――――認める事が怖かった
それを認める事で失うモノが
今の自分を支えるモノだと信じていたモノ
本当は、別のモノが自身を支えていたと気付かずに……
検査を終えた帰り道。
直斗から相談があると言われた鏡達はひとまず辰姫神社へと移動する。
「それで、相談って?」
他に人が居ない事を確認して、陽介が直斗に話し掛ける。
「実は、犯人の事と“あちら側”の事を堂島さんに話して、協力を申し出てはどうかと思うのですが、どうでしょうか?」
「……どうでしょうかって、警察じゃ犯人を捕まえられないから、俺達で捕まえようってやって来たんじゃないか」
直斗の申し出に、陽介が真っ先に反論する。
犯人と同じく、“テレビの向こう側”に行く事が出来る自分達にしか事件を解決する事は出来ない。
だからこそ、今まで自分達で頑張って来たのではなかったのか?
「えぇ。確かに、事件の犯人と同じ力を持つ僕達でないと、向こうの世界に被害者を救出しに行く事は出来ないでしょう」
そう前置きをしてから、直斗は犯人が被害者を向こうの世界に“落としている”だけである事と、逮捕権がない事を挙げる。
そして、犯人がこちらの世界で犯行に及んでいる為、逮捕権を持つ警察との協力関係が必要だとも直斗は訴える。
「確かに直斗の言う通り、私も叔父さんに協力を仰ぐ事が必要だと思ってた」
「ちょっ! 姉御までかよ!?」
直斗の意見に同意する鏡に陽介が驚く。
雪子達女性陣も陽介ほどでは無いが、鏡の言葉に驚きを見せる。
驚く陽介達に鏡は以前、直斗の仲介で遼太郎達に本当の事を話して協力を取り付けようと話した事を挙げる。
「それに、私達は学校もあるから、前もって誘拐される人物が解っていても24時間見張る事なんて出来ない」
完二が攫われた時に浮き彫りになった問題点。
学生という立場上、昼夜問わずに狙われるであろう対象者を監視する事など出来ない。
鏡の説明に、探偵である自身の方が遼太郎達に話を通しやすいと、鏡が判断したことを知る。
確かに、自分の方が鏡達よりも事件解決の実績がある分、話を聞いてもらい易いと納得する。
「確かに僕の方が話を通しやすいとは思いますが、信頼してもらえるかを考えると、鏡さんも同席してもらった方が良いですね」
話は聞いてもらえるが、信じてもらえるかどうかで言えば、家の事を任されている鏡の方が信じてもらえるだろう。
その事を考え合わせると、遼太郎への事情説明は、鏡と直斗の二人で行うのが無難だという結果に辿り着く。
「けど鏡、どうやって堂島さんに説明をする気なの?」
「話しただけじゃ、堂島さんも信じてくれないかも知れないわね」
「んなの、テレビに手を突っ込めば一発じゃないッスか?」
千枝と雪子の疑問に完二がそう話し、陽介も完二の意見に同意のようだ。
りせは『完二にしては考えたじゃない』とからかうも、完二の提案で良いと思っているようだ。
「それだと少し説得力が足りないから、問題が一つあるけれど、実際に“向こう側”へ叔父さんを連れて行こうと思っているの」
「堂島さんのシャドウが現れてしまう可能性ですね?」
鏡の懸念を直斗が指摘する。
直斗の指摘に鏡は頷くと、実際に向こう側の商店街を見る方がより説得力があるからと説明する。
ただし、向こう側に行く事によって、遼太郎の心の奥深くに押し込めた思いがシャドウとして現れる危険性が不安要素だとも話す。
「前もって説明しておけば動揺も少ないとは思うけれど、こればかりは大丈夫だという保証がどこにも無いわね」
