――――初めは、代わりでも良いと思っていた
やっと、自身の夢が叶うのだからと
けれども、知らなかったのだ……
それが、どれだけ空しいモノなのかを
――ほんの僅かな違いが、未来を大きく変える事もある
「来て……マガツ、イザナギ!」
イザナギを召喚した直後に鏡が召喚したペルソナ。
それは、足立が使っていた筈のマガツイザナギ。
本来、起こりえないはずの状況に、雪子は自らが支えている少女へと視線を向ける。
「鏡、あなた……」
驚く雪子に答える事なく、鏡はイザナギとマガツイザナギに意識を集中させる。
意識的に行うペルソナの複数同時召喚。
覚悟はしていたが、自身に掛かる負担は相当なモノで、少しでも気を緩めると意識を失いそうになる。
鏡の意志に従い、イザナギは右手に持った得物を振りかぶると、アメノサギリの眼球へと勢い良く突き刺して左側へと切り裂きながら移動する。
マガツイザナギは左手に持つ得物を逆手に構えて身を捻ると、イザナギとは逆方向、左から右側へと勢い良く斬りつけ移動する。
アメノサギリを真横に切り裂くイザナギとマガツイザナギ。
そのまま反対側へとアメノサギリを切り裂いた二体のペルソナが得物を引き抜くと同時に、アメノサギリから光が溢れ出す。
切り裂かれた線に沿って溢れ出す光。
(駄目ッ! もう、意識が……)
アメノサギリを切り裂いた所で鏡の意識は途切れてしまい、イザナギとマガツイザナギの姿が消滅する。
「ッ! 鏡!?」
雪子が慌てて鏡の様子を確認する。
『雪子先輩! お姉ちゃんは気を失っただけだから、大丈夫! それよりも、今が最後のチャンスだよ! 千枝先輩、やっちゃって!!』
りせの言葉に千枝は力強く頷くと、完二に一緒に攻撃するように指示を出してスズカゴンゲンを召喚する。
「これで、終わりだッ!!」
アメノサギリの直上に黄金の握り拳が現れて、勢い良く殴りつける。
補助魔法スキル【チャージ】によって強化された物理攻撃スキル【ゴッドハンド】がアメノサギリを真下へと叩き落とす。
「くたばりやがれッ!!」
落下してくるアメノサギリの真下に陣取ったロクテンマオウが、物理攻撃スキル【イノセントタック】でアメノサギリを貫くと、ようやくアメノサギリはその動きを停止する。
「ここは?」
何もない黒い空間。気が付いた鏡は一人呟くと周囲へと視線を巡らせる。
「……ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所だよ」
突然、背後から聞こえてきた声に、鏡は声がした方へと振り返る。
そこに立っていたのは、黒いショートカットの白い袖無しのシャツに黒いネクタイを緩く締め、紅いタータン・チェックのスカートを穿いた、鏡と同世代と思われる少女だった。
少女は被っていた青い鍔広の帽子の位置を整えると、鏡の方へと近付いてきた。
「本当、君も無茶をするよね。ペルソナの同時召喚なんて、出来ると解っていても、普通はやらないよ?」
少女はどこか呆れたような様子を見せつつ、抑揚のない声で鏡に話し掛けてくる。
「貴女は、誰?」
初対面であるはずの少女に、どこか懐かしい思いを抱きつつも鏡が訊ねると、少女は少し困った表情を浮かべて首を左右に振る。
「本当は名乗っても良いんだけど、君に対して必要以上に関わっちゃ駄目だから、名乗らないでおくね。と言っても、ココでの事は忘れちゃうんだけど」
少女の意味ありげな言葉に戸惑うも、名前を教えてくれない事については申し訳なさそうにしているため、鏡はこれ以上の詮索はしない事にする。
「本当はね、私と君が出会う事は無かったはずなの。けれども、君が使った力の影響と、あの世界の特性が私達を出会わせた」
「私の使った、力の影響?」
