――――その訃報に、心の中に大きな孔が開いたのを感じる
世界から色彩が消え、目に映る景色は全て灰色に見える
どうして、こんな結末になってしまったのだろう?
行き場のない感情は、どこに向けたらいいのだろう?
集中治療室の中から聞こえる遼太郎の悲痛な叫びに、陽介達の顔色が変わる。
鏡の容態はどうなったのか?
扉一枚の隔たりなのに、陽介達にはとてつもなく遠くに感じられる。
『……俺は、姉さんに……菜々子に……何て言えば良いんだッ!!』
身を切るような悲痛な叫びが聞こえてくる。
その言葉の意味するところを理解した陽介達に動揺が走る。
集中治療室から医療器材を運び出す看護師に、陽介達が鏡の容態を訊ねる。
看護師は陽介達の質問に『誠に残念ですが……』と、鏡が先ほど息を引き取った事を伝える。
その言葉に直斗はその場に崩れ落ち、傍にいた完二が咄嗟に支えるも、身体に力が入らないのか脱力したまま項垂れている。
「……鏡……こんな……こんなの……嫌だよ……」
千枝は雪子に支えられながら、起きてしまった現実を受け止めきれずに泣いている。
「菜々子ちゃんを助ける事は出来たのに……何故……」
千枝を支えている雪子も、気を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうな状態を必死に堪えている。
やり場のない憤りを完二は壁を殴る事で紛らわせ、クマは壁にもたれ掛かりながら天上を見上げて涙が零れるのを堪えている。
そんな中、自身も鏡を失った悲しみに倒れそうになるのを堪える陽介は、遼太郎の様子を見に集中治療室へと入る。
鏡が横たわるベッドの傍らで、鏡の手を握りしめたままの遼太郎が、声を殺して泣いていた。
遼太郎へと掛ける言葉が見つからない陽介は、横たわる鏡へと視線を向ける。
ベッドに横たわる鏡の姿は、安らかに眠っているようにしか見えない。
その事がさらに、鏡を失ってしまった喪失感を増幅させ、陽介の堪えていた涙が零れ落ちる。
「特別な力があるからって、いい気になって……俺達は結局、姉御に頼ってばっか……じゃんか……その結果が、これかよ……!」
悔しくて、情けなくて、色々な感情がない交ぜになった陽介は自分の無力さに腹立たしくなる。
そんな陽介に項垂れたまま遼太郎が、本来事件を解決すべき自分達こそが最も役に立っていないと告げる。
通常の事件とは違う特殊な事件であった事が一番の原因だが、遼太郎は守るべき者を守れなかった事実に千里の事件を重ね合わせる。
あの時と違い、今回は犯人の身柄は確保できている。
これまでの動機については不明だが、少なくとも殺意がない事だけは判明している。
しかし、鏡を失った事に対する気持ちが、生田目が事件を起こしさえしなければという考えに結びついてしまう。
色々な思いに囚われていると、看護師から死後の処理をするため、終わるまでロビーで待つように言われ遼太郎達は場所を移動する。
皆、悲しみに打ちのめされ言葉もなくロビーへと移動する。
「……おい、りせの姿が見えないけど誰か知らないか?」
ロビーに到着して皆の様子に気を回すことが出来た陽介が、りせの姿がない事に気付く。
陽介に言われて、りせの姿がいつの間にか見えなくなっていた事に気付いた千枝達も不安げな様子を見せ始める。
「……っ!? まさか……りせのやつ」
ある可能性に気付いた陽介が、遼太郎に生田目の病室はどこかを訊ねる。
陽介の質問に遼太郎も同じ考えに至り、慌てて陽介達を連れて生田目の病室へと向かう。
受付で聞いた病室の前に立ち、扉に書かれた名前を確認したりせが静かに病室へと入る。
病室は広く、部屋の奥には大型のテレビが置かれており、その手前にあるベッドに生田目が眠っている。
生田目の眠るベッドの傍に移動したりせは、感情の籠もらない瞳で生田目の姿を確認する。
