――――非現実的な事件
一見あり得ない事でも、必ずどこかに答えはある
それを見付け出すのは自分だと信じていた
何も知らない子供だとも気付かずに……
稲羽警察署の一室で、遼太郎と足立が目の前の人物と打ち合わせを行っていた。
その人物は、一見すると警察関係者には見えない小柄な少年で、紺色の帽子に同色のダブルコートを着ている。
先日、巽屋へ完二を訊ねてきた少年だ。
「つまり、小西早紀さんは発見された状況から、犯人が解放したと警察では見ている訳ですね?」
「ああ。不明な点がまだ残ってはいるが、その可能性が一番高いと見ている。白鐘には別の考えがあるのか?」
「可能性の話ですが、第三者が小西早紀さんを助け出したのかも知れません」
「えっ!? 直斗君、第三者って?」
「例えば……小西早紀さんを発見した人物、とか」
少年、“白鐘直斗”の仮説に遼太郎と足立が気まずそうな表情になり、その様子に直斗が訝しげな視線を向ける。
「白鐘。お前にはまだ言ってなかったが、小西早紀の発見者な。そいつは俺の姪なんだよ」
そう言って遼太郎は直斗に、早紀を発見した時点での鏡は稲羽市に来て日も浅く、互いに顔見知り程度だったと説明する。
そのため、誘拐された早紀を助け出す可能性より、逃げ出したか解放された早紀を発見した可能性の方が高いと付け加えた。
「そうですか……出来れば一度、その人と会わせてはもらえませんか? 本人から直接、話を伺いたいので」
直斗の申し出に遼太郎は複雑な心境だ。鏡は稲羽市に来てまだ一月ちょっとで、事件の捜査などの厄介事には巻き込みたくはない。
しかし、鏡からの証言で直斗が違った視点で推論を立てる事が出来るかも知れない。
鏡が小西早紀を救出したかも知れないと、先ほど直斗が言ったように。
「……解った。鏡には俺から話をしておく。都合の良い日を聞いたら連絡するが、白鐘の方の都合は?」
「僕の方は問題はありません。姪御さんを危険に巻き込みたくない所、無理を言って申し訳ありません」
そう言って、直斗が遼太郎に頭を下げる。先ほどの遼太郎の間から、心中を察したのだろう。
直斗の気遣いに遼太郎は苦笑いを浮かべると、携帯電話を操作して鏡へとメールを送信する。
鏡達はクマから情報を得るためにジュネスへとやってきた。
相変わらず人が居ないテレビ売り場から向こう側の世界へと移動する。
「おいクマ、こっちに誰か入ったろ?」
陽介がクマに声を掛けると、クマは元気の無さそうな声で居るみたいと認める。
不確かなクマの発言に千枝が場所を聞いてみるが、居場所が分からないという。
「クマさん、何か悩み事でもあるの?」
雪子の問い掛けに、クマは最近になって自分が何者で、この世界にいつから居るのかが気になっていると答える。
元々、この世界の住人でない鏡達にはその悩みに答える事は出来ない。
陽介はどうせ着ぐるみで中身が無いのだろうから、考えるだけ無駄だといってわざと怒らせようとするも、クマはそれにあっさり同意する。
「なんか……けっこう深刻?」
その様子に千枝が困った表情を見せる。
この世界は、どこまでの広さがあるのかが分からないため、闇雲に歩き回る訳にはいかない。
唯一、この世界の住人であるクマが分からないとどうにもならないのだ。
陽介がその事をクマに話すと、完二に関するヒントがあれば何とかなるかも知れないとクマが返す。
「具体的には?」
「カンジクンの“人柄”を感じるような、なんかそういうヒントが欲しいクマよ……」
「私達が知っている事と言えば、ガラの悪いところもあるけれど、母親思いな良い子だって事くらいよね……」
「センセイ、他にはないクマか?」
これだけでは情報としてはまだ足りないらしく、クマが他にも知っている事がないか訊ねてくる。
それに対して、雪子が完二の事を知っている人物に訊いてみれば良いのではないかと提案する。
