――――これで事件は終わりなのだと思った
犯人である少年は目前で、彼には逃げ場はない
彼を捕まえる事が出来れば、事件は解決するんだと
この時は、皆が信じていたのだ……
先日の疲れを癒した鏡達は、少年を捕まえるために再びダンジョンを訪れていた。
再開した階層で何度かシャドウ達と戦ってみて、先日よりも戦いやすくなっている事に気付く。
先日の探索で、鏡達の熟練度が上がった事が主な原因だが、全快した状態で探索している事も要因の一つだろう。
他の階に見られた仕掛けもなく、シャドウ達との戦闘を行っただけで九階へと到達する事が出来た。
『おお ゆうしゃ ミツオ みごとであった! そなたの……そそそそそなたのののの……』
聞こえてきた声は、またしても異常な様子を見せて途絶える。
声が聞こえなくなると、先ほどとは違った虚ろな声が辺りに響く。
『ボクニハ……ボクニハ……ナニモナイ……ボボボボボクニニニニニハナナナナナナナナニニニニモモモナイイイイイイイイイイ』
壊れたとしか形容のしようの無い声に、少年の精神状態が危険である事が伺える。
りせが鏡達に少年の居場所が近い事を報告してくると、鏡達は気を引き締めて探索を再開する。
この階層に存在するシャドウはごく少数で、鏡達は苦労する事なく次の階への階段を発見して上の階へと移動する。
移動した先は通路のすぐ先が扉になっており、どうやらここが最上階のようだ。
『うーん……この向こうに居るみたいなんだけど……』
今ひとつ確信が持てない様子でりせがそう話す。
しかし、ここ以外に行ける場所は無いので、鏡達は扉を開けて先へと進もうとする。
鏡が扉に手を伸ばすと、扉の少し手前に見えない壁のような存在があり、扉に触れる事が出来ない。
下の階層で拾った“くらやみのたま”の事を思い出した鏡は、ひょっとしてと思い、それを取り出してみる。
すると、“くらやみのたま”から漆黒の闇が溢れ出して、見えない壁を浸食していく。
暫くすると、“くらやみのたま”はただのガラスの玉へと姿を変える。
見えない壁が無くなり、扉に触れる事が出来るようになると、鏡は改めて扉を開いて先へと進む。
扉の向こう側は闘技場のような場所で、マヨナカテレビに映った少年が同じ姿をした少年と対峙していた。
「テメェが久保か! 野郎、歯ぁ食いしばれッ!!」
そう言って意気込む完二を陽介が『様子がおかしい』と言って制する。
確かに陽介の言うとおり、これまでと違って何か様子が変だ。
「どいつもこいつも、気に食わないんだよ……だからやったんだ、このオレが! どうだ、何とか言えよ!!」
鏡達に背を向けている少年が、激しい身振りで眼前の少年にそう叫ぶ。
しかし、眼前の少年は無表情で少年の言葉に何も感じていないようだ。
「女子アナだけじゃ、誰も俺を見ようとしない。だから俺がやってやった! オレが、あの諸岡を殺してやったんだっ!!」
少年の自白に鏡達は驚くが、眼前の少年は先ほどと全く変わらず、無表情のままだ。
その様子に、少年が怯んだ様子で何故黙っているのかを訊ねる。
『何も……感じないから……』
その言葉に、少年は激しく激昂する。
「な、なによ……? どっちがシャドウ?」
眼前のやりとりに、千枝が困惑気味に呟く。
これまでの抑圧された自分達は、その心に押さえ込んでいた想いを吐き出していた。
今回はそれらとは全く違い、抑圧されていたもう一人の自分の方が本人に見える。
『僕には……何も無い……僕は、無だ……そして……君は、僕だ……』
「なんだよ……なんだよ、それッ! オレは、オレは無なんかじゃ……」
自分自身の存在を否定するかのような発言に、少年は自分はそうではないと反論しようとする。
「いけない、このままじゃ……!」
雪子の声に気付いた少年が背後を振り返り、鏡達の姿を見て驚きの声を上げる。