「そう。君は他者との繋がりで得た強大な力で、本来は起こりえない事象を起こしてみせた。けれど、それは本来、人の身には大きすぎる力なの」
少女は鏡に説明する。
鏡が行使した力は、多用すると鏡自身を滅ぼす諸刃の力だと。
「体調が万全な状態ならともかく、今回のように病み上がりだと、それだけ危険が増すから、慎重にね」
その言葉に頷く鏡を、少女は興味深そうに眺めている。
「……ふぅん、改めて見ると、こっちの君は美人さんだね」
一人、納得した様子を見せる少女に鏡が戸惑った様子を見せると、『気にしないで、こっちの事だから』と言って、少女は屈託のない笑みを浮かべる。
「アメノサギリを倒したことで、町から霧は晴れる事になるけど、気をつけてね。まだ本当に全てが終わった訳じゃないから」
「ッ!? それって、どういう意味!」
「ごめんね。私から教える事は出来ないし、ココで教えても、目が覚めたら君は忘れてしまうから……」
申し訳なさそうに謝罪する少女の姿に、鏡はこれ以上の詮索は出来ないのだと悟る。
「けど、君ならきっと、その時が来たら気付けるはずだよ。あの人と同じように、真実へと辿り着けるよ」
確信を持って少女は鏡にそう語る。
根拠のない筈の言葉なのに、何故だか鏡には少女の言葉が正しいのだと思えてくる。
「そろそろ時間だね、これを持っていって」
そう言って、少女が鏡へと手を差し伸べる。
差し出された手に鏡が自身の手を近づけると、少女の手に見慣れたタロットカードが現れる。
「きっと君の力になれると思うから。こうして私達が出会えた事には、きっと意味があるんだよ」
受け取ったタロットカードには何も描かれてはいなかったが、暖かな力を鏡は感じた。
少女からタロットカードを受け取ると同時に、鏡の視界が徐々に暗くなっていく。
自身が現実で覚醒するのだと気付いた鏡の耳に、柔らかく微笑んだ少女の別れの言葉が届く。
「それじゃ、が~んばってねっと」
間延びした少女の声を最後に、鏡の意識は現実へと覚醒する。
鏡が目を覚ますと、そこはテレビの中ではなく、ジュネスの家電売り場だった。
「良かった、気が付いたのね……」
鏡が目覚めた事に、うっすらと涙を浮かべた雪子が喜びの声を上げる。
「……雪子? 足立さんは? アメノサギリは……どうなったの?」
まだ意識がハッキリとしない鏡の問い掛けに、雪子は全てが終わった事を伝える。
鏡が意識を失った後、千枝と完二がアメノサギリにトドメを刺して、足立も無事に助け出す事が出来た事。
陽介が遼太郎に連絡して、今は遼太郎の到着を待っているのだと雪子から説明を受けた鏡が視線を仲間達へと向ける。
「もう、お姉ちゃんは病み上がりなのに無理しすぎ!」
鏡が目覚めた事に仲間達が安堵の表情を浮かべる中、りせが目元に涙を浮かべながら鏡に抗議する。
「りせちゃん、心配かけてごめんね」
謝る鏡に、りせはしがみつくように抱きつくと、嗚咽を漏らし鏡の無事を心の底から喜ぶ。
そんなりせの背中に鏡は優しく手を乗せる。
「鏡ちゃん、無事で本当に良かった……」
体力を消耗した足立が疲れた様子を見せながらも、鏡の無事な姿に安堵の表情を浮かべて声を掛ける。
「足立さんも無事で良かったです。もう死に逃げないで下さいね?」
「……あぁ、君達に救って貰った命だ。生きて罪の償いを模索する事にするよ」
鏡の言葉に頷く足立は、向こうの世界で見たときよりも晴れやかな表情をしていた。
「スマン、遅くなった」
そう言って、菜々子を連れた遼太郎が到着する。
手伝えなかった事を謝る遼太郎に、鏡達は気にしないで欲しいと伝える。
「堂島さん……」
そう言って、立ち上がった足立が遼太郎へと近付くと、自身の両手を差し出す。