鏡達は完二の情報を集めるために一度、元の世界へと戻る。
「それじゃ、手分けして完二の情報を集めよう」
陽介の言葉に頷くと、鏡達はそれぞれ完二についての情報集めへと繰り出す。
ジュネスを出て、まずはどこから調べようかと鏡が考えていると、携帯電話にメールの着信を示す電子音が鳴る。
携帯電話を取り出し差出人を確認すると、それは遼太郎からのメールだった。
内容を確認すると、早紀を見付けた時の状況を聞きたい人物がいるので、都合が良いときに会ってくれないかといった主旨のメールだ。
鏡は携帯電話を操作して、明日の放課後なら大丈夫だと遼太郎に返信する。
今でも早紀は記憶が戻らず、犯人に着いての手掛かりが得られていない。
とはいえ、日常生活を過ごす分にはそれほどの支障が出ていないため、先月の下旬辺りから登校してきている。
何度か陽介に付き添い見舞いに行っていたので、最近ではそれなりに話す間柄になり、早紀からは『鏡ちゃん』と呼ばれている。
どんな人物が話を聞きたいと言ってきたのか気にはなるが、今は完二の情報を集めなければならない。
鏡は気持ちを切り替えると、まずは完二の母親に話を聞こうと巽屋へと向かう。
「あら、いらっしゃい」
鏡が巽屋に到着すると、店の前に佇んでいた完二の母親が鏡に声を掛けてきた。
完二の母親に挨拶を返した鏡は雪子から聞いたと前置きをして、完二からその後、連絡が入るなり帰宅するなりしたかを訊ねる。
「まったく、どこに遊びに行ってるのかしら。いつもそう。……そう言えば、あなた達以外にも、小柄な男の子が完二の事を聞きに来たのよね」
先日、鏡達が訪ねてくる少し前に小柄な少年が完二に会いに来ていたそうだ。
完二が帰宅する前だったらしく、少年は少し話をしてから帰ったらしい。
念のため、鏡はその少年の特徴を聞くと巽屋を後にする。
先ほど聞いた少年が何かを知っている可能性があるので、鏡は携帯電話を取り出すと陽介達にメールでその事を伝える。
メールには、少年の特徴と完二について調べていたようなので、犯人に繋がっている可能性があること。
接触した際はやりとりに気をつけるように注意を促す。
メールを送信して暫くすると、陽介達から了承の返信が返ってくる。
それらを確認した鏡は、引き続き完二についての情報を集めに戻る。
その後、完二についての話を聞いて回ってみたところ、この間の報道の影響か、完二に対する人々の印象はほとんど同じだった。
どれも昔は優しく可愛かったのに、今では不良になってしまい、母親が可愛そうだと。
ただ一人、丸久豆腐店のシズだけが完二の行動の理由を知っていたらしく、見た目で誤解されて不憫だと嘆いていた。
日も沈み始め、これ以上は情報を集め続ける事が出来なくなったので、鏡達は今日の所は引き上げる事にする。
その際、鏡は遼太郎からの用件を話し、明日は情報集めに参加が出来ない事を陽介達に伝える。
「なあ、姉御。大丈夫なのか?」
鏡の話を聞いた陽介が、警察が鏡を疑っているのではないかと心配する。
陽介の心配に、鏡はメールの内容から当時の状況を知らない人物が話を聞きたいようだから大丈夫だと、安心させるように話す。
「それに、向こう側の事は話せないのだから、以前にした説明をするだけよ」
「それもそうか。“テレビの中の世界”なんて言われても信じられないだろうからな」
鏡の言葉に陽介が頷く。何かあったらメールで連絡するからと、今日の所はそれぞれ帰宅する事となった。
翌日の放課後。
鏡は早めに帰宅して、菜々子と共に四人分の晩ご飯を作る。
当初は稲羽署に出向く事になると思っていたのだが、遼太郎が気を配ってくれたのか、堂島家に連れてくるとの事だ。
今日の献立はトマトクリームのパスタにチキンの香草焼き、野菜サラダとコンソメスープだ。
特注の調理器具のおかげもあり、今ではちょっとした手の込んだ調理位なら、菜々子にも手伝う事が出来るようになっている。
