<第四十七話>
――――――――断じて、予兆はなかった。
過程を切り取った映画のフィルムのように、音も、その姿も、何もかもなかった。
少なくともスプリングはそう感じていたし、彼女のISもその変化と、そこから導かれた結果を認識できなかった。
仮にこの場に他のISがいたとしても、一夏の行為を認識できはしなかっただろう。
それほどまでの速さ。最早目にもとまらぬではなく、目にも映らぬ速さ。超音速域での戦闘を主眼に置かれたISすら反応させぬ、時間という物を切り取ったかのような速さであった。
「う……………………そ……でしょ!?」
そしてその速さは、この場にある災禍すべて、そのことごとくを切り裂いていた。
学友を、友を、その大切な命の輝きを辱めんとする、その意思なき木偶の群れは、今はもう鏡の如く磨き抜かれた断面を晒すだけ。
「この私が………追い付けなかった!?」
そのスプリングの狂乱の叫びは、至極真っ当なものであり、同時にどうしようもなく的外れな物だった。
「追い抜いたんじゃねぇよ――――――――追い付いたんだ」
声の主、一夏の纏うISはつい数秒前とは全く違う物だった。
各部の構成は変わらぬものの、サンダラーの運用データをもとに<白式>が組み上げた牽制用拡散荷電粒子砲<雪羅>。
鋭さを増し、空を切り裂き飛翔する鏃のような印象を与える各部の装甲。
スラスターは推力を大幅に向上させた上に脚部にも増設され、その一つ一つが独自に瞬時加速を発動させる事が可能になっている。
その凶悪的な反動を制御するために、PICの出力は非常識なほどに高められている。
挙句の果てには<雪片弐型>――――否、<雪片参型>の刀身には、<鎧割>の構成を模したのかスラスターが増設されていた。しかもそれすらが瞬時加速可能という非常識なほどに高機動戦に主眼を置いたISへと、<白式>は変貌していた。
遥か先にいる大切な人たちへと追い付くために、条理すら蹴っ飛ばして速さを追い求めた。
それが今、一夏の纏うIS<白式・刹那>だった。
無常なる現実に追い付きたい。その思いの結晶が、スプリングの陳腐な思惑を置き去りにしたのは、なんという皮肉だろうか。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
(ああくそ、速いのはいいけどきつすぎるな)
とはいえ今の一夏は瀕死の体だった。ただでさえスプリングの責め苦に心身ともに消耗していたところに、先程の動きを行えばその消耗は必然だ。
ウイングスラスター・脚部スラスターを最大出力で吹かしながら、それぞれをスラスターで瞬時加速を発動。
多角連続瞬時加速という特大の無茶をしつつ、その出鱈目な速度域の中で<雪片参型>による瞬時加速斬撃。
その無謀を成すために無理矢理反応速度を引き上げられた一夏の脳髄は、今なお頭蓋を破裂せんばかりの激痛に苛まれている。
最早一夏は満身創痍。輝きを消した<雪片参型>の刀身を杖代わりにして、大地に倒れ伏すのを防いでいた。
「はっ…あはっ……あははははははっ!!」
その瀕死と言って差し支えない一夏を見据え、スプリングは壊れたような笑い声を上げる。
「驚かせてくれてそれだけ!? 結局あなたはこのまま死んじゃうんじゃない!! 最高の道化よあなた!!」
自身が一切反応できなかったという事実、そこから絡み付く恐怖を拭い去るように、スプリングは狂笑を浮かべる。
対する一夏は、確かにもう何もできない状態ではあったが、動揺など一切見せなかった。
「――――――――言っただろ? 俺は追い付いたんだよ」
そう、一夏は己が一人の力で、この事態を完璧に解決できるとは思っていないし、する必要もないと思っていた。
なぜなら一夏の力は追い付くための力、ならば自分だけの力ではどうしようもない状況でも、仲間がいる。戦友がいる。
