<第五十話>
窓から差し込む夕焼けが廊下をオレンジ色に染める中、僕は車椅子に乗った志保を押してゆっくりと歩いていた。
「――――そう言えば簪はどうしたんだ?」
久しぶりの志保との二人っきりの時間。けどやっぱりわざとなのかそうでないのか、志保は他の子の話題を口にする。
もしかしたら、あえてそうしてそう言う雰囲気を壊しているのかも。
けどまあ、どんな思惑があるか知らないけど、そう言うことされるのちょっとだけカチンときた。
「<白式>が二次移行したでしょ? そのせいで倉持技研の人が大慌てでやってきて、一夏本人を駆り出せないから、代わりに簪が調査に協力してるんだ」
僅かに硬くなった声色に合わせて、僕は志保の耳たぶを引っ張った。
勿論思いっきり引っ張るつもりなんて全然ないから、甘噛ならぬ甘引っ張りみたいな感じだけど。
元から友達に車椅子を押してもらってるという状況が気恥ずかしいのかわからないけど、指先でつまんだ志保の耳たぶはほんのり赤く染まっていた。
今までは夕焼けに紛れて解らなかったけど、僕の指とつままれたせいでくっきりとその変化を見て取れた。
「それは判った――――――――で? 何で耳を抓るんだ?」
「別にいいでしょ? 減るもんじゃないし……うん……柔らかくていいね」
「私の面目ががりがりと減るんだが」
「今誰もいないよ?」
「…………むぅ」
そう指摘すると志保は言葉に詰まり、僕は足を止めてしばらく志保の耳たぶをいじくり回した。
ぷにぷにとした感触を堪能すれば、どんどん志保の耳が赤くなっていって、それが顔にまで映っていく。
「――――えい」
ついつい悪乗りしちゃって、今度はその林檎のようになった頬を指先でつつく。
耳たぶとは微妙に違うその感触。拗ねているのか膨らんでいく頬は弾力を増していく。
「――――怒っていいか?」
「だ~め、お仕置きだもん、これ」
こんなことされて照れている志保に、僕は何だか背筋が震えてついにはもう片方の手も車椅子のグリップから離して、両手で志保のほっぺたを突っついた。
「てりゃてりゃてりゃ~」
「いい加減にしろシャル…プヒュッ!?」
「ぷっ……あははっ!!」
ほっぺたをつつくタイミングと志保が口を開いたタイミングがあったのか、志保の口から、風船から空気が抜けたような間抜けな音が出てしまった。
流石にこれは本気で恥ずかしいみたいで、ほっぺたに触れている指先からプルプルと震えが伝わってくる。
「――――――――お願いだからこんな真似、外でやらないでくれ」
うわ~、志保がこんなにも真っ赤になってるとこなんて初めて見た。
夕焼けにも負けないぐらい真っ赤にして、こっちに振り向いて…・・・て言うか、今現在僕は車椅子から両手を離しているわけで、そして志保は別に腕も動かせないわけじゃない。
つまりは自分の手で車椅子を動かすことが可能。志保の両手が閃いたかと思うと、焦げ臭いにおいが出るほどタイヤを床に擦りつけながら、車椅子が百八十度回転した。
「いい加減にしようか? シャルロット」
そして目にもとまらぬ速さで志保の両手が、今度は逆に僕のほっぺたを抓り上げた。
勿論志保も本気でやるわけないから、僕のほっぺたを優しくこねくり回した。
「ふぁい…もうひまひぇん」
「ならば良し」
うう……乙女の顔を滅茶苦茶にするなんて、酷いや志保。
「…………というか、早く自分の部屋に戻りたいんだが」
「何をそんなに慌ててるのさ」
「さっきみたいなやり取りを他の誰かに見られたくないからだ」
表情に残る照れを吹き消す様に咳払いをして、志保は僕に車椅子を押すように促してくる。
「じゃあ見られないところならやってもいいの?」
「――――――――何?」
「だ~か~ら~、志保の部屋ならそう言うことやってもいいの?」
僕の返した言葉に、志保はあっけにとられたような表情をしている。
だって志保の言い方だと、僕が言った様な感じに聞こえたもんね。
「そう言う問題か?」
「うん、そういう問題」
「あのなぁ、言っておくが私はシャルロットも簪も、そういう対象には見ていないぞ?」
「だからこれは友達としてのスキンシップ、だよ」
車椅子を再び志保の部屋に向かって押しながら、僕はちょっとだけ卑怯な言い方をしてみた。
志保は基本的には人の頼み事と自分の意思なら前者をとる性格をしている。
こうして言ってしまえば、そうそう断りはしないはず。
「――――志保は僕のこと、友達としても見てくれないの?」
なんて芝居がかった言い方。けど、そんなあからさまな言い方でも志保は面白いぐらいに反応していた。
「……いや、そんなことは」
僕の言い分を受け入れるのか、それとも拒否するのかを必死になって考えているんだろう。