鏡が稲羽に来てから、ほぼ毎日のように手伝っていた結果だ。
「ただいま」
晩ご飯の支度が済むのと同じ頃に、遼太郎が帰宅する。
鏡の予想とは違い、遼太郎が連れてきたのは帽子を被った小柄な少年だった。
(……この子、ひょっとして)
「鏡、コイツがお前に話を聞きたいと言っていた“白鐘直斗”だ」
「初めまして、堂島さん達に協力している白鐘直斗です」
直斗の自己紹介に、鏡も簡単に自己紹介を済ませる。
「取り敢えず、料理が冷める前に食べませんか?」
せっかく作った料理が冷めては勿体ないからと、鏡の言葉に遼太郎達は頷き洗面所へと手を洗いに向かう。
「この料理は、神楽さんがお一人で?」
「いいえ。菜々子ちゃんにも手伝ってもらって二人で作ってます」
「そうですか。菜々子ちゃんは料理が上手なんだね」
直斗の賞賛に、菜々子は照れながらも嬉しそうだ。
料理を食べ終え、食器を菜々子と一緒に片付けた鏡は、直斗を伴い自室へと移動する。
幼い菜々子に事件の話を聞かせる訳にはいかないからだ。
「お邪魔します」
鏡の自室へと招かれた直斗がそう言って室内に入る。
直斗に適当に座るように促し、自身は直斗の向かい側に座る。
下から持ってきたお茶を淹れて互いの前に置き、鏡は直斗に何を聞きたいのかを訊ねる。
直斗からの質問は、遼太郎に話した内容よりも細かい所までに及んだ。
早紀を発見した当時、不信な車両もしくは人物は居なかったか?
発見した時の早紀の様子に、何か異常は感じられなかったか?
鏡は直斗の質問に答えながら、自身へと向けられる視線に対して、感じた事を直斗に問い掛ける。
「白鐘君。私に対して探るような視線を向けていると言う事は、私の事を疑っていると認識して良いのかな?」
鏡の言葉に直斗の表情が僅かに変わる。
「気を付けていたつもりなのですが……どうして、そう思われたのですか?」
「こんな容姿をしているからね。他人から色々な視線を向けられていた、と言ったら解ってもらえるかな?」
言外に肯定した直斗の質問に鏡が答える。
その答えから、直斗は鏡がこれまでにどのような経験をしていたのかを察して、鏡に謝罪する。
その上で、探偵という職業柄、こうして一つずつ可能性を潰していく事が真実へと至る道なのだと鏡に説明する。
「とはいえ、貴女に不快な思いをさせた事への言い訳にはなりませんね。本当に済みませんでした」
直斗の謝罪に鏡は気にしていないと告げ、発見者である自分を疑うのも仕方がない事だと理解を示す。
鏡の言葉に直斗は当初、早紀を見付けた人物は男性だと思っていた事を白状する。
「神楽さんが特殊な技能でも持ってない限り、誘拐をするような犯人から、小西早紀さんを助け出す事は不可能ですからね」
(凄い子ね、推論だけで核心の一歩手前まで来ている……)
直斗の勘の良さに感心しながらも、鏡はそれを表情に出さないで直斗の言葉に同意する。
鏡から聞きたい事を全て聞き終えた直斗に、今度は鏡が気になっていた事を訊ねる。
「白鐘君、私からも一つ聞きたい事があるのだけれど、良いかな?」
「何でしょうか?」
「巽完二って男の子を知っている?」
鏡の質問に、直斗が僅かばかりの驚きを見せる。
その様子から、鏡は直斗が完二に会いに来た人物である事を確信する。
「二日ほど前に会いましたが、彼がどうかしたのですか?」
直斗の質問に、鏡は完二が現在行方不明であり、完二と交わした約束があるため突然、居なくなる事は考えられない事。
最後に会ったと思われる人物が直斗で、何か気付いた事があるのではないかと思った事を話す。
「貴女は何故、そこまで彼の事を気に掛けるのですか?」
「母親思いの後輩を心配する事って、そんなにおかしな事かな? それに、私には彼と交わした約束がある」
鏡の言葉に納得した直斗は、自身が完二と会った時の様子を話す。
