――――新世界の存在を知った自分だけが、人々を救えるのだと思った
マヨナカテレビに映る人々を救う事こそが、自分の使命だと
けれど現実は、思っていた事の真逆で
誰一人、救う事が出来ていなかったのだ……
巨大な異形と化した生田目達との戦いは、劣勢を強いられる事となった。
二人で一体の異形と化したと思われたが、その実は別々の個体で、それぞれに特性が違っていた。
元々がシャドウであった山野真由美の影は物理攻撃に高い耐性を持っており、魔法攻撃でしかまともなダメージを与える事が出来ない。
生田目の姿をした異形は反対に、魔法攻撃に高い耐性を持っており、万能系以外の魔法攻撃は殆どが効いていない様子だ。
これだけでも苦戦を強いられる要因として充分なのだが、劣勢を強いられる一番の要因となっているのが……
『ペルソナ!』
山野真由美の姿をした異形が右手を掲げると、その手の上に一枚の青く光り輝くカードが現れる。
そのカードを握り潰すと同時に、漆黒の髪を振り乱し、両手の爪が刀剣の様に伸びた異形が現れる。
その異形、ペルソナ“ランダ”は得物を振り上げ攻撃を仕掛けるタケミカヅチの正面に、その身を無防備に晒す。
タケミカヅチの攻撃がランダに当たる瞬間、ランダの前に鏡面の様なモノが現れて、タケミカヅチの攻撃を跳ね返す。
「またかよ!」
その様子を見た陽介が苛立った声を上げる。
攻撃を跳ね返された完二が自身の攻撃で負った傷に顔をしかめていると、すかさず雪子がディアラハンで回復する。
りせの解析でそれぞれに対して有効だと思われる攻撃を仕掛ける度に、今のようにペルソナを召喚されて無効化され続けている。
『まただ……また、先輩のペルソナを使ってこっちの攻撃を封殺してる!』
劣勢を強いられる一番の要因。
それは、眼前の異形がどういう原理か解らないが、鏡のペルソナを使って、陽介達の攻撃を無効化、もしくは反射してるのだ。
『アギダイン!』
タケミカヅチの攻撃を反射したランダは、そのまま火炎系上位スキルの【アギダイン】で千枝を攻撃する。
ランダの攻撃を受けた千枝はそのまま体勢を崩し、それに気を取られた隙をつき再び異形がペルソナを召喚する。
現れたのは、七つの頭と十本の角を持つ深紅の獣に腰掛ける、紫と深紅の衣を纏った妖艶な女の異形だった。
金や宝石、真珠でその身を飾り、その手には汚れに満ちた金の杯を持っている。
『拙い! 皆、防御して!!』
咄嗟にりせが陽介達に注意を促すが、それよりも早く、現れた異形、ペルソナ“マザーハーロット”が手にした金の杯を掲げる。
その瞬間、陽介達の頭上から電撃系上位範囲スキル【マハジオダイン】が降り注ぐ。
電撃属性が弱点である陽介とクマは、直撃を受けその場に転倒してしまう。
ここに来て陽介達は、鏡を敵に回す事の恐ろしさを実感する事となる。
シャドウに対して様々な攻撃手段を持つ鏡が敵に回るという事は、自分達への弱点を確実に突く事が出来るという事である。
その証拠にこちらの攻撃は封じられ、向こうの攻撃は容赦なくこちらにダメージを与え続けている。
雪子が致命傷にならないように回復を施しているが、このまま続けばこちらの方が先に消耗しきってしまう。
打開策を見出せぬまま、陽介達はジリジリと消耗戦を強いられ続けていく
「解っちゃいたけど、姐さんを敵にすると、こんなにも厄介なのかよ!」
頭では分かっていたつもりだったが、現状を目の前にして実体験として理解させられる。
そして同時に、自分達が鏡に頼りきっていた事を思い知る。
