はじめは確かに、ふざけ半分だった。
けれど、そんな始まり方が悪い訳じゃない。
ようは、最後に自分がどう思うか、だ。
残った結果すら、関係はない。それを決めるのは、自分の気持ち、ただ一つ。
結局そう言うものだろう。夢だの恋だの――人生という、手合いは。
「それで、長瀬さんは――第一希望が、六道女学院霊能科と言うことですが――これは、ゴースト・スイーパーを目指すと言うことでいいんでしょうか?」
「正直に申せば――まだ、そこまでの決意が決まったわけではござらん。しかし拙者には、特にやりたいことがあったわけではない。ならば――自分が少しでも興味が持てることに進んでみるのも悪くないと、そう思ったのでござる」
六月――空気に蒸し暑さが感じられるようになってきたある日。
麻帆良女子中の進路相談室では、そんな遣り取りが行われていた。
応接机を挟んで、一人がけのソファに腰掛けるのは、長身の少女、長瀬楓。その対面の大きめのソファには、プリントを手に持って彼女に質問を投げかける、彼女らの担任教師、ネギ・スプリングフィールド。
そして彼の隣には、腕を組んでその遣り取りを見つめる壮年の男――学年主任の新田教諭の姿がある。
「長瀬、ゴースト・スイーパーというのがどういう職業なのか、お前は知っているのか?」
不意に、今まで黙っていた新田が口を開く。
生徒達に“鬼の新田”と陰口を叩かれる強面の教師は、当然楓にとっても得意な相手ではない。一拍おいてから、彼女は言った。
「そちらの業界の知人から――少しは」
「少しか……」
眉をひそめ、新田は息を吐く。
「ゴースト・スイーパー――対心霊現象特殊作業従事者資格は、恐らく今の日本では最難関の国家試験だ。知識だけでなく、並はずれた資質が必要な危険な仕事だ。厳しい言い方になるが、お前にはそれに挑むだけの気持ちがあるのか?」
「……拙者は――少し前までは、自分とは無縁の世界だと思っていたでござる。されど――ここ最近、ある人物を通して、その働きを知って――少しでもその人の手伝いになることがあれば――」
「その人物が誰なのかを、私は問うつもりはない。だが、それだけのことで、危険で厳しい世界でやっていけると思っているのか? 憧れだけでは――時に現実とは厳しいものだぞ」
「しかし――」
睨み付けるような彼の視線に、楓は僅かに怯む。
しかし――彼女とて、遊び半分でその道に足を踏み出そうとしたわけではない。
確かに新田の言うとおり――一言で言えば、自分がゴースト・スイーパーに興味を持ったのは、彼女の知人――ゴースト・スイーパー助手の藪守ケイに憧れたからだ。
その人となりを知れば知るほど、彼という人間は魅力的に思えてくる。
優しくて、情けなくて、ちょっと間が抜けていて――でも、自分が守ろうとする者が居れば、何処までも必死になって。
そんな男が身を置く世界。
「拙者は、昔から故郷に伝わる……その、“古武術”を学んできたでござる。今までは、ただそれが楽しくて――それ自体をどう使おうなどとは、考えたことがなかったのでござるが、もしもそれを使える場所があるというのなら――」
そこまで言いかけて、楓ははたと、口をつぐんだ。
自分がこの世界に触れたのは、ケイと出会ったから。
自分の力の使い道――と言うよりも、その力に“使いどころ”があるなどと気づいたのは、修学旅行の一件から。
ただ、それを新田の前で言うのはどうかと思う。一応、自分はあの時、木乃香の実家で大人しくしていた――と言うことに、なっている筈だから。
ならば、どう言葉を継ぐべきか。楓は考える。
結局ケイの事を無くして、自分がゴースト・スイーパーに興味を持った事は語れない。けれど、新田はそれを“憧れ”と言った。
「そう、長瀬の言うことは、今の段階では漠然とした憧れの域を出ていない。……むろん、将来に憧れを抱くことは大いに結構なことだ。その憧れが無ければ、人は足を踏み出すことが出来ん。だが、本気でその道に進みたいと思ったら、「憧れ」だけでは足りないのも、また事実だ」
彼女の心中を察したように、新田は言った。
「普通ならば、そういうこともまた、成長する中で自然とわかっていく。私も普通ならば、今はまだ焦るような時期ではないと思う。だが――普通と違う生き方をしようとすれば、そうはいかない。長瀬、お前が選ぼうとしているのは、そういうことだ」
