ルイズの自室に戻ったレーヴェはベッドに横たわっているルイズを見る。眠っているようで、その顔は穏やかだ。傷も少なく、青髪の少女が行ってくれた治癒魔法の効果だろう。それでもレーヴェは戦術オーブメントを起動し、回復魔法をかける。エネルギーが消費され、ルイズに温かい光が降り注いだ。彼女の外見には傷はもうない。
レーヴェはそれを見て安心した後、ルイズの机にオーブメントを置いた。
「ぐ――――ッ!」
瞬間、とてつもない程の疲労が身体を襲う。間違いなく戦闘の余波だったがそれだけではない。戦闘といってもレーヴェは一撃しか攻撃していないのだ。ここまでの疲労はおかしい。
故に、これは先の異変によるものだと推測できた。胸に手を置き考える。
(何が起こっている? 何が原因だ――?)
自問するもやはり答えは出ない。自分自身のことなのに何もかもわからなかった。蘇生の原因ですら未だわかっていないのである。蘇生法の解明が先か、この異常の判明が先か、どちらにしてもレーヴェにとって先の見えないものだった。
星の在り処
陽が傾き月が昇りだした頃、ルイズは目を覚ました。
ぼんやりとしたまま手を虚空に伸ばし、握り締める。痛い。しかしそれ以外は痛まなかった。
「……あれ」
身体を起こし全身を見る。傷はなかった。青髪の少女、タバサといったか、の治癒魔法では全快にならなかったはずだ。
そしてルイズは壁に寄りかかって眠っているレーヴェを見つけた。ルイズはレーヴェの無防備な姿を見るのは二度目だったので目を瞬かせた。一度目は召喚した直後なので実質一回目と言っていい。だからこそそれが少し嬉しく、また傷を癒してくれたのだと確信が持てた。
「ありがとう、レーヴェ」
ルイズは礼を言い、毛布をかけようとしたがやめた。確実に起こしてしまう。ルイズは身支度を整えて静かに部屋を出て行った。
「あれ?」
「へ?」
部屋を出たルイズは同時に出てきた隣人に抜けた声を出し、一方のキュルケは見舞おうとした少女が元気に出てきたことに虚を突かれた。
「あ、キュルケ――」
「ちょっとルイズ! あなた何やって――って元気そうね……」
ルイズの声を遮り大声を上げたキュルケは怪我をしたはずの少女の健在ぶりに呆気に取られる。普段の様子から考えると珍しいそんな彼女にルイズは微笑する。
「くす、まぁね。うん、きっと治癒魔法が効いたんだわ」
そう言ってルイズはジッとキュルケを見つめ、キュルケはその視線から目を逸らす。
「な、なぁんだ。折角からかってやろうと思ったのに」
「期待に副えずごめんなさいねツェルプストー。でももう平気だから」
ありがとう、と心の中で。声に出したら今までの関係が壊れてしまうと思ったから。そんな関係じゃなくて、今までの関係のままでいいのだとルイズは思う。
そんなルイズの様子に居心地の悪さを覚えながらもキュルケは彼女らしく普段に戻り、不敵に笑った。
「ねぇルイズ、ちょっと付き合ってくれない?」
「いいわよ。なに?」
「イ・イ・ト・コ」
ウインク一つして背を向けるキュルケにルイズはやはりクスリと笑ってその後を追った。
その光景はまるで仲の良い姉妹のようだったが、当の二人はそれを知らない。
そして彼女らは外に出る。外といっても学院の敷地外には出られないのでヴェストリの広場に似た緑の絨毯の上だ。陽は沈み、夜の帳が下りている。明かりは双月と星々、窓から洩れる光だけだ。撫でるように吹かれる風から髪を守りながらルイズは尋ねる。
「ちょっとキュルケ、いいとこって何処よ」
そもそも学院内のいいとことは何を以ってそう言うのだろうか。ルイズは不思議に思いながらもキュルケの後ろを一定の距離を保ってついていく。
「ここよ」
「はぁ?」
そしてキュルケの答えは、此処。この何もない広場であった。ルイズは足を止めて呆け、キュルケはそのまま進んで距離を離した後に振り向いた。
「ちょっと、ここのどこがいいところだって言うのよ!」
「場所はあまり考えてなかったのよ。することが重要だから」
そう言ってキュルケは徐に杖を取り出した。
「ッ!? ツェルプストー、何を……」
「杖を構えなさい、ルイズ」
キュルケのそれは嘘を言っているように思えず、しかしルイズには理由がわからなかった。
「だから何を――!」
「どうせあなた決闘したから直に謹慎処分か何か受けるでしょ? だからこの際一度やりあうのも悪くないと思ってね」
「な!?」
キュルケは不敵な笑みを崩さずに言い放つ。風に揺れる赤毛は火のように彼女の周囲で踊っている。ルイズは突然の宣告に驚き、しかし冷静さを失わないように努めた。
「……本気?」
「本気も本気。ゲルマニアの人間は、私は、一度火が着くと止められないのよ」
ふざけたような物言いだが決して隙は作っていない。既に決闘の準備ができているのだ。
本日二度目であるが故にルイズはそれに気付き、息を大きく吸って、吐いた。
「――いいわ、受けて立とうじゃないッ!」
「そうよヴァリエール! あなたはそうあるべきなのよッ!」
そしてキュルケは詠唱し、ファイヤーボールを放つ。火のメイジにしてトライアングルを冠する彼女の魔法は強力だ。空間を焦がしながら直進する火の玉をルイズは身を伏せてかわし、呪文を唱える。その呪文は同じファイヤーボール。彼女の詠唱はキュルケが聞いていて心地良い。正しき発声発音で紡がれるそれは完璧だ。
