<第二十話>
――――どうしたものかな。
数分前のキスの、柔らかな簪の唇の感触が、未だ私の唇に残っている。
ここまでされて、簪の気持ちに気付かない……なんて真似をできるわけがない。
間違いなく、簪は私を好いている。単なる友情に留まらず、恋心からくる”好き”だ。
別に簪のことを嫌い、ということはない、むしろ好意を抱いている。
だがそれは、愛らしい年の離れた妹に愛しさを覚えるようなものだ。男性としての意識はわずかにしか残っていないとはいえ、そう言う感情を抱くには少々、年が離れすぎていると感じる。同級生に対して矛盾した言い方だとは思っているが………。
前世の記憶を持つことの弊害が、こんな形で出るとは思わなかった。
「……志保、怒ってる?」
「いや……、怒ってはいない、戸惑っているだけさ」
先の突然の行為で私を怒らせたと思っているのか、簪は恐る恐る問いかけてきた。
握り合った掌からは震えが伝わり、簪の心情を克明に伝えてくる。
勇気を出して、私に気持ちを伝えてくれたのだろう、そのことに………愛しさは感じる。
頭蓋の中に、――――ノイズが走る。
ノイズの先に覗くのは、無理に笑う彼女の顔。
―――――――――やっぱり―――――こうなったのね、士郎――――
遠い昔に過ぎ去った、今際の際の映像が脳裏に映し出される。
あの時に痛感した。――――衛宮士郎<正義の味方>は、紅き弓兵<正義の味方>を超えることは決してないと。
辿った道筋に後悔が有っても無くても、衛宮士郎<正義の味方>の結末は、あの処刑台だ。――――ただひたすらに、誰かを助け、そして、裏切られてそこに至る。
ならば、衛宮志保の結末も、同じようなものなのかもしれない。
惰性で生きているとは言っても、人形に埋め込まれたプログラムに欠陥があるのなら、奈落へ続く道筋を辿ることにも躊躇はないだろう。
一夏を助けるために、二度もISと、横たわる彼我の戦力差を無視して戦ったのだ。
その想像を、妄言と斬って捨てることはできそうになかった。
だからこそ、衛宮志保は誰かを深く愛することに、恐怖を感じている。
誰かを愛し愛され、深いつながりを築き………涙を伴う別れを強いてしまう。
ならば簪の気持ちを、ここですっぱり断ち切ったほうが彼女の為かも知れない。――――傷は浅いほうがいいだろう。
気持ちを固め、簪の恋に終止符を打つべく、口を開こうとした、その時だった。
「――――志保っ!!]
焦りを感じさせる少女の、しかし、簪とは違う声。
直後に聞こえる駆け出す音に、意識を向けようとしたその時だった。
「どうしたんだ――――」
「えいっ!!」
「――――シャル…んむっ!?」
「な、何やってるのっ!? デュノアさん!!」
駆け出してきた少女、シャルルの名前を言いきる前に、再び感じる柔らかさ。
簪の時と同じ、それでいて鼻腔をくすぐる香りに差異を感じ、駆け出した勢いで揺さぶられた金紗の髪が、私の頬を優しく撫でた。
眼前には、頬どころか顔全体を真っ赤に染めたシャルルの顔。視界の端には驚愕に染まった簪がこちらを凝視していた。
――――間違いなく、再び私はキスをされた。
その事実のみが思考のすべてを占める中、どうにか密着しているシャルルを引きはがす。
「何を…………………………した?」
「えっと…………………………キス」
そんなことはいまさら言わなくても十二分にわかっている。なんでまたこのタイミングなんだ……、簪にキスされた後にシャルルにまでキスされたのでは、性質の悪い女誑しみたいではないか!!