最近の事を聞いたら何か様子が変だったので、感じたまま“変な人”だねと言ったら、直斗が驚くほど顔色を変えた事。
それを踏まえると、普段の振る舞いも少し不自然に感じたそうだ。
確証はないが、何か“コンプレックスを抱えている”のかも知れないと、直斗はそう言葉を締める。
直斗からの証言で、クマが必要としているヒントが揃ったかも知れない。
時計を見ると、かなり遅い時間なので、直斗はそろそろお暇すると鏡に話す。
居間に降りてきた二人に、遼太郎がもう話は良いのかと確認を取る。
「ええ、知りたい事は聞けましたので、僕はそろそろお暇する事にします」
「そうか、もう遅いから俺が送っていこう。鏡、戸締まりと菜々子の事を頼む」
直斗の言葉に遼太郎はそう答えると、鏡に後の事を任せて直斗を車で送るために出掛けていった。
戸締まりをした鏡は、眠そうにしている菜々子をお風呂に入れると寝かし付ける。
今日は直斗と話していたため、菜々子と話す時間が少なくなってしまったが、菜々子に夜更かしをさせる訳にはいかない。
残念そうにしている菜々子に鏡は、明日は一緒に眠る事を約束して、自身も明日に備えて早めに休む事にする。
翌日、クマへと報告する前にフードコートに集まった鏡達の傍らに、居るはずのない生き物が居た。
その生き物は辰姫神社で知り合った狐で、鏡の傍らに当然といった様子でちょこんと座っている。
「わっ、なんか居る! き、狐!? いつの間に……」
「おわっ、こいつ……一体どっから入ったんだ!?」
「あ、この前掛け……確か、神社で見掛けた事があるような……」
驚く千枝と陽介に雪子がそう話す。
鏡は陽介達に狐と知り合った経緯を話し、自分達の力になってくれるかも知れないと説明する。
「いや、姉御を疑う訳じゃないが、見返りに金を欲しがっているって……?」
呆れ半分、感心半分で話す陽介の言葉を肯定するように、狐が一声鳴いてみせる。
「何だよ、こいつ……まるでこっちの話を分かってるみたいなリアクションだな……」
陽介の言葉に狐はまた一声鳴いてみせると、雪子が自分達の事を本当に分かっているのかもと話す。
よくよく考えたら、警備の人にも気付かれずにココまで着いてきただけでも大したものだ。
「さっきの話だけど、“回復”っていうの、私達ほんとに助かる話かもって思わない?」
雪子の言葉に狐は自信ありげに鳴くと、鏡の方へと視線を向ける。
結局、追い返す訳にも行かないので、鏡達は向こう側の世界に狐を連れて行く事にする。
その決断に満足したのか、狐は嬉しそうに尻尾をパタパタと左右に振っていた。
鏡達に連れられてきた狐の姿に、クマは驚きながら狐を見つめている。
そんなクマに、鏡は直斗から聞いた完二の様子を説明する。
「ふむふむ、母親思いでコンプレックスを抱えている……おっ、なんか居たクマ! 当たりの予感! これか! これですか!?」
どうやら完二の居場所を見付ける事に成功したらしい。鏡達はクマの案内で完二のいる場所へと案内される。
その場所はロッカーがいくつも並んだ脱衣所のような所で、その上かなり蒸し暑い。
今までと違う霧はまるで湯気のようで、その証拠に眼鏡が曇ってしまう。
鏡達が状況に戸惑っていると、どこからともなく怪しげな音楽が鳴り響く。
『僕の可愛い子猫ちゃん……』
『ああ、何て逞しい筋肉なんだ……』
『怖がる事は無いんだよ……さ、力を抜いて……』
怪しげな音楽に乗せて聞こえてくるのは、ダンディな男の声と優男風の声。
その声に陽介は顔を青ざめさせて後ずさる。
「ちょ、ちょっと待て! い、行きたくねぇぞ、俺!」
怯えたように話す陽介から視線をクマへと移すと、雪子が完二が本当にココに居るのかを確認する。
雪子の確認にクマは間違いないと断言する。元々この世界は入った人物の心を元に構築されるのだ。
だとすると、この場所は完二の心が生み出したものと見て間違いは無いだろう。
