<第六話>
学生寮から校舎に続く道を、志保と簪の二人が並んで歩いていた。
まあ、入学してから一緒に登校するのは変わってないのだが、雰囲気から全然違っていた。
なんと言うかちょっとピンク、それの発信源は簪であり、その原因は朝の一言、それで志保の存在が単なるルームメイトから、少し気になる存在にランクアップしたらしい。
いままで簪への評価は更識楯無の妹、というのが付きまとっていた。そこにかけられた、志保にその意識がなかったとはいえ、簪そのものへの言葉、しかも可愛いとか言われれば、簪の乙女心が起動するのは当然だろう。
「なんだか今日の簪さんは機嫌がいいよな、なにかあったのか?」
「う、うん、ちょっといいことがあった」
「そうか、よかったな」
自分の一言が原因とは、まったく思いいたらない筋金入りの鈍感がそこにいた。
この時志保が男のままであれば、骨身に刻まれた経験によって多少勘づくこともあっただろう。しかし、今の志保は女性であり、男性に恋心を抱くほどではないとはいえ、女性であることはある程度受け入れている。
つまり、どういうことかというと、今の自分が女性から恋心を抱かれるとか、起る筈がないと思っているのである、百合って何それおいしいのという状態だ。
いまの志保は肉体年齢が周りと変わらぬとは言え、中身は幾多の凄まじいほどに濃い経験を味わった大人である。
その雰囲気は周囲の女子とは一線を画し、入学から一週間ほどしかたってないとはいえ、すでにクラスの中では一目置かれる存在となっている。
気付いてないのは志保本人だけだ、前世のころと同じぐらい、いや、よりひどい状況になっている。
「お~、か~んちゃん、おっはよ~」
間延びした、まさにのほほんという言葉が似合いそうな、のんびりとした声が二人に届く。
声の主は、ぶかぶかの袖を揺らしながらのんびりと近づいてくる、声のイメージを裏切らぬ、まさにのほほんとした少女だ。
「おはよう……本音」
「うんうん、今日も~元気そうだね~、か~んちゃん」
いつものように、少し不愛想な簪の態度を見て、元気と判断できる当たり、それなりにこの二人は付き合いが長いのかもしれない。
「簪さん、この人は?」
「この子は、布仏本音、私の実家に代々仕えている家系の生まれで、…………一応、私の専属使用人?」
「ひ~ど~い~、かんちゃんなんではてなマークを付けるの~。ところで~、そっちの子は~?」
「衛宮志保……、私のルームメイト」
「衛宮志保です、よろしく布仏さん」
「本音でいいよ~、その代りわたしも~エミヤンって言うから~」
「エ、エミヤンですか……」
「うんうん、なんかこう~、ビビッときたんだよ~」
「…………いいですよそれで」
本能的に、この手合いに何を言っても無駄だと判断した志保、頭を抱えながらもエミヤンなどというあだ名を受け入れた。
その様子がおかしかったのか、簪の口から笑い声が漏れる。
「クスッ………エミヤンって」
「簪さんまで……」
「あっ!? ご……ごめんなさい」
「いや、いいよ、そのくらい。別にエミヤンって呼んでも構わないぞ」
「エ、エミヤンはちょっと………」
「そうか?」
「う、うん、……だから、あの…………し、志保って呼んでいい?」
上目遣いで頬を赤らめながら頼む簪、志保はそれを見て、ただ単に名前で呼び捨てるのが恥ずかしいとしか思っていなかった。
故に、何の逡巡も見せずに即答する、もちろんOKという形でだ。
「いいぞ、それぐらいなら」
「じゃあ、これからは……し、志保って呼ぶね」
「むふふ~、かんちゃんってば可愛いな~、ルームメイトを名前で呼ぶだけでそんなに照れちゃって~、ウリウリ~」
「ちょ!? 本音、抱きつかないで………」
「だって~、かんちゃんが可愛いんだも~ん」
「フフッ、仲がいいんだな、二人とも」
その仲睦まじい(?)光景を見た志保の手が、ふらふらと簪の頭へと延びる。
まるで子犬をなでるような手つきで、簪の頭をなでる志保。簪は数瞬の間、気持ちよさそうにしていたが、すぐに我に返った。
「って……志保もなんで頭をなでてるの!?」
「いや……なんとなく?」
