「十字軍を捕捉!アルテンシア軍と交戦中の模様!」
「このまま全速力で前進します!」
報告に答えてクロノワは声を張り上げる。遠目ではあるが、見たところ十字軍の形勢はかなり不利だ。普通であれば総崩れしていてもおかしくはない。それでも持ちこたえているところを見ると、「聖女」の名前は思いのほか役に立っているらしい。
(間一髪で間に合った、といった感じですね………。とはいえウカウカしていては本当に手遅れになってしまいそうです)
急がなければ、とクロノワは気を引き締める。それからふと横を見ると、アールヴェルツェが含み笑いを浮かべていた。
「どうしたのです?」
「いやあ、こうして陛下と騎馬隊を率いて先駆けするのは二度目だなと思いましてな」
そういわれ、クロノワは「ああ」と納得する。アールヴェルツェのいう一度目とは、クロノワがまだ日陰者の第二皇子であった頃、モントルム遠征の際に行った騎兵による先行攻撃のことであろう。
あの時と同じく、クロノワは騎兵のみを率いてこの戦場へと駆けつけてきた。奇しくも数も三万と同じである。
アルジャーク軍がサンタ・シチリアナに入った際、クロノワはベルベッド城まで撤退したアルテンシア軍に動きがあったことを知らされた。同時に十字軍もこれを迎え撃つために出陣したと聞く。
「このままでは間に合わない」
クロノワはそう直感した。アールヴェルツェに確認してみたところ、彼の同意見であるという。
アルジャーク軍の戦力は、歩兵六万と騎兵三万の合計で九万である。対するアルテンシア軍はこれまで戦力の損耗はほとんどないはずで、おそらくは八万弱。わずかながらアルジャーク軍のほうが一万程度数が多いとはいえ、ほとんど互角と考えておいたほうがいいだろう。
「数的優位を確実にするためにも、十字軍の戦力はなるべく回収したい」
それがアールヴェルツェの意見であり、またクロノワもそれに同意した。しかしこのままの歩兵のペースに合わせて進んでいては、アルテンシア軍と十字軍の決戦には間に合わない。そこでアールヴェルツェが提案したのが、モントルム遠征のときと同じ騎馬隊を先行させるという案であった。
十字軍を助けてしまってよいのか、という葛藤はクロノワの中にまだ残っている。十字軍を助けるということは、必然的にアルテンシア軍と争うということであり、下手をすれば争い続けるということである。
しかしシーヴァがアナトテ山の神殿を占拠してしまえば、アルジャーク軍がこれと戦う理由はほとんどない。シーヴァの戦いはその後も続くのかもしれないが、権威と影響力を失った教会など助ける価値はないからだ。
わざわざ親征しながらも間に合わなかったクロノワは、後世の歴史家たちから「間抜け」と呼ばれるかもしれない。しかし、クロノワに死後の汚名まで気にしている余裕はない。アルジャークという国の行く末にとって、どんな選択をするべきなのか。それを考えるだけで手一杯である。
ただ、今の段階で答えらしきものは出ている。
「ひとまず間に合わせるために全力を尽くそう。そして間に合ったのであれば、勝つために全力を尽くす。もしも間に合わなければ、その時は潔く引き返そう」
いかにも場当たり的ではあるが、すでに軍を動かしているのだ。これ以外にはないような気がする。一応「わざと行軍を遅らせる」という選択肢もあるが、いくらなんでもそれはあざとすぎる気がするのだ。
はたしてアルジャーク軍は間に合った。かなりギリギリなタイミングではあったが、それでも十字軍が崩壊し神殿が占拠されるよりも前に、アルジャーク軍は戦場に到着したのだ。
「アルテンシア軍の戦闘に一撃を加え、そのまま十字軍を回収しつつ撤退します!」
クロノワの指示に、アルジャークの騎士たちは力強い返事を返す。その返事を聞きながら、クロノワはかつてイストから貰った聖銀(ミスリル)製の指輪を撫でた。
アルジャークの騎馬隊の登場と接近に、十字軍と交戦中であるアルテンシア軍も当然気づいていた。アルジャーク軍が十字軍の援軍として接近しつつあることは、もちろんガーベラント公も知っている。よって、彼はすぐさまアルジャークの騎馬隊を敵と断定し、その攻撃に対処すべく兵を動かした。
アルジャーク軍の突撃を防がんと、アルテンシア軍の精鋭たちが防波堤を作り始める。盾を並べて壁を作り、そこから長槍を突き出す。さらにその後ろでは、弓兵たちが弓を引き絞っている。乗っている馬の分だけ的が大きい騎兵にとって、距離が開いた状態での弓兵は天敵といえる。
「動揺が少ない。流石ですね」
「左様ですな。あの部隊を率いているのは良将です」
隊形を整えていくアルテンシア軍を見ながら、クロノワとアールヴェルツェは言葉を交わす。よどみのないその動きは、兵士たちの練度が高いことを物語っている。しかも三倍近い十字軍と戦いながらである。将兵ともに、アルテンシア軍はアルジャーク軍にも匹敵する、大陸でも最高レベルの軍隊であろう。