足立の意図を悟った遼太郎は首を振ると、その必要はないと言外に伝える。
遼太郎の心遣いに足立は目を見張ると、済まなさそうに頭を下げる。
「……それじゃ、俺は足立を連れて行くから、スマンが菜々子と一緒に先に戻っておいてくれ。帰りは遅くなるから、戸締まりはしっかりとな」
「足立さん、これ、菜々子が作ったの。お父さんと一緒に食べてね」
遼太郎の言葉に頷いた鏡が菜々子へと視線を向けると、菜々子が手にした包みを足立へと差し出す姿が目に映った。
包みの中は御握りで、菜々子が足立がお腹を空かせているだろうと思い作ってきたそうだ。
「……っ!? ありがとう、菜々子ちゃん」
「足立さん、また今度、ご飯を食べに来たときに手品を見せてね!」
目尻に涙を浮かべつつお礼を言う足立に、菜々子が屈託のない笑顔を見せてお願いをする。
叶えられない願いだが、足立は菜々子に手品を見せる約束をすると、遼太郎に連れられ家電売り場を後にする。
鏡達と別れ、自動販売機で飲物を購入した遼太郎は自身の車に足立と共に乗り込むと、手にした飲物を足立に手渡す。
「……菜々子がな、最近のお前は元気が無いって気にしていてな。きっとご飯をちゃんと食べてないだろうからと言って、それを作ってきたんだ」
包みの中には御握りが六つ入っており、中の具はそれぞれ鮭のほぐし身とカツオ、梅干しがそれぞれ二つずつとなっている。
綺麗な俵型に握られた御握りは、食べるのが勿体ないぐらいの出来映えで、菜々子が丁寧に作ったことが見て取れる。
足立は御握りを手に取ると、口元へと運びゆっくりと咀嚼する。
程良い塩加減に梅の酸味が混ざり、足立の食欲を刺激すると同時に菜々子の心遣いが足立の心へと染み渡っていく。
「……美味しい。菜々子ちゃん、本当に料理が上手になりましたね」
「そうだな。鏡の教え方も上手いのだろうが、菜々子自身が上達したいと、真剣に取り組んだ結果なんだろう」
自身も御握りを手に取ると、足立に答えてから遼太郎も御握りを食べ始める。
「足立、済まなかったな」
「……え?」
御握りを食べ終えたところで、そう話し掛けてきた遼太郎に、足立が呆気に取られた表情を見せる。
「初めて会った時、お前に『家族だと思え』って偉そうなことを言っておきながら、俺はお前の悩みに気付けなかった」
悔恨を含んだ遼太郎の言葉に、足立は慌てて遼太郎の言葉を否定する。
罪を犯したのは自身の弱さが原因で、決して遼太郎に非がある訳ではない。遼太郎に打ち明ける機会は幾らでもあったのに、打ち明けた後のことを恐れて、何も言い出せなかった自分が悪いのだと。
菜々子と遼太郎の優しさに、いつしか足立の目には涙が溢れていた。
こんなどうしようもない自分に向けられていた優しさ。その優しさから目を背けたのは、他ならない自分自身だ。
だから、遼太郎が自分に詫びる必要は無いのだ。
「鏡ちゃんにも言いましたけど、生きて罪の償いを探したいと思っています」
「……そうか」
足立の言葉に遼太郎は静かに頷くと、稲羽署へと向けて車を発車させる。
鏡が退院してから数日後にせまった期末試験。
その準備で緊張した空気が流れる中、一部の男子学生達がそわそわとした様子である噂話をしていた。
「……なぁ、それって本当なのかよ?」
「間違いないって。ツイッターで呟いてたし、それらしいのを最近よく見掛けるし」
そんな男子生徒達へと視線を向けた陽介が怪訝な様子を見せていると、それに気付いた千枝が最近流れている噂話について陽介に説明する。
なんでも、『かなみん』の相性で知られるアイドル『真下かなみ』が主演のテレビドラマの撮影が、稲羽市で行われるらしいとの事。
噂の真偽はハッキリとはしていないが、それらしい呟きをツイッターで見掛けたのが噂の発端になっているそうだ。
