――独立都市ヴェンツブルク
エルヴィヨン大陸の東に位置する人口およそ三万人の独立都市である。都市の東側に天然の良港を持ち、貿易によって栄えている。ガバリエリ、ラクラシア、ラバンディエの三家の力が強い。八人の執政官の合議によって行政がなされており、八つある執政官の椅子のうち三つは三家が一つずつ占有し、残りの五つは選出によって選ばれる。治安の維持は自衛騎士団によってなされている。貿易港で人の出入りが激しいため、開放的で活気に満ちているが反面喧嘩などのいざこざも多い。
モントルムという国の東の端に位置していることになるが、もともとレジスタンスの集まりが起こりで独立の気風が強い。そのためモントルムの宗主権を認めているが、実質的には独立した自治権を持ち、また行使している。
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そんな独立都市ヴェンツブルクの町を1人の男が歩いていた。年のころは二十歳の始めごろで背丈は170半ば。髪と瞳の色は黒で赤褐色の外套を羽織っている。顔立ちは整ってはいるがとりたてて美形というわけではない。
橋の上を通りかかると、そこで両替をしている男に彼は金貨を差し出して声をかけた。
「こいつを両替してくれ」
「金貨か・・・・。今のレートだと1シクは37ミルだな。手数料が20オムだ」
「シク」は金貨の単位で「ミル」は銀貨の、「オム」は銅貨の単位だ。1シクは大体37~40ミルで、1ミルは100オム固定だ。ちなみに銅貨には二種類あり一つは普通の銅貨で10オムである。普通「銅貨」といった場合には10オム銅貨をさす。もう一つは真ん中に正方形の穴が開いているもので1オム銅貨という。こちらは普通「銅銭」と呼ばれる。
なお、平均的な一般家庭の月収が3~5シクだといえば大まかな価値は分かってもらえると思う。
「・・・・レートあがった?この前までは1シク40ミルだったのに」
「教会が聖銀(ミスリル)を作るのに銀を集めているって話だ。そのせいじゃないのか」
銀貨の原料である銀そのものが市場で少なくなっているために、銀貨の価値が上がったのだ。少しばかり損をした気分だ。男が10オム銅貨2枚を手渡すと両替屋は銀貨を渡した。受け取った銀貨を財布にしまっていると両替屋が声をかけてきた。
「お客さん、外套なんて着ているところを見ると旅人かい?この都市には何しに来たんだい?行商の仕入れならいいところを紹介するよ」
実際交易で栄えているこの都市に来る旅人の多くはそっちが目的なのだろう。だがこの男は例外だった。
「ハズレ。都市の周りに遺跡があるだろ?そいつの見物」
「遺跡見物かい?大方調査は済んでいるはずだよ」
「いいんだよ。半分以上趣味なんだから」
「そうかい。・・・・・そうそう、なにやら強力な魔道具が持ち込まれたらしい。そいつ関連で三家がなにやら動き回っているらしいぞ。誰が持ち込んだんだろうな」
「アバサ・ロットだったりしてな」
まさか、と両替屋は笑った。アバサ・ロットとは恐らくこの世界で最も有名なフリーの魔道具職人である。かの人の造る魔道具は全て一級品で、しかも気に入った相手にだけ譲ることで知られている。アバサ・ロットは千年近く昔からその存在が知られているが、これは「アバサ・ロット」という名前が一種の称号として親から子あるいは師から弟子に受け継がれているためだと考えられている。
両替屋ともう二言三言は話してから彼は橋をあとにした。その足で都市の外へと向かう。
「動きが速い・・・・・。いや、大きい」顎に手を当て真剣な表情で考え込む。しばらくして顔を上げると気楽そうにこういった。「ま、何とかなるだろう」
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リリーゼが「水面の魔剣」を手にしてから、つまりラクラシア家が「例の男」を探し始めてから三日が経過していた。この間に情報はガバリエリ家とラバンディエ家にもめでたく伝わり、今では三家の下っ端たちが入り混じって「例の男」を探している。
年の頃は20代で身長は170半ばの男。髪は銀髪で瞳の色は青。左の頬に狼を模した刺青があり、モスグリーンの外套を羽織っていた。