しかしそれゆえに、どうしても数が最後の決め手となる。アルテンシア軍は一万弱。後ろに七万以上の味方が控えているとはいえ、突出しすぎたために合流にはもう少しかかる。対するアルジャークは三万。十字軍はこの際除外するとしても、十分に押し切ることが可能な数の差である。
そして、さらに。
「私が穴を穿ちます。後は手はず通りに」
「御意」
クロノワとアールヴェルツェが話している間にも、騎馬隊は疾駆しアルテンシア軍との距離を縮めていく。そしてついに騎馬隊が弓兵の射程に入り、矢が一斉に放たれようとしたまさにその時。
閃光が、走った。
盾を構えて防御隊形を取っているアルテンシア軍に、一筋の閃光が突き刺さりそして穴を穿った。盾を構え槍を突き出していたはずの兵士は吹き飛ばされ、手足を奇妙な方向に曲げ血まみれになって地面に叩きつけられる。
さらに同じ閃光が、二発三発と連続してアルジャークの騎馬隊の先頭から放たれる。そこにいるのは、他でもない皇帝クロノワ・アルジャークである。
魔道具「|雷神の槌《トール・ハンマー》」
それが、この閃光を放つ魔道具の名前である。形状は聖銀(ミスリル)製の指輪で、幅が広く細かい透かしの細工が施されている。
この魔道具について特筆すべき点は、その使い勝手の良さだ。基本的に対象に指輪を向けて魔力を込めればそれで一撃が放たれる。威力と射程が固定されている代わりに、細々とした操作をする必要がないのだ。
さらに、魔力を込め続ける限り連射が可能。当れば人が吹き飛ぶような威力の閃光を立て続けに放てるのだ。シーヴァの持つ「|災いの一枝・改《ディス・レヴァンテイン》」とはまた別の意味で反則的な魔道具といえるだろう。
立て続けに放たれた「|雷神の槌《トール・ハンマー》」の閃光によってアルテンシア軍の隊列には幾つものほころびが出来ていた。思いがけない攻撃に動揺したのか、それとも弓兵たちにも被害が出たのか、矢がアルジャーク軍に降り注ぐことはなかった。
「突撃!」
間髪いれずにアールヴェルツェが命令する。その命令を待っていたかのごとくに、騎兵たちは加速する。そして十字軍とアルテンシア軍を分断するように、両軍の境目めがけて突撃した。
突撃したアルジャークの騎兵隊は、クロノワの指示通り一撃離脱でそのまま駆け抜けていく。大きく孤を描き、アルテンシア軍を削り取るかのようにえぐりながら騎兵たちは駆け抜けていく。
「アルジャーク軍に続け!後退する!」
シルヴィアは声を張り上げた。アルジャーク軍が間に入ってくれたおかけで、十字軍はアルテンシア軍の猛攻から逃れることが出来た。さらにアルジャーク軍が壁になってくれているおかげで、一時的ではあるが安全圏ができあがっている。
この千載一遇の好機を逃すわけにはいかない。アルジャーク軍は動きを見る限り、一撃を加えそのまま戦場を離脱するつもりのようで、一緒に離脱できれば命を拾うことが出来るだろう。
シルヴィアの指示が早いか、十字軍の兵士たちはアルジャーク軍の後を追いかけて撤退を開始した。騎馬隊に遅れぬよう、皆必死に走っている。当然、隊列はばらばらで無秩序な遁走ではあったが、アルジャーク軍の影にいるおかげでアルテンシア軍の攻撃を受けることはなかった。
そのまま戦場から遠ざかる。アルジャーク軍があの一撃でどれだけの被害を与えたのかは分らないが、アルテンシア軍の追撃はなかった。日が暮れるまで撤退を続け、すっかり暗くなってしまってから十字軍はようやく足を止めた。シルヴィアが指示を出したわけではない。ただ単純に兵たちが疲れ果てて倒れこむようにして足を止めたのだ。いや、もともと疲れ果ててはいたが、敵への恐怖が勝り夜になるまでどうしても足を止められなかったのだ。
それを見て、十字軍の後方を殿のようにして守っていたアルジャーク軍も足を止める。こちらはまだまだ余裕がありそうだ。それは馬に乗っていたせいもあるのだろうが、それ以上に単純な地力の差が大きいようにシルヴィアには思えた。
(大陸最強の名は伊達ではない、という事じゃな………)
精鋭強兵を誇る国は大陸に数あれど、そのなかでもアルジャークの騎馬隊は最強の呼び声が高い。その実力の一端をシルヴィアは見た気がした。つい先ほどまでの撤退にしても、十字軍はまるで無秩序に逃げていたが、アルジャーク軍は移動しつつも整然と隊列を整えて後ろに回り、常に後方を警戒しながらシルヴィアたちを守ってくれていた。アルテンシア軍が追ってこなかったのも、アルジャーク軍を警戒したからに違いあるまい。
シルヴィアがアルジャーク軍のほうを眺めていると、そこから数騎がこちらに向かって来た。まだ若い男とその隣にいる壮年の将を中心にして、周りには護衛と思しき騎士が数名いる。
「あなたが、聖女シルヴィア・サンタ・シチリアナですか」
「そうですが、あなたは………?」
「ああ、失礼。私はクロノワ・アルジャークといいます」
その名を聞いた瞬間、シルヴィアは大きく目を見開いた。クロノワ・アルジャーク。それはつい最近聞いたことのある名前だ。
「アルジャークの………、皇帝……陛下………?」
「そう呼ばれることもありますね」