僅かに表情を曇らせて、鏡がそう言葉を締める。
直斗も最悪、向こう側で遼太郎のシャドウと一戦を覚悟しておくべきだろうと意見を述べる。
「じゃ、俺ら全員でその場に居れば良いんじゃ無いか?」
「……出来れば叔父さんの押さえ込んでいた思いを、あまり聞かせたくないという思いもあるの」
陽介の指摘に鏡がそう答える。
自身の影と向き合うという事は、自分自身が一番見たくない姿を突きつけられる事だ。
鏡の言葉に陽介達も自身が経験した状況を思い出し、表情を曇らせる。
自分達と違い、遼太郎は一回り以上も年上の大人だ。
そんな自分達に、心の奥底に押さえ込んでいた思いを聞かれるのは確かに酷だろう。
「それなら、私達はいつもの広場で待機してた方が良いんじゃないかな?」
「そっか、りせちゃんが鏡達の近くにシャドウの反応を感じたら、すぐに駆けつければ良いって事ね」
「だったらさ、あっちの総菜大学辺りで待ってれば良くねえか?」
りせの提案に千枝と陽介がそれぞれ答える。
「それが一番、無難な所でしょうね」
そう言って直斗が鏡の方へ視線を向けると、少し考えた鏡も頷きを返す。
安全面とプライバシーを両立させるには、それしかないだろう。
「後はいつ堂島さんに話すか、だよね」
「明後日の秋分の日はどうでしょうか?」
雪子の疑問に直斗が答える。
時間が空いて何かあると問題なので、その日に遼太郎に説明する事に決める。
問題は遼太郎の都合が付くかなのだが、その辺りは直斗から連絡を入れる事で対処が可能だろう。
「ナナちゃんは独りで寂しくならないクマか?」
今まで話に参加しなかったクマが鏡に訊ねる。
せっかくの休日に菜々子独りで留守番させる事を不憫に思ったのだろう。
鏡は少し考える素振りを見せると、クマに菜々子の相手をしてもらえないか訊ねてみる。
クマはフードコートでの仕事があるため、その場に菜々子が居るのなら何とかすると答える。
「それなら、あたしが菜々子ちゃんの相手をするから、堂島さんの方は花村達に任せるよ」
そう言って千枝が菜々子の面倒を見ると立候補する。
雪子は家の手伝いがあるため途中で帰る事になるが、それまでの間なら千枝と一緒に菜々子の相手をすると話す。
鏡は二人にお礼を述べると、菜々子の相手を三人に任せる事にして、クマに遼太郎用の眼鏡を用意して欲しいと頼む。
クマは鏡の頼みに『任せるクマ!』と胸を張って引き受ける。
「それでは、堂島さんの方へは僕から連絡しますので、待ち合わせは家電コーナーで良いですか?」
直斗の確認に鏡はそれで構わないと答える。
菜々子の事があるので、鏡と千枝達はジュネスの入り口で待ち合わせる事にする。
予定も決まり時間もそろそろ遅くなったので、それぞれ帰宅する事にする。
鏡は丸久豆腐店に寄って、豆腐と油揚げを買ってから帰宅する。
遼太郎は書類整理を終えて、喫煙所で煙草に火を点けて一服しながら先ほどの電話の内容を思い出す。
(……事件に付いての新しい情報、か)
先ほど直斗から掛かってきた内容は、事件について新しく解った事があるから、遼太郎個人に話したい事があると話していた。
電話口では言えない事なのかと訊ねると、見せたいモノがあるからと答えられた。
事件解決に繋がる物証でも見付けたのかも知れない。
遼太郎は直斗の申し出を受ける事にしたが、通話を終える直前に言った直斗の一言が気になっていた。
『堂島さん個人にお知らせしたいので、足立刑事にも内密にお願いします』
(足立にも聞かせたくない事って、どんな内容だ?)
