<第四十三話>
吹き抜ける砂塵を含んだ風。硝煙の匂いと、何かが焦げる匂い。
見渡す限りに広がるのは、兵器の残骸と血に染まった肉塊、そして、それらを舐めつくす炎。
見間違えようも無いほどに、そこは戦場の跡だった。
塵殺。その一言以外で形容できないほどに、そこは凄惨極まっていた。
ようやく底で、鼻を突くこの匂いが人肉の焦げる匂いと、血の匂いであると気付いた。
普通ならば吐き気の一つでも催しておかしくないと思うし、自分もそこまで心胆が強いとは思わない。
「――――――――ああ、夢なんだ、これ」
例えるならば、予め作りものだとわかっている戦争映画。
真に迫るものはあっても、どこか現実感が無い。
けれど、”これは作り物だ”、と思いたい心情が、心の奥底、自覚もせず降り積もる。
「けど、何でこんな夢を見るんだろう?」
誓って生涯一度たりともこんな戦場に立った覚えはないし、夢に見るほどに強烈な戦場をモチーフとした創作物にも出会った覚えはない。
夢とは記憶の再編集。そう、聞いた覚えがある。
ならばこの夢は何なのだろうか、過去とは違う、ましてや、己が奥底に眠る深層意識でもないだろう。
自分は決してこのような光景を見たいとも思わないし、作り出そうとも思わない。
使う物が極上の兵器とはいえ、ほぼ完璧な安全性が確保されている競技に、数多の人達に背中を押されてやっと挑めた臆病者なのだから。
全く自身との関連性が欠片も無い、無縁の夢。
動く物が、何一つとしてない無明の世界に、ただ一つ動くものがあるのに気付いたのは、それから……夢の中でこういうのは変な話だが、数分ぐらいたってからだった。
気付かなかった理由は多分、“それ”が刃金に思えたからだろう。
幾度の戦場を駆け抜けてもなお、おそらくは折れはしないだろうと思わせる、剣の如き人間だったから。
身に纏う赤いコートが風に靡き、染め上げたわけでもない自然な白髪と、幾度も打ち鍛えた鋼の地肌を思わせる褐色の肌が目を引いた。
――――何故だろう、どうして今私は“彼女”のことを想起したのか。
構成する色合いが、彼女によく似ていたから?
纏う風が、戦いの時彼女からも感じたから?
振り向いた瞳が、まるでどんな獲物をも逃さない鷹の如き瞳だったから?
多分、一言で纏めるなら、“彼”がもし“女性”だったなら彼女みたいになるんだろうと、そう思ったからだ。
どうやら、彼も私に気付いたみたいで、揺るがぬ歩みでこちらに近づいてくる。
その瞳は決して私から逸らされることはなく、気付けばその手には剣呑な気配を放つ刃が握られていた。
その刃は二刀一対、白黒の短剣だった。
陰陽模様を施された二極を現すそれは、訓練の時に彼女がよく見せる剣だった。
「すまない、――――――――――――恨むなら、俺を恨んでくれ」
その煌めき。命奪う鋭利さが私の首筋に迫る。
ああ、殺されるんだろうな、と夢の中の浮遊した感覚でそう思った。
そこに恐怖はなく、あるとしたら一つだけ。
――――――――どうしてこの人は泣いているんだろう。
押し殺した無表情の中に、悔恨と嘆きと悲しみが垣間見えた。
だからその顔は、涙の一筋すら流していなくとも、間違いなく泣き顔だった。
首筋に灼熱が灯る。一拍の後、吹き出した鮮血が視界を塞ぐ。
夢と現は表裏一体。ならばこれは目覚めなのだと薄れゆく意識で理解して――――
夢と現の狭間の刹那。無限の剣の墓標を垣間見た気がした。
=================
「――――気分悪い」
うん、いくら夢の中とはいえ、殺される夢なんて見たくもなかった。
迫る刃の輝きと、首筋に今でも残る切断の感覚が、眠気を諸共に切り裂いていた。
指先で触れれば今でも、その熱さに似た痛みを感じる様で、とりあえず一刻も早く顔を洗ってこの気分を洗い流そうと決める。
「ふう、さっぱりした」
冷や水をかぶれば、とりあえず気分も落ち着いてくる。
そうなれば、あの夢についてもある程度は客観的に考えられるわけで……。
けど、そうして思い返せば返すほど、あの男の人と志保が重なって見えてくる。
差異なんてそれこそ、性差しかないとすら。
けど、いきなりしほに「志保って男だったことってある?」なんて聞いても、まさしく世迷言。いや、この場合は寝言だろうか。
そんなとりとめも無いことを考えて台所に向かえば、一足先に起きていた志保が、今日の朝食と昼食の準備をしていた。
「おはよう、志保」
挨拶もそこそこに、私も手を洗って準備の手伝いを始める。