生田目の病室を聞き出すのは簡単な事だった。
受付で『叔父が入院したと連絡をもらった』と説明したら、あっさりと病室の場所を聞き出す事が出来た。
それに加え、遼太郎が生田目を病院に搬送してから稲羽署に連絡した事も幸いした。
稲羽署からの応援がまだ到着していないので、難なく病室へと侵入する事が出来た。
今のりせは特徴的なツーテールの髪を解き、眼鏡を掛けて簡単な変装を施している。
変装のために掛けていた眼鏡を外したりせは、生田目をしばらく見下ろした後、靴を脱いでベッドの上へと移動する。
自身の身体にかかる圧迫感に、生田目の意識が覚醒する。
ハッキリしない意識で状況を確認すると、見慣れない少女が自分の上に馬乗りになっている事に気付く。
少女の姿に生田目は、目の前の少女が以前、自分が救済するために攫った少女である事を思い出す。
髪を解いていたため気付くのに僅かに時間が掛かったが、その顔は覚えている。
「……君……は?」
掠れる声で生田目が話し掛ける。
「……お姉ちゃんが死んだの」
生田目が意識を取り戻した事に気付いた少女、りせは感情の全く籠もらない声で生田目に話し掛ける。
りせの言葉に困惑する生田目。
「……アンタが攫ったせいで、お姉ちゃんが死んだの」
りせは困惑する生田目に、淡々と事実だけを伝えていく。
その言葉に、生田目はりせの言う『お姉ちゃん』が誰であるのかに思い至る。
――マヨナカテレビに映った二人の少女。
生田目は二人を救うために確かに二人を攫った。
事実は少し違うが、生田目はあの後で自身の行動が間違っていた事を年長の少女から教えられた。
救済しようとしていた自分が、その実は皆を殺害しようとしていた事を……
「……彼女が死んだのか?」
りせの言葉に、生田目は自分の間違いを指摘した少女が亡くなった事を知る。
救おうとした結果、彼女に指摘されたように、自分の行動が彼女の命を奪ってしまったのか?
その事実に生田目が目を見張る。
「何で、お姉ちゃんが死ななくちゃいけなかったの?」
生田目の質問に答えず、りせは壊れた機械のように淡々と言葉を続ける。
りせの冷たい指先が生田目の首に添えられる。
――そのまま、ゆっくりと指先に力を込める。
淡々と、何の感情も籠もらなかったりせの表情に徐々に表れ始める感情。
「アンタさえ居なければ、お姉ちゃんは今も生きていたのに……オマエが……オマエが……オマエがッ!!」
どこまでも暗いその瞳に、激しい憎悪の炎を宿し、りせが生田目の首を絞めていく。
細い腕のどこにそんな力があるのかと思えるほど、生田目の首を絞める指先の力は強い。
能面を思わせた表情も、今は生田目に対する憎悪に満ち溢れており、鏡の敵を討たんとばかりにその手に力を込める。
苦悶の表情を浮かべ、呻き声を上げながらも生田目はりせの憎悪を受け入れようと思っていた。
大切な人を失った悲しみは解るつもりだ。
自身の行動で一人の少女の命を奪ったのだと言うのなら、自身の命で贖うしかないだろう。
それよりも、生田目自身が生きる事への執着を失っている事が、りせの憎悪を受け入れようと思った最大の理由かも知れない。
最愛の人を失い、後を追う勇気のない自分。
彼女の様な犠牲者を出さないようにと行った行動は、ただの自己満足に過ぎず、新たな犠牲者を生み出す要因にしかならなかった。
その結果、一人の少女の命を奪うという取り返しの付かない事態を招いた。
本人でなかったといえ、再会できた最愛の人は自身の目の前で消滅してしまい、生田目の心は完全に折れてしまったのだ。
――もう楽になりたい……
それが今の生田目の心境だった。
自ら命を絶つ勇気はないが、このまま目の前の少女に委ねてしまえば、彼女の元へと行けるかも知れない。
生田目はそんな事を思いながら、りせの憎悪にその身を委ねる。
「やめろ! りせ!!」