吐き出した紫煙を眺め、遼太郎は煙草の火を灰皿でもみ消してから仕事へと戻る。
直斗の話がどれくらい時間が掛かるのか解らないので、出来るだけ仕事を片付けておくことにする。
「堂島さん、まだ仕事を続けるんですか?」
仕事に戻ろうとしている遼太郎を見付けた足立が話し掛ける。
「足立か。お前の方はもう上がりか?」
「えぇ、今日の分はさっき終わらせたので、そろそろ上がります。それじゃ、お先に」
「あぁ、お疲れ」
挨拶をして帰宅する足立を見送ると、遼太郎は再び仕事に取り掛かる。
今日の分は先ほど済ませたので、処理するのはそれ以外の書類だ。
帰りが遅くなりそうなので、遼太郎は携帯電話を取り出すと、鏡へと帰宅が遅くなる旨のメールを送る。
メールを送って暫くすると鏡から返信メールが届いたので、遼太郎は内容を確認する。
内容は、晩ご飯のおかずと菜々子が学校からプリントをもらってきたので、帰宅したら確認して欲しいと書かれていた。
鏡が来てから、家事だけでなく菜々子の面倒まで見てくれている。
その姿はまるで、亡き妻の千里を思わせるかのように……
(結局、俺は鏡に千里の代わりを押し付けているだけなんだな……)
鏡が居るお陰で、菜々子に寂しい思いをさせていない事を理由に、今まで以上に調べ事に専念している自身を自嘲する。
来年になれば帰ってしまう鏡が居る間に、菜々子とちゃんと向き合わないと駄目だと理解はしているが、躊躇う自身を自覚する。
何一つままならない状況にかぶりを振ると、気持ちを切り替えて遼太郎は仕事に専念する。
秋分の日、当日。
その日、鏡から千枝達とジュネスに行くことを告げられていた菜々子はご機嫌だった。
特に何かをする訳ではないが、ジュネスに居るだけで楽しい菜々子には皆と一緒にジュネスに行けるだけでも嬉しいのだ。
お気に入りの仔猫のぬいぐるみを持ち、瑞紀に貰った服を着た菜々子を連れ、鏡は待ち合わせ場所へと向かう。
「あ、鏡、菜々子ちゃん、お~っす!」
待ち合わせ場所で先に来ていた千枝が鏡達に気付いて声を掛ける。
一緒にいた雪子も遅れて二人に挨拶すると、鏡と菜々子も二人へと挨拶を返す。
千枝と雪子は菜々子の新しい服に気付くとよく似合っていると褒め、その言葉に菜々子がはにかんだ笑みを浮かべる。
「センセイ達、遅れてすまないクマ!」
鏡達が到着した少し後になってクマがやってくる。
クマは千枝と雪子と同じように菜々子の服を褒め、以前に渡した仔猫のぬいぐるみを持ち歩いてくれた事を喜ぶ。
「菜々子ちゃん。お姉ちゃん、これから少し用事があるから、千枝達と一緒に居てもらえるかな?」
「うん、分かった。早く帰ってきてね?」
菜々子の言葉に頷くと、千枝達に菜々子の事を頼むとその場を後にする。
去り際にクマが鏡に何かを耳打ちしていたが、千枝と雪子に話し掛けられていた菜々子はそれに気付く事はなかった。
鏡が家電売り場に到着すると、先に来ていた直斗が遼太郎と話しているところだった。
遼太郎がどことなく唖然とした様子しているが、女の子の格好をしている直斗を前にしているのが原因だと思われる。
「鏡さん、お待ちしてました」
「鏡? どうしてお前がここに……」
鏡に気付いた直斗が声を掛けると、遼太郎が訝しげな視線を鏡へと向ける。
「堂島さん。今回お話しする事には鏡さんも関わりがある事なので、来ていただきました」
「鏡、お前、やっぱり……」
直斗の説明に、遼太郎がこれまで感じていた違和感に確信を持ち、鏡へと鋭い視線を向ける。
「叔父さん、詳しい話は後で。直斗、叔父さんに何処まで話を?」
「まだです。先に“向こう側”を見てもらおうと思いまして。それから、花村さん達には先に向こう側で待ってもらっています」
二人の会話に遼太郎は怪訝な表情になると、どういう事か説明を求める。
「叔父さん、荒唐無稽な事ですが、驚かないで下さいね」
そう言って、鏡は周りに人気がない事を確認すると、おもむろに展示されているテレビに手を伸ばす。
「何ッ!?」
遼太郎は目の前で起こった出来事に驚愕する。