それでも――
「どうしたのルイズ! てんで当たらないわよ!」
「くッ!」
杖から現れるはずの火炎は姿を現さずにあらぬ方向で爆発が起きる。当然だ、彼女には四系統の魔法は使えない。それでも彼女はキュルケに対して反発するようにファイヤーボールを放つ。
キュルケの呪文はルイズの髪を焦がしていく。それでもルイズが無事なのは嫌というほどにキュルケのことを見ていたからか。
「そんな命中率の悪い魔法は諦めなさい、よッ!」
キュルケの何発目かのファイヤーボールはルイズを掠めていくばかり。ルイズは優雅とは言えないまでもかわし続けて呪文を唱えようとして、
「――ッ!」
それをやめ、小石を拾う。それを見てキュルケは口元を綻ばせた。
それはルイズには見えない僅かな本心の発露。そしてキュルケはファイヤーボールの詠唱を開始し、その前に小石が投げ出され、
「錬金!」
キュルケの詠唱終了前に爆発する。爆風をもろに受けたキュルケは後方に飛ばされ、地に伏せた。
「はぁ、はぁ、はぁ――――! キュルケッ!?」
肩で息をしながら魔法を放った姿勢で固まるルイズは煙の先を見続け、そして立ち上がる姿に安堵した。
「けほっ」
煙の晴れた先に現れたキュルケは煙に咽ながら服の土を払い除けながら言う。
「ふん、やるじゃない」
そして強い視線でルイズを見る。その視線にルイズは緩んだ集中を再び戻し、
「――あーあ、服が汚れちゃったじゃない。気が滅入ったからやめるわ」
それは半ばで霧散した。キュルケは体中を叩きながらルイズに背を向ける。
そのまま歩き出して去ろうとするキュルケにルイズは声をかけた。
「キュルケッ!」
「んー」
そこで、口が動きを止めた。何かを言おうとしたのに何も言えない。言葉が浮かんでこない。彼女の本当の目的になんとなく察しがついたのに、それでも何も出てこない。
「……なんでもないわ」
「そ。じゃあねルイズ」
ひらひらと手を振って闇に消えるキュルケに向ける言葉はない。ルイズがすべきことはここで声をかけることじゃなく、この先の行動で示すことだった。
火照った身体に気持ちのいい風が吹きつける。髪を押さえることもせずルイズは天を仰いだ。汗が頬を伝うのと同時に爽快感が沸き起こる。双月は変わらず、それでも双方の距離が少しだけ近くに感じられた。それが少しだけ嬉しかった。しかし。
「げ!」
しかしこの場の惨状をどうすべきか気付いた時にそれも失われ、好意に近い感情を抱いていたであろうキュルケに対してその大きさの分だけ嫌悪を抱いた。
――そして、一体のゴーレムは生誕し、術師の望むままに動き出す。
********* *********
――運命の陽が昇る。ルイズの二つの決闘の翌日、学院は喧騒に包まれた。
ルイズとギーシュとキュルケ、そしてレーヴェは朝早く学院長室を訪れていた。昨日の決闘の処罰である。ルイズは口元を綺麗に結び毅然とした表情で、キュルケは知らぬ存ぜぬと言ったような飄々とした態度、ギーシュはちらちらと視線を横に移して落ち着かない様子で、レーヴェは普段どおりだった。
「――さて、本来はキミ達に処罰を言わねばならんかったんだがの」
そう言うオスマンの表情は固い。それは部屋にいる全員に正しく伝わった。
「そうも言っていられない、ようですね」
ルイズは振り返り後方を見た。そこには学院に勤めている全職員が集まり、口々に意見を押し付けあっていた。
ルイズはその光景に不信感を抱くとともに苛立ちを募らせる。彼女にとっての貴族とはこんな愚かな存在ではないのだ。魔法が使えるというルイズよりも優れた能力を持っているにも関わらず、当人たちの意識は彼女にとって悪影響しか与えないのである。
「やめんか! 今はそんなことをしている場合ではないわ!」
オスマンが一喝し、場は静まる。この場でまともなのはオスマンだけなのかと思える光景だ。
ルイズはオスマンに視線を戻す過程でレーヴェを見た。腕を組み目を瞑っている。彼は何も変わらないように思えた。
「責任というのならわしにある。まさかゴーレムに破られるとは思わんかったんだからの」
オスマンは苦い顔で言った。彼にとって真実予想外だったことが窺える。
それも当然だ。今回破られた場所は宝物庫、学院の中でも屈指の堅城だったのだ。何重にもかけられた魔法はそう簡単に破られるものではない。しかし彼らが気付く前にそれは破壊され仕舞われた『あるもの』を盗まれた。オスマンにとって失態以外の何物でもないのである。
しかし一方でオスマンは一つの疑問を抱いていた。視線のみを動かして見つめる先にいる一人の青年。彼の力を持ってすればこの事態に誰よりも早く気付くと思っていた。しかし実際に気付いたのは今朝、それも教師がである。
見誤っていたのだろうか、オスマンは彼に対する評価を決めかねていた。
オスマン主体で話は進み、犯人の特定に至る。犯人は土くれのフーケ、最近界隈を賑わせている盗賊である。
そして盗まれたもの。その話に及んだ時、オスマンは逡巡した。
「オールド・オスマン?」
しかし渋っている状況ではない。観念するようにオスマンは言った。
「……盗まれたものは、ある箱じゃ」
「箱?」
