ダーヴェス砦降伏の報はモントルムの王宮を激震させた。廷臣たちは慌てふためき、意味もなく右往左往した。
「なんと言うことだ・・・・・。ダーヴェス砦がこうも簡単に落とされるとは・・・・・」
彼らの戦略を一言でいえば「負けないこと」であった。勝つ必要はない。砦に兵を集めアルジャーク軍を足止めし、その間にオムージュに援軍を送る。オムージュに侵攻する本隊さえ押し返せば、モントルム側に来ている敵軍も連鎖的に撤退するはずであった。
それがこうも簡単に砦を落とされてしまった。王都までの間には兵を配置し敵を防ぐための城郭は存在しない。仮に戦うとすれば野戦となる。
今現在、モントルムは少々無理をして五万の兵を王都に集めている。これは元々オムージュに援軍として送るつもりだったのだが、ダーヴェス砦をアルジャーク軍に落とされ議論が割れてしまった。
今、モントルムの王宮には三つの主張がある。
一、最初の思惑通りオムージュに援軍を送る。
二、アルジャーク軍に対して野戦を仕掛ける。
三、降伏する。
どの案もモントルムにとっては苦渋の選択となる。オムージュに援軍を送れば王都が空になり進攻してくるアルジャーク軍に落とされてしまう。かといって野戦を仕掛けても勝てる見込みはほとんどない。それに援軍を送らなければオムージュが負けてしまい、それはモントルムも滅ぶことを意味している。かといって降伏すれば全てが終わってしまう。
議論は白熱しそして一向にまとまらない。時間だけが無為に過ぎていった。
事態が動いたのはダーヴェス砦が降伏してから二日後のことであった。モントルム方面進攻軍司令官クロノワ・アルジャークから共鳴の水鏡を用いて通信が入ったのだ。
**********
「お初にお目にかかります。この度アルジャーク軍の司令官を務めているクロノワ・アルジャークです」
「モントルム王、ラーゴスタ・モントルムである」
共鳴の水鏡を用いてではあるが、二人の始めての対談は上のような差障りのない挨拶から始まった。
「ご存知のことと思いますが、ダーヴェス砦は既に我が軍の手に落ちています。この先、王都までの間に我々を防ぐための城郭はモントルムにはありません」
「承知している」
圧倒的に不利な情勢にあるにもかかわらず、ラーゴスタはそれをおくびもださぬ。泰然と言った。このあたりさすが一国の王と言うべきであろう。
「単刀直入に言います。降伏しませんか?」
「・・・・・・・」
ラーゴスタはなにも言わなかった。それを気にするでもなく、クロノワは続ける。
「オムージュに援軍を送ってしまえば王都ががら空きになります。かといって我々に野戦を挑んでもモントルムに勝つ見込みはほとんどない。そもそも援軍を送らなければオム―ジュ軍は負けるでしょうしね。とすれば残る道は降伏のみだと思いますが?モントルム王陛下」
クロノワの言っていることに間違いはない。が、言葉の端々に勝者の余裕とでも言うべきものが感じられ、それがラーゴスタの癇に障った。
(小僧が・・・・・)
苦々しく胸のうちで呟く。無論、表には微塵も出さない。
「降伏、ですか。無論そういう選択肢もある。しかしそう軽々しく選んでよいものでもない」
「すでに出ている答えを無視するのは賢明とはいえません」
「さて、我々としても意見をまとめている最中。今しばらくお時間を頂きたい」
「英断を期待しています」
そういって通信は終了した。
**********
「世間知らずの小僧が。既に勝った気でおるらしい」
通信が終わるとモントルム王ラーゴスタ・モントルムはそう苦々しく吐き捨てた。あんな小僧にしてやられたのかと思うと本当に腹立たしい。
「陛下、いかがなさるのですか・・・・・?」
廷臣の一人が恐る恐る声をかける。ラーゴスタは目を閉じ一つ息をついた。目を開けたときにはすでに落ち着いている。
「主だったものを集めよ。今後の方針を決めるぞ」
「もしや本当に降伏なさるのですか?」
ニヤリ、と笑ってラーゴスタはその考えを否定した。
「愚か者に、政のしたたかさを教えてやるのだ」
会議室に集まった主だった面々に対してラーゴスタはまずこういった。
「降伏はしない」
さらに、軍をどう動かすかについては、
「五万の兵を集め、オムージュに援軍として送る」
といった。
オムージュに援軍を送りアルジャーク軍を押し返し、その戦力を持ってモントルムを回復する。結局一縷の望みを託すならそうするしかないのだ。
