<第四十話>
IS学園の一学期も終わり夏休みに入ったある日、私は久々に実家に帰省していた。
前世の記憶の中にある衛宮邸と“同じ“日本家屋の門をくぐり、久しぶりの、それでも馴染んだ廊下を歩いて居間に入る。
「およ? 帰ってくるなら連絡の一つぐらいしなさいよ、志保」
「ごめん、そういえば連絡忘れてた、――――ただいま、母さん」
居間で私を出迎えたのは、親しみやすさの固まりのような、いかにも近所の気のいいお姉さんといった感じの女性。
前世では姉貴分で、何の因果か今は母親という私とは奇縁を持つ女性――”衛宮”大河だった。
「何だ――帰ってきていたのかい、志保」
すると台所から親父も顔を出して、私を出迎えてくれた。
相変わらず、今の親父を前にすると何とも言えない気持ちになる。
不幸、なのだろうか……それとも幸運なのだろうか。
生まれた時から押し殺していた葛藤を今日もまた、おくびにも出さず、私は親父に声をかける。
「――――ただいま、親父」
「――――お帰り、志保」
無精ひげを生やした少しだらしなさの残る顔で笑顔を見せて、親父は――――衛宮切嗣は私を出迎えてくれた。
――――この世界では、当然衛宮切嗣は“魔術師殺し”ではない。
どこにでもいる平凡な、貿易会社に勤めるサラリーマンだ。
だから、母さんと普通の恋物語を繰り広げて、普通に結婚して、普通に私を生んだ。
傍目からは普通な物語でも、二人にとっては珠玉の輝きの物語。
そこに入り込んだ私という異物。多分相当に奇妙な、といっていい子供だったのだろう、私は。
それでも二人は私を愛してくれている。
「――――IS学園はどんな感じだい?」
「う~ん、ちょっとトラブルはあったけど、いい感じでやれてるよ」
実際は相当とんでもない出来事の連続だったのだが、機密がらみでもあるために言えるはずもない。
「それにしても志保がIS学園に入学したいっていきなり言いだしたのは驚いたわねぇ」
しみじみという母さんに、自分でもその通りだと納得する。
自分だってISに関わるとは思っていなかった上に、唐突に切り出したからな。
「あの時の母さんの取り乱しようは、未だにトラウマだよ」
簡単にいえば虎大暴れ。私と父さんどころか母さんの実家関係の人すら出張ってきての大立ち回り。
洒落じゃなくIS学園での出来事と比べても、遜色ないほどの大事になったのだ。
「ぶ~ぶ~、だって志保がいきなりあんなこと言いだすんだもん、ねぇ切嗣さん」
「そうだね、本当に驚いたよ。日頃自分の意見を出さない志保が初めて頼みごとをしたかと思えば、IS学園に入学したい、って」
「そこはほら、私も年頃の普通の女の子だからIS操縦者に憧れたとか、当たり前のことだと思うけどな」
ああ、自分で言っていてこれほど空々しい台詞も無いだろうな。
「何言っているのよ、碌にお洒落もしないし、化粧品にも興味を示さない、小学校中学校と友達は男子ばかり、挙句に趣味が“あんなもの”だし……母さんいっつも切嗣さんと一緒に育て方間違ったかなぁ、って悩んでたんだから」
「うん、志保がもう少し女の子してくれたらな、とは思うけどね」
確かに子供のころは懐かしさからいっつもクラスの男子とつるんでたからなぁ。
二人が心配するのも当然だ。よくよく考えてみれば同姓の親友は簪とシャルロットが最初なのかもしれない。
二人がどう思うとも“親友”なのだ。私の中では。あそこまで慕われておきながら、切り捨てる……なんて行為はあまりしたくない。
温くなったなぁ、と思う。
精神は肉体に引っ張られる。魔術では常識レベルのことだが、それを実感したのは初めてだ。
「――――志保は、今が楽しいかい?」
温くなったのはきっと、悪いことではないと思う。
それはきっと人として当たり前なことで、衛宮士郎の時は自分で捨ててしまった大切なこと。
「うん、楽しいよ」