鏡の手があり得ない事にテレビの画面に突き刺さっており、画面に波紋が浮かんでいる。
驚くなとは言われたが、目の前の現象に驚くなと言う方が無理な話だ。
「叔父さん、手を」
そう言って、差しのばされた鏡の手に遼太郎が疑問の表情を浮かべると、直斗へと視線を向ける。
直斗は遼太郎に鏡の手を取るように伝えると、自身もテレビに手を突き入れる。
遼太郎は言われた通りに鏡の手を取ると、鏡は遼太郎の手を引きテレビへと突き入れた手を更に奥へと進める。
鏡に手を引かれ、テレビへと触れた自身の手がテレビに吸い込まれた事に驚く間もなく、遼太郎はテレビへと吸い込まれる。
「お、来たな」
先に待っていた陽介が鏡達に声を掛ける。
「どこだ、ここは!?」
霧に包まれたテレビスタジオのような場所に、遼太郎が驚愕の声を上げる。
どうみてもジュネスの中でない不可思議な場所。
視界の悪いそんな場所に、当然のようにいる陽介達に疑問を感じる余裕すらない。
「そうだ、姉御。これ、クマから預かってた堂島さんの眼鏡」
そう言って、陽介がクマから預かっていた眼鏡を鏡に手渡すと、鏡はそれを遼太郎へと掛けるように言って手渡す。
鏡達もそれぞれ形の違う眼鏡を掛けており、遼太郎も言われた通り眼鏡を掛ける。
眼鏡を掛けると、それまで霧に覆われていた視界がクリアになり、その事に遼太郎は驚く。
「その眼鏡を掛けていると、こっちの世界の霧を見渡す事が出来ます」
驚く遼太郎に、鏡が眼鏡の効用を説明する。
眼鏡の説明をした後で、鏡は遼太郎へと頭を下げ、遼太郎にこれまで話さなかった事がある事を謝罪する。
目の前の状況に半ば唖然としている遼太郎は、これまでの事件に鏡達が関わっていた事を察するも、文句を言う気にはなれなかった。
こんな非常識な状況を話された所で、嘘をついているか、夢でも見ていたかのどちらかとしか思えなかっただろう。
「俺を呼んだって事は、全てを話す気になったんだろう? こんな状況、現物を見ない限りとても信用できる事じゃない」
遼太郎の言葉に鏡は安堵の表情を浮かべると、始まりの場所である中央通り商店街へと遼太郎を案内する。
道すがら、鏡はこの世界を知った切っ掛けになったマヨナカテレビの事、テレビの中で出会ったクマや早紀の事を説明する。
早紀を助けたのが鏡だと知った遼太郎は、直斗の推理が正しかった事に驚くも、話の内容を理解する事で精一杯だった。
テレビを使った殺人事件。
直接の死因は、抑圧されたもう一人の自分自身によるもの等。
とてもじゃないが、信じられない荒唐無稽な出来事ばかりだ。
「それで、抑圧された自身を制御する事によって“ペルソナ”? だっけか。戦うための力を手に入れたと言う訳だな」
「はい。私の場合だけ状況が違うのですが、陽介達は皆そうやってペルソナを得ています」
遼太郎の確認に鏡が答える。
これまでの調査で、山野真由美の死因だけはどうしても特定する事が出来なかったのだが、その理由が理解できた。
このような非科学的な状況を証明する手段など、現状の警察どころか何処にもないだろう。
実際、連れてこられたもう一つの中央通り商店街を自身の目で確認しても、夢ではないかと思えてしまう。
「じゃあ、姉御。俺達はここで待っているから」
総菜大学前に辿り着いたところで、陽介が当初の予定通りここで鏡達を待つ事にする。
鏡は陽介の言葉に頷くと、遼太郎を連れてコニシ酒店へと向かう。
「この中で、私達はクマと早紀先輩、そして、もう一人の早紀先輩を発見したんです」
「この中で、か……」
異様な様相を見せてはいるが、自身が見知っている中央通り商店街と違わない姿に遼太郎は緊張を強める。
そんな遼太郎に鏡は、遼太郎の抑圧された思いが実体化して現れるかも知れない事を注意する。
「先ほども説明しましたが、もう一人の自身は自分に否定される事によって、暴走して襲い掛かってきます」
「ですので、堂島さんには何が起こっても、もう一人の自分を否定する事だけは止めて貰いたいのです」
鏡の説明を補足する形で、直斗が遼太郎に注意する。