油揚げを切りつつ、味噌汁の出汁をとり、卵焼きを作るためにボウルで卵をかきまぜる。
「ああ、おはよう簪」
志保も穏やかな笑みで挨拶を返しつつ、その手を止めることなく料理を作っていく。
そのまま会話は途切れて、静かな時間が過ぎていく。
聞こえてくるのは包丁の音に、煮炊き物の音、それぐらいしかない。
けれど、そんな穏やかな時間を志保と過ごせているのは、何よりも心が温かくなる。
ここ最近は、命の危険もある事件が結構起きているから、こんな時間の大切さが以前よりもしっかりと分かる。
同時に、志保に似合うのはこんな時間だと思う。
決して、夢のような状況なんて似合う筈がない。志保がたとえ隔絶した戦闘能力を持っていたとしても、それだけが、志保の全てである筈がない。
こうして、何気ない穏やかな時間を、志保だって望んでいるだろうから。
―――――――――けど、本当にそうだろうか。
不意に、頭の中によぎったその疑問。
何で自分でもそう思ったのかわけがわからず、調理の腕が少しの間止まってしまった。
「どうしたんだ?」
覗きこんでくる彼女の瞳。私を案じた優しい瞳の筈なのに、それが、夢の中の彼と重なる。
「………ううん、大丈夫だよ、ちょっと寝ぼけただけ」
「そうか? ここのところ文化祭の準備とかもあるから体には気を付けたほうがいいぞ?」
心底私の身を案じていてくれるその声。けど、私はさっき重なった幻影を忘却することに必死だった。
そんな筈ない。そんな筈ない。と呪文のように心中で繰り返す。
そう、志保はあんな塵殺なんて決してしない、と誰よりも自分に言い聞かせた。
嘘吐き、志保のことなんて殆ど知らないくせに。
そんな心のどこかの声を、圧殺するように言い聞かせた。
=================
その日の夜。いつものように二人で作った晩御飯を食べ終えて、二人でお茶を飲みながらの穏やかな時間。
違うところと言えば、いつも入り浸っている姉さんとシャルロットが、どちらも用事があっていないことぐらいだろうか。
志保と並んでテレビのバラエティ番組を見ながら、久しぶりの志保との二人っきりの時間を堪能する。
私の方はちょっぴりドキドキしているけど、志保は当然いつもと変わらない平然とした様子だ。
なんだか釈然としないから、私のドキドキを押しつけるように、隣に座っている志保に寄り掛かる。
けれどそれでも無反応。しっかりと気付いているはずなのに、変わらずのんびりとしている。
むしろ触れ合った志保の肩の温かさに、私のドキドキが増していく。
「――――何かない?」
なんだか私が一人相撲しているみたいで、せめて何か反応を返してほしくて、つい志保に問いかける。
なんだか釈然としない敗北感に打ちひしがれていると、志保が困ったような表情を見せた。
「どうして欲しい? なんて聞くのはいささか間抜けだな」
「志保は私のこと、精々妹分としか見てないもんね」
私がちょっと拗ねたようにそう言うと、志保は一層困り果てた顔をして、それがなんかおかしくて笑ってしまう。
「フフッ…志保ってこういうことになると要領悪いよね」
「私としては、簪を友人として見たいんだがな」
「私は、………そこから先に行きたいな」
そう言って、私は一層志保に寄り掛かる。すぐ間近にある志保の顔に上目遣いで見つめてみる。
流石に志保もここまでして無反応とはいかず、赤らめた顔を無理やり咳払いして整えた。
その様子が何よりも嬉しかった。自分が志保に影響を与えているということは、無視できるほどちっぽけな存在ではないことのあかしだから。
「ねぇ……やっぱり、駄目?」
「…………………今は駄目、と言っておくよ」
「どうにも腑抜けた言い方だ」とぼやいて、志保は視線を逸らす。
つまりはまだ望みがある、ととっていいんだろうか。だったらまあ……そういう言葉を引き出せただけでも良しとしよう。
「じゃあ……代わりに志保のことを教えてよ」
「私の?」
「うん、だって志保自分のことはあんまり話さないし、それで許してあげる」
「とはいっても、何を教えればいいんだ? 流石に何から何まで話してくれ、というのは勘弁してほしいんだが」
困り果てた顔をする志保を見て、私は今の今まで棚に上げてきた疑問を口にした。
本来なら、即座に聞いておかなければいけないことだけど、あの時は私もシャルロットも全然冷静じゃなかったから。
「――――――――――――ねぇ、何であのとき“私はきっと、誰も幸せにはできない”って言ったの?」
