<第二十八話>
――――とある少女の話をしよう。
その少女は、一言でいえば“異端”だった。
別に、常人とかけ離れた風貌であったわけでも、余人には理解しえない特殊な力があったわけでもない。
ただ、とてつもない知性があった。あり過ぎたといっていい。
トンビが鷹を生む、ということわざのように、ごくごく平凡な家庭に生まれた少女は、ごくごく平凡に育てられた。
だが、その少女は小学一年のころですでに、名門進学校の授業内容をやすやすと理解できるほどになっていた。
勿論両親も、はじめはその頭の良さを褒め称え、少女が望む本などを笑顔で買い与えるぐらいのことはしていた。
しかし、どんどんとエスカレートする少女の要求に、両親は薄気味悪いものを感じていき、少しずつ少女との仲は疎遠になっていく。
一つ同じ屋根の下で過ごしているというのに、かわす言葉は日に二言三言。
顔を合わせるだけでぎこちない空気が流れ、少女が生まれた時にあった愛情はすでに霧散していた。
少女に非があるわけではない、ただ、湧き上がる知的好奇心を満たすため、子供らしい我儘さで無節操に求めただけだ。
その点でいえば、少女は子供らしかったと言えるだろう。
しかし、少女が小学校に進学するころには、両親は少女のことを得体の知れない化け物としか認識していなかった。
一人で留守を任せても問題ないと知るや、母親はそれほど家計が苦しいわけでもないのにパートで働き始め、父親は一層仕事にのめり込むようになっていった。
両親にとって少女は、目に入れたくも無いモンスターということらしい、少女はただ、その環境に泣き言一つを言うことなく日々を孤独に過ごしていた。
最早自身が普通ではなく、異端だということを理解していたからだ。
ここで寂しさに負け、泣き喚きでもすれば未来は変わっていたかもしれない。そんな普通の子供と変わらぬ面を見せれば、両親も少女に抱く心象を変えたかもしれない。
皮肉にも、その聡明さこそが少女の孤独をより堅固なものとした。
そんな少女に学校には友人がいた、ということなどは一切なかった。
子供は大人よりも遥かに純真で、敏感で、、無邪気で、――――残酷だ。
少女が自分たちとは違う存在だと肌で感じ取り、排斥した。クラスメイトの輪の中から少女だけは、弾きだされた。
――――少女はそれでも、泣きはしなかった。
=================
そんな彼女の最近の過ごし方は、学校の帰りに近くの図書館によって難解な学術書を借りて、人気の少ない公園のブランコに揺られながらゆっくりと読み進めていくことだった。
今日も古びたブランコの鎖の軋む音をBGMにしながら、黙々とページに目を通していく。
そしてまた、夕焼けで地面が赤く染まるまで時間をつぶす。少女にとっては何の変わり映えも無い、いつもの日常。ひとつ違うところを挙げるとすれば――――
「――――何か用?」
自分の体に掛かる長く伸びた影、視線を辿ればそこにいたのは、一人の老人。
黒のロングコートに身を包み木製のステッキを手に持つ、いたって普通の老人だ。
あくまで見た目は、だが。
その老人から流れ出てくる“ナニカ”が、その老人を対峙する全ての者に只者ではないというイメージを抱かせる。
事実、只者ではないのだろう。だからこそ少女も久方ぶりの他者に抱く興味に突き動かされ、声をかけた。
老人もまた、どこか無邪気な子供のような笑みを浮かべて、少女に返事を返す。
「何、なかなか興味深い子供を見かけたのでな、――――ふむ、嬢ちゃん、名は?」
老人の見た目には似合わぬ若々しさを感じさせる声、しかし、その老人にはこの上なく似合う声で少女の名を問うた。
「束、――――篠ノ之、束」
少女はぶっきらぼうに、不愛想に、自身の名を告げる。
「ほう、そうか、束というのか、――――わしはな、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグというもんじゃ」