二人の言葉に遼太郎は頷くと、二人と共にコニシ酒店へと入る。
店内は閑散としており人の気配は無く、所々に割れた酒瓶の欠片が散乱している。
おそらく、先ほどの説明にあったもう一人の早紀にぶつけて破損した酒瓶の残骸なのだろう。
「本当に現実の商店街と同じなんだな……」
目の前の状況に遼太郎は唖然としたのも束の間、周囲に対して警戒を強める。
これまで培ってきた刑事としての経験が、遼太郎に異様な状況の中にあっても、いつでも行動に移れるように身構えさせる。
『何をそんなに警戒しているんだ?』
どこからともなく聞こえてきた声に遼太郎は身構え、鏡と直斗はやはりといった表情を浮かべると、声の主へと視線を向ける。
そこに立っていたのは金色の瞳をしたもう一人の遼太郎で、鏡達へと敵意の籠もった視線を向けている。
『まったく、だらしない。いつまでも見つからない手掛かりに執着して、現実から目を背けるつもりだ?』
その言葉に遼太郎は身体を強ばらせると、反論しようとするが上手く言葉に出来ない。
『千里も辛かっただろうな……』
「何を、言って……!?」
突然の言葉に、遼太郎の顔色が変わる。
『保育園に菜々子を迎えに行く途中に、ひき逃げにあった千里……痛かっただろうなぁ……寒かっただろうなぁ……』
そんな遼太郎に構わず、もう一人の遼太郎が言葉を続ける。
『目撃者は無く、発見も遅れに遅れた。一人寂しく命の消えゆくまで、千里は何を想っていたんだろうな?』
「やめろ!」
もう一人の自身の言葉に、遼太郎が反射的に叫ぶ。
今でもハッキリと思い出す事が出来る。
冷たく物言わぬ姿となった最愛の妻を前に、自身は必ず犯人を捕まえると心に誓った。
『菜々子を迎えに行きさえしなければ、千里は今でも俺の隣で笑っていてくれただろうに』
「違う……!」
もう一人の自分の言葉を否定するも、言われた言葉を否定しきる事が出来ない。
自分自身、その事を考えそうになったのだから……
そんな遼太郎に、もう一人の遼太郎は更なる言葉の刃を振り下ろす。
『いや……菜々子さえ、菜々子さえ居なければ! 菜々子さえ居なければ、千里が死ぬ事なんて無かったんだ!!』
「もう、やめてくれ!!」
心を抉る言葉を遮るように、遼太郎はもう一人の自分に殴りかかるも、その手を取られて綺麗に一本背負いを決められる。
『何を否定してやがる? お前自身も認めているんだろうが?』
「違う……、そんな事、俺は……!」
『何処が違う? 鏡を千里の代わりにして家の事を押し付け、ひき逃げ犯を追い続けているくせに』
自身が思っていた事を告げられ、遼太郎は言葉を失う。
確かに自分は、鏡に菜々子の事や家の事を押し付けてひき逃げ犯を追い続けている。
手掛かりを掴むことも出来ず、それを認める事も諦める事も出来ずに、無様な姿をさらしている自分自身……
認めたくない事実と体の痛みに、遼太郎の意識が遠のく。
「そんな事はない。叔父さんはちゃんと、菜々子ちゃんの事を気に掛けてくれている」
もう一人の遼太郎の言葉を、鏡が否定する。
『……何?』
「確かに、叔父さんは刑事だから忙しくて、菜々子ちゃんとの時間が取れないけれど、決して菜々子ちゃんを見てない訳じゃない」
不器用なりに、菜々子に対して向き合おうとしている遼太郎。
その証拠に、ゴールデンウィークに家族旅行を行ったし、夏祭りにも参加してくれた。
もう一人の遼太郎が言うように菜々子の存在を疎ましく思っていたら、そんな事はしないだろう。
心に抱えていた不安や恐れがねじ曲げられて強調されているだけだろう。
それは、これまでの事が証明してくれている。
「そんな事は私が言うまでもなく、叔父さん自身がよく解っている筈」
(……鏡)
鏡の言葉に朦朧とした遼太郎の意識がハッキリとしてくる。
先ほど鏡達から聞かされた説明を思い出す。
もう一人の自身が話す事は、曲解されてはいるが自分自身の本心である事。
それも、自覚している事でなく、心の奥底に閉じ込めた無意識の思い。