簪もほら、怒って……というか、拗ねているといったほうがいいのか、目つきをきつくしてシャルルを睨みつけているし。
「………デュノアさん」
「………負けないからねっ!!」
「………こっちも、負けない」
そのまま火花を散らすような視線の応酬。かつての時のようなガンドやら何やら、そういったものが乱舞するような戦いにならないのは不幸中の幸いかもしれないが、それでもこの状況は心臓に悪い。
「あ~、その、とりあえず落ち着け」
「う~、だって……私が勇気を出して、その…こ、告白した後に、あんな真似やられたんだもん」
涙目になりながら詰め寄ってくる簪。そりゃあなあ……お世辞にも簪は行動的とは言えない性格だしな、自分の気持ちを伝えるのに相当勇気を振り絞ったんだろう。
「やっぱり、志保は………普通に男の人と恋をしたいの?」
「それは……だな」
なんて言おうか、そもそもこの場に現在、男はいないんだが。
そのことを言うべきか、しかし、シャルルが自分で言うべき秘密を私の口から漏らすのは避けたいところだ。
「ほんとどうしてこのタイミングなんだ?」
「え、え~と、宣戦布告? その………志保と簪さんのキス見ちゃったからその、我慢できなくなっちゃって」
「変態」
「うっ!?」
「――――変態」
「だから違うってばあっ!?」
「女の子の唇を無理矢理奪うなんてことするから、変態でいいと思う」
恋敵を追い詰めるために絶対零度の視線と、一刀両断な言葉をシャルルに向ける簪。
シャルルのほうも実際は簪と変わらないことをしているんだがな、いかんせん、男装をしていることが厄介すぎる。
そのことを声を大にして言いたいんだろうか、いかにも我慢しきれないといった表情だな。
「変態じゃないって証拠、見せてあげるっ!!」
「えっ!? いきなりなんで腕をつかむの?」
「いいから黙って!!」
そして我慢の限界を突破したのか、いきなり簪の腕をつかむシャルル。
そしてその腕を、そのまま――――
「――――これでどう!!」
自分の股間に押し付けた。――――いやいや……ちょっと待て、いくらなんでもその方法はないだろう!?
簪のほうは当然太く硬く雄々しい物がある感触を感じると思っていたのだろう、それらがまったくなく、そのことで逆に困惑しているようだ。
「え、えっと……デュノアさんって……………………女の子?」
「う、うん、そうだよ」
そのまま顔を真っ赤にして固まる二人。放っておいたらいつまでもそうしていそうなほどピクリとも動かない。
「お~い、見た目………物凄くヤバいぞ」
私が言った通り、今の二人の状況はものすごくヤバい。
考えても見てほしい、往来の真っ只中で少女の腕をつかみ自分の股間に押し付けている少年の姿。
はっきり言って公然猥褻罪で警官にしょっ引かれてもおかしくはない。IS学園への身分詐称しての入学で逮捕されるのではなく、そんな馬鹿らし過ぎることで捕まったら笑い話にもならないぞ。
「「…………………………うわあぁっ!?」」
そのことをようやく理解したのか、声を張り上げ飛ぶように離れる二人。
………………………………どうしてこんな状況になったのだろうな、本当に。
溜息をつきたくなる衝動をかみ殺し、無茶苦茶微妙になった空気を塗り替えるための提案をする。
「とりあえずもう昼だし、どこかでご飯を食べないか?」
「「……う、うん」」
そうして、古いブリキ細工のようにぎこちなく動く二人を引き連れて、私はどうにかその場を後にした。
――――本当に、どうしてこうなったんだ。
いまも後ろに付いてきている二人の顔を思い浮かべながら、気付かれぬように溜息をついた。
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その後、どうにか二人を引き連れて、近くにあったオープンカフェで昼食をとることにした。
店員に注文を告げ、テーブルに置かれた水を飲み干し、どうにか一息ついた。
見れば簪とシャルルもようやく落ち着き始めたみたいで、火照った顔を覚ますようにチビチビと水を飲んでいる。
「落ち着いたか?」
「うん、どうにか……」
「ごめん簪さん、どうかしてた」
2人とも視線をさまよわせた後、俯きながら料理を待っていた。
互いにあんな真似をしてしまっては早々目など合わせられるはずもないうえに、私のほうを向いてもキスの記憶がよみがえったのか余計に顔を真っ赤にしていた。
ここはご飯を食べてから話を切り出したほうがいいかもしれない、そう考えながら近くにいたウェイトレスに水のお代わりを頼む。
「――――さて、本題に入ろうか」
「……そうだね」
「……わかったよ」
私の雰囲気が変わったことを察したのか、表情を引き締める二人。