「サンキュ、一夏」
「ええ、ありがとうございました、一夏さん」
そう答える二人の手中には、光り輝くクリスタル。
無粋な簒奪者から正当なる担い手の元に。在るべきものは在るべき場所へ。
「<甲龍>!!」
「<ブルー・ティアーズ>!!」
二人は高らかに、己が相棒の名を謳い上げる。もう二度と手放しはしないと、その意思を込めて。
二つの光り輝くクリスタルは、主のその思いに即座に応える。
鈴とセシリアの体に、再び相棒が舞い戻りその身を包んだ。
<甲龍>と<ブルー・ティアーズ>が再び起動してようやく、スプリングは自分の掌からISコアが無くなっていることに気が付いた。
「――――あんた、あの時っ!?」
その事実に気付いた時、スプリングの顔は怒りと恥辱で醜く歪んでいた。
そんな彼女に追い打ちをかけるように、一夏があっさりと言い放つ。
「お前、間抜けだな」
最早スプリングの意識から冷静や余裕などの一切が消え失せ、荒れ狂う獣を思わせる咆哮を上げながら一夏に突進する。
「ホントに」
「大間抜けですわね」
だがしかし、そんな突撃など鈴とセシリアにしてみれば、射的の的も当然。
レーザーライフルの閃光と、衝撃砲の見えざる弾丸が<女王蜂>の非固定部位を打ち抜き、その衝撃で彼女の足が止まる。
「こ……の……糞餓鬼どもがぁっ」
憤怒の表情でスプリングは一夏たちを睨みつけるが、事の趨勢はもう完全に一夏たちに向いている。
それは間違いではなかったし、スプリング自身も痛感していたが、それでも彼女は往生際悪く思考の中で足掻き続けた。
そして、その妄執はこの状況下において、スプリングの逆転の目を導き出した。
(そうだ……私がこんなところで負ける筈がない……あれなら)
スプリングの意識を釘づけにしたのは、両断された自立兵器の傍らで動きを封じられ眠り続ける人質の姿。
「甘いわね、あなたたち」
憤怒の表情から一転、最初の時の様な嗜虐心に塗れた表情に変わるスプリング。
「どういう意味だよ」
「簡単なことよ、私の操る自立兵器たちには証拠隠滅用の爆薬が搭載されてるの」
「それで? それ使えばあそこにいる人質諸共吹き飛ばせるからお前の言うことに従え、とか言うつもりか?」
「ええ、そうよ、あなたがその様じゃあさっきみたいな真似はもうできないでしょ?」
確かに、一夏にはさっきみたいな芸当ができる余力はもうなく、鈴とセシリアには先の一夏程のスピードを期待できない。
「ああ、そうだな」
「でしょ、わかったならさっさとISを解除しなさいよ、今なら手足の一、二本圧し折るだけで勘弁してあげるわよ」
スプリングの最後通告。しかし、それでも一夏は平静を崩すことはなかった。それどころか――――
「――――だが断る」
その明確な、さっきまであれほど人質の命を奪われるのを恐れた一夏の言葉とは思えない、拒絶の言葉。
「何を……言ってるのよあんた!? じゃあいいわ、人質が吹っ飛ぶところとくと見なさいよ!!」
「やれるもんならな」
最早喜劇に等しかった。人質を楯にしているにもかかわらず、一夏は勿論のこと、鈴とセシリアですら一切の動揺を見せていない。
ただスプリングだけが、思い通りに行かない状況に癇癪を起こす子供のように、自らを守る最後の防壁であるはずの人質を手にかける。
吹き飛ぶ残骸。ISに対しては何ら痛痒を与えない爆発だが、確かに人一人を殺傷するには十分な威力だった。
「あはははははっ!! 死んじゃったわねぇ!! あなた達のせいで!!」
爆風が砂塵を巻き上げ、人質の姿が見えなくなる。だが、スプリングの脳裏には醜い肉塊となった彼女たちの姿が映し出され――――
「――――――――水の……壁!?」
――――その愚かな想像を打ち砕く水の防壁が、人質に掠り傷一つ負わせていなかった。