正直に言うと入りたくはない場所だが、完二を見捨てる訳にはいかないので、鏡達は覚悟を決めて探索へと向かう。
大浴場としか表現できない内部には、『男子専用』と書かれた垂れ幕がいくつも掛けられている。
現れるシャドウも石炭のような姿をしたモノに、太った警察官のような姿をしたモノと、古城の時とは違い手強さも全く違う。
しかし、雪子が探索メンバーに加わった事で疾風、氷結、火炎と鏡以外で三つの属性の攻撃手段が確保できた。
これに元々鏡が持っていた電撃属性を加えると、鏡が補う属性が減った分の負担がかなり軽減されている。
この恩恵もあって、手強いシャドウ達を相手にしているにも関わらず、古城の時よりも探索の効率は上がっているのだ。
『およ、この気配……もしかしてカンジクンか……?』
三階層目を探索している最中に、クマからアナウンスが入る。
どうやら目の前の扉の向こう側に完二本人か、もう一人の完二が居るようだ。
鏡達は不意打ちを受けないように気を配りながら扉の向こう側へと移動する。
扉の向こう側には、ふんどし一枚姿の完二が鏡達に背を向けて立っている。
「やっと見付けた!」
「完二!!」
千枝と陽介の声に気付いた、もう一人の完二が鏡達の方へと振り返ると、頭上からスポットライトが当てられる。
『ウッホッホ、これはこれは。ご注目ありがとうございまぁす!』
スポットライトに照らされたもう一人の完二は、顔を赤らめながら実況を行っている。
『さあ、ついに潜入しちゃった、ボク完二。あ・や・し・い・熱帯天国からお送りしていまぁす』
唖然とする鏡達をよそに、もう一人の完二の実況は続く。
『汗から立ち上る湯気みたいで、ん~、ムネがビンビンしちゃいますねぇ』
そう話すもう一人の完二の頭上に、古城で見たのと同じようなテロップが現れる。
女人禁制!
突☆入!?愛の
汗だく熱帯天国!
テロップが現れると同時に、辺りから歓声が沸き上がる。
その歓声は古城で聞いた時よりも大きい。
「ヤバイ……これはヤバイ。いろんな意味で……」
目の前の状況に、陽介は今にもこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。
「確か雪子ん時も、ノリとしてはこんなだったよね……」
「う、うそ……こんなじゃないよ……」
千枝の言葉に雪子が慌てて否定する。
再び起こる歓声。その様子はまるで……
「番組を見ている、観客の歓声みたいね」
鏡の言葉に、千枝がこの状況が見られているのだとしたら、完二に対して余計な伝説が増えそうだと気の毒そうに話す。
マヨナカテレビを見ている普通の人は鏡達と違い、本人と抑圧されたもう一人の自分の区別が付かない。
そう言った意味では、もう一人の自分が話した事は正しい。同じ存在が二人も居るとは誰も思わないのだから。
『それでは、更なる愛の高みを目指して、もっと奥まで、突・入! はりきって……行くぜコラアァァ!』
最後の一言だけドスを利かせたもう一人の完二が、鏡達に構わず先へと行ってしまう。
目の前の光景に唖然としていた鏡達も気を取り直すと、急いでもう一人の完二の後を追う。
『お……男には……男には、プライドってもんがあるんだよ……へへっ、俺はぜってえ負けねえぞ……』
五階層目に到着すると、弱々しい完二の声が聞こえてきた。
声の様子から完二はまだ無事だと思われるが、あまりゆっくりもしていられない。
しかし、度重なる連戦と蒸し暑さで、鏡達の体力はかなり消耗している。
そのため、鏡達はいちど引き返すと入り口で狐の回復を受ける事にする。
狐の要求する治療費は、鏡達の予想を超えてかなりの高額で、手持ちの大半が無くなってしまう金額だった。
鏡は少し考えると、“サラスヴァティ”の持つ回復スキル【メディア】で全員の体力を全快させてから、改めて狐に回復を頼んでみる。
