――――つかの間の平穏
それがいつまでも続けばいいと思う
ささやかな願いは無惨にも踏みにじられ
新たな脅威が忍び寄ってくる……
雪子が復帰して今後の方針も決まり、鏡達は雨の日のテレビに注意しつつ普段通りの生活を続ける。
だいだら.で新しい装備も購入して、雪子の実戦経験も兼ねて装備の仕上がり具合を確認したりと、必要な事もこなしていく。
現実世界での生活とテレビの中での活動。二つの世界での活動にも、そろそろ慣れてきた五月の初め。
「菜々子ちゃん、準備は出来た?」
「うん!」
鏡の問い掛けに菜々子が嬉しそうな声で答える。
ゴールデンウィークに遼太郎が休暇を取れたため、今日は皆で一泊の予定でお出かけをする事となった。
とはいえ、急な事件が入る可能性もある為に稲羽市から離れる訳にもいかないので、鮫川上流で川遊びだ。
この話を陽介達にも伝えたところ、その日は皆の都合が空いていたので陽介達とは現地集合での待ち合わせとなっている。
「お前達、忘れ物は無いな?」
先に外で準備を済ませていた遼太郎が二人に確認を取る。
遼太郎の確認に二人はそれぞれ大丈夫と答え、車に乗り込む。
「二人とも、シートベルトはしたな? それじゃ、出発するぞ」
鏡達がシートベルトをした事を確認して遼太郎は車を発車させる。
バックミラー越しに遼太郎が後ろの様子を見ると、菜々子が満面の笑みを浮かべて鏡と楽しそうに話している。
仕事が忙しいために、菜々子に寂しい思いを度々させていただけに、明るい表情を見られて遼太郎も内心では嬉しい。
先日も今日のために鏡と一緒になってお弁当を作っていたのだが、その姿に感慨深いものを感じた。
もっとも、今日の昼は皆でバーベキューの予定なので、おにぎりや卵焼きといった簡単なものだ。
それでも菜々子がフライパンで卵焼きを作る姿は見ていて微笑ましいし、嬉しく思う。
見慣れない調理器具が幾つかあったが、何でも菜々子用に鏡が伝手を頼りに特注したらしい。
その分の費用を出すと遼太郎は鏡に言ったのだが、作った職人が『良い物を作らせてもらった』と費用は不要だと言ったらしい。
どう見ても手の込んだ一品物なのだが、職人の拘りという物なのだろう。
気は引けるが、そう言われてしまっては無理に費用を渡すという訳にもいかない。
遼太郎は職人に宜しく言っておいてくれと鏡に頼むに留める事にした。
「よっ、姉御。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
遼太郎達が到着して暫くすると、陽介達も連れだってやってきた。
「鏡、誘ってくれてアリガトね!」
「堂島さん、その節はお世話になりました」
遼太郎と菜々子、それぞれが初対面の相手に自己紹介をすませる。
陽介と千枝は遼太郎と、雪子は菜々子とだ。鏡のクラスメイトである陽介達に、遼太郎と菜々子も気さくに応じている。
「さてと、久々だからあまり期待はするなよ?」
そう言って、遼太郎が用意した釣り竿を手に渓流釣りへと向かう。
釣りは初経験だという陽介も、遼太郎と共に挑戦してみる事となり一緒に向かう。
鏡達はその間、バーベキューの準備に取り掛かるのだが、ここで一つの問題が発覚した。
千枝と雪子は料理が苦手で経験もあまりないそうだ。
そのため、鏡は二人に遼太郎達が釣り上げてくる予定の魚を焼くため、枯れ枝集めや大きめな石を集めてくるように指示を出す。
鏡は菜々子と共にグリルの準備や、焼き串に食材を通す作業を行う。
「釣りってハマると結構、楽しいんだな」
「久々だったが、これだけあれば食べる分には足りるだろう」
あらかたの準備が終わる頃になって遼太郎達が釣りから戻ってきた。
釣れたのは“源氏鮎”と“コハクヤマメ”に“稲羽マス”で、源氏鮎が八尾、コハクヤマメと稲羽マスがそれぞれ三尾だ。
遼太郎達が釣り上げてきた魚の内、鏡が手際よく源氏鮎を省いた分の魚から内臓を抜き取る。
「お魚さん、かわいそう……」