意識が遠退き始めた生田目の耳に、そんな言葉が聞こえてくる。
生田目の病室へ遼太郎に連れられやって来た陽介達の目の前で、りせが生田目の首を絞めて殺害しようとしている。
陽介は咄嗟に叫ぶと、りせに罪を犯させないために完二と共にりせを生田目から引き剥がす。
「放してっ!! コイツのせいで、お姉ちゃんが! 私がお姉ちゃんの仇を討つの!!」
陽介と完二に拘束されたりせが半狂乱に叫ぶ。
普段のりせとはあまりにもかけ離れたその姿に、鏡を失ったりせの想いの強さを垣間見る。
りせの気持ちは理解できるが、だからといってその思いのまま、りせに凶行を行わせる訳には行かない。
「りせがそんな事をして、姉御が喜んでくれると思うのか!?」
陽介の言葉に、りせの動きが止まる。
りせ自身、言われなくても解っているのだ。
自分がこんな事をしても、決して鏡は喜んでくれるはずは無く、むしろ悲しませる事になる。
けれども、行き場のないこの感情をぶつける相手が欲しかった。
りせの想いは、この場にいる皆が共通して抱く想いだ。
鏡を失った悲しみと、その原因となった生田目への怒り。
陽介に指摘されたりせは『そんな事……言われなくても、解ってる……』と、先ほどよりかは落ち着くと、その場に泣き崩れてしまう。
この面々の中で、りせが鏡の事を一番心配していたのだ。
抱いた危惧が現実のものとなり、りせは自身の力不足と、もっと鏡に対して気を配るべきだったと自責の念に苛まれる。
千枝と雪子が泣き崩れるりせを支えている間に、遼太郎が生田目の容態を確認する。
激しくむせ込んでいるが、命に別状は無さそうだ。
もっとも、遼太郎自身は専門ではないので、ナースコールで担当医を呼んだ方が良いと思われる。
「取り敢えず、担当医を呼んだ方だ良さそうだな」
遼太郎がそう呟いた瞬間、突如として映っていなかったテレビに画面が映し出される。
突然の事に皆の視線がテレビに集まると、そこに映っていたのは生田目の姿だった。
『救済は失敗だ……お前達が邪魔をしたせいでな!』
テレビに映る生田目が話し掛けてくる。
生田目本人は今、陽介達の目の前にいて、テレビの中には誰も居ないはずだ。
それなのに、マヨナカテレビには抑圧されたもう一人の生田目が映っており、ふてぶてしい態度を取っている。
『法律で俺は殺せない……俺はこれからも救済を続けるぞ。それが、俺の使命だからなぁっ!』
テレビに映る生田目が、陽介達を嘲笑うように言いたい事を言い終えると、そのまま画面は消えてしまう。
生田目の本心ともいえる内容に、完二達の様子が変わる。
「法律がどうした……俺はテメェを許す気はねぇぞ!」
頭に血が上った完二が生田目に詰め寄ると、生田目の胸倉を掴もうと手を伸ばす。
その行動に気付いた遼太郎が完二を押さえると、完二は遼太郎に『姐さんを殺されて平気なんスか!』と矛先を遼太郎へと向ける。
「……法で裁けないって言うんなら、私達で裁けないかな」
抑揚の無くなった声で千枝と雪子に支えられたりせが呟く。
こんな大きなテレビが病室に置いてあるのなら、それを使ってテレビの中へ逃げ込む事も可能だろう、と。
「そんな……駄目だよ!」
「だからって、このまま放置するんスか!? コイツはまた、姐さんのような犠牲者を出すって言ってんスよ!」
反対する千枝に、りせと同意見の完二が反論する。
本来なら反対する側に立つであろう直斗も、鏡を失った悲しみで完二達に近い考えを抱いている。
そんな中、陽介と遼太郎は違和感を覚えていた。
陽介はこれまでとは違うマヨナカテレビの状況に、遼太郎は刑事としての視点で。
「……まてよ。俺達は何か大きな勘違いをしているかも知れねえぞ」
「俺も刑事として、お前達に殺人事件を起こさせる訳にはいかんぞ」
二人の言葉に、完二達の動きが止まる。