そう、咄嗟のこととはいえ、そんなことが口から突いて出てくるということは、そう思うだけの何かがあったということ。
何も無ければ、わざわざそんなことを言いはしないと思う。仮に女性同士という点で、志保が拒否感を示したならば、きっとそういうことを言う筈。
そして、志保がそう思うに至った経緯を、私は手掛かりレベルですら何一つ知らない。
だから、今ここで教えてほしいと思った。今朝見た夢が、影響していないと言えば嘘になる。
放っておけば、あの夢はきっと真実になるんじゃないのかという、理屈の無い予感があった。
「簪は……瀕死の体で、苦痛に塗れた顔をした奴に救われたいと思うか?」
しばらくの沈黙の後、志保は絞り出すようにそう口にした。
その質問の内容、意図するところは見えなかったけれども、私の率直な想いで言うならば。
「私は……いやだな、助けられたなら、その人と笑いあいたいと思う」
その喜びを、感謝の思いを、助けてくれた人と分かち合いたい。
――――――――志保の時のように、と内心で付け加えて。
「私はさ、そうなっちゃうんだ、――――誰かの命と自分の命、どちらかを獲れと言われたら前者をどんなことがあっても選んでしまう」
「どんな……ことがあっても?」
「そう、見ず知らずの少年を助けるために、躊躇なくISに挑めるぐらいには」
確かに、志保はそう語っていた。けどそれは、魔術って言う、他人には無いアドバンテージがあればこその話なんじゃないのだろうか。
自分に抗する手段があって、勝算もあるのなら、それは単なる正義感の発露だと思う。
そんな私の心情を察したのか、志保は苦笑して言葉を繋げた。
「考えても見てくれ、数年前だったら体もまだできていない、あの時の行為は、はっきりって自殺行為さ」
「でも、織斑君は志保がISを圧倒していたって……」
「そうなるように立ちまわったというだけで、自殺行為に等しいことには変わりないさ、臨海学校は警戒されていたからあの様だっただろ? 危険を正しく理解しても、迷わず断崖に飛べもしないのに疾走する、基本的に私はそう言う奴だよ」
やけに饒舌に、志保は自身のことをそう評した。
それを、忌避もせずに志保は受け入れているようで、私にはそれが腹立たしかった。
その様子が、志保の言葉が的を射ていることの証で、言ってみれば志保は自分は自殺志願者に近いから、こんな奴とも付き合っていても碌な目には合わないぞ、と言っているようだった。
「治そうと、思わないの?」
自覚しているのなら、改善していけばいい。
まだ私たちは学生なんだから、いくらでも道筋を正せられる筈だから。
「…………そうだな、これから治していけばいい、か」
「自信が無いの?」
「ああ、これに関しては自信が無さ過ぎる、馬鹿は死んでも治らないなんて正鵠を射た言葉だって理解しているからな」
「じゃあ、志保って馬鹿なの?」
「ああ、すごい大馬鹿もの、それこそ死んでも治らなかったほどの、な」
おどけた感じで言う志保。けれど、志保自身も、それを治したい、改善したいと思っているように感じた。
「じゃあ、これから志保が馬鹿をやったら力尽くで止めてあげる、……出来るかどうかは、わかんないけど」
カッコつけて言いきった後に、そもそも志保は自分とは比べ物にならないほどに強いんだと思いだした。
おかげで蚊の鳴くような声で、間抜けな言い訳じみた言葉を繋げてしまった。
呆れられているだろうか、と恐る恐る志保の顔の方を見てみれば。
「――――――――カッコいいな、簪は」
ほれぼれとするような、むしろこっちがカッコイイと言ってしまいそうなほどの笑顔でそう言った。
「ど……どこ…が?」
「あの告白の時とか、結構見惚れていたんだぞ、面と向かってあんな啖呵を切られてさ、正直にいえばすっごくドキドキした」
「でも、私は親友としか見てくれないんだ」
志保の馬鹿。私の方がドキドキしてるよ。
私には志保の方がかっこよく見えてるんだから。心臓なんかずっと破裂しそうなほどなんだから。
「そうだな、こっちにも意地がある」
「何の意地なの、教えてよ」
「秘密、言えたことじゃないけど、いい女には秘密が付きもの、とかよく言うだろ?」
「自分で言っちゃうんだ、そんな言葉。――――誤魔化そうとしてるでしょ志保」
「ああ、なんだかついつい舌が軽くなってべらべらと喋ってしまったからな」
気障な台詞だけど、明らかに目を泳がせて言ってしまえば、魅力も半減だよ?