「あれ? 確か、りせの後輩だったよな『かなみん』って」
陽介がそう呟くと同時に、疲れた様子のりせが2組の教室へとやって来た。
「りせちゃん、どうかした? 随分と疲れた様子だけど」
雪子の質問に答えたのは当人であるりせではなく、一緒に付いてきた直斗だった。
「最近流れている噂話の真偽を確かめるために、久慈川さんへ質問する生徒達が後を絶たないんですよ」
「……事務所から離れている間の事なんて、私が知るわけ無いっつうの」
心底嫌そうな表情でりせが呟く。その様子にはいつもの元気が無く、かなりのストレスが溜まっているようだ。
「けどよ、どうしてそんな噂が流れ出したんだ?」
「確か、かなみんの呟きからファン達が撮影現場を推測して、だったかな?」
完二の疑問に千枝が小耳に挟んだ事だと断ってから説明する。
最近になって、それらしい人物を見ることが多くなったとかで噂の信憑性を高めているそうだ。
「それで、同じ事務所の先輩であるりせに質問が殺到したって訳か。災難だったな」
千枝からの情報を聞いた陽介がりせを気遣う。
騒ぎもその内に収まるだろうが、それまではりせの憂鬱な日々が続きそうだ。
「りせちゃん。今日、りせちゃんのお家に寄っても良いかな? 退院してからまだ、シズおばあちゃんに会いに行ってなかったから」
それまで話を聞いていた鏡がりせに声を掛ける。
鏡の申し出にりせは嬉しそうに了承すると、シズも鏡に会いたがっていたことを伝える。
「それじゃ、今日は一緒に下校しようね」
「はいっ!」
先ほどまでの不機嫌さが嘘のように満面の笑みを浮かべたりせが鏡に返事を返す。
放課後になり、上機嫌なりせが鏡との他愛ない話に花を咲かせながら下校する。
ここ最近の質問攻めが与えたストレスを全部吐き出すかのように、りせは鏡に話し続ける。
「お、りせちゃんじゃないか!」
「町の助役さん……でしたっけ? こんにちは……」
あまり接点のない初老の男性が誰であったかを思い出しながら、りせが挨拶を返す。
戸惑うりせをよそに、男性は興奮した様子でりせに驚くべき事を告げる。
「いや~聞いたよ、今度の撮影の話! すぐ近くでテレビドラマの撮影をするんだろ?」
寝耳に水の話に戸惑うりせの姿を見た男性は、“かなみん”こと真下かなみ主演のロケが行われる事を告げる。
その情報に驚くりせに男性は、りせの口添えで小さなイベントを行ってくれないかと提案する。
男性の提案にりせの機嫌が悪くなるが、男性はりせの事には気付かず、あれこれと呟きながら自分の考えに没頭していく。
「よし、さっきのマネージャーって人に言っておかなきゃな!」
考えが纏まった男性はそう言うと、挨拶も無しにその場を去っていった。
先ほどから一変して不機嫌になったりせを宥めつつ、鏡はりせと共に丸久豆腐店へと移動する。
「あれは……井上さん?」
店の前に立っている、眼鏡を掛けた見知らぬ男性に気付いたりせが呟く。
その呟きが聞こえたのか、男性もりせに気が付くと僅かに笑みを浮かべてりせ達の方へと歩いてくる。
「良かった、会うことが出来て。りせちゃん、久しぶり」
親しげに話し掛けてくる男性に対して、りせはあからさまに不機嫌な様子をみせる。
「何の用ですか、井上さん」
「ロケ地の下見で近くまで来たから、会えればと思ってね」
そう言って、男性は背広の内ポケットから一枚の封筒を取り出すと、りせへと手渡す。
受け取った封筒の宛名から、自身へのファンレターだと気付いたりせは、差出人の名前を確認して小さく驚きの声を上げる。
「この子、まだ手紙をくれてたんだ……」
「それを君に渡すのと、君の口から、ちゃんとした“答え”を聞きたかったんだ。本当に、復帰は未定のままで良いんだね?」