人数が増えていき、探索に当たる面子の顔ぶれを変更しても、リーダーである鏡は必ず参加していた。
それは鏡がいつも緊張を強いられる環境の中、自分達の安全を考えて行動していたという事。
鏡が不在である今回の件で、その事実を痛感する。
「どうにかして、姐御達をアイツから救い出さないと拙いな……」
現状を打破するためにも鏡達を異形から救い出さなければならい。
判っている事だが、実現する事が難しい状況に陽介がどうするべきか考えを巡らせる。
なかなか倒れない陽介達に、異形は苛立ちを感じ始めていた。
弱点を突いても、すぐさま回復され致命傷を与えられない。
このままでは、自身がその身に匿っている少女達が危険に晒されてしまう。
異形は一気に勝負を決めるべく、鏡が降魔している中で最強のペルソナを召喚する。
鏡が苦痛に耐えるように身を縮めると同時に現れた、くすんだ金のラッパを持ったドクロの異形。
背に白い翼を持ち、白いローブの上から黒地に白の幾何学模様が描かれた肩掛けを纏っている。
召喚されたペルソナ、“トランペッター”が手にしたラッパを吹くと、陽介達の頭上から青白い光が舞い降りる。
『皆! 避けて!!』
咄嗟にりせが叫ぶも陽介達の回避は間に合わず、万能系上位スキル【メギドラオン】が陽介達を巻き込んで衝撃波を巻き起こす。
眩い光が辺り一面を覆い尽くす中、りせが皆の安否を確かめる。
『そんな……!?』
光が消え、目が慣れたりせが確認できたのは、メギドラオンの直撃を受けて地に倒れ伏す陽介達の姿。
メギドラオンを受け、瀕死に近い状態で苦痛に呻いている。
「……くっ!? 俺達じゃ……姉御達を救う事は、出来ないのか……?」
「身体に……力が、入んな……い……!?」
異形の近くにいた陽介と千枝が一番ダメージを受けているらしく、立ち上がろうにも身体が思い通りに動かない。
完二や直斗も同様で、回復スキルが使える雪子とクマはあまりのダメージに回復するために意識を集中する事が出来ずにいる。
そんな中、ただ一人だけ遼太郎が身体を震わせながら立ち上がろうと指先に力を込めている。
『馬鹿な……!? あの攻撃を受けて、まだ動けるの!?』
山野真由美の姿をした異形が、遼太郎の姿に驚愕の声を上げる。
『何故だ……何故、お前は立ち上がろうとする!?』
生田目の姿をした異形も、信じられないといった様子で疑問を投げかける。
「……何故……だと?」
満身創痍で声も震えている遼太郎は、それでもその瞳に揺るぎない光を宿して異形を睨み付ける。
家族を護ると決めた決意が、倒れてなるものかと力を振り絞り、不屈の闘志を燃え上がらせる。
「父親が、娘と……家族を助けるために……身体を張るのは、当然だろうがっ!!」
立ち上がり叫ぶ遼太郎を中心に、青い光の奔流が巻き上がる。
――我は汝、汝は我……
――我は汝の心の海より出でしもの
――法と正義を司る、“ユースティティア”なり
遼太郎から現れたユースティティアが手にした剣を振りかぶり、異形へと斬りかかる。
ユースティティアの反撃に反応して、再び異形がランダを召喚する。
トランペッターを使われたショックで意識を取り戻した鏡は、未だ意識が朦朧とする中でその光景を見ていた。
自身の意志とは無関係に、自分の心を勝手に使われる不快感に苦悶の表情を浮かべる。
(……やめて)
意識を取り戻す前から、鏡は状況を夢として認識していた。
大切な仲間達を自分のペルソナが傷付けていく。
そんな許容する事が出来ない状況に抗おうとするも、自身の意志に反して、ペルソナが使われ続けていた。
(これ以上……大切な皆を、傷付けないで!!)
