レヴィナス率いるアルジャーク軍十四万がオムージュ軍十二万と相対したのはローレンシア平原でのことであった。
「なかなかに見事な陣容だな」
「左様ですな」
オムージュ軍の整然たる様子を見て、レヴィナスはそういった。
オムージュ軍は、本陣・右翼・左翼の三つに軍を分けている。だが、その三つが非常に近い位置に集結している。一塊になって行動するつもりなのだろう。
対するアルジャーク軍は軍を四つに分けている。主翼七万、右翼三万、左翼三万そして本陣一万だ。本陣は戦力というよりはレヴィナスの護衛だろう。全体としてはアルジャーク軍の方が数は多い。が、一つ一つではオムージュ軍十二万には及ばない。局地戦では不利になるだろう。
「全軍をもって真正面からぶつかる。初手は相手の思惑通りになりそうですな」
レヴィナスは何も言わず頷き、全軍に前進を指示した。
「もはや逃げ場はない」
全軍の将兵をまえに、エルグ・コークスは静かに宣言した。ここにいる全員が、この戦い勝機は薄いと知っている。それでも自分と共に戦うことを選んでくれた彼らに、エルグは感謝している。
「お前たちの立っているこの大地は我らの祖国。我らの後ろにいるのは戦うすべを持たぬ同胞たち」
一旦言葉を切る。アルジャーク軍が動き出した。
「戦って戦って戦って!一縷の希望を奪い取れ!!」
剣を抜き、高く掲げる。
「全軍、突撃!!」
オムージュ軍はまずアルジャーク軍の主翼とぶつかった。
オムージュ軍は押して押して、押しまくった。全軍十二万、もとより全て死兵。防御を捨てただひたすらに前進した。
アルジャーク軍の前衛付近で炎が上がり紫電が輝く。オムージュの魔導士部隊だ。あちらこちらで爆発が起こり、そのたびにアルジャーク軍は一歩後退し、オムージュ軍は一歩前進した。
アルジャーク軍の両翼が戦いに加わってもその勢いはとまらない。オムージュの兵たちは戦意というよりは狂気に満ちて前進した。
ある者は腹を貫かれながらも相手の胸を突き刺しそのまま死んだ。腕を切り落とされながらも戦う兵士がいる。文字どおりはいつくばって進み敵兵を押し倒すものがいる。
「足を止めるな!狙うは大将の首ただ一つ!」
エルグも馬上で槍を振り回し、剣をふるって戦った。戦いながら全軍を鼓舞し、一つにまとめ上げてアルジャーク軍に叩きつけてゆく。
「魔導士部隊、一斉攻撃!」
彼の指揮に従って、魔導士たちが火炎弾を投げつけ雷を放つ。さらに魔剣や魔槍を装備した者たちが敵陣に突っ込んで綻びをつくる。
「弓隊、放てぇぇぇ!!」
無数の矢が飛来し、アルジャーク軍の綻びを大きくしていく。そこにエルグはすかさず突撃を指示する。
アルジャーク軍の隊列に綻びを見つければ、歩兵を差し向けそれを大きくし、騎兵を突撃させてこれを破る。整然と抵抗を試みられれば、魔導士部隊の一斉攻撃で無理にでも後退させる。
戦力の出し惜しみなどしない。むしろこれでも足りないくらいだ。現状、足りない分はここの兵士たちが死力を尽くして補っている。それは指揮官たるエルグにも同じことが言えた。
(だが、そう長くはもつまい・・・・・)
しかし、エルグは冷静さまでは失っていなかった。こんな状態がいつまでも続くわけがないと見切りを付けている。それはアルジャーク軍を率いているアレクセイ・ガンドールにしても同じだろう。
(一刻も早くこれを突破せねば・・・・・!)
