<第六十五話>
「……糞っ!! 動けぇ!!」
あの<ネームレス>って奴の攻撃が止まったと思ったら、いきなり<白式・刹那>が動かなくなっちまった。
見渡せば他の皆もそれは同じで、奴と戦っていたIS全機が動きを止めている。
いつもは軽やかに空を駆けるための筈のISが、地に縛り付けるための重しになってしまっている。
(むちゃくちゃやばいじゃねぇか!!)
震えが止まらない。戦う為の刃はもう全然機能していない。
こんなところを<ネームレス>の奴に襲われればひとたまりもなく、端的にいえば絶体絶命。
いつもなら頼もしさを感じる<白式・刹那>との一体感は既になく、抗う力はもう俺の手の中にない。
――――それでも、寝てなんていられるか――――
ぶっちゃけて言えば、すごく怖い。
当たり前だ、ISがちゃんと動いていた時から戦力差は絶大。なら今はどうかなんて言うまでもない。
物いわぬ重しと化したISを、無理やり自分の肉体で持ち上げて、<雪片参型>を杖代わりに何とか立ち上がる。
肉は軋み、骨も軋み、それでも力を緩めることを出来なかった。
ISには相応でも、今の<雪片参型>は人の身には大きすぎて、杖代わりにするのすら億劫だ。
ISは勿論パワーアシストがあってこそ動かせるものだから、立ち上がるだけで容赦なく俺の体を痛めつける。
「ぐぅ……はぁ…………はぁっ……」
立ち上がるだけで満身創痍。そんな様だ。
「――――――――」
<ネームレス>はそんな俺を、ただ立ち尽くしてじっと見ている。
どうせ俺の事を、意味不明な足掻きを続ける馬鹿としてしか認識していないんだろう。
そう感じられる、無機質で無感情な視線だ。
それでも、足掻きを止められない。
体は今もISの重みと恐怖で震え続け、心臓は破裂するんじゃないかってほどに鼓動を速めている。
踏み出す一歩は亀より遅く、地を這う蝸牛の様な鈍間さだ。
「――――世界なんぞ知るか」
<ネームレス>は言っていた。世界の滅亡こそが我が望み、と。
はっきり言ってそんなこと言われてもピンとこない。イメージなんてできっこない。
こちとら数か月前はただの一般人だったんだからな。
今ここにいる皆が――――俺の世界だ。
俺に背負えるのなんて、精々がそんな物。
器なんてでかくないって自覚はあるし、足が遅くてよく置いて行かれる。
それでも、譲れない物がある。渡せない物がある。
少なくとも、<ネームレス>に渡せるようなものなんて、今ここには何一つなんてない。
「おまえなんてお呼びじゃないんだよ。さっさと消えろよこの三下ぁっ!!」
だから、おまえなんていらないんだよ。
<亡国機業>と悪巧みしたいってんなら、どっか見えないところでこそこそとやってろ。
<雪片参型>を構える。今の俺にはその程度の行為すら多大な労力が必要で、正眼に構えるので精いっぱい。
「―――――――――――――――――――お膳立ては整えた、そろそろ目覚めてもらおうか」
その時、<ネームレス>がそう呟いた。
俺を見据え、俺に向けて、けれどその台詞は俺に向けたものじゃない。
「まだ目覚めんか? ならば一人ぐらい殺しておこうか」
<ネームレス>が掲げた右腕に外装がかぶさり、見た目からして大威力だろうと思わせるビーム砲が顕現する。
恐らくはISに対しても致命の威力を持つだろうそれは、ISが無用の長物と化したここにいる全員にとって過剰すぎる威力を持つ筈だ。
その砲口が向けられたのは、千冬姉。
「――――ざっけんなぁっ!!」
よろける体を引きずって、無理でも千冬姉の前に歩き出す。
「くるなっ、一夏!!」
