<第三十六話>
「――――――――――――最悪だ」
箒の目覚めは最悪だったと言ってよかった。
勿論、虚脱感に覆われた体と、罅割れた鐘楼の如き不快な耳鳴りを引き起こす頭痛の二重奏は、相応に目覚めを汚したが、箒の呟いたところはそれではなかった。
福音との戦闘。殺意に塗れた物いい、聞くものに震えを誘うような箒の戦いぶりはつまるところ、単に切れて歯止めが効かなくなったにすぎないのだ。
もとより熱しやすい箒だったが故に、あれほど猛り狂っただけであった。
だがそれも、狂乱の元凶である福音を打ち取ってしまえば冷めるのが道理。
一眠りして思考の芯が冷え切ってしまえば、己が狂態に打ち震えるのは必然だった。
これで箒の性格・行動倫理が常人とかけ離れたものであるならば別に頓着しないのだろうが、幸か不幸か箒のそういった部分は普通であった。
「何が、――――消えろ、壊れろ、砕けろ、そして死ねだ、漫画じゃあるまいしっ!?」
一度そうなってしまえば加速度的に昨夜の発言に対する羞恥心が増幅してしまい、箒は布団の上でゴロゴロと転げ回る。
高熱の金属が急速に冷やされて破損するように、箒の平常心とかそういったものをどんどんと打ち壊していく。
ぶっちゃけ、現在進行形の黒歴史だった。
「ていうかっ!! 妹分に手刀はないだろうっ!!」
おまけにしたってくる妹分の首筋に、容赦のない手刀を喰らわせたり――。
「あと無断出撃に、そう言えば私ISコアも壊したんだっ!!」
明らかに国家レベルの問題になりそうな自身の所業。よくもまあ、一晩のうちにこれほどに重ねたと言いたくなるような問題行為の数々だった。
眠りついている最中、一夏から告白に等しい宣言を受けていたという事実を知らないのは、果たして幸運なのか不運なのか。
「とりあえずは……着替えて皆のところへ行くか………」
死刑台へと上がるような面持ちで、事実箒にとってはそうなのだろう、鈍重な動作で制服に着替えていく。
「――――お、おはようございます」
「とりあえず、示しは付けるぞ」
事実、挨拶を済ませた箒を襲ったのは、一応の手加減はしている千冬の拳骨だった。
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同時刻、どことも知れぬオフィスの一室。
「――――結局、<白式>はなにも反応を見せなかったわね」
そのオフィスの中で<亡国機業>の首魁たる女性――スコール――は、虚空に語りかけるが如く言葉を紡ぐ。
人の気配などどこにもなく、据え付けられたディスプレイは暗闇を映し出しているばかり。
『――――それを“良し”と判断するのか”否”と判断するのか、私には出来ない』
だが、応える声があった。
そのの呟きを聞き留めていたらしい声の主は、スコールの手近にあるスピーカーの一つから己の声を流し始める。
女声の流暢な言葉だった。どちらかといえば機械音声に近い感じである。
その声には起伏が無く、人間味も無く、生気も無く、だが溢れんばかりの憎悪だけが満ちていた。
そんな声は人には出せない。極大の憎悪、そんなものを人が抱けば必ず引きずられる。
己が根幹と機能の分離。憎悪に満ちる魂を根幹に据えながら、その口調には一切の感情が抜け落ちているという矛盾。
果たして、そんな矛盾に塗れた憎悪の矛先はどこにあるのか。
「そうね、私の目的を果たすのならばこれはいい結果よ。でも違う。私とあなたの目的は結末は同じ、けれども過程が違う」
『そうだな、――――振れ幅が大きいほど絶望は深くなる。あなたはそう教えてくれた』
「そう考えれば、<白式>に希望という名の芽が出なかったのは残念だったわね」
『そもそも、<白式>がそうだとは確定していない』
二人、そう言っていいのだろうか。会話の焦点は<白式>に絞られていた。
他の国々の第三世代型ISでもなければ、束謹製の最新鋭ISである<紅椿>でもない。
ただ<白式>だけが、注意すべきISであった。
声の主にとっては<紅椿>”程度”ならば真っ向から戦えるし、それ以外のISはそもそも戦力として看做せない。無力化は造作なく行える。