これだけの情報がありながら、しかし情報は一向に集まらなかった。かといって都市から出たという情報も無い。手詰まりな感があったが三家が三家とも「他の二家に遅れをとるわけにはいかない」という対抗意識から手を引くに引けない状態となっている。外側からはそのように見えた。
さて、ここにもう一つ「例の男」を確保しようとしている勢力がある。
「三家の様子はどうですか」
いすに座り机にひじを付いて目の前の部下に声をかけたのは三十代始めに見える男だった。くすんだ蜂蜜色の髪を肩の辺りまで伸ばしている。体の線は細く一見して優男であるが、あいにくと彼の真価は首から上に由来するものだった。彼の名はジーニアス・クレオ。レニムスケート商会を率いる若き首領(ドルチェ)である。
レニムスケート商会の狙いはごく単純である。強力な魔道具を定期的に揃えられるようにして、それを売りにして商会の勢力を伸ばすことである。そのためには「水面の魔剣」の製作者と見つけなければならないが、その手がかりは「例の男」が握っている。
「相変わらず『例の男』を探しています。・・・・・表向きは」
「でしょうね。この期に及んで特長そのままの『例の男』が実在していると考えるほど三家もバカではない。探しているように見せているのはこれ以上情報が漏れないようにするためでしょうね」
あからさま過ぎる特徴は裏を返せば変装していると公言しているようなものだ。もっともそれこそが「例の男」の狙いなのだろう。報告をした部下もうなずいて続けた。
「現在三家が探しているは旅の魔導士です。しかも魔導士のライセンスを持っている者を優先的に探しています」
ここでいう「魔導士」とは単純に魔道具を扱う者のことではなく、国や都市・ギルドなどの組織が発行する正式なライセンスを持つ者のことだ。報告を聞くとジーニアスは頷いた。そして釈然としない様子の部下に声をかける。
「不思議ですか?なぜ捜索対象を魔導士に限定しているのか」
「そうですね。気にはなります」
変装用に使えそうな魔道具の規制はどれも厳しくはない。特別なライセンスを持っていなくても、一般市民でも入手は可能だ。それに加えて魔道具の密売と魔導士ライセンスはまったくといっていい程、関係がない。密売にライセンスが必要なんてことはないし、仮にライセンスを持っていたとしてもそれを提示する者はまずいない。確実に足がつくからだ。
つまり、「ライセンスを持っているかどうか」を調べても「魔道具の密売をしているかどうか」は分からないのだ。そんなことは三家も重々承知しているである。
「今回魔道具を持ち込んだ『例の男』は変装をしています。それも恐らくは魔道具を使って。加えて旅をしている。しかもどこかの密売組織が絡んでいるという可能性は低い」
強力な魔道具が闇ルートに流れる場合、盗品である場合を除けば、その魔道具は職人本人か職人と近しい人が密売に関わっていることが多い。密売組織は多くの場合盗品を扱っており、公権力からは睨まれる存在だ。そのような犯罪組織と関わることを魔道具職人が嫌うのだ。
これが、ジーニアスが「例の男」が一人旅だと判断した理由だ。
「そういう、魔道具を所持して、時に密売に関わるような個人が旅をするなら魔導士としてのライセンスを持っていたほうが何かと便利でしょう?」
「なるほど」
ジーニアスの説明を聞いて部下は納得したようだった。その様子を確認してからレニムスケート商会を率いる若き首領(ドルチェ)は部下に次の指示を出した。
「当面は三家の動きを監視していてください。出し抜けるならよし、そうでなくとも我々には打つ手がある」
三家を出し抜いて「例の男」と直接交渉できるならば、それが最もいい。が、仮に直接交渉できなくても、「例の男」を押さえた家と交渉するという手がある。三家とて「水面の魔剣」の製作者を囲い込み、自分たちの息のかかった、というよりほとんど直営の工房で強力な魔道具を作らせるのが目的なのだ。そこから幾つか買い取ることは十分に可能なはずだ。
部下が部屋から出て行くと、ジーニアスは椅子の背もたれに体を預け、考えをめぐらせた。
(最大の懸案は、・・・・・もうすでに旅立っているかもしれない、というとですね)
自分の考えに苦笑をもらす。もしそうであればどれだけ探しても無駄骨だ。だが、それでも・・・・・。
(それだけの価値があるということですよ。あの魔剣とそれを造った職人には)