「新田先生」
ネギが、横から割って入る。
「長瀬さんは、その判断を軽々しくしようとしているわけじゃ――ないと思います」
「……ネギ先生はこうおっしゃっているが、長瀬、どうなんだ?」
「……」
楓は、その言葉に応えられない。居心地の悪い時間が流れる。進路相談室の壁に掛けてある時計の針が動く音が、五月蠅いほどに感じられる。
「――まだいくらか時間はある。私にはこの程度の事しか言えんが――よく考えることだ。私たちに報告する言葉など選ぶ必要はない。ただ、お前自身が後悔せんようにな」
「……はい」
新田の言葉に、楓は頷いた。
「それと――お前の喋り方は少しばかりに気になる。長瀬、お前はそうすることに何か拘りでも持っているのか?」
「い、いや――そう言うわけでは、ござらんが」
「誤解するな。それが悪い訳じゃない。それもまた、お前の個性だろう――だが、世の中はそう言うわけにも行かん。私達と違って、お前を知らない人間からすれば、その喋り方はおかしなものにしか聞こえん。矯正しろと言うつもりはないが――せめて場面によっては、普通に話せるようになっておけ」
「あ、それだったら――」
「ん?」
「――な、何でも、ござらん」
言いかけて、楓は慌てて口を押さえた。
それこそ、言えるわけはない。もともと、子供が格好を付けるのと同じ感覚で身に付いてしまった口調だ。珍妙と思いつつも気に入っている事は確かであるが、いくら何でも面接試験などで、開口一番に「拙者は――」などと切り出すつもりはない。
それが証拠に、かの藪守ケイに対しては――
(そんなことを今ここで言えるわけないじゃないっ!)
大丈夫なのは、大丈夫なのであるが。
その“実例”を挙げてみることには、さすがに抵抗がある。楓は頬を染めて、首を横に振る。当然、ネギと新田は奇妙なものを見る目で、彼女の行動を眺めていた。
ややあって、ネギが一つ咳払いをする。
「あ、あのー……長瀬さん」
「はっ!? し、失礼――何でござろうか」
「え、ええ……先程も言いましたけれど、まだ時間はあります。長瀬さんが突然進路を変えた事には、長瀬さんなりの考えがあるんだとは思いますが――」
「今のお前にとって、それが先を見据えた判断であるとも、私には思えん」
「それはっ……」
新田の言葉を、楓は慌てて否定しようとする。
――だが、出来ない。
今の彼女にとってゴースト・スイーパーは、自分の力を活かせるかも知れない、“彼と同じ場所”というだけのものだ。
それでも、中学三年生の判断としては十分かも知れない。自分の力を発揮できそうな場所を見つけた事の、何が悪いと言うのだろうか。そう言う反論は、確かに出来る。
だが、楓本人が――それを、否定する。自分はまだ、彼ら“ゴースト・スイーパー”というものを、確かに、何も知らない。
「お前の第一志望は、東京の六道女学院だな――ネギ先生」
「はい――少し調べてみたのですが、これを」
そう言ってネギは、机の上に何かのパンフレットのようなものを置いた。
果たしてそこには、“六道女学院高等部”の文字と共に、校章であろう文様が刻まれている。
楓はそれを何気なく受け取り――ネギの方を見た。
「実は、この週末に、その六道女学院のオープン・スクールがあるそうなんです。詳細はそのパンフレットに。もし長瀬さんに時間があるのなら、こちらから電話予約を取っておこうと思うのですが――どうしましょうか?」
「新田先生――何も、あんな言い方をしなくても」
楓が去った後の進路相談室で、資料の片付けをしながら、ネギは――彼にしては珍しく、非難するような口ぶりでそう言った。
新田という教師は、生徒に恐れられ、疎まれている。しかし彼は敢えて、そういう教師を演じることで、生徒達を導いている立派な教師だ。少なくともネギはそう思っている。
その彼にしては――先程の言い方は、妙に意地が悪かった。
楓がどの程度本気かなどは、現時点では彼女にしかわからない。けれど新田の言い分は、彼女の目指しているものは、ひとときの憧れでしかないとそれを切り捨てた。彼女は本気でそれを将来の夢としているわけではなく、言ってみれば浮ついてその気になっているだけだ――と。
