時分が過ぎるのは遅く感じても日月が流れるのは早いもので、IS学園も翌日には2学期の始業式を控えていた。
「それじゃあ更識さんは夏休み中もずっと整備室に篭ってたの?」
「うん、2学期の行事には参加したかったから・・・・・・」
そう言いながらも簪の顔色は優れない。この様子では予想通りの結果を得られなかったと見える。
せっかくミシェルと共に様子を見に来てくれたシャルロットの持ってきてくれたクッキーの甘さも、何だか味気ない。
「あのさ、やっぱり僕らも手伝おうか?自分1人でやるよりはずっと楽だと思うし、僕らの機体のデータも役立つかもしれないよ」
「・・・・・・良い。これは私の問題だから」
「・・・・・・だからと言って、知り合った以上放っておけない性分なんでな・・・・・・それに心配でもある」
「更識さんってば夢中になり過ぎて自分の事よくほったらかしにしちゃうしね。最初も最初だもん」
「それは言わないで・・・・・・」
顔を赤くしてもじもじする簪の様子を微笑ましく眺めつつも、シャルロットは追及の手を緩めずに立てた人差し指をメトロノームの様に揺らして続ける
「1人だけじゃどうにも出来なくても、他の誰かと一緒に相談しながら進めたら解決策が出てくるかもしれないでしょ?えっとほら、日本語でそんな諺もあったよね、んーっと」
「……『3人寄れば文殊の知恵』」
「そうそれ。流石ミシェルだね、日本の事に本当詳しいや」
元日本人ですから。口元を緩めながらミシェルも簪に視線を固定し。
「・・・・・・それとも、1人だけの力で作りたい理由でもあるのか?」
「っ!!」
反応は劇的だった。日頃から強い感情の表現を見せないだけあって、目を見開き、口を固く結んで見せただけでもかなり分かり易い。
半ば当て推量のつもりだったのだがドンピシャだったようだ。そういえば、と簪の代表候補生のデータの内容を思い出して1人納得する。
――――これはひょっとしてひょっとするのかもしれない。
「更識さんにはお姉さんが居るんだったな・・・・・・それも関係しているのか?」
沈黙。しかしそれは肯定に等しく。
「へーっ、更識さんってお姉さんが居るんだ。どんな人なの?」
「更識楯無・・・・・・この学園の2年生ながら既にロシア代表に選ばれている実力者で、自分1人で専用機を組み立てたという逸話の持ち主、と聞いている・・・・・・」
「1人でISを完成させたの!?更識さんのお姉さんってそんな凄い人なんだね」
そこまで言ってから、シャルロットも気づく。
姉妹が褒められているにもかかわらず、更に陰りを見せていく簪の顔に。やや間を開けて彼女が漏らした声も、表情に負けず劣らず暗い。
「・・・・・・そう。何でも出来ちゃう、凄い人。妹の私なんかじゃ、全然敵わないくらい・・・・・・」
更識簪という少女が抱えるコンプレックスをミシェルとシャルロットが理解するにはそれだけで十分だった。
彼女は姉に対する劣等感を抱いている。シャルロット達の申し出も突っぱねて独力で専用機を完成させようとしているのもその表れ、姉に負けてたまるものかと足掻いているのだ。彼女は。
新たに加わった簪の事情を齧ったクッキーと一緒に噛み締め、ミシェルはしばし再考してから。
「・・・・・・まあそれはどうでもいいとして」
『更識楯無』という要素を放り捨てた。
「・・・・・・・・・・・・・・・へっ?」
ミシェルのリアクションに逆に簪の方が戸惑った様子でミシェルの顔をまじまじと見つめ・・・・・・すぐに逸らす。少々対人関係に問題がある彼女には、ミシェルの顔はまだまだ刺激が強いのである。
「え、えっと・・・・・・どうでもいいの?お姉ちゃんの事」