このまま生田目を見逃して、テレビの中へと逃げ込まれてもいいのかと直斗が訊ねると、陽介が『直斗らしくねえぞ』と言葉を返す。
「お前ら、姉御の事で頭に血が上ってんのは解るが、まずは落ち着け。俺達の目的は何だ?」
「……僕達の目的」
陽介の言葉に直斗が冷静さを取り戻す。
自分達の目的。
それは、犯人を見付け出し、真実を知る事だ。
これまでの事で、生田目以外に犯人が居る可能性を見付ける事が出来た。
そして、生田目自身には殺害の意志はなく、純粋に善意から犯行を行っていた事が予測されている。
「確かに僕達は、肝心の本人から何一つ話を聞いていませんでしたね……」
マヨナカテレビに映った生田目の発言で、生田目の本心は殺害目的だと思い込んでしまっていた。
陽介の指摘でその事に気付いた完二も、知ろうともせず行動すれば、自分自身を騙す事になると理解する。
今の生田目はとても話を聞き出せる状態ではないため、担当医を呼んで様子を見てもらう事にする。
陽介達がこの場に居るのは問題があるので、遼太郎は陽介達にロビーへと移動するように伝える。
「……巽。俺だって鏡を失って何とも思ってない訳じゃないぞ」
病室を出て行こうとする完二に遼太郎が話し掛ける。
一時の感情にまかせて復讐を遂げたとして、自分達が犯罪者に成り下がる事を鏡が望まないからだ。
遼太郎の言葉に、完二は自分の過ちに気付かされる。
自分達以上に遼太郎は鏡の死を悲しんでいるのだ。
その事に気付かず、自分達だけが鏡の死を悲しんでいると思い込んでいた完二は自身を恥じる。
遼太郎にその事を謝罪する完二。
「……いや。鏡の事をそれだけ想ってくれたんだ。ありがとう」
完二の謝罪に、遼太郎は薄く微笑んでお礼を述べる。
その姿に、遼太郎が自分達に悟られないように無理をしているのだと気付いた完二は、遼太郎に頭を下げて病室を後にする。
陽介達が病室を出て行った事を確認した遼太郎は生田目へと視線を向ける。
「……正直、お前がした事は善意からだとしても、俺には許す事が出来ない。結果として、俺の姪の命を奪ったのだからな……」
遼太郎の言葉に生田目が目を見張る。
「それから、罪を償うつもりか知らんが、久慈川を利用して自殺の手伝いをさせるな。彼女には、この先もまだ人生が残っているんだ」
そう言って、遼太郎は自棄になって死を望むほど後悔をしているのなら、生きて罪を償えと生田目を諭す。
本心では、生田目に対して憎悪を抱いていてもおかしくない遼太郎の言葉に、生田目は顔を伏せて嗚咽を漏らす。
遼太郎はナースコールを使い担当医を呼ぶと、やって来た担当医に事情を話して後を任せると、自身もロビーへと移動する。
そろそろ、稲羽署からの応援が到着してもいい頃だ。
陽介達が生田目の病室に向かった頃。クマはただ一人、陽介達とは別行動で集中治療室へとやって来ていた。
鏡に対する死後の処置はまだ行われていないらしく、用意のためか看護師の姿も見えない。
ベッドに横たわる鏡の姿は、ただ眠っているだけのように見える。
「……クマが犯人を見つけ出して欲しいってお願いしたせいで、こんな事になったのかな」
本来なら、向こう側と全く関わりのない鏡に頼み事をしてしまった自分が悪かったのだとクマは考える。
自分の世界の事なのに、自分は何一つ行動を起こさず、鏡に全てを任せてしまっていた。
何もしなかった自分が鏡を殺したのだ。その思いが、クマの存在を揺らがせる。
「クマはもう……ナナちゃんに合わせる顔がないクマ……」
菜々子の大切な存在である鏡を奪ってしまった自分にはもう、菜々子に会う資格はない。
それはつまり、この世界にクマが存在する理由の消失に他ならない。
目の前が暗くなり、クマの意識が曖昧になる。
その心に残るのは、ただ悲しみと後悔の思いだけ……
菜々子が意識を取り戻したと連絡を受けた遼太郎が、菜々子の居る病室へと入る。