悪戯を成功させた子供のようにクロノワは笑った。
この戦いはアルジャーク帝国にとっては、直接国益に結びつくものではない。にもかかわらず皇帝が直々に親征してくるとは。そのうえ、それがともすれば自分が嫁ぐかもしれない相手だとは。そんな相手が危機一髪のところで駆けつけてきてくれるとは。
運命など信じているわけではない。しかしこの時ばかりはシルヴィアは呆れつつもしみじみこう思ったという。
「運命とは、数奇なものじゃ………」
**********
「あれがアルジャーク軍か………」
遠ざかっていくアルジャーク軍の背中を見送りながら、シーヴァはそう呟く。突然現れガーベラント公の部隊に一撃を加えたアルジャーク軍は、そのまま十字軍を回収して撤退していった。
むざむざと逃がしてしまった、とシーヴァは軽くした打ちする。アルテンシア軍の本隊が駆けつけるよりも前に、アルジャーク軍は戦場を離脱してしまった。斥候からの情報によればアルジャーク軍の戦力はおよそ九万。アルテンシア軍よりも一万ほど多い。相手の数的優位を潰すためにも、あの分隊に損害を与えておきたかった。
ただそう考える一方で、仕方がなかったという割り切りも済んでいる。一度乱戦になり乱れてしまった隊列を整えるのに思いのほか時間がかかった。また十字軍の兵士たちは思いのほか粘ったようで、乱戦の収束そのものにも時間がかかってしまった。
そしてなにより、アルジャーク軍の動きが素晴らしかった。一撃を加えアルテンシア軍と十字軍を分断した後は、余計な欲は出さずにそのまま撤退。さらに逃げるのに精一杯な十字軍の後ろを守り、アルテンシア軍の追撃に備えていた。シーヴァが追撃を仕掛けようと思わなかったのは本隊の再編に手間取ったのもそうだが、殿をおこなうアルジャーク軍の隊列に一分の隙もなかったからだ。
「申し訳ありません。聖女を逃しました」
十字軍の本隊と戦っていたガーベラント公が馬を寄せてくる。口では聖女のことを詫びているが、頭の中がアルジャーク軍のことで一杯なのは一目瞭然だった。
「かまわぬ。むしろ公はアルジャークの攻撃をよく防いだ」
正確にはまだ分らないが、先ほどのアルジャーク軍の攻撃によってアルテンシア軍は数百名に及ぶ死傷者を出している。しかしガーベラント公の部隊に対してアルジャークの戦力が三倍近かったことを考えれば、この被害は軽微といえた。ただ、アルジャークのほうも十字軍の回収を最優先にしていたようで、そのおかげで被害が拡大しなかったとも言える。
「流石はアルジャーク、といったところか」
とはいえ、これまでで最大の損害を出したことに変わりはない。アルテンシア軍がこの遠征で最初に十字軍と戦ったベルベッド城の攻城戦よりも大きな被害を、たった一度の接触で被ったのだ。噂に聞こえたアルジャークの力は、決して誇張ではなかった。
「しかしまさかこの戦場にアルジャーク軍が間に合うとは思いませんでした」
ガーベラント公の言葉にシーヴァも頷く。アルジャーク軍がすでにサンタ・シチリアナに入っていることは、潜ませている諜報員からの情報ですでに知ってはいた。しかし常識的に考えて、歩兵に速度を合わせた行軍ではこの決戦には間に合わない、というのがシーヴァの計算だった。
「まさか、騎兵のみが先行して来るとはな………」
しかし歩兵を含まない騎馬隊が先行するとなれば、話は違ってくる。人と馬では機動力に雲泥の差があるのだ。
ただ、反面リスクも大きい。第一に戦力を分断するのだから各個撃破の危険が付きまとう。さらに騎兵は的が大きいから遠くにいる時点で発見されてしまえば、弓兵の良い的である。また効率的に奇襲を仕掛けるためにはどうしても土地勘が必要になる。
騎兵の機動力を駆使して思わぬところから奇襲を仕掛けるのは、古来より多くの名将たちが用いてきた策ではある。しかし逆を言えば、名将しか用いることができなかった奇策でもあるのだ。
アルジャーク軍を率いているのは間違いなく名将である。しかしそれだけに土地勘のないこの地で騎兵隊を先行させることの危険性はわきまえているはずで、だからこそアルジャークの騎馬隊がこの戦場に現れたことはシーヴァにとっても衝撃だった。
「それだけ本気、ということか………?」
アルジャーク軍が十字軍の援軍として接近してきているという情報を得たとき、シーヴァはアルジャークの思惑を図りかねた。援軍を出すということは教会を助けるということだが、聖銀(ミスリル)という資金源を失いさらに最近では信者たちの支持さえも失い始めた教会を助けてアルジャークになんの得があるのだろうか。
教会を助けることで大陸中央部への影響力を強めることが目的なのかもしれないが、今のアルジャークの勢いであれば将来的にそこへ進出していくことは難しくない。教会の凋落にあわせて、権力構造の隙間に割り込んでいくことだってできるはずだ。