「箱の中身にはわしにとって重要なものが入っていての。しかしそれは開けられるものが限られるのじゃ」
フーケには開ける術があるのかもしれんの、とオスマンは呟く。話を聞いた他全員はどうしたものか困り、顔を見合わせる。
そのいづらい雰囲気を払拭するようにロングビルが飛び込んできた。
「オールド・オスマン! フーケの居場所がわかりました!」
それを契機として再び話し合いは進み、そしてフーケのいる先に誰が行くのかという話になった。王宮に連絡しに行ったコルベールを見送ったオスマンは全員を見回し、問う。
「盗まれた宝を取り返すべくフーケの根城に行く、という意志のあるものは杖を掲げよ」
場は沈黙する。ただの一人も人間がいないかの如く静まり返る様は見ていて情けないものだった。
「なんじゃ、情けない。ここで名を上げようという者はおらんのか」
オスマンの言葉にうろたえるもやはり誰も手を上げない。教師は誰も手を上げない。だからこそその場で上がった手は彼らのものではなかった。
「オールド・オスマン、私が行きます」
静かな部屋に響くのは少女の声。背中に視線を浴びながらルイズは高々と手を上げて言った。
「ミス・ヴァリエール……キミもか、ミス・ツェルプストー」
ルイズが横を見るとからかうような視線を向けるキュルケがいた。ルイズは何か言おうとしたが、やはり何も言わなかった。
「ミス・ヴァリエール、ツェルプストー! あなた達は生徒なのですよ! ここは教師に――」
「私が頼るべき“教師”は今この場にはオールド・オスマンしかおりません!」
シュヴルーズの言葉を呑みこんでルイズは叫ぶ。体裁のみを気にしている彼らにはもううんざりだった。何も言わないものの、キュルケも肯定の意を示している。シュヴルーズはもう何も言えず、そのまま縮こまった。
「ぼ、僕は……」
ギーシュは二人の態度に流されるように何か言おうとする。それでも恐怖を感じているのは確かであり、しかし彼女らがこうして立ち上がっている中で自分だけ逃げるという選択肢は彼にはなかった。
「ぼ、僕もいきま――」
「私が行く」
そのギーシュの決意は最期まで響くことはなく、代わりに扉を開いて現れた少女が意志を表した。
「タバサ……どうして……」
キュルケは突然の少女の乱入に驚きの声をあげ、ルイズは口を開けたままタバサを見ていた。そのまま教師の隙間を縫ってオスマンの前にたどり着く。
「私も行く」
「ミス・タバサ、立ち聞きは関心せんの」
タバサは首を振る。
「座って聞いてた」
「……ならばよかろう」
「ちょっ! オールド・オスマン!?」
オスマンとタバサのやり取りに思わず教師が突っ込むがオスマンは無視し、反論を退けるように立候補者の詳細を言い出す。その言葉に教師らは沈黙し、最早何も言うことはなくなってしまった。オスマンはうむと一言唸り、改めて言う。
「ではミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ。おぬしら三人に宝物の奪還を命ずる。ミス・ロングビル、案内をよろしく頼むの」
ロングビルは首肯し、退室する。その後ろからは三人の綺麗に重なった声が響いた。
********* *********
ロングビルが操る馬車の中でルイズはタバサと話し、昨日の礼を言った。それに対する反応は、
「構わない」
であった。無口な性分であることは理解できた。
「……着きました。ここからは馬車では進めないので徒歩になります」
太陽が姿を見せているこの天候は僥倖であった。晴れていれば視界は良好でフーケを見つけやすい。それは相手側にも言えることだが、逆に雨が降っていれば視界は悪くなるし、何より戦力の一人であるキュルケはその力が半減では済まなくなる。戦闘などないに越したことはないが、それでも不利な点はなるべく欲しくなかった。
ルイズは自身の横を歩くレーヴェを見る。レーヴェは今日あまり口を開かない。元々よくしゃべるというわけではないがそれでも今日はいつになく無口だった。それでも自身の傍にいる事実は変わらない。気にはなったものの、彼が傍にいるということそれだけでルイズは今回の任務に不安感を感じなかった。
やがてロングビルは足を止め、それに呼応してそれぞれ木々に隠れる。フーケがいるという小屋を遠めに眺めながらルイズは呟く。
「あそこにフーケが……」
「ちょっとボロいわねぇ。中の様子も見えないし」
「迂闊に近づくと危険ですからしっかりと作戦を立てていきましょう」
ロングビルの言葉に皆は頷き、意外なことにタバサが主導となって作戦が立てられた。
「ってそういえばタバサはシュヴァリエだったわね。これぐらいは普通か」
ルイズの言葉にタバサは頷き、地面をキャンパスに図を描く。
「周囲の把握が必要ですね。私が承りましょう」
ロングビルがそう言い出しキュルケは危険だと反論しようとするも、ロングビルのラインだという発言に納得し、そしてロングビルは林の中に消えていった。
ロングビルの背中を見送ったタバサは図に人型や矢印を描きつつ、一つの問題点を出す。
「偵察が必要」
「――その必要はない」
しかしそれは即座に否定された。それまで無言だったレーヴェの発言に三人は一斉に彼を見やり、そしてルイズが代表して尋ねる。