病室に入ると菜々子は既にベッドから起き上がっており、遼太郎の姿を見るなり遼太郎の元へと駆け寄ってくる。
「菜々子、身体の方はもう大丈夫か?」
遼太郎の質問に菜々子は元気良く頷くと、その場に居るはずであろう鏡の姿がない事を疑問に思い、遼太郎にその事を訊ねる。
「……菜々子、その事なんだがな」
歯切れの悪い遼太郎の様子に、菜々子が訝しげな様子を見せる。
そんな菜々子に、いつまでも隠し通せる事で無い事を理解している遼太郎が本当の事を菜々子に話す。
遼太郎に連れられて霊安室へとやって来た菜々子は、寝台に横たわる鏡の姿に呆然となる。
横たわる鏡に重なるように、怖い思いをしていた菜々子を励ましてくれた鏡の姿が思い出される。
『菜々子ちゃんは絶対、無事に連れて帰るからね』
そう言って、ただ一人で怖いお化けを追い払っていた鏡。
深い霧で視界が悪く、何が起こっていたのかは解らなかったが、鏡が身体を張って自分達を守ってくれていた事は理解できていた。
そんな鏡が今、目の前で眠るように横たわっている。
遼太郎から鏡は天国へ行ったのだと聞かされた菜々子は、力なく鏡の傍へと近付くと、冷たくなったその手を握る。
「……お姉ちゃん」
春先にやって来た鏡はいつも菜々子の事を気に掛けてくれていた。
遼太郎と二人で過ごしていた時は総菜弁当で済ませていた食卓を、鏡は自身の手料理で暖かい場所へと変えてくれた。
毎日お風呂へ共に入り、その日あった事を話し、寂しいときは一緒に眠ってくれて寂しさを紛らわせてくれた。
菜々子に料理の仕方を教えてくれて、今では菜々子の料理の腕前もかなりのものになっている。
そんな鏡はもう、菜々子に微笑みかけてはくれない。
一緒に話す事も、晩ご飯の買い物をする事ももう出来ない。
「お姉ちゃん……嫌だよ……菜々子を置いて居なくならないでよ……」
涙が込み上げてくる。
亡くなった母と再会できた喜びも、鏡を失った悲しみで塗り潰される。
「……菜々子、好き嫌いをしないから……お手伝いだって、もっとするから……だから……だから、帰ってきてよ……お姉ちゃん!」
鏡との別れを済ませるため、遼太郎達と一緒に霊安室へと来ていた陽介達は菜々子の姿に胸を痛める。
千枝と雪子は改めて鏡が居なくなった事に涙を流し、悲しみに暮れるりせを直斗が支えている。
「ったく、クマのヤツ、こんな時にどこに行ったんだ……」
生田目の病室からロビーへと戻った時にクマの姿が見えなくなっていた事に気付いた陽介は、病院の外でクマに連絡を取ってみた。
しかし、渡したはずのクマの携帯電話には繋がらず、時間が遅いために自宅に電話をして、クマが帰宅しているか確認する事も出来ない。
ロビーに戻ると看護師から準備が出来たからと伝えられ、霊安室へと案内されて今に至る。
「まさかアイツ、姐さんの事に責任感じて、向こうへ戻ったんじゃねえだろうな?」
完二の言葉に、陽介もその事を考慮する。
いい加減な態度を取る事はあるが、あれで責任感は強い方だ。
黙って居なくなったとしたら、その可能性しか無いだろう。
泣き崩れる菜々子の姿を見ながら、今の菜々子を慰められるのは、一緒に遊ぶ事の多いクマしか居ないと思う。
肝心な時に居ないクマに、陽介は僅かながらに苛立ちを覚えるも、早く帰ってこいと願わずには居られなかった。
悲しみに暮れる菜々子の泣き声が霊安室に響き渡り、千枝と雪子の嗚咽がそれに交じっている。
声を殺してなくりせは直斗の胸に顔を埋め、悲しみを押し殺すように堪えている。
そんなりせを、直斗も力強く抱きしめる事で自身の悲しみに耐えているようだ。
失ってみて、鏡が皆にとって掛け替えのない存在だった事がよく解る。
鏡の存在の大きさを改めて感じると、残酷な運命を呪わずにはいられない。
(姉御……どうしてだよ……どうしてっ!)