井上の言葉に、りせは僅かばかりの逡巡をみせると、戻らない事を伝える。
りせの答えを聞いた井上は、その事を惜しむも、『これで新しい仕事に専念できる』と言って、現在は真下かなみの担当である事を告げる。
その上で、自分達はりせ以上の人気を得られるように、これからはかなみを売り込んでいくと告げる。
「でも……かなみは“普通の子”だ。それでも、僕らは売れるように“作る”……」
そう言った井上はりせへと視線を向けると、りせには“光”があり、飲み込みの早さ、空気を読む力、その時々に応じて強く、または弱く見える繊細な笑顔、そして何より、年離れした演技力は他の子達がどれだけ望んでも辿り着けない高みへと行けたはずだと称賛を送る。
「僕のおこがましい、押しつけだけどね。だから……せめて君の口から、今の答えを聞きたかった。それじゃ、元気で。体には気をつけてね」
そう言い残して去っていった井上を、唖然とした表情で見送ったりせは、拳を握りしめると小さく肩を震わせる。
「なによ……卑怯じゃん……答え言わせた後にさ……そんな言葉、現役の時に一度も聞いたことないっつうの……」
演技力があるのは当たり前だ。寝る間も惜しんで、必死に頑張って努力したのだから。
色々な感情が一気に押し寄せたのか、気付かない内に、りせの瞳に涙が溢れてこぼれ落ちる。
「え……? なんで、涙なんか……出るのよ……意味、分かんない……悲しい事なんて、何も無いのに……」
嗚咽を漏らしながら涙するりせを、鏡はそっと抱きしめると、優しく頭を撫でて静かに泣きやむのを待つ。
しばらくして、落ち着きを取り戻したりせは辰姫神社へと鏡と共に移動すると、井上から渡されたファンレターを大切そうに取り出す。
「お姉ちゃん、ごめんね。あのまま帰ったら、おばあちゃんに心配を掛けそうだったから……」
そう言って、りせは手元のファンレターの封を丁寧に剥がして、中から便箋を取り出す。
なんでも差出人は中学生の女の子で、仕事で以前イジメの撲滅キャンペーンに出たのを見て、勇気を貰ったという理由でそれ以来、何かと近況を書いては頑張っている事をりせに伝えていたのだそうだ。
「この子からの手紙を読む度に、“りせちー”にも意味があるって思えた。だから、辛いときは何度も読み返していたな……」
その言葉に頷く鏡の隣で、りせは手にした便箋に目を通していく。
手紙の内容は最近の近況と、りせが早く元気になって復帰できる事を真摯に願ったモノだった。
「テレビの中でも思ったけど、いつかこの子にありがとうって言えたらな……後、ごめんねって」
この子だけでなく、沢山のファンを失望させている事をりせは理解していた。
そう何度も社長に言われて、りせ自身も自覚していた事だ。
それなのに、心の中に大きく穴が空いたような虚しさに襲われ、大切な何かを失ったのだと痛感する。
「りせちゃんにとって、“りせちー”もまた自身の大切な一部だったんじゃ無いのかな?」
「そう……なのかな。そうなのかも知れない……無くしてから大切な事に気付くって、本当の事だったんだね……」
鏡の言葉にりせは頼りなげに言葉を返すと、手にした便箋をじっと見つめる。
「お姉ちゃん。帰ったら、もっと良く考えてみる。自分の、今の気持ち。もう何も、失したくないから……」
その言葉に鏡は同意するとりせを家まで送り届けて、久しぶりに会ったシズに心配を掛けた事を詫び、自分がもう大丈夫である事を伝える。
鏡の無事を喜んだシズは退院祝いだと言って、鏡に豆腐とがんもどきを包んで手渡す。
「鏡ちゃん、今度は菜々子ちゃんと一緒に遊びにおいでね」
帰り際にそう言ってくれたシズに笑顔で頷いた鏡は、二人に別れを告げてから帰宅する。
