――――差出人不明の手紙
内容は事件関係者を示すモノで
少女達の存在を知っている事を示す
新たな状況は、少女達に影響を与える……
送られてきた差出人不明の手紙に書かれていた内容。
――コレイジョウ タスケルナ
短く書かれたその文面は、鏡達が事件に関わっている事を知っている者でなければ書けない内容だ。
手紙を確認した鏡は、その手紙を遼太郎にも見せる。
「ッ!? この手紙は」
鏡から手渡された手紙を読んだ遼太郎も、鏡と同じく驚きの表情を見せる。
二人のただならぬ様子に、菜々子が『どうしたの?』と訊ねると、二人は慌てて何でもないと答える。
「さ、菜々子ちゃん。晩ご飯の準備を始めましょうか」
「うん!」
菜々子の前では話せない内容なので、手紙の事は後で話す事にして取り敢えず晩ご飯を作る事にする。
具材を二人で分担して切っていき、火が通りやすくする為に薄めにかつ食べやすい大きさに整える。
全ての具材を切り終えてから。菜々子がうどんを茹でる為に鍋に水を入れてコンロで沸かし始める。
その間、鏡はうどんの汁を作る事にする。
基本となるだし汁は作り置きしている分を使い、薄口醤油と砂糖で味を調え、隠し味に料理酒を少々入れて沸騰させる。
だし汁が沸騰したところで火が通りにくい物から順に煮ていき、溶き卵で軽く閉じた後でねぎを入れて汁は完成だ。
鏡がうどんの汁を完成させるのと同じタイミングで菜々子がうどんを茹であげ、水気をよく切って丼に盛りつける。
その上から完成した汁を掛けていき、菜々子が出来上がった物から順にちゃぶ台に運んでいく。
『いただきます』
皆で唱和してからご飯を食べ始める。
菜々子は今日の出来事がよほどと嬉しかったのか、ご飯を食べながら今日の出来事を振り返り、鏡達に思った事を話していく。
鏡と遼太郎は相づちを打ちつつ、二人三脚で貰った天城屋旅館の宿泊券を使って、休みの日に遊びに行こうと話し菜々子を喜ばせる。
ご飯を食べ終え、食器を洗って片付けた鏡は、菜々子をお風呂へ入れるために、もう一度お風呂へと入る。
帰ってきた時はシャワーを浴びるだけで済ませたので、ちゃんと身体が温まるまで菜々子と入浴する。
今日一日はしゃいだからだろうか、菜々子が湯船で船をこぎ始めたので、眠ってしまう前に鏡は菜々子をお風呂から上がらせる。
「お父さん、お姉ちゃん、おやすみなさい……」
眠い目を擦りながら就寝の挨拶をした菜々子を布団へと連れて行き、寝かし付けた鏡が居間へと戻ると、遼太郎が声を掛けてきた。
「菜々子は眠ったか?」
遼太郎の言葉に頷いた鏡は、届いた脅迫状を取り出すと改めて手紙を読む。
文面がたった一行“コレイジョウ タスケルナ”とカタカナで書かれた脅迫状。
「コイツを送ってきたヤツは、随分と用意周到で用心深いヤツだな……」
鏡から手紙を受け取った遼太郎はそう言うと、鏡に一度プリントアウトした物をコピーした物だと告げる。
その上で、封筒に書かれた宛名もプリントアウトされた物で犯人を特定する情報が無い事も挙げる。
「そして、この手紙を直接ポストに入れてきたという事は……」
「あぁ……犯人は、お前達の事を知っている誰かという事だ」
郵便ポストに直接投函された事により、送り主がどこから手紙を出したのかも特定出来ないようにしている。
しかし、この事で解った事もある。
直接投函したという事は鏡の事を知っていて、今日一日この家の住人が不在である事を知っている何者かであるという事だ。
考えたくはないが、顔見知りの誰かが犯人という可能性も出てきた。
「とは言え現状だと、お前達が疑っていたように、犯人は運送業者の人間である可能性が高くなってきたな」
遼太郎はそう言うと、顔見知りよりも運送業者の人間が犯人である可能性が高いと考える。
