――――自分自身は問題がないと思っていた
けれども、周りはそうは思ってなかった
距離感を計りかねているような態度に私は
普通に接してくれた彼女達に、無性に会いたくなった
りせを救出してから数日が経った。
向こう側での疲労は思いのほか重かったようで、しばらくの間は安静が必要だと診断されたらしい。
今は自宅で静養中で、しばらくの間はシズが一人で店の面倒を見ることになるそうだ。
その為、以前のように店を休む事が増えるらしく、りせの見舞いに来た鏡にシズが申し訳なさそうに謝罪をしていた。
ただ、前日に連絡を入れさえすれば、鏡が必要とする分は店が休みでも販売するからねとシズが話す。
これには逆に、鏡がそこまでシズに無理はさせられないと慌てる一幕があった。
そんな事もあり、いつしか月は七月に変わったある日のこと。
鮫川河川敷にある休息所で、早紀は降りしきる雨を物憂げに見つめていた。
春先に記憶を失うという災難に遭うも、日常生活を送る分には問題が無く、早紀自身も大丈夫だと思っていた。
けれども、周りがそんな早紀に対して必要以上に気を遣うために、最近は学校に行くのも憂鬱になっていた。
今日も学校をには行かず、降りしきる雨をぼんやりと眺める早紀は、入院中の事を思い返す。
入院当初はクラスメイト達が様子を見に来てくれたのだが、一度来たきりで続けて見舞いに来る者は皆無だった。
唯一の例外は、自分を助けてくれた下級生の少女とその従妹。
そして、彼女達と一緒に来てくれた彼だけだ。
稲羽市に出来た大型チェーン店“ジュネス”の影響で、客足が遠退いた商店街は今では閑散とした様相を見せている。
商店街の一部の人々は、口々にジュネスの事を悪く言ってはいるが、早紀にはとてもそうは思えなかった。
確かに、切っ掛けはジュネスの出店だろう。
けれども、それはあくまでも切っ掛けに過ぎず、客足が遠退いたのは顧客の要望に商店街が応えられなかった結果だと思う。
古くから酒屋を営んでいた実家も、ジュネスの事を悪く言うだけで、打開するための方法を考えようとはしない。
記憶を失う前の自分はジュネスでバイトをしていたのだという。
理由は思い出せないが、何かしら思うところがあったのかも知れない。
退院してからジュネスを見に行ったが、これならば商店街の客足が遠退くのも納得だ。
規模が違うこともそうだが、品揃えの良さと最新の流行物を扱っているだけあって若い客が多い。
それだけでなく、ジュネス自体が一つのテーマパークのようなもので、家族連れの姿も多く活気がある。
商店街のように、地元住民との身内のような関係も悪くはないが、どうしても閉鎖的な関係になってしまう。
そうなると、ジュネスのように多種多様の客層を得ることは難しいだろう。
詰まるところ、早いか遅いかの違いだけで商店街から客足が遠退くことは、避けようのない状況なのだと思う。
「小西先輩?」
そんな事を考えていた早紀に声が掛けられる。
驚いてそちらの方へ視線を向けると、自分の恩人である鏡がこちらへと歩いてくる。
手にはジュネスの買い物袋を提げており、ジュネスからの買い物帰りのようだ。
「鏡ちゃんか、ジュネスでお買い物の帰り?」
表情を綻ばせた早紀が鏡に訊ねる。
その質問に、今日の晩ご飯の材料だと答えた鏡は僅かに表情を曇らせる。
鏡の表情の変化に気付いた早紀が怪訝そうな表情になると、鏡は早紀に体調が優れないのかと訊ねる。
その質問に驚く早紀に、鏡は学校で早紀の姿を見なかった事と、今の早紀が疲れた様子を見せている事を挙げる。
「……鏡ちゃん。今、時間は大丈夫?」
「今日は生物を購入してないので、大丈夫ですよ」
鏡の答えに、早紀は苦笑を浮かべる。
確かに生物を持ったままだと今の季節は傷めてしまう事になっていただろう。
早紀は鏡にお礼を述べると、最近の早紀を取り巻く周囲の状況に疲れた事を話す。
記憶を失った自分に対して、周囲が腫れ物を触るような態度で接してくる事。
早紀が発見された場所がジュネスのそばだった事もあり、父親のジュネス嫌いに拍車が掛かった事。