心の中で何かがひび割れる音が聞こえる中、鏡はその音を無視してペルソナを召喚する。
異形が召喚したランダがユースティティアに向かって突撃する瞬間、ランダとユースティティアの間に青く輝くカードが現れる。
カードはその場で弾けると、逆立つ白銀の髪を持ち、金と黒のマントを羽織った女性の人型が現れる。
影で身体が構成されたペルソナ“スカディ”がその手をランダへと向ける。
同時にランダも突然現れたスカディに向けてその手を翳す。
スカディが氷結系上位スキル【ブフダイン】をランダへと放ち、ランダもまたスカディに【アギダイン】を放つ。
互いに放った上位スキルが同時に互いに命中する。
それぞれの攻撃が弱点属性だったため、互いの攻撃が命中した瞬間、ランダとスカディが互いに消滅する。
『……ッ!? 先輩、駄目!!』
目の前で起こった現象を、ヒミコの能力で解析したりせが悲痛な声を上げる。
異形はペルソナが消滅した事に驚くと、今度はマザーハーロットを召喚する。
鏡は再び意識を集中すると、マザーハーロットの前に冠を戴くハゲワシの王、ペルソナ“ジャターユ”を召喚する。
マザーハーロットが金の杯を掲げるのと、ジャターユがその翼を羽ばたかせるのは同時だった。
先ほどのランダとスカディと同じく、マザーハーロットの【ジオダイン】とジャターユの疾風系上位スキル【ガルダイン】が互いに命中する。
その結果は先ほどと同じく、互いに弱点属性だったため、その一撃で互いが消滅する。
『お姉ちゃん、もう止めて! それ以上やったら、お姉ちゃんの心が壊れちゃう!!』
鏡の取った行動。それは、自身の心を自身の心で砕くという自殺行為にも等しい行為。
通常、鏡は一度に召喚できるペルソナは一体のみで、ペルソナを交換するするのも一度の行動で一回のみだ。
しかし、今の鏡が行っている行動は、一度に複数のペルソナを召喚して相殺するという心身共に相当な負担を強いる行動だった。
その証拠に、ペルソナを召喚する度に、鏡の心の中をひび割れ砕け散る音が鳴り響く。
身体から力が抜け、心を虚無感が覆っていく……
『馬鹿な……!? 自分で自分の心を砕くなんて!?』
生田目の姿をした異形が鏡の行動に動揺する隙を見逃さず、遼太郎が一気に異形との間合いを詰める。
「俺の娘達を返してもらうぞ……!!」
ユースティティアが手にした剣を一閃すると、胞衣が切り裂かれ中から鏡と菜々子を抱きかかえて脱出する。
遼太郎もすぐさま異形から距離を取ると、鏡達を異形から離れた場所まで移動させる。
その間に、何とか回復した雪子が【メディアラハン】で全員の傷を癒す。
『ぐ……あぁぁぁっ!! 返せっ! その子達を返せ!!』
鏡達を取り戻された生田目の姿をした異形が、半狂乱になって遼太郎へと襲い掛かろうとする。
その行動を阻止すべく、回復した陽介達が異形の前に立ちふさがる。
物理攻撃に強い山野真由美の姿をした異形には雪子と陽介が、生田目の姿をした異形には千枝と完二がそれぞれ攻撃を加えていく。
直斗とクマも、それぞれが得意とする攻撃手段で異形達を攻撃して鏡達の元へ行く事を阻止する。
「よし! 体勢を崩した!! 行くぞ、皆!!」
同時に攻撃を受けた事により体勢を崩した異形の隙を見逃さず、陽介が皆に指示を出す。
陽介の指示に千枝達は頷くと、一気に勝負を決めるべくありったけの力で異形へと攻撃を加える。
「ぐ、うぅぅっ! 邪魔を、するなぁっ!!」
陽介達の総攻撃を耐えた生田目の姿をした異形が叫ぶと、その手を天に向ける。
その瞬間、陽介達の頭上に異形の頭上にあるモノと同じ円環が現れる。
「な、何だ!?」
「か、身体が勝手にっ!?」
完二と直斗が驚きの声を上げる。
円環が現れた瞬間、身体の自由が利かなくなり、互いに向けて攻撃しようと身体が勝手に動き出したのだ。