「そっか、ならこれ以上言うことはないよ」と笑みを浮かべて言う親父は、”あの日”初めて見た笑顔と変わらぬ、私の心を穏やかにさせてくれる笑顔だった。
「――――そう言えばお爺ちゃんが呼んでたわよ?」
「雷河爺ちゃんが?」
それから学園での出来事を、当たり障りのない範囲で話して時間を潰していた時だった。
ちなみに母さんの実家は、“そういう筋”の家業をやっている。
……だからといって私にそれを継がないか? と聞いてくるのはいかがなものかと思う。
着物を着て、ヤクザ者を率いる私の姿………恐ろしく似合わないだろ。
「それじゃあちょっと行ってくる」
「いってらっしゃ~い」
母さんの煎餅を齧りながらの呑気な声を背中に受けながら、私は近所にある雷河爺ちゃんの所へと向かった。
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「――――御嬢をお連れしやした」
「おう、下がっていいぞ」
今となっては化石レベルのやり取りを傍目に、私は爺ちゃんの前に腰を下ろす。
「おう、来たか志保」
「どうしたんだ、爺ちゃん」
キセルを吹かし貫録たっぷりににやりと笑う爺ちゃん。藤村組組長として、過不足ない風体だった。
人となりもそれに見合った義に篤い、仁義をしっかりと通す正しく任侠といった感じだ。
配下の組員にもそれをしっかりと教え込んでいるから、藤村組はヤクザには珍しく近隣住民との諍いを起こさないでいる。
「呼びつけたのは他でもねぇ、前に厳の頼みで注文した奴あるだろ」
「ああ、ということはそれを渡しに行けばいいんだろ」
厳さんとは爺ちゃんの親友で、食堂を開いているのだが、近ごろしっかりとした料理の修業を始めたお孫さんの為に包丁を拵えてほしいと爺ちゃんを通じて私に依頼が来たのだ。
何故そんな依頼が来るかというと、私が子供のころよく爺ちゃんが贔屓にしていた鍛冶師の所に遊びに連れられていて、普通ならまかり間違っても孫娘を連れていくようなところではないのだが、生憎と鍛冶師の仕事場というのは私にとっては慣れ親しんだ場所であり、まあ、一言でいえば楽しんでしまった挙句にそこの人に気に入られて、女の子だというのに中学生にもなれば鍛冶仕事を趣味としてしまったんだよなぁ。
無論包丁とかそういうものしか打っていない。母の日のプレゼントで手製の包丁を渡すのは私ぐらいなものだろう。
(法の規制とか許可とかそういったものは雷河爺ちゃんがどうにかしてしまった。具体的に何をしたかは知りたくもない。ちなみにそこの鍛冶場では主に段平とか白鞘とかを打っていたそうだ)
……でまあ、爺ちゃんが酒の席で私の作品を見せびらかし、それがきっかけとなって厳さんが時々調理器具の注文をするのだ。
「そう言えば爺ちゃん、厳さんの店はどこにあるんだ?」
物の受け渡しは基本的にここでやっていたから厳さんの店――五反田食堂というらしい――には、今まで一回も行ったことが無いのだ。
「おう、そう思ってほら」
「ありがと、爺ちゃん」
既に想定済みだったのか住所を書き記したメモを受け取って、どうせなら昼食はそこで食べようと思いつつ立ち上がった矢先だった。
「それにしても……、ずいぶんとまあ鉄火場の匂い纏ってるじゃねぇか」
「どういう意味かな、爺ちゃん」
「なぁに、若ぇころにそういう無茶するのは特権よ、まあ精々死なないよう頑張れや」
「とりあえず激励と受け取っておくよ」
組長はやっぱり伊達じゃない、って言うことか。朗らかに言っているがその言葉は私の心胆を冷やすに十分なものだった。
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「――――ここか」
そうして電車を乗り継いでやってきた五反田食堂は、待ちのどこにでもありそうな年季の入った食堂だった。
しかし、年季は立っているが外観からしてしっかりと手入れされていて、厳さんの厳直な人となりが現れていた。
