大陸暦一五六三年、このところのクロノワの評価は一時期に比べかなり改善されたといえる。その理由は彼が二年前、十九才のときに行った視察の旅に由来している。
視察、といっても大半の人間の意見が一致している通り左遷であったから、真面目にやる必要などない。テキトーに国内を回り、「皇子」の肩書きに物言わせて各地で豪遊を楽しんでもよかった。
が、クロノワはそれをよしとはしなかった。視察に訪れた各地を丹念に調べ、宮廷に詳細な報告書を上げた。その簡潔明瞭でなおかつ核心を突いた文章は、名文として後世でも高い評価を得ている。
その文章を読んだ者たちは一様にして感嘆の声を漏らしたという。各地の問題を客観的かつ多角的に分析し原因を抽出、そして現状に基づき実現可能な解決策を提案している。その文章は簡潔で回りくどくなく、誤解の余地がない。
「なかなかどうして、できるお方のようだ」
アルジャークには武官だけでなく文官にも実力主義の気風が根付いている。だからといって若輩者や成り上がり者に対する反発がなくなるわけではないが、今回はそれがいい方向に働いたようだ。
少しずつ政に関わるようになったクロノワは、もともと能力があったのだろう、すぐに頭角を現した。治水事業や新たな土地の開墾、盗賊団の討伐。この二年間、彼は実に多くの経験をした。
そして今、また新たな経験を積もうとしている。戦争という経験を。
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その日、クロノワは宮廷の一室でアールヴェルツェと会っていた。グレイスもいる。視察が終わってから彼女の評価も上がり、アールヴェルツェの幕僚の中でも一目おかれるようになっている。
「先日、モントルム出兵の指揮を執るよう陛下から内密に命を頂きました」
「・・・・・!」
クロノワの口調はいつもと変わらない。しかしその内容は衝撃的だ。
モントルムはアルジャークの南方に位置する小国だ。アルジャークが百二十州を保有しているのに対してモントルムの国土は三十州。1つの州の大きさはまばらだが、平均すると国土面積や国力はおおよそ州の数に比例する。つまりアルジャークはモントルムの四倍ちかい国土と国力を保有していることになる。
「ではついにオムージュに出兵するわけですね」
オムージュはアルジャークの西南、モントルムの西に位置しており、その国土は七十州。オムージュの大地は肥沃で、冬の長いアルジャークからすれば魅力的な土地だ。歴史の中で両国の国境線が書き換わったことは多々あるが、オムージュとモントルムが同盟を結んでからは国境線の変更は一度もない。オムージュとモントルムの国力をあわせれば百州となる。アルジャークの兵は精強をもって知られており、同盟を結んでも勝つことは至難だ。しかし、負けないように戦うことは十分に可能であり、現にアルジャークはこれまでオムージュとモントルムが同盟を結んでから勝ちきれたことがない。
しかし、オムージュそしてモントルムを手に入れるための戦略がここ最近、形になり始めていることをアールヴェルツェも知っていた。
「レヴィナス兄上が十四万を率いてオムージュとの国境付近に展開、オムージュ軍をひきつけます。その間に我々は六万の軍を率いモントルムを攻略、さらにオムージュの国境を脅かす。というシナリオらしいです」
「オムージュとモントルムの軍を別々に叩く、というわけですな」
14万の大軍が国境付近に展開していれば、オムージュもそれにあわせて国境に兵を集めざるを得ない。そうしてモントルムへ援軍を出させないようにし、またオムージュ軍がアルジャークへ侵入しないようにするのだ。
「つまり、レヴィナス殿下の軍が本命というわけですか」
グレイスは面白くなさそうだ。
クロノワがモントルムを攻略すると同時に、レヴィナスがオムージュ攻略に動く。当然こちらのほうが功は大きい。グレイスはそれが面白くないのだろう。
そんな彼女に苦笑しながらクロノワは説明を続ける。
「我々の目的はモントルムだけではありません」
「どういうことですか?」
「陛下は『南を制圧せよ』と仰せになりました。恐らく、ヴェンツブルグも目的の内です」
独立都市ヴェンツブルグはモントルムの東端に位置している。宗主国はモントルムだが、独立した主権を所有している。
「不凍港が欲しい、ということですな」
アルジャークにも港は幾つかある。しかし、皆冬になると凍り付いて使い物にならなくなるのだ。年間を通して使用できる不凍港はアルジャークの悲願であるともいえる。
「陛下は大陸の東側を、そしてそれ以上をお望みなのでしょう」
そういってクロノワは目を閉じた。短い沈黙が場を支配する。
「モントルム攻略に際しては、どのように兵を動かしますか?」
話題を実務に引き戻したのはアールヴェルツェだ。
「兵は6万といいましたが、内訳はどうなっています」
大雑把な内訳は歩兵三万、騎兵三万。これに補給部隊などが加わる。魔導士部隊は今回は加わっていない。
「モントルムのダーヴェス砦までは、歩兵に足を合わせなければなりません。六万では少々きついですね」
そういってグレイスは渋い顔をした。
モントルムの常備軍はおよそ四万。北のアルジャークとの国境に一万、南の国境に一万、そして王都オルスクに二万だ。ただし、国境付近に配置されている警備郡はその地方の治安維持もかねており、常に砦に一万の兵がいるわけではない。これ以外にオムージュとの国境境にはまとまった兵はいない。ただし、これは通常の動員令に基づくもので、戦時召集をかければそれほど無理をせずともさらに四万の兵を集めることができる。北側で二万、南側で二万だ。
一度宣戦布告がなされればモントルムはダーヴェス砦に兵を集めるだろう。まず王都から援軍として一万、そして周辺から二万の兵が集まってくる。合計で四万。
「四万の兵に堅牢を誇るダーヴェス砦にこもられると厄介ですよ」
正面からダーヴェス砦を攻め落とすならせめて倍の八万は欲しい。六万では少々厳しい。攻めきれないだろう。
「一応、策はあります。聞いてもらえますか」
そういってクロノワは自分が考えた策を二人に話した。それを聞いたアールヴェルツェは腕を組んで唸った。
「奇策、ですな。いつも使えるわけではない」
「ですが今回に限れば・・・・・」
独り言のようにグレイスは呟いた。いま彼女の頭の中では実際に兵が動いているだろう。
「あらかじめ国境付近に兵糧を準備しておけば、かなり自由に動き回れると思います」
グレイスの意見にアールヴェルツェも賛成した。
「ではその方向で準備しましょう。次は・・・・・」
着々と、準備は進む。