そんなネギの言葉に、新田は苦笑しながら応えた。
「何――心配要りませんよ」
「ですが」
「あいつが本気なら、私の言葉など何の障害にもなりはしないでしょう。それに――これは単なる予感ですが。あいつはきっと大丈夫だと、そう思いますよ」
彼の言葉に、ネギは小さくため息をつく。
「だったら――何故わざわざ意地悪を言うんですか。そんな風だから“鬼の新田”なんて、生徒から嫌われるんじゃ」
「親だの教師だのそういう手合いは――往々にして、目標の前に立ちふさがるものです」
「だから――」
「だがもう一度言う。本気の目標を前にしては、そんなものは何の障害にもなりはしない。親や教師に反対されたから――それが果たして、自分の目標を諦める理由になりますか? 当然我々には、それを反対するなりの理由はある。けれど結局」
新田は、ネギに振り返る。
「最後にそれを決めるのは自分自身だ。後からあれこれ言ってみたところで、それは結局言い訳程度の事でしかない。長瀬は――そこまで“可愛らしい”性格をしているようには、見えませんでしたがな」
そう言って彼は――歳の割に随分若々しく見える笑顔で、楽しそうに笑った。
その週末――東京都某所、六道女学院。
都市が丸ごと“学校”である「学園国家」――麻帆良学園都市には到底及ばないものの、名門と言われるその学校もまた、一つの学校としては相当な規模を持っている。
幼稚園から大学までの全ての学校を擁し、通う学生の総数は数千人に及ぶ。
一般には「お嬢様学校」のイメージが非常に強いが、専門性の高い学部やコースを備え、積極的な就職活動を推薦するなど、単に箱入り娘が通うための学校、というわけではない。加えて、大学に関しては、近年男女共学化もされている。
とはいえ――実際にその場に立ってみると、楓は自分が、酷く場違いな場所にいるような気分になってきてしまう。
(と言うか……迷った)
事前に、級友であり、この六道女学院中等部に通っていた経験のある犬塚シロに話を聞いて、わかったつもりになっていたのがそもそもの間違いだったのだろう。彼女の説明が不十分だったわけでも、楓が気を抜いていたわけでもないのだが――気がつけば彼女は、オープン・スクールと言うことで、こぞって見学者に声を掛ける在校生達の集団から追い回され、知らない場所に立っていた。
在校生のクラブ活動などにしてみれば、入学式に次ぐ部員獲得のチャンスである。訪れた人間が全てこの学校に入学するとは限らないとはいえ、印象を植え付けておくに越したことはない――楓自身が、麻帆良学園に入学したときに経験した事であった。
もっとも、団体行動の苦手な彼女は、自分で“さんぽ部”なるもはや部活動とも言い難い団体を、ルームメイトと共に立ち上げ――気ままな放課後を過ごしているのだが。
(あんなに寄ってたかって追い回したら、逆効果な気がするんだけど)
気持ちはわからなくもないが、各々の部活のチラシを手に迫り来る女学生達の目には、鬼気迫るものがあった。自分だけではない。その場にいた学校見学の少女達は皆、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すほかになかったのだから。
あわよくば、そうやって逃亡した誰かに出会う事が出来ないだろうかと、楓は地図を片手に校舎の中を歩く。
犬塚シロから受け取った見取り図を見る限り、今自分が居るのは中等部の「どこか」である。
見るべきは高等部の設備であるので、とりあえずこの区画から一旦出るべきなのだろうが、靴を履き替える前だったので、校舎の中を通ることが出来ない。今の彼女にこの場所は、巨大な壁で仕切られた迷路も同じだ。
とりあえず、見かけた誰かに声を掛けることにしよう――と、人知れず嘆息して周囲を見回すと、たまたま、セーラー服を来た女学生が近くを歩いていた。
「あの、すいません」
楓は小走りに彼女に走り寄り、声を掛ける。
「せっし……私、オープン・スクールで学校見学に来ていたんですが、迷ってしまって――高等部の校舎は、どっちに行ったら?」
「あ、はい、高等部だったら、そこの駐車場の脇を抜けて、「第二校舎」って書いてある看板のあるところを――」