木枠に硝子を張った変哲もない引き戸を自らの手で引いて、真っ先に浮かんできた光景は――――
「謝っただけで済むと思ってんのかぁっ!!」
酔っ払いが女の子に手を上げようとする、ある意味テンプレな光景だった。
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五反田食堂の看板娘、五反田蘭が謝ってビールを零して酔っ払いを怒らせ、その酔っ払いが振り上げた拳を前に思わず目を閉じ、襲いくるであろう衝撃に恐怖した時。
「――――そこまでにしておけ」
衝撃の代わりに聞こえてきたのは、凛とした声。
恐る恐る目を開けて目にした光景は、迫りくる拳を受け止めてくれた見知らぬ誰か。
「大丈夫か?」
「は、はいっ、ありがとうございます」
蘭は思わぬ助け船を出してくれた見知らぬ女性に感謝し、女性もまた、蘭の感謝にかすかに微笑んで見せた。
「そうか、怪我が無くて何よりだ」
「何だぁテメェは――――ごべっ!?」
そんな光景に酔っ払いの怒りは更に高まり、しかして横合いから飛来した鉄鍋に強制的に沈黙させられた。
酔っ払いの頭に直撃した鉄鍋は、床に落ちる前に女性の手でしっかりとキャッチされ、鍋が飛んできたことにも一切動じずに口を開いた。
「お久しぶりです、厳さん」
「おう、志保か、蘭を助けてくれてありがとよ」
自分の祖父と親しげに話す女性に、助けてくれたことも相まって興味を持った蘭は女性の名前を尋ねた。
その女性は蘭の目から、同姓の目から見てもカッコいいと感じさせたのも関係あるのかもしれない。
「私は五反田蘭って言います、助けてくれてありがとうございました」
「何、大したことはしてないよ、――――私の名前は衛宮志保だ、よろしく、蘭ちゃん」
女性――志保はそう言って酔っ払いを店の外に追い出して、食堂のテーブルに着く。
(おじいちゃんとはどういう知り合いなんだろう?)
まず蘭が抱いた疑問はそれだった。普通に考えれば祖父である厳との関係が想像できなかった。
その疑問が顔に出ていたのか、志保は鞄から包みを取り出して、蘭の疑問を先に答えてくれた。
「ご注文の品、先に渡しておきますよ」
そう言って志保が取り出したのは包丁だった。その輝きは高級品の物と見比べても遜色なさそうなほどで、仮にも料理店で働いている蘭にとっては目を奪われるに十分な物だった。
「うわ~綺麗ですね、よく切れそう」
「おう、実際こいつの包丁はよく切れるぞ、今回もいい仕上がりじゃねぇか、弾の奴には少々もったいないかもしれんなあ」
後ろから聞こえる祖父の言葉の中に、気になる個所があった。具体的には“こいつの”の部分だ。
まるでこの包丁を作ったのが志保のような言い方だった。
「え……こいつのって、どういうこと? おじいちゃん」
「厳さんは私のお得意様だからね、いつも贔屓にさせてもらってるよ」
「そういうこった、志保の奴は年に見合わずいい腕しているからな」
「お褒めに与り恐悦至極、とでも言っておきましょうか」
蘭が理解するのに時間がかかったのを、誰も攻めはしないだろう。
志保のような女性が包丁を打つなど、普通はどう考えてもつながらない。
「えええっ!! 本当にこれ、志保さんが作ったんですかっ!?」
蘭が改めて見ても、その包丁は見事な輝きを放っていてとても志保が製作者とは思えなかった。
人は見かけによらないという言葉があるが、本当に見かけによらなさ過ぎである。
「すごいです!! 志保さん」
「いや、素人の手慰み、だけどね」
「そんなことないですって、お店で売られてもおかしくないですよ、これ」
「ハハハッ、そこまで褒められると悪い気はしないな」
蘭も年頃の女の子であり、往々にしてカッコいい女性に憧れたりするものだが、その点でいえば志保はどんぴしゃだった。
酔っ払いから助けてくれて、すごい特技も持っていって、なおかつそれをひけらかさない。