クラスメイト達が、早紀に対してよそよそしい態度を取るようになった事。
これらの事が、早紀の心を重くしている原因になっているのだという。
「皆、私の事を気遣ってくれているの解るのだけどね……」
そう言って、早紀は疲れた笑みを見せる。
見舞いに来てくれた時も、退院して復学した時も、変わらぬ態度で接してくれていたのは鏡と陽介だけだと早紀は語る。
「花ちゃんは鏡ちゃんと違って、少しだけ今の私に対して戸惑った様子は見せているけれどね」
そう話す早紀は、それでも他の人達よりは気疲れをしないけどねと、小さく笑う。
きっと、早紀に近しい人ほど接し方が解らないのだろう。
鏡のように初対面に近かった者ほど、記憶を無くす前と今の早紀への違和感が無いのだろう。
そう話す鏡に、早紀は『そうかも知れないね』と同意する。
「でもね、正直に話すと気遣われ続けると息が詰まっちゃう……」
そう話す早紀はどこか悲しげだ。
そんな早紀に鏡は、自分で良ければ話し相手くらいにはなりますよと話す。
「嬉しい事を言ってくれるね。でも、鏡ちゃんが男の子だったら、口説き文句に聞こえるよ?」
その言葉に鏡が一瞬、呆気に取られた表情になる。
意外な鏡の反応に、早紀は小さく笑うと『鏡ちゃんでも、そういう表情をするんだ』と、思った事を話す。
自分よりも年下な筈なのに、落ち着いた雰囲気で頼りがいがある不思議な少女。
男の子だったら、さぞかし女子から人気が出ていたのでは無いだろうか?
そんな“もしも”な事を考える早紀は、鏡が来る前より楽しそうな表情を見せている。
早紀は鏡からの申し出に、お互いの携帯電話の番号とメールアドレスを交換する。
そう言えば、自分の携帯電話のアドレスに、彼の連絡先が登録されている事を思い出す。
彼はジュネス店長の息子で、実質的なバイトリーダーの立場にいるらしい。
一番最後に見舞いに来た、仲の良い二人組の友達が話していた事を思い出す。
彼女達の話しぶりでは、彼の事を良く思っていない事が伺えた。
鏡と一緒に見舞いに来た彼の姿と、彼女達の話す彼との姿には違和感がある。
印象は人によって違うので、彼女達にはそういう風に彼の姿が映っているのだろう。
「それじゃ、何かあったら連絡してくださいね」
そう話す鏡に早紀は笑みを浮かべて、今晩にでもメールを出すねと話す。
我は汝……、汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり
汝、“刑死者”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
鏡の脳裏にいつもの声が響く。
それと共に自身の心を暖かい力が満たしていく感覚。
「鏡ちゃん、そろそろ戻らなくても大丈夫? 引き留めた私がいうのも何だけど」
早紀の言葉に時計を確認すると、そろそろ戻らなくてはならない時間だった。
鏡は早紀に別れを告げると、足早に帰宅する。
その姿を見送った早紀も、遅くならないうちに自分も帰宅するべく河川敷を後にする。
帰宅した鏡は菜々子と一緒に、野菜サラダのパスタを作る。
前日に購入した豚肉を冷しゃぶ風にしてパスタの具のすると、茹でて氷水で冷やして水を切ったパスタと一緒に野菜に混ぜる。
ソースは、醤油に大根おろしを混ぜた和風のサッパリしたモノを掛ける。
遼太郎の分には疲労回復を兼ねて梅肉の磨り潰したモノも混ぜている。
いつものように、菜々子とお風呂に入り寝かし付けた鏡は、資料整理をしている遼太郎に挨拶してから自室へと戻る。
夜の天気予報で、今夜半から朝にかけて霧が出ると言っていたので、マヨナカテレビを確認することにする。
確認したマヨナカテレビには、りせを無事に救出できたので誰も映る事は無かった。
その事に安堵した鏡は、早紀から届いたメールに返信を返すと布団に入り就寝する。
犯人の手掛かりは未だ掴めないが、被害者を出す事を阻止できただけでも良しとしておくべきか。
そんな事を考えながら鏡は眠りにつく。