「……わかるの?」
「生物の気配はない。トラップの有無はわからないがな」
レーヴェは首肯し付け加える。彼女らは顔を見合わせ、そして結論付けた。
「三人で行きましょうか」
「そうね」
「うん」
そして四人は小屋に近づき、レーヴェは尋ねる。
「魔法の反応はあるか?」
タバサが調べ、首を振る。それを見たレーヴェは剣を持ち、扉を切り刻む。扉が崩れ落ち内部の状況を見ることができた彼女らは顔を顰めた。陽の光が中に降り注ぎ、空気中に舞う埃の存在を明瞭にする。
「うわ……」
思わずキュルケは呟き逡巡するも、レーヴェは何の躊躇もなく入る。特に変わった様子もない外観どおりの内部だ。大分ほったらかしにされていたのだろう、木製の床からは雑草が生え埃で装飾されている。
その中で人の足の形にくり貫かれた埃の後があり、それを辿ると明らかに場違いな綺麗さを持つ雅な装飾の箱が置かれていた。
「これ? 盗まれた宝物って」
ルイズの問いにキュルケはそうじゃない、と相槌を打ち、手を伸ばす。
「……開かない」
「タバサ……」
キュルケの手が箱に届く前にタバサの手で掻っ攫われたそれは開く気配がなかった。おそらくフーケも開けられなかったのだろう。レーヴェはその箱を注視していたが、外からの凄まじい音に反応していち早く小屋から飛び出た。
「これは……」
レーヴェに遅れて三人も飛び出し、そして驚愕の声を上げる。
「ゴーレム――!」
「うわ、これはおっきいわね」
四人の眼前に聳え立つのは土製のゴーレム。問題なのは、聳え立つという言葉が過剰ではないと思わせるほどのその大きさだ。優に30メイルはあるだろう巨大さは人間が太刀打ちできないことをただ存在するというだけで印象付ける。
「これ逃げたほうがいいんじゃない?」
キュルケの言葉は彼女の心境を容易に想像させる言葉だった。昨日のギーシュとは比べ物にならないほどの大きさのゴーレムを作り出すメイジと戦うのは骨である。あくまで目的は盗まれた宝物の奪取なのだ。今それはタバサの手の中にある。それならばここで引いても問題はないのではないだろうか。
タバサは箱をルイズに預け、詠唱を行う。終わるのと同時に放たれるのは無数の氷の矢、ウィンディ・アイシクル。ゴーレムの片足に飛び込むそれらは確かに傷をつけるけれど、それでも大きさという優位さに対しては焼け石に水であった。
「効かない」
ゴーレムはそのまま真っ直ぐに小屋を、ルイズらを目指してくる。ただ踏まれるだけで致命傷だ。ルイズは小石を拾って錬金を、キュルケはファイヤーボールをそれぞれ唱え放つもつけた傷はすぐに修復されてしまって歯が立たない。
「ッ! これは――!」
「撤退……」
キュルケとタバサはこの場で倒すことは不可能と判断しゴーレムと距離をとり始める。しかし背中を向けて走ろうとするキュルケが目の端に捉えたのは動こうとしないルイズの姿だった。
「ルイズ! 何してるの逃げなさい!!」
「いやよ! 貴族は敵に背中を見せないわ! それに――」
ルイズは叫び、その意志を告げる。そしてそれよりも小さな声で、しかし明瞭に世界に響き渡るように――
「それに、レーヴェはこんなやつに負けないわ――!」
その言葉とともに、一人の剣士が行動を開始した。
ルイズを抱え距離を離したレーヴェは視線を上げた。ちなみに、ルイズは喚いたが背中は見せていないので文句は言わせない。
「ドラギオンよりもでかいか……」
30メイルはある巨大なゴーレムの前でレーヴェは一人不敵に笑う。かつての機械仕掛けの相棒を越えるソレを前に闘気が滾る。
左手に持つケルンバイターは持ち主の高ぶりに美しい光で応え、螺旋を描いて絶対の位置に構えられる。
「――≪剣帝≫の力、受けてみろ」
瞬間、レーヴェの姿が掻き消える。ゴーレムは一瞬にして標的をロストし、次いで後ろからの衝撃にバランスを崩した。レーヴェはゴーレムの背後を取り一閃、それはゴーレムの足を斬撃の形に抉り取る。傷自体はそれほどではなく、むしろその一撃に込められた圧力に揺さぶられていた。
ゴーレムは修復が完了するとレーヴェを踏み潰そうと試みる。しかし鈍重な動きで剣帝を捉えられるはずはない。再び姿が掻き消え、持ち上げた足の踏み場を見失って沈黙するゴーレム。その重量を支える一本の足に再び衝撃が走り、ゴーレムは激しくバランスを崩す。慌てて上げていた足を戻してふんばるも、その様をレーヴェは静かに冷静に眺めていた。
それを影から見ていたフーケは思わず言葉が漏れる。
「馬鹿にしやがって……!!」
「――勘違いするな」
「!?」
不意に発された言葉は間違いなく自身に向けられているとフーケは気付いた。気付かれている。身構えるフーケをよそにレーヴェは泰然として言った。
「馬鹿にしているわけではない」
「な、んだと――」
そこでレーヴェは初めてフーケのほうを見やった。気配の探知など執行者にとって当たり前のこと、むしろ気配を隠す気もなかったフーケは姿を見せているのと同義だった。
離れていてもルイズら三人を圧倒することはできただろう。それでもレーヴェたった一人に劣勢に引き込まれれば、精密操作のために近寄らざるを得ない。そうして彼女はレーヴェの探知網の中に入り込んでしまった。
「自身の敗北をそこで待っているといい」