自分であれば見捨てる、というのがシーヴァの感想だった。もちろん統一王国とアルジャークではさまざまな条件が異なるから、クロノワが彼とは別の結論を出したとしてもなんら不思議はない。しかし打算的に考えれば考えるほど、アルジャークが教会を本気で助ける必要などどこにもないのだ。
「援軍を出す、という格好が必要だったのかもしれませんね」
そう意見を述べたのはリオネス公だった。彼の言うとおり国内事情や外交関係のために援軍を出さざるを得なくなった、ということは十分に考えられた。
教会はお膝元である大陸中央部では信者離れに悩まされているが、そこから距離がある大陸東部ではまだ熱心な信者も多いと聴く。ここ最近で版図を急激に拡大させたアルジャーク帝国は、統一王国と同じく国内の基盤がまだ磐石になっていない。それら熱心な信者たちが帝国への不満を募らせ、その不満が併合された国の旧権力者階級と結びつけば、それは立派に内戦の火種となる。あるいはその辺りを警戒したのかもしれない。
と、まあそういうふうに考えればアルジャークが援軍を出した理由については納得できる。しかし援軍を出すことと本気で戦うことは別問題だ。極端な話、わざと行軍を遅らせて「間に合いませんでした」と開き直ってもいいのだ。
そうしてアルテンシア軍が教会を滅ぼしたあと、アルジャーク軍は無傷のまま撤退すればよいのだ。これならば国内の不満や批判を抑えることができ、その上無意味に国力を損なうこともない。そして大陸中央部の権力構造に生じた巨大な空白に割り込んでいけば、アルジャークは文字通り大陸を席巻する超大国になれる。それにアルテンシア軍と正面切って戦い、戦局が泥沼化するのはアルジャークとて望んではいないはずだ。
この辺りのシナリオはクロノワ・アルジャークも思い描いていたはずで、彼が打算を優先させる人間ならば、アルジャークの騎馬隊はこの戦場には現れなかったはずだ。しかし現実に騎馬隊は戦場に現れ、そして十字軍を助けた。それはつまりクロノワが本気でアルテンシア軍と戦うことを決めたのだ、とシーヴァは解釈した。
「打算よりも感情を優先させたのか………?だとすれば青いな」
アルジャークとてタダで傭兵扱いされたわけではあるまい。貰うものはすでに貰っているはずだ。しかし常識的に行軍して間に合わなかったとすれば、それは正当な理由になりうる。その責任は早期にアルジャークを動かせなかった教会側にあるのだ。
にもかかわらずアルジャーク軍が十字軍を助けたのは、それが皇帝クロノワの意志だったからだろう。その選択にメリットが見当たらない以上、打算よりも感情を優先させたとしか思えない。援軍を出しながらも間に合わなかったとして、後世の歴史家たちから「間抜け」のレッテルを貼られることを嫌ったのかもしれない。
無論、シーヴァとて打算よりも感情を優先させることはある。食料の現地調達をしなかったことなどはその代表的な例だ。しかしシーヴァにしてみればそれは人として踏み越えてはいけない一線であり、打算や感情うんぬんの話ではなく良心の問題である。
(クロノワ・アルジャーク。思ったほどの器ではないのかも知れぬな………)
そう考えてから、「しかし」とシーヴァは思い直す。
当たり前のことだが、神ならざる人の身ですべてを見通すことなど出来はしない。アルジャークにはシーヴァの知らない事情があるのかもしれない。ここでクロノワの評価を下方修正するのは簡単だが、それが慢心やおごりに繋がるようでは本末転倒である。
「まあなんにしても、これでアルジャーク軍とぶつかるのはほぼ確実になったわけだ」
「御意」
先ほど見た騎馬隊の戦いや動きから分るように、アルジャーク軍の練度は十字軍などとはまさしく桁が違う。これまでのように軽く勝てる相手ではない。
「最後の最後に、とんでもない難敵が出てきたものだな」
シーヴァはそうぼやいて見せた。しかしガーベラント公の見間違い出なければ、彼の顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
シーヴァ・オズワルドはその性質(さが)として強敵を求める。
シーヴァはこれまで十字軍を相手に苦戦することなく遠征を勧めてきた。一度、敵の策によりベルベッド城まで戻らなければならなくなったが、その例外を除けばここまで何の問題もなかった、と言っていい。
それはアルテンシア統一王国の国王としては大変に喜ばしいことである。しかしシーヴァ・オズワルド個人としてはどうしようもない物足りなさを感じていた。
それが、最後の最後にアルジャーク軍という最大の難敵が現れることになった。
戦わずに済めばいいとは思っていたし、またそうなるように軍を動かしたつもりだ。しかし、いざこうして戦うことになると、シーヴァは己の心が浮き立つのを感じた。
(不謹慎なのだろうが………)
それでも強敵と戦えることは嬉しい、楽しみだ。そうそう、強敵といえば自分と唯一互角以上に戦えた剣士ジルド・レイド。彼は今どこにいるのだろうか。
(まさかとは思うが、戦場であいまみえることがあるならば………)
とてもとても、楽しみだ。