これまで、誰一人として他人が居なかった場所での久しぶりに見た他人。
突然の事に、少年は動揺を隠せない様子で鏡達に何者で、ここで何をしているのかを詰問する。
「るせえ! テメェを追って来たに決まってんだろが!」
「アンタが……犯人なの?」
完二と千枝の言葉に少年、久保は愉悦の表情を浮かべると、笑い声を上げて肯定する。
全部自分がやった事。目の前の偽物が何を言おうが関係ない。
「オレの前から消え失せろっ!」
その言葉に、もう一人の久保はどこか落胆した様子を見せる。
再び鏡達へと振り返った久保は、鏡達にも敵意を向け『まとめて殺してやる!』と、憎悪に満ちた視線を向ける。
「オレは出来る……オレは、出来るんだからな!」
その様子は、自分にそう言って信じ込ませないと何も出来ないのだと、虚勢を張っているようにしか見えない。
見えない何かに怯える久保は、自分の存在を必死に顕示する。
先ほど言われた言葉を肯定するかのように……
『認めないんだね、僕を……』
落胆した様子でもう一人の久保が呟くと、久保が崩れ落ちるようにその場に倒れ込む。
自身の身に何が起きたか解らない久保が戸惑った声を上げると、次の瞬間には悲鳴を上げる。
久保の身体から抜け出すようにして現れた影。
胎児の姿をしたそれは、頭部の周りに意味不明の文字列を輪のように巡らせている。
「くそっ……結局こうなんのかよッ!」
そういって陽介がこれまでと同じく、抑圧された自分と戦う事に苛立ちの声を上げる。
そんな陽介にりせが眼前のシャドウを倒せば、事件解決は目の前だと檄を飛ばす。
眼前の胎児が呻き声を上げて頭を押さえると、胎児の身体を覆うようにドット絵の剣を持った勇者の姿が現れる。
『僕は……影……おいでよ。空っぽを、終わりにしてあげる』
電子音のような無機質な声が鏡達に語りかけてくる。
シャドウを調べたりせの説明によると、勇者の外側を崩さないと本体には攻撃が出来ないとの事だ。
――弱い自分を覆い隠す虚勢の鎧
ペルソナと似ていて、その在り方が全く逆の存在。
様々な困難と相対するための“覚悟の仮面”であるペルソナに対して、弱い自分を強く見せるための“虚勢の仮面”と言うべきか。
それは、久保という少年の有り様を証明するかのように存在する。
“導かれし勇者ミツオ”と表示されたシャドウに対して、鏡は【ラクンダ】で防御力を低下させる。
完二が【剛殺斬】で攻撃するも、物理攻撃に耐性があるのか、思ったよりもダメージが通りにくい。
クマと雪子はそれぞれ【ブフーラ】、【アギラオ】でシャドウを攻撃する。
雪子の放つ【アギラオ】は【火炎ブースター】の効果もあり、元から高かった火力が更に向上している。
シャドウは雪子を標的に定めると、手にした剣を振り下ろす。
デフォルメされた見た目と違い、その攻撃力は高く先日戦った黒い手のシャドウ並かそれ以上だ。
重い一撃を受けた雪子は辛そうな表情を見せるも、何とか倒れずに済んでいる。
鏡はすぐさま雪子を回復しようとしたが、それよりも早くシャドウが二回目の攻撃を仕掛けてくる。
攻撃の対象はクマで、先ほどと同じように剣をクマへと振り下ろす。
その攻撃に対してクマはとっさに身を躱して攻撃をやり過ごす。
「コイツ、見た目と違ってオレ達よりも早く動けるのか!」
シャドウの攻撃に完二が舌打ちする。
鏡は完二に【ラクカジャ】で雪子の防御力を上げるように指示すると、自身は【ディアラマ】で雪子を回復する。
「ゴー、キントキドウジ!」
クマは【マハタルカジャ】を使い、全員の攻撃力を上げると、回復した雪子が再び【アギラオ】でシャドウを攻撃する。
何度目かの攻防で、外殻を破壊され、本体を晒したシャドウはそのまま墜落すると、身動きが取れなくなる。
「今がチャンスよ! 準備はいい?」