「・・・・・・いや、公表されている経歴などを知ってはいても、君のお姉さんと直接話したりした事がない以上現実にはどのような人間なのかも俺は知らんし・・・・・・大体、更識さんを手伝うのに何で更識さんのお姉さんの話題が出てくるのかが俺には分からん」
その簪のお姉さんがミシェル達と関わり合いになるなとか言ってきてるというのならばともかくとして。
ポカンと驚いた顔の簪を見ながら、ミシェルは肩を竦めつつ続けた。
「・・・・・別に俺は更識さんが『更識楯無の妹』だから手伝うとか、そういうのを全く考えてなかったつもりだったんだが・・・・・・やはりダメか?まあ、こんな人相の人間に纏わりつかれてもやっぱり迷惑だろうしな・・・・・・」
自嘲気味にそう締めたミシェルに続きシャルロットも加わる。
「自分の事をそこまで言わなくても・・・・・・でも僕もミシェルと同じだよ。更識さんのお姉さんが凄い人だって知ったのはたった今なんだし、どっちにしてもお姉さんの事を抜きにして更識さんの助けになりたいのは変わらないよ」
「・・・・・・どうして?」
「だって、友達の事を手助けしたいと思うのは当たり前の事でしょ?・・・・・・・えっと、僕はもう更識さんの事を友達だと思ってたんだけど、イヤだったかな?」
シャルロットがそう問うた途端、風が起きそうな位の速さで簪の首が横に振られた。それから強張っていた簪の表情が、一気にふにゃりと崩れる。
泣いてるような、笑ってるような――――彼女の眼鏡型ディスプレイの向こうで雫が浮かんでいる。やっぱり泣いてしまった。この涙は喜びの涙だと思いたい。抑えようと思っても勝手に涙が少しずつ、だけど確実に涙腺から漏れてしまう。
ずっと長い付き合いの幼馴染以外の誰かが、この学校にやってきてから知り合った相手が、『更識楯無の妹』としてではなく、『更識簪』という一個人にこうして素直に臆面もなく『友達になろう』と言ってくれた事が。
――――どうしようもなく嬉しくて、昂揚する心を抑えきれない。
簪は涙を拭い、それでもまた大粒の雫を零しそうになりながらも椅子の上に座り直すと、ペコペコと何度も頭を下げた。
「・・・・・・・これから、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくねっ!」
「・・・・・・改めてよろしく頼む」
デュノア夫婦、交友関係に女友達1名追加。
「でも更識さん――――」
「・・・・・・簪で、良い」
「――――簪さん、無理したらダメだよ?前も言ったかもしれないけど夢中になり過ぎて倒れちゃったりしたら大事だもん。今日も早くからずっと篭ってたんでしょ?」
そう言いながらシャルロットは立ち上がると簪の背後に回り込んだ。両手が彼女の肩に置かれる。
案の定、ちょっと撫でてみただけでも柔らかな皮膚の下で固く筋張った感触が指先に感じ取れた。これは中々重度の肩凝りと診た。
「ほらこんなに肩がカチカチになっちゃって。力加減はどう?痛くない?」
「んん、少し痛いけど・・・・・・くんっ、気持ちいい・・・そことか、んっ、んんっ」
程良い力加減と的確にコリを捉えて優しく解きほぐすシャルロットの指技にあっさりと簪は抵抗の意思を捨て去り、シャルロットのマッサージに身を任せる事にした。
滞っていた血流が円滑に巡るようになったお陰で少しずつ身体が火照りだして、思考に霞がかかる。睡眠時間を削ってまで組み立てに専念していた事も重なって眠気の誘惑は耐え難く、数分もしないうちに簪は作業台を枕代わりに突っ伏してしまう。
胸の大きさは慎ましやかな方なので、簪の真正面に陣取っていたミシェルにとっては大した目の毒にもなりはしない。代わりに揉まれてる合間合間に簪の漏らす呻き声が微妙に熱っぽくなっていっているのは気のせいか?