翌朝になって、その思いが裏切られる事になるとは思いもせずに……
携帯電話の着信音に起こされた鏡は、ディスプレイに表示されている名前を確認する。
千枝からの電話のようで、鏡は通話状態にして電話に出る。
電話の向こう側の千枝はかなり取り乱していて、その様子に鏡が眉をひそめる。
『商店街のはずれで、し、死体が見つかったって!』
落ち着くように宥めた鏡に、千枝がそれどころじゃないと驚くべき内容を伝えてきた。
その内容に鏡は衝撃を受ける。
りせは無事に救出したはずだ。
その後、りせが再び攫われたといった話も聞いていない。
千枝はジュネスで待っているから、急いで来るようにと鏡に伝えると通話を終える。
鏡も急いで服を着替えると、菜々子に出掛ける事を伝えてから急いでジュネスへと向かう。
ジュネスのフードコートに鏡が到着すると、先に来ていた千枝が鏡に気付いて声を掛けてくる。
千枝の他には雪子と完二が先に到着していて、陽介は現場を見に行っているとの事だ。
少しすると、慌てた様子で陽介が走り寄ってくる。
「……やっぱ、殺人だ。死体、アパートの屋上の手摺りに、逆さにぶら下がってたって……」
走ってきたため、息が上がった状態で陽介が皆に状況を報告する。
その言葉に雪子が気落ちして項垂れる。
「それよか、大変なんだよ!!」
そう言って、陽介はさらに衝撃的な事を鏡達に伝える。
被害者は鏡達の担任である諸岡だと、陽介は話す。
その言葉に動揺する千枝に、陽介はクラスメイトに見たやつが居て、間違いないと話す。
「んだよコレ……狙われんのは、テレビ出た奴じゃねえのかよ」
そう言って、完二は諸岡がマヨナカテレビにも普通のテレビにも出ていなかったと話す。
完二の言葉に、千枝が色々と解ったような気がしただけで、全部ただの偶然だったのでは無いかと気落ちした様子を見せる。
雪子も本当はマヨナカテレビも関係が無いのかもと動揺した様子で話す。
「やっぱり……警察も捕まえらんない犯人を俺らで、なんて……無理だったのか?」
「……まだ諦めるのは早いよ」
陽介の言葉に、鏡が考える素振りを見せながらそう話す。
「姐さんの言うとおりだぜ! そもそも、警察にゃ無理だろうって始めたんじゃねえスか」
そう言って、完二が自分達がココで諦めたら犯人が野放しになり捕まえる事が完全に不可能になると告げる。
「取り敢えず、事が事だけにクマに“向こう側”に誰か居なかったか聞かないとな」
暫く一人にしておいて欲しいとクマは言っていたが、状況を確認する為には向こう側に行くしかない。
鏡達は陽介の言葉に頷くと、家電売り場へと移動する。
「あれ、店員さんがいる」
千枝の言うとおり、珍しく家電売り場に男女の店員が居て、何やら話し込んでいる。
不思議に思った陽介が店員に事情を聞くために話し掛ける事にした。
「おつかれっす。何かあったんスか?」
陽介に店員達は困惑した様子で、売り場に“妙な着ぐるみ”が居るのだが、店長から何か聞いていないかと陽介に訊ねる。
名前を聞いてみたところ“熊田”と答えていたと女性の店員が陽介に告げる。
陽介は自分の方で確認するからと店員達に告げると、店員達は陽介に後を任せて持ち場へと戻る。
「熊田……?」
訝しげる陽介が考え込んでいると、何気なく視線を移動させた千枝が驚きの声を上げる。
千枝の指さす方向に鏡達も視線を向けると、マッサージチェアに腰掛けて楽しんでいるクマの姿があった。
「おおーう。なかなか、ツボにクるクマねー」
すっかりリラックスした様子で、クマがマッサージを堪能している。
「お、おまっ……何でココに……」
驚いた陽介がクマに問いつめると、こちら側に興味が出たので出てきたとクマは暢気に話す。
元々、出ることは可能だったのだが、出るという発想が無かっただけなのだとか。
ただ、出てきたのはいいが行くあてが在るわけでもなく、戻るのも勿体ないので皆の事を待っていたそうだ。
「あ、さっきお名前訊かれたから、“クマだ”って言っといたクマよ」
