<第三十五話>
病室のベットにはには血の気を無くし、眠り続ける志保の姿があった。
体に大きく走る傷口はとりあえず縫合が終了し、左腕には肌の色が見えないほどに包帯が巻かれていた。
規則的な波形を見せる心電図のみが志保の生の証であり、それが無ければ生きているとすら思えないかもしれない。
「大丈夫……だよね」
そんな志保の姿を病室の窓から見つめる簪は、縋るように同じく志保を見つめるシャルロットに問いかけた。
「もう……命に別条はないって…聞いてるけどね」
言い聞かせるようにシャルロットは呟く。そんなことは起きない。起きないで、と願いを込めて誰よりも自分がそう信じたいと願う。
二人はともに目覚めを希う。
抱えているものは取るに足らないちっぽけな、けれど何よりも大切な輝き<思い出>
断じてこんな形で踏みにじられ、消え去ってはいけないものだ。
祈れば必ず天に届く。そんな法はないと知っていても、二人は祈らずには居られなかった。
瞼を閉じれば、志保の微笑みが鮮明に映り込んだ。
ただ、彼女にもう一度触れたい。それだけの無垢なる祈り。
「――――大丈夫だよ、きっと」
「………簪」
「だって志保は、ヒーローだから」
「クスッ……そうだね、ちゃんと帰ってきてくれるよ」
そんな簪の根拠なき呟きに、シャルロットもつられて悲しみの表情を崩す。
きっと志保はその程度の望みぐらい、笑って叶えてくれるはずなのだから。
そう信じ、二人は待ち続ける。その顔には、僅かだが笑みが浮かんでいた。
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同時刻、福音も撃墜され用済みとなった仮設司令室の一角で、とあるデータの検証を行う者たちがいた。
ディスプレイに映し出されるデータは正体不明のISの戦闘データ。
そして、それと相対する志保の異能もまた、鮮明に映し出されていた。
時間こそは僅かであるものの、撃ち出される剣弾、空を埋め尽くし眼下のもの全てを圧壊せしめる七つの巨剣。
何よりも異質なのは、左腕を食い破り突き出てくる刃の群れだった。
剣弾・巨剣はまだいい、ISの量子展開と同系統の技術によるものと言い聞かせれば、どうにか納得はできるだろう。
だが、これは違う。自傷もいとわぬ攻撃……いや、ひょっとしたら攻撃とすら呼べないかもしれない、理外の外、法則から外れた現象。
ISなどという出鱈目な物はあれど、合理性を求めて発展してきた科学技術とは真逆と言い切れる。
「――――これが、あいつの秘密か」
そう呟く千冬の脳裏に、志保がタッグマッチの時に行った行為の真意を悟る。
間違いなくクラス対抗戦の未知なる攻撃は志保が放ったものであり、それを知るのは志保と戦った女と、そして……一夏だと。
ならば一夏はどこでそれを知り得たのか、千冬の脳裏に苦い記憶がよみがえる。
おのれの無力さを突き付けられたあの誘拐事件。考えられる接点はそこしかなかった。
そう考えれば、「一夏を助けるために自身の秘密を晒した」という志保の言葉とも合致する。
「結局、何も変わってはいないではないかっ……」
量産機ではスペック面で遂行不可能であり、特定人員での運用を目的とした専用機では設定変更の時間が足りず、結果として生徒だけを矢面に立たせた今回の事件。
終わってみれば残ったのは、傷つき倒れた生徒だけ。
一夏は最初の戦闘で傷つき、志保も未知の敵と戦い深手を負った。
箒もまた、福音こそは撃破したものの、重度の消耗で意識を失った。
そして、こうして自分は五体満足でいる。
教師である自身が一身に背負わねばならない痛みを、守るべき生徒に押し付けただけ。
その覆しようのない事実が、どうしようもなく千冬を心を苛んでいく。
「このままでは、済まさんぞ」
静かな怒りに満ちた呟きは、誰にも聞かれることなく霧散した。
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痛みに軋む体をどうにか動かし、横になっていた体を起こす。
意識の途切れる前はまだ明るかった空は既に漆黒に染まり、あの戦闘からだいぶ時間がたったことを教えてくれた。
「そう……だっ…箒は?」
何よりも最初に自分の口を突いて出たのは、あの時戦場にいた箒のこと。
無事でいてくれたのだろうか。故意ではないとはいえ仲間に刃を突き立ててしまった箒の、驚愕と悔恨に塗れた悲痛な表情が脳裏に焼き付いている。
それが何より許せない。
守られるだけじゃない、誰かを守りたいと願ったのにこの体たらく。
総身を奔る情けなさが、体を動かすたびに走る痛みを塗りつぶす。
「――――箒」
誰よりも、何よりも、まずは箒の顔を見たかった。
あいつのぶっきらぼうな顔を見たかった。いつものように、バカな会話をしたかった。
ただそれだけを胸に宿し、どうにか俺は歩きだす。
あてもなく歩き始めて最初に見つけたのは、ある一室の襖の前に陣取り、微動だにしないラウラの姿だった。
「織斑一夏!? お前、目が覚めたのか?」
驚くラウラに、俺は箒の居所を尋ねた。
「ああ……それよりも箒が今どこにいるか知らないか?」
「――――!?」
けれどその質問は、予想以上の驚愕をラウラから引き出した。
「お姉さま、は――――」
そこから聞かされた、<シルバリオ・ゴスペル>暴走の顛末。
怒りに狂う箒がただ一人、福音に戦いを挑み、そして勝った。
二人がかりですらこともなげにあしらわれたあれを、単独で撃破したという事実を俺は、受け入れるのに時間がかかった。