「菜々子ちゃん、私達はこうやって沢山の命を貰って生きているの。だから、好き嫌いせずに食べてあげないとね」
表情を曇らせる菜々子を鏡が諭す。鏡の言葉に菜々子は何かを感じ取ったのか、神妙な表情で頷いた。
普段スーパーなどで目にするのはすでに処理がされた食材だ。
そのため、こういった機会は菜々子にはまだ早いかも知れないが、大切な事を学んでくれたらと鏡は思う。
「そうだな。食事の前に『いただきます』と言うのは食材などに対する感謝の言葉でもあるからな」
そう話しながら遼太郎が菜々子の頭を撫でる。
菜々子はくすぐったそうなしているが、表情は嬉しそうだ。
『いただきます』
食事の準備も整い、順番に焼けていく食材を前に皆で唱和してから焼けている物から順次食べていく。
魚の方は、まだ少し焼き上がるのに時間が掛かるので、取り敢えずはバーベキューの方からだ。
「この肉、うんめぇ~!」
「千枝、そんなにがっつかないで。恥ずかしい」
肉が好きだと公言して憚らない千枝が喜色満面の表情で肉ばかりを食べている。
そんな千枝の様子に、雪子が恥ずかしそうにしながら千枝を窘める。
「そうだぜ、里中。野菜もちゃんと食っとけよ」
「ウッサイ、花村! 言われなくてもちゃんと食べるよ」
からかうように話す陽介に、千枝が噛みつかんばかりの勢いで言い返す。
その様子に菜々子は嬉しそうな表情で鏡に『大勢で食べるご飯はおいしいね』と話す。
遼太郎も肩の力を抜いた食事は久方ぶりになる。
この間の足立との食事は、同僚の手前と言うのもあって少し構えている部分があったが、今回はそれが全くない。
「そう言えば、叔父さん。色々と忙しいと思うのですが、よく休暇が取れましたね?」
鏡はふと、疑問に思っていた事を遼太郎に尋ねる。
「ああ、それなんだが、足立の奴がな」
何でも足立が遼太郎は働き過ぎだから、こんな時くらい菜々子ちゃんを構ってやって下さいと言ってきたそうだ。
他の署員も、今扱っている事件の量なら遼太郎が居なくても何とか出来ると後押しする。
申し訳ないとは思うが、せっかくの好意なので素直にそれに甘える事にしたのだという。
「へぇ、あの刑事さん、頼りなさそうに見えたんだけど、良いトコあるじゃん」
「何だ、お前達、足立と顔見知りか?」
「ええ、この間ジュネスで鏡達と寄り道してた時に偶然」
「……千枝、それ内緒にするって」
「あっ!?」
この間の事は遼太郎には話さないと鏡が言っていた事を思い出し、千枝が自身の失言に気付いて気まずそうな表情になる。
「ったく、あの野郎……」
遼太郎は千枝と雪子のやりとりで、大まかな事情を把握すると呆れた表情になる。
足立と約束した鏡の手前、後でその事を問いつめる訳にもいかないので、今後はもう少し厳しく行こうと遼太郎は決意する。
こうしてみると鏡のクラスメイト達は皆、個性的ではあるが鏡とは仲良くしているようだ。
慣れない環境で、上手くやっているのか気にはなっていたが、この様子だと大丈夫だと遼太郎は思う。
鏡と菜々子が作ったおにぎりや卵焼きも好評で、焼き上がった魚もおいしく皆で残さず綺麗に食べ終える。
食事を終え、鏡と遼太郎が後片付けをしている間、陽介達が菜々子と一緒に川遊びをしている。
ゴミを分別して用意しておいたゴミ袋へそれぞれ纏め、火の始末も念入りに行う。
「鏡、こっちはもう良いからお前も皆と遊んできたらどうだ?」
遼太郎の言葉に鏡はもう少ししてからと、気になる言い方で答えてくる。
気になったので理由を聞いてみると、鏡は自分以外の人とも菜々子が接する時間が欲しいのだと答える。
本当なら、菜々子と同世代の子らと一緒に遊べたら理想なのだがと、表情を少し曇らせて鏡は話す。
「菜々子ちゃんは私に懐いてくれていて、それはとても嬉しいのですが、私に依存するようになったら駄目ですから」
一年間という期限があるため、鏡としては菜々子が自分に依存するようになるのは避けたいのだという。
ずっと一緒に居られたら話は別なのだがと、鏡は苦笑気味に話す。