五万の援軍を送ることができればオムージュ・モントルム連合軍の兵力は十七万となり、数の上ではアルジャーク軍十四万を上回ることができる。しかしそれでも負けないかどうか微妙なところである。それほどまでにアルジャークの兵は強い。
「しかし、ダーヴェス砦のアルジャーク軍がどう動くか・・・・・・」
それが問題だった。五万の兵を整えるにはまだ時間がかかる。その間に今ダーヴェス砦にいるであろう六万の敵軍に動かれてしまうと援軍を送るに送れなくなってしまう。そうなれば滅亡あるのみだ。
「そこで、共鳴の水鏡を用いて奴らと交渉を行う。降伏を前提にすれば乗ってくるだろう」
ラーゴスタは自信をのぞかせてそういった。
しかし会議室に集まった面々は懐疑的だ。
「共鳴の水鏡で降伏交渉を行うなど、聞いたことがありませぬ」
このような交渉であるならば、本来は双方の代表者が条件を書面にしたためて交換し合い、さらに直接言葉を交わして条件をすり合わせていく、というのが本来のやり方だ。そうでなければ合意文章を作成することができないのだから。
「もとより奴らのほうから共鳴の水鏡を用いて降伏を勧めてきたのだ。問題あるまい」
それこそが、ラーゴスタがクロノワを若輩者の世間知らずと侮ったもっとも大きな要因なのだ。
「しかし、交渉が早くまとまってしまったらいかがいたします?」
「とぼければよい」
事もなさげにラーゴスタは臣下の問いに答えた。
もともと共鳴の水鏡を用いて交渉を行うということ事態が非常識なのだ。それに交渉がまとまったとしても当然合意文章など存在しない。ならばとぼけることは十分に可能だ、とラーゴスタは考えたのだ。
彼が考えた作戦を要約するとこのようになる。
つまり、一方では降伏を前提とした交渉で時間を稼ぎ、他方では援軍を整えオムージュへ向かわせるのである。しかも降伏交渉がまとまっても合意文章がないのを盾にとぼけて知らぬ存ぜぬで通す。
詐術のような作戦である。しかしモントルムが生き残るにはそれしかないように思われた。ラーゴスタがさらに意見を求めると一人の臣下が立ち上がった。
「オムージュへの援軍としては親征となさるのがようでしょう」
つまりはラーゴスタ自信が総司令官として軍を率いるということだ。
ラーゴスタは黙って先を促した。
「援軍を送ればそれはアルジャーク軍も知るところとなります」
そうなれば彼らは王都オルスクを目指して進軍してくるだろう。そのときには王都には戦力と呼べるものはなく、降伏するほかない。そのときラーゴスタがアルジャークに捕らえられてはもともこもない。
「ですか陛下がご健在ならば、オムージュよりアルジャーク軍を追い返した後、モントルムを回復するのが容易になりましょう」
軍を催すにしてもラーゴスタが先頭に立てば兵の士気が上がるだろう。あるいはオムージュに亡命政権を立てて民衆に決起を呼びかけてもよい。彼さえ無事ならばとるべき手段は幾らでもある。
ラーゴスタは機嫌よく頷くとその案を採用した。
「アルジャークの小僧が。目に物見せてくれようぞ」
**********
「・・・・・といったあたりで向こうの議論は落ち着いているところでしょうかね」
そういってクロノワは今モントルムの王宮でなされている会議の内容をほぼ正確に言い当てて見せた。
「それよりも、グレイスにはまた貧乏くじを引かせてしまいましたね。申し訳ないです」
そうクロノワに言われ、ダーヴェス砦の居残り組みを指揮することとなったグレイスは笑った。
「いえ、そんなことはないですよ。殿下の悪巧みがうまくいくか興味もありますし」
「悪巧み、ですか。なるほど、言いえて妙ですね」
グレイスの評価にクロノワも笑った。そして窓の外に視線を転じる。砦から王都に通じる街道が見えた。
「アールヴェルツェ、よろしくたのみましたよ・・・・・」
次の日、共鳴の水鏡に通信が王宮から入った。相手はまさに官僚といった感じの男で外務次官と名乗り、和平交渉を行いたいと申し込んできた。この交渉に関しては全権を委任された大使であるという。
「降伏」という言葉を使わなかったのは国の全てをくれてやるつもりはないという意思表示で、裏を返せば条件を渋って交渉を長引かせようという腹なのだろう。
「ご英断ですね。これで双方共に無駄な血を流さずに済みます」
「ええ、ラーゴスタ陛下も同じように仰せでした」
「最初に言っておきますが、我々としては長々と交渉を行うつもりはありませんので」
「承知しております」