その隙を見逃さず雪子の号令の元、一斉攻撃を仕掛ける。
鏡達の一斉攻撃を受けたシャドウ本体は、あまり効いた様子を見せず浮かび上がると【赤の壁】を使う。
続いてシャドウ本体は【淀んだ空気】を使い、鏡達に状態異常攻撃が定着しやすいようにする。
鏡はペルソナを“フォルトゥナ”に交換すると、“フォルネウス”から継承した【ラクンダ】で再びシャドウの防御力を下げる。
完二とクマがそれぞれ【ジオンガ】と【ブフーラ】で攻撃し、雪子も【アギラオ】で攻撃するが、【赤の壁】の効果で威力が半減してしまう。
シャドウ本体は【マハラギオン】で鏡達を攻撃した後で、【デカジャ】を使い鏡達に掛かっている上昇効果を打ち消してくる。
どうやら、シャドウ本体は自身に対して使った属性耐性と同じ属性で攻撃してくるようで、効果が切れるまで同じ攻撃を繰り返してくる。
その属性がそれぞれの弱点だった場合、追撃を受ける事になるので、鏡は効果が切れるまで防御に徹するように指示を出す。
耐性の効果が切れると、シャドウ本体は外殻を再構築し始める。
『あの殻の完成までには、時間が掛かるみたいだね……完成するまでに壊しちゃえ!』
りせの指示を受け、鏡達は外殻の完成を阻止すべく、鏡がネコショウグンの【マハタルカジャ】で全体の攻撃力を上昇させる。
鏡からの補助を受けた完二達が、それぞれの一番火力のある攻撃を仕掛ける。
外殻が完成するギリギリのタイミングで阻止する事に成功すると、再びシャドウ本体は墜落して身動きが取れなくなる。
この機を逃さず鏡達は再度、一斉攻撃を仕掛ける。
【ラクンダ】と【マハタルカジャ】の効果が残っていた分、先ほどよりシャドウ本体へと与えるダメージは大きく、僅かにシャドウ本体が怯む。
それでもまだ、シャドウ本体は弱った様子は見せず依然、鏡達の隙を窺っているようだ。
攻撃パターンは把握できたが、攻撃の手札が多く、鏡達は一時も気が抜けない状況で戦い続ける。
外殻を纏っている時と違い、シャドウ本体自身の攻撃力は低く、それよりも属性耐性とその属性による攻撃の方が厄介だ。
弱点を突かれる事に注意しておけば、致命傷となる一撃はやってこないので、鏡達は自身の弱点を突かれないように意識を集中する。
鏡達が弱点を突かれないように行動していると、シャドウ本体は手段を変えて攻撃してくる。
再び【淀んだ空気】を使い、その直後に【デビルタッチ】を使い、雪子を恐怖状態にする。
『雪子先輩が怯えているよ!』
りせの警告に、鏡は“鎮静剤”で雪子の恐怖状態を回復させる。
その間も、クマと完二はそれぞれ攻撃に専念し、少しでもダメージを与えようと行動する。
『僕はね……僕がここに居る証拠が欲しいんだ……だから……君らを殺さなきゃ!』
身勝手と言えば身勝手な言い分だが、そんな事でしか自身の存在を確かめられない事に悲哀を感じる。
だからこそ、今ここで彼の凶行を止めなければならない。
これ以上の被害者を出さないために。そして、何よりも彼自身のために……
奇しくもそれは、遼太郎が抱いた想いと同じ想い。
辛い戦いだが、ここで負ける訳にはいかないと、鏡達は持てる力を振り絞り攻撃を続ける。
いつ終わるとも解らない戦いは、徐々にだが終わりに近付いていく。
鏡達の攻撃に、グッタリとした様子を見せるようになったシャドウ本体に、鏡達はここが正念場と油断無く攻撃を加えていく。
何度となく繰り返した、外殻を破壊してからの総攻撃。
ようやく力尽きたシャドウ本体はゆっくりと墜落すると、その身を再び少年の姿へと変じる。
「うぁ……」
それと同時に、久保が意識を取り戻す。
状況が飲み込めていない久保は、鏡達の姿を見るなり『お前ら……一体、何なんだよ!?』と、鏡達に食って掛かる。
久保の詰問に、陽介が諸岡と山野アナ両名の殺人容疑で警察が追いかけていると告げる。