自分が居なくなった後も、菜々子が以前のように寂しい思いをしなくて済むように。
他の人との繋がりを沢山持って欲しい。コミュニティという存在を知った鏡が、自身の経験を踏まえて考えた事だ。
人との絆が増えれば、それだけ菜々子の心は満たされていく。
そうする事で自身が居なくなった後も菜々子は寂しい思いをする事がないだろう。
自身の勝手な思い込みかもしれないが、それが菜々子の為になると鏡は思っている。
「そうか、本当にお前にはいくら感謝をしても足りんな。ありがとう、鏡」
我は汝……、汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり
汝、“法王”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
鏡の脳裏に声が響く。
それと共に、鏡の心を暖かい力が満たして行く。
「それじゃ、私もそろそろ行ってきますね」
「おう、楽しんで来い」
鏡を見送った遼太郎は片付けた荷物を車にしまうと、軽く仮眠を取る事にした。
解決していない事件もまだ残っており、実の所はゆっくり休めていなかったのだ。
菜々子達に合流した鏡は、皆と辺りを散策したり川の流れに手を浸したりして休日を楽しむ。
陽介達も菜々子に危険が及ばないように注意しつつ皆で菜々子を可愛がる。
日が暮れ始めるまで遊んだ鏡達は、今日の宿泊先の天城屋旅館に向かう前に近くのバス停まで陽介を見送る。
陽介を見送ると、遼太郎の車で鏡達は天城屋旅館へと向かう。
「いらっしゃいませ、堂島様ですね? 天城屋旅館にようこそ」
そう言って遼太郎達を出迎えてくれたのは雪子の母親だ。
雪子が年を取って貫禄が付けば、こんな感じなるだろうと思わせる和風美人だ。
「ただいま、お母さん。すぐに着替えて手伝うね」
雪子はそう言うと、鏡達にまた後でねといって急いで着替えへと向かう。
「貴女が神楽さん? 雪子がお世話になっているようで、これからも娘と仲良くして下さいね」
雪子の母親は鏡にそう言うと頭を下げる。
「小母さん、あたしも呼んで貰っちゃって、本当に大丈夫?」
「気にしないで、千枝ちゃんには雪子の事で本当に心配を掛けたからね。今日くらいはゆっくりして行きなさいね」
食事の用意が出来るまでまだ時間があるらしいので、遼太郎は先に入浴をすませに出て行く。
残った鏡達は千枝が雪子から借りてきたカードゲームで遊ぶ事にしたようだ。
「うわっ、また菜々子ちゃんの一人勝ちが」
そう言って、千枝がお手上げとばかりに降参する。
「千枝、思っている事が表情に出過ぎ」
そんな千枝に鏡が敗因を指摘する。良くも悪くも千枝は素直な所があるので、表情にすぐに出てしまうのだ。
それ以外にも、菜々子自身が勘が良く物覚えも良いのであっという間にゲームの特性を掴んでしまっているのも要因だ。
そうやって楽しんでいる内に遼太郎が風呂から戻ってくる。
「おかえりなさい!」
「叔父さん、結構ゆっくりしてきましたね」
「ああ、久しぶりにのんびりと出来たよ」
「ここの温泉は本当に良いからね」
遼太郎の言葉に千枝が嬉しそうにそう話す。子供の頃から親しんで来ただけに、我が事のように思えるのだろう。
「失礼します。お客様、お食事の用意が出来ましたのでお知らせに来ました」
そう言って、和服姿の雪子が呼びに来る。
雪子の和服姿に菜々子が素直な賞賛を寄せると、雪子は顔を赤らめて菜々子にお礼を述べる。
これまでも色々な利用者から褒められた事はあるが、菜々子のように含みのない素直な賞賛は初めてで柄にもなく照れてしまう。
「雪子、あたしらん前でまで他人行儀にしなくても良いじゃん」
「千枝、公私混同は流石に駄目だからね?」
千枝の言葉に雪子が苦笑を浮かべて答える。
雪子の案内で鏡達が連れられてきた場所は割と広い広間で、他の宿泊客も幾人か食事を摂っている。
しかし、部屋の広さに比べると人数が若干少ないようにも見える。