彼女の言葉と地図を照らし合わせてみれば、行くべき方向は何となくわかった。
再びあの恐るべき集団に遭遇しないことを祈りつつ、少女に礼を言ってその場を立ち去ろうとしたところで、彼女は不意に不可解な事を言った。
「でも今日は結構人が来てますから、はぐれてしまったのなら校内放送で呼び出して貰った方が早いかも知れませんよ? 私、職員室まで案内しましょうか?」
「はぐれ――? あの、何のことですか? 私は今日一人でここに来たんですが?」
「え? だって――」
首を傾げる楓に、少女は不思議そうに言う。
「だって――保護者の方ですよね?」
楓の表情が、固まった。
今まで高校生――下手をすれば大学生に間違われることも、多々あった。
加えて今の自分は、シロを通じて知り合った知人――千道タマモより、“お礼”と称して贈られた、少々大人びた私服に身を包んでいる。
しかし――しかし、言うに事欠いて――彼女の肩が、小さく震える。
「あ、あの……私、何か妙なことを言いました?」
突然俯いて震えだした彼女に、怪訝な表情で、少女は問う。
楓はそれに対して大きく息を吸い込み――これ以上ないほどに魂の籠もった声で、彼女に叫ぶ。
「拙者は――“まだ”中学三年生でござる――ッ!!」
その瞳には、うっすら涙がにじんでいたという。
「だからごめんって言ってんじゃん――え、ええっと……私からしたら羨ましいよ? 私なんて、背も低くてスタイルも良くないんだから――その――」
「情け無用でござる……無駄な情けなど、自分が惨めになるだけでござる」
「いや、私も、“保護者”って言うには随分若いなとは思ったのよ? で、でもほら、あるじゃない。もしかしたら、お姉さんが妹の付き添いで来てるのかも知れないし――」
「……」
「……すいませんでした。反省してます」
「いえ――そちらが謝る事ではござらん。拙者が老け顔なのは、どーせどうにもならぬことでござるから」
「完全にブルー入っちゃったよこの娘。いやさ、あなた顔だけ見たら十分年相応なんだけど――その身長とスタイルは、正直反則」
「……不便なだけでござるよ。着られる服は限られるし、大概の場所で中学生料金が使えないし」
「嫌味にしか聞こえねえ」
それから暫くして――楓と少女は、目的地である高等部近くの中庭に据えられたベンチに、並んで腰を下ろしていた。よく手入れされた花壇には、初夏を彩る花々が咲き乱れ、目を楽しませてくれる。
少女が言うには、ああいう部活の勧誘は、見学に来た“ところ”を狙って行うのが常である。来校者が一段落する昼前にでもなれば少しは落ち着くだろう――とのことで。
それなりに規模のある六道女学院のオープン・スクールでは、もはや恒例行事である――とはいえ、巻き込まれた人はご愁傷様、と、少女は軽く笑いながら言った。
さて、彼女が楓と行動を共にしているには理由がある。
彼女が楓に対して、特大の“失言”をした詫びに、校舎を案内している――というのはもちろんあるのだが、それ以上に――
「でも、まさかあなたシロちゃんの転校先のねえ……世の中は狭いっつーか……それでそんな喋り方してるんだ?」
「拙者の喋り方は、犬塚殿がどうこう言うのではなく、昔からでござるよ。麻帆良は時代劇の世界でも“忍術学園”でもござらんし」
「それはそれで――世の中に『ござる口調』の女子中学生が二人も居ることが驚きでならんわ」
そう、彼女はかつて、犬塚シロがこの学校に在学していた時の友人であったという。楓の特徴的な喋り方に、ついこぼれたのだろうその名前を、楓は聞き逃さなかった。
「あの娘元気してる? 転校してから全然顔を合わせてないから、心配してたんだよ」
少女の言葉に、楓は小さく頷いた。そう言えば彼女が転校してからこちら、ネギとエヴァンジェリンの喧嘩だの、相坂さよの一件だの、修学旅行だの――大騒動の連続であった気がする。そして、彼女は常にその中心にいたのだ。友人に会いに東京に戻ろうという時間は、無かったかも知れない。
今の時代、携帯電話やパソコンでリアルタイムに連絡は取れるだろうが、やはり長く顔を見ていないと、心配にもなるのだろう。
「そっか。よかった――くーちゃんやゆずっちも、少しは安心するかな」
「犬塚殿は少々変わったところはあるが――あれで誰にも好かれる人柄でござるから、心配のしすぎではござらんか?」
