時間は少し遡る。
アルジャークがモントルムに国交断絶を突きつけ、事実上の宣戦布告を行ったとき、その報はモントルム経由で同盟国であるオムージュにも届けられた。
アルジャークの真の目的がオムージュであり、モントルム侵攻はその布石であると誰もが理解していた。
とはいえこの時点では、オムージュの王都ベルーカに揃った廷臣たちは状況をまだ楽観視していた。
モントルムに侵攻したアルジャーク軍は六万。これならばダーヴェス砦に四万の兵を集めれば十分に足止めが可能である。その間に援軍を送ってもらえばオムージュに侵攻してくるアルジャーク軍の本隊を追い返すことができるであろう。
それがダーヴェス砦はあっさりと陥落してしまった。それはモントルムがオムージュに対して援軍を送れない可能性が跳ね上がったことを意味している。
王都ベルーカの城中は、この事態の急変に際しにわかに騒がしくなった。
「かりに援軍が来なかったとして、我が軍はアルジャークに勝てるのか・・・・・?」
「バカな。ただでさえオムージュの兵はアルジャーク兵に劣るのだ。同数でも勝つのは至難だぞ」
「宣戦布告と同時に和平交渉を行ってはどうか。十州もくれてやればアルジャークも矛を収めるのではないか」
「そしてまた別の機会に、その無傷の矛を突き立ててくるでしょうな」
そう冷静に言い放ったのはオムージュの将軍エルグ・コークスであった。武人らしいその簡潔な物言いに一同は黙った。
彼らとて分かっているのだ。ここでオムージュがなにもしなければ遠からずモントルムはアルジャークに併合されるだろう。さらに和平のために十州を割譲したとすればアルジャークの国力は百六十州となる。そうなれば国力を六十州に減らしたオムージュに抗する手段など無い。
「それに奴らが望んでいるのはこのオムージュの大地全て。十州で和平に応じるとは思えませんな。援軍が来ないのならなおのことです」
あまりの正論に反論が出ない。
「・・・・・いっそのことアーデルハイト姫をレヴィナス皇太子に嫁がせてはいかがか?」
アーデルハイト・オムージュは国王コルグス・オムージュの一人娘で今年十九になる。美姫として周辺各国に知られており、コルグスの一人娘でなければあるいは既にどこかに嫁いでいたかもしれない。
アーデルハイトがレヴィナスに嫁ぎその子供がゆくゆくはアルジャーク帝国の皇帝となれば、長い目で見た勝利ともいえる。
「このタイミングで受けるかどうか・・・・・。それにレヴィナス皇太子率いる軍がすでに動いていると聞く。かのアレクセイ・ガンドールも同行しているとか」
「さよう。仮にアルジャークがその話を受けたとしても、我々の思うような結果となるかどうか・・・・・」
彼らが恐れているのはオムージュの民に不幸が降りかかることではない。アルジャーク主導でオムージュの再編が行われた結果、自分たちが権力の座から遠ざかることを恐れているのだ。
妙案はでない。いや、リスクを恐れ選択することができない。結局、一戦交える準備をしつつも外交努力を続けるという、ありきたりな結論に落ち着くこととなった。
アーデルハイトはテラスから城の中庭を眺めていた。かといって庭に興味があるわけではない。いや、彼女はなにに対しても興味を抱くことが無かった。
近々アルジャークと戦端が開かれるらしい。が、特に気になるわけでもない。いや、彼女にとってはこの国の行く末さえもどうでもよいことであった。
(なんとこの世界はつまらないのだろう・・・・・・)
恋い焦がれるものが欲しい、と思った。人でも、モノでも、芸術でもなんでもよい。我を失うほどに夢中になれるものが欲しかった。
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国交断絶(事実上の宣戦布告)がなされたとの報が共鳴の水鏡を通してリガ砦にもたらされると、レヴィナスはすぐに指示を出し全軍を出立させた。
国境を越え、オムージュ領に入っても敵軍の姿はどこにも見当たらなかった。また先行して潜り込ませている斥候からもオムージュ軍を発見できていない。それはつまりモントルムからの援軍がまだ到着していないことを示している。
「クロノワ殿下はうまくやっておられるようですな」
アレクセイは誰にともなく呟いた。