運送業者の人間ならば職業柄、こちらの事を知っている可能性が高い。
何しろ、鏡も何度かテレビ通販の『時価ネットたなか』を利用しているからだ。
「調査の方はどうですか?」
「あぁ……情報の裏を取るのに、まだ時間が掛かっているところだ」
鏡の質問に遼太郎は答えると、ハッキリした事が解り次第伝えると約束する。
遼太郎は手紙を封筒にしまうと、鏡に何も出ないと思うが念のために鑑識へと回したいので、借りてもよいかと訊ねる。
その申し出を断る理由のない鏡は、手紙の調査を遼太郎に任せる事にする。
「それとな、念のため“向こう側”に行くのは暫く控えた方が良いだろう。確か試験前だったよな? 良い機会だから勉強に専念すると良い」
「そうですね、陽介達には私の方から伝えますね」
遼太郎の提案に鏡は頷くも、マヨナカテレビに異変があった場合は“向こう側”へ行く事を許可して貰う。
その際、都合が付くのなら一緒に調査に参加すると遼太郎は鏡に言い含めておく。
どれだけの事が出来るのかは判らないが、鏡達だけを危険な目に晒す訳にはいかない。
鏡達への危険を少しでも下げるために、自身が出来る事を行う。
僅かであっても、その小さな積み重ねが事件解決の近道だと知る遼太郎は、焦る事なく出来る事からやっていこうと考える。
「それじゃ、私もそろそろ休みますね。お休みなさい」
「あぁ、お休み」
鏡は遼太郎にそう言うと自室へと戻り陽介達にメールを送信する。
明日は丁度、体育の日で休日という事もあって試験勉強も併せて脅迫状の事を皆へと伝える事にする。
メールの内容は試験勉強の事を中心に、調査について進展があった事を仄めかす程度に留めておく。
鏡がメールを送信してから少しして、皆から返信が返ってくる。
雪子が実家の手伝いで午前中は手が離せないそうなので、お昼過ぎにジュネスのフードコートで待ち合わせる内容のメールを送信する。
皆から了承の返信が来た事を確認してから、鏡は布団に入り就寝する。
翌日になり、鏡は菜々子を連れてジュネスへと向かう。
今日はクマのバイトが休みなので、菜々子と遊んで貰う事となったのだ。
菜々子もジュネスに遊びに行けるのが嬉しいのか、出掛ける前から上機嫌だ。
「ナナちゃん! ごきげんようクマ!」
「ごきげんようクマ!」
フードコートで鏡達に気付いたクマが駆け寄ってきて菜々子に挨拶する。
菜々子もクマの言葉を真似て挨拶を返すと、さっそくクマが菜々子とジュネスの店内を見て回る事にする。
「それじゃ、お姉ちゃん。行ってきます!」
「行ってらっしゃい。クマ、菜々子ちゃんの事をよろしくね」
「任せるクマ!」
鏡の言葉に力強く頷いたクマは菜々子と手を繋いでフードコートを後にする。
菜々子達と入れ替わるように雪子と千枝がやって来て、来ていないのは直斗だけになる。
「済みません、遅れました」
ほどなくして直斗も到着し、全員がそろったところで、鏡が先日送られてきた脅迫状について皆に説明する。
鏡から聞かされた話の内容に陽介達が驚く中、直斗だけが脅迫状に隠された意味に気付く。
「鏡さん。その脅迫状は、宛名しか書かれていなかったんですね?」
直斗の質問に鏡は頷くと、遼太郎と自分も今の直斗が考えた事と同じ事を考えたと答える。
二人のやりとりに陽介達は首を傾げると、どう言った事なのか説明を求める。
「つまり、犯人は鏡さんがどこに住んでいるのかまで熟知しており、おそらく僕達の事も知っている人物の可能性が高いという事です」
直斗の説明に、陽介達が短く驚きの声を上げる。
さらに直斗は、家主が現職の刑事ある堂島家に手紙を送りつけたのは、犯人が脅迫状から足がつかない自信の表れだとも話す。