その上で、久保に全ての事件の犯人なのかと問い掛ける。
陽介の問いに、呆然としていた久保は笑い声を上げ、全て自分がやった事だと得意気に認める。
そんな久保の様子に完二が拳を握りしめ、苛立たしげに久保を睨み付ける。
「諸岡の野郎だけじゃない、頭悪そうな女子アナも……全部オレがやったんだよ! オレが、全部だ!!」
久保がそう宣言した瞬間、もう一人の久保が黒い霧となって消滅する。
今までにない状況に、りせや千枝が困惑の表情を浮かべる。
もう一人の自分が消えた事に気付いた久保が、清々した表情を浮かべて喜ぶ。
その直後、久保はその場に崩れ落ちて再び意識を失う。
「かなり消耗してる……とにかく、早くこっから出さないと!」
りせにそう言われた鏡は“カエレール”を使いダンジョンを後にする。
入り口広場へと戻ると、外に誰も居ない事を確認してから元の世界へと戻る。
家電売り場へと戻って少しすると、久保が意識を取り戻す。
朦朧とした意識でここがどこかを訪ねる久保に、ジュネスの家電売り場だと陽介が答える。
「なんで……んな、トコ……なんなんだ……お前ら……や、やめろ……なんで、テレビが……ううっ……」
どうやら意識が混濁しているようで、話している事が支離滅裂になっている。
そんな久保に、クマはどうしてこんな事をしたのかと問いつめる。
久保は自身を問いつめるクマの姿に、虚ろな笑いを返すと着ぐるみ姿で馬鹿じゃ無いかと虚勢を張る。
陽介が余計に混乱するからと言ってクマを下がらせると、改めて本当に全ての事件は久保が行ったのかと訊ねる。
「しつけえんだよ……何度も、そう……言ってんだろ……」
そう答える久保に、りせが何でこんな事をしようとしたのかを尋ねる。
「人を二人も殺そうなんて……」
りせの言葉を継いで、千枝がそう久保に訊ねる。
千枝の言葉に僅かに俯いた久保は、虚ろな様子から一変して笑い声を上げる。
豹変した久保に驚く鏡達に、町の騒ぎを見ただろうと久保が話す。
久保は、大騒ぎになった事件を全て自分一人が起こしたのだと、得意気に語る。
「目立ちたかったって事なのか……?」
「私や他の人を狙ったのは、どうして? どうやって攫ったの?」
久保の言葉に、陽介と雪子がそれぞれ訊ねる。
この時になってようやく、久保は相手が雪子である事に気付いたようだ。
今さら自分と話したいとかあり得ないと、要領を得ない言葉を呟いている。
そんな久保に雪子は、質問に答えるように詰め寄るが、久保は誰でも良かったのだと犯行の動機を語る。
誰も彼もがむかつくヤツばかりだと。
誰でも良かったと語る久保に、陽介は憤りを顕わにする。
そんな事が理由で、早紀は向こう側へと放り込まれて命を危険に晒され、あまつさえ記憶を失うハメになったのか。
憤りは押さえられない怒りとなって、今すぐにでも久保を殴りつけたい衝動に駆られる。
「てめえ……覚悟ぁ出来てんだろうな?」
陽介よりも早く、完二が久保に詰め寄る。
久保は完二を見上げると、歪んだ笑みを浮かべながら自分を殺すのかと訊ねる。
そんな久保に、完二は冷たい視線を向けたまま襟首を掴んで立ち上がらせると、思い上がるなと久保の言葉を切り捨てる。
「くたばって良いのは、てめえのした事がどんだけ重いか……骨身で解った後だ!」
そう言うと、完二は掴んでいた手を離し久保を解放する。
久保はそのまま地面に座り込むと、項垂れて大人しくなる。
「……警察」
そう言って、完二は陽介に今すぐ警察を呼ぶように促す。
完二に言われて、陽介は当初の目的を思い出し警察へ久保を見付けた事を通報する。
遼太郎に疑われている鏡がこの場にいたら拙いので、警察への引き渡しは陽介と完二が行う事にする。
女性陣とクマは陽介達が戻ってくるまでフードコートで待つことにして、鏡達は先にフードコートへと移動する。