「ひゃっ・・・・・そこ、グリグリされたら、うにっ、ふぅん、あん、そこ、強く押されると、気持ちいいっ」
「えっへっへー、よくミシェルと揉み合いっこしてるからマッサージには自信があるんだー」
「んん、ほんと、上手・・・・・・そこ、コリコリされちゃうと、おかしくなっちゃいそうなぐらい・・・・・・」
うん、気のせいだ。そういう事にしておこう。マッサージされて悶えてるだけなのに変に色っぽく感じちゃったりする自分の方が邪なんだから、とミシェルはそう思う事にした。
だってそれを妻に気付かれたら後が怖いし。
「・・・・・・お楽しみ中すまないが、機体のデータを見せてもらっても構わないか?」
「んー・・・・・・」
半ば以上目を閉じて眠そうな声を漏らしながら簪は突っ伏したままディスプレイを投影させた。この分だと間違いなく数分もすれば意識が落ちるだろう。
機体の全体像が表示され、勝手にサブウィンドウが幾つも展開されては詳細なデータが流れていく。その中から要の部分を取捨選択して大雑把な問題点を読み取っていく。
「(<打鉄弐式>・・・・・・量産機の改良型なのはシャルロットのリヴァイヴに似ているな・・・・・・主な武装は荷電粒子砲と多連装ミサイルポッド・・・・・・肝心要のFCSが未完成だが、俺の機体のものを流用すれば何とかなるか・・・・・・?)」
マルチロックオンシステムならミシェルの<ラファール・レクイエム>にも備えられている。マイクロミサイルポッドは愛用兵器の1つだし、それ以外にも複数兵装の個別照準・同時使用には欠かせないシステムだ。
問題はISの自己最適化によってマルチロックオンシステムに今まで扱ってきたミシェルの『癖』がついてしまっている可能性が高い事だがそこはそれ、時間をかけてすり合わせを重ねて彼女の機体に合わせていけば解決する問題に過ぎない。
荷電粒子砲は・・・・・・2次形態移行した一夏の<白式>にも追加されていたからそのデータを使えれば調整も早く済みそうだ。一夏に頼めば快くデータ提供してくれるとは思うが、それは簪にお伺いを立ててからになるだろう。
オリジナルの<打鉄>は防御力に重きを置いているが、<打鉄・弐型>は機動性と機体固定型の射撃兵装を生かした万能型の機体なので機体制御プログラムも新しいのをでっち上げた方が良い気がする。大分出力が増しているこの機体に下手に<打鉄>の制御プログラムを流用してしまうと、エネルギーの供給系辺りで不具合が起きかねないなとミシェルは感じた。
飛んでる最中に過供給でスラスターが吹っ飛ぼうなら目も当てられない。
もっとも、それらの課題に取り組むのは。
「あ・・・・・・寝ちゃった」
「・・・・・・・・すー・・・・・・・」
彼女がぐっすり寝て、そして起きた後にしっかり話を通してからになりそうだ。
「へー、アリーナにはこんな施設もあったんだ。ずっと使ってたけど全然気づかなかったぜ」
「授業以外では模擬戦や他の訓練ばかりに夢中で、建物を詳しく見て回ったりしていなかったからな」
翌日、9月1日。午前中が終わる前に始業式を終えた一同は、ミシェルとシャルロットに誘われるがまま整備室を訪れていた。
先にやってきていた簪が既に準備を終えて皆を待ち構えていた。ミシェルとシャルロットの説得の甲斐あって個人的感情よりも実利を選び、一夏達も組み立てに協力するのを簪が認めたのである。
「こうして顔を合わせるのは初めてになりますわね更識さん。国は違えど同じ代表候補生同士、私も力ながらお手伝いさせて頂きますわね」
「そーそー、私達の事はこき使ってくれても別に構わないから。何てったって“誰かさん”のせいで割り食っちゃってるんだし」
約1名、罪悪感に胸が痛む。その自分のせいで割を食った当人が目の前にいるのだから尚更である。
じーっとひたすらまっすぐに自分ばかり見つめてくる―睨むと呼ぶには迫力が足りない―ものだから、凄まじく居心地が悪かった。
「・・・・・・・・・」
「え、えーと、とりあえずよろしくな更識さん」
戸惑いながらも一夏が何とかそう言ってみると、一瞬だけ目の前の少女の肩が震える。