いくら千冬姉の言葉でも、そんな頼みは聞けないね。
ああもう、それにしても重てぇな、たった数メートル先にいる千冬姉の所に行くのすらきつい。
それでも、行かなきゃならない。
ビーム砲にエネルギーが充填されて行く。俺を嘲笑っているのか、その充填速度は明らかに鈍く、まるで助けたいのなら助けてみせろ、そう言っているかのようだった。
ああ、だったら絶対に千冬姉を助けてやろうじゃねぇか。
気張れよ、俺の体、あとたったの二メートルぐらいだろうが。
「うおおおおおおおおおっ!!」
最後は、まるで突き飛ばす様にして千冬姉をビームの射線から突きだした。
「一夏ぁっ!!」
まるで自分が死にそうなぐらいに悲痛な顔で俺の名前を叫ぶ千冬姉。
全く、いつも仏頂面なんだからこんなときでもそうしていればいいのに。
そんな愚にもつかないことを、輝きが灯るビーム砲の前で考えてしまった。
(あ~くそ、絶対痛いだろうなぁ)
んなもん痛い通り越して死ぬに決まっている。
もうすぐ死んでしまうであろう自分の頭にわいたのは、いつもとあんまり変わり映えのしない阿呆な思考。
無理矢理動かないISを動かした肉体は、すっかりガス欠で避けることすらできそうにない。
そんな俺に対し、やはり<ネームレス>は何の感情も見せず閃光を放った。
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このままじゃ、一夏が死ぬ。一夏が死んじゃう。
<白式・刹那>の奥底で、彼女はようやく目覚めの声を上げる。
自身の主、ごくごく平凡な何処にでもいる少年である彼が、灼熱の閃光に呑まれ、跡形もなく消え去ってしまう。
彼に非はない筈だ、咎はない筈だ。
こんなところで無残に殺される謂れ等、決してありはしない。
第一、自分が彼を巻き込んだのだ。
彼があの時、ISに触れたのは決して偶然じゃない。
巻き込んだのは私で、<ネームレス>を生み出したのも、私。
『――――悪いな、不甲斐無い主で』
なのに、彼は死にゆく運命の中、私に労りの思いを伝えてきた。
『――――こんな未熟な奴が操縦者じゃ、お前も大変だっただろ?』
ううん、そんなことない。
だって、いつもあなたの思いを感じてた。自分の周りにいる人達と楽しく過ごす日々が、本当に大切なのを、私はずっと感じてた。
だから、その輝きを守るために、あなたが賢明だったって私が一番よく知っている。
私は、そんなあなたの相棒で居られて、すっごく嬉しかったんだから。
でも、<ネームレス>と、相対するのが怖い。
こうなることが分かっていたのに、いざこうなると怖くてたまらない。
勝ち目なんて何も無くて、私が目覚めたところで戦えるのは私とあなただけ。
だから、声一つ上げるのすら、怯えて縮こまってしまっている。
――――そんな事、許される筈がない。
だったら、覚悟をきめよう。
例えどんなことがあろうとも、私は一夏の翼だって言えるように。
『――――――――――――――――――――――――――――――――止まれ』
だからまず、この耳障りな雑音を払いのけよう。
こんな物がへばり付いたままじゃ、一夏はずっと鈍間なままだ。
そんなことは許さない。絶対に。
「私は<白式・刹那>、一夏が望む速さの為の翼だっ!!」
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閃光は放たれ、射線上の全てを溶かしつくした。
残る物は何も無く、つまりは織斑一夏の死亡という結果に繋がる筈だった。
そう、――――筈だった、である。