警察へと身柄を轢き渡し終え、簡単な事情聴取を受けてきた陽介達がフードコートに上がってきたのは、それから暫くしてからだ。
陽介の方がどことなく疲れた様子を見せていたが、どうやら事情の説明は陽介が行っていたらしい。
鏡達が買ってきた飲み物を受け取り、喉を潤しながら陽介は説明が面倒だったと語る。
陽介が説明するには足立がすごく嬉しそうな様子で、遼太郎に怒鳴られていたそうだ。
その光景が容易く思い浮かべられる辺り、足立という人物像が固まって来ているのかも知れない。
「後、堂島さんが姉御が関わってないか気にしていたようだから、無関係だと説明しておいた。すまないが、口裏合わせを頼むな」
陽介の気遣いに、鏡はお礼を述べる。
その感謝に照れたのか、僅かに顔を赤らめた陽介は『気にするな』と答える。
「動機が“目立ちたいだけ”なんて……あんまりだよ……」
先ほどの久保の言葉を思い出した千枝が、やりきれない様子で呟く。
久保が捕まった事で、事件は解決し向こう側の世界も平和になるとクマは喜んでいる。
りせも後は警察に任せるべきだと話し、自分達の役目もやっと終わったんだなと陽介が感慨深げに話す。
三ヶ月に満たない間に、本当に色々な事があったと雪子が話すと、クマが“逆ナン”の事を引き合いに出す。
クマの発言に、いい加減その話題は忘れて欲しい雪子は癇癪を起こす。
事情を知らない完二がその事に興味を示すが、雪子に“サウナでの事”を引き合いに出されて沈黙させられる。
一番最後に仲間になったりせが、自分も他の面々の分を見たかったと悔しそうに話す。
「そっか、俺と姉御だけか、全員分見たの」
りせの言葉に陽介が鏡に話し掛ける。
確かに、全員分を見たのは鏡と陽介だが、厳密に言うと全員分を見たのは鏡だけだ。
「そう言えば、花村の時は鏡がペルソナ使って、問答無用で叩きのめしたって聞いたけど、詳しく教えてよ」
鏡から話を聞こうとする千枝を制止しようと慌てる陽介が、鏡だけ何もなかった事を思い出す。
陽介の言葉に、りせが感心した様子を見せるが、本当かどうかを僅かに疑っているようだ。
「そういや、姐さんを“リーダー”って呼ぶの、考えてみりゃ、しまいなんスかね……」
寂しそうに完二がそう呟く。
完二の言葉に、千枝も何だか寂しいねと話すと、りせが名案を思いついたとばかりに“打ち上げ”をしようと提案する。
りせの突然の提案に、驚く鏡達にりせはドラマの撮影とかだと必ずやるよと説明する。
千枝とクマがりせの提案に乗り気で、特にクマは天城屋旅館に泊まりたいとリクエストする。
どこで覚えてきたのか、『宴会、お座敷、温泉、浴衣、ゲイシャ、フジヤマ、ウハウハ!』と怪しげな発言をする。
クマのリクエストに、雪子は楽しそうだけど今日はちょっと無理だと話す。
夏休みに入り、観光シーズンに入ったため現在の天城屋旅館は空き部屋のない状態だ。
厳密には空き部屋はあるのだが、明日から一泊の団体予約が入っているため、その準備があるそうだ。
「そういや、明日から姉御はテニス部の合宿だっけ?」
「うん。それで明日に入っている団体さんの予約が、月光館学園のテニス部なんだ」
陽介の確認に雪子がそう説明する。
「じゃあさ、姉御んトコで合宿に向けての壮行会ってどうよ?」
実質は打ち上げだが、刑事である遼太郎に説明する手前、そう言った理由付けの方が説得力がある。
陽介の提案に、皆が来れば菜々子も喜ぶだろうと思った鏡は、菜々子も交えてならと同意する。
「そっか、叔父さん刑事さんなら、今日とか帰れないかもね……」
久保の件で今日は泊まり込みになる可能性を思い、千枝が呟く。
こうやって向こう側の世界を探索している間、一人で留守番をしている菜々子の事を思うと、胸が痛む。
今日は皆で騒げば、菜々子も喜んでくれるのではないか?