「そうか……封筒が直接ポストに入れられたって事は、犯人は姉御の住んでる場所を知っているって事だもんな」
「それどころか、菜々子ちゃんや堂島さんの事も知っているって事だよね?」
納得する陽介の言葉に、りせが表情を強ばらせて話す。
その事実が示す事。
「犯人が菜々子ちゃんを狙う可能性があるって事!?」
その可能性に気付いた千枝が驚愕の声を上げる。
犯人のこれまでの行動から、マヨナカテレビに映った相手のみをターゲットにしていたのが、その前提が覆る可能性が出てきた。
これから先も、鏡達がマヨナカテレビに放り込まれた被害者を助け続けると、犯人が菜々子を狙う可能性が出てきたのだ。
「おい、それってかなりヤバクないか?」
千枝の言葉に陽介が冷や汗を流しながら呟く。
陽介達でも慣れたとは言え“向こう側”に長いあいだ居続けるのは体力的に辛いのだ。
そんな世界に幼い菜々子が放り込まれたら、それだけでも命の危険性が出ないと言い切れない。
「堂島さんの言うとおり、しばらくの間は向こう側に行くのは差し控えた方が良さそうですね」
「そうだね。出来れば、菜々子ちゃんからも目を話さない方が良いと思う」
直斗の言葉に同意した雪子が鏡にそう話す。
ただでさえ、菜々子は独りで留守番をしている事が多いのだ。
少しでも鏡が傍にいてあげた方が安全だろう。
これまで通り、雨の日にはマヨナカテレビを欠かさず確認する事を確認し合い、取り敢えずの方針とする。
遼太郎とも取り決めた通りに、マヨナカテレビに誰かが映った場合は行動を起こす事にし、当面は試験に備えて勉強する事にする。
「菜々子ちゃんに危険が及ぶかもしれないって言うのに、試験勉強とか気が乗らねぇ……」
「陽介、菜々子ちゃんを心配してくれるのは嬉しいけれど、それとこれは話が別」
気怠げに話す陽介を鏡が窘める。
そんな鏡に陽介が菜々子が心配じゃないのかと弱々しく抗議するが、菜々子の事を気に掛けながらも試験勉強は出来ると返す。
その意見には雪子と直斗も賛成らしく、菜々子の事を引き合いに出して、試験勉強をしなくても良いという大義名分にする気がないと話す。
「それに、試験の結果が悪くて追試を受けている時に何かがあった方が、それこそ問題だと思わない?」
鏡のその言葉に、陽介達は納得するほか無かった。
自分達が勉強しなかった結果、菜々子が誘拐されるのを阻止できませんでした等とは絶対に言えない。
勉強嫌いの千枝達も、そんな事になったら悔やんでも悔やみきれないと勉強にやる気を出す。
「それに、以前だってちゃんと勉強して赤点を取らずに済んだのだから、皆やれば出来るはずよ」
鏡の言葉に、りせと完二が以前の試験の事を思い出す。
確かに、あの時だって自分達はちゃんと出来たのだ。今回だって問題なく出来るはずだと自分に言い聞かせる。
「それじゃ、試験範囲のおさらいから始めましょうか」
飲物を買ってきてから、鏡達は試験勉強に取り掛かる。
以前と同じく、鏡と雪子が千枝と陽介の勉強を見て手が空いた方が、りせと完二の勉強を見る直斗の手伝いをする。
クマと一緒にジュネスの店内を見て回っていた菜々子は、目を輝かせて楽しそうに陳列されている商品を眺めている。
「あら、菜々子ちゃんじゃない。こんにちは、今日は鏡ちゃんは一緒じゃないの?」
そう言って声を掛けてきたのは、子供服の専門店『ベリー・ベリー』を経営する瑞紀だった。
菜々子は瑞紀に挨拶を返すと、鏡は今現在フードコートで勉強中だと答える。
瑞紀は少し考える素振りを見せると、菜々子とクマに時間が大丈夫なら一つお願いしたい事があると申し出る。
何でも冬服のデザインで迷っているらしく、色々な人から意見が欲しいという事だ。
出来れば鏡達からも意見を聞きたかったのだが、今は二人だけでも良いので意見を聞かせて欲しいとお願いする。
