<第六十三話>
体内の内包物を全てまき散らしながら、志保の右半身が力なく落ちていく。
誰がどう見ても明確に認識できる死の形を、簪も認識した。
「え……あ……ああ………」
<夢現>を握る腕に、瘧の様な震えが走る。
そのままとり落としそうになる腕に灯るは、簪のこれまでの人生において、一度たりとも抱いていない感情だった。
「う…う……うあああああああああああああああああああっ!!」
親しき人を眼前で殺されれば、人が抱く感情はほぼ二つしかない。
喪失による悲しみか、喪失を突きつけられたことによる憎しみか。
簪が抱いたのは後者。彼女の人生で一度たりとも出していないと言い切れるほどの、狂乱の絶叫が迸る。
憎しみのまま振るわれる<夢現>、その行き着く先はオータム以外あり得ない。
「――――ふんっ」
だがそんな物が、今のオータムに通用するはずもない。
羽虫を掃う気安さで、簪の復讐は無為に終わった。
<夢現>の穂先を消され、<打鉄弐式>の非固定部位も、左右両側ともに消失させられる。
「――――おいおい、これで終わったとでも思ってるのか?」
しかし続く、首筋めがけ走る斬撃を寸前で止めたオータムの口から飛び出たのは、簪にとってあまりに意味不明な言葉だった。
「終わった………終わったじゃない!!」
「ああそう……そうなんだろうなぁ」
確かに形だけを見れば、オータムの刃は志保の体を両断した。
いかに<赫鉄>がナノマシンによる再生能力に特化していたとしても、これほどまでの消失に対応できる筈がない。
「ああでもなぁ……志保の芯を斬った気がしねぇ」
あろうことか、志保を両断した当のオータム本人が、その勝利の手ごたえを不確かな物と断じた。
「だからテメェは邪魔だ、引っ込んでろ。――――――――テメェは志保のダチなんだろ? そんな奴を切り殺したらあいつが怒るじゃねぇか、俺は志保との斬り合いに誰かの介入なんか許しはしないんだ」
だから、志保にとって大切であろうお前を切れば、お前への思いが、志保との戦いに割り込んでくるだろうが、とオータムは言い切った。
それが自罰であれ、我が身への憎しみであれ、そんな物の介入は許しはしない。
オータム自らのそんな物言いに、簪は例えそれが幻の希望であったとしても、その言葉に一縷の望みをかけて志保の亡骸へと振り向いた。
「――――GaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
割れた鐘楼を想起させる、人語とは到底思えぬ雄叫びが響く。
当たり前だ。そもそも半割れの喉で人語を話せるわけがない。
同時、衛宮志保の半欠けの体が、突き出た刃の群れで埋められた。
「志保はまだ……死んで…・・・いない?」
その異端の光景に、簪の瞳にも希望が灯った。
その希望は――――――――すぐさま現実の物となる。
『――――オ前ノ相手ハ俺ダロウガ!!』
その刃金を骨と成し、肉と成し、体と成し、再び衛宮志保は立ち上がった。
プライベート・チャネルからは熱に浮かされたような志保の叫びが響き、未だ志保の精神が平静を取り戻してはいないと察せられた。
「ハハッ――――――――見ろよ餓鬼!! あいつはまだ終わってねぇぞ!!」
オータムの歓喜の声が流れる中、衛宮志保の体が<赫鉄>諸共再構成される。
刃金で形作られたヒトガタの獣。そう評するのが相応しいだろう。
(………………………志保も生きたいって、そう思ってるんだよね?)