ゴールデンウィークでの事を思い出し、千枝がそんな事を考える。
どうやら雪子も同じ事を思っていたのか、せっかくだから晩ご飯は皆で作らないかと提案する。
「鏡先輩が普段からお料理をしているのは知っているけれど、雪子先輩達もお料理、得意なの?」
雪子の提案にりせが素朴な疑問を訊ねると、雪子と千枝は互いに顔を見合わせて『それなりに?』と答える。
二人の言葉に陽介が『何で疑問系なんだよ……』と呆れたように呟くと、鏡が雪子と千枝に呆れたような視線を向ける。
「二人とも、あれからちゃんとお料理を作れるようになったの?」
鏡の指摘に、二人はバツの悪そうな表情になる。
二人の様子に、以前と同じく料理が苦手である事を理解した鏡は溜息をつくと、今なら菜々子の方が美味しい物を作れるかもねと話す。
「そういや、ゴールデンウィークの時も菜々子ちゃんが姉御と一緒にお弁当を作って来てくれてたな」
陽介の言葉に雪子と千枝が気まずそうな表情になる。
そんな二人に、鏡は菜々子と一緒に簡単な一品料理を教えてあげるからと提案する。
鏡の提案に、りせも自分にも教えて欲しいと願い出る。
それならば三人で一品を作る方向性で教えた方が良いなと考えた鏡は、肉じゃがの作り方を教えようと決める。
後はあまり時間の掛からないもので、食べ盛りの男子がいる事も考えて献立を決めていく。
鏡は菜々子に連絡を入れると、先にご飯を炊いておくようにお願いする。
皆を連れ帰るからと鏡から聞かされた菜々子は、嬉しそうに鏡達の帰りを待っているからと言って、ご飯を炊くことを了承する。
菜々子への連絡を済ませた鏡達は食品売り場に移動すると、必要な食材を購入していく。
今日の献立は雪子達に作ってもらう予定の肉じゃがと、皆で食べられるようにと手巻き寿司。
吸い物はワカメとお揚げの味噌汁で、食べ盛りの男子の為に肉と野菜の手巻き焼肉だ。
どちらも各個人の好みの具材を巻いて食べる点で同じなので、手軽に楽しく食べる事が可能だ。
「あれ、そういえばクマ君は?」
鏡達が食材を集めている間に姿が見えなくなったクマに気付いた千枝が訊ねる。
クマが居なくなった事に気付いた鏡達が周りを見渡すと、肉の試食コーナーに居るクマを発見する。
見ると、調理担当の婦人に甘えた仕草で未開封の肉を焼いて欲しいと、口説き文句のようにおねだりしている。
「あいつ……シメっぞ……」
クマの行動に陽介が低い声でそう呟く。
そんな陽介に、鏡はクマのバイト代から天引きする事も忘れないようにと、サラリとキツイ一言を付け加える。
この後、鏡の提案に納得した陽介に、クマがこってりと絞られた事は言うまでもない。
食材を購入して帰宅した鏡達を、嬉しそうな菜々子が出迎えてくれる。
完二とクマは菜々子とこの日が初めての顔合わせだ。
菜々子は強面の完二に臆することなく自然と接し、僅かに完二を驚かせる。
自身が強面である事を自認している完二からすると、怯えられても仕方がないと思っていたからだ。
反対に、クマは菜々子の事を一目で気に入ったらしく、何かと菜々子の事を気に掛けている様子だ。
事件が解決して、こちらの世界に居る理由が無くなったクマに、居ても良い理由を菜々子が与えた事が大きいのだろう。
皆で囲む食卓は賑やかなものとなった。
鏡に肉じゃがの作り方を教わった雪子達も、自分達が作った料理が美味しく出来上がった事に喜んでいる。
三人に共通する問題点はとても簡単な事だった。
まず、基本通りに作ろうとしない事。
それぞれの好みに合わせて、レシピを勝手に変更しようとする部分を真っ先に鏡に矯正される事となった。
普段の鏡からは想像できない事だが、こと料理に関しては勝手なアレンジを見逃さない。
