名は存在のために
姓は血筋のために
そして、
決断は未来のために
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第三話 糸のない操り人形
「納得できません!!」
若い女性、というよりまだ少女だろう。少女の声が校長室に響き渡った。
カンタルク王国という国がある。
エルヴィヨン大陸の中央部からやや東、オムージュの西南に位置している国で、版図は六三州。大国というほどではないが、他国からの一方的な圧力に屈しない程度の国力を保持している。
その王都フレイスブルグにカンタルク王立士官学校がある。ここで育成された軍人たちは、いわゆる「叩き上げ」の兵士たちとは異なりエリートであり、組織の運営や運用に関わっていくことになる。
この学校に入る生徒たちはさまざまな階級や生活背景をもっているが、大別すれば大きく二つのグループに分けることができる。
まず第一に貴族の子弟たち。固有の領地を持たない下級貴族の子弟や、大貴族でも家督を継がない次男・三男などは、士官学校に入り軍での栄達を目指すことが多い。
第二に貧しい者たち。士官学校の学費は基本的に無料だ。タダで学問を学べ、しかも少ないながらも小遣いまでもらえる士官学校には、苦しい生活をしている平民の子供たちが多く入学を希望する。人買いに非合法に売るよりはずっといいと思うのだろう、女子の生徒数が多いのも特徴の一つだ。あくまで、他国に比べて、だが。
「なぜ魔導科首席卒業のわたしが、志望部隊に配属されないのです!?」
カンタルク王立士官学校には幾つかの科があるが、中でも最も人気があるのが魔導科だ。この科は卒業すると自動的に「カンタルク王国認定魔導士」の資格を得ることができる。
卒業後の部隊配属の希望は成績上位者が優先される。しかし、大陸暦1561年度の魔導科首席卒業生、アズリア・クリークは志望部隊への配属を拒否されたのだ。
アズリア・クリークは母子家庭で育った。母は若い頃に貴族の屋敷で下働きをしており、そこで御手つきになって彼女を身ごもったのだ。アズリアは自身の出生についてある程度知っているが、父親に当たる貴族の名前と家名は知らない。
「それについては私(わたくし)からご説明いたしましょう」
目の前の校長は一向に口を開こうとしない。声のしたほうを見ると、燕尾服を一部の隙もなく着込んだ初老の男が立っていた。
「私(わたくし)はヴァーダー侯爵家の執事でエルマーと申します」
「ヴァーダー侯爵家・・・・・」
いきなり出てきた大貴族の名にアズリアは驚いた。
ヴァーダー侯爵家は代々カンタルク王国の魔導士を統率する立場にあり、その当主は「魔導卿」と呼ばれている。その立場ゆえに当主も優秀な魔導士であることが求められており、そのため血筋よりも実力を重視する家風がある。
「ヴァーダー侯爵家が一学生に何の用でしょうか」
自身の生まれのせいか、アズリアは貴族というモノが嫌いだ。自然、言葉も刺々しくなってしまう。
「アズリア様の部隊配属の件ですが、侯爵家が裏から手を回させていただきました」
「なっ!?」
今度こそ、アズリアは言葉を失った。確かに軍に発言力のあるヴァーダー侯爵家ならば、学生一人の部隊配属に介入して握りつぶすぐらい、わけないだろう。
「ですから、アズリア様が正規の手続きでどこかの部隊に入ることは不可能とお思いください」
淡々とそう告げるエルマーの目は、濁ってはいない。濁ってはいないが輝いてもいない。鏡のようにただ目の前にあるもののみを映している。どこまでも冷たいその瞳からは、一切の感情が窺えない。
「なぜです!?」
アズリアは叫んだ。なぜ大貴族のヴァーダー侯爵家が平民の一学生であるアズリアの部隊配属に関与してくるのか。
「当主のビスマルク様がお会いになられます。馬車を表に用意してありますので、説明は道すがらにいたしましょう」
「お断りします!」
反射的にアズリアは拒否した。それは頭で考えたものではなく、ひどく感情的な判断で、生理的嫌悪ともいえるものだった。
「学費はどうするのかね」
無情な校長の一言が、彼女の感情のうねりに歯止めをかけた。カンタルク王立士官学校の学費は基本的に無料だ。しかし、対価として卒業後は一定期間軍務に付かなければならない。逆を言えば、軍務に付かない場合は学費を全額納めなければならないのだ。
アズリアはこぶしを握り締め、悔しそうに俯いた。
母は二年前に他界しており、彼女は天涯孤独の身だ。学費を全額など、払えるわけがない。彼女に残った理性はそれを十分に理解していた。
「貴女に拒否権はないのです」
エルマーが静かに、そういった。