理不尽な結果に、陽介は内心で叫びながら再び涙するのであった。
気が付くと、目の前に見える光景は酷く現実味のないモノだった。
崩壊しかけた建造物が無造作に宙に浮き、あちらこちらに漂っている。
「……ここは?」
見覚えのない光景に、鏡は戸惑った声をあげる。
「ここは、深層モナド。約定により、誠に勝手ではありますが、私がお呼び立ていたしました」
聞き覚えのある声に視線をそちらに向けると、ベルベットルームの住人であるマーガレットがそこに立っていた。
手にはペルソナ全書を持ち、鏡の方へと真っ直ぐに視線を向けている。
「マーガレットさん? それに、約定って……?」
事態が飲み込めない鏡が、困惑した様子でマーガレットに問い掛ける。
そんな鏡の様子に、マーガレットは鏡の状況を理解すると、一つ頷いて鏡に話し掛ける。
「どうやら、記憶が混乱なされているご様子。お忘れですか? あなたは力尽き、命を落としてしまった事を」
マーガレットの言葉に、鏡は自身の記憶を手繰りよせる。
確か、学校を休んで菜々子と過ごしていたところに遼太郎が帰宅して、新たな脅迫状を見せられたはずだ。
その後で脅迫状を持って稲羽署へと出掛けた遼太郎を見送り、体調が思わしくなかったので、自室へと戻り休む事にした。
「そうだ……あの後で来客があって、不審な音が気になって、私も下に降りたんだ……」
下の階に降りると、菜々子の姿が無く玄関が開け放たれていた。
鏡が慌てて表に出たところで、今まさに菜々子をテレビに放り込もうとしている犯人を見付けたのだ。
寸前で菜々子がテレビに入れられてしまい、鏡は犯人ともみ合いとなった。
その結果、二人そろってテレビの中に落ちてしまった事を思い出す。
テレビの中で菜々子と真犯人である生田目を護るため、一人でシャドウの相手をしながら最上階を目指した。
最上階で力尽き、気を失っていたところに陽介達が救助に駆けつけ、異形化した生田目と山野真由美のシャドウと戦っていた事。
その際、自身のペルソナを悪用され、陽介達を危機的状況に陥らせた所で、状況を打開すべく自身のペルソナを消滅させたのだ。
「あの後で病院に運ばれた私は、そのまま力尽きたのか……」
最後に見た遼太郎の表情を思い出す。
あの場には居なかったが、目覚めた菜々子も自分が命を落とした事を知り悲しんでいる事だろう。
その事が心苦しく、自身の至らなさに悔しい思いを抱く。
「どうやら、全て思い出されたようですね」
マーガレットの言葉に鏡が頷く。
「本当に……あなたという子は、私達の予想を超えた行動を起こして」
どこか呆れた様子で話すマーガレットに鏡が怪訝な視線を向けると、マーガレットは薄く笑みを浮かべる。
ベルベットルームでは普段、見る事のないマーガレットの様子に、鏡はこんな表情も出来たのかと埒のない事を考える。
「聞こえるかしら? あなたを想い、悲しんでいる声が」
マーガレットの声に耳を澄ませると、どこからともなく声が聞こえてくる。
『……だから、帰ってきてよ……お姉ちゃん!』
その声は菜々子の声だった。
その他にも鏡の事を想う声が届く。
『私がお姉ちゃんの仇を討つの!!』
憎悪に満ちたりせの声に、鏡の胸が痛む。
自分のせいで、明るく親しみのあるりせに復讐という行動を取らせてしまった事。
他にも聞こえる声は、全て鏡の事を想った声だった。
聞こえてくる声に、鏡の頬を涙が伝う。
皆にこれほどまでに想われていた事を嬉しく思う反面、皆を悲しませてしまった事を申し訳なく思う。
出来る事なら、皆にその事を謝りたい。
叶わぬ事と解ってはいるが、鏡は素直にそう思う。
そこまで考えて、鏡は一つの矛盾に気付いた。
「命を落としたはずの私が、こうしてマーガレットさんと話している事って、矛盾していませんか?」
その事にようやく気付いた鏡にマーガレットは微笑むと、厳密には鏡はまだ完全に命を落としていない事を伝える。
確かに生体活動は停止してしまったが、鏡の魂魄は未だその身体からは離れていない事。
本来なら、ベルベットルームの客人に対して、住人が直接関与する事は禁じられているのだが、今回は事情が違うらしい。
「あなたの可愛い妹から頼まれていたの。『お姉ちゃんを助けてください』ってね」
その言葉に鏡が唖然とした表情を見せる。
一体いつ、菜々子はマーガレットと出会っていたのか?