菜々子とクマは困っている瑞紀の力になりたいと思い、瑞紀と一緒にベリー・ベリーへと向かう。
「こっちのデザインはナナちゃんに似合いそうクマね」
瑞紀から見せられたデザイン画を見たクマがそう意見を述べる。
菜々子も自分が好きな色など、答えられる範囲で瑞紀へ意見を伝えている。
「そっか……やっぱりこっちの方が、子供受けが良さそうなのね」
クマと菜々子の意見を聞いた瑞紀がそう呟く。
実際に子供から聞ける生の意見は、瑞紀にとって得難い意見だった。
こういった物が望まれるだろうと思っても、実際に大人の思惑と子供の好みが噛み合わない事が多く、こうやって意見を聞く事は大切だ。
ある一定の年齢になってくると、見栄えを気にし始めるが、小さな子供は着やすさや動きやすさの方に目が向くようだ。
デザイン性よりも機能性で、見た目を気にする場合も、色かキャラクター物のプリントが付いているかを重要視している。
デザインが凝っている物はどちらかというと、親達の方が重要視しているように思える。
もっとも、それらを着ている内に子供自身も好みのデザインとかが決まってくるので、デザイン性を重視した服もあった方が良いだろう。
一通りクマと菜々子から意見を聞いた瑞穂は二人にお礼を述べると、休憩室で二人にお菓子を御馳走する。
「そろそろ、センセイ達の勉強も一息ついてる頃クマね」
時計を見たクマが菜々子に話し掛ける。
その言葉を聞いた瑞紀が戻るのなら、鏡達からも意見が聞きたいので、出来れば後で寄って欲しいとお願いする。
菜々子は瑞穂のお願いに元気よく返事を返すと、戻ったらすぐにお願いしてくると笑顔で答える。
「ただいま、クマ!」
「ただいま、お姉ちゃん!」
二人がフードコートに戻ってくると、鏡達も勉強が終わった頃らしく一息ついている所だった。
直斗が雪子に解らない部分を聞いているのに対し、陽介や完二は疲れ果てた様子を見せている。
千枝とりせは甘い物を食べながら勉強疲れを癒しているらしく、こちらはそれほど疲れている様子では無さそうだ。
「お帰りなさい。何か良い物はあった?」
「うんとね、瑞紀さんにあったよ! それでね、お姉ちゃん達にいけんを聞かせて欲しいって」
二人を出迎えた鏡に、菜々子は先ほど瑞紀からお願いされた内容を鏡達に伝える。
「へぇ、子供服の新作かぁ……面白そうだね」
「俺はこの間お世話になったお礼に、手伝いに行きたいッスね」
りせと完二は瑞紀の手伝いに乗り気を見せ、千枝達も以前見せて貰ったチラシの事もあり、興味を持っているようだ。
特に急ぎの用事がある者も居ないので、鏡達は皆でベリー・ベリーへと移動する。
「こんにちは、瑞紀さん」
「鏡ちゃん達、いらっしゃい。また急な頼み事してごめんね」
ベリー・ベリーにやって来た鏡達を出迎えた瑞紀がそう言って、鏡達を休憩室へと案内する。
鏡達は菜々子達と同じく瑞紀から何点ものデザイン画を見せて貰い、それぞれが感じた事や思った事を瑞紀に話していく。
完二は自身も裁縫をする事もあり、休憩室にいた他のスタッフと服の作りについて意見を交わしている。
そこで瑞紀が感心したのは、完二の服飾に対するセンスの良さだった。
完二が裁縫をする事は菜々子の誕生日プレゼントの件で知ってはいたが、かなり本格的に出来るようだ。
見た目のイメージに合わないと完二は自身を卑下するが、瑞紀はそんな事はないと否定する。
「完二君、だっけ? 君は自分の見た目と合わないって言うけれど、そのセンスは本物だと思うよ」
そして、何より瑞紀が完二を評価したのは、本人が好きでやっているという点だ。
諺に『好きこそものの上手なれ』という言葉があるが、完二は正しくそれに当てはまる。