認めたくない自分自身の姿に否定したくなるも、それを受け入れる事が唯一の正解だと、鏡達は説明したはずだ。
(自分自身を受け入れる……)
これまで目を背けてきた事に、今こそ向き合うときが来たのだ。
遼太郎は痛む体を無視して起きあがると、もう一人の自分へと向き合う。
「確かに、俺は菜々子を迎えに行かなければ、千里が死なずにすんだかも知れないと思いかけた事がある」
自分自身を斬りつける告解。
それは今まで目を背け続けてきた事への償い。
「けどな、菜々子が居てくれたからこそ、今の俺がある」
言葉にする事で、遼太郎は自分の心を確認して形にしていく。
これまでは千里への誓いが自身を支えていたと思っていたが、本当は違う。
「俺自身、鏡に甘えている事を自覚している。けどな、鏡が居てくれて菜々子も良く笑うようになった。その事には感謝しても足りないくらいだ」
遼太郎の言葉に、もう一人の遼太郎が後ずさる。
そんなもう一人の自分に、遼太郎は力の籠もった声を上げると、自分自身と向き合う。
「このままじゃ駄目な事も解っている。俺はもう菜々子から逃げる事はしない。ちゃんと向き合って生きていく」
自分自身を本当に支えていたのは、他の誰でもない菜々子なのだ。
遼太郎の宣言に、もう一人の遼太郎はかぶりを振り、その言葉を否定しようとする。
「お前は、これまでの俺だ。菜々子と向き合う事を恐れ、犯人を捕まえる事を口実に逃げ続けた、臆病な俺自身だ」
遼太郎の力強い言葉にもう一人の遼太郎は頷くと、青い粒子となってその姿を変える。
その姿は剣と天秤を持ち、結い上げた金髪に目隠しをした女神の姿だ。
再び青い粒子となり、カードへと姿を変えると、そのまま遼太郎の体に吸い込まれるように消えていく。
「……これは?」
「それが、ペルソナです」
「これが……」
鏡の言葉に、遼太郎は自身の身に宿したペルソナを思い浮かべる。
もう一人の自分であり、困難に立ち向かうための心の鎧。
にわかには信じられない事だが、自分自身がこの目で見た事だ。
山野真由美がこの世界で命を落とし、現実世界に吊された状態で発見された。
小西早紀を鏡が助けなかったら、第二の殺人事件として世間を騒がせただろう。
久保美津雄はやはり模倣犯で、諸岡金四郎の事件にのみ関与していた事が解った。
そして、犯人は未だ健在で、今後も事件が起こる可能性が高い。
鏡の友人達も一歩間違えば最初の事件同様、死因不明の怪死事件となった事だろう。
「運送業者になりすました犯行か、運送業者が真犯人か……」
直斗が自身の誘拐の際に知った事実を聞き、改めて最初の事件から洗い直す必要があると確信する。
この世界に被害者を入れてしまえば、霧が出るのを待つだけで良い。
聞けば、何も知らずにこちら側に来ると、自力で帰る事が出来ない場所なのだ。
直接犯人が手を下す必要がない以上、事件関係者のアリバイもあてにならない。
「しかし、山野真由美の事件に関しては、行方不明になった翌日に死体が発見されている」
遼太郎の言葉に鏡と直斗が顔を見合わせる。
言われてみれば、確かに鏡が稲羽に来た日に行方不明になり、その翌日に早紀が遺体の第一発見者になったのだ。
雪子達以降は運良く霧が出る日まで余裕があったが、間に合わなかった可能性もあったのだ。
その事実に、鏡と直斗は自分達の運が良かっただけなのだと気付く。
「運送業者に関しては俺の方で調べておく。お前達はこれまで通り状況を確認しつつ、何かあったら俺にも連絡しろ」
「やめろ、とは言わないのですか?」
「本音を言えば止めさせたいさ。けどな、こちらに誰かが放り込まれたら、お前達にしか救出する事が出来ないんだろう?」
協力的な遼太郎の言葉に鏡が確認すると、遼太郎は本音を話しつつも鏡達の力が不可欠である事実を指摘する。
今回の件で、自身もテレビの中に入れる力を手に入れたかも知れないが、自分一人でどうにか出来る事ではない。
それに、力を得たばかりの自分などより、力の使い方に精通した鏡達の方が頼りになる。
人命に関わる以上、自身の力だけでどうにかしようと考える事自体が間違っている。