「それで、“熊田”なのね……」
クマの言葉に、千枝が呆れた様子で呟く。
「そうだ、訊きたい事あるの!」
クマの雰囲気に呆気に取られていた雪子が、向こう側に誰か入ってなかったかクマに訊ねる。
雪子の質問にクマは霧が晴れるまで向こう側に居たが、誰も来なかったと雪子に答える。
その答えに陽介が改めて確認するが、向こうに誰も居なくて寂しくなったからこっちに来たとクマが不機嫌になる。
それでも信じず訊ねる陽介に、クマは最近の自分は落ち目なので信じてくれなくても良いと拗ねてみせる。
そんなクマに鏡は信じていると告げると、クマは手の平を返したかのように機嫌を直す。
クマの言うとおり、マヨナカテレビには誰も映らなかったのだから、向こう側に諸岡は入ってはいないのだろう。
そんな鏡達に、どこかに連れて行って欲しいとクマが話す。
呆れた完二が例えば何処に行きたいんだと訊ねると、クマは眼鏡を取り出してりせに渡して欲しいと鏡に手渡す。
クマが言うには、これからはりせがクマ達をバックアップしてくれるので、自身は皆と一緒に前線で戦うと告げる。
「戦ってよし、守ってよし、笑顔もよしの“クマ・スペック2”! 参上クマ! 今ここに、新たなクマ伝説が幕を開けるのだー!!」
「伝説……おおー」
クマの伝説発言に雪子が感動した様子を見せる。
我は汝……、汝は我……
汝、絆の力を深めたり……
絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり
汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん
鏡の脳裏に響く声。
それと共に鏡の心を暖かな力が満たしていく。
気が付くと、いつの間にか周りを小さな子供や女性客が取り囲んでいる。
「やばい、人目引いてる……クマお前、のびのび騒ぎ過ぎなんだよ! と、とにかく、移動だ!」
そう言って、陽介はクマを連れてフードコートへと移動する。
フードコートのいつもの場所でもう一度クマに“向こう側”に誰も来なかった事を確認する。
陽介の確認に誰も来ていないと、改めてクマが答える。
マヨナカテレビに映らず、クマも誰も来ていないと話す。
その事から、諸岡はそもそもテレビには入れられていない事だけは確かなようだ。
「なら、こっちで殺されたって事? 何で犯人、モロキンだけテレビに入れなかったんだろ?」
釈然としない様子で、千枝が疑問を述べる。
「テレビに入れるという発想が、元々無かっただけかも知れないね」
「それって、テレビに入れても殺せないって思ったから?」
鏡の答えに、自分達が続けて三人も助け出したから、宗旨替えをしたのではないかと雪子が考えを述べる。
雪子の言葉に、千枝と完二が可能性としてありえると同意を示す。
「そうじゃなくて、“模倣犯”の可能性を私は考えているの」
「姉御、そりゃどういう事だ?」
鏡の言葉に、陽介が驚いた様子見せる。
まだ推測の域を出ていないがと断ると、鏡は今回の事件にコレまでとは違和感がある事を挙げる。
山野真由美は別にして、以降の被害者は狙われる事に関する共通点がテレビで報道されただけである点。
その事を前提にして考えると、今回の事件には明確な殺意を感じると鏡は陽介達に話す。
「つまり、これまでは話題に上がった人物を狙ったが、今回は明らかに、モロキンだけを狙った犯行だと姉御は言いたいのか?」
陽介の言葉に鏡が『確証はまだ無いけれど』と答える。
「手掛かり要るよね……りせちゃん、そろそろ話が聞けないかな?」
「そうだな……それに期待するしかねーや」
千枝の言葉に、陽介がこれからりせに会いに行って話を聞くしかないと話す。
「ハァ~、それにしても暑っクマー……取ろ」
それまで大人しくしていたクマが、炎天下の日差しの中で暑さに耐えかねてそう呟く。
クマの言葉に陽介は慌ててクマの頭を抑え付ける。
子供達も見ている中で、中身のない着ぐるみの姿を見せればトラウマを残しかねない。