無様で歪で……いつも冷静沈着で、難事を平然とした顔で切り抜けてきた衛宮志保には似合わないその姿。
けれども、その姿の奥底にあるその本質を、簪はしっかりと認識していた。
(あれはきっと、勝つための力じゃない。 “負けない”ための力だ)
理由はないが、簪にはそう確信できた。
だから祈ろう。志保はきっと負けないと。
そう祈って見つめた視線の先、刃金に覆われた仮面の奥で、志保がほほ笑んだ様な気がした。
『オレは――――負ケナイ』
きっと志保は、今もなお正気じゃないのだろう、常の自分じゃないのだろう。
けれど、だからこそ、その言葉には意味があると、簪は感じ取った。
「――――GaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
再び響く、刃金の咆哮。
志保の歪に組み直された五体が関節を曲げ、地を蹴り、スラスターを吹かし、空を駆ける。
疾駆する鏃の如く、只管に。真っ直ぐに。向かう先は凶蜘蛛一点。
「ハハッ、何だぁ?」
そのありえなさ、衛宮志保にあるまじき蛮勇染みた特攻に、オータムの口から呆れとも怒りともつかない声が漏れた。
いまだ頭の回路が繋がっていないのか、と心中で軽口を叩き、ならば目を覚ましてやろうと己が魔剣を振りぬいた。
気付けの一発と言うには、手心の類は一切ない苛烈な全力。
その一撃は、今度は逆の半身を斬り消して――――。
――――――――――――瞬く間に突き出て、半身を再構築した刃の群れに無為に終わる。
全く持って意味はなかった。例え消失したところで、その欠損を秒に満たぬ間に埋め直されては意味はない。
「おいおい、そんなのあり?」
惚けるオータムに、その外見に違わぬ獣如き荒々しき挙動で、剛爪掲げし右腕が振りかぶられる。
その爪、刃であり、剣であり、槍であり、刀であり、鏃であった。
十把一絡げの刀剣を、粗雑に束ねて作った武器と言えるのかすら妖しい代物だ。
だがそんな物でも、ISのパワーアシストと強化魔術を組み合わせて発揮する膂力で以って振りぬけば、相応以上の威力を叩きだす。
「似合わねぇな!! おいっ!!」
あまりにも違いすぎる行動パターン。例え真正面からの、何の戦法も感じられない力任せであっても、それこそがオータムの虚を突いた。
刃の爪のうち一本が、<ブラック・ウィドウ>の胸部装甲を薄紙のように破り去ってオータムの胸を切り裂いた。
「ああイテェ……イテェなぁ……」
そこまで深手ではないもののしっかりと負った傷は、しかし、命中と同時に傷口を、無限の概念のうちの一つで凍らせられて止血される。
その斬撃と凍結の痛みを、オータムは歓喜の体で迎え入れていた。やはり戦いはこうでなくては、と。
一方的などつまらない。己が命と敵手の命をチップにかけて、互いのありとあらゆるものをぶつけ合ってこそ、至高の戦いは紡ぎだされる。
そう信じているからこそ、この一撃は喜ぶべきものだと大いに笑った。
「ハハッ……いいぞ志保ぉ!! もっと斬り難くなったなぁ!!」
ああ、じゃあもっと己が刃を研ぎ澄ませよう。
俺達の限界はここか? 違うだろう<ブラック・ウィドウ>。
そうだよマスター、私たちはもっといける筈。
肉体的ではなく、精神の人機一体がオータムの限界を引き上げていく。
縦横無尽に振るわれる斬撃。最早斬撃の津波と評したほうがいいほどの高密度連撃。
「――――――――WoOOOOOOOOOOOOO!!」
だがそれでも、志保の突撃は止められない。
いかに隙間なく敷き詰められた斬撃といえども、着弾には時間差がある。
ならばその刹那に満たぬ間に、欠損を埋め尽くせ。消失を無為にしろ。
消失とともに起こる再生が、志保の命にオータムの刃を届かせない。
――――我が主の命、例え誰であろうとも失わせない。
電子回路の只中で、<赫鉄>が0と1の咆哮を迸らせた。
狂乱する主の術式、その手綱を身命に賭して握りしめる。
それこそが<赫鉄>の選択した手段。
――――指向性を持たせた固有結界の暴走――――
剣弾だけでは届かない。いくら撃ち続けたところで、二十七程度では届かない。
オータムに抗しえるには研ぎ澄まされた唯一が必要で、贋作・模倣しか持ちえない衛宮志保にはその唯一が無い。
本当にそうか? 本当に、衛宮志保には比類なき唯一はないのか?