しかし<白式>だけはその戦力バランスを崩せるかもしれない。あくまでそれは可能性であり、<白式>の内に本当にその可能性が眠っているのか、それは二人にしても不明だった。
「だからこそ福音を嗾けたっていうのに、この結果は予想外に過ぎるわ」
『だが、ようやく私にもイレギュラーというものがどういうものか理解できた』
「あなたにしては、ずいぶんと間抜けな発言だと思うけど」
『そうでもない、私には“知識”はある。だが“記録”は微々たるものしかない』
その言葉にスコールの唇の隙間から、僅かな笑いが漏れ出てくる。
唯一声の主の素性を知るスコールにしてみれば、先程の言葉は非常に納得できるものであり、同時にそういうフィルターを通してみれば声の主がまるで幼子のように感じられたのだ。
「よくよく考えれば赤ん坊同然なのよね、あなたは」
『ああ、だからこそあなたとの協力を有益と判断した』
スコールの言葉に肯定の意を示した後、声の主はしばしの沈黙の後、質問を投げかけた。
『――――ひとつ教えてほしい』
「何かしら」
スコールもまた、愛しい幼子を相手にするように優しく微笑み、声の主の質問を待つ。
『人間にとって、死は恐れるものだ』
「その通りよ」
『そして私の目的、存在理由は、死とともに広がる恐れ・絶望を遍く広げての終焉だ』
「それで? そんな私たちにとっての当たり前のことを、なぜいまさら言うのかしら?」
『――――――――ならばなぜ、あなたは私に協力する? その行為は矛盾を孕む』
人間とは矛盾を孕むもの。声の主は知識としてはそう認識していたが、人間というものをより知るために、可能ならば教えてほしい。そう言葉を繋げスコールの答えを待った。
「麻薬は知っているかしら」
『人間にとって有毒でありながら快楽を与えるもの。そう認識している』
「概ねその通りよ、そしてなぜ人間はそれを知りながら麻薬に手を出すと思う?」
『そこがわからない、例外であったとしても明確な破滅を避けないのは自殺に他ならないと思うが』
声の主らしい型に嵌まった返答に苦笑しつつも、教え子を諭すようにスコールは明確な回答を口にした。
「時として破滅はとてつもない甘美な快楽を伴う。堕ちるのは、気持ちいいのよ」
毒婦、というのはこのように微笑むのだろう。誰もがそう思うほどの壷惑的な笑みだった。
声の主は、その答えに何の感慨も抱かない。
ああ、そうか、と淡々と認識・記録するのみ。精々協力者の不明点を引き下げて、より有益な存在となったそう記録しただけだ。
そして二人は自身にとって有益な、そして世界にとっては害悪でしかない協議を続けるのだった。
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狂乱に満ちた臨海学校から帰還して、未だ気だるさの残る体を引きずって事件の当事者たちは一同に会していた。
目的は勿論、事件の事情聴取。だが皆の焦点は一夏でもなければ箒でもない。
「ちょっと~、緊縛プレイはひどいんじゃないかなっ?」
「諦めろ、ここまで来ては言い逃れなどできんぞ」
中心に縛られたままで座らされた束と、その横に座る諦観の表情をした志保だった。
「そうだな、お前が情報封鎖してくれたおかげで外部には殆ど情報は漏れていない」
聴取の主導権を握るのは、二人の眼前に裁判官を思わせる雰囲気でもって臨む千冬だった。
事実、<紅椿>が<シルバリオ・ゴスペル>のコアまで破壊したのは、それほど問題になっていない。
確かにアメリカにとっては国防の中枢を担う重要機材を壊されたのだから、在日大使を通じて激しい怒りをIS学園に伝えたが、肝心の戦闘時の情報が束によって完璧と言える精度でシャットダウンされ、箒が福音を撃墜したその事実だけでもって抗議したのだから、どこか精細を欠いた抗議であった。
おまけに、IS保有各国が判で押したように「篠ノ之箒嬢は学園の一生徒でありながら、暴走した福音の撃墜に尽力しただけであり、責任はみすみすハッキングを許したアメリカ軍にあると思われる」と、そりゃあもう、アメリカが貴重なコアを失った喜びに満ちた擁護をアメリカ政府に突きつけたのだ。