そんな瑞紀の褒め言葉に、完二はどう反応して良いのか解らず固まっているが、その様子を鏡は好ましく感じていた。
瑞紀は先入観で人を見る事が無く、他人の良いところを正しく評価できる人物だ。
そして、そんな瑞紀に完二が評価された事が自分の事のように嬉しく思う。
「良かったら一度、ウチでバイトをしてみない?」
瑞紀からの申し出に、完二は自分は強面なので子供の相手をするのは拙くないかと、申し出に対して遠慮する。
しかし、瑞紀は完二をしげしげと見て、『子供の相手をするのが、苦手という訳じゃ無いでしょ?』と、あっさりと言い切る。
その言葉に鏡は完二が以前、友達のストラップを無くした少年の為に、編みぐるみの人形を作ってあげた事を思い出す。
あの時も完二は少年と一緒に、ストラップを無くした事を謝罪し、自身が作った編みぐるみを二人にプレゼントしていた。
少年と友達の少女は完二を怖がる様子は見せず、その一件以降は何かと完二に対して懐いている位だ。
「……考えさせて貰って良いッスか?」
「えぇ、もちろん。今すぐ決めて貰わなくても良いから、ゆっくり考えてみてね」
完二の返答に瑞紀は満足げに頷くと、改めて陽介達から意見を聞くべく移動する。
ベリー・ベリーは主に子供服を扱っているが、今年の冬からはティーンズ向けの商品も出す予定らしく、そちらの意見も聞きたいようだ。
ティーンズ向けの方は主に女物を扱う予定なので、男子から見た意見も欲しいと、瑞紀は陽介達に説明している。
「ありがとう。おかげで、貴重な意見が多く得られたわ」
瑞紀が皆に様々な意見が聞けた事へのお礼を述べる。
鏡達も、色々なデザイン画やサンプルを見せて貰えて楽しかったので、双方にとって有意義な時間となったようだ。
取り分け完二にとっては、自身のこれからに対しての影響が大きい出来事であったかも知れない。
「私だけだと煮詰まっていたから、本当に助かったわ」
「私達こそ、お役に立てて何よりです」
瑞紀の言葉に鏡が答える。
我は汝……、汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり
汝、“節制”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
いつもの声が脳裏に響く。
鏡がこれまで得てきたコミュニティは、かなりの数になってきており、人との繋がりが自身の力となっている事を強く実感している。
もしも、誰とも絆を結ぶ事が出来ていなかったら?
今こうして皆と過ごしている自分は居なかっただろう。漠然とだが、鏡はそんな事を考える。
このまま事件を解決する事が出来なかったら、こういった皆と過ごす時間も無くなってしまうだろう。
鏡は改めて、事件解決への決意を新たにする。
ベリー・ベリーを後にした鏡達は時間が夕方になった事もあり、そろそろ解散する事にする。
鏡は菜々子と共にいつものように食材売り場で買い物をして行く予定だ。
「それじゃ、また明日。学校でな」
それぞれ別れの挨拶を交わして帰って行く皆を見送ってから、鏡は菜々子と一緒に食材売り場へと移動する。
今日は今が旬である鮭の塩焼きと肉じゃが、大根の味噌汁にほうれん草のお浸しを作る予定だ。
材料を購入して、菜々子と二人で荷物を分け合って空いた方の手を一緒に繋いで帰宅する。
帰宅してから手を洗い、二人でいつものように晩ご飯の支度を始める。
今日の担当は塩焼きとお浸しを菜々子が作り、肉じゃがと味噌汁を鏡が作る。
二人とも慣れた手つきで調理を進めていき、遼太郎が帰宅する頃には全ての調理を終わらせている。
帰宅した遼太郎と一緒に晩ご飯を食べ終えると、鏡はいつものように食器の後片付けをしてから菜々子とお風呂に入る。