「叔父さん、ありがとう」
遼太郎の言葉に鏡がお礼を述べると、遼太郎は『決して、無理だけはするな』と念を押す。
「鏡さん、そろそろ引き上げましょう。あまり長くいると堂島さんの体調に影響が」
「そうだね。叔父さん、そろそろ戻りましょう。こちら側は長くいると、体力がかなり消耗しますから」
直斗の言葉に鏡は頷くと、遼太郎に引き上げる事を提案する。
遼太郎は、こちら側の事には不慣れなので、鏡達の言葉に従い引き上げる事にする。
「先輩、お帰りなさい。その様子だと大丈夫だったようだね」
戻ってきた鏡達に、召喚していたヒミコを解除したりせが声を掛ける。
ヒミコの姿に遼太郎は僅かに驚くも、ペルソナの実物を見て、今の状況が夢でない事を改めて認識する。
「それじゃ、帰るか」
鏡から、遼太郎への説明が無事に済んだ事を聞かされた陽介がそう言って、元の世界に戻ろうと声を掛ける。
遼太郎に、広場に置いてあるテレビを通り元の世界に帰れる事を説明した鏡が、遼太郎の目の前で元の世界へと戻る。
「堂島さん、お先にどうぞ」
直斗が鏡に続いて元の世界へと戻るように促すと、遼太郎は頷きテレビに手を入れる。
テレビに吸い込まれるような感覚が遼太郎を包むと、目の前の景色が歪んでいく。
気が付くと、ジュネスの家電売り場に戻ってこれた遼太郎が、周りの様子を確認する。
相変わらず人通りの少ない家電売り場には、向こう側から戻ってきた鏡達しか居ない。
「こんな非常識な事があったのに、誰にも気付かれないものなんだな……」
呆れたように呟く遼太郎に、鏡達はそれぞれ複雑な表情を見せ返す言葉に困っている。
「ま、人目に触れて騒ぎになるよりかはマシか」
遼太郎はそう言って、自身を納得させると時間を確認する。
思ってたほど時間は進んでなかったが、そろそろ仕事に戻らないと拙そうだ。
遼太郎は鏡達に仕事に戻る旨を伝えると、家電売り場を後にする。
「それで、姉御。堂島さんは俺達に協力してくれるって事で良いのか?」
「私達はこれまで通りにマヨナカテレビのチェックで、何かあったら叔父さんに連絡する事になったよ」
陽介の質問に鏡はそう答えると、遼太郎が運送業者に付いて調べてくれる事になった事を伝える。
警察の協力を得られた事によって、これまででは知り得なかった事も知る事が出来るかも知れない。
これを機に、真犯人へと辿り着く手掛かりが得られれば良いのだが……
「そう言えば先輩、菜々子ちゃんを待たせたままじゃ拙いから、そろそろ合流しない?」
「そうだね、菜々子ちゃんも早く戻ってきてって言っていたから、菜々子ちゃん達と合流しましょうか」
りせの言葉に鏡は頷くと、待ち合わせのフードコートへと向かう事にする。
陽介はこれからバイトらしく、ここでいったん別れる事となる。
鏡と一緒に菜々子達と合流するのは、りせに直斗、そして完二の三人だ。
三人とも特に予定は入れていないと言っているが、菜々子の事を気遣ってスケジュールを空けていたのだろう。
心の中で感謝の事場を述べると、鏡はりせ達と一緒に菜々子達へと合流する。
「お帰り、お姉ちゃん。りせお姉ちゃん達も一緒なんだね!」
鏡と一緒にやって来たりせの姿を見付けた菜々子が、これ以上ないと言うほど嬉しい様子を見せる。
菜々子の言葉にりせが手を振り挨拶すると、菜々子も笑顔で挨拶を返す。
「鏡、さっき菜々子ちゃんに聞いたんだけど、菜々子ちゃんの誕生日が来月の四日なんだって」
千枝の言葉に鏡は菜々子に確認すると、菜々子は自身の誕生日が十月四日だと答える。
「だったら、菜々子ちゃんの誕生日には皆で祝わないとね」
りせの提案に皆が賛成し、その日は堂島宅で菜々子の誕生日を祝う事に決める。
誕生日プレゼントに何か欲しい物があるか訊ねてみるが、気を使ったのか、皆が祝ってくれるだけで良いと菜々子は答える。
そんな菜々子の姿に千枝達はやるせない気持ちになる。
歳の割に菜々子は周りに対しての気配りが出来るが、年相応に甘えてみても良いのにと皆が思う。