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馬車に乗り込んでからずっと、アズリアは無言だった。現状は不満だらけだが、それゆえに子どもっぽい抵抗を試みているわけではない。起こった事柄を、ひとまず感情は抜きにして自分の中に収めようと必死なのだ。
それが分かっているのか、エルマーも何も話しかけてこない。
ふう、とアズリアは一つ息をついた。泣くのも憤るのも絶望するのも喚くのも、全ては事態を完全に把握してからだ。
「教えていただきたい、エルマー殿。ヴァーダー侯爵家の魔導卿がわたしに一体何のようがあるというのです」
まるでアズリアから言い出すのを待っていたかのように、エルマーは静かに目を開き彼女を見た。
「では、結論から申し上げましょう」
そういってエルマーは一拍おいた。そして、
「貴女には次期当主となり、ヴァーダー侯爵家を継いでいただきます、アズリアお嬢様(・・・)」
アズリアの予想をはるかに上回ることを告げた。絶句し、もはや何もいえなくなっている彼女に構わず、エルマーは言葉を続ける。
「ヴァーダー侯爵家が血筋よりも実力を重んじる家風なのはご存知でしょう」
ヴァーダー侯爵家は、代々カンタルク王国の魔導士を統率する立場にある。しかし、魔導士という連中は、その性質上集団としての修練よりも個人を鍛えることが重視され、そのためか我が強く扱いにくい者が多い。
ゆえにそれを統率する魔導卿たるヴァーダー侯爵は、自身も優秀な魔導士であることが求められるのだ。そのため外から力のある魔導士を当主に迎えるということが、ごく普通におこなわれてきた。現ヴァーダー侯爵であるビスマルク・フォン・ヴァーダー卿も、もとは辺境の下級貴族の出身だし、その妻であるノラ夫人も他の貴族の家から嫁いできた身だ。つまり今のヴァーダー侯爵家は一世代前のヴァーダー侯爵家とは、血縁的なつながりが全くないのである。
ヴァーダー侯爵が魔導卿になるのではない。魔導卿がヴァーダー侯爵になるのだ。
「それは知っています。ですが、なぜわたしが・・・・・」
なぜそこで自分が関係してくるのか。
いくら王立士官学校の魔導科を首席で卒業したからといって、所詮はただの学生である。実力を示したこともなければ、当然実績もない。将来はともかくとして、現状の自分にそのような話が舞い込んでくるのは、いかにも不可解だ。
「旦那様と奥様のあいだにはお子様が一人おられます。長男のフロイトロース様、今年で七歳におなりになります」
だったらなおのことわけが分からない。そうであればアズリアよりもその子どもに期待するのが筋ではないだろうか。
「左様でございます。普通でしたらそれが筋でございます。ですが・・・・」
エルマーは痛ましげに嘆息した。
「フロイトロース様は生まれつき足が不自由なのです」
それを聞いたとき、アズリアが感じたのはどうしようもない不快感だった。
「わたしは、そのご子息の代わりということですか」
気に入らなかった。自分が誰かの身代わりとして選ばれたこともそうだし、そんなふうにして自分の子どもを切り捨てる親もそうだ。何もかもが気に入らなかった。
「でしたら、わたしなどよりも魔導卿にふさわしい魔導士はたくさんいると思いますが」
アズリアの口調は苦々しい。だがエルマーは気にせず続けた。
「いえ、貴女でなければいけないのです。アズリアお嬢様(・・・)」
「お嬢様はやめていただきたい。わたしはまだヴァーダー侯爵家とはなんの関わりもない」
たとえ近い将来養女になるとしても今現在は法的にも血統的にも無関係のはずである。小さいといえば小さいことだが、不快感も重なりアズリアはかたくなにそう主張した。しかし、
「いえ、貴女にはそう呼ばれる資格がございます。なぜなら・・・・」
エルマーはアズリアにあの鋭い視線をぶつける。
「なぜなら、貴女はビスマルク・フォン・ヴァーダー卿の実のご令嬢なのですから」
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「入れ」
執務室の向こうから重厚な声がした。その声だけで既に威厳が満ちており、精神的に混乱しているアズリアは声だけで押しつぶされそうになった。
緻密な彫り物細工が施された扉を開け執務室に入る。そこに魔導卿ことビスマルク・フォン・ヴァーダー卿がいた。
年の頃は四十の始めくらいだと聞いた。しかし気苦労のためか、髪の毛には一筋の白髪が混じり、顔にはしわが現れている。だが、その眼光は研ぎ澄まされた剣のように鋭い。その視線を向けられたアズリアは思わず後ずさりそうになる。五腎六腑を刺し通し切り分けるかのような視線だ、とアズリアは思った。