その正体はナノマシンで構成された水。攻守どちらにも転用できるその液体を即席の爆発反応装甲<リアクティブアーマー>に変化させ、残骸の爆発から生徒の身柄を守ったのだ。
「本当に無粋ね……あなたは、悪いけどこの学園の生徒達の長として、そんな狼藉は見過ごせないわ」
そしてそんな真似ができる者など、このIS学園において一人しか存在していない。
「会長って……やっぱり凄いんですね」
「どういう意味よッ!?」
「いやだって……妹さん絡みで暴走してる印象しかなかったんで」
「酷いっ!? こんなにもかっこよく決めたのに!!」
スプリングを無視するかのように談話を続ける一夏と乱入者を見て、スプリングの顔が更なる驚愕に歪む。
「更識……楯無っ!?」
そう、IS学園生徒会会長、更識盾無。彼女の目の前で学園の生徒が殺されるなど、彼女は決して許容しないし起こさせない。
故にスプリングの行いなど彼女の逆鱗に触れるもので、しかし、スプリングに止めを刺すのは彼女ではなかった。
「――――――――貴様には聞きたいことが山ほどある」
続けて現れたのは、刀を携えスプリングに歩み寄る黒髪の麗人。
この世界においては見知らぬものなど誰ひとりいない、世界最強の戦乙女。
「織斑千冬までっ……!?」
その千冬は、全身から闘気を立ち昇らせ悠然とスプリングに歩み寄る。そして刀の鞘を放り投げ、手に携えた刀を上段に構える。
その行いにスプリングは疑問を覚える。いくら直接戦闘に向かないISとはいえ、生身の人間一人縊り殺すのは容易い。
だというのに千冬は刀一本手にしているだけで、ISを出そうともしない。仮に訓練機でも身に纏っているのなら、その脅威は格段に跳ね上がるのだが……。
(こうなれば、なんとしても織斑千冬を捕縛して……!!)
何の真似か、千冬の闘気に気圧されているのだろうか、他のISは一切動きを見せていない。
このまま千冬を捕縛し、どうにかこの場から離脱する。そう心中で思い描き、スラスターを吹かし、機体を前進させ、腕部を振り上げ――――スプリングに出来たのはそこまでだった。
(………………………………………え!?)
視界には銀光の閃きだけが焼き付き、その視界を白く染めている。直後、機体の装甲を両断され、絶対防御が発動し、意識を失うスプリング。
彼女の驚愕は口から出ることすらできず、その意識と共に無明に落ちた。
「――――ふん、他愛ない」
スプリングを打ち倒したのは、千冬の放った何の変哲もない振り下ろしの一太刀。
しかし、織斑千冬の技のキレと、志保が投影せし相州五郎入道正宗の組み合わせは、ただの生身の斬撃をして、ISに痛打を与える絶技となり変わった。
今度こそスプリングはその戦闘能力の全てを失い、大地に横たわる。
「――――――――おめでとう、織斑一夏君」
その筈だった。ならばこの声はいったい何なのか。
絶対防御が発動し、声一つすら上げることのできないはずのスプリングは、何もなかったかのように起き上がると、そんな意味不明な言葉を放つ。
「あんた……“いったい誰だ”?」
その一夏の問いかけは、場にいる全てが感じ取っていた。
まるでスプリングが喋っているのに、スプリングではない誰かが喋っている様なそんな歪さを感じさせた。
「ああ、自己紹介が遅れたわね、――――――――私の名は土砂降り<スコール>、亡国機業の者よ」
その名前に一番早く反応したのは楯無だった。何せ、ここ最近彼女が口にした組織の調査に、かなりの心血を注いでいたのだから。
「ふ~ん、その名前って亡国機業内でクーデターを起こして、組織の実権を握った幹部の名前じゃなかったかしら?」
「耳が速いわね、その通り。今私は亡国機業のトップにいるわ」
「そんなあなたがこんな回りくどい真似をして何の御用? 人を電話代わりにするなんて趣味が悪いわ」