基本がしっかり出来ているのならともかく、基本すら出来てない状態でアレンジする事は、食に対する冒涜だと考えている節がある。
勝手な事をやる度に、鏡から淡々とした叱責が飛ぶのだが、理路騒然とした指摘のためにいっそ怒鳴って欲しいくらいだった。
そして、致命的なのは三人とも味見を全くしようとしない事だった。
作り慣れている鏡でさえ味見を怠らないのに対し、三人は根拠無く上手くできていると思っている。
その間違った認識に対しても鏡は淡々と指摘したので、三人はちゃんと味見をするように態度を改める。
もっとも、それがいつまで続くのかは解らないが……
楽しい一時は終わりを迎え、時間も遅くなったので、それぞれが帰宅する事となった。
雪子はバスがないので、今日は千枝の所に泊まるという。
自宅には先に連絡を入れていたようだ。
時間も遅いので、女性陣を陽介達が送っていく事となる。
「センセイ。クマ、今日はとっても楽しかった」
一つの約束が果たされ、ここの居る理由が無くなったクマに出来た新しい約束。
菜々子と遊ぶという簡単な約束だが、いつまでもここに居ても良いという優しい約束だ。
事件が終わっても、鏡達との関係が終わる訳ではない。
これから先、もっと楽しい事が待っている。
そんな楽しい未来の事に、クマは期待を膨らませる。
「これも皆、全部センセイのおかげだとクマは思っている。ありがとう、センセイ」
我は汝……、汝は我……
汝、絆の力を深めたり……
絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり
汝、“星”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん
脳裏に響く聞き慣れた声。
クマの感謝の気持ちが、鏡の心を満たしていく。
「おい、クマ! 早く来ないと置いて行くぞ!」
鏡と話すクマに、陽介がそう声を掛ける。
陽介の言葉に慌てたクマは、鏡と菜々子に手を振って別れを告げると、陽介達の元へと駆け寄る。
皆が帰っていくのを見送った鏡と菜々子は家の中へと戻ると、戸締まりをして食器の後片付けを行う。
後片付けを済ませると、いつものように菜々子とお風呂に入り、今日の事を菜々子と語らう。
菜々子も皆で楽しく食卓を囲んだ事や、りせ達と色々な事を話せた事を楽しそうに鏡に語る。
最近の菜々子は、本当に笑顔を見せる機会が増えたと実感する鏡は、その事を嬉しく思う。
自身も明日からテニス部の合宿なので、興奮の冷めやらない菜々子を寝かし付けて早く休む事にする。
布団に入り、今日の事を振り返る。
今日の一件で、事件が解決したと皆は思っているが、鏡には少し気になる点があった。
久保に全ての事件の犯人なのかと訊ねたとき、僅かだが久保は身体を震わせていたのだ。
皆は気付いていなかったが、その様子に鏡はボタンを一つ掛け間違えたような違和感を覚えた。
雪子の問いかけにも、久保は最後まで自分が行った事を明言しておらず、どちらとも取れる態度を示しただけだ。
事実は警察の方で解明されるだろうから、鏡達には出来る事が無い。
本当に事件が解決したのなら、今後はもっと菜々子と接する時間が取れるのだがと鏡は思いながら眠りにつく。
明日から二日間は、月光館学園のテニス部との交流会だ。
最終日には対校戦が行われ、そこで合宿の成果を示すそうだ。
地元組である鏡達は泊まり込みでないため、遼太郎が数日のあいだ泊まり込みでも、菜々子を一人で留守番させるような事は無い。
その事に安堵しながら、鏡は明日に備えて休む事にする。
2011年07月19日 初投稿