「それじゃ、バースデーケーキは腕によりを掛けないとね」
「ケーキ! お姉ちゃん、ケーキ作ってくれるの!?」
菜々子が瞳を輝かせて鏡を見つめてくる。
千枝達も鏡がケーキを作れる事に驚いているようだ。
「それじゃ、そろそろジュネスの中を見て回ろうっか?」
「ごめん。私、そろそろ行かなくちゃ。菜々子ちゃん、また今度ね」
千枝の提案に、時間を確認した雪子が申し訳なさそうに答えると、旅館の手伝いにフードコートを後にする。
雪子が帰った後で、鏡達はジュネスの店内を見て回ることにする。
仕事を終えたクマも後から合流し、今は菜々子と一緒に商品を見ている。
「ね、鏡。菜々子ちゃんの誕生日プレゼントだけど」
菜々子に気付かれないように千枝が鏡に話し掛けてくる。
自分達に気を遣った事を感じた千枝は、菜々子に内緒でプレゼントを渡したいと考えているようだ。
鏡も千枝と同じ事を思っていたので後日、皆で改めて菜々子に渡すプレゼントを選ぼうと取り決める。
その日は一日、ジュネスを見て回った鏡達は終始楽しそうにしていた菜々子の姿に、それぞれ笑みを浮かべていた。
「鏡、今ちょっと良いか?」
菜々子を寝かし付けた鏡に、遼太郎が声を掛けてくる。
二人は縁側に移動すると、遼太郎が鏡に話し掛ける。
「鏡、今日は情けない姿を見せちまったな」
それは悔恨の言葉。
千里の事を思うあまり、今生きている菜々子の事を放ったらかしにしていた自分。
犯人を捕まえる事を逃げ道に、今に向き合わなかった自身の弱い心を鏡に吐露する。
「お前が来てくれて、菜々子も良く笑うようになった。俺だけなら、菜々子は今でも寂しい思いをし続けていただろう」
「叔父さん……」
「姉さんもきっと、そんな不甲斐ない俺を見越して、お前を寄越してくれたんだろうな」
千里を亡くした当初、仕事が忙しく葬儀に参加できなかった姉、凜が電話越しに遼太郎へと言った言葉。
居なくなった相手の事を想うのも構わないが、今生きている菜々子の事も同じように想ってやれと、姉は遼太郎に話していた。
それなのに、自分は犯人を捕まえるとばかり考え、菜々子の事を蔑ろにし続けていた。
刑事という職業柄、ただでさえ寂しい思いをさせていたにも拘わらずだ。
「菜々子には折を見て、千里の事を話そうと思う。俺だけじゃない。千里を亡くして、菜々子だって寂しかったんだ」
遼太郎は向こう側でもう一人の自分に言った言葉を思い返す。
菜々子と向き合う事。
「鏡が来て、ここも“家らしく”なってきた。何よりも取り戻したかったのに……何より避けてきた気がするな」
そう言って、遼太郎は鏡の瞳を真っ直ぐに見つめると、『ありがとう』と感謝を述べる。
「お前が居てくれて、忘れていた大事なモノを思い出すことが出来た」
これまで目を背けていた大切な事。
思い出したその事に、遼太郎はこれからは二度と逃げずに向き合うと鏡に告げる。
我は汝……、汝は我……
汝、絆の力を深めたり……
絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり
汝、“法王”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん
鏡の脳裏に声が響く。
「鏡。お前達が言っていた、犯人が運送業者になりすましている可能性だが、事件をもう一度最初から洗い直してみようと思う」
遼太郎自身も引っ掛かる事があるらしく、その事を含めて、事件を最初から見直す必要を遼太郎も感じているようだ。
「こっちは俺の方で調べておくから、お前達も無理せずに出来る事をやってくれ。一緒に、事件を解決しよう」
「……叔父さん。ありがとうございます」
鏡は、改めて言われた遼太郎の言葉に頷く。
これまでは自分達で本当に犯人を捕まえる事が出来るか不安に思う事もあった。
表だっては無理だとしても、遼太郎が手伝ってくれる事が鏡には嬉しく、心強く思える。
鏡は思いを新たに、事件を解決出来るように頑張る事を心に誓う。
2012年01月10日 初投稿