ほっとしたように言う少女に、楓は苦笑で返した。
「そりゃそうよ。なんたってあの娘は、みんなの可愛いマスコットなんだから」
「……それを本人が聞いたら複雑であると思うが」
「そう? だって可愛いじゃない。マスコットって言うか……座敷犬って言うか」
「それは余計に酷い」
いつも自身を侍だの狼だの自称しているあの少女が、その評価を聞けば何というのか。彼女は今頃、埼玉の地でくしゃみでもしているのではなかろうかと、楓は思った。
「そうかなあ。あの娘見てると、他に形容の仕方が思いつかないけどなあ。明るくて楽しくて可愛らしい、みんなのワンちゃん」
「……」
ふと――楓は、少女の言葉の中に微妙な違和感を覚える。
彼女の知る犬塚シロという少女は確かに、明るく快活な少女だ。相手が誰だろうと臆する事無く分け隔て無く接するし、自然と人の心の中に入り込んでくるような、そんな得難い才能を持っている。人付き合いが苦手とは言わないが、決して社交的とは言えない楓にしてみれば、少々羨ましくもあるくらいだ。
だから、少女の言っていることは間違っては居ないのだが――何と言うのか。彼女の語る言葉から受け取るイメージと、自分の中にある“犬塚シロ”という人間像に、微妙な差があるように、楓は思った。
(でも――あの犬塚殿が、転校したのをきっかけに自分の“キャラ”を変えようなんて――そんな風には、思えないし)
だから彼女は、聞いてみた。
「実は拙者――ここに来ようと思ったのは、彼女の縁に寄るところが大きいのでござるが。単純に気になってのことであるが――ここにいた頃の犬塚殿は、どのような人間だったのでござるか?」
「え?」
少女は少し驚いたような顔で、楓を見た。
彼女も、気がついたのだろうか。自分の語る友人像が、目の前の相手の中のそれと一致していない――その微妙な違和感に。
「どうって……何、そっち行ってからシロちゃん、何かあったの?」
「いやいや、そういうわけではござらんが」
単純な興味で御座る、と、楓は誤魔化した。
それが誤魔化しであると相手に伝わっても、別に構わないと、そう思いつつ。
「――そうねえ……やっぱりあの娘を一言で言い表すなら――可愛いワンちゃん、かな」
何か引っかかるものを感じると、少女の表情は言っていた。だが結局、彼女は顎に人差し指を当てつつ、楓の問いに答える。
「何に対しても一生懸命でさ、言っちゃ悪いけど馬鹿みたいに前向きで――あ、この辺本人にはオフレコで頼むね? やっぱり、照れくさいじゃない」
「承知でござる」
「照れくさいと言えば――あの娘にはそういう感情あるのかなって言うくらい、他人に対して優しくて、自分の気持ちに素直で。笑いたいときに笑って、泣きたいときに泣いて――シロちゃんの知り合いに横島さんってのがいるんだけど」
少女は、苦笑じみた笑いを浮かべつつ、続ける。
「もうあの人の前では、ホントに犬みたいにベタベタに甘えちゃって。見てるこっちが恥ずかしいくらいに――あー、結局シロちゃんの事を話すなら、あの人の事を避けては通れないか。知ってる?」
「元ゴースト・スイーパーの横島忠夫殿の事で御座るか? まあ……それなりには」
応えつつも、楓は内心、驚きを隠せない。
少女の言葉の程度は、楓にははっきりと推しはかる事は出来ない。けれど――単純に彼女の言うことを聞いただけでも、先程まで感じていた違和感は、はっきりと形を帯びたものとなってくる。
確かにシロは、明るく前向きな少女だ。臆面もなく、横島の事が大好きだと言ってのける。
けれど――楓の中には、子供のようにはしゃぎまわって、かの青年に甘えるシロの姿が浮かび辛い。
“あの”犬塚シロが――だ。
一癖も二癖もある麻帆良女子中三年A組の中で、落ち着いた態度で時には皆のまとめ役となり――私生活は私生活で、和服をきっちりと着こなし、とても自分たちの同年代とは思えない手際で、家事を切り盛りする。正直なところ――見た目はどうあれ――自分をまだまだ子供と思っている今の楓からすれば、相当に大人びた少女である。
(一度エヴァンジェリン殿とネギ坊主がどうこう言うときに……横島さんに縋っていたけれど。あれは甘えるって言うよりは、心配が行きすぎてああなっちゃったんだろうし……)