いいやあるだろう。そもそも主自ら言っていたではないか、今のオータムには物量で押すしかないと。
衛宮志保は無限の剣群と同義で、無限の剣群は衛宮志保と同義なのだから。
ならばその無限こそが、主が持ち得る唯一だ。
神に祈る信徒に似た真摯さで、<赫鉄>はその唯一をぶつけるための形を思い描く。
オータムが千の刃を切り裂くならば、私は千五百の刃で以って主の体を生かし続けよう。
――――それが<赫鉄>の祈り願った形である。
――――故に、その形態の名を<伊邪那岐>と冠した。
それはまさに、人型に凝縮された無限。
今この時の主を打倒しようと思うなら、正しく無限の刃全てを切り裂いてみろ。
気炎を上げて固有結界を暴走させながら制御し続ける<赫鉄>。
『砕ケロォッ!!』
その<赫鉄>の祈りを受けて、志保の剛腕が振るわれる。
同時に打ち出される剣弾の数は、先の二十七と比べ物にならない。
百かあるいは千に届くだろう。
オータムが磨きあげた至高の斬撃ならば、今の志保は積み上げた巨岩の如き物量で対抗する。
「――――GaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
刃の津波による絨毯爆撃。飛び上がった志保は大地諸共オータムを塵芥に帰せんと、そんな出鱈目をふりまき続ける。
轟音と共に刃が地を割り、砕き、粉砕していく。
「――――アハハハハハッ!! そうだ…そうだ……それでいいんだよお前は!! 今は俺だけを見ててくれっ!!」
例え誰であろうとも絶望でしか抱けないその刃の雨を、オータムは望むところと刃を振るい斬り刻み続ける。
なぜならこの脅威は、この力は、衛宮志保がオータムの為だけに作り上げた力。
それを前にしてどうして歓喜せずにいられよう。
「必ず俺は――――――――お前を斬って見せるから!!」
純粋な思慕の念で大気を震わし、刃の津波を一刀のもとに斬り裂くオータム。
『斬ラレルモノカッ!! 俺ハァッ!!』
プライベート・チャネルに響く志保の叫び。続く思いは未だ奥底にあり、形にできない。しかし動き続ける五体と、消されるたびに湧き出る刃が、志保の思いを明確に表し続ける。
「――――オオオオオオオオオオッ!!」
『――――オオオオオオオオオオッ!!』
激突する斬撃と剣群。
互いにそれのみをぶつけ合う、戦術も戦略も何もかもが無い戦い。
真っ向勝負。そうでしか言い表せない、実に正道な戦いだ。
オータムは只管に斬り。
衛宮志保は只管に剣群を吐き出す。
それぞれの持つ物をただ只管にぶつけ合う。
見る者に清冽さすら与える戦いは、果てることなく続いていく。
『――――――――――――――――ハハッ』
その最中、ようやく志保は己を取り戻す。
轟音響く戦場の最中。風に溶けて消える声無き笑いとともに。
(どうしたんだろうな、俺は)
真っ二つにされてから、ようやく鮮明な意識を取り戻した志保が思ったことはそれだった。
何せ――――心躍っているのだ。
こんな出鱈目な戦いに、ただ生き延びるだけの戦いに。
ああ本当に、己はどうかしている。
これはいよいよ、オータムに毒されたのかと、体と切り離した思考の中で考える。
まあ、それは今論ずるべきではないのだろう。
今はただ、この戦いに全力を注ごう。
戦って、戦って、戦って、そして”生き延びよう”。
そう思うことのその意味を、未だ自覚しないまま。
果たしてそれは、誰の為にそう願ったのか。
かつて志保は、束から聞かされた話の中で不安を抱いた。
束が危惧する世界の危機と相討って、ガラクタに様に朽ち果てるのではないか、と。
前世ほどの熱量は、例え間違っていたとしても、綺麗と感じた物の為に進み続ける熱量は、もう己に無いのだから。
しかし、こうは言い換えることはできないだろうか。
正義の味方を踏破し続ける熱量は無くなったから、例えか細い望みでも、人が持つには必然で、されど常人より遥かに微かな物であろうとも、それが表に出てきたのだと。
鋼の心はひび割れて、だからこそ、その裏側にできた小さな輝きがようやく芽吹いてきたのだと。
憧れだけを入れた心の中に違う物が入っているのだと、志保は未だ気付かない。
その差異が、知らぬうちに高揚となって、知らぬうちに笑いとなって、志保の体を突き動かす。
『ああ、今はなぜか気分がいい。……お前を殺すにはいい日だっ!!』
「へっ……お前の全てを斬った後なら、それもいいぜ?」
戦いは、なおも続く。
オータムは衛宮志保を斬る<勝つ>ために刃を更に研ぎ澄ませ。
衛宮志保はオータムに負けぬために、剣群を更に励起させる。
勝つための力と、負けぬための力。
今ここに天秤は拮抗し、際限なき戦いがいつまでも繰り広げられる。
『――――――――――――――――――――――――――――――――止まれ』
――――戦いを阻む者が、現れるまで。
<あとがき>
ここ最近の文章の14歳病度が酷い。のりのりでかいているから、ISの原型がなくなっている気がしてならない。
ふと、果たしてこのままのノリで書き続けてもいいのだろうかと、疑問にすら思います。
そして、かつて志保は「馬鹿は死んでも治らなかった」と言いましたが、実際のところは死んだから治りかけてきていて、それを未だに全然自覚していないという……性質悪いな、オイ。
ちなみに志保の新しい力は、決して某妖怪ヌキヌキポンとは関係ありませんのであしからず。