声を張り上げ、兵士を鼓舞する。
「オムージュ軍主将エルグ・コークス殿とお見受けする!その首、頂戴いたす!」
一人のアルジャークの騎兵がエルグに向かって突進してくる。その騎士に向かってエルグは馬首を向けた。互いが互いを正面に捕らえ、その距離を縮めていく。雄叫びを上げ、戦斧を振り上げるアルジャークの騎士に対し、エルグはひたすら無言であった。しかし彼の目はどんな諸刃の剣よりも鋭く敵を見据えている。
二つの騎影が一瞬重なり、そしてすぐに離れた。二人の騎士の姿は対照的であった。一人は槍で喉を貫かれ既に絶命している。もう一人は肩当てを飛ばされているが、それ以外はまったくの無傷である。
生き残った騎士、エルグ・コークスは別の槍を手にすると、すぐに一人の騎士から主将へと戻り、全軍の指揮に当たった。彼の勇姿をみて、兵たちの士気はさらに一層上がっている。
また一歩また一歩とオムージュ軍は前進し、同じだけアルジャーク軍は後退していった。
「押されているな」
本陣から戦況を眺めて、レヴィナスは不満そうにそう呟いた。
オムージュ軍の勢いが凄まじい。いま敵軍は凸の形で猛然と攻め立てており、友軍はそれを凹形で受け止めるという具合になっている。
戦場のあちこちで爆発が起こり、閃光が走り、炎が上がっている。そしてそのたびにオムージュ軍は、アルジャーク軍の中央部(主翼)を後退させこの本陣に近づいてくる。
「敵軍は魔導士部隊を多く引き連れてきたようです。まぁ、彼らにすれば祖国の興亡のかかった戦いですならな」
本来、魔導士部隊は「虎の子」だ。それは彼らが特殊で高度な訓練を受けており、そう簡単に補充の利く人員ではないからだ。
逆を言えば、その虎の子の魔導士部隊を大量に投入しているということは、いかに彼らがこの戦いに全力を傾けているかを物語っている。
「とはいえそれも予想のうち。ご心配めされるな」
「心配などしていない」
アレクセイの物言いにレヴィナスは不快げに反応した。
戦況が動いたのはそれからしばらくしてのことだった。オムージュ軍はアルジャーク軍を押し込んでいき、ついにアルジャーク軍の陣形はU字となった。
アレクセイが動いたのはまさにそのときであった。
「発光弾、黄!」
すかさず部下の一人が、長さが三十センチくらいの筒型の魔道具を空に向けて構え魔力を込めた。黄色い光の発光弾が空へと上がる。そしてそれは戦場に劇的な変化をもたらした。
アルジャーク軍の主翼が動きを止め、初めてオムージュ軍の突撃を防いだ。さらに数千の矢の雨を降らせ進軍の速度を落とす。同時に両翼が前進しオムージュ軍を半包囲していく。
「発光弾、赤!」
アレクセイが再び指示をだし、今度は赤い光が上がった。
次の瞬間、戦場、オムージュ軍の只中にいくつもの火炎弾が打ち込まれた。それだけではない。雷が鳴り響き、暴風が吹荒れ、氷刃が舞った。
続けて近接戦闘用の魔道具を装備したアルジャークの魔導士たちが、敵陣に踊り込み縦横無尽にその力を振るう。
今まで温存されていたアルジャークの魔導士戦力は、これまでやりこまれていたその憂さを晴らすかのように存分にその威をふるった。
魔導士たちが穿った穴に無数の矢が打ち込まれ、さらに騎兵隊が突撃してゆく。騎兵に攻撃を集中しようとすると、長槍を持った兵士たちがそれを阻んだ。
もはや戦場の流れは逆転した。アルジャーク軍は半包囲の陣形をさらに縮めながらオムージュ軍を追い詰めていく。それでもなおオムージュ軍は前に進もうとした。だが正面からは押しもどされ、さらに左右から交互に叩かれて損害ばかりが増えてゆく。
オムージュ軍を率いる勇将エルグ・コークスは敗北を悟った。
戦況の推移事態は彼の推測したとおりだった。正面からの突破を試みる限り、数において上回るアルジャーク軍はこちらを包囲する形になるだろうと思っていた。そして実際そのとおりになった。
包囲陣形を敷けば、一点の密度は薄くなる。そこを全力で突破するつもりだった。
(牙とどかず、か・・・・)
悔しさは感じない。その前にやることがある。
腰の辺りに付けておいた筒状の魔道具を掲げ魔力を込める。三色の信号弾が同時に上がった。撤退の合図だ。
撤退信号をうけ、オムージュ軍は唯一包囲されていない後方へと下がり、戦場からの離脱を開始した。それにつられるようにアルジャーク軍は、撤退するオムージュ軍を追いかけ追い討ちをかけようとする。