入浴しながら鏡は、脅迫状に付いて何かが解るまでのしばらくの間、菜々子を迎えに行った方が良くないだろうかと考える。
しかし、毎日迎えに行くのもあからさまに警戒している事を犯人に知られる可能性もあるので、判断が難しいところだ。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
鏡の様子が気になった菜々子が、湯船の中で鏡にもたれ掛かりながら訊ねてくる。
そんな菜々子を鏡は優しく抱きしめると、何でもないよと安心させるように笑顔で答える。
お風呂から上がった鏡は、菜々子の髪を乾かしてから自身の髪を乾かし、湯冷めしないうちに菜々子を寝かし付ける。
「鏡、お前から預かった手紙な。数日で結果が出ると思う」
菜々子を寝かし付けて居間に戻ってきた鏡に、遼太郎が言葉を掛ける。
その言葉に鏡は頷くと、今日ジュネスで直斗達と話してきた事を遼太郎へと伝える。
「そうだな。確かに、菜々子の身に害を及ぼす可能性があるな……すまんが、暫く菜々子の事を頼む」
菜々子が直接狙われる可能性を聞いた遼太郎は、鏡にそう言って頭を下げる。
可能性自体は遼太郎も気付いていたが、鏡と同じように表立って警戒する事を危惧していた。
それに加え、“テレビの中で行われる犯罪”という、説明の難しい事実を証明する事も困難さに拍車を掛ける。
鏡達が事件に関わっている事も、表沙汰に出来ない要因の一つである事も挙げられる。
脅迫状も、鑑識の信頼できる人物に頼んで鏡達の事を表沙汰にならないように配慮した位なのだ。
「わかりました。それじゃ、私もそろそろ自室に戻りますね。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。風邪を引かないように気をつけろよ」
自室へと戻る鏡を見送った遼太郎は、今後の事について思いを馳せる。
現状、自分一人では菜々子の事にまで手が回らないのは確かで、誰かに手伝ってもらう事も難しい。
(足立のやつが使えればなぁ……)
相棒である足立に事情を説明して手伝ってもらう事も考えたが、口が軽く機密をうっかり漏らすような彼には話す事が出来ない。
口が固ければ是非とも手伝って欲しい所なのだが、稲羽警察署自体が慢性的な人手不足なのも問題の一つだ。
代わりの人員が見込めないもどかしさに、遼太郎は溜息をつく。
書類整理をしている遼太郎の元に、内線電話が掛かってくる。
相手の内線番号を確認した遼太郎は、周りに人気がない事を確認してから受話器を取る。
「堂島です。市原さんですか?」
『おう、遼太郎。今からこっちに来られるか? お前から頼まれてた件、結果が出たぞ』
内線電話の相手は、遼太郎が稲羽署に配属されたときから鑑識課に所属している市原からだった。
新人の頃からの付き合いであり、稲羽署にあって遼太郎の頭が上がらない数少ない人物でもある。
「判りました、今すぐそちらに伺います」
遼太郎は短くそう答えると、通話を終えて鑑識課へと向かう。
「あれ? 堂島さん。急いでいるようですけれど、何かあったんですか?」
外回りから戻ってきた足立が、遼太郎に気付いて声を掛ける。
遼太郎は足立に視線を向けると、今から鑑識課の方へと行ってくると告げる。
「手掛かり、見つかると良いですね」
鑑識課という言葉を聞いて、足立は遼太郎が轢き逃げされた妻の事で出向くのだろうと思い、そう声を掛ける。
足立の勘違いに気付いた遼太郎は、訂正せずに短く『あぁ』と答えると、そのまま鑑識課へと向かう。
鑑識課に遼太郎が到着すると、室内には市原以外の姿は見えなかった。
「来たか、遼太郎。取り敢えず、話は隣の部屋でしよう」