射抜くような視線を浴びせたら、志保は頭を掻き毟りながら照れたようにそう吐露した。
「志保でもそんなことあるんだ」
「ああそうだよ、“俺”だってあんなことを言われれば緊張ぐらいするさ」
あれ? 何か今ものすごい違和感があったような――――
「俺?」
「あ!?」
志保が自分のこと、「俺」なんていうとこ初めて見たかも。
緊張と興奮で口調もどこかぶっきらぼうになっているし、もしかしたらこれが志保の素なのかな。
「昔は自分のこと“俺”って言ってたんだよ、母さんにせめて“私”と言うぐらいしなさい!! ってよく叱られてどうにか直したんだ」
「………そうなんだ、それぐらい混乱してたの?」
「そうだよっ、簪は可愛いんだからあんなこと言われたらパニクるのは当然だろ?」
「か、可愛いって……!?」
「あの告白の時から、簪を意識しないようにずっと気を付けていたんだよっ」
志保の思いもよらない告白に、互いに顔を真っ赤にして固まってしまう。
テレビの中の芸人だけが騒がしい喧騒を醸し出して、どうにか沈黙は免れている具合だった。
…………そっか、志保の鈍感はそれも原因だったんだ。
「――――――――簪みたいな可愛い子に告白されたら、意識しないのなんて難しいよ」
前言撤回。混乱しているからってこんな台詞を臆面もなく言える志保って、筋金入りだよ。鉄筋並みの。
「いつもいつも、一線を超えないように自制を心がけているしな」
「今も?」
「今も」
「……超えてもいいよ?」
「それは断固拒否させてもらおうっ!!」
ここが攻め時かな、って思ったけど、志保の自制心は並々ならぬものだった。
誰よりも自分に言い聞かせるように、志保はきっぱりと言い切った。
そこからまたもや沈黙が続いて、数分がたった後、志保がポツリと呟いた。
「告白の後の、簪とシャルロットの言葉、あっただろ?」
「うん、どうしたの?」
「改めて言うけど、すごい嬉しかった――――――――私<衛宮志保>が変われそうな気がしたから」
ほかならぬ志保の唇から流れた「嬉しかった」の一言は、私もすっごく嬉しくさせる。
半分断られたような告白だけど、それでも決して無意味じゃないとわかったから。
「――――――――だからさ、さっきの一言、頼らせてもらうよ」
「勿論、その言葉、嘘にしないように頑張るから」
「ありがとう、簪」
互いに微笑みあって、あやふやな、だけど決して破れない約束をした。
聞きたいことのそもそもの根本。志保がそこまで自分を顧みないようになった原因こそは聞けなかったけど、それでも志保の小さな秘密と、気持ちの一部を知れてよかった。
また一つ、志保との繋がりが強くなったように感じられたから。
「ねぇ、二人っきりの時は素を出してほしい、いいでしょ?」
「――――――――考えておく」
うん、本当に聞けてよかったな。
<あとがき>
日常生活におけるフラグの積み重ねにより簪に対して、志保がデレを増しました。
ちなみに作者の考えとしては、本編の衛宮志保は未だ衛宮士郎の意識を残していて、外伝の衛宮志保は完璧に、“衛宮志保”になっています。
そう言う書き分けができているかは、ものすごく不安ですが……