そんな陽介に、クマは逆ナンするために中身のあるクマになったと自慢気に話す。
確かに、中身が無かったら暑さを感じる事は無いはずだ。
訝しげにクマを見る鏡達の目の前で、暑さに耐えきれなくなったクマが限界だと言って首元のファスナーを開ける。
中から出てきたのは金髪碧眼の美少年で、唖然とする鏡達の目の前でクマが缶ジュースを美味しそうに飲み干す。
喉を潤したクマが、千枝と雪子に何か着る物を持っていないかと訊ねてきた。
何でも生まれたままの姿なのだとか。
クマの言葉に、顔を赤くした千枝が慌ててクマの着る物を買いに行こうと、雪子と店内に移動しようとする。
「千枝、ちょっと待って」
鏡は千枝を呼び止めると、向こう側での活動資金から数枚のお札を取り出して千枝に手渡す。
これで上限を決めて、クマの着る物を購入するように指示を出す。
品揃えは豊富だが、それに比例して値段も色々なので上限を決めておかないと、予算が足りなくなる可能性が高い。
鏡の指示に千枝と雪子は頷くと、改めてクマの着る物を買いに店内へと移動する。
「アイツが……クマ? 空っぽじゃなくなったって……中に“ニンゲン”生えてきたってのか?」
「どんだけ、あり得ない生きモンだよ……」
フードコートから出て行ったクマを見送った完二と陽介が、それぞれ唖然とした様子でそれぞれの感想を述べる。
とはいえ、“向こう側”というあり得ない世界の住人であるクマを、こちら側の常識で判断するのが間違いなのかも知れない。
それに、こちら側で出歩くのなら、着ぐるみの姿よりも人目に付かなくて済むという利点もある。
取り敢えず、クマの衣類は千枝達に任せるとして、鏡達は先に商店街へと向かう。
千枝達を待つ間、四六商店で氷菓子を購入した陽介と完二は美味しそうに食べながら千枝達が来るのを待つ。
鏡は二人とは違い、飲み物で喉を潤している。
「ごめん、遅くなった……」
そう言って合流してきた千枝は、雪子と共に何処か疲れた様子だ
そんな二人の後ろから、胸元の開いたドレスシャツを着た美少年が現れた。
胸には造花だが深紅の薔薇を差しており、その様子は王子様と言っても過言ではない。
「のぁ……! ク……クマか、お前?」
「イッエース、ザッツライト。イカガデスカ?」
唖然とした表情で美少年に訊ねる陽介に、美少年=クマが爽やかな笑顔を浮かべて答える。
その様子に、鏡は見違えたと思ったことを述べる。
「あたしもビックリだけどさー。間違いなくあのクマ君だから」
千枝が言うには、見た目は美少年だが中身は着ぐるみの時のクマのままらしい。
見る物全部が新鮮なため、大騒ぎで大変だったと千枝は話す。
そう話す千枝の言葉に項垂れるクマを雪子が慰める。
「まったく……大人しくしてりゃ、見た目は可愛いのに」
雪子に慰められた途端、元気になったクマに千枝が呆れた様子で感想を述べる。
千枝の言う通り、黙っていたらその見た目で女性から注目されるだろう。
しかし、中身が着ぐるみの時のままだと、見た目とのギャップに引かれる可能性が高そうだ。
クマを丸久豆腐店に連れて行くと、話が拗れそうだと思った陽介は、財布から千円札を取り出すと完二に手渡す。
「完二、これで好きなだけアイス買って、クマと分けろ。俺達、ちょっと豆腐屋行って来るから。ここで大人しくしてろよ」
突然の事に完二が貰うわけにはいかないと抗議する。
そんな完二に、陽介はリニューアルしたクマの歓迎だからと笑って話す。
その代わり、騒ぎを起こさないようにクマの様子をちゃんと見るように完二に言い含める。
「お~、どーしたの花村、急に“先輩”じゃん」
「アホ、豆腐屋にクマの奴を連れて行ったら騒がしくなるだけだろうが」
千枝が陽介をからかうも、そう言って千枝の言葉をバッサリ切り捨てる。
陽介の言葉にクマが落ち込むが、完二の『ホームランバー食いに行くぞ』の一言で立ち直る。
嬉しそうに完二に突いていくクマを見送ると、鏡達はりせに会いに丸久豆腐店へと向かう。
「おや……やっぱり来ましたね」