雪子の説明によると、山野アナの事件のせいで予約のキャンセルが何件か出た影響らしい。
そのため、鏡達の宿泊の予約が取れたのだと言う。
千枝が晩ご飯を一緒に食べる事が出来るのはその理由と合わせて、雪子が失踪していた間、心配を掛けていた事に対する気遣いらしい。
雪子が居なくなって動揺していた母親に、千枝が毎日連絡を入れて励ましていたのだとか。
「何か、改めてそう言われると照れちゃうね」
そう言って、千枝は顔を赤らめる。
「取り敢えず、座って。冷めない内に食べないと勿体ないよ」
雪子に促され、鏡達は食卓に着く。
今日の献立は季節の食材を使った会席料理で、遼太郎以外は未成年のため、食前酒の代わりに果汁のジュースが出されている。
そのため、遼太郎だけは別に酒を出されており鏡が遼太郎の杯に酒を注ぐ。
料理はどれも細やかな気配りで作られており、食べるのが勿体ないくらいだ。
千枝の方は、気にせず出される食事を美味しそうに食べているので鏡も料理を食べる事にする。
料理を食べながら鏡は遼太郎の杯が空くと酌をする。その様子を見ていた菜々子も、自分もすると言って遼太郎の杯に酒を注ぐ。
「堂島さん、両手に花ですね」
その様子を見た千枝がそう話す。気恥ずかしくもあるが嬉しくもあるので、遼太郎は苦笑を浮かべるに留めている。
食事も終える頃になると、雪子も手伝いが終わりだというので、鏡達は雪子と共に露天風呂へと向かう。
「うわ、前から思っていたけど鏡ってスタイル良いね」
そう言って、千枝が鏡の身体を感心したように眺めている。
「千枝、あんまりそうやって見つめられると恥ずかしいのだけど?」
「ああ、ごめん。でもさ、雪子もそう思わない?」
「そうね、腰の位置も高いし、ちょっと羨ましいかも」
鏡の言葉に千枝は謝るが、全然懲りていないらしく雪子に同意を求める。
雪子も鏡の身体を見て千枝の意見に同意するので、鏡は何だか気恥ずかしくなってくる。
「わぁ、広いね!」
露天風呂を見た菜々子が感嘆の声を上げる。
確かに菜々子が言うように、露天風呂は広々としていて外の景色の眺めも良い。
鏡はまず、いつものように菜々子の背中を流してあげる。
「鏡、いつもそうやっているの?」
「そうね、一緒にお風呂に入る時はいつもかも」
「ふぅん。ね、雪子、背中流してあげようか?」
「えっ!? い、いいよ。恥ずかしいし」
「え~、折角なんだしさ、いいじゃん」
恥ずかしがる雪子に千枝が不服そうな表情になる。
結局、雪子は千枝に押し切られて背中を流される事になるのだが、自分だけだと悔しいからと、雪子も千枝の背中を流す事にする。
何だかんだ言って仲の良い二人の姿に鏡は表情を綻ばす。
身体を洗い終えて、湯船に浸かり満点の星空を眺めながら鏡達はとりとめのない話に興じる。
今日の事、これまでの事。そして、これからの事。
千枝と雪子は鏡が稲羽に来てくれて、菜々子とも友達になれた事が素直に嬉しいと話し、鏡も同じだと答える。
菜々子は今までと違った賑やかな生活が楽しくて仕方がないのか、皆の事が大好きだと話す。
「また今度、機会があったら皆で一緒にこうしたいね」
夜空を眺めて鏡がそう零す。その意見に千枝と雪子も賛成で、またこうした機会を持とうと約束する。
ふと、菜々子が静かな事に気付いた鏡が視線を菜々子へと向けると、今日は遊び疲れたのかうつらうつらと船を漕いでいる。
「菜々子ちゃん、疲れちゃったのね」
「そうだね、今日は結構はしゃいでいたからね」
そんな菜々子の姿に雪子と千枝が微笑ましそうに話す。
鏡は菜々子を揺り起こすと、そろそろお風呂から上がろうと声を掛ける。
菜々子は鏡の言葉に頷くとお風呂から上がり、鏡に手を引かれて脱衣所へと向かう。
「何か、あの二人を見ていると本当の姉妹に見えるよね」
脱衣所へと向かう鏡達を見て千枝が雪子にそう話す。
菜々子とはこっちに来て初めて会ったと鏡は二人に話していたが、とてもそんな風には見えない。