どうやら、狐の請求する治療費は体力と精神力の消耗具合に比例しているらしく、一万円弱まで値が下がっていた。
鏡達は狐に回復して貰うと、再び探索へと向かう。狐の手助けは探索する上で心強い味方となってくれる。
もっとも、請求される金額が安くないので、そう何度も頼めないのが玉に瑕だ。
『ハイ! そこのナイスなボーイ! キミもボクと同じく更なる高みを目指しているのかい?』
探索を続けていると、どこからともなくもう一人の完二の声が聞こえてくる。
「ナイスなボーイって……お、俺の事か!? 違うぞっ! 俺達は完二を助けに来ただけだぞ!!」
『ヒュー! ボクを求めてるって? そうなのかい? 嬉しいこと言ってくれるじゃない!』
もう一人の完二の質問を否定した陽介の言葉に、もう一人の完二は嬉しそうに話し続ける。
『それじゃあ、とびっきりのモノを用意しなきゃ! 次に会うのが、とても楽しみだ! じゃあ、またね!』
そう言ったきり、もう一人の完二の声は聞こえなくなる。
「なぁ、姉御。俺、もう帰っても良いよな……?」
虚ろな表情を鏡に見せて陽介が話し掛ける。
陽介が逃げ出したいと思う気持ちは理解できるが、ここは陽介には諦めて貰うしかない。
「は、花村が危なくなったら、あたし達が守ってあげるから、頑張ろう?」
「……本当か? 本当に守ってくれるのかっ!? 約束だぞ、絶対だかんな!」
千枝の言葉に、陽介が剣幕を浮かべて詰め寄る。
あまりの様子に千枝が若干引きつった表情になるが、流石に陽介を責める訳にはいかないだろう。
「陽介、辛いだろうけれど私達を信じて。一刻も早く彼を救い出そう」
鏡に諭されて、陽介も何とか平静を取り戻す。
ココでごねていても仕方がない事は陽介にも理解できている。
陽介は得体の知れない恐怖を我慢しつつ、探索へと復帰する。
探索を続ける内に、これまでとは比べものにならない、異常な熱気を漂わせる扉を発見する。
どうやら、この先に何かが待ち構えているようだ。
鏡達は気持ちを引き締めると、扉を開けて先へと進む。
『ようこそ、男の世界へ!』
そこに待ち構えていたのは、もう一人の完二の身長の三倍はあろうかと思われるレスラーのような姿をしたシャドウだ。
そのシャドウの足下でもう一人の完二が実況を続けている。
『突然のナイスボーイの参入で、会場もヒートアーップ! ナイスカミングなボーイとの出会いを祝し、今宵は特別なステージを用意しました!』
「お……おい、まさか……」
『時間無制限一本勝負! 果たして最後に立ってるのはどちらだ? さあ、熱き血潮をぶちまけておくれ!』
陽介の不安は的中し、巨大なシャドウが鏡達へと襲い掛かってくる。
まず始めにシャドウが力を溜め込み、意識を集中する。
「皆! 相手との身長差がありすぎるから、自分で攻撃をする時は一撃離脱を心がけて!」
鏡の指示に全員が頷くと、陽介がまずは補助スキルの【スクカジャ】で自身の運動性を高める。
続いて鏡が二本の剣を持つペルソナ“ラクシャーサ”を召喚して、物理攻撃スキル【キルラッシュ】で複数回の攻撃を仕掛ける。
全ての攻撃が当たっているにも関わらず、シャドウは悠然とその場に立っている。
これまで戦ったシャドウとは段違いの頑健さだ。
「来て! トモエ!!」
それを見た千枝が【タルカジャ】で一番攻撃力のある鏡の火力を底上げする。
「おいで……コノハナサクヤ!」
雪子の召喚したチアリーダーのような姿をした異形“コノハナサクヤ”が放つ【アギラオ】がシャドウの体を焼く。
炎に包まれたシャドウはそのままの状態で、陽介に向かって丸太のような太い腕を振り下ろす。
陽介は、向かってくるシャドウ側へと咄嗟に前転してその攻撃を躱すと、起きあがりざまにシャドウの足を切りつけ、その場から離脱する。
「危ねぇっ! あんなの喰らったら、ひとたまりもないぞ!」