普段は冷静沈着のくせして、こんな他愛もないことに迷ってしまう志保を見ていると、どうにも抱きしめたくなっちゃう。
「そんなことは?」
後ろから志保の肩を抱きしめて、僕は耳元で問いかける。
そこまでやってようやくというか、志保は諦めた表情をして短く一言だけ言った。
「…………………………………勝手にしろ」
遠回しな肯定。それを聞いた僕は鼻歌を歌いながら志保の部屋へと急いた。
「全く、何が嬉しいんだが」
「嬉しいに決まってるでしょ」
=================
「――――けど、具体的に何をしたらいいかな?」
「私に聞くなっ!!」
これは誤算だった。志保がOKしてくれたことに頭がいっぱいで、具体的に志保とどうべったりするか考えていなかった。
せっかく今日は簪がいないんだから、いっぱい志保とその……イチャイチャしたいしさ。
簪はいいよね、志保とおんなじ部屋なんだから。今さっき届いたメールを確認してみれば「今日はかなり遅くなりそう、志保のことよろしくね」だって、これってもしかして、すっごいチャンスだよね。
「とりあえず……抱きしめる!!」
「なんでそうなるっ!!」
「いいの思いつかなくて、でも何もしないのはもったいないでしょ?」
ベットの端に座らせた志保に、思い切って僕は抱き付いた。
志保の炎の様な赤い髪が、僕の鼻先をくすぐってくる。女の子特有の柔らかい、けれどしっかりと引き締められた志保の体の感触を両腕を使って堪能する。
――――けど廊下の時と言い、今と言い、僕の行動って……。
「照れるぐらいならやらないでくれ」
「えへへ……ごめんなさい」
そんなことを言っても、志保は僕を引きはがそうとはしない。
それどころかじゃれついてくるペットを放置している様な、そんな視線すら感じる。
つまりは僕に対して何にもドキドキを感じていないってわけで……、負けないからね!! などと意味不明な闘志を燃やして、僕は体勢を少しずらした。
「――――シャルロット」
「――――何?」
「いくら女性同士でもそれはどうかと思うぞ?」
「いいの!! 当ててるんだから」
そう言いながら、一層僕は胸を押しつける。
うう、確かに志保も顔を赤くしてるけど、僕も顔が熱くなってきちゃった。
「とりあえず、着替えたいから手伝ってくれ」
そんな不毛な戦いから逃げるように、志保はそんなことを言って僕を引きはがした。
「は~い、もう少し続けたかったなぁ…なんてね」
そんないかにもまだまだ行けた、みたいなセリフを言いながらクローゼットの中から志保の部屋着を手に取った。
「はい、これでいいでしょ?」
「ああ、ありがとう――――それと虚勢を張るなら顔をどうにかしたらどうだ?」
「むぅ~、そう言う志保だって顔真っ赤じゃないか」
「ああ、友達があんな破廉恥な真似をすれば気恥ずかしくもなる」
うう、破廉恥だ、なんて言われたけど、実際その通りだから言い訳できないよぅ
「ふ~んだ、どうせ僕はエッチですよ~だ」
そんなことを言って床に座り込んでも、志保は我関せずとばかりにベッド上で着替えていた。
無反応って言うのが、一番傷つくなぁ。
「――――――――シャルロットはエッチじゃ無くて可愛い子だと思うぞ」
背後からかけられた唐突な一言に、僕の心臓は一瞬動きを止めた……ような気がした。
「い…いきなり何言うのさぁ!!」
「落ち込んでたから宥めただけだが?」
「だからって……かわ…可愛いとか」
ああもう、志保の方はすっかり普通の顔色に戻ってるのに、僕の方は顔が熱くなるのが止まんないよ。
何でこう志保は、唐突にこんなこと言うんだろう。
「志保の鈍感、卑怯者」
「鈍感はともかく、卑怯者はないだろ!!」
「いいや、志保って卑怯だよ、いっつもいっつも不意打ちしてくるもん!!」
「不意打ちって何だ!?」
最初に会った時とか、志保の部屋で紅茶を御馳走になった時とか、するりと胸の奥に来るようなことするし……うん、卑怯者で十分だと思う。
「志保の不意打ちの所為でいっつも僕ドキドキしてるんだよ!!」
咄嗟に僕は志保の右手をとると、そのまま自分の胸に押し付けた。
「ほら!! 僕こんなにもドキドキしてるんだよ!!」
「ああ……わ……わかった」
「本当に?」
「ああわかった、わかったから!!」
僕の胸から感じるドキドキを、ようやく感じ取ってくれたのか、志保は泡を食って首を縦に振る。
「――――――――だからその、いい加減私の手を胸から離してくれないか?」
志保の手に僕のドキドキを伝えるためには、当然胸にくっつけている。
つまりは、僕の…その…大きく膨らんだものに沈める様な形と言うことで…。
「……………………………………志保のエッチ」
ああ、何言ってるのかな僕!! 僕からやったことなのにぃ!!