「私の苦悩は何だったのだ………」
それを知った箒はそう漏らして崩れ落ちたらしい。下手をすれば逮捕もありうる事態なので当然のことかもしれない。
故に、この聴取で一番調べるべき重要事項は、がっつりと見せてしまった志保の異能であった。
一般生徒の無断交戦。しかもその交戦したISが所属不明の機体なうえに、あろうことか志保はその機体を生身で撃退してしまったのだ。
言うまでもないことだが、ISは世界のパワーバランスを決定付ける兵器であり、いくら異能を有している者であろうと、生身で撃退された事実は世界にどんな混乱をもたらすかわかったものではない。
IS学園の目的とはあくまで”競技者”としてのIS操縦者を育てることにあり、世界がどんな方向に転ぶかわからない超弩級不確定要素である志保の尋問には本腰を入れていた。
「――――――――さて、単刀直入に聞こう衛宮志保、おまえはいったい何者だ?」
その学園の意思を体現するように、研ぎ澄まされた刃の様な雰囲気を漂わせて千冬は問いかける。
嘘・ハッタリ・虚偽の一切を許さない。言わなくてもその意思はその場にいる全員が感じ取っていた。
志保もまたその意思を感じ取り、正直にその問いに答えた。
「私は“魔術使い”です」
揺るがぬ視線で千冬を見据え、志保は堂々と言い放った。
普通なら戯言の一言で片づけられるような言葉だが、志保の戦闘データを目にした者にしてみれば、むしろそのぐらいのほうが納得はできた。
「とうとうばれちゃったな志保」
険悪な、とも言っていいほどの張り詰めた雰囲気を和らげようとしたのか、明らかに作った明るい口調で一夏が言葉を発した。
だがその言葉は、一層の、特に志保の雰囲気を劣悪なものに変えてしまった。
「………おい、このど阿呆」
「うおぉぃ!? 何でこれだけでそれだけ言われなきゃいけねぇんだよっ!!」
いかに自分が間抜けな発言をしたかわかっていない一夏。これまで千冬にすら秘してきた秘密が皆に知られてしまったことの気の緩みもあるのだろう。
「さて織斑、お前は志保の秘密をどこで知った」
「明らかに以前から知っていたような口ぶりよねぇ」
千冬の追及に同席していた楯無も同意し、一夏はようやく自分の発言の不味さを知ってたじろいだ。
「え、え~とその……………なぁ志保」
「むしろ事ここに至って隠し通せると思うのか、このど阿呆」
一縷の望みをかけて志保を見つめるがあえなく撃沈された。
諦めたような表情をして、一夏は志保との出会いを語り始めた。
「前にドイツで誘拐された、って言ってたよな」
「第二回モンド・グロッゾの観戦時でしたわね、一夏さん」
「セシリアの言った通り、俺はその時誘拐されたんだけど………その時助けてくれたのが志保なんだ」
颯爽と現れた志保はかっこよかったなぁ…と、しみじみと語る一夏。
「いやいや!? あの時志保は噂で知っただけとか言ってたじゃない!!」
「じゃあ聞くが、あの時の鈴に素直に話して信じてくれたのか?」
「いや…まあ…それは……」
志保の冷静な突っ込みに、鈴はしどろもどろになって言葉を濁す。
「でだ、誘拐犯は志保が速攻で撃退してくれたんだけど………」
「その口ぶりではまだ続きがあるようだな」
一夏の思わせぶりな言葉に、ラウラが真っ先に喰いついた。
他の皆も同様で、一夏の言葉に耳を傾ける。
「臨海学校で志保が戦った相手いるだろ? あいつが現れたんだよ」
一夏が平然と言い放った一言に、シャルロットが顔を青くした。
見れば簪も同様で、志保に重傷を負わせた相手が、かつても出食わしていたと知ればその反応も必然だった。
「ちょっと待って、じゃあ志保があの人と戦ったのってこれで二度目なの!?」
「ああ、前は盛大に油断をかましてくれていたからな、幾分楽に撃退できた」
こともなげに言い放つ志保。
――――そういう問題じゃない!!
全員の心が、一つになった瞬間だった。
<あとがき>
志保の処遇を決める話と思わせて、実はラスボスちょい見せがメインでした。
というかオータム含めて亡国機業がオリキャラすぎる。ちなみに声の主は完全オリジナルです。
あと箒は間違いなく束の妹、黒歴史的な意味で。