それから数日が経って始まった期末試験も無事に終了した学校内では、相変わらずテレビドラマの撮影の話題が飛び交っていた。
りせに対する質問攻めは直斗と完二が鎮静に乗り出したため、落ち着きを見せ始めたようだが一部ではまだ、りせに真偽を確かめようとする生徒が居るらしい。
「入院してたはずなのに、トップはまた姉御なんだな……」
張り出された期末試験の結果を見た陽介が、呆れたように呟く。
仲間達の順位もそう悪いモノでなく、上位には鏡の他に雪子と直斗が名を連ねている。
完二もここ最近の頑張りの結果が出始めており、徐々にだがその順位を上げている中、りせだけが僅かに順位を落としていた。
以前の事をまだ気にしているのか、りせは時々、思い詰めた表情を見せている。
その事が気にならないと言えば嘘になるが、理由を訊ねても『大丈夫』だと答えるりせに、陽介達は無理強いをしないようにとそれ以上は訊ねない事にしている。
「お姉ちゃん。今日の放課後、少し時間をもらっても良い?」
「良いよ、今日の晩ご飯にお豆腐を買いに行きたいと思っていたから、放課後になったら一緒に下校しましょう」
りせの申し出に鏡は了承すると、放課後になったら迎えに行くと約束を取り付ける。
鏡の言葉に頷いたりせは感謝の言葉を述べると、自分の教室へと戻っていった。
「なぁ、姉御。最近、りせのヤツ何か悩みを抱えているようだけど、大丈夫なのか?」
去っていくりせを見送った陽介が、心配そうに鏡に訊ねてくる。
雪子や千枝も同じ気持ちらしく、ここ最近のりせの様子を心配しており鏡に不安げな視線を向けている。
そんな仲間達に鏡は大丈夫だと告げると、りせの事は自分に任せて欲しいと皆に願い出る。
「鏡さんに任せるのが一番良いでしょうね。久慈川さんは僕達の中で鏡さんの事を一番信用していますから」
「だな。俺達に言えない事でも、姐さんになら打ち明けられるだろうし」
直斗の言葉に完二が同意し、りせの事については鏡に一任する事で皆が同意する。
全ての授業が終わり、鏡は早々に帰宅する準備を済ませると、りせを迎えに一年二組へと向かう。
鏡が到着すると、教室の前でりせが鏡の到着を待っており、やって来た鏡に気付いたりせが嬉しそうな表情を見せる。
「実は今日、ある人と会うんだけど、お姉ちゃんに同席して欲しいの」
学校を後にしばらく歩いた所で、りせがそう切り出してくる。
りせの言葉に僅かばかりの驚きをみせつつも、鏡は自分が同席しても良いのかとりせに確認を取る。
「こんな事、おばあちゃんには頼めないし、私一人だと冷静で居られる自信が無くって……ごめんね、お姉ちゃん。事後承諾になっちゃって」
「それは気にしてないけれど、今日会う人ってこの間の井上さん?」
「ううん、違う人。風見響子さんっていう女の人で、井上さんが来た数日後に連絡が来たの」
りせの説明によると、りせがデビューして初めて主演を演じる事になったテレビドラマの監督だった女性で、ここ最近の噂になっている“かなみん”主演のテレビドラマの監督をしているのだそうだ。
そんな相手からの連絡と聞いて、鏡はりせが自分に同席して欲しいと言った理由を理解する。
「ひょっとして、出演のオファーが来たの?」
「……やっぱり解っちゃうよね」
鏡の問いに困惑した笑みを浮かべたりせがそう答えると、彼女と出会わなければ今ほど演技が得意では無かっただろうと話す。
中高生向きのテレビドラマの監督として有名な人物で、彼女が手掛けた仕事はどれも高評価だと言う。
もっとも、その手の話題に疎い鏡には、その凄さがどれほどのモノか判別が出来ないようで、りせもその事を理解してるため、詳しい説明は控えて自分の恩人である程度に説明をとどめた。