レーヴェは剣を祈るように正面に立てた。闘気が迸り、周囲を圧迫する。レーヴェを中心に渦のように高まる気を血の引けた顔で見つめるフーケに届いた言葉は絶望だった。
「――受けてみよ、≪剣帝≫の一撃を」
レーヴェの体から燃えるような闘気が放出される。レーヴェを中心として風が巻き、周囲のあらゆるものを引き寄せる。フーケはその吸引力に必死に木につかまることで耐え、しかしゴーレムを操作する余裕はない。流石にゴーレムほどの質量を巻き込むことはできないが、しかし既にゴーレムはレーヴェの間合いに達している。
「はあああああああ!!」
気合とともに全身を回転させ、炎を纏った一撃を放つ。三百六十度全方位を薙ぎ払う一撃は空間を断絶し、そして巨大ゴーレムを地と平行に分断した。
ゴーレムは切込みから上半身をずらし二体同時に崩れ落ちる。レーヴェはただその様を平坦に見つめていた。
「ほ、ほら……勝ったじゃない……」
ルイズはどもりながらレーヴェを指差し言う。
「は、はん……ルイズ、声が震えてるわよ……」
ルイズの引きつった顔に負けないほどにキュルケも動揺を隠せていない。彼女らは今まで一度もレーヴェの戦闘を見ていなかったので当然である。尤もレーヴェはギーシュとしか戦っていないので当たり前だ。
「すごい……」
タバサでさえも普段の冷静な表情を忘れ、素直な感情を表していた。倒せないと諦めたゴーレムをたった一人で、しかも魔法も使わずに倒してしまった。その衝撃は計り知れない。
「う、嘘……」
それはフーケにとっても同様で、彼女は木の陰で呆然としていた。彼女はスクウェアに近いトライアングルメイジだ。彼女の作り出すゴーレムは外見どおりの強力なものだ。それでも、そのゴーレムが唯一人の剣士に負けるという事実は彼女の自信を粉々にした。
「――出て来い。もう隠れる必要もないだろう?」
その声にびくりと反応し、しかし逃げることもできずにゆっくりと姿を現す。そうしてようやく土くれのフーケ、ミス・ロングビルは姿を現した。
「ミス。ロングビル! 無事でしたか!?」
ルイズらはレーヴェとフーケの元に駆け寄る。ロングビルを心配する彼女らに対しレーヴェは真実を口にする。
「彼女がフーケだ」
「な!?」
「え!?」
「…………」
キュルケとルイズは驚き、ロングビル、フーケを見る。その彼女は唇を噛み締め、しかし目を鋭く光らせ飛び退いて杖を構える。
「まだだッ! まだ!」
フーケは詠唱を行い、人間大のゴーレムを二体作り出す。それを見て構えるルイズらを手で制し、レーヴェは問いかける。
「無駄なことは理解しているだろう。何故そこまでする」
レーヴェの問いにフーケは一瞬遠い目をして何某かを思い出し、しかし即座にそれを消して強気に答えた。
「ハ、特に理由なんてないね! ただ捕まりたくないだけさ!」
「嘘だな、人間は弱い。だが人の間にいる限りそれだけではなくなる。貴様からはそれを感じる」
それはいつかの義弟の言葉。レーヴェはフーケに対して言ったつもりだろうが、それはそのままレーヴェ自身に対しての念押しでもあった。ルイズはレーヴェの言葉に思うところがあったのか複雑な表情をし、タバサはその言葉が真実だと実感した。
「……あたしは――ッ!」
フーケは叫びと共にゴーレムを嗾ける。二体のゴーレムは左右から同時にレーヴェに迫り、そして。
「――――ぁ」
ゴーレムと同時に、フーケも力を失った。一瞬でフーケまで駆け抜けたレーヴェはフーケを見下ろした。
「レーヴェ……?」
ルイズからはレーヴェの表情は見えない。何を考えているのかもわからなかった。
そして、甲高い音が響いた。
「レーヴェ!!」
手から剣が落ちると共に崩れ落ちるレーヴェがルイズにはスローモーションに見えた。
********* *********
自分の知らない何かが見え、それに迫ろうとしてレーヴェは目を覚ました。
柔らかい感触、温かい何かに包まれている。横たわっている事に気付き、ようやく自身がベッドで寝ていることに気がついた。
「俺は……」
既に陽は落ちている。外は暗く、それに伴い室内も暗かった。暗闇に目をこなすとここが学院内のルイズの自室だとわかる。
いつまでも寝ているわけにはいかないと身体を起こし、そして違和感に気がついた。
「――――」
体を起こすのに予想外の力が必要だった。指先の感覚も常より鈍い。掌を眺め、握り締める。
心臓の鼓動が感じられる。それを他人事にしか思えない自身はやはり死人なのだとレーヴェは自嘲した。
仮に『虚無』というハルケギニアの伝説が死者の蘇生を成したとしても、それはこの世界の理だ。ケルンバイターを創ったのが“外の理”というのなら、外には外の、内には内の理があり、それはその世界にとって絶対である。
ならばハルケギニアという内の理で編まれた魔法が、外の理で編まれたレオンハルトを蘇生し召喚することなど不可能だ。仮にできたとして、その結果が自身だとしても、それが十全に行われることなどありえない。何もかもが似通った世界であっても不可能だ。ならばこのレオンハルトには確実に欠陥がある。