市原の言葉に遼太郎は頷くと、市原の個室扱いになっている隣の部屋へと移動する。
「依頼の結果だがな、封筒からは三つの指紋、手紙からは二つの指紋が検出された」
その言葉を聞いてた遼太郎は気落ちする事なく、やっぱりなと言った納得の表情を見せる。
市原も遼太郎から依頼を受けた際に、鑑識結果にはあまり期待していない事を聞かされていたので、手短に説明する。
「手紙から検出されたのは女性のモノと成人男性のモノ。封筒からは先の二つの指紋と子供の指紋だ」
「つまり、俺と娘達の指紋のみって事ですね」
遼太郎の言葉に市原は頷くと、封筒と手紙も文具店で売られているような珍しくもない物である事を告げる。
その上、手紙はコピー機を使ってあるので、プリントに使われたインクの特定も不可能だと説明する。
「ここまで徹底している事で、この手紙の差出人がかなりの用心深い人物であるのが解ったくらいだな」
鑑識結果を伝えた市原が見解を述べる。
遼太郎と鏡も市原と同じ見解を持っており、脅迫状からは犯人に直接繋がる手掛かりは無い事がハッキリした。
その代わり、犯人は用心深く頭もかなり回る人物像が浮かび上がった。
「取り敢えず、今暫くはちっちゃな嬢ちゃんの安全の第一に考える事だな」
説明を終えた市原は上着のポケットから煙草を取り出すと、火を点けて紫煙をくゆらせる。
菜々子は覚えていないが、市原は菜々子が赤子の時に会っている事もあり、自身の孫のように思っている。
遼太郎と千里の結婚式では二人の仲人も務めており、その縁もあって、今も千里を轢き逃げした犯人逮捕の捜査協力を行っている。
「そう言えば、お前が預かっている姪っ子の方は大丈夫なのか?」
市原がふと思い出したように遼太郎に訊ねる。
脅迫状の受取人ではあるが、裏をかいて犯人が直接、本人に危害を加えてくる可能性を挙げる。
何しろ、犯人は用心深く頭も切れる。こちらの事情も予測していてもおかしくはない。
常に最悪を想定して行動する癖が染みついているため、市原はその危険性を心配する。
「アレで結構、交友関係が広いですからね。菜々子よりかは安全だと思います」
「そうか。まぁ、二人が常に一緒に居るのが一番望ましいが、難しいな……」
小学生と高校生だ。常に一緒にいる事は難しいし、それぞれの交友関係もあるだろう。
だからといって、こちら側から護衛を用意する訳にはいかない。
ひょっとすると、犯人はそれらを見越してこちらの動きを牽制している可能性もある。
事が起こった時にすぐに動けるようにするのが、現状で出来る手だと二人は結論づける。
目新しい進展のないまま、鏡達は試験を迎える。
脅迫状に関して、手掛かりが無い事を遼太郎から伝えられた鏡は、出来るだけ菜々子といる時間を多く持つ事にする。
自称特別捜査隊の面々も、菜々子の事が気に掛かるのか良く顔を見せている。
今朝も、りせと完二が堂島家に迎えに来ており、小学校との分かれ道まで一緒に通学してきている。
「取り敢えず、今日までは何もなくて良かったよね」
菜々子と別れた後で、りせがそう呟く。
その言葉に完二も頷くと、こういった待ちの姿勢は性に合わないと、もどかしげに話す。
鏡は少し考えると、こうやって自分達を常に緊張した状態にするのが、犯人の目的なのかも知れないと考えを述べる。
「つまり、私達を精神的に疲れさせようっていう事?」
「あくまでも可能性の話だけどね」
りせの質問に確証が無いと鏡は返すと、取り敢えず今は目の前の試験を乗り切る事を考えようと二人に話す。
その言葉にりせと完二は嫌そうな表情を見せるが、ちゃんと勉強したのだから大丈夫と鏡が二人を励ます。
「よう、おはようさん」
学校が見えてきたところで、陽介が鏡達に声を掛けてくる。千枝と雪子も一緒らしく、それぞれ鏡達に挨拶してくる。