「元……ってことは、やっぱりあの人、ゴースト・スイーパーやめちゃったんだ……」
「……彼らの事を、何か存じているのでござるか?」
「いや……それは、その……」
少女が口ごもる。
楓は、慌てて顔の前で手を振って見せた。
「いえ、話してくれと言っているわけではござらん。個人的な事情に立ち入る趣味はござざらんゆえ――その辺りの事は、犬塚殿が話してくれる機会があれば、そちらを待つでござるよ」
「あ、うん。そうね、そうしてくれた方が良いと思う。私も、詳しく知ってる訳じゃないし。ただ――横島さんに何かあったって時に、あの娘相当ヘコんでたから――そっちで元気でやってるなら、本当、よかったよ」
「左様で」
ともかく――楓には、子供のようにはしゃぎ回るシロ――と言うのが、いまいち想像できない。しかし少女の口ぶりからするに、どうやら彼女にとっては、楓の知る“今の”シロこそが、変わったと言うべきなのだろう。
自分にとっても、彼女は既に縁が浅いとは言えない間柄だ。気にならないと言えば、嘘になる。しかし――楓は小さく息を吐いた。それは、今ここで、目の前の少女を問いつめるような事柄ではないだろう。
「ゴースト・スイーパーと言えば……」
だから彼女は、敢えて話題を変えた。
「犬塚殿の友人で、ゴースト・スイーパーの横島殿の事を知っていると言うことは、霊能科の志望で?」
「ん? 一応ね。シロちゃんと横島さんの事に関しちゃ、私らの学年で知らない子はいないと思うけどさ」
楓がネギから受け取った資料に寄れば、六道女学院の中等部は、専門分野が別れていない。麻帆良学園と同じ、エスカレーター式に近い就学形態を持つ学校ではあるが、それでも義務教育期間である中等部では、当然かも知れないが。
だがそれでも、楓が今ここにいるのと同じで、中学三年の夏ともなれば、進学の進路くらいは大まかに見えてきている筈である。
「何故霊能科を? やはり、ゴースト・スイーパーを目指しての事でござるか?」
「いやー、ジョーダン。私に悪霊と体一つで戦えなんて、無理無理」
だが、意外にも、少女は頭を掻きつつ、首を横に振った。
「私さ、小さい頃から“見える”のよ」
「見える――霊が、で、ござるか?」
「そ。まあ、こんな事改めて言うと、何だか胡散臭い人みたいで嫌だけど」
「そんなことは――霊能科に進もうかという人間が、今更でござろう」
「そう? ありがと。でまあ――専門家の人が言うにはね、そういう“霊的感受性”の高い子は、悪霊に取り憑かれたりしやすいんだって。『見えてるだろう』って怪談、聞いたこと無い?」
半ば都市伝説じみた怪談である。町中に血だらけの人間が立っていて、けれど誰もそれには気がついていない。唯一それに気がついてしまった者は、見なかったふりをしてその側を通ろうとするのだが――その時、その血だらけの人間は言うのだ。「見えているだろう」と――
言ってみれば「よくある」怪談である。子供時分ならいざ知らず、中学三年生になってまで怖がるような話ではない。
しかし――実際に“その関係”の人間が口にする話には、リアリティがある。犬塚シロにせよ、横島忠夫にせよ――そして目の前の少女にせよ。楓は、自分の背筋に、気味の悪い震えが広がるのを感じた。
「だから、私が霊能科に進むのは、自分の身を守るため。霊能科って言ったって、六道の高等部はそれなりの進学校だし、事情を話せば特別進学クラスの授業も受けられる」
「はあ……人それぞれ、と言う奴でござるなあ」
「そういうあなたは? ゴースト・スイーパーになりたくて?」
「あ、まあ……一応」
口に出しておいて、楓は少しばかり自分に嫌悪感を抱く。
ゴースト・スイーパーは、日本最難関の国家試験。仮にもそこを目指そうというのなら、“一応”などという心構えで切り抜けられるものではない。
「そっか。応援するよ――同じシロちゃんの友達だし――来年からは、同じ学校でやっていく仲間だし」
「う……」
明るい笑顔が、正直なところ楓には心苦しかった。
クラスで“馬鹿ブルー”の異名を取る彼女は、今の成績では六道女学院霊能科への進学は、かなり厳しいと言わざるを得ない。
悩んだ挙げ句に彼女は、恥ずかしそうにそれを口にした。