『そんな……!? あの円環で皆を操っているの!?』
カラクリに気付いたりせが驚きの声を上げる。
あと一息というところまで来て、同士討ちという最大の危機に陥る。
必死に抗うも、身体は勝手に動き、それぞれがペルソナを召喚する。
「くそっ! ここまで来て……!!」
「こんな所で終わるなんて、嫌クマよ!!」
陽介とクマが悲痛の叫びを上げながらも、仲間を攻撃しないように抗い続ける。
千枝と雪子も諦めることなく必死に自身のペルソナを押さえようとする。
「……トランペッター!」
小さくもハッキリとした声が響く。
陽介達を護るように現れたトランペッターが手にするラッパを吹き鳴らす。
異形の頭上から、メギドラオンの光が降り注ぐ。
完全に不意を付かれた異形はメギドラオンの直撃を受けると、その姿が維持できなくなり身体が崩壊していく。
しかし、異形の崩壊と共に核を失ったシャドウ達が制御を失い暴走した状態で、周囲を破壊し尽くそうと暴れ始める。
「拙いクマ! シャドウ達が暴走して、このままじゃ危険クマよ!!」
「俺に任せろ!」
クマの叫びに遼太郎が答えると、ユースティティアを召喚する。
召喚されたユースティティアが手に持つ天秤を掲げると、シャドウ達を取り囲むように聖なる光が辺りを包む。
神聖系範囲スキル【マハンマオン】の光が、シャドウ達を一気に浄化する。
シャドウ達が消え去ると、元の場所には生田目が消えようとしている山野真由美のシャドウを支えようと、必死の形相を浮かべている。
山野真由美のシャドウはそんな生田目に、諦観の表情を浮かべてその手を生田目の頬に伸ばしている。
「真由美! 消えないでくれ! 僕を残して行かないでくれ!!」
『……太郎さん、ごめんなさい。あなたと……ずっと一緒に、生きていたかった……』
そう言い残し、消えていく山野真由美のシャドウを抱きしめる生田目の腕は、むなしく空を切る。
力なく項垂れた生田目は、これまでの疲れと先の戦闘で体力を使い果たすと、その場に倒れ込むように意識を失う。
直斗と完二が生田目の身柄を確保する中、遼太郎や陽介達が鏡と菜々子の傍へと駆け寄る。
二人の安否を気遣う遼太郎達に、鏡は自分の事は良いから菜々子の様子を見てくれと頼む。
鏡も消耗が激しいせいか顔色は青ざめており、その場に座り込んでいる。
「菜々子! 菜々子! しっかりしろ!!」
遼太郎が菜々子に声を掛けるも、菜々子の意識は一向に戻らない。
それどころか、苦しい表情を見せており、今にも危険な状態だ。
「きっと、この場所が良くないクマ! 早く運ぶクマ!!」
菜々子の様子にクマが慌ててそう言う間にも、菜々子の容態は悪化していく。
鏡同様、菜々子の顔色も徐々に蒼白になり、体温も下がっていく。
「死ぬな、菜々子! 俺の命を代わりにしても良いから、死なないでくれっ!!」
悲痛な叫びを上げ、少しでも温めようと遼太郎が菜々子を抱きしめる。
痛ましい姿に何も出来ない陽介達は苦しそうな表情を見せる。
『あなたが居なくなったら、誰が菜々子を護るのですか?』
どこからともなく声が聞こえてくる。
陽介達が声の出所を確かめようと辺りを見渡すと突然、遼太郎の身体から青い光が巻き上がる。
遼太郎の意志とは関係なく現れたユースティティアが、どこか呆れたような様子を見せている。
「堂島さんのペルソナ……?」
千枝が唖然とした様子でそう呟くと同時に、ユースティティアの目元を隠す布が解かれる。
それと同時に、結われた金髪が亜麻色に変化すると共に解け、髪をなびかせる。
「……えっ? 菜々子、ちゃん?」
閉じられた瞳が開かれると、その姿はどことなく菜々子に似ており、菜々子が大人になれば、こんな風になるのではないかと思われる。