何しろ、“りせちー”を知らなかったのだから、裏方の人物の事を詳しく説明しても実感が沸かないだろう。
そんな事を内心で考えたりせは、小さく笑みを浮かべる。
「りせちゃん、久しぶり。元気そうで何よりだわ」
そう言って待ち合わせ場所でりせを出迎えたのは、スーツを着こなした妙齢の女性で、彼女が先ほどりせが話した風見響子という人物なのだろう。
キビキビとした動作はキャリアウーマンっと言った言葉がピッタリと合い、鏡はふと自身の母親の姿を思い出した。
「ご無沙汰してます、響子さんもお変わり無さそうで」
りせに言葉に響子は優しい笑みを浮かべると、鏡へと視線を向ける。
「隣の彼女はひょっとして……以前、週刊誌にスクープされた時の子かしら? アレは災難だったわね」
「神楽鏡と言います、初めまして」
初対面の鏡に対して身構える事なく親しげに接する響子に鏡が挨拶すると、響子も鏡に対して自己紹介を済ませる。
「鏡ちゃんは、りせちゃんからかなり信頼されているのね。今回、私がここに来た理由はりせちゃんから?」
響子の問いに鏡が頷くと、少し考える素振りを見せてから、この場で立ち話もなんだからと落ち着いて話せる場所へ移動しようと提案する。
確かに、立ち話で済ませる内容では無いので、りせと鏡も響子の申し出に同意する。
二人は響子が乗ってきた車で沖奈市まで移動すると、沖奈駅前にある喫茶店『シャガール』へと入り、人目の付かない奥まった席へと座る。
「それじゃ、早速だけど。りせちゃんには、この間の連絡時に話したとおり、私が監督するテレビドラマに出演して欲しいの」
注文した珈琲を手に、響子がそう話し出す。
りせの事務所には既に話が通っているらしく、りせが引き受けるのなら構わないと言ってきたそうだ。
響子からの説明にりせは驚きつつも、どうして自分に依頼を持ち込んだのか、その真意を尋ねる。
「一番の理由は惜しかったから、かしら。ううん、違うわね。私が監督である前に、一人のりせちゃんファンだから」
そう言って、響子は初めてりせが自分と仕事をした事を挙げてその時からファンなのだとりせに伝える。
監督しても“久慈川りせ”というアイドルの才能を高く評価している事を告げ、今回のドラマにはりせが必要なのだと真摯に説明する。
「りせちゃん、私はこの話を受けた方が良いと思うよ」
それまで二人の会話を聞いていた鏡が、りせへとそう告げる。
「お姉ちゃん!?」
「アイドルへの復帰は関係なく、りせちゃんが自分自身の気持ちと向き合う良い機会だと、私は思う」
鏡の言葉に、自分自身が本当はどう思っているのを知るチャンスだと気付いたりせは、響子にドラマへの出演依頼を受ける事を伝える。
依頼を受けてくれたりせに、響子は嬉しそうに微笑むと、りせの演じる役についての説明を始める。
りせの役どころは数シーンの小さな役だが、かなみが演じる主人公に大きな影響を与える重要な役だと響子は話す。
「りせちゃんの演じ方一つで、このドラマの出来映えを左右すると言ってもいいわね」
「響子さん、今からそんなプレッシャーを掛けないで下さいよ……」
響子の言葉に困った様子でりせが抗議するが、響子自身はこれくらいの事なら大丈夫でしょうと、りせへ信頼している事を伝える。
そう言いながら手渡された台本を受け取ったりせは、先ほどとは違う真剣な表情で台本の中身を確認する。
手渡された台本には付箋が付けられており、そのページがりせの演じる役の箇所なのだろう。
ざっと目を通したりせは、他の出演者との顔合わせが何時なのか、響子へ確認を取る。
「今度の日曜日だけど、都合は大丈夫?」
その返答にりせは大丈夫だと答えると、響子は鏡へと視線を向けて、当日はりせと一緒に鏡にも来て欲しいと願い出る。