そしてその通りに今回それが顕れた。具体的なことは何もわからない。だが内部からの警告は深刻だ。外がいくら強くても、中を攻められれば弱い。古代の城もそうだ。鉄壁を持とうとも内通者がいるだけで容易く崩壊する。レーヴェは今内部から見えない銃口を突きつけられているのだ。
以前のような身体を弾くほどの衝撃が戦闘中に現れれば致命傷。そのためには問題の解決が不可欠で、故にこの爆弾の詳細を知らなければならない。
改めてレーヴェはそう思ったが、まずは何よりも状況の確認が必要だった。ルイズの姿はない。机の上には戦術オーブメントが置かれており、レーヴェは自身の失敗に顔を顰めた。これが敵地であったなら致命的だ。
自分を戒め、手に取る。それに伴ってルーンが淡く反応し体が軽くなる。それが今は少しありがたかった。
学院長室に行こうと決め、レーヴェは部屋を出た。
********* *********
ルイズ・フランソワーズは後悔していた。本当はレーヴェの傍を離れたくはなかったのに、ついついキュルケの言葉に乗せられてこうして舞踏会に来てしまった。
フーケを捕らえたことが既に広まっていたのだろう、今まで歯牙にもかけていなかった者どもがこぞってダンスを申し込みに来たことにはため息しか出なかった。
真に貴族であろうとするもののなんと少ないことか。こうしてバルコニーに逃げている間に思うことはそんなことばかり。ルイズはやはり貴族ということに特別に敏感であるのだ。なまじ魔法が使えないという特性ゆえに、それ以外の部分で貴族たろうとする思いが強いのだろう。そう自分で解釈した。
そうならばこの学院にはルイズが認める貴族は多くない。つまり舞踏会に来る必要はない、そう結論付けた。
「もっと早く決め付けてればよかったなぁ……」
舞踏会を抜け出すことを決めたルイズは手すりに寄りかかるように気だるく外を見やり、その時使い魔を見つけた。
「レーヴェ!」
声がして、その方向に顔を向けた。見るとそこには探していたルイズの姿がある。そこで待っててと言い残して消えるルイズの言うとおりにそこで待機していたレーヴェは、やがて現れた主に対し感謝の意を口にした。
「礼を言う。ルイズ・フランソワーズ」
「いいわよ別に。私も助けてもらったんだもの。ああいう時くらいレーヴェを助けなきゃ」
そうして笑うルイズに対し、レーヴェは先の話をし始める。それはルイズと会う前、学院長室でのことである。
********* *********
学院長室には当然のことながらオスマンがいて、そして予想外にルイズらが奪還した宝物である箱があった。レーヴェはオスマンの前に進み、机を隔たって相対する。
「倒れたそうじゃが、もうよいのかの?」
「ああ、元より予想していたからな」
オスマンは目を細め、先を促す。
「死者が完全に生き返ることなどないということは端から承知だった。それだけだ」
昨日にその前兆ともいうべき異常は確認している。オスマンはそうかとだけ告げ、そしてレーヴェの来訪理由を察していたかのようにルイズらが帰ってきたときのことを説明し始めた。
簡単に言えば、タバサの使い魔である風竜に運ばれる形で学院に戻ってきて、そして今は舞踏会の最中であるということだった。そこまでを話し終わり、徐にオスマンは机上の箱に目を向けた。
「いつから学院にあったのか知らんこの箱はわしらには開けられん。特別な措置が施されているようじゃ。おぬしはこの箱に触れたかの?」
レーヴェは首を振り、オスマンは沈黙した。しばしその状態は続き、やがてオスマンは問いかけた。
「――開けて、みんか……?」
「…………」
二人の視線が交錯する。レーヴェにとっては断る理由もないものだ。即座に頷き手に取ればいい。それなのに不思議と躊躇われた。
その理由が何であるのか彼にはわからない。しかしそれが、いつかのある日に邂逅した存在が原因であることはこの後わかることになる。
オスマンは目を閉じ、レーヴェはゆっくりと箱に手を伸ばす。その指先が上部に触れた瞬間、箱は貝のようにその内部を曝した。
「これは――」
「…………」
レーヴェは現れたそれを静かに持ち上げる。
弓。黒一色にその身を包んだそれは自動弓だ。一般的にはボウガンと言ったほうがわかりやすいかもしれない。
手に持った瞬間にルーンが光り、その情報が流れてくる。そのかつての持ち主でさえも、今回は読み取ることができた。それはこの世界に存在する武器の中でも特別レーヴェに近いものであったからかもしれない。
「…………」
オスマンは閉じていた双眸を開き、驚愕するレーヴェを見る。その手に持たれた漆黒の自動弓はオスマンには輝いているように見えた。
「何かわかったかの?」
オスマンは誰も開けられなかった箱を開けたという事実を当たり前であるかのように流して中に仕舞われていた武具について尋ねる。ガンダールヴが持つということはその武具についてわかるということなので当然である。オスマンの問いに答えるようにレーヴェは口を開く。しかしそれはオスマンの言葉を聞いていたわけではなかった。呆然と、呟くことで頭に事実を入れたかったのである。
「……魔弓、アイオーン。かつての所有者は――」
唾を飲み込み、そして言った。
「――星杯騎士団正騎士、『千の腕』ルフィナ・アルジェント」
********* *********
ルイズはその自動弓を受け取った。それはルイズの細腕では重くて取り落としそうになる。しかしルイズが思ったのはそんな質量的な重さではない。