**********
「まさかこのタイミングでアルジャーク軍が現れるとはね」
シーヴァが撤退するアルジャーク軍の背中を眺めていたとき、戦いを見物していたイスト・ヴァーレもまた同じ背中を眺めていた。御前街にいた彼は、十字軍が動いたことを察知してその後についてきたのだ。
「まさに間一髪。奇跡的なタイミングだな」
もう一時間、いや三十分遅れていれば十字軍は崩壊していたであろう。アルジャーク軍が現れたあの瞬間、歴史が一つ書き変わったといってもいい。まったく、運命の女神がいるとすれば、今回はよほど気合を入れてシナリオを書いたらしい。
そしてなにより、あの戦いは重要なことをイストに教えてくれた。
「クロノワも、きちんと親征して来たみたいだしな」
「どうしてクロノワがあの騎馬隊にいたと分るのだ?」
イストたちはかなり距離を取って戦いを見物していたから、全体の動きは見えても個人の判別などつかないはずである。
「アルジャークの騎馬隊が突撃するまえに、何発か閃光が放たれただろう?」
「ああ。なかなか面白い魔道具を持っている、と思ったが………」
「あの魔道具はオレがクロノワにやったものだ」
だからイストはクロノワがあの騎馬隊を率いていたと分ったのである。
「本当に親征してきたんですね………」
ニーナが呆れたような声をもらす。アルジャークの本国から遠く離れたこの地まで、クロノワがわざわざ親征するのか彼女は懐疑的だったが、どうやらイストの予感があたったらしい。
「ま、なんにしても、だ」
舞台に役者が揃ってきたじゃないか、とイストは禁煙用魔道具「無煙」を吹かしながら危険な笑みを浮かべてそういった。
シーヴァ・オズワルド。シルヴィア・サンタ・シチリアナ。そしてクロノワ・アルジャーク。
東西の雄が相対し、そこに教会の聖女が加わるのだ。間違いなく歴史に残る大舞台になるだろう。そしてそれはイストが求める舞台でもある。
「じゃ、クロノワのところに行くぞ」
「アナトテ山ではなく、か………?」
パックスの街を落とすのであれば、アナトテ山に行かなければならない。アルジャーク軍を率いるクロノワのところに行って、イストは何をしようというのだろうか。
「準備だよ、下準備」
ただ街を落とすだけではつまらない。どうせなら最大限の効果を狙いたい。そしてそのためにはクロノワの力が必要だ。火皿から白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出す「無煙」をもてあそびながら、イストはそういった。
「ま、アイツにとってもメリットのあることだから、話は簡単だと思うよ」
イストは気楽にそういった。
イストがクロノワに何を頼むつもりなのか、ニーナには分らない。だけど師匠のことだからきっと自分の趣味優先のことなんだろうな、と彼女は思うのだった。
*******************
「神殿も静かになりましたね………」
枢密院を構成する枢機卿の一人、テオヌジオ・ベツァイは沈痛な面持ちでそう呟いた。アナトテ山にある教会の神殿。これまでは参拝者も含め大勢の人々で賑わっていたはずのこの場所は、今は閑散としていて人の気配がしない。
原因は言うまでもなく、アルテンシア軍の再襲来だ。
聖女シルヴィア・サンタ・シチリアナの活躍により、一度は神聖四国の外へ撤退したアルテンシア軍であったが、つい最近サンタ・ローゼンへと再び侵入し、ここアナトテ山を目指して猛進してきている。
これを迎え撃つべく、十字軍は造営を進めていた防衛拠点にてアルテンシア軍に対して決戦を挑んだ。しかし結果は惨敗。三重にめぐらせていた防衛線はアルテンシア軍に突破されてしまった。
ただ暗い話題だけではない。十字軍皆ことごとく討ち死にかと思われたその時、奇跡的にもアルジャークの騎馬隊が戦場に駆けつけたのである。アルジャーク軍は聖女シルヴィアが率いていた十字軍本隊を回収しそのまま撤退した。
用意しておいた防衛拠点が簡単に突破されてしまったとはいえ、シルヴィアは見事にアルジャーク軍が到着するまでの時間を稼ぎきったのである。
さて、十字軍とアルジャークの騎馬隊は後退を続けてアナトテ山の麓近くまで退いた。その日の夕方近くにはアルジャーク軍の歩兵部隊およそ六万も無事に合流し、これでアルジャーク軍は全軍が揃ったことになる。
アルジャーク軍の到着と聖女シルヴィアの健在は、これまでアルテンシア軍に圧倒され続けてきた教会陣営にとって待ちに待った喜ばしい知らせであった。この知らせを聞きつけたのか、先の戦いで敗走した十字軍の兵士たちも聖女の下に集まり始め、十字軍は五万程度まで戦力を回復させることが出来た。
アルジャーク軍と十字軍をあわせた戦力は、およそ十四万。もちろんアルジャーク軍と十字軍では兵士の練度に差がありすぎるから、この数をそのまま戦力に換算して数えることは出来ない。アルジャーク軍九万が主力になるのだろうが、それでも最低限アルテンシア軍八万弱に対して、数の上での優位は手に入れたことになる。