アルジャーク軍の両翼が伸び、中央部の密度が下がった、その瞬間―――。
「―――!」
エルグは駆けた。彼は何も言わなかった。そして何も命じなかった。だが、ただ一騎で敵陣へと駆けるその姿をみて、近くにいた兵士たちは自分たちの将の後を追い、駆けた。
まさに絶妙のタイミングで突撃を仕掛けたその一団は、ついにアルジャーク軍の鉄壁の包囲網に生じた小さな綻びをついに突破した。
エルグと共に最後の突撃を仕掛けた兵の数はおよそ三千弱。後ろから爆音が聞こえた。追撃しようとしたアルジャーク軍を魔導士部隊がけん制してくれたのだろう。
何も言わずともこれだけの兵が付いてきてくれた。それも撤退の最中に、だ。そしてそれを援護してくれる味方がいた。
つくづく自分は部下に、味方に恵まれた。そうエルグは思う。
眼前には最後の敵。アルジャーク軍の、恐らくは最精鋭の騎兵。その数およそ一万。
エルグは剣を振りかざし、最後の命令を下した。
「敵将の首をとり、我らの祖国を守れ」
息をいっぱいに吸う。
「突撃ィィィィィィイイイ!!」
オムージュ軍の最後の死兵が一団となって迫ってくる様子をアレクセイは見た。
「敵ながら見事・・・・・!」
全身の血がたぎる。顔には笑みが浮かんでいるのかもしれない。知らず、レヴィナスよりも前に出た。
「これより戦場を駆け抜け、敵将を討ちまする。殿下はここに残られよ」
うむ、とレヴィナスは応えた。それを聞き、アレクセイは手元に残っている全軍を率いて駆け出した。
このときの様子を歴史書はこう記している。
「皇太子の傍らには一兵も残らず」
アレクセイの聞いたレヴィナスの声はいつもと同じように思われた。だから彼は振り返らなかった。故に、彼は知らない。このときレヴィナスが青白い顔をしていたことを。
オムージュ軍はアルジャーク軍とほぼ互角に戦った。弱兵と侮られていた兵士たちが、精強を誇るアルジャーク軍の最精鋭の騎兵、しかも三倍ちかい数を相手に互角に戦ったのだ。
このときのことをアレクセイは後日こう述懐している。
「あの時敵にあと千の兵がいたら、負けていたかも知れぬ」
アルジャークの至宝と呼ばれた名将のこの言葉から、オムージュ軍の、いや勇将エルグ・コークスと彼に従った決死隊の奮戦の凄まじさが窺える。
当初、両軍は互角に戦っていた。だが、徐々に決死隊が押され始める。当然といえば当然だ。力と体力を温存していたアルジャーク軍に対し、決死隊は戦いにはじめから加わっており、一兵として無傷の兵はいなかったのだから。
一人、また一人と倒れていく。
エルグも馬から落とされ倒れた。全身傷だらけで、もはやどれが致命傷かも分からない。体が温かいのは流れた血のせいか、あるいは大地の熱のおかげか。
兵たちはうまく撤退できただろうか。敵将は討ち取れなかったが、ここで戦ったことで一人でも多くの兵が命を拾っていれば、この戦いには意味があったと思う。
手を動かし、青々とした草に触れる。
豊かな大地だ。この大地のおかげで人々は餓えることなく暮らして行ける。それはとても幸せなことだと思う。
それを守りたかった。できることならばこの手で。
歴史書にはこの戦いの結末についてこう記されている。
「決死隊、一兵も帰らず」
ローレンシア会戦は終結した。
エルグの首は蝋蜜漬けにされてオムージュの王都ベルーカの王宮に送りつけられた。体のほうは鄭重に葬られている。アレクセイが武人の礼を示したのだ。
蝋蜜漬けにされた勇将エルグ・コークスのくびを見た王宮の廷臣たちは色を失った。国王たるコルグス・オムージュも同様であった。痛み出した胃を押さえながら彼はついに決断した。
「もはやアルジャークに抗する手段はない。かくなる上は降伏をもって民の安息を守らん」
降伏は早すぎると思った廷臣たちもいたが、反対するなら対案を出さねばならない。事態がここにおよぶと、誰も責任を取りたくなかった。
それに誰もがわかっていた。もはやアルジャーク軍をとめるだけの戦力はない。武力を背景にした交渉ができない以上、アルジャーク側から譲歩を引き出すことは不可能だ。
コルグスより命が出された。降伏する旨をしたためた正式な書簡が作成され、それがアルジャーク軍に届けられた。
こうしてオムージュも陥落した。