「長いから面倒、ゼル爺でいい?」
老人の素性を知る者がいれば、少女の蛮行ともいえる馴れ馴れしさに顔面蒼白になり。
少女を知る者からすれば、初対面で他人の名を言うことに疑問を感じることだろう。
何せ少女は、孤独に慣れ切ってからは他社など有象無象と割り切って名前を覚えようとすらしないのだ。
それが初対面で、口調こそはぶっきらぼうだがフレンドリーな呼び方で呼んだ。それだけ、感じるものがあったのだろう。
「がははっ!! ゼル爺か!!」
「だめ?」
「何、構わんよ、孫ができたみたいで嬉しいわい」
よほどその呼ばれ方が壺にはまったのか、呵々大笑といった感じで笑う老人。
その様子に、少女も口元に僅かながら笑みを見せるも、そもそも最初の問いをちゃんと応えてもらってないことに気が付いた。
「それで? どうして私に声をかけたの?」
「そうじゃなあ、束、――――お主、今の日々は楽しいか?」
小学一年生の子供ならば、過ごす日々の何もかもが愉しいはずだ、しかし、束にとっては――――
「ううん、つまらない」
そう、自身のすべてを受け入れるはずの両親でさえ拒絶した。しかも少女はそれを理屈で納得してしまった。自身に嘘をつき続け、ただ無為に過ごす日々、後に残るものが何もない時間が、少女の心中に何かを起こす筈もない。
だから、つまらない、退屈な日々。
「そうか、……わしはな、前途有望な若者が、そうして腐っているのは見るに堪えん」
「それで?」
老人が自分に対し、何を成そうとしているのかイマイチ掴めない少女は疑問の声で聞き返した。
「だからな、お主に飛びきりの体験をさせてやろうと思ってな、その気があるのなら今度の日曜日の朝九時、またここに来るがいい」
人生が変わるほどのとびきりのやつじゃ、よく考えて決めるがいい。
そう言い残し、老人は公園から立ち去った。
「――――とびきりの体験、か」
しかしながら、少女の答えはほとんど決まっているようなものだった。
=================
「また会ったね、ゼル爺」
「まだ八時じゃぞ、――――そうかそうか、それだけ楽しみだったのか」
「目覚まし時計のセットを間違えただけだから」
そう言いながら、顔を赤く染めているあたり、やはり楽しみではあったのだろう。
結局束は、それほど悩まずここに来ることを決めていた。
ゼル爺がどんなことをしてくれるのかは知らないが、それでも何の変化も無い日常よりかはマシ、という子供らしからぬ達観した思考からだったが。
「それほど楽しみであるのなら、さっさと始めるか」
「だから違うって!!」
ここしばらくはなかった、束の感情の発露。それをにこやかに聞き流しながら、ゼル爺は懐から奇妙な形の短剣を取り出した。
それは見れば見るほど奇妙な形であった、刀身が普通の形状をしておらず、まるで宝石の原石をそのまま組み込んだかのような形をしていた。
そしてその奇妙な刀身は、くすんだガラスのようであったが、突如、光を放ち始めた。
万華鏡のごとく七色に輝くその光は、まさに虹の極光と称するべきか、その光は束とゼル爺を飲み込み、二人の姿を跡形も無く消した。
この世界から、跡形も無く。
=================
視界一面に広がる光が消え失せ、束の視界に入ったのは誰かの書斎であろうか。
クラシカルな品のよい装飾を施され、アンティークショップに飾られていてもおかしくはない机には、雑多な資料が積み重ねられ混沌とした状況を作り出していた。
周りの本棚には、見たこと、聞いたことも無い題名の本がぎっしりと詰め込まれている。
おそらくは、どこかの考古学者の書斎なのかもしれないと、束は推測した。
そして、束をここに連れてきたであろうゼル爺の姿は、欠片も見当たらなかった。
(――――ちょっと待って、あんなことを言って置いてきぼりってひどくない!?)