「……重いわね。でも、なんか使いやすそう」
レーヴェもルイズの言葉の意味がわかるので肯定の意を示す。
「ルフィナ・アルジェントは優秀な騎士だった。彼女の持ち物ならばそう感じてもおかしくはない」
「誰なの? そのルフィナって人は」
レーヴェは思い出すように一度目を瞑った後、過去のことを話し始めた。
ルフィナ・アルジェント。星杯騎士団の正騎士。
星杯騎士団とは、世界に散らばる前文明の遺産である『早すぎた女神の贈り物』、古代遺物の回収・管理を司る部隊だ。大陸に広がっている七耀教会、その中の封聖省と呼ばれる機関に括られる騎士団は12人の守護騎士の下、正騎士と従騎士が集い、大陸全土を駆け回っている。
古代遺物は未知で構成されているので一般人が持つには危険すぎる。しかしそれは裏を返せば使うことができれば容易く悪用できるのだ。それを阻止する為に騎士は情報を集め、回収し、その過程で戦闘も行う。
ルフィナ・アルジェントはその星杯騎士団の正騎士にして『千の腕』の異名を持つ名うての騎士だった。決して戦闘能力に恵まれていたわけではない。それでも教会に伝わる法剣とボウガンを駆使し、何よりもその卓越した交渉能力で事案を解決していった。『千の腕』とはその長けた交渉術が由来なのである。
その力は現行の守護騎士にして、どうして守護騎士でないのかと言わしめたほどだった。守護騎士に選ばれるためには特別な条件があるため力があるだけではいけなかったからだった。
そんなルフィナ・アルジェントとレーヴェとの接点は、一つの事件である。事件担当者だったルフィナととある件でそれに関わったレーヴェは敵対する関係であったが、殺し合いになることもなく双方が妥協するような形で終息したのだった。しかしそれはレーヴェにとってはうまくしてやられたといった感覚を抱いていたので実質はルフィナに軍配が上がったようである。
ただそれだけ、一つの事件で邂逅したというそれだけだったが、レーヴェにとっては特別に記憶に残る出来事だった。かねてより聞いていた『千の腕』の力を自身で知った出来事だった。
そして、そんな彼女とレーヴェには一つの共通点がある。
「――そして、彼女は既に死んでいる」
「え!? それって……」
「彼女の死を俺は知っている。しかし彼女の弓はここにある。つまり可能性は二つだ」
「方法はわからないけどそのボウガンが勝手に流れついたか……」
ルイズは一瞬溜めてから言った。
「死んだはずのルフィナって人がハルケギニアに現れたのか、ね……」
レーヴェは反転しルイズに背を向けた。空を見上げると暗い闇の中に二つの月が浮いている。
「ルフィナ・アルジェントがここに来たというのなら、彼女の力を持ってすれば生き抜くことは可能だ。そして俺よりも前にここに来ていたのなら蘇生の理由にも察しがついているかもしれん」
視線を落とし掌を見つめた。血が通い、肉があり、意志のままに動くそれは間違いなく生者のそれだ。それでも彼には本来あってはならないものなのである。
レーヴェの背中を見つめるルイズはそんな彼に何か言わなければならないと感じる。自身のことがわからないという苦悩は彼女の身にもあった苦悩なのだ。魔法が使えないこと、こうして生きていること。その二つは内容こそ違えども苦しむ理由は同じなのだから。
それでも言葉が出てこない。共感の意を伝えればいいのだろうか、それとも他の何かを言えばいいのか。こんな時に感情に任せて言えればいいのに、こんな時だけそれは高ぶりを見せてくれない。静かに困惑するルイズの心は口を動かしてはくれない。
それでも、どうしてか手だけが動いてくれた。
「――――」
不意にレーヴェは背中を引っ張られる感覚を察したが、敵意はなかったのでそのまま受け止めた。小さな手が灰色のコートを優しく掴む。
「――探しましょう、レーヴェ」
ルイズはその背中に頭を任せて言う。
「ルフィナを見つければレーヴェの疑問は解ける。どうしてハルケギニアに来たのか、私の使い魔になったのかがわかるのよ。それならやっぱり、探さないとね」
その口調はどこか嬉しげで、背中越しにルイズの表情が判る気がした。
「使い魔の望みは叶えないと主として失格よ。だから、どうだろう……学院はどうすればいいのかな。頭が働かないけど、でも……あ、学院の虚無の資料を見るのが先よね、じゃあそれを見終わったらオールド・オスマンに外出の許可を貰って……」
不意に手と頭に伝わる感覚が消え、顔を上げる。するとレーヴェはこちらに振り向いており、やはり静かな目でルイズを見ていた。
その目を見るとルイズはいつも思う。レーヴェの目からは意志は伝わるけれど感情は早々伝わらない。真っ直ぐに心を空っぽにして、奥底にあるそれを掬い出さないとわからない。
だからルイズは笑う。まずは自分が素直な気持ちを表さなければいけないのだと、そう思うから。
「――先のことはわからないけど、でも約束するわ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの名にかけて。ルフィナ・アルジェントを、レーヴェの答えを見つけましょう」