そういわれても外務次官の仕事はこの交渉をできるだけ長引かせて時間を稼ぐことだろう、と既にクロノワはあたりを付けている。そしてそれは彼にとっても好都合なことだ。それでも「交渉を長引かせるつもりがない」と警告しておいたのは、一応の保険と今後の布石だ。
(さて、口先八丁でどこまで時間を稼ぐのでしょうね・・・・・)
クロノワとしてもこのような交渉の席に着くのは初めてだ。茶番劇とはいえそれなりに本気でやってくれるだろう。是非とも今後のために経験値を稼がせてもらおうと思う。この先彼が公人として活動するにはそれがきっと必要になってくるのだから。
「それでは早速交渉に移るとしましょう。モントルム側の条件を聞かせていただけますか」
「国土より三州をアルジャークに割譲します。それで軍を引いていただきたい」
三州とはいえ、彼らにとっては国土の十分の一である。それなりに、それらしい条件を用意してきたらしい。
「三州、ですか。ちなみにどこでしょう」
大使が地名を挙げる。
「わが国と国境を接していないばかりか、三州それぞれも飛び地ではありませんか。これでは頂いても困るばかりです」
「ですが提示しました三州はどれもモントルムでは肥沃な土地ばかり。必ずや気に入っていただけるものと自負しております」
クロノワは一つ頷くと、今度はアルジャーク側の条件を提示した。
「モントルムの保有する領地のうち北側十五州をアルジャークに割譲し、さらに今回の遠征の戦費を全額モントルム側が負担する」
クロノワの提示した条件にモントルム大使は少なからず動揺したようだ。
「そ、それは無茶というものでしょう」
「ですがここで和平が成らなければモントルムとしては最悪の結果になってしまいますよ?ならばたとえ国土が半減しようとも国家を存続させることを最優先させるべきではないでしょうか」
大使は顔を歪め、葛藤を表現した。
(あれが演技だとしたら大層な役者ですね・・・・・。なぜ役人なんてやっているのでしょう・・・・・?)
役者になればいいのに、とクロノワは目の前の男のした職業選択に身勝手な文句を付けた。
数泊の沈黙の後、大使が口を開いた。
「・・・・・提示いただいた条件は当方が考えていたものよりも重大です。今しばらく考えるお時間を頂きたい・・・・・」
搾り出すようにしていう。しかしクロノワは騙されない。
(うまく時間が稼げると腹の中では笑っているのでしょうね・・・・・)
が、それは元々織り込み済み。
「わかりました。賢い決断を期待しています」
こうして交渉初日は終わった。
**********
最初の交渉から既に数日が経過している。
「交渉にまったく進展が見られませんね。いえ、最初から予想済みのことですが・・・・・」
そう言いながらもグレイスは不満げだ。軍人である彼女からしてみればこういう時間稼ぎは気に入らないどころか唾棄すべきものなのだろう。
「あちらはきっと喜んでいるのでしょうね・・・・・」
思いのほか時間が稼げて、とクロノワは皮肉っぽく言った。グレイスの言ったとおりこの展開は予想済みのものだが、それでも遅々として進まない交渉をだらだらと続けるのは疲れるばかりでまったく報われない。さすがのクロノワもストレスがたまり始めている。
すでにオムージュへの宣戦布告がなされているはずだ。モントルムには「援軍を早く送れ」と矢の催促がされているはずだ。
「とはいえアールヴェルツェがそろそろ着く頃ですね。あとはあちらに任せるとしましょうか」
**********
モントルム国王ラーゴスタはほくそ笑んだ。全ては彼の思惑通りだった。
「そうかそうか。アルジャークの小僧め、イラついてきおったか」
「はい。さすがに怒鳴りはしませんでしたが苛立ちは隠せない様子でした」
和平交渉はまったくといって良いほど進んでいない。それはアルジャークにとっては無為に時間を浪費したことを意味し、またモントルムにとっては援軍を整えるための時間を稼いだことを意味している。
「オムージュに送る援軍はどうなっておる」
「は、近いうちに準備は完了します」
オムージュからは「早く援軍を送ってくれ」と連日催促されている。そしていわれるまでも無くラーゴスタはそのつもりであった。決戦に遅れてしまっては、愚か者として歴史に名を残すことになる。
(それはアルジャークの小僧だけでよい)
自分はこの危機からモントルムを救った英雄として歴史に名を残そう。そうなるであろうはずの未来を思い描いて、ラーゴスタはもう一度ほくそ笑んだ。