まあ、なんにしても反撃の準備は整ったのだ。本来ならば喜ぶべきことなのだが、先ほども述べたとおり神殿の中は閑散としていて人気がない。
ただ、ある意味それは当然のことでもある。神殿の近くが戦場になるというのであれば、参拝者の足が遠のくのも当たり前である。
またアルテンシア軍が目指しているのはこの神殿なのだから、ここで働いている女性などは早いうちから避難してもらっている。これは御前街にも同じことが言えた。シーヴァ・オズワルドがこれまで無辜の民に狼藉を働いたという話は聞かないが、しかしだからといって迫り来る敵軍を前に、泰然と腰をすえていられる者などそう多くはないのである。
そしてそれは、教会の中枢とも言える枢密院を構成する枢機卿たちにも、同じことが言えた。
「アルジャーク軍が間に合い聖女を救出したということは、神々はまだ我々を見捨ててはいないということ。にもかかわらず枢機卿の職責にある者がそれを放り出して逃げるとは………」
全く嘆かわしいことです、とテオヌジオは嘆息した。
アルジャーク軍が到着した際、枢機卿の何人かは、
「早く打って出てアルテンシア軍を追い払ってくれ」
と泣きついたようだが、この辺りの地形に明るくないことを理由に断られた。アルジャーク軍はアナトテ山近くの草原を決戦の場として定め、演習などをして兵を慣らしながらアルテンシア軍を待つという。
それはすなわちアルテンシア軍がアナトテ山のすぐ近くまで、神殿の喉もと近くまで迫ってくることを意味している。その事に恐怖した枢機卿たちは我先にと神殿から逃げて行ったのである。またアルジャークへ交渉に赴いたルシアス・カント枢機卿もまだ戻ってきていない。恐らくだが、アルテンシア軍が完全に撤退するまでは神殿に戻る気はないのだろう。
現在、神殿に残っている枢機卿は、テオヌジオとカリュージス・ヴァーカリーの二人である。さらに神子ララ・ルー・クラインも避難の諫言を頑として聞き入れずに居残っている。そしてこの「神子さえも神殿に残った」事実が、逃げ出した枢機卿たちに対するテオヌジオの怒りと失望を大きくしていた。
「テオヌジオ卿、失礼します」
同僚のふがいなさを嘆くテオヌジオの執務室に、鎧を着込んだ数人の男が入ってくる。神殿衛士と呼ばれる、神殿内の警備を担当している者たちだ。
神殿で働いていた多くの人が今は避難している。神子を置いて逃げていった彼らの信仰の弱さをテオヌジオは嘆いていた。逆を言えば、今神殿に残っているのは篤信の信者たちだけである。
「どうかしましたか?」
「例の計画ですが、賛同者が五十名ほどになりました」
そのご報告に、と真ん中に立った壮年の衛士が頭を下げた。彼は長年の間衛士をして神殿を守ってきた人物で、その温厚な人柄から部下たちからも慕われている。
「それは素晴らしいことですね」
「はい。それで、カリュージス卿のことですが………」
自分と同じく神殿に残った枢機卿であるカリュージスに、テオヌジオはひとかたならぬ尊敬と感謝の念を抱いている。そんな彼にも自分の計画に是非とも賛同してもらいたいと、テオヌジオは思っていた。
「カリュージス卿には、私から直接お話をしようと思っています」
問題はそのタイミングですね、とテオヌジオは少し困ったように笑った。彼のその笑みはまるで無垢な子供のように純粋だった。
テオヌジオの見たところ、カリュージスには固い信念がある。彼がその信念を翻すことは決してないだろう。だからカリュージスに計画のことを話す際には、くどくどとした説得は意味をなさない。内容を説明し、それが彼の信念に合致するか反していなければ、カリュージスは賛同してくれるだろう。
しかしもし信念に反しているとすれば、どれだけ説得しようともカリュージスが計画に賛同してくれることはない。それどころか全力を挙げて計画を阻止しようとするだろう。彼にはそれだけの力がある。
カリュージスは元々、神殿内の警備を監督する立場にいる。神殿にいる衛士は全て彼の部下ということになるし、そのうち三分の一は彼の子飼いといっても過言ではない。特に神子の警備など、教会の中枢はほとんど全てカリュージス子飼いの衛士によって守られていた。
衛士たちの多くも逃げ出してしまった現在においても、カリュージス子飼いの衛士たちは全員神殿に留まっており、主への忠誠の高さが窺えた。
この「主」というのが神子ではなくカリュージスである、というのがテオヌジオにとっては少しばかり不満であった。
まあ、それはともかくとして。現在神殿に残っている衛士たちの中で、カリュージスの子飼いは実にその四分の三を占めている。つまりカリュージスがその気になれば、テオヌジオの一味を制圧することなど容易いのだ。
「カリュージス卿に話をするのは、計画を実行に移す直前、あるいは実行に移してからでもいいでしょう」
賛成も反対も、カリュージスならば即決であろうとテオヌジオは思っている。ならばここは秘密裏にことを進め、計画を破綻させるようなリスクは犯すべきではない。
「分りました。ではカリュージス卿に近い衛士たちには………」