「・・・・・・私には、貴方を殴る権利がある」
「・・・・・・ご尤もですハイ」
「・・・・・・だけど、やらない・・・・・・面倒臭いし、貴方の機体のデータを使わせてもらうから、それでチャラにしてあげる・・・・・・・・・」
「まあその程度で許してもらえるなら良いんだけど――――本当にゴメンな。俺のせいで簪さんの機体が未完成のままになっちゃって。とりあえず俺に出来る事なら何でもするから」
「・・・・・・ならデータを見せて・・・・・・後は、邪魔しないで。データをくれたら後は何処にでも行ってくれていいから・・・・・・・」
前途は多難だ、とミシェルは一夏を蔑ろにされて皆して不満そうな顔を浮かべている友人達を横目に天井を仰いだ。
やはり一応手を借りる事を受け入れてくれたとはいえ、一夏への悪感情はあっさり解消されるようなものでも無さそうだった。
一夏は簪に言われた通りに<白式>のデータを渡すと何処かへ消えてしまった。
そんな訳で整備室に存在する男手はミシェル1人となり、整備室の機材を用いながら<打鉄弐式>の外部装甲を外したりといった力仕事を一手に担って作業を続ける。
強面ながら鼻歌混じりに作業を行うその姿にちょっと引き気味のシャルロットを除く一同。しかしその手まで止めていないのは流石厳選されて選ばれた国家代表の卵達と言えた。
「ミシェルさんって案外こういった事もお好きなんですの?」
「・・・・・・意外とな。専用機を開発してもらっていた頃も、頻繁に組み立ての様子を見学させてもらったりしていた」
「それは良い事だな。己の機体の構造を余す事無く把握しておくのは正しい。兵器を操る兵士ならば己が扱う武器の構造まで隅々精通しておかねばな」
「・・・・・・それも間違ってはいないが、今のはそういう意味で言ったつもりではなかったんだがな」
装甲の内側の複雑極まりないパーツや配線の中へと首を突っ込みながらの会話である。
公式な軍人であり軍所属のIS操縦者としてとしてセシリアや鈴以上にISという兵器の整備法を叩きこまれた2人が<打鉄弐式>に直接触れて調整を行い、残りの面子は機体制御用ソフトウェアの完全構築に挑んでいる簪の助手として、ディスプレイと睨めっこを繰り広げていた。
軍人組ほどハードウェアに精通してもいなければ他の海外勢ほどソフトウェアにも詳しくない箒は、細々とした雑用役と相成った。機体を置くスペースとコンソール間を行ったり来たりして彼女なりに仕事をこなしている。
「・・・・・・それにしても凄まじいわね」
己の受け持ちのディスプレイから視線を引き剥がした鈴が注目しているのは、簪が用いている入力機器。
どこからどう見ても市販品どころか特注品にも思えないぐらい特異な形状と扱われ方で、何と両手両足で各部を挟み込むかのように上下に配置された計8枚の球形状空間投影キーボード、そして音声認識・網膜認識・動作認識諸々までも同時にことごとく操ってみせているのだ。
簪の処理能力だけでシャルロットとセシリアと鈴のそれを遥かに上回っている。まるで人の手で入力されているのではなく、勝手にプログラムが作り上げられていっているかのような錯覚さえ抱いてしまう。
これには簪以外の一同、その姿に思わず手を止めて見入ってしまう程。ミシェルとシャルロットも初めて簪の本気を見せつけられた気がした。
猛烈な作業光景に声すら出せずに見惚れてしまっていると、ようやく周囲からの熱視線に気づいた簪が手を止める。そして注目を一身に集めている事を自覚して顔を赤くして俯く。
「すっごいなあ。更識さんってこんな特技がを持ってたんだ・・・・・・」
「どうって事はない・・・・・・こんな事ぐらいしか取り得ないし・・・・・・」
「いやいやもはや取り柄ってレベルじゃないでしょそれ。どんな頭してたらそんなやり方でここまでやれちゃうのか訳分かんないわよ!あとさ、もしかしてそのデバイスって全部自作?」
「うん、普通の配置じゃそれほど効率が良くないから・・・・・・」
「もはや効率の良さとかそういうレベルじゃありませんわ、そこまで来ると」