だってそうだろう、最初よりも不利な条件、明らかに目減りした戦力で敵を打倒し得たなら、それはすなわち――――相応の無謀をしたことに他ならない。
「箒は、大丈夫なのか?」
事件のあらましを聞き終えた俺は、予想通りの現状にある箒のことが心配でたまらなかった。
「命には、別状ない。……今はこの奥で眠っている」
そう言ってラウラは一歩下がり、襖の前から身をどけた。
俺は震えを伴う手で襖をあけて、箒の眠る部屋に足を踏み入れた。
布団の中で寝かされている箒は、聞かされた苛烈な戦いを演じたとは思えぬほど、安らかな表情で眠っていた。
単一仕様能力――<絢爛舞踏>――
それこそが、箒が福音に勝ちえた手段だと聞いた。
<白式>の極限の質とは違う、極限の量による必殺の手段。
だけどそれは、相手が矢折れ力尽きるまで全力をぶつけるということ。
どんな乗り物・兵器であろうとも、それが有人機であるのなら体力・精神力の消耗は必ずある。
それはPICを搭載したISだろうと変わらない。ISであっても、心身未熟な奴が乗ればガラクタとなるだろう。
おまけに瞬時加速は、操縦者の神経負担が通常とは比べ物にならない。
ただでさえ音速域で戦闘を行うIS。そのISに対してですら懐に潜り込めるほどの最高速とほぼゼロタイムでそこまで加速する加速性能。
はっきり言って人間に追従できるものではない。搭乗者と脳神経系をリンクしているISのハイパーセンサーが、その反応速度および知覚域を引き上げているからだ。
だが、だからと言って本来人間には無理な行為を無理矢理やっていることには変わりない。
だからこそ、瞬時加速は難度の高い機動であり、ここぞという時に使う決め手なのだ。
決して、絶え間なく乱発するようなものではない。
その中で、敵機を見失わず、全ての火器をフルに使った砲撃と、その速度域での格闘戦を行えばどうなるか。
箒がこうして眠っているのは、当然の、結果だった。
「――――ごめん、箒っ」
誰かを守りたいほどに強くなりたい、そう願っていても意味はない。
俺は、願っていただけだった。そうなれたらいいと、“いつか“はそうなりたいと、漠然と思っていただけだった。
剣道に打ち込んでいても、それは辿り着く道筋が見えなかったからこそ、惰性で続けていたのかもしれない。
そうしていれば目標に近づいている。そう思いこみたかっただけだった。
その怠慢のつけが、こうして目の前にあった。
そして、そうなってしまったそもそもの原因は、俺の未熟。
俺が箒をここまで追い込んだ。
勿論こんな考え、俺の傲慢だとわかっている。
自分は一人で何もかもできるスーパーマンなんてものじゃないと、俺自身が誰よりも知っている。
だけど、それでも、そんな知ったふうな言葉で自分の不甲斐無さを誤魔化したくはなかった。
そして、これからはこんな事件が二度と起こらない、なんて保証はどこにもなかった。
だからもう、安穏となんかしていられない。だから――――
「――――強くなる。俺は強くなる。もう二度と箒を、こんな目に合わせないように、必ずっ」
未だ眠る箒に宣言する。自分に、誰よりも箒に誓う。
もう二度と、箒をこんな目に合わせないために、俺は強くならなきゃいけないんだ。
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翌朝、朝焼けが外を照らし始める中、簪とシャルロットは優しく肩をゆすられて眠りから目覚めた。
「う……ん…?」
「……ふぁ? ……もう朝なの?」
互いに寝ぼけ眼をこすりながら、意識を浮上させる。
どうやら志保の病室の前で、そのまま眠っていたらしい。
廊下の椅子と硬い壁を寝床にした睡眠は、体中にぎこちなさを与えていた。
「全く、年頃の女の子がこんなところで寝てしまうのはどうかと思うぞ?」
声の主はそんな二人を、呆れるように、慈しむように見つめていた。
その声こそが、二人の意識を何よりも鮮明にした。
「「――――し、志保!?」」
一気に機敏になった動きで、待ち焦がれた思い人の姿を視界に納める。
「ああ、心配かけたな二人とも」
鮮明になった視界は、けれどもすぐにぼやけていく。
けれどもそれを欠片も意に介さず、二人はそろって志保の体を抱きしめる。
「本当に心配したんだからねっ!!」
「そうだよっ!! あんな無茶をして」
この光景が夢幻ではないのだと、確かめるように力いっぱい志保の体を抱きしめる簪とシャルロット。
しかし、いくら変わらぬ調子で現れようとも、今現在の志保は重病人一歩手前なわけである。
「ハハハッ、悪いな心配かけてしまって。――――だからお願いします力緩めてください」
まあ、当然の結果としていまだ完治していない傷の痛みに盛大な脂汗を流しながら懇願する。。
その懇願を、簪とシャルロットは聞こえているのかいないのか、まったく力を緩めようとはしなかった。
「グ、オオオッ………」
押し殺した志保のうめき声が、感動の再会シーンを情けなく彩ったのだった。
<あとがき>
難産だったな今回の話。しかも今回の話を書いていて気付いた事実が一つ。
<鎧割>と<紅椿>って相性悪い!!
<鎧割>は散々説明したとおり一撃必殺の武器だし、<紅椿>は福音戦や今回の話で説明したとおり百撃必殺の機体だし。
一応……お互いの利点を殺さない案は考えたんですよ? でもそれ、とんでもないんですよ。
ヒントを言えば、親分のライバル、そして本作においてISコアの動力は魔力、絢爛舞踏はそれを無限に増幅し、<鎧割>は魔剣に近い。
とはいっても絶対にこれはやらないよ!? これやったら話…というかパワーバランス滅茶苦茶だよ!!