そう言って、丸久豆腐店に到着した鏡達に声を掛けてきたのは以前、鏡に話を聞きに来た直斗だった。
「白鐘君、お久しぶり」
久しぶりに会った直斗に、鏡が笑顔で話し掛ける。
鏡から話には聞いていたが初めて見る直斗の姿に、陽介達は驚きを隠せない。
「この間はありがとうございました。今度は、久慈川りせを懐柔ですか?」
「懐柔って……?」
直斗の発言に千枝が呆然と呟く。
「白鐘君、職業柄なのは仕方がないと思うけれど、友達に会いに来ることを“懐柔”とは言わないと思うよ?」
「そのようですね。失礼、後ろの方々は初対面でしたね。僕は白鐘直斗。例の殺人事件について調べています」
鏡の言葉に直斗は冷静に初対面の陽介達に自己紹介を済ませる。
直斗は鏡の方へと視線を戻すと、意見を聞かせてくださいと願い出る。
「被害者の諸岡金四郎さん……皆さんの通う学校の先生ですよね」
「うん。付け加えるなら、私達の担任だった人だよ」
直斗の確認に鏡が情報を付け加える。
その言葉に直斗は表情を僅かに曇らせるが、質問を続ける。
誘拐された小西早紀と同じ学校の人間であるが、重要な点はそこではなく、もっと重要な点がおかしいと直斗は語る。
「この人……“テレビ報道された人”じゃないんです。どういう事でしょうね?」
続く直斗の言葉に陽介達は驚く。
以前、鏡が語っていたように目の前の人物は、限られた情報だけで真実の近くまで辿り着いている。
その事に驚きを隠せない陽介達とは違い、鏡は冷静に直斗に答えを返す。
「白鐘君も、“その可能性”を考慮に入れているんでしょう?」
「……やはり貴女は、油断のならない人ですね」
鏡の主語のない答えに、直斗は感心した様子を見せる。
以前に鏡と話したときに感じた思いは、間違いでは無かった。
それが確認できただけでも、直斗にとっては大きな収穫だった。
「僕は事件を一刻も早く解決したい。皆さんの事、注目していますよ。それじゃ、いずれまた」
そう言って、立ち去ろうとする直斗を鏡が呼び止める。
訝しげに鏡を見る直斗に、『また今度、機会があったらご飯を食べに来て』と、鏡は誘いの言葉を掛ける。
その言葉に直斗は一瞬、呆気に取られた表情を見せるが、すぐに気を取り直し『機会があれば是非に』と、申し出を受ける。
約束を取り付けてその場を去った直斗を見送った鏡に、陽介が理由を訊ねる。
陽介の疑問に、鏡はりせの件で自分達ではどうにも出来ない事があると告げる。
「私達だと叔父さん達には直接言えない事でも、白鐘君を通せば、伝えられる事があるんじゃないかなって思ったの」
鏡の説明に陽介は驚くと共に納得もする。
確かに“ペルソナ”という特別な力を持ってはいても、自分達はそれ以外では無力な学生だ。
警察のように組織だって捜査を行うことも、被害者と思わしき人物を警護することが出来ない。
しかし、直斗が自分達に協力してくれるのであれば、違った方向から事件に対してアプローチが出来るかも知れない。
「なるほどな。あの白鐘って奴が万が一の保険になるかも知れないと、姉御は考えているんだな?」
「どのみち、私達の事を疑っているのだから、味方に着いてもらう方が良いでしょう?」
陽介の言葉に鏡がそう答える。
鏡の強かな言葉に感心半分、呆れ半分でいると背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「あ……いらっしゃい。先輩、この間はお見舞いに来てくれたのに、会えなくてごめんね」
「いいのよ。それよりも、身体の方はもう大丈夫?」
「うん、もうすっかり。そうだ……今、少し時間いい?」
体調を気遣う鏡にりせは回復した事を告げると、そう言って鏡達に話したい事があるからと、辰姫神社へと移動する。
辰姫神社へと移動する道すがら、店で待っていた間の事をりせに確認する。
りせも店で鏡達の帰りを待っていた事は覚えているが、それ以後の記憶が曖昧で気付いたら向こう側に居たとのだと話す。
「さっき、お店の前で白鐘君に会ったのだけど、何度か来ているの?」