=================
「落ち着いたか?」
「…………ごめんなさい」
錯乱した僕がどうにか落ち着いたのは、それから数分後。
本当ならもっと甘い感じになるはずだったのになぁ、僕が暴走しているだけじゃないか。
いたたまれなくなって、どうにかこの場の空気を変える方法を考える。
「そ、そうだ、お茶淹れてくるね」
「お・・・おい!?」
逃げるように台所に突入して、コンロに火をかけて、当然のようにしっかりとおかれているティーセットを使って紅茶を淹れる。
その間に、暴れる心臓を沈めて、熱くなった顔を冷まして、何とか平静を取り戻す。
ぺチン、と自分でほっぺたを叩いて、完全に気分を切り替えて、香りが立ち上るティーセットをトレイに乗せて志保の所へ戻る。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう……声を上げ過ぎて喉が渇いていたんだ」
「……志保のいぢわる」
そうして二人で紅茶を飲んで、ようやく一息つけた気がした。
ねじまがったほうに上昇したテンションを洗い流し、改めてどう過ごそうか考え始める。
けど、そんなこといきなり考えつくはずもなく、焦りだけが増していく。
「なぁ、シャルロット」
「ふぇ…どうしたの志保?」
そこに掛かった志保の言葉。それはやっぱりというか、かなりの不意打ちだった。
「何を焦っているのか知らないけどな、こうして一緒にのんびりできれば私は満足しているぞ?」
けどその不意打ちは、僕をドキドキさせることは無くて、僕の心の焦りだけを吹き飛ばした。
「――――うん、そうだね」
「そうだろ? あとそれと、紅茶おいしいぞ」
「さらっと言うなぁ、志保は」
そのまま二人でのんびりして体を休める。
一度精神を緩めたら、いろいろあった文化祭の疲れがどっと来て、小さく欠伸が漏れた。
「ふぁ…今日は大変だったね、志保」
「ああ、ほんっとうに大変だった」
そりゃ大変だよね志保は、両足がなくなるぐらいだもん。
ほんと、それなのにいつも通り平然として、やせ我慢も大概にしないといけないよ?
「そうだよね、そんなふうになるまで無茶しちゃってさ」
「というより、あの女が出鱈目に過ぎただけさ」
どこか他人事な志保の言い方。志保のそういう態度を見ていると、胸が締め付けられてくる。
「気を付けてよね、志保が怪我すると僕も簪もすっごく泣いちゃうよ」
「ハハッ、それは勘弁願いたいな」
「そうそう、寝込んだ志保の枕元で二人一緒に盛大に泣いてあげる」
「それじゃあ二人の笑顔を見れるように、気を付けるとしよう」
にやりと笑ってそう言う志保の顔が、重くなった僕の瞼で隠れていく。
ああ、なんかもう限界みたい。気付かない内にほっぺたとテーブルがくっついている。
そして、そのまま僕の意識が眠りに就く最中――――
「ああ、気を付けるさ――――――――”二度目”はもう、勘弁したいからな、だから安心してくれ、シャル」
しっかりとした決意と、初めて口にする僕の愛称。ほんと……志保は不意打ちが好き過ぎるんだから。
目が覚めたら、一杯シャルって呼んでもらおうっと。
<あとがき>
さて、久々のシャルメイン回、外伝並みの甘さになるように書いたつもりなんだが、はてさて、どうなることやら。
P.Sいっつも思うんだが、外伝の感想死傷者多過ぎるだろ。そんなに甘いのか?