「姉さんも昔同じような事を言っていたな、そういえば」
揃いも揃って驚嘆しっぱなしである。当の本人はとあるコンプレックスからそこまで自己評価は高くない辺り、色々と問題かもしれない。
それを解決するにはまだ幾許かの時間か、それとも何らかのきっかけが必要となるだろう。
少女達+黒一点の中でも、特に簪のその才能に興味を退かれたのは意外にもラウラだった。
「それほどまでの情報処理スキル、気に入った。貴様、私の部隊に来ないか?そこまでの技能をこのような場所で腐らせるには惜しいからな」
「え・・・・・えっ?」
「・・・・・・ラウラはドイツの特殊部隊の指揮官だ。こう見えて、な」
「抜け駆けは許しませんわよラウラさん!どうでしょうか更識さん、我がオルコット家の専属秘書になりませんこと?本国のチェルシーだけでは負担が大きすぎると最近感じていた所でしたの」
「我が部隊に入った暁にはその能力を十分に生かせるだけの恩給を約束しよう」
「こちらこそ、それ相応の報酬を約束しますわ!」
「私の部隊に来い!」
「是非とも我が家に!」
ヘッドハンティングを試みているだけにセシリアとラウラの頭もヒートアップ。
だが現実は非常である。
「あの私・・・・・・一応、日本の代表候補生だから」
「む、そうか、ならば仕方あるまい」
「むむむ、それならば流石に無理ですわね。しかし惜しい才能ですわ・・・・・・」
意気消沈する部隊指揮官と名家の当主。誘われた側はいかにも恐縮そうに何度も頭を下げている。別に彼女が悪い訳ではないのだけれど。
その時、姿を消していた一夏が再び整備室に姿を現した。その手には大きめの風呂敷包みが抱えられている。肩には保温用の大きな金属製の水筒。
「ちょっとどこ行ってたのよ一夏」
「皆しばらくここ(整備室)に篭りっぱなしになりそうだったからさ、部屋に戻って皆の分の昼飯作って来たんだよ。もう昼だしさ、メシにしようぜ」
「そうだな、丁度腹も空いていた所だ。更識さんは構わないか?」
「・・・・・・う、うん。そう言われてみれば私も――――――」
く~~~~~~~~
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(顔真っ赤)」
「じゃあ、お昼にしよっか」
苦笑交じりのシャルロットの意見を締めに、使っていた工具や機材を隅に纏めたりして場所を空けてから一夏の持ってきた荷物、3段重ねの重箱を広げた。
中に詰まっていたのは海苔に巻かれた俵型のおにぎりである。それからウインナーの炒め物に卵焼き、一口大の茹でたブロッコリーやミニトマトといった簡単なおかず。
生徒が汚れた時も考え部屋の隅に手洗い場も設けてあったからしっかり手洗いも忘れない。
「あとこれ、出汁はインスタントのやつだけど、味噌汁も作ってから遠慮なく飲んでくれ。熱いから気をつけてな」
「ありがとう一夏」
これまた一夏が持ってきた紙コップが配られる。もちろん、簪の分も。
「え、あの、私も・・・・・・?」
「いや、当たり前だろ?更識さんだけのけ者にするわけないじゃん。ちゃんと簪さんの分まで作ってきたから、遠慮なく食べてくれよな」
「・・・・・・・・・・・・ありがと」
蚊の鳴くような声。しっかりと一夏の耳に届き、爽やかな笑顔を一夏は浮かべる。
「だけどすぐに作れるような簡単なおかずばっかりでゴメンな。おにぎりも急いで作ったから具の種類とか個数とかまちまちだし、皆の口に合えば良いんだけど」
「わざわざ作って持って来てくれただけでも十分だ・・・・・・ありがたくいただこう」
「んじゃ箸も味噌汁も皆の分が行き渡ったみたいだし――――いただきます!」
『いただきます』
多国籍な面子でもここは日本。なので郷に入っては郷に従い、両手を合わせて『いただきます』の声を唱和してからようやく食事が始まった。
さっそくおにぎりを素手で掴んではかぶりつく一夏と箒と鈴、それからラウラとミシェル。初めて見る食べ物に不思議そうな顔を浮かべつつおにぎりを両手で持ち上品に一口齧るのはセシリアとシャルロット。