「まず二人とも、私のことをどう思っているんだ」
今更こんなことを聞くのも情けないとは思うが、それでも二人の口から改めて私への思いを聞きたかった。
どの道断る腹積もりではある。――――ならばせめて、しっかりと思いを聞いてからにしたかった。
「私は、――――志保のことが好きだよ、志保に恋してる」
「僕も同じ、必死に自分に嘘をついていたけど、簪さんのキスを見たらもう、自分をごまかせなくなった。――――改めて言うよ、僕も志保のことが好きだよ」
簪とシャルルの、それぞれの真摯な想いの丈、それは言葉の鏃となって私の胸を貫く。
だが、ここで流されるわけにはいかない、きっちりと、明確に二人の思いを断ち切る。
「二人に気持ちは理解した、――――だけど、ごめん、そう言う関係にはならない」
恋人になるつもりはないと、二人を見据え――――告げた。
「私たちのこと、――――嫌いってこと?」
「やっぱり、迷惑だったかな」
簪とシャルルの瞳が、悲しみで揺れる。二人の少女の恋心を、自ら断ちきった事実に胸が痛む。
だけど、簪の言葉の中のひとつの単語、“嫌い”という言葉だけは訂正しておきたかった。
私が二人の思いを断ち切ったのは、簪とシャルルだったからではない。これは衛宮志保が抱える物が原因なのだから――――
「そうじゃない、簪もシャルルも、決して嫌いではない」
「「え?」」
「私が二人の思いを断ち切ったのは、二人に原因があるわけじゃない」
奈落に突き進むかもしれない道に、簪もシャルルも付き合わせたくない。
もう、――――あの時の凛の様な泣き笑いの顔を、二度と見たくはなかった。
「私は、――――きっと、誰も幸せにはできないからな」
「「ふざけないでっ!!」」
予想だにしなかった怒号が、耳に響く。
簪とシャルルが顔を怒りに染めて言い放ったのだと、理解するのに少し時間がかかった。
「そんなことで断ったのっ!! 志保は!!」」
「許せないよねっ!! 簪さん!!」
「当たり前だよ、そんな理由じゃ引っ込んであげないんだからっ!!」
「そうだよ、同姓と付き合うことはできない……とかだったらまだ引っ込みがつくけどねっ!!」
常の二人の性格からは想像もつかない激しい怒り。困惑し続ける私は、間抜けな疑問の声をあげるのが精一杯だった。
「えっ……と、二人ともどうしてそこまで怒ってるんだ?」
「志保の鈍感!!」
「志保の朴念仁!!」
実に昔懐かしい罵声の声を聞きながら、やっぱり私は女性の機微に疎いのだと痛感した。
――――いや、今のお前も女性だろと、内心で突っ込んだが。
「「私たちは志保と一緒にいるだけで幸せなんだから、そんなこと言っちゃダメ!!」」
そんな当たり前のことを、二人に言われるまで失念していたのだから。
「ねえ、簪さん、共闘しない?」
「共闘?」
「うん、共闘、志保があんなことを言わなくなるぐらい幸せにしてから、改めて正々堂々と勝負しよっ」
「…………わかった、まずは志保をぐうの音も出ないほど幸せにしよっ、デュノアさん」
「これからはシャルルでいいよ簪さん、共闘する仲なんだから」
「うん、これからよろしくね、シャルル」
「うん、一緒に頑張ろうね、簪」
そして、私の意思を完全に無視してあれよあれよという間に共闘(?)の約条まで取り付けられた。
ああ、なんだろう……この何とも言えない懐かしさ。話の中心にいるはずなのに、私の意思を置き去りにして進むのは――――
「あの~、私の意思は?」
かろうじてその言葉を発すると、簪が何やらシャルルに耳打ちをして、互いに息を合わせて言い放った。
「「――――志保の答えは聞いてない、私たちが志保を幸せにしてあげるんだからっ!!」」
ああ、まったく、そんなふうに言われてしまえば、何も言い返せないじゃないか。
照れながらも笑顔で言い放った二人を見ていると、今の私にはない、感情の赴くままに突っ走り心の若さを感じた。
このまま流されるのもいいかもしれない、そう思ってしまうほどに――――
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後日、学園にて――――
「ちょっ、なんでいきなり殴りかかってくるんだよ、志保!!」
「やかましい、聞く耳持たん!! 貴様ある意味私と同じ状況の癖になんでそんなに安穏としていられるんだ!! 一発殴らせろっ!!」
恋する乙女三人を引き連れのんきな顔で登校する一夏を見て、つい、志保がブチ切れてしまったとか。
<あとがき>
簪のターンが続くと思ったか? それは嘘だ(馬鹿なことを言ってるんじゃねえ
実際はシャルルのターンでもあったというオチ。――――そして志保のヒロインがこの二人で打ち止めとも、私は一言も言っていないわけで、まあ、こうご期待ということで