姿を変えたユースティティアを遼太郎が呆然とした様子で見つめている。
「まさか、千里……なの、か?」
呟く遼太郎の声に陽介達が驚く。
ユースティティアは遼太郎の言葉に頷くと、柔らかい微笑みを見せる。
『本当に、あなたは不器用な人なのだから……今までずっと、あなたと菜々子の事を見ていましたよ』
そう言って、ユースティティアこと千里がその表情を陰らせる。
『……ごめんなさい、私が居なくなってしまったばかりに、菜々子とあなたには辛い思いをさせてしまいましたね』
「千里……俺は……」
どう話せばいいか戸惑う遼太郎の口元に人差し指を当てて、千里は首を振る。
その姿は、何も言わなくても解っていると言わんばかりだ。
『菜々子は私が必ず助けますから、これからも菜々子の事、宜しくお願いしますね……』
そう言って、千里は遼太郎に微笑むと、その視線を鏡へと向ける。
『鏡ちゃん、今まで菜々子と遼太郎さんの事、本当にありがとう。あなたが来てくれて、本当に良かった……』
鏡にお礼を述べた千里は菜々子の傍へと近付くと、その手を菜々子の頬へ当てる。
それと同時に、千里の身体は青く光り出し、菜々子の身体へと吸い込まれるように消えていく。
真っ暗な闇の中で、菜々子は膝を抱えて蹲っていた。
自分以外は誰も居ない真っ暗な世界で、心細く怖い思いに心が今にも押しつぶされようとしていた。
それでも菜々子は、鏡や遼太郎がきっと助けに来てくれると信じて、必死に怖さに耐えていた。
『……菜々子……菜々子』
真っ暗な世界に突如として青い光が差し込むと、どこか懐かしい声が自分の名前を呼ぶ。
その声に菜々子が顔を上げると、目の前に事故で居なくなった亡き母、千里の姿が現れる。
「……お、かあさん?」
懐かしい母の姿に、菜々子が唖然とした声を上げると、千里は優しく微笑んで菜々子を包み込むように抱きしめる。
抱きしめられ、暖かいその温もりに菜々子の表情が歪む。
「お母さん! 会いたかった! 何で、菜々子を置いて行っちゃったの!?」
千里の姿に菜々子の感情は堰を切ったように溢れ出し、これまで溜め込んでいた寂しい思いを千里へと向ける。
泣きじゃくりながら思いを訴える菜々子を優しく抱きしめて、千里は何度も『ごめんね』と謝る。
本当は、菜々子を置いて去りたくはなかった。
千里は菜々子にそう話すと、今までずっと遼太郎や菜々子の傍で見守っていた事を伝える。
鏡が来てくれた事で菜々子に明るい表情が増えてきた事。遼太郎がちゃんと家族と向き合えるようになった事。
千里はゆっくりとだが、ハッキリと菜々子に想いを伝えていく。
今までも、これからも菜々子の事を愛している事を。
自分は死んでしまったが、心は深いところで繋がっており、これからもずっと、菜々子と遼太郎の心の中で二人を見守っている事を。
菜々子の帰りを遼太郎や鏡達が待っている事を。
「お母さんは、これからもずっと菜々子と一緒に居てくれるの?」
『そうよ。姿は見えなくても、お母さんはいつだって菜々子と共にありますからね』
そう言って、千里は菜々子に手を差し伸べると、帰りを待つ遼太郎達の元へと戻ろうと菜々子に声を掛ける。
差し出された手を菜々子が取る。暖かいその感触に菜々子は表情を綻ばせると目を閉じ、千里に手を引かれるまま、その身を委ねる。
ふわりと身体が浮かび上がる感覚。
暖かく優しい温もりに包まれながら、菜々子の意識は覚醒していく。
遼太郎達が見守る中、菜々子の表情は和らいでいき、頬に赤みが戻ってくる。
ゆっくりと菜々子の瞳が開かれる。
「……お、とうさん?」
目が覚めると、目の前に心配そうな表情をした遼太郎の姿が見え、気付いた菜々子の姿に嬉しそうな表情へと変わる。