「今はまだ、な。大方アールヴェルツェがうまくやっているのだろうよ」
そう言うレヴィナスの声からは、腹違いの弟を気への気遣いは感じられない。未だに彼にとってのクロノワの存在は、無意識に忘れ去ってしまえるほど小さいものだった。
「それよりも先を急ぐぞ。あれがいつまで援軍を抑えていられるか分からないからな」
オムージュ軍がいまだ現れないとはいえ、レヴィナス率いる十四万の軍は無人の野を往くわけではない。行く先々には村があり街があり、そしてそこには人々が生活している。
レヴィナスは配下の軍勢に一切の強奪と暴行を禁じ、アレクセイもそれを支持した。まあ、アレクセイはともかくレヴィナスが強奪および暴行を禁じた理由は、単純にその行為が美しくなく、彼の趣味に著しく反しているからである。政治的な配慮とは無縁のところでオムージュの民は人災を免れたのであった。
オムージュからの使者が到着したのはアルジャーク軍が国境を越えてから三日目のことであった。
フェンデル伯爵を筆頭にして大使は全部で六人。大使たちは甲冑の代わりに装飾過多な絹の礼服を身にまとい、一兵の兵も連れることなくアルジャーク軍の陣にやってきたのである。
「われらにどのような罪があってアルジャークは此度の遠征に及ばれたのか」
フェンデル伯爵は鋭く研ぎ澄ました剣の切っ先を突きつける代わりに、十分に油をしみこませてきたその舌を必死に回転させた。
儀礼的で中身の薄い言葉を数百秒ほど聞いた頃、レヴィナスは飽きた。
「そなたらの罪は唯一つ。この美しき大地を汚したことだ。その罪に罰をくれてやるまでのことだ」
滑らかに回転を続けるフェンデル伯爵の舌の運動を遮ってレヴィナスは言い放った。伯爵は一瞬絶句した後、先ほどまでの倍のスピードで舌を回転させ始めた。
が、すでにレヴィナスは興味を失っている。大使たちが着込んできた礼服が彼の趣味に合わなかったのも一因かもしれない。既に席を立ちフェンデル伯爵たちには背を向けていた。同席していたアレクセイもまた、このような小細工でこれ以上時間を浪費することに、なんら意味を見出さなかった。
「大使たちのお帰りだ!」
大使たちは絹の衣ではなく鋼の甲冑を身にまとった非友好的な兵士たちに、両脇から抱えられるようにして立たされレヴィナスの前から連れて行かれた。彼らは馬の鞍に括り付けられ、馬の尻を槍の柄で叩かれ望まぬ帰路につかされることになったのである。
彼らの悲鳴と共に、オムージュの望む平和的な解決も遠ざかっていった。
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「もはや一戦避けることかなわず!」
フェンデル伯爵らが何の成果もなく帰ってきたことでオムージュの王宮は一気に主戦論に傾いた。しかしそこは腐っても政に関わる集団、熱狂的な雰囲気に呑まれて「玉砕あるのみ」の単純思考には陥っていかない。政府が政府としてまともに機能しているといえるだろう。
「しかし戦うとしてなにを目指して戦うのだ?」
「緒戦に勝ち、そのまま講和に持ち込む。これしかありますまい」
「しかし相手が受けるかどうか・・・・・」
「その際にアーデルハイト姫との婚約の話を持ち出せばよいのではないか?アルジャークとしてもオムージュを合法的に手に入れることができ、王家の血統も残る。この辺りが程よいおとしどころだと思うが・・・・・」
一同は頷いた。そうすれば王家の血筋と共に彼らの発言力も残るだろう。緒戦に勝ち有利な状態で和平交渉に入れるのだから。
今後の方針が決まりオムージュ国王コルグス・オムージュの了承を得て、城中はにわかにあわただしくなってきた。
既にエルグ・コークスをはじめとするオムージュの将たちは、軍を集め準備を整えている。その数十二万。十四万のアルジャーク軍には及ばない。また、ことここに及んではモントルムからの援軍も期待できない。勝てる見込みは低いと言わざるを得ない。
「数で劣り、兵の質で劣る。がここは我らの祖国。いかにアルジャークの兵が精強を誇るとはいえ、そう易々と負けてやるつもりはないぞ」
弱小と侮っているならばそれでよい。その驕りに最大限付け込むまでだ。
壮絶な決意を胸に秘め、勇将エルグ・コークスは全軍に出陣を命じた。