陽介の背筋に冷や汗が流れる。頭上から振り下ろされる丸太のような太い腕が直撃したら、一撃で命を落としかねない。
鏡達はシャドウとの距離に気を配りながら、ペルソナでの攻撃を主軸にシャドウと渡り合う。
どうやら、シャドウは陽介に狙いを定めているらしく、鏡達の事など眼中に無いかのように執拗に陽介を狙い続ける。
陽介はその事実を逆手に取り、自身は回避に専念して鏡達がシャドウの背後から攻撃できるように互いの立ち位置を調整する。
何度か陽介が直撃を受けそうになるも、紙一重で陽介は回避し続ける。
それによって消耗した体力は、雪子が回復して鏡と千枝が全力でシャドウへと攻撃を続ける。
何度攻撃を当てようと怯みもしないシャドウに、心が挫けそうになる。
それでも、負ける訳にはいかないと心を奮い立たせて、鏡達はもてる全ての力を振り絞り、限界までペルソナを使い続ける。
気が遠くなるほどの攻防の末、遂にシャドウを倒す事に成功すると、陽介はその場に座り込んでしまう。
「花村、生きてる?」
「今回はマジ、死ぬかと思った……」
座り込む陽介を気遣った千枝が声を掛けると、陽介は軽く手を振ってそう答える。
一撃でも当たれば、命を落とすかも知れない攻撃に晒され続けていたのだから、無理もないだろう。
雪子が念のために【ディア】で陽介の体力を回復させる。
鏡は、シャドウが先ほどまでいた場所に光るモノを見付けたので、それを確かめるためにその場へと向かう。
光るモノの正体はどうやら鍵のようだ。古めかしいアルミの鍵をポケットに仕舞うと、鏡は陽介達にまだ行けるか確認を取る。
「あたしや雪子はまだ何とかなるけれど、流石に花村は拙くない?」
「俺の方は回復して貰ったらまだ何とかなるが、流石に今の俺達の回復を狐に頼んだら、洒落になんねえ金額を請求されそうだな……」
千枝と陽介の言うように、狐に回復を頼めば探索の続行は可能だと思われるが、費用が足りるかどうかが分からない。
取り敢えず、上の階に上がってから“カエレール”で戻る事にして鏡達は上への階段を捜す。
幸い、この階層は複雑な構造をしておらず、上への階段はすぐに見つけ出す事ができた。
鏡達は上の階へと移動すると、クマと合流して“カエレール”で入り口へと戻る。
入り口で待っていた狐を連れ、鏡達はクマの案内で広場へと戻る。
今回の探索で得たシャドウの素材は後日、だいだら.へと持ち込み新調できる装備が出来れば新調する事にする。
流石に、今回のように一撃で命の危険をもたらす相手が居ると解って、準備を疎かにする訳にはいかない。
明日も引き続き探索をするべきなのかも知れないが、流石に今日の疲労を考えると、それは避けた方が賢明だ。
鏡は、明日は探索はせずにだいだら.に素材を持ち込み、装備を新調してから探索を再開する事に決める。
幸い、暫くは霧が出るような雨続きとなる天気ではないので、準備を万端に整える事が出来そうだ。
鏡の決定に陽介達も異論はなく、体調を万全に整える事に決め、それぞれ帰宅する事にする。
帰宅した鏡はいつものように菜々子と晩ご飯を作り、二人で食べる。
遼太郎は帰りが遅いそうなので戸締まりをして、早めに入浴を済ませると、先日の約束通り菜々子と一緒に眠るため、自室へと向かう。
とはいえ、眠る時間にはまだ早いので、昨日の分を取り戻すかのように、菜々子が鏡に話し掛けてくる。
鏡も菜々子にせがまれるまま、学校であった出来事を話す。
話し疲れた菜々子はいつの間にか眠ってしまい、穏やかな寝息を立てている。
そんな菜々子の様子に鏡は微笑むと、疲れた身体を休めるために自身も眠りにつく。
装備を新調するの大事だが、新たなペルソナを生み出すために、ベルベットルームへ足を運ばなければ。
今後の事を考えながら、鏡の意識は眠りへと落ちるのであった。
2011年05月05日 初投稿
2011年06月04日 誤字修正
2011年06月14日 タグのエラー修正