陽介達も菜々子が無事に目を覚ました事を喜び、互いに『良かった』と、菜々子の無事を祝う。
「……お父さん。菜々子、お母さんに会ったよ。お母さんね、いつでも菜々子とお父さんのそばに居るからって、言ってたよ」
「そうか……そうか……菜々子、本当に良かった、本当に……」
菜々子の言葉に遼太郎は表情を崩すと、その瞳にうっすらと涙をにじませる。
遼太郎に菜々子は微笑みかけると、そのまま目を閉じ、安らかな寝息を立てる。
先ほどまでとは違い、呼吸も安定しており心配は無さそうだ。
「……菜々子ちゃん、良かった」
その姿に千枝と雪子がもらい泣きをしている。
りせの肩を借りて立ち上がった鏡も、菜々子の無事な姿に安堵の表情を浮かべている。
取り敢えず、菜々子と鏡を病院に連れて行かなければならないので、二人はジュネスの方から遼太郎の車で病院に連れて行く事にする。
「生田目は警察に引き渡さないといけませんが、堂島さんが居ないと事情説明が難しいですね」
「姐御達と一緒に連れて行くしかないんじゃ無いか?」
困った様子で話す直斗に陽介がそう答える。
確かに刑事である遼太郎が居ない事には説明する事は難しいので、病院に搬送後、遼太郎が稲羽署に連絡する事にする。
病院には遼太郎の車に乗れる人数の関係上、ジュネスのバックヤードの鍵を持つ陽介が同行する事にする。
残りの面々は直斗達が入ってきたテレビの場所から帰るため、クマが出口用のテレビを出す事にして一足先に戻る事にする。
「姉御、大丈夫か?」
りせから鏡を任された陽介が鏡を気遣う。
陽介の言葉に鏡は大丈夫と答えるが、未だに顔は青ざめており、大丈夫とは言い難い。
鏡は陽介に自分は大丈夫だから菜々子の事をお願いと言って、自分は地力で出口へと向かう。
意識を失っている生田目は遼太郎が運ぶため、必然的に菜々子は陽介が運ぶしかない。
鏡の体調を気遣いながらも、陽介と遼太郎は出口へと移動する。
ジュネスの家電売り場に戻ってきた陽介達は、バックヤードの鍵を掛けてから、駐車場に駐めてある遼太郎の車へと向かう。
その間も、鏡はしっかりとした足取りで二人に付いていく。
「姉御、もう少しで堂島さんの車に付くからもう少しだけ頑張ってくれな」
「……私は大丈夫だから、気にしないで」
陽介の言葉に気丈に答える鏡の姿に、陽介の胸が痛む。
鏡が無理をしている事は一目瞭然だ。
なるべく急いで遼太郎の車を駐めてある場所まで移動した陽介達は、生田目を助手席に座らせる。
菜々子と鏡を支えるため、後部座席の真ん中は陽介が座る事にして、まずは菜々子を車に運び込む。
「さ、姉御も乗って」
陽介が車内から鏡に手を差し伸べる。
鏡は差し出された陽介の手を取ろうと、自分の手を差し出したところで力尽きてその場に倒れ伏す。
「……ッ鏡!?」
「姉御!?」
車内から飛び出した陽介が鏡を抱き起こす。
鏡の呼吸は荒くなっており、顔色は更に蒼白となっている。
遼太郎は鏡を車内に運び込むと、皆がシートベルトを締めた事を確認して急ぎ車を発車させる。
法定最高速度ギリギリの速度で遼太郎が稲羽市立病院へと急ぐ。
遼太郎達が到着して急ぎ、菜々子達を搬送する。
状態が一番悪い鏡が集中治療室へと運び込まれると、遅れてやって来た千枝達を出迎えた陽介が皆を集中治療室前へと連れて行く。
菜々子は状態が良好だが、様子を見るために別の病室で今は眠っている。
遼太郎は稲羽署に連絡するため今は席を外しており、この場には居ない。
「…………」
集中治療室の前に集まった陽介達は声を出す事が出来ず、ただ沈黙している。
重苦しい空気の中、陽介がポツリと自分達にもっと力が有ったならと、自身の無力さを嘆く。
「……先輩、体調が悪かっただけじゃなく、自分で自分のペルソナを消滅させたから、きっと……」