それだけ菜々子が鏡に懐いているという事なのだろうが、鏡も色々と菜々子の事を気に掛けているのだろう。
少なくとも、あの世界で自分達を助けるために自ら危険に身を置くような人物なのだから。
「千枝達はまだ入っている?」
「いや、あたしらも出るよ」
鏡の言葉に答えて千枝と雪子もそれぞれ上がって脱衣所へと向かう。
千枝は雪子の部屋に泊まるというので、鏡は二人に『おやすみなさいと』挨拶して菜々子と部屋へと戻る。
「戻ったか、友達はどうした?」
「千枝は雪子の部屋に泊まるそうです」
部屋に戻ると、新聞を読んでいた遼太郎が視線を鏡に向けて問い掛ける。
少し早いが、菜々子が眠そうにしているので、今日はもう休もうかとう事となり、菜々子を寝かし付けるために布団を敷くことにする。
「鏡、俺の布団はもう少し離した方が良くないか?」
敷かれた布団を見て遼太郎が鏡へと声を掛ける。見ると布団は隣り合うように敷かれている。
「菜々子ちゃんが真ん中で、川の字になって眠るのって、良いと思いませんか?」
戸惑う遼太郎に鏡が事も無げに話す。確かに、菜々子は喜びそうだが、年頃の娘がそれで良いのかと遼太郎は思う。
鏡は別に遼太郎が自信に対して淫らな事をする訳がないと解っているので、遼太郎ほど気にはしていないようだ。
その説明に遼太郎は苦笑いを浮かべると、諦めて鏡の好きなようにさせる。
部屋の奥から鏡、菜々子、遼太郎の並びでそれぞれ布団へと入る。
「それじゃ、電気を消すぞ」
「はい。叔父さん、お休みなさい」
菜々子は先に布団の中でぐっすりと眠っているため返事がない。
明かりが消され、目を閉じた鏡は今日一日の事を振り返り、またこうした機会があれば良いなと思いながら眠りにつく。
翌日になり、朝食を摂った鏡達は天城屋旅館を後にする。
千枝も帰ると言うので、稲羽中央通り商店街まで遼太郎の車で送る事にした。
帰宅すると同時に遼太郎へと連絡があり、車からゴミだけ出して遼太郎はすぐに出掛けていった。
何でも重機によるATM盗難の容疑者が見つかったので、それの応援らしい。
遼太郎を見送った鏡達はゴミを収集所へと出すと、お茶を入れて一服する。
「お姉ちゃん。旅行、楽しかったね!」
「機会があれば、千枝や雪子達とまた一緒にお風呂に入ろうね」
先日の雪子達との約束を菜々子に話すと、菜々子は嬉しそうに屈託のない笑顔を鏡に見せて喜ぶ。
我は汝……、汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり
汝、“正義”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
先日と同じく鏡の脳裏に声が響く。
コミュニティが築かれるたびに、鏡の心を暖かい力が満たしていく。
これまで聞こえてきた声は“愚者”、“魔術師”、“法王”、“戦車”、“正義”、“剛毅”とタロットの大アルカナだ。
ペルソナの属性もタロットに準じているので、最大でそれだけの数があるのかもしれない。
「お姉ちゃん、どうかした?」
「ううん、何でもないよ。今日のお昼と晩ご飯、何か食べたいものはある?」
心配そうに聞いてくる菜々子に鏡が食べたい物のリクエストを訊ねる。
鏡の質問に菜々子は丸久豆腐店の豆腐が食べたいと答えたので、折角だからと菜々子と一緒に買い物に出掛ける事にする。
まずはジュネスへと出向き、フードコートで昼食と摂った後で野菜と合い挽き肉を購入して、丸久豆腐店へと移動する。
丸久豆腐店に立ち寄った鏡達を店主のシズが嬉しそうに出迎える。
「鏡ちゃん、いらっしゃい。おや、今日は可愛らしいお嬢ちゃんも一緒だね。鏡ちゃんのご家族?」
「こんにちは、この子は従妹の菜々子ちゃんです。菜々子ちゃん、この人があの豆腐を作っているシズおばあちゃんだよ」
鏡の紹介に、菜々子は行儀良く自己紹介をする。その様子にシズは相好を崩して菜々子の頭を優しく撫でる。