陽介達と合流した鏡は、先ほど話していた犯人の脅迫状を送ってきた目的を伝える。
「なるほどな……そんな目的もあったとしたら、俺達は見事に犯人の思惑通りになってるって事だな」
「だとすると、ちょっと悔しいよね……」
陽介と千枝がそれぞれ思った事を述べる。
雪子はそれならば、いつも通りの生活を心がけつつ、菜々子の傍にいる時間を増やせば良いと話す。
「ま、それはそれとして、今は目の前の試験を乗り切って、追試だけは免れないとな」
陽介の言葉に、千枝もそれだけはごめんだと気合いを入れる。
「それじゃ、先輩。また後でね」
学校に到着すると、そう言ってりせが鏡達に軽く手を振って教室へと向かう。
完二も鏡達に一声掛けてからりせの後を追って自分の教室へと向かう。
りせ達と別れた鏡達も、教室へと向かう事にする。
教室へと到着すると、試験前のどこか緊張した空気に教室は包まれていた。
試験は十七日の月曜日から金曜日までで、その翌日には文化祭の出し物を決める事になっている。
「は~い、席について~。今からテスト用紙を配るわよ~」
チャイムが鳴り、教室へと担任の柏木がそう言いながら入ってくる。
その声に皆が席に着くと、柏木は教室の窓際の席から用紙を配り始める。
「それじゃ、はじめ~!」
やる気のないかけ声と共に試験が始まる。
試験期間中は何事もなく無事に過ぎ、テスト最終日。
どの問題も簡単で仕方がないと思えるほどの手応えを感じた鏡は、答案用紙を瞬く間に埋めていく。
放課後になり、試験から解放された生徒達が、それぞれ文化祭の出し物が何になるのか楽しそうに話している。
そんな中、大きく欠伸を漏らした陽介が、ようやく試験から介抱された事を喜んでいた。
「ね、問八だけど……」
千枝がいつものように雪子と試験の答え合わせをしている。
そんな様子を見た陽介が鏡に、昨日は徹夜で倒れそうだから先に帰るわと告げて帰宅する。
鏡も今日は菜々子と待ち合わせをして、ジュネスで買い物をする予定なので、雪子達に声を掛けてから学校を後にする。
「あ! お姉ちゃん!」
待ち合わせ場所で待っている鏡に気付いた菜々子が、そう言って鏡の元へと駆けてくる。
鏡は菜々子に軽く手を挙げると、その手を差し出す。
菜々子は差し出された手を取ると、鏡と並んで一緒にジュネスへと向かう。
「ね、お姉ちゃん」
道すがら、鏡と今日の献立を話していた菜々子が声を掛けてくる。
「どうかしたの?」
「あのね、きょう学校で、『かぞくは助け合うんだ』って先生がいってた」
訊ねる鏡に菜々子はそう答えると、お母さんが死んで寂しいけれど、自分にはお父さんとお姉ちゃんが居るから大丈夫だと話す。
「だから、お父さんが寂しくならないように菜々子、がんばるね!」
母親である千里が亡くなって、遼太郎も寂しかった事を聞いた菜々子が幼いなりに考え抜いた事。
それは、自分の事よりも遼太郎の事を思いやった決意だった。
「お姉ちゃんも家族だから、一緒にがんばろうね!」
「そうだね、一緒に頑張ろうね。だけど、無理だけは駄目だからね? 叔父さんが悲しむから」
鏡の言葉に菜々子は元気よく頷くと、今日は遼太郎の好物であるたくあんも買って帰ろうと提案する。
我は汝……、汝は我……
汝、ついに真実の絆を得たり
真実の絆……それは即ち
真実の目なり
今こそ、汝には見ゆるべし
“正義”の究極の力、“スラオシャ”の
我が、内に目覚めんことを……
鏡の脳裏に再び絆を満たした時の声が響く。
それは、鏡の心の中をまた一つ強い力が満たした事を意味している。
改めて鏡は思う。
こんなにも健気な菜々子が、事件に巻き込まれてしまわないように、絶対に守ってみせるのだと。
2012年03月10日 初投稿