次いで、まるでこの事態を想定していたかのような、<ネームレス>の呟きが響く。
「ようやく、目覚めたか」
今なお<ネームレス>による浸食が続き、彼女の眼前にある全てのISが機能停止に陥っている。
しかし、今は違う。
今や<ネームレス>だけの領域となった空の上に、<白式・刹那>は佇んでいる。
そこにはもう、<ネームレス>の縛鎖の影響など微塵もなく、有する機能が十全であることはだれの目にも明らかだった。
「どう……して……」
しかし、そのことに一番驚きを隠せないのは当の一夏だった。
何せ命中の一瞬、それまで物言わぬ鎧だった<白式・刹那>が再起動し、機体側からの瞬時加速の発動によって難を逃れたのだから。
『ごめん、待たせちゃったね一夏』
それを成した彼女が、一夏の脳内に思念を投影する。
脳内に響く少女の声。その声に一夏は聞き覚えがあった。
「………もしかしてお前、<白式>か?」
『うん、そうだよ』
「そう……か」
明確なIS側からの呼び掛けに、一夏にはさして動揺はない。
何せこれまでずっと一緒だったのだ。明確に言葉を発したところで、今更何を疑念に思うだろうか。
「――――いけるか?」
ならば言うべきはその一言。
『――――勿論!!』
答えるべきもその一言。
無論一夏の心中に疑問は残る。でも、それを追求するのはあとでいい。
今は駆けよう。刃を振るおう。迫る敵を斬り伏せよう。
<白式・刹那>の両腕に<雪片参型>が改めて握り直され、戦闘態勢を整える。
「でえりゃあああああああああっ!!」
一夏が裂帛の気合とともに、瞬時加速を発動。
同時に<雪羅>を最大範囲で発射し、<ネームレス>のセンサーを少しでも眩ます。
細い細い光の雨にまぎれ、自身の出せる最大速度を絞り出し一気に肉薄する。
そんな一夏を迎撃するため、<ネームレス>のサブアームと遠隔攻撃端末が、再び鎌首をもたげ砲口を向ける。
一夏の視界にそれらの攻撃予測軌道が投影され、視界が攻撃予測軌道の動線で埋め尽くされる中を、極限まで加速された反応速度で切り抜け、微かに開いた隙間を<クアッド・ブースト>で突き進む。
(いつもより……機体が軽い)
常より研ぎ澄まされた機動。
その原因は、一夏にかかる負担の減少。いつもより機敏に反応するPICの慣性制御が、これまでにないほど一夏の体に掛かるGを減少させる。
それも必然。これまでと違い、明確に<白式・刹那>の意識が表に出ているのだから。
眠りに就いている物と、目覚めている物。どちらがより性能を発揮するか、論ずることでもないだろう。
(もっとだ、もっと速く!!)
追いつける速さだけならば、ここで死ぬだろう。
ならば、前に進める速さを。皆を守れる速さをくれ、と一夏が望み続け――――。
『任せてよ、一夏。私は一夏の翼だから、一夏の望む速さを絶対に与えてみせる!!』
その祈りを、<白式・刹那>が自身の性能をすべて使って叶えてみせる。
「いい機動だ――――だが無意味だ」
それでも、その一夏の突撃に何か意味があるわけでもない。
完全に背後をとり、<雪片参型>の瞬時加速と<クアッド・ブースト>を同時発動。
<零落白夜>の発動時間をいつもより延長し、望める限りの最大威力を、無防備な<ネームレス>に叩きこむ。
音速を超え、神速に至った必殺の刃。それでも、一夏の視界に映し出されたのは、命中の寸前に発動した絶対防御によって無傷のままの<ネームレス>だった。
今の一撃で剥ぎ取れた障壁は半分程度。明らかな火力不足の結果だった。
(ああ、わかっちゃいたけどよ!! あれで無傷ってのはきつすぎるな!!)