菜々子のリクエストである豆腐以外に、いなり寿司を作るのに必要な油揚げを注文する。
鏡の注文にシズは、時間があるのなら今から作って出来立てを渡すけれどどうするかと訊ねてくる。
時間の余裕は充分なので、折角だからと鏡はシズに今から作ってもらう事にした。
菜々子は油揚げをどうやって作るのか興味があるようで、鏡は出来れば菜々子に作るところを見せて欲しいとお願いする。
鏡の申し出をシズは快く受けて、油で火傷をしないように菜々子を少し離れた場所に立たせて、油揚げを作り始める。
待っている間、鏡達にシズはお茶とお茶請けに大福を勧め、鏡達は好意に甘えてそれらを食す。
菜々子の見ている前で薄く切った硬めの豆腐を、しっかりと水切りして低温の油で揚げ、次に高温の油で二度揚げする。
こんがりときつね色に揚げられ出来上がった油揚げを、菜々子は物珍しそうに見ている。
シズは鏡にいなり寿司の他にも油揚げで作れる料理のレシピを教える。
教えて貰ったレシピを応用すれば、今日購入した食材でも作れる献立を思いついた鏡はシズにお礼を述べる。
「鏡ちゃんの役に立てよ良かったよ。そうだ、鏡ちゃんに一つお願いしても良いかね?」
シズのお願いとは、近所にある辰姫神社に住んでいる狐に油揚げを届けて欲しいという内容だ。
その狐は頭が凄く良いらしく、人に迷惑を掛ける事はしないのだという。
ただ、妙に金銭に目がないらしく、自販機のおつり受けなどをこまめに調べて回っているのだとか。
話しを聞く限りではかなり怪しい気もするが、商店街の皆からは好かれているそうだ。
菜々子がその狐を見てみたいと言ったので、鏡はシズのお願いを聞きて菜々子と共に辰姫神社へと向かう。
「きつねさん、いるかな?」
「境内にある鳥居の所に置いておけば大丈夫と言っていたから、取り敢えず行ってみましょうか」
シズから渡された油揚げを持って鏡は菜々子と共に辰姫神社へと向かう。
神社の境内は手入れが行き届いて無く、閑散とした有様を見せている。
境内に入ってから二人の様子を窺う気配を感じた。
気にはなったが、こちらに対して害意があるようではないので、その気配を無視して頼まれた油揚げを鳥居の奥にあるご神体に供える。
すると、拝殿の上から何かが飛び降りて鏡達の前に姿を表す。
「わぁっ! きつねさんだ!」
それは目つきの悪い狐だった。ハート柄の前掛けを付けており、元々はどこかで飼われていたのかも知れない。
狐は口に絵馬をくわえており、鏡にそれを取れと言いたそうにしている。
鏡が近づいても狐は逃げる素振りは見せず、差し出された鏡の手に絵馬を落とす。
「お姉ちゃん、それは?」
「絵馬のようだけど、これって……」
渡された絵馬を見ると子供が書いたと思われる字で“おじいちゃんの足がよくなりますように けいた”と書かれていた。
絵馬の裏には“珍しい形の葉っぱ”が貼り付いていて、何か意味があるのかも知れない。
何かの気配に気付いた狐が慌ててその場から姿を消すと、一人の老人が境内にやってきた。
「あンれまー、珍しいね。お嬢ちゃん達みたいな若い子が来なさるとは」
鏡達の姿を物珍しそうな目で見る老人は、この神社に誰も住んでおらず、自分が時々手入れをしているのだという。
ただ、最近は足が痛くてそれもままならず、孫の圭太とも遊びに行けないと嘆いている。
ひょっとすると、この絵馬を書いた子が老人の孫なのかも知れない。
そんな事を考えていると、老人は鏡が手にする絵馬に貼り付いた葉っぱを見て驚きの声を上げる。
老人の驚く声に理由を尋ねてみると、この葉っぱは昔から湿布にはこれが一番と言われていたらしい。
しかし、この辺りの山ではもう取れないと思われていたらしく、良く見つけたなと酷く感心している。
「た、頼む、その葉っぱを儂に譲っとくれっ!!」
断る理由も無いので、鏡は葉っぱを老人に手渡す。
老人は、鏡から手渡された葉っぱを足に貼り付けると驚嘆の声を上げる。
先ほどとはまるで別人のように元気になった老人が、鏡に感謝する。