「あらあら、お気に召さなかったかしら、ただメッセージを伝えるだけなのに」
そしてスプリング、否、スコールは一夏の方に振り向くと、その名の通りにただただ捲し立てた。
「――――主役になれておめでとう、織斑一夏君」
「どういう意味だよ?」
「ごめんなさいねぇ、未だこっちの準備ができていないから。いつになるのかわからないけど」
「おい、だからどういう!?」
「いつか必ず、私たちの主宰する恐怖劇<グランギニョル>をあなたに演じてもらうわ」
こちらの困惑を知っていながら、それでもなお一方的に喋るスコールに一夏も閉口する。
「今日はそれを伝えたかっただけ、それじゃあいずれまた会いましょう」
そして始まりと同じように、スコールはその不愉快な人間越しの通信を切った。
皆が、その得体のしれない不愉快さに沈黙している中、最初に口を開いたのは千冬だった。
「ふん、わけのわからぬことをペチャクチャと」
「しかし、気になることを口走っていましたね」
「それを調べるのはお前の仕事だろう、楯無」
「は~い…………うう、また仕事が増えちゃった」
この場にいる皆が、先程スコールが発していた言葉は、決してただの出鱈目ではないと感じていた。
楯無自身も何かあると痛感していたために、千冬の発言に異を挟まなかった。
そして千冬は、放り投げた鞘を拾い上げると刀を修め、未だ疲労困憊の一夏の元へと歩み寄る。
「大丈夫か、一夏」
「千冬姉……」
しかしまあ、常には見せない千冬の慈愛に満ちた表情を見て、他の三人はどうして千冬があんな行いをしたかを理解した。
(((……………なんというブラコン)))
ぶっちゃけ卑怯な手段で一夏を嬲ったことが千冬には許せなかったのだ。だからあんなにも殺る気満々だったのだろう。
その怒りを原動力に半壊していたとはいえISを打倒するとは、さすがブリュンヒルデと褒め称えていいものか、三人には判断がつかなかった。
「俺……追い付けたのかな」
「ああ、よくやったよ、お前は」
三人が千冬を複雑な表情で見守る中、千冬のその言葉に緊張の糸がほどけたのか、ISを解除し気絶する一夏。
千冬をその体を優しく抱きしめ、最愛の弟の成長を噛み締めていた。
「――――――――よくやったよ、おまえは、だから今はゆっくり休め」
そうして姉の胸に抱かれる一夏の顔は本当に安らかな顔で、ここでおわていれば本当にいい話で終われたのだが。
「おめでとうございます!! 織斑先生」
楯無のそんな雰囲気など爆砕せん一言が、この場に響き渡った。
「――――は!?」
「は!? じゃないですよ織斑先生、今まで何をやっていたかお忘れですか?」
にやにやとチェシャ猫のような笑みを浮かべる楯無に、まずは後ろにいた鈴とセシリアが楯無の言葉の真意に気が付いた。
「あ…ああああああああああああああああっ!? 添い寝権!!」
「と、言うことは、添い寝権は織斑先生の物ですの!?」
そう、今この時間こそが、ショタ一夏との添い寝権を駆けた織斑一夏捕縛レースのタイムリミットだった。
勝利条件は言うまでもなく、タイムリミット時に織斑一夏の身柄を確保していた者だ。
「つまり私が、小さくなった一夏と添い寝しなければいけないのか!?」
その点で行くならば、千冬こそが紛うことなき勝者であった。そして、思わず口を突いて出た叫びには、困惑も確かにあったが、同時に歓喜もまた見え隠れしていたのだった。
<あとがき>
かませ犬ご苦労スプリング!! 君のことは多分次話書き上げるまで忘れない。
そして今回の話を書きあげて、体を張って人質を助けて、仲間に後を託すってまるっきりヒロインがとる行動じゃね? うちの一夏心底主人公らしい行動取れないなぁ、とか思いました。
前の話のラストがああだっただけに、一人でかたを付けるのはらしくないなとか思ってしまったんで。