舞台は客間に移る。
ラクラシア家の客間には五人の男がいた。三家たるガバリエリ家、ラクラシア家、ラバンディエ家のそれぞれの当主、レニムスケート商会の首領(ドルチェ)、そして「例の男」。今回のバカ騒ぎの中枢が一堂に会したのだ。ちなみにリリーゼも同席を希望したのだが、許可は下りなかった。
「夜更かしをしたのですから、その分ゆっくりと休まないと。お肌が荒れてしまいますよ?」
そう(黒い)笑顔を浮かべたアリアに押し切られ、今頃はベットの上だろう。
「さて方々、オレが『例の男』ことイスト・ヴァーレだ。以後お見知りおきを」
イストはそう挨拶したが、半分以上は儀礼的なものだ。
「我々を一堂に集めて何を話そうというのかね。部下の話では交渉といっていたそうだが」
早速口を開いたのはラバンディエ家の当主だ。
「交渉の前に二つほど言っておきたいことがある」
先ず一つ目、といってイストは人差し指を立てた。
「あの水面の魔剣を作ったのは、他でもないこのオレだ」
彼らが最も聞きたかった情報をあっさりと彼は提示した。色めき立つ当主たちを無視してイストは話を続ける。
「そして二つ目は、オレはどこの工房にも属す気はないってことだ」
イスト以外の四人は一様に難しい表情となった。目論見が潰えたから、ではない。むしろこの発言で「イストが水面の魔剣を作った」という話の信憑性は増した。工房に属す気がないくせにそんなウソをつく理由はないからだ。
「では、この場でどのような交渉をするおつもりですか?新たに魔道具を売却したいというのであれば、我が商会が買い取らせていただきますよ」
話を進めたのはレニムスケート商会の首領(ドルチェ)、ジーニアス・クレオであった。
「その話は又の機会に」
ジーニアスの誘いを柔らかく断り、さて、と彼は話を続けた。
「このまま何もなしでは方々としても収まりが付かないだろう。色々と物騒なことも考えかねないからな、水面の魔剣とは関係ないが別の交渉材料を用意した」
それがこれだ、といってイストは一枚の紙切れをテーブルの上においた。ガバリエリ家の当主がそれを手に取り、そして眉間にしわを寄せた。
「・・・・・・なんだ、これは」
そこに書かれていたのは彼らには読めない文字、古代文字(エンシェントスペル)だった。
「貴様ふざけているのか」
「そこには聖銀(ミスリル)の製法が記されている」
当主たちの怒りは一瞬にして霧散した。代わりに困惑が彼らを支配する。当然であろう。聖銀(ミスリル)の製法は教会が厳重という言葉が陳腐に聞こえるほどの仕方で管理しているのだ。そんな秘中の秘が今目の前にあるといわれてもそう関単に信じられるわけがない。
そんな当主たちの困惑を無視して、イストは一つの封筒を机の上に置いた。口は赤いロウで封がされている。
「そしてこいつにソレを常用文字(コモントスペル)に翻訳したものが入っている」
ああそれと、と思い出したようにイストは付け加えた。
「そっちの紙には細かい手順や数値は書いてないから」
「・・・・・なぜ貴様が聖銀(ミスリル)の製法を知っている・・・・」
唸るようにしてそういったのはラバンディエ家の当主だ。
「この街の近くにある遺跡から見つけた」
こともなさげにイストは答えた。
「ソレが本当なら、その遺跡を探索すれば我々も同じものを見つけられるな」
リリーゼからあらかた話しを聞いているディグスがそういった。それも古代文字(エンシェントスペル)で書かれているかも知れないが、古代文字(エンシェントスペル)が読める人物は探せば見つかるだろう。
「甘いな。オリジナルはもう潰した。判別は不可能だ」
ニヤリ、とイストは邪悪そうな笑みを浮かべた。
「そもそも、そこに入っている製法は本物なのか?」
かなり疑わしい、という目を封筒に向けるガバリエリ家の当主。
「実際に合成してみればいい。それで納得できるだろう?」
むぅ、と当主たちは押し黙った。そんな中、いち早く思考を商売に切り替えたのは、やはりというか商人ジーニアスだった。
「幾らで売りつけようというのです?その製法」
「1万シク」
金貨で1万枚。その金額に当主たちは難しい表情を浮かべた。法外だったから、ではない。むしろ破格といっていいだろう。
教会は聖銀(ミスリル)の売却益で年間の活動予算のおよそ三割をたたき出しているのだ。その金額たるや莫大で、ともすればそれだけで小国の国家予算並みの金額になる。仮に教会と客を二分するとしても、1万シクなど一年のうちに補完でき、さらには10倍以上のおつりが来るだろう。
「四人だから、1人頭2500シクでいいぜ」
「・・・・・いいだろう。ただし、支払いはその製法が本物だと・・・・・」
確認したあとでだ、と言おうとしたラバンディエ家の当主をジーニアスが遮った。
「―――お待ちください」
若干の興奮も混じらぬ、冷静を通り越して冷徹な声。その目は獲物を狙うかのごとくに鋭くなっている。
「仮に聖銀(ミスリル)を合成して売ったとしてもそれほどの利益は望めません。十中八九、教会の横槍が入ります」
「だろうな」
ジーニアスの冷静な分析をイストは肯定した。
「とすれば1万シク高すぎます」
2000~3000が妥当でしょう、と彼は大胆に値切った。
「それは普通に聖銀(ミスリル)を合成して売ったときの話だろう?やり方を変えればいいだけの話だ」
「どうやるというのだ」
ディグスが疑わしそうに言った。そんな彼にイストは苦笑を向け、ジーニアスに視線を転じた。
「あんたなら当たりは付いてるんじゃないのか」
そんなイストの指摘をジーニアスは飄々と受け流した。
「私も是非知りたいですね。教えていただけますか」
イストは肩をすくめ、食えない人だとこぼしてからその方法を述べた。
「聖銀(ミスリル)ではなくその製法そのものを売る。今オレがやっているみたいにな。長期的な収入にはならないけどかなりの利潤が出るぞ」
そして、できる事なら一時期の間に大陸中の不特定多数の工房に売りつける。
「そうするとどうなる?」
大陸中の工房で聖銀(ミスリル)が製造されることになるだろう。
「その全てに介入して利ザヤをはねるなんていくら教会でもできっこない。というより得策じゃない」
教会とは国ではなく組織である。つまり自前の国土を持たない。その教会が大国並みの権力と富を持てる、その源泉はひとえに大陸中に存在する信者たちである。
しかし、工房に圧力を掛けて利ザヤをはねるという行為はどうしても敵を作る。端的に言えば信者が教会から離れてしまう。一つ二つの工房ならそう大した問題にはなるまい。が、大陸中不特定多数の工房となれば話は別である。そこに連なる人々の数たるやもはや国家単位の人口となるだろう。
その全てを敵に回せばどうなるか。教会の権力基盤は揺らぎ、発言力は低下する。それ以前に信者からの寄付金が目減りすれば活動そのものに差障るのだ。
長期的に見ても短期的に見てもリスクしかない。
「・・・・・・どうやって大陸中にばら撒く?」
「おいおい、それぐらい自分たちで考えてくれよ」
一同は押し黙った。話は決まった。