世界の常識を話すことも簡単な文字を教えることもルイズは既に行った。しかしルイズはここで初めてレーヴェのためにできる本当のことを見つけたのかもしれない。そう思ったからこそルイズは笑い、そしてレーヴェは――。
「あ…………」
ゆっくりとルイズの頭に手を載せる。人の温かみが伝わる。
ルイズはレーヴェの大きな掌に父に似た安心感を抱き自然に目を閉じる。
レーヴェはルイズの頭を撫でながら様々な記憶を思い起こす。
それは二度と忘れることのない大切な記憶で、その中に今頭を撫でている少女の存在が入り込んでくる。どうしてか、頭を撫でてしまった。その衝動こそがレーヴェにとって眼前の少女がどういう存在であるかを語っていた。
手を離し、ルイズは目を開けて言う。
「主の頭を撫でるなんて、なんて使い魔なのかしら」
文句のような優しい言葉。それに対してレーヴェは何も言わず、そして。
「ルイズ・フランソワーズ、世話になる」
「…………ええ!」
ルイズは胸を張って返事をした。
舞踏会ももうすぐ終わる。もうすぐ終わるが、まだ終わってはいない。それでもここで踊るような関係ではないのだ。
踊る必要がないと思える関係なのだと、そう思えるのだから。
どうして月は二つあるのだろうか。
ルイズは不意に疑問に思い天を仰ぐ。
輝くそれらは人間にとっては大きすぎ、また遠すぎる。手をいくら伸ばしても届かないそれは叶わない理想のようだ。
先ほど誓った約束は果たして月なのだろうか。そう思ったときルイズは不思議な錯覚を得て顔を綻ばせる。
届かない月が叶わない理想ならば、届きそうな月は、きっとそういうことなのだろう。
いつの間にか小さくなっている大きな背中を見やり、ルイズは走り出した。決して走りやすい格好ではないがそれでも少しでも早く追いつきたかった。
その目標に届く間に一つ、ルイズは別な目標を見つけた。それは些細な、しかし大事なことだ。
他人行儀な呼び方を訂正させることを決め、その手は背中に追いついた。
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レオンハルトがレオンハルトに変わるまでの人間を“最初の人”としよう。“最初の人”はレオンハルトの全てに憧れ、その全てが欲しいと思った。その結果“最初の人”はレオンハルトの情報をその身に全て与えられ、結果として意識すらもレオンハルトに変質してしまった。
仮に“最初の人”がレオンハルトとして死んだ場合、彼は死後もレオンハルトとして扱われるのだろうか。それは違う。彼は間違いなく“最初の人”だったのだ。“最初の人”は一度死に、生き返る過程でレオンハルトとなった。その情報に上書きされた。
身体能力はそれを構成する内臓一つ一つによって決まる。所謂顔と呼ばれる外面もそうだ。“最初の人”はレオンハルトのようになりたいと望み、それを手に入れたが、知能や知識といった意識・自我に至る所までもらってしまったのだ。しかし彼は間違いなく“最初の人”だ。レオンハルトの身体で、レオンハルトの意識を持つ彼は限りなくレオンハルトに近い“最初の人”なのだ。
しかしその事実を彼は覚えていない。そんな意識は存在しない。知りうるのは彼を変質させた神だけだ。
しかし人でなくとも、意識でなくとも、彼が“最初の人”であってレオンハルトではないことを記憶しているモノがある。それはいくつもの場所で語られている『精神力』に使われている意志の力ではない精神、形而上でしか語られない『魂』と呼ばれるものだ。形而上とは時間・空間を超越し、感覚を通してはその存在を知ることができない抽象的・観念的なもののことだ。
『魂』は『心』に似たいくつもの解釈で説明される。それは形として見ることができないからだ。形が定まらないからこそいくつもの見方がある。その『魂』こそが“最初の人”とレオンハルトが別人であることを記憶している。今の彼は間違いなくレオンハルトだが、魂だけは“最初の人”なのだ。
本来持つはずのものとは異なる肉体・意識を認識した魂はそれを拒絶する。99%がレオンハルトであっても100%にならない限り彼は決してレオンハルトにはなれず、またその僅かな違いこそが彼を蝕むことになる。それは彼がレオンハルトとして生きる以上止めることはできない。
命の時計は常人よりも速い。
先が短いことをレオンハルトはなんとなく察している。体の変調の理由こそ断定できていないが、レオンハルトがこの世界に長く留まることはないと不思議に確信している。
だからこそ自身の信じた希望に愛想を尽かされないように、この少女の翼になろうと決意する。
例えこの生が悪しき方法によるものだったとしても、それまでの過程に後悔のないように。
短い幻のようなこの時間を、最期に良かったと思えるように。
了
あとがき
俺たちの戦いはこれからだ! ソードエンペラーレーヴェ! 完!
一発ネタだったことを踏まえれば短編とはいえ短期間に書ききったのはよかったかなと。たとえ蛇足だとしても、キャラの再現率がアレでも、強引でも。……うん、良かったんですよ。製作期間が短いので見直しとかが粗いのは欠点ですね。次に活かしたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。