「だったら、それこそシロちゃんに勉強教えてもらいなよ。言ったら何だけど、あの娘、入学したときの成績なんて、そりゃもう酷かったんだから。でも先生に呼び出されて居残り勉強ずっと続けて――気がついたら抜かされてました」
「犬塚殿が――」
「そう言うところはねー……こういう事言うのも愚痴っぽくて嫌だけど、あの娘にはかなわないなあ。十三歳とか十四歳の小娘がさ、苦手な勉強頑張れって言われて、わかりました、なんてあり得ないでしょ」
もっとも、そう言うことを言っているから、自分は成績が良くならないのかも知れないけれど――と、少女は言った。
「……拙者も」
「ん?」
「拙者も一生に一度くらい――死ぬ気で勉強してみるのも、悪くないかも知れないでござる」
「んー……それが受験生って事なんだよね」
スカートを払い、彼女は立ち上がる。
「ま……私はエスカレーター組だから、一般入試組よりはハードル低いんだけどね」
「けしかけておいてそれでござるか!? ――ずるいっ!」
口元に手を当てて、嫌味な笑みを浮かべる少女に思わず掴みかかる楓であったが――今の彼女らが正々堂々と試験を受けたところで、その結果など火を見るより明らかであろう。
「私――有田絵里って言うの。よろしくね?」
「長瀬――長瀬楓でござる」
「霊能科の専用施設って言ったら、まずそっちに専用体育館とトレーニングルームがあるわけよ。で、特殊教室棟に、工作室と実験室がある。工作室の方は普通科の商業コースと共用だけどね」
「……随分と立派な施設が揃っているのでござるな」
「そりゃあ、GS試験合格者輩出数トップの名門だからね。それなりに充実してるわよ」
思わぬところで“案内役”を見つけた楓は、かつてこの学校でシロの級友であったというその彼女、有田絵里と名乗った少女と共に、六道女学院高等部の校舎を回っていた。
さすがに現在この学校の中等部に在学し、霊能科進学を目指している彼女は、ここの施設には詳しい。
聞けば、霊能科の特別授業を見学したり、施設を使わせて貰ったりすることもあるという。
「ちょっとズルい気もするけど、こればっかりは仕方ないわね」
「まあ……その程度で文句をつもりはござらんが」
「そうは言うけど、ゴースト・スイーパー資格って本当に狭き門だからね。エスカレーター組と一般入試組の確執みたいなのも、無くはないみたいよ?」
「……」
「そう言うことになったら、あなた、フォローよろしくね?」
“きしし”と、妙な笑い方をする彼女に、楓は苦笑を返す。
「ま……半分は冗談だけれど。霊能科ってそれだけみんな必死って事だから。私みたいな自分勝手な動機で進学する人間には、不安もあるわけよ」
「自分勝手と言えば、皆が皆自分勝手でござろうに。他人のためにゴースト・スイーパーになろうかと言う人間も居ないでござろう」
「それはもちろん、ね。そう言えばシロちゃんなんて、霊能科の先生に相当惜しまれてたんだよ?」
そう言うこともあるかも知れない、と、楓は思った。シロは知識や経験と言った部分はともかくとして、資質や戦闘能力では、あの歳で既に現役ゴースト・スイーパーに匹敵するものを備えている。ここが霊能の名門であるというのならば尚更、彼女がその道を諦める事は惜しまれるのだろう。
「長瀬は、何でゴースト・スイーパーになろうと思ったの?」
その問いに、楓はすぐには応えられない。
ケイへの憧れと言えばそうだし、自分の力の使いどころを見つけた気がしたと言えば、それも間違いではない。
けれど今の彼女には、そう言ったことが全て“言い訳”であるような気がしていた。
たまたま、憧れた人が立っていた場所がその場所で。
その場所に立つための要素が、自分に合っていたような“気がした”から。
(そう――本当に私は、ゴースト・スイーパーに“なりたい”の?)
それが、今の楓にはわからない。
今までの動機は結局、受け身のものでしかなかったから。
何かがあったから、周りがどうだったから――そう言うことではなく、自分自身がどう思っているのか。その気になるのは結構な事だが、そこに自分の意思はあったのだろうか?
悪霊や人ではないもの、そう言ったこの世の闇の部分と戦って、人々を守る仕事。
自分は、そういうことが“したい”のか?