「ええ、計画のことは伏せておいてください」
彼らに計画のことを話せば、間違いなくカリュージスの知るところとなる。それに彼らの態度はカリュージス次第だ。個別に全員を説得する必要などない。
「それで、その………、神子さまは………?」
「………一度お話しましたが、良いお返事はいただけませんでした」
「そんな………!」
テオヌジオと話している壮年の衛士が悲痛な声を上げる。彼の後ろにいる若い衛士たちにも動揺が生まれた。テオヌジオの計画には、神子の協力が不可欠だ。その協力が得られないとなると、随分と荒っぽい手段に訴えるしかなくなる。
「もちろんご協力いただけるよう、誠心誠意努力するつもりです」
ですがそれでも神子さまのご協力が得られないのであれば、とテオヌジオは静かに続けた。穏やかなそのたたずまいは、彼の決意と覚悟が固いことを示している。
「その時は、私が罪を背負いましょう」
穏やかな、しかし確固とした声でテオヌジオはそういった。目の前にいる衛士たちを見つめる彼の目は、どこまでも優しげだ。
アルテンシア軍が迫り来るこの状況下、テオヌジオだって少なからぬ恐怖を感じている。ならばこの衛士たちや計画に賛同してくれた人々だって、やはり彼と同じかそれ以上の恐怖を感じているに違いない。
それでも彼らは残ってくれた。それでも彼らは教会を見捨てなかった。それはテオヌジオにとって何よりも嬉しいことだった。
「彼らを救いたい。いや、彼らは救われるべきだ」
テオヌジオはそう思っている。そしてそのための計画だ。
「ともすれば、神々は私を断罪なさるかもしれません。ですがあなた方のことは受け入れてくださるでしょう」
神子の協力が得られなければ、テオヌジオは大罪を犯すことになる。いや、そもそも彼の計画自体が大罪かもしれない。しかし神殿に残った篤信の信者たちを救うには、これしかないとテオヌジオは考えている。
「テオヌジオ卿………」
「もはや現世に救いはありません」
救いのある場所。それは………。
――――神界の門の、向こう側。
**********
「さて、どうしましょうかね………。本当に………」
困ったように苦笑いしながらクロノワは頬をかいた。いや、今のクロノワは割と本気で困っていた。
「どうするも何も、アルテンシア軍と雌雄を決する以外にないのではありませんか」
そう発言したのはアルジャーク軍の若き将軍、レイシェル・クルーディだ。彼のほかにも、アールヴェルツェ・ハーストレイト将軍を筆頭に、イトラ・ヨクテエル将軍、カルヴァン・クグニス将軍もこの場に集まっていた。
アルジャーク軍の主要人物全てがとあるテントに集まっていた。十字軍の将たちを交えた作戦会議の前に、アルジャーク軍としての方針を決めるために今彼らはこうして集まっているのである。
アルジャーク軍としての方針とはいっても、アルテンシア軍と戦う上で主力となるのは彼らのだから、ここで決まった方針がそのまま連合軍の方針になるといっても過言ではない。またそうならないとしても、会議の主導権を聖女に、ひいては教会に奪われないようにするためにも、ここでアルジャーク軍の方針を固めておかなければならないのだ。
「まあ、そうなんですけどね………」
だというのに、その方針を決定すべきクロノワの態度がどうにも煮え切らない。理由は簡単だ。何のために戦うのか、また何を目指して戦うのか。それを描ききれないのだ。
教会がアルジャーク軍に求めていることはただ一つ。「アルテンシア軍を追い払うこと」である。ただ、どこまで追い払えばいいのか、それが曖昧だ。
例えばアルテンシア軍をサンタ・ローゼンの外、つまり神聖四国の外へ追い払ったとする。この場合、アルテンシア軍はベルベッド城まで後退するだろう。これで万事解決、アルテンシア軍の脅威は取り払われた、と教会は思うだろうか。
思うわけがない。それどころか三度目の襲来を心配して、ベルベッド城を攻略するようアルジャーク軍に求めるだろう。
さて、ここで考えるべきは国際情勢だ。ベルベッド城があるのはサンタ・ローゼンの隣国フーリギアである。この国はベルベッド城が落ちた際にアルテンシア統一王国に降伏し、さらにはほとんど同盟国のような関係になっている。教会や神聖四国からしてみれば裏切り者と言ってもいい。
そのフーリギアにアルジャーク軍が、いや十字軍の援軍が攻め込むことになれば相手は当然恐怖を抱くだろう。どれだけ「アルテンシア軍が標的である」とクロノワが主張しても、フーリギアはそれを信じるまい。
「アルテンシア軍がやられれば、次は自分たちだ」
と誰でもそう思う。教会と神聖四国が裏切りものであるフーリギアを許すことはありえない。アルテンシア軍が後退すれば、たとえアルジャーク軍がやらずとも十字軍がこの国を蹂躙する。見せしめと富を奪うために。
そうなればフーリギアは国を挙げてアルテンシア軍を援護するだろう。軍を組織しアルテンシア軍に合流することさえするかもしれない。