「数回、位かな? 事件のこと、色々と訊かれた。でも“向こうの世界”の事は話してない。無駄だと思ったし」
鏡達の事も訊ねられたそうだが、適当にはぐらかしたそうだ。
自分を助けてくれたのは千枝と雪子で、鏡は稲羽に来てすぐに知り合った大切な友人だと。
りせの言うように、向こう側の事を話したところで信じられるような話では無いので仕方がないだろう。
「あの……その……」
言い淀むりせに、千枝がどうしたのか訊ねる。
りせは千枝の質問に、態度を急に明るくして助けてく入れた事にお礼を述べる。
その姿はテレビの中での“りせちー”そのもので、ファンである陽介の琴線に触れたようだ。
「あー、今やっとホンモンって実感した。確かに“りせちー”だ」
陽介の言葉に、りせは最近疲れていて少し暗かった事を挙げ、喋り方が変ではないかと訊ねてくる。
とはいえ、世間的には明るい感じの方がりせの“普通”なのかも知れないと困惑した様子で話す。
演じ続けたせいで、どの辺が“地”の自分なのかが解らなくなってきてるのだとりせは説明する。
りせの説明に、千枝と雪子はその時々で様子は変わるし、人には色々な顔があると気にしない方が良いと話す。
「そうだ、アレ渡さなきゃ。クマ眼鏡。あ、渡さなきゃって言うか、えっと……」
言い淀む千枝の様子に、りせは鏡へ自分の手助けがないと困るか訊ねる。
その言葉に、鏡はりせを危険に巻き込む事になるのが心苦しいと正直に話すが、りせ自身は気にしていないようだ。
「気にしないで、先輩。私を助けてくれた皆を、今度が私が助ける番だから」
そう話すりせに、鏡がクマから預かっていた眼鏡を手渡す。
「それ、一応、仲間の証って言うか……」
陽介の言葉を継いで、鏡が眼鏡の効果をりせに説明する。
鏡の説明にりせは、向こう側の世界で鏡達が眼鏡を掛けていた事を思い出す。
「ありがと、先輩。これで仲間、だよね」
我は汝……、汝は我……
汝、絆の力を深めたり……
絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり
汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん
嬉しそうなりせの言葉に唱和するように、鏡の脳裏にいつもの声が聞こえてくる。
りせは鏡達に、明日から自分も八十神高校に通う事を告げると、まだ友達が居ないから仲良くしてよとお願いする。
「けど、こんな時期に転入って大変だな。事件とか、モロキンとか……」
それにテストもと話して、陽介は自分の発言に落ち込む。
そんな陽介に、怪物相手に死にかけた事に比べたらどうともないと笑ってりせが話す。
言われてみれば確かに命の危険に比べたら、テストはそう大変でないように思えてくる。
「うーす、調子どうスか?」
遅れてやって来た完二に、りせが話が済んだ事を伝える。
そのまま、甘えるように鏡の腕を取るりせに完二が呆れた視線を向ける。
「お前、姐さんの前だと本当に態度が変わるんだな」
「あなたも先輩達と同じハチ校生? 明日から、私もだから、よろしくね」
りせの言葉に、完二が唖然としてりせの学年を訊いてくる。
そんな完二に陽介が自分達の事を先輩と呼ぶのだから、完二と同じ学年だろうと突っ込む。
「そういやクマはどうした、クマは」
完二と一緒にいたはずのクマの姿が見えない事を訊ねる陽介に、完二が向こうで五本目のホームランバーを食べていると告げる。
これからクマはどうするのかと訊ねる完二に、陽介が仕方がないので自分が連れて帰るかと、諦観した様子で話す。
事件は不可解な様相を見せ始め、犯人に繋がる情報は未だに得られない。
けれども、新たな仲間を迎えた事は鏡達にとって心強い事だ。
諦めなければ、きっと答えに辿り着ける。
今はそれを信じて、正しいと思った道を進むだけだ。
2011年06月19日 初投稿
2011年06月22日
●お知らせ
気が付けば投稿数が20話になっていましたので、次回の投稿より『その他版』へと移動しようかと思います。