ポツリと呟いたりせの言葉に千枝が『どういう事?』と、りせに訊ねる。
りせは千枝の言葉に、鏡が自分達を助けるために自分自身でペルソナを互いに消滅させていた事を説明する。
その時、りせだけがハッキリと認識出来ていた。
鏡が自分の心を壊しながら自身のペルソナを消滅させていた事を。
ペルソナは心の力。
それを今までやった事のない多重召喚を行い、自分自身で壊していった鏡。
その反動はそのまま鏡の心身を消耗させ、ただでさえ体調の良くなかった鏡を危険な状態に陥らせてしまっている。
「……そんな、鏡」
りせの説明に、雪子が言葉を失う。
結局、自分達は鏡を助け出すどころか、助け出すはずの鏡自身に守られていたという事実。
その事実に、改めて自分達の無力さを思い知らされる。
今はただ、鏡が回復するのを待つしかない。
歯痒い思いを抱きながら、陽介達は鏡の容態が良くなるのを信じて待ち続ける。
暫くして、稲羽署に連絡を終えた遼太郎がやってくる。
遼太郎は陽介に鏡の容態を訊ねるが、未だに集中治療室のランプが消えない事を告げられる。
「そうか……ここは俺が残るから、お前達は帰って休んだ方が良い」
遼太郎の言葉に、誰一人として戻ろうとする者は居なかった。
それだけ皆、鏡の事を心配しているのだ。
遼太郎は鏡が掛け替えのない友人を得た事を嬉しく思う反面、陽介達同様、自分の力不足を悔しく思う。
もっと自分に力が有れば……
過ぎた事をあれこれ考えても仕方がない事は解っているが、どうしても上手く立ち回れたのでないかという思いが過ぎる。
そんな事を考えていると、集中治療室の扉が開き、中から看護師が出てくる。
「ご家族の方ですか?」
看護師の質問に遼太郎が頷くと、『どうぞ、こちらへ』と中にはいるよう促される。
遼太郎は焦る気持ちを抑えると、集中治療室の中へと移動する。
「…………」
集中治療室へと入っていく遼太郎を見送った陽介達が言葉を無くす。
集中治療室へと入った遼太郎が目にしたのは、呼吸器を付け、点滴を打たれている鏡の姿だった。
呼吸は荒く、生体情報監視モニターに鏡の状態が表示されている。
看護師が鏡に声を掛けると、意識を取り戻した鏡が遼太郎の姿を確認する。
「……叔父さん?」
鏡の声に、遼太郎は表情を歪める。
「……叔父さん……菜々子、ちゃん……は?」
「あぁ、無事だ。状態も安定して、今は別の病室で眠っている」
遼太郎の言葉に鏡は微笑む。
そんな鏡に、遼太郎は後は鏡が元気になるだけだと励ます。
「菜々子ちゃん、と、約束、しましたから……雪が、降ったら、雪だるまを一緒に、作るって……」
「……そうか。だったら、一刻も早く良くならないとな。菜々子もきっと喜ぶ」
生体情報監視モニターに表示される数値が徐々に減少していく。
それに合わせ、鏡の様子も弱々しいものへとなっていく。
「……叔父さん……菜、々子……ちゃ……ん」
「……あ……きら? ッ!? 鏡!?」
眠るようにゆっくりと瞳を閉じる鏡に合わせ、生体情報監視モニターの表示がゼロになる。
無情にも、集中治療室に響き渡る電子音。
その日、鏡の命の灯火は、皆の願いも空しく消えてしまったのだった……
――次回予告――
少女の命の灯火が消え、悲しみに包まれる仲間達
救う事が出来なかった無力感は、やがて怒りへと変わる
少女の命は消えたのに、犯人は未だ生きている
――やり場のない怒りはその姿を殺意へと変えて
残された者達の絆が今、試される……
次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~
彼女が去った後で
――心を包むは、深い絶望と悲しみだけ――
2012年08月09日 初投稿
2012年08月14日 本文修正
2014年06月27日 誤字修正