「うんうんわかるよ~その気持ち~、かんちゃんが可愛いから仕方ないんだよ~」
「可愛いって……そんな」
そうして三人は和気あいあいと校舎へと向かって行った、校舎にたどり着くと本音だけは一組なので廊下で別れた、相変わらずのほほんとした足取りで……彼女は多分一生あの調子なのだろう。
あ…………こけた、と思ったらくるくると回ってバランスをとった、本当にいろいろと変な少女である。
その後、志保と簪は四組の教室へと向かう、その時の簪の表情はいつもより柔らかで微笑ましいものだった。
――――その時までは
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――午前の授業が終わって昼休みの時間
屋上で二人一緒に昼食を取った後、そろそろ午後の授業の時間の為、二人は教室に向かっていた。
ちなみに昼食内容は志保お手製の弁当だ、簪にとっては大変満足な食事だったが、昨日と同じように志保が自分の食事シーンを見ながらニコニコしているのが、不満といえば不満だった。
ただ単に、気になる人物から笑顔を向けられて照れていただけとも言うが………
そして、二人が教室に近づいたときに、教室の中からクラスメイトの話し声が聞こえてきた。
「そういえばさあ、うちのクラス代表って更識さんだけど、専用機ってどんなのかしら?」
「聞いた話だと、倉持技研の新型だって」
「え~、でも、今あそこ一組の織斑君の専用機にかかりっきりらしいよ」
「じゃあ、更識さんの機体ってどうなってるの?」
「それがあの子、自分で引き取って独力で完成させるつもりらしいよ、私の父さんが倉持技研に勤めてるから、そこから知ったんだけどね」
「うわっ!! それって無茶じゃないの!?」
「だよねえ、私も最初に聞いた時無茶だと思ったもん」
「同感~、生徒会長じゃあるまいし、言っちゃ悪いけど身の程知らずって奴?」
「あはは、言えてる――――」
その言葉を聞いた簪からは表情というものが消え、まるで能面のような感じだった。
顔は俯き、拳は力の限り握りしめられ、うっすらと血がにじんでいた。
志保がその様子に気づき声をかけようとした時、とどめの一言が発せられた。
「――――会長みたいな天才に、追い付けるわけないじゃない」
――――それがとどめとなった、ガラガラと簪の中で張り詰めていたものが、音を立てて崩れていく。
次の瞬間、簪は踵を返し走り去っていく、目尻に光るものを滲ませながら。
茫然と、志保はその後ろ姿を見つめていた、間が悪いというか、同時に響くチャイムと教師の声。
「そこのあなた、さっさと教室に入りなさい」
「――――すみません、先生、調子が悪いので早退しますっ!!」
「ちょっ、どこに行くの!? 待ちなさい!!」
教師の制止の声を無視して志保も駆け出す、その顔は苦虫を噛潰しているような表情だった。
「全く、……あんな泣き顔見せられれば、ほおっておけるわけないだろう」
志保は走る、その姿は、感情の赴くまま突っ走っていた、若かりし頃の衛宮士郎によく似ていた。
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「はあっ、はあっ、はあっ…………」
胸が苦しい、心臓の鼓動は早鐘の様に響き、立っているのもやっとで、壁に手をついていなければすぐに崩れ落ちてしまいそうだった。
ここは………校舎の裏手だろうか、そこでようやく自分がどこをどう走ってきたのかさえ分からないことに気付いた。
でも、仕方ないと思う、あの一言はそれだけ強烈だったのだから。
駄目だ………思い返すたびに涙が止まらない、あの言葉が脳裏から離れない。
――――会長みたいな天才に、追い付けるわけないじゃない――――
そんなこと、他の誰でもない、自分が一番よくわかってる。
私に姉さんほどの才能がないことぐらい、だって………生まれてからずっと、遥か彼方にある姉さんの背中だけ見てきたんだから。
近くにあってもいつまでも届かないそれは、まるで蜃気楼の様で……水面に写る月の様で――――
――――届かないのなんて、最初っからわかってた――――
けどそれを認めたくなかったのに、認められなかったのにっ!!