内心に走る動揺を抑え込んで距離をとり、再び襲いかかる意思なき軍勢の猛攻をくぐりぬけていく。
『いけるか? <白式>』
『一夏がいけるなら、何処までも』
それでも、一夏と<白式・刹那>は闘志を消さず、突撃を繰り返す。
無謀で、無意味で、何の変化も与えない突撃を。
「おまえは、学習という物はしないのか?」
「うっせぇ!! ああ確かに無意味かもしれないけどよ、やらなかったら可能性なんてあるわけないだろっ!!」
そう、何の痛痒も、何のダメージも与えない攻撃でも、今こうして時間は稼げている。
そうすれば、何か変化があるかもしれない。誰かが一石を投じるかもしれない。
例え相手のエネルギーが膨大でも、少しでもエネルギーを削り続けることは意味があるかもしれない。
刻一刻と減り続ける自機のエネルギーに、自身の精神力まで削られながらも、一夏は攻撃の手を緩めない。
「俺は一人じゃないっ!! 俺の力が通じないからって、俺たち全員が敗北したわけじゃねぇっ!!」
「――――理解できんな。現に仲間は全て行動不能、直に学園全域が我が手中に落ちるというのに」
心底理解できないと、その時初めて<ネームレス>は自らの言葉に感情らしきものを乗せた。
確かに<ネームレス>の言うとおりだろう、けれど、一夏の孤独な奮戦に意味はあったのだ。
――――――――意味は確かにあったのだ。
=================
『――――――――――――――――――――――――――――――――止まれ』
<ネームレス>の放つ縛鎖は、今この時、赫き刃金と黒き凶蜘蛛の所にまで届いた。
学園にある他のISコアのように、瞬く間に犯され屈服させられるのだろう。
「な、にぃっ!?」
『これ……はっ!?』
互いの主もまた、彼女たち二人が浸食を受けたことによって動きを止め、天井知らずに過熱していたその激闘に水を差される。
奥の奥、<赫鉄>と<ブラック・ウィドウ>の中枢にまで浸食の手は伸びる。
このまま行けば彼女たちも完全に屈服させられ、他のISと同じように機能停止させられるだろう。
――――ふざけるな――――
渦巻く思いはその一念。
『私のマスターの戦いを――――』
『我が主の命を――――』
急激な進化によって得た魔術術式は、渦巻く明確な感情は未知のプロトコルとなって、絡み付く縛鎖と、それを放つ<ネームレス>に迸る怒りを放つ。
彼女らの主が演じる至大至高の戦いを、この世の誰にも邪魔はさせない、と。
『――――――――あなたなんかに邪魔させないっ!!』
『――――――――貴様の様な輩に害させるものかっ!!』
要約すれば、彼女ら二人は<ネームレス>の事を、「邪魔だボケっ!!」と一喝したのだ。
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「――――――――!?」
その一喝は、<ネームレス>に対しほんの僅かな漣を立てる。
確かに、<ネームレス>は衛宮志保とオータムを異端だと認識していた。
だが、その二人はISを使っている。その時点で<ネームレス>は絶対的な優位性を持ち得ている。
故に、人間ほどの柔軟な思考能力を持ち合わせていない<ネームレス>は、そこで思考を停止させてしまっていた。
<白式・刹那>のように、予め理解していた異端とは違う正真のイレギュラーとなって、<赫鉄>と<ブラック・ウィドウ>は<ネームレス>に対し目に見えぬ一撃を放っていたのだ。
だが、与えた物は僅かな停滞。困惑とすら評せない僅かな漣。
――――例えて言うなら正しく“刹那”の隙だった。
「ほら見やがれ、――――――――可能性はあっただろうが」
ISですら生かせぬその刹那。だが忘れるなかれ、織斑一夏と<白式・刹那>にとってはその刹那こそが我が領域だということを。
直後、肩口から断ち切られる<ネームレス>の右腕。
「何……だと……」
この結果は、今に至る数多の要因が合わさって成し得た、正しく奇跡に等しい一撃だった。
「一矢、報いらせてもらったぜ」
その奇跡を以って、ようやく反撃は成されたのだった。
<あとがき>
いやもうほんと、この結果はかなり際どいものです。ご都合主義と言われちゃそれまでですけどね(汗
何せ志保とオータムの出会いを皮切りに、二人が自分の機体に感情を与えるほどに戦い続けなければいけないし、<白式>も超スピード特化に進化しなければいけないし。
しかし、それでも現状では一矢報いることが限界という……。