「そこにいるのは誰ですか?」
いくら束といえど、こんな状況では混乱に陥っても仕方がない。
駄目押しとばかりに、後ろからかかる女性――紫を主体とした、学生服のような独特の衣装に身を包んだ女性の声に束のパニックは極まった。
「え、えと、あの、……わ、私の名前は篠ノ之束ですっ!!」
「自己紹介ありがとうございます、私の名前はシオン・エルトナム・アトラシア、重ねて聞きます、どうしてここに?」
パニックが一回りして自己紹介するという、まあ初対面の反応としては及第点を出せる対応に、声をかけてきた女性も自己紹介で返してきた。
続けて尋ねられた彼女――シオン・エルトナム・アトラシアの問いに関しては、束もまた持ちうる答えがないために、束は言葉を濁すことしかできなかった。
しかしながら、シオンは何かを巻き取る動作をすると、得心がいったとばかりに溜息をついた。
「成程、あの宝石の翁の仕業ですか」
「それって、ゼル爺のこと?」
「束はなかなかに命知らずなのですね、まあ、知らないのならば仕方がありませんか」
何やら、シオンはゼル爺に関して自分の知らないことを知っていると感じた束は、まずはシオンが何者なのかを尋ねた。
「ねえ、シオンって何者?」
「私は知り得て、束は知らないというのはフェアじゃありませんね」
シオンの言葉に、腑に落ちない点はあるものの、束は黙って言葉の続きを待った。
「私は錬金術師、――――このアトラス院の院長を務めるものです」
「錬金術師?」
束がその言葉で思い浮かべたのは、中世にいた詐欺師、という身も蓋も無いものだった。
「言っておきますが、あなたが思い浮かべているような物とは違いますよ」
胡散臭い視線を向ける束に、シオンはやや疲れたような表情になる。
それが、束の異世界でのファーストコンタクトだった。
=================
「束、次はこの資料をまとめてください」
「は~い」
あれから三日がたち、束はシオンの丁稚のような扱いを受けていた。
あの日、束の懐にはゼル爺からのメモ書きがいつの間にやら入れられており、それにはこう記されていた。
『シオンよ、束の面倒を一週間ほど見ておいてくれ、お前さんの持つ知識も教えてくれるとありがたい、――――また一週間後に迎えに行く、それから束よ、元の世界に帰っても一日もたっておらんから気にするな』
とまあ、非常に無責任極まりない言葉が記されており、やむなくシオンは束の面倒をみることにした。
その後、アトラス院の院長という多忙な生活の合間を縫って、いろいろと教え始めていた。
もとより、あの宝石の翁が完全に無意味な行為をするはずもなく、束に何かがあるものと推察してのことだ。
実際、束は真綿に水を吸い込むように貧欲に知識を吸収していった。
束としても、見たことも聞いたことも無い知識に触れる日々は、甘美な刺激に満ちたものだった。
個人の資質を重視しない、アトラスの錬金術師の体系だったのも、束の学習を助ける一因となった。
勿論触れた知識は初歩の初歩、アトラス唯一の掟『作り上げた技術は自己にのみ公開を許す』にすら触れないほどのものだ。
勿論、全く見知らぬ場所どころか異世界だ、心細さも多少はあったが、停滞ではなく刺激に満ちた日々を送っている充足感が、それを塗りつぶした。
そうして今日もまた、シオンの小間使いとして過ごしながらも、未知の技術に触れる楽しさを味わっていた。
「――――シオン、頼まれていたものが入手できたぞ」
“彼”に出会ったのはそんな時だった。
黒のシャツとジーンズ、赤のロングコートに身を包み、白髪に褐色の肌という異様な風貌をした二十代後半の男。
折れずそびえたつ刃金の様な雰囲気を持つ彼は、シオンの部屋にいる異物、束に気付くと人あたりのよさそうなにこやかな笑みを浮かべて問うた。
「見ない顔だな、君の名はなんていうんだ?」
「――――束」
初対面であり、シオンの時のようなパニック状態でもない束は、名前だけを小声で呟いた。
名前を言うだけでも少しはましなのだろう。しかし、彼はそんな束の態度に不快感一つ見せることなく、返礼として自分の名前を言った。
「束というのか、――――ああ、言い忘れていたが、私の名前は――――」
=================
「――――保、志保、起きて」
小刻みに体をゆする振動とともに、自分に呼び掛ける声で志保は目を覚ました。
珍しいことだが、臨海学校の行きのバスの中で寝てしまっていたらしい。
志保らしからぬ珍しい出来事に、志保を起こしたシャルロットがクスリと笑う。
「珍しいね、志保があんなにぐっすり寝るなんて」
「私だって人の子だ、寝るのも当然のことだろう」
「なんて言うかさ、イメージに合わないんだよね、――――それにしてもぐっすり寝てたね、いい夢でも見てたの?」
シャルロットの質問に志保はバスの外に目を向け、流れる景色を眺めながら言った。
「ああ、懐かしい夢を見ていた、――――ようやく、思い出したよ」
最後の呟きは、シャルロットに気付かれることはなかった。
<あとがき>
さて、賛否が分かれそうな今回の話、しかしながら結構この作品の根幹にかかわる話ですので、どうかご容赦のほどをお願いします。
ゼル爺が束を何故シオンの元に連れていったかにも、もちろん意味はありますので。