その疑問にマーガレットは楽しそうに笑うと、菜々子と出会ったときの事を鏡に語る。
「丁度、あなた達の通う学校で、文化祭という催しをしていた時だったかしら。あの時、私も文化祭の出し物として出店していたのよ」
マーガレットの告白に、そう言えばと鏡は思い出す。
どこのクラス、もしくはクラブの出し物か解らない謎の出店があった。
青い布に金糸で装飾された場違いなテントで、【占いの館 THE 長鼻】と書かれた店名を覚えている。
あの時はりせと一緒に出し物を見て回っていたので、利用する事は無かったが、どうやらあれがマーガレットの出店だったらしい。
そのマーガレットの出店を、菜々子が利用したという事か?
菜々子から、そのような話を聞いていなかっただけに、二人の接点を鏡は意外に感じた。
鏡の表情から思いを読み取ったのか、マーガレットは菜々子に占いの館を利用した事を、鏡には内緒だと約束した事と伝える。
「何故って聞きたそうな表情ね。理由は簡単よ。あの子の望みが、あなたに関わる事だったから」
占う内容を菜々子に訊ねた時、菜々子は迷うことなく鏡の事を聞いたのだと、マーガレットは話す。
鏡が危険と隣り合わせである事を知るマーガレットは、占いの結果を菜々子に伝えその結果を踏まえて菜々子の望みを訊ねたらしい。
「あの子、こう言っていたわ。『お姉ちゃんを助けてください』ってね」
マーガレットの言葉に、鏡の胸が打たれる。
まだ幼い菜々子が自分の事を心配して、マーガレットにお願い事をしたのだ。
マーガレット自身も、そんな菜々子の事を気に入ったのだろう。
菜々子のお願いに『その時が来たら必ず救ってあげる』と約束したと言う。
「だから、今ここで……あなたが新たに見出した力を使いこなせるようになってもらうわ」
異形に自身のペルソナを悪用された時に鏡が取った行動。
ワイルドの新たな可能性。
これからの旅路には必要な力になるだろうと、マーガレットは鏡に説明する。
「構えなさい、鏡。今から私が、あなたの相手を務めてあげる……」
我は汝……、汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり
汝、“女帝”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
いつもの声が脳裏に聞こえてくると同時に、マーガレットが手にするペルソナ全書から手を放すと、その場にフワリと浮かび上がる。
それと同時にペルソナ全書から複数のカードが飛び出し、マーガレットの周りを取り囲むようにクルクルと回りながら浮かんでいる。
マーガレットから向けられる闘気に鏡の肌が粟立つ。
「先に言っておくわ。私を殺す気で挑んできなさい。全力の勝負でこそ、あなたの力は覚醒する!」
マーガレットに言われるまでもなく、鏡は全力で挑まなければならないと実感する。
そうでなければ、自分はマーガレットの一撃で倒れる事になると、直感が告げているのだ。
「行くわよ、鏡!」
マーガレットの叫びが、戦いの幕開けとなる。
――次回予告――
目の前に立ちふさがる“力を司る者”マーガレット
彼女との戦いの中で、少女は新たな力に覚醒する
覚醒した新たな力は、少女を何処へと誘うのか?
――心の力は、絆の力
その言葉の意味を、少女は正しく知る事となる
次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~
想いの在処
――その願いを胸に抱いて――
2012年08月14日 初投稿
2012年09月19日 本文追加
2014年06月27日 誤字修正