私の望みは、そんなに大それたものだったの、ただ私を見てほしい……それだけなのに、
思考はどんどんと深みにはまってゆき、だめだとわかっていても止められなかった。
気付けば授業開始のチャイムが鳴っていた、授業……どうしよう、………いいや、このままサボってしまおう。
涙は止まらず、動く気も起きなかったその時、ここにいるはずのない人の声がした。
「やれやれ……・、見つけたぞ簪さん」
振り返ってみれば、そこにはルームメイトの姿。
どうして? 授業はもう始まっているのに、そんな内心が顔に出ていたらしい、聞かれるまでもなく志保は答えてくれた。
「あんな泣き顔見ていれば、放っておけるわけもないだろう」
当然のことだ、と言わんばかりに志保は言う、けど今の私にはそれすらも煩わしく感じてしまった。
自暴自棄になるのを止められない、黒いものが体の奥からどんどんわいてくる、黒いものは罵詈雑言となって私の口を飛び出てきた。
「私のことなんか放っておいてよっ!! ……どうせ志保だって、あれ聞いて私のこと馬鹿にしてるんでしょっ!!」
「そんなことなんてないさ」
「嘘よッ!! 無謀だって、身の程知らずだってそう思ってる!! 志保だって姉さんのこと知ってるでしょっ!!」
「ああ、この学校の生徒会長で、成績優秀、文武両道、おまけに自身でISを制作して、学生にもかかわらずロシアの国家代表にもなってる、ちょっと調べればすぐにわかるよな」
「そうよ、ずっとずっと姉さんは光り輝いていた、妹の私はずっと姉さんの影にいた……、誰も私を見てくれない、誰もが私を姉さんの妹としか見ないっ!!」
「――――それは違う」
静かに、だけどしっかりと志保はそう言った。
「――――えっ!?」
同時に私は暖かなものに包まれた、志保が私を抱きしめた、と気付くのは数瞬の後。
どうして、と混乱する私に、志保は優しく声をかける。
「簪さんの気持ちをわかってやれる、そんな、自惚れたことを言うつもりもない。私は簪さんじゃないからな、その苦しみを一緒になって支えるなんてできない、だけど――――」
「――――倒れそうな体を、支えることぐらいだったらできるさ」
……このまま顔は隠しておくから、思う存分泣くといい、気の済むだけ泣けば、多少はすっきりすると思うぞ、と言葉は続いた。
それで限界だった、私は志保の胸の中で、幼い子供のように泣きはらした。
そして私の意識は、穏やかな暖かさに包まれ眠りに就いた。
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気付いた時に感じたのは、体を覆う草の感触と、頭に感じる柔らかな感触。
目を開ければ、おそらくさっきの校舎裏の近くの芝生だろうか……
「ん? 起きたのか、簪さん」
頭上からかかったのは志保の声、それでようやく、自分がどういう体勢なのか気がついた。
それに気付いた途端、逆流しそうな勢いで頭に血が上る、どうして、どうして……!?
「どうして!? 志保に膝枕されてるの私!!」
「あの後簪さんが、泣き疲れて寝ちゃったからだが?」
当然のことをしたまでだ、と言わんばかりの志保に対して、頭を抱える私。
なんでそんなにも平然としているのか、ひょっとして私のほうが間違ってる!? そんなことを思うぐらいに志保は平然としていた。
あれ……? その時、私は一つのことを疑問に思った、後から考えなおせばなんで気がつかなかったのかと思うぐらい、当然の疑問だった。
「ねえ…志保、どうして私のこと、……最初から名前で呼んでいたの?」
「なんで、今更そんなこと?」
「……お願い」
私の懇願に志保はちょっと照れくさそうにして、答えを口にする。
「それは……、名字で呼んだら、簪さんのお姉さんとごっちゃになるだろ。これから三年間一緒の部屋で過ごすんだから、そういうことはしたくなかったんだ」
それは、私を初めから更識楯無の妹ではなく、更識簪として見てくれていたということ。
なんだ、私の望みは………もうかなっていたんだ。
私を私として見ていてくれる人は、こんなにもすぐそばにいたんだ。
志保にとってしてみれば至極当然のことかもしれない、だけど、それはまるで颯爽と現れ、困っている人に手を差し伸べるヒーロー<正義の味方>みたいだった。
だから私は、ヒーロー<正義の味方>に助けられたならば当然のこと、いわゆるお約束を、感謝の言葉を口にした。
「――――ありがとう、志保」
「そんな礼を言われるようなことしたか?」
予想通り、やっぱり志保はなんで礼を言われるのか分からないという顔をしていた。
うん、やっぱり志保は私にとってのヒーロー<正義の味方>だ。
「ねえ、もうちょっとだけ、……こ、このままでいてもいい?」
「別にいいぞ、あんまり気持ち良くないかもしれないけどな」
「……ううん、そんなことない」
そうして私たちはしばらくのんびりしていた、――――授業中だということも忘れて
放課後、当然のごとく二人一緒に担任に叱られたのは、いまさら言うまでもないだろう。
<あとがき>
百合ってこんな感じでいいんだろうか、恋愛シーンを書くのも初めてなのにこんな無茶をしてしまうとは(汗
気付いたらこんな感じになってました、7巻読んでいたらこんな妄想が浮かんでしまって……簪を可愛く表現できていたらいいんだが