だから――新田の意地の悪い問いかけに、応える事が出来なかった。
(……ひょっとして新田先生は、そう言うところがわかってたのかな? だとしたら……どうしたらいいのかなあ)
それが、わからない。
わからないながらも、自然に口は、ぽつりぽつりと語っていた。
「ふうん……色々悩んでるんだ。現役のゴースト・スイーパーに憧れて、ねえ。長瀬ってその人のことが好きなの?」
「そもそも男だと言った覚えすらないのでござるが」
「女の勘よ。何となく、ね」
「言っておくが、否定も肯定もせんでござるからな」
「そうかたくなにならなくたって」
やっぱりみんな考えてるのね、と、絵里は言った。
「有田殿の志望動機とて、別に不純なものではないでござるよ。将来に備えてくだらぬ憂いを取り除けるならば、それだけの価値はある」
「そう言ってくれると少しは気が楽になるけどね」
「むしろ拙者の方こそ――一口にオカルトの世界を目指すと言っても、色々あるのだと――考えさせられたでござるよ」
考えてみれば、皆が皆、崇高な意思を持ってゴースト・スイーパーを目指しているわけではないだろう。
高額な報酬が目当てのものもいるだろうし、実家が大きな寺社なり何なりで、家業としてそれを継がねばならないというものもいる。中には、ただ合法的に“強い敵”を相手に暴れられるから、等という無茶苦茶な動機のものまでいるらしい。
そういった連中の中にあって、楓の“憧れ”という動機は、まだ「まとも」なものであると言えるだろう。
「ここに来る前に、うちの先生に言われたでござる。憧れで将来を決めるのは悪いことではないが、それにはそれなりの覚悟が要ると」
結局はそう言うことだったのだろうか。
“覚悟”などと大層な言い方をするから、わかりにくかった。
果たしてそれは、動機など関係なく、ただ本気でそれになりたいと思うかどうか――その気持ちであるということ。
崇高な理由があるから、覚悟があると言うのではない。考えてみれば当然で、簡単なことなのだが――自分と同じものを、違う立ち位置から見つめる他人に出会うまで、楓はそれに気がつかなかった。
「ふうん……長瀬の学校にはいい事言う先生がいるんだね」
「生徒達の間では、“鬼の新田”と恐れられ、嫌われているでござるがな」
「何それ。怖いの?」
「それはもう――宿題を忘れたら、剥き出しの尻を竹刀で叩かれるなどと、まことしやかに言われている程でござるよ?」
「いや、それってセクハラっつうか、犯罪じゃん。長瀬んところも、女子校なんでしょ?」
「ただ――その本人が竹刀など持っているところを、拙者は見たことがござらんが」
「あー……」
つまりは「そういう」教師なわけだと理解したのだろう、絵里は苦笑を浮かべる。
「うちの担任とかさー、成績のこと口うるさく言うだけで――いや、悪い人じゃないのはわかるんだけど。そういう立派な先生の話とか聞いてると、やっぱり羨ましいって思うなあ」
「拙者は有田殿の担任教師を知らぬので何とも言えぬが――どちらかと言えば新田先生やネギ坊主が、今時の教師の中では特別なのでござろう」
「ネギ坊主? 何それ、先生の渾名? 坊主頭なの? 何でネギ?」
「何と応えたらいいものか……」
まさか、魔法の国から修行にやって来た、まだ十歳の英語教師です――などと、正直に言うわけにも行かないだろう。楓とて、こんな場所にやって来た上で、救急車を呼ばれたくはない。
はたしてどう言葉を誤魔化そうかと考えていると――遠くの方でガラスが割れる音と共に、誰かの悲鳴が聞こえた。
「……何?」
「ただのアクシデント……というのなら、どういう事はないのでござるが」
これだけの騒がしいイベントである。不慮の事故で、校舎の窓ガラスを割ってしまう事故くらいは、起こりうるかも知れない。
しかし同時に腰を上げた二人の少女は――空気に張りつめる何かを、直感的に感じ取っていた。
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先の注意事項「オリジナルキャラは出さない方向で。しかしやむを得ない場合は出す」のルールに従い、必要だと判断いたしましたので、登場いたしました有田女史。
命名規則(笑)に乗っ取り、例によって上山先生(弟)の作品をモチーフに。
名前だけ出ている「くーちゃん」「ゆずっち」は、上山先生(兄)の作品をモチーフに。
六道女学院に関する設定は、完全に作者の想像です。
もしかすると椎名先生は、この学校を単なる「女子高」として描いたのかも知れませんが。一応矛盾が出ないようにしたつもりです。