その言葉に鏡が困惑した表情を見せると、りせの付き添いとして彼女を支えて欲しいと説明する。
りせの出演には異論を出さなかった事務所だが、スケジュール管理をする人員が出せないと言ってきたらしい。
その件については、りせの役自体が数シーンの撮影で済むため響子としても、それ以上の事は言えなかったそうだ。
響子がその事をりせに詫びるが、りせ自身も引退する自分に対して、事務所がそこまでしてくれるとは考えてなかったので、響子には気にしていないと告げる。
それよりも、鏡が一緒に付いてきてくれる方が嬉しい様子で鏡もそんなりせの手伝いが出来るならと付き添いを引き受ける。
「それじゃ、今日は時間を取らせてごめんなさいね。日曜日に会いましょう」
話が終わり、沖奈駅前でそう言って別れた響子を見送った二人は券売機で切符を購入して構内へと移動する。
響子自身は二人を自宅まで送ると申し出たのだが、車で移動するよりも電車で移動した方が早いからと二人が断ったのだ。
「あれは……」
楽しそうに駅構内へと移動する二人を、そう呟きながら一眼レフのデジタルカメラを首から提げた妙齢の女性が視線で追う。
以前、週刊誌に載せたりせと鏡の写真を撮った浅野さつきである。
先週から再び沖奈市へとやって来たさつきは、数日前に撮った写真のデータをデジタルカメラの画面に読み出す。
そこに写っていたのは、泣いているりせを優しく抱きしめる鏡の姿だった。
この写真だけでも特ダネになるのだが、さつきの勘がそれよりもモノになる特ダネの匂いを嗅ぎ取り、この写真は未だ利用される事なく、さつきのデジタルカメラのディスクにデータが補完されたままである。
(私の勘に狂いはなかった。やはり、彼女からは特ダネの匂いがするわね)
さつきはそう考えると、獲物を狙う獣のような表情で舌なめずりをすると借りているビジネスホテルへと向かうのだった。
その日、『かなみん』こと真下かなみは内心で焦っていた。
初めてのテレビドラマへの出演。それも、主演でだ。
その事にかなみは舞い上がるほどの嬉しさを感じていたが、撮影が始まると、すぐに自分の才能の無さに焦りを覚え始めた。
元々、女優よりも歌手の方を目指していたかなみは、演技自体は嫌いでは無かったが、自分には不向きだと思っていた。
それでも、自身初の主演という事もあって、事務所に言われるまま役作りに取り組んだ。
自分の先輩であり、『りせちー』の愛称で親しまれていた久慈川りせが休業宣言をした事によって巡ってきたチャンスだった。
最初は彼女の代わりでも良いと思っていたが、ほどなくして自分が何かをする度に“りせちー”と比較されている事に気付いた。
同じ事務所の先輩後輩の間だから仕方がない事とは言え、りせと比較され続ける事は、かなみにかなりの苦痛をもたらした。
自分は、りせと比べて圧倒的に才能が足りない。
その思いはかなみの動きを固くし、更なる悪循環へと繋がっていく。
(……何で?)
そして今、監督から紹介を受けているココに居るはずがない人物の姿を目の前に、焦りはピークに達していた。
「久慈川りせです。急な参加ですが、よろしくお願いします」
(何で“りせちー”がココに居るのよ!)
――次回予告――
その人物の登場に少女の心は千々に乱れていく
はやる思いは空回りし、徐々に少女を追いつめていく
認められたい ただそれだけの願いがひどく難しい
――変わる切っ掛けは手の届くところに
分岐点を前に、少女は自身を試される
次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~
翼、羽撃く
――まだ見ぬ、高いその大空――
2015年04月15日 初投稿