またフーリギアより先に降伏したシャトワールとブリュッゼにとっても他人事ではない。フーリギアの次は自分たちが標的にされるのだから。やはり軍を組織し、援軍を出すぐらいのことはやってもおかしくはない。そうなればアルジャークは四ヶ国を相手に戦わなければならなくなる。
当然のこととして、激しい抵抗が予想される。アルジャーク帝国の国益に直接寄与しないのに、そのような激しい戦いに挑まなければならないのかと考えると、クロノワのやる気は加速度的に減衰していく。
その上、アルテンシア軍をベルベッド城から撤退させたら、調子に乗った教会はそのまま半島に攻め込んで統一王国を制圧して来い、とか言いそうである。アルジャークの国益にはまったく寄与しないというのに。
「もちろんそこまで教会のために働くつもりはありませんが………」
しかしそういう要請があるのは確実だろう。これを波風立てずに断るのはなかなか難しい。最も良いのはそういう要請をさせないことだが、そのためには次の一戦でアルテンシア軍に甚大な被害を与え遠征を断念させ半島に引き返させるしかない。
相手がアルテンシア軍でなければアルジャーク軍が出張る必要もないだろう。それでもフーリギアなどは十字軍によって蹂躙されるのだろうが。
「そうなったらなったで、またアルテンシア軍が出てくるかもしれませんけど」
同盟国が蹂躙されるのをシーヴァは許さないだろう。なんだか思考が混乱してきたクロノワは軽く頭を振った。
「次の一戦に我々が勝てば戦局が泥沼化する可能性が高い。なんともまあやる気が出ませんね」
「言葉が過ぎるぞ、イトラ」
レイシェルが同僚を嗜める。しかしイトラの言葉は現状を適切に表現していた。次の戦いにアルジャーク軍が勝てば、恐らく戦局は泥沼化してしまう。少なくとも、アルテンシア軍が勝った場合よりはその可能性が高い。
「では、わざと負けますか」
そういったのはカルヴァンだった。本来武人とは負けることを嫌がるものだが、彼は目先の勝利よりも国益を優先するようアレクセイから教えられてきた。戦局が泥沼化してもアルジャークの国益には結びつかない。ならばわざと負けてでも、この戦争をさっさと終結させるべき。カルヴァンはそう考えたのだ。
「それでもいいんですけどね………」
やはりクロノワの態度は煮え切らない。彼としても、わざと負けてさっさと本国まで撤退してしまうのはアリだと思っている。問題はシーヴァ・オズワルドが強すぎる、ということだ。
「陛下を戦場で危険にさらすような策は取るべきではない」
アールヴェルツェが重々しくそう発言した。もちろん戦場に完全な安全圏などないが、それでも負けるつもりで戦えばアルテンシア軍の牙がクロノワに届く可能性が高くなってしまう。
クロノワの死は、アルジャークにとって最大の損害になる。それだけはなんとしても避けなえればならない。
一同は、腕を組んで黙り込んだ。
(結局………)
結局、最初にレイシェルが言ったとおり全力を挙げてアルテンシア軍と戦う以外の選択肢などないようだ。負けたのであればそのまま逃げ帰ればよい。勝ってしまったら、その時はそのときだ。その後どうするかは勝ってから考えれば良い。クロノワがそう判断を下そうとした、まさにその時………。
「勝ってもうまみがないとは、やっかいな戦争に手ェ出したもんだな、クロノワ」
ここにいるはずのない、そしてクロノワにとって忘れようのない声が響いたのだった。
ローブを目深にかぶった三人の不審者。彼らは突然に現れた。まるで最初からそこにいたのに、だれも気づかなかったかのように。
「何者だ!?貴様!!」
「近衛兵!何をしている!」
突然の不審者に将軍たちは立ち上がってクロノワの前を固め、さらに警備をしているはずの近衛兵を大声で呼ぶ。なぜ今まで気づかなかったのか。どうやってここまで侵入したのか。
「まかり間違えば陛下が暗殺されていたかもしれない」
全く同じことを四人の将軍は考えていた。怒りと自責と疑問が彼らの中で渦を巻くが、その全てを押しのけ四人の将軍は不審者の挙動に細心の注意を払う。
怪しげな魔道具を持っていることは間違いない。アルジャーク軍の陣の最奥まで来た理由は、要人の暗殺かそれとも情報の奪取か。いずれにしてもそれは秘密裏に行うべきでその能力もあるだろうに、ここで自分たちに姿を見せたということは、それだけ自信があることの裏返しだろうか。
駆けつけた警備の兵士たちが三人の不審者を取り囲み槍を突きつける。もはや逃げ場はない。それなのに、ローブを目深にかぶっているせいなのか不審者たちに動揺は見られない。
殺せ、とアールヴェルツェが命じるよりも早く。
「まったく、君はいつも突然に現れる」
クロノワの、緊張感を感じさせない呆れた声が響いた。それを聞いて不審者の一人が笑ったようにイトラには見えた。
「久しぶりだな、クロノワ」
不審者が目深にかぶったローブを取る。現れたのは若い男の顔だった。
「久しぶりだね、イスト」
クロノワとイスト。こうして二人はモントルム以来の再会を果たしたのだった。