薄い塩味がまぶされた米のほのかな甘みとふんわりもっちりとした感触は、ただ単に器に盛っただけのご飯とは別種の美味しさを秘めていた。更に一口食べると中に埋め込まれていた具が顔を覗かせ、舌を飽きさせずなおかつ一層米の味を引き立たせる。
1個食べ終わる頃にはセシリアもシャルロットも顔を輝かせていた。ラウラに至っては早くも2個目に手を伸ばしている。どうやらお気に召してくれたようだ。
「シンプルではありますがとても美味しいですわ一夏さん!」
「うん、僕も一口で好物になっちゃった!今度僕も作ってみようかな」
「そっか、口に合って良かったよ。でも単純に思えるけどご飯と具のバランスや握り方にもコツがあるから、美味しく握るには練習した方が良いと思うぞ」
「そうなんだ。じゃあクラブの部長に部室でも貸してもらおうかな」
「んきゅっ!?」
奇妙な押し殺された悲鳴がしたのでそちらに目を向けてみれば、ラウラがおにぎりを詰め込んで頬を膨らませたまま固まっていた。
彼女にとっては何と珍しい事に、じんわりと片方だけの目に涙さえ浮かべさせている。手にしていた紙コップ入りの味噌汁を未だ淹れたてのお茶程度には熱を持っているにもかかわらず一気に煽り、口の中身をそのまま胃へ流し込む。
それから涙目のまま一夏に掴みかかった。
「い、い、一夏ぁ!わ、私はお前に何か嫌われるような事をしたのか!?あ、あああああっ、あのような得体のしれない物など仕込んで、何だ、あの強烈に酸っぱくてしょっぱいペーストは!!?」
「ありゃ、ラウラ梅干しに当たっちまったのか。蓮さんから分けてもらった自家製の年代物なんだけど」
一応ドイツにもピクルスやザウアークラフトのような酸味の利いた漬物が一般的に存在するが、化学調味料などで味付けされた市販品とは一味違う自家製の梅干しは欧米人の舌にはあまりに強力過ぎたようだ。
ちなみに昔ながらの技法で作られた梅干しと大量生産された市販品の梅干しでは塩分濃度が約3倍も差があるので塩分の取り過ぎには注意。
「・・・・・・そりゃ、慣れてなければきついな」
「そういえば昔弾も蘭も運動会で蓮さんが持ってきたお弁当のおにぎり食べてて梅干しが当たった時悶絶してたわね」
「今時自家製の梅干しとは珍しいな。私も貰うぞ一夏」
箒も手を伸ばして3分の1ほど齧る。食べる側の事を考えてしっかり種が取り除かれた梅干しの果肉の、そのラウラの反応に違わぬ馥郁たる酸味と塩味を丹念に味わい。
「――――良い梅だ。今度私にも分けてもらえないか?」
大人っぽい箒の反応に無性に悔しさを覚えたラウラは彼女を睨みつけるが、見た目の幼さ+涙目+上目使いなのでむしろ子供っぽさとか微笑ましさの方が強く感じられてちっとも怖くない。むしろ可愛い。
「う~~~~~~~~」
「はいはい膨れない膨れない。ほっぺにご飯くっついたままだよ」
「・・・・・・・」
猫のように唸るラウラをひょいと持ち上げて自分の膝の上に載せるミシェル。夫の膝の上に収まった少女の口の周りをハンカチで拭きながら、微笑ましく笑うシャルロット。
そのコンビネーションが放つ雰囲気は、何処からどう見ても親子にしか見えなかった。少なくとも、一夏達が同じ思いを共有するぐらいには。
そしてそれを見ていた1人である、青い髪の少女は。
「――――――ふふっ」
小さく、本当に小さくだが、ほんの僅かにクスリと笑い声を漏らして。
だけどそれはしっかりと耳聡い目の前の少年少女達も聞き取っていて、彼らの目が自分に集まっている事に気付いた簪は真っ赤になりながら下を向いて顔を隠してしまった。
そんな少女の姿にミシェルはおにぎりの収まる重箱を持ち上げると、簪の前に差し出し。
「・・・・・・もう1個食べるか?」
「・・・・・・・・・貰う・・・・・・」
ゆっくりと彼女も、その手を伸ばした。
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そういえば最近梅干し食べてないなあと書いてて思ったり。
おにぎりの具は辛子明太子がジャスティス。少し前までは駅の中のコンビニのたらこマヨネーズ焼きおにぎりにハマってました。