったからだ。
どうやら祖父とその師匠が、たびたびどこかの工房を借りて作品を作っていたという話を聞いていたらしい。
「大丈夫です。設備も整ってますし、お父さん、一人で持て余してますから」
そこまで言うと、ニーナはふいに俯いた。その表情は心なしか暗い。
「エバン・リゲルトができるまでは、お父さんの工房、結構評判良かったんです。それなのに・・・・・」
エバン・リゲルトができる前、「ドワーフの穴倉」では六人の職人が働いていた。創業者であるニーナの父祖はもう引退していたが、彼の息子であるガノスを中心に弟子たちが工房を守っていたのだ。
だが国営の魔道具工房である「エバン・リゲルト」ができたことで、ドワーフの穴倉の状況は悪化する。
「お祖父ちゃんのお弟子さんたち、みんなあっちに引き抜かれちゃって・・・・・」
魔道具職人の引き抜きは、日常茶飯事である。職人たちもまたそれを普通とし、より良い条件を提示する工房には多くの職人たちが集まってくる。そして当然のことながら各工房にはそれぞれの規則があり、職人たちはそれを遵守するよう求められる。
いやな言い方をするならば、この世界はそうやって黄金色の鎖を使い、魔道具職人たちを囲い込みまた管理しているのだ。
「『エバン・リゲルト』ができてパートームは大きくなったけど、ウチは細る一方です・・・・」
イストは肩をすくめるだけで、何も言わなかった。
彼に言わせるならば「ドワーフの穴倉」が零細に陥っているのは、ひとえにガノス・ミザリの腕が不足しているせいである。
魔道具職人の世界は冷徹なまでの実力主義だ。成果主義と言い換えてもいい。強力な、そして便利な魔道具を作ることができる職人のみが、高い評価と破格の待遇を得ることができるのである。
逆に言えばどこかの工房に属したりしなくても、秀逸な魔道具さえ作れればそれは高値で売ることができる。実際イストをはじめとする歴代のアバサ・ロットたちは、そうやって旅や開発の資金を得てきたのだから。もっとも魔道具を売るさいには「アバサ・ロット」の名を名乗ることは決してしないが。
ゆえにイスト・ヴァーレという魔道具職人はこう考える。
「工房が細る一方なのは、ガノスの腕が未熟だからだ」
とはいえこれは卓越した技術と知識をもっている彼の、アバサ・ロットのエゴだろう。独立都市ヴェンツブルグでの騒動をみれば分かるように、イストほどの腕を持つ職人というのは本当に稀少な存在で、誰もが彼のように優秀な魔道具を作ることができるわけではないのだから。
そもそも新しい魔道具を一から作ろうとすればそれなりの開発費がかかる。天然の宝石でも使おうとすれば、十~二十シク(金貨十~二十枚)かかることはザラだ。加えて開発には時間がかかり、その間の生活費も必要になる。職人が少なく一度経営が傾いた工房は、職人の腕如何にかかわらず、なかなか新魔道具の開発に手を出せないのが現実だ。
「あ、ここです」
少々くらい話をしている間に、どうやら「ドワーフの穴倉」についたらしい。一時期は創業者であるニーナの父祖を含めて七人が働いていただけのことはあり、工房はそれなりに大きく作りも重厚である。だが中から響いてくる音は小さく工房内が閑散としていることを示しており、それがそこはかとなく哀愁を感じさせる。
「お父さん、ただいま」
そういってニーナが工房の中に入っている。イストも、おじゃまします、と声をかけて中に入った。
工房の中を見回してみると、なるほど確かにニーナが言ったとおり設備は整っている。
(庵はもっとすごいけど・・・・・)
イストの言う「庵」とはアバサ・ロットの工房「狭間の庵」のことである。確かにあそこの設備はここよりも充実している。歴代のアバサ・ロットたちが、
「あると便利だから」
と言う理由で自作の機材を作っていった結果、原材料さえあれば一から魔道具製作が可能なほど設備は充実している。たった一人のためにあれだけの設備を用意したのだ。普通の工房からすれば開いた口がふさがらないであろう。
「でね、お父さん。冬の間、イストにここを使わせてあげたいんだけど、ダメかな」
イストが工房内を物色している間に、ニーナが説明を済ませたらしい。
「差し支えなければ、そうさせていただけるとありがたい」
イストも頼み込む。ただダメだった場合、「狭間の庵」を使えばいいと思っているせいか、どうにも真剣味に欠ける。
ガノスは娘を見た。彼女は何も言わなかったが、その目は言葉以上に切実な思いを伝えてくる。
「・・・・・・ここでよろしければ、いくらでも使ってください」
イストが礼をいい、ニーナは手を叩いて喜んだ。そんな娘の様子を見て、ガノスは己のふがいなさを思いため息をついた。