まあ確かに、女傑、という言葉に当てはまるのかもしれない。
蘭からの羨望の眼差しを、照れくさそうに受け止める志保。
「――――ただいま、三名様ご案内だぜ」
蘭にとってはそんな気分を、いつも悪し様に言っている兄の声で霧散させられたのはたまったものではなかった。
きっ、っと睨みつけるも、しかし、兄が言った三人の中の一人、昔から恋焦がれた憧れの人の姿を見て、あっという間に頬を赤らめた乙女の顔になってしまう。
「久しぶり、蘭ちゃん」
「お、お久しぶりです、一夏さんっ」
「――――奇遇だな、一夏」
「………………………………へ!?」
予想もしない言葉で、笑顔のまま石造のように固まってしまう蘭。
壊れたブリキのおもちゃのように振りかえり、先程までは憧れの視線を向けていた相手に、疑念の詰まった視線を向ける。
「お知合い……なんですか?」
「言い忘れていたが、私はIS学園に通っていてな」
あまりにもあっさりと告げられた言葉に、蘭が絶叫を上げるのも無理はなかった。
「えええええええええええええええっ!?」
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騒がしくなった食堂に厳の叱責が響き――主に声を上げていた人物が蘭だったために、相応に甘いものだった――、とりあえずそれぞれが注文をとって同じテーブルに座る。
「うう、志保さんどれだけすごいんですかぁ」
「いやしかし、私も驚いたよ、厳さんが一夏と知り合いだったなんて」
「俺も驚いたぜ、志保がここにいるなんて」
「相変わらず志保って、変なところで人脈発揮するわね」
「衛宮さん自身が、まあ特殊な人ですからね」
蘭も含めて年頃の女性が四人も集まり、一気に華やかな雰囲気になったテーブル。
五反田玄の孫であり一夏と鈴の親友でもある五反田弾は、嫉妬と怒りに満ちた想いを一夏にぶつけていた。
「一夏ぁ……お願いだからもげてくれ」
「うっせぇ、一応いろいろと大変なんだぜ、こっちも」
「じゃかぁしぃっ!! これだけの美女に囲まれて何が大変だぁっ!!」
そう言って一夏の胸倉を掴み上げる弾に、鉄鍋と蘭の仕置きが飛ぶのは時間の問題であり――
「むっ、うまいなこれ」
「そりゃそうよ、なんたってここの名物料理だもん」
「ああ、でもついつい食べ過ぎて太ってしまいそうですわ」
志保・鈴・セシリアは我関せずとばかりに、五反田食堂名物業火野菜炒めをおいしく食べていた。
「――――そうだ、弾君だったか?」
「な、なんですか、衛宮さん」
制裁を喰らいボロボロになった弾に、そもそもここに来た目的を思い出した志保が、包丁の入った包みを手渡す。
「ほら、(厳さんから)君へのプレゼントだ」
志保が悪癖を発揮し、大事なところをすっ飛ばした言葉は、思春期真っ盛りの弾にとっては思わず耳を疑うものだった。
「私が丹精込めて作ったものだ、大事に扱ってくれよ?」
それなりに志保は容姿が整っている。そんな志保にそんな言葉を言われればどうなるか。
「私が丹精込めて作った」→志保さんがわざわざ俺の為に作った→つまりは気がある!?
なんて図式がISの演算速度を超えたスピードで弾の脳裏に造られ、制裁のダメージを感じさせない軽やかな挙動で飛び起きて、恭しく志保の包丁を受け取る。
「一生の宝ものにさせていただきます!!」
事情を知っている二人、厳は黙して業務にいそしみ、蘭は呆れた声色で――
「――――このバカ兄」
――そう呟いたのだった。
<あとがき>
志保の日常風景の回。この世界の志保の両親はこの二人……ですが正真正銘の一般人。
志保にとっては含みはあれど気を休められる場所で、口調も少し砕けた物になってしまいます。
というか、少し志保はブラコン気味かもしれない。ちなみに大河の料理の腕は志保の弛まぬ努力で普通といったぐらいです。
あと、五反田兄妹には無意味にフラグ立てちゃいましたがどうしよう……