「私がビスマルク・フォン・ヴァーダーだ」
「・・・・・・アズリア・クリークです」
かたくなにクリークの姓を名乗ったアズリアにビスマルクはなにも言わなかった。
「エルマーから話は聞いているな」
「・・・・・はい」
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あの後、アズリアがビスマルクの娘だと知らされた後、それでもアズリアは抵抗した。何の証拠があるのかと。
「クレア・クリーク様からお手紙を頂きました。自分が死んだ後、娘を頼むと」
その手紙を見せてもらうと、確かに死んだ母クレアの筆跡であった。日付は二年前の母が死ぬ二ヶ月前のものだ。
「母が下働きをしていたのは、ヴァーダー侯爵家だったのですね・・・・・」
自身の出生の秘密が明らかになっても、少しの嬉しさもなかった。あるのはただの苦さだけだ。
「で、ですが、わたしがビスマルク卿の実の娘だとして、それでも不可解です」
動揺しつつもアズリアは冷静であろうとした。魔導卿になるには、ヴァーダー侯爵家を継ぐには実力が何よりも重要だと、さきほどエルマー自身がそう言ったではないか。そしてそれは魔導卿たるビスマルクが誰よりもよく理解していることだろう。
「なのになぜ未熟者のわたしに目をつけるのです」
もっとふさわしい魔導士を、もっとふさわしい時期に選んで魔導卿の地位に据えればよいではないか。げんにビスマルクもそうして魔導卿に、そしてヴァーダー侯爵になったはずだ。
「魔導卿になるために必要な資質は魔導士として優秀なことだけではありませんからな」
魔導士たちを束ねる立場にある魔導卿は、カンタルク王国国内における魔道具の管理をもおこなっている。そのため魔道具の製造から販売にいたる流通の全て、また素材の価格や種類にいたるあらゆる知識が必要なのだ。
また、軍内部に強力な発言力がある以上、魔導士以外の運用についても知っておかなければならない。それだけではなく周辺諸国とのパワーバランスや、はてには外交関係までをも考えねばならないのだ。
「旦那様はヴァーダー家の養子となられる前は魔導士一本のお方でして、そのため色々と苦労なされたのです」
それゆえ、早い段階から魔導卿に必要な教育を受けさせようというのだ。そのためには若い方がいい。
「だからこそ、貴女が選ばれたのです。アズリアお嬢様」
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「午前は講義だ。魔導卿に必要な知識を学べ。午後からは魔導士の訓練。時間があれば私も稽古をつけてやる。夜は社交界のマナーを身につけろ」
淡々と、事務連絡のように淡々とビスマルクは告げた。
「何か質問はあるか」
「・・・・・・なぜ今になってわたしを呼んだのですか・・・・・・」
搾り出すようにして、アズリアはいった。
「必要になった。だから呼んだ。それだけだ」
アズリアが何も言わないのを見ると、ビスマルクは彼女に下がるように命じた。執務室の扉が完全に閉まってから、エルマーは主に少々非難めいたことを言った。
「少し・・・・・冷たすぎるのではありませんか・・・・・」
諸事情とさまざまな思惑が複雑に絡まって此度の事態になったとはいえ、父と娘の始めての対面である。そう少しそれらしい言葉や態度があってもいいのではないか。
ビスマルクはただ「フッ」と笑った。それは嘲笑の笑いではなく、面白がるような笑い方だった。
「あれも私を父だなどとは思いたくなかろうよ」
先ほど見た自分の娘を思い出す。恐らくは母親似だろう。自分に似なくて良かったと思うのは親馬鹿に似た心境かもしれない。
「しかし運が悪い・・・・・」
手紙を受け取るまでもなく、かつてこの屋敷で下働きをしていたクレア・クリークが自分の子どもを産んでいることは知っていた。よほどのことがない限り干渉するつもりはなかったが、それは逆を言えばいつでも手を出す準備は出来ていたということだ。
「士官学校に入らなければ、魔導科に入らなければ、首席にならなければ・・・・・・」
こんな、およそ考えうる最悪の形で手を出すことはなかった。
「本当に、運が悪い。が、諦めてもらうほかないな」
「旦那様・・・・・」
「魔道具は好きなものを選ばせてやれ」
感傷は終わりだ。魔導卿として、ヴァーダー侯爵としてやるべきことは際限なくあり、そして自分にはそれをこなし続ける責務がある。
「御意に」
エルマーが下がると、ビスマルクは仕事に戻った。
やるべきことは多く時間は少ない。魔導卿とは、ヴァーダー侯爵とは、貴族という言葉から連想されるほどに優雅な存在ではない。いうなれば純然たる役職なのだ。