「こりゃ、巡り会わせて下さったお社様にも、たんと感謝せにゃいかんのー!」
そう言って老人は物凄い勢いで拝殿へと向かい、お賽銭を入れるとそのままの勢いで帰って行く。
あまりの事に鏡は唖然としてしまう。
「おじいさん、元気になって良かったね!」
ただ、菜々子は老人が元気になった事を素直に喜んでおり、その様子に鏡も気を取り直す。
老人が境内から立ち去ると、隠れていた狐が出てきて、鏡達を嬉しそうに見ている。
狐は鏡達から離れ、賽銭箱をのぞき込むと後ろ足で立ち上がり、満足そうに一声鳴いてみせる。
どうやらシズの言っていた通り、この狐はかなり賢いようだ。
賽銭箱を確認した狐は鏡の前まで戻ってくると、尻尾をパタパタと振りながら鏡を見上げてくる。
どうやら気に入られてしまったようだ。
「きつねさん、可愛いね」
そう言って菜々子が狐に手を伸ばすと、嫌がる素振りを見せずに狐は菜々子に頭を撫でさせる。
ふかふかとしたその感触に、菜々子が満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしている。
「あ、そうだ。きつねさん、おばあちゃんからあぶらあげを貰ってきたんだよ」
菜々子はシズから頼まれていた事を思い出し、ご神体へと供えた油揚げを取ってくる。
手にした油揚げを狐の前に差し出すと、狐は器用にくわえて食べ始めた。
「おいしい?」
菜々子の言葉に狐は嬉しそうに一声鳴いて答える。
油揚げを食べ終えた狐は、拝殿の裏の方へと姿を消したかと思うと、すぐに鏡達の前へと戻ってくる。
見ると先ほど老人に渡した物と同じ葉っぱを何枚もくわえている。何かを訴えようとしている狐との間に絆の芽生えを感じる。
我は汝……、汝は我……
汝、新たなる絆を見出したり……
絆は即ち、まことを知る一歩なり
汝、“隠者”のペルソナを生み出せし時
我ら、更なる力の祝福を与えん……
鏡が感じたように、いつもの声が脳裏に響く。
ひょっとすると、向こうの世界での探索に力になってくれるかも知れない。
そんな事を考えていると、狐は賽銭箱の前に移動して何やらアピールしてくる。
どうやら手伝ってはくれるようだが、相応の代価が必要のようだ。
そろそろ日も暮れそうなので、鏡達は狐に別れを告げて家へと帰る。
家にたどり着くまでの間、菜々子は狐との事を嬉しそうに鏡に話し続ける。
鏡も試験前の良い気分転換になったと菜々子との会話を楽しむ。
家に帰るといつものように菜々子と一緒に晩ご飯の準備に取り掛かる。
今日の献立は、いなり寿司と冷ややっこに味噌汁、そして合い挽き肉のそぼろ炒めだ。
合い挽き肉のそぼろ炒めは甘辛く味付けして、サニーレタスに巻いて食べる予定だ。
それとは別に、油抜きをした油揚げに、そぼろと野菜を詰めて包み焼きを作る。
応援に出向いていた遼太郎も早くに戻ってきたので、三人で晩ご飯を食べて菜々子と入浴を済ませる。
試験前なので、就寝する前に予習を行う。学習内容の差は、こちらに来る前と大差が無かったので心配するほどではない。
後は試験で普段通りの実力を出せれば、今回は良い成績が狙えそうだ。
一通りの予習をすませ、鏡は眠りにつく。
連休も明けて試験前の残り数日。
千枝が付け焼き刃で鏡や雪子に勉強を教えてくれと慌てる事もあったが、鏡と雪子は問題なく試験に臨めそうだ。
陽介と千枝は試験前から憂鬱な空気を漂わせているが、頑張れと言うほか無い。
試験期間中の張りつめた空気も、最終日になると和らいだものになる。
全ての試験が終わり、生徒達はそれぞれ開放感を味わっている。
「やーっと終わったなー」
ほっとした様子で話す陽介に、千枝が噛みついてくる。
どうやら雪子と試験の答え合わせをしているようだ。
しかし、二人のやりとりを見るに千枝の結果は惨憺たる結果のようだ。
「ね、鏡。“太陽系で最も高い山”って何にした?」
「オリンポス山って書いたけど?」
「あ、私と一緒だ」
鏡と雪子のやりとりに千枝が悲鳴を上げる。どうやら現国だけでなく地学も駄目なようだ。
陽介はそんなやりとりを見ながら、試験結果が張り出されるのが楽しみだと憂鬱そうに話す。
「聞いた? テレビ局が来てたってよ」
聞こえてきたクラスメイトの言葉に鏡達が驚く。
しかし、怪死事件の事では無く幹線道路を走っている暴走族の取材だそうだ。
「暴走族?」
不思議そうにする雪子に、千枝と陽介が騒音が酷い事を話す。
何でもメンバーには八十神高校の生徒も含まれているそうで、去年まで凄かったと噂される生徒が一年に居るらしい。
「中学ん時に伝説作ったって、ウチの店員が言ってたっけ。けど……暴走族だっけな……?」
「で、伝説って?」
「それ多分、雪子が考えているのとは違うと思うけど……」
陽介の言葉に瞳を輝かせる雪子に千枝が呆れたように突っ込みを入れる。
「とはいえ、取材来てたって言うのなら、明日辺りにでも放送されそうだな……」
「また、妙に曲解した内容になりそうね」
陽介の言葉に鏡がそう答える。
どうにもこちらで流れるニュースは、事実とは無関係な内容でも、視聴率が取れれば良いと思っている節がある。
早紀や雪子のインタビューなどが良い例だ。その上、個人のプライバシーにも配慮しないので、鏡は正直なところ快くは思っていない。
鏡の懸念は、翌日に的中する事となる。
『静かな町を脅かす暴走行為を、誇らしげに見せつける少年達……そのリーダー格の少年が、突然、カメラに向かって襲い掛かった!』
『てめーら、何しに来やがった! 見世モンじゃねーぞ、コラァ!!』
「この声……あいつ、まだやってんのか……」
テレビに映った少年の声に聞き覚えのある遼太郎がそう零す。
顔にモザイクを掛けてはいるが、声がそのままでは解る人には解ってしまう。
「お父さん、しりあい?」
菜々子の質問に遼太郎は困ったような表情を見せて説明する。
「“巽完二”……ケンカが得意で、たかだか中三でこの辺の暴走族をシメてた問題児だ」
何でも、騒音が酷くて母親が眠れないからと言う理由で、付近一帯の暴走族を潰して回っていたのだという。
動機はともかく、暴れ過ぎが原因で母親が頭を下げる事になりかねないと、遼太郎は心配する。
鏡の懸念通り、今回も事実確認もせずに報道しているらしい。その上、声はそのまま流しているので、顔を隠している意味が全くない。
「あ、あした雨だって。下にお天気出てる。せんたくもの、中だね」
菜々子の言う通り、画面の下に小さく明日の天気が出ている。
このまま雨が続けばマヨナカテレビに何かが映るかも知れない。
明日、学校で皆と話し合うのが良さそうだ。
翌日になると、予報通りに雨が降ってきた。
「じゃあ今夜は、例のテレビを確認しないとな」
「何も映らなければいいけど……」
陽介の言葉に雪子が不安そうに答える。
確かにそれが一番なのだが、犯人に繋がるヒントでも見えればと陽介は話す。
陽介の言う通り、今の時点ではマヨナカテレビしか手掛かりがない。
映って欲しくはないが手掛かりは欲しい。相反する思いにもどかしさが募る。
――深夜
時計の針が零時を指す。
マヨナカテレビには雪子の心配を裏切るように朧気ながら人影が映る。
その姿から映っている人物は男子高校生のように見える。
どこかで見たような気がするが、誰かはハッキリとは解らない。
これまでの予測とは違う姿に戸惑う鏡をよそに、映像は消えてしまう。
映像が消えて少しして、陽介から電話が掛かってきた。
「姉御、さっきの見たか? 映ってたの、男だよな? けど人相までは分からなかったし……明日、みんなで詳しい事を話そうぜ!」
「うん、解った。また明日、お休みなさい」
そう言って電話を切り、鏡は布団へと入る。
マヨナカテレビに映ってしまった以上、次はあの人影が攫われる可能性がある。
手遅れになる前に、犯人へと繋がる手掛かりが得られれば良いのだが。
鏡はそう思って眠りにつくのであった。
2011年04月22日 初投稿