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No.26235の一覧
[0] 麻帆良学園都市の日々・中間考査(GS×ネギま! 2スレ目) 2018/2/22 お知らせあり[スパイク](2018/02/22 23:06)
[1] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「将来」[スパイク](2011/02/26 20:28)
[2] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「自分」[スパイク](2011/04/10 21:35)
[3] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「自我」[スパイク](2011/04/16 20:03)
[4] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「未来」[スパイク](2011/04/24 21:23)
[5] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「目標」[スパイク](2011/06/25 22:29)
[6] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「助言」[スパイク](2011/08/21 18:56)
[7] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「世界」[スパイク](2012/04/01 14:35)
[8] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「再会」[スパイク](2012/04/28 22:00)
[9] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「矜持」[スパイク](2012/11/03 09:15)
[10] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「明日」[スパイク](2012/11/03 09:29)
[11] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY1 雨音」[スパイク](2013/01/13 01:58)
[12] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY1 招待状」[スパイク](2013/01/13 03:45)
[13] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 指揮官」[スパイク](2014/09/07 21:43)
[14] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 その裏で動く」[スパイク](2014/10/05 03:51)
[15] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 対価」[スパイク](2014/10/26 20:32)
[16] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 HOW TO」[スパイク](2014/10/26 20:41)
[17] 朝帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 今できること」[スパイク](2014/11/08 23:15)
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[26235] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「自分」
Name: スパイク◆b698d85d ID:bd856bc6 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/04/10 21:35
――目が覚めたとき、自分は、自分ではなくなっていた。

 昔の自分がどういう人間だったのか、思い出すことは難しい。
 この“自分”に刻まれた記憶に押し流されて、時々忘れそうになる。
 けれど、それでもやはり、自分は“この娘”とは違う。

 ただ生きているだけで、周りを騙している。そんなのはもう、限界だった。
 “昔の自分”と思しき誰かのことは、すぐにわかった。
 その事には、あまり感慨はなかった。
 申し訳ない気分にはなったけれど、自分が思っていたほど、変わった事は何もなかった。

 ただ一つだけわかった事実はと言えば――
 自分は既に死んでいるという、ただそれだけの事だった。




「ちうっちは、中学卒業したらどうするの?」
「どうって――ここの高等部に行くよ。何も考えてないわけじゃないけど、それでも私には、将来のことは――今はまだ、考えられそうにない」

 その日の放課後――三年A組の教室で、早乙女ハルナは、一人帰る準備をしていた友人――長谷川千雨に声を掛けた。
 中学三年生の一学期である。何もしなくとも、麻帆良学園本校は、ほぼ中高一貫校に近い形態を持つ学校だ。いくらかの生徒が、家庭の事情や自分の将来のために別の道に進むとはいえ、その大半が麻帆良学園高等部に進学する。もちろんその際に簡単な試験は行われるが、普通の高校よりもその垣根は低い。
 とはいえ、そろそろ中学生活の終わりが見えてきたこの時期にあって、その質問は何ら不自然なものではなかっただろう。

「しかし突然だな。また漫画にばっかかまけて、成績落ちてるんじゃないだろうな?」
「あんたは私のお母さんか――そ、その事は、まあ改めて検討を要するとして」
「政治家かよ」

 苦笑を浮かべつつ、千雨は鞄の口を閉じる。

「早乙女がどうして、私の進路なんて気にするんだ?」
「どうしてって……友達の進路を気に掛けちゃ悪いの?」

 千雨の言葉に、ハルナは口をとがらせる。その表情をどう捉えたのか、彼女は“悪かった”などと、あまり反省した風になく手を振って、立ち上がり掛けた椅子に座り直す。

「でも、進路を気に掛けるもなにも――私は一応、つつがなく学生生活送ってるつもりだけど? 今のところ成績が悪いと悩んでるわけでもないし、そのほかに目立った問題があるわけでもない」
「いやま……そりゃ、そうかも知れないけどさ。でも――」

 私の気のせいだったら悪いけれど――と、前置きしてから、ハルナは言った。

「何かちうっち、さ、近頃元気がないって言うか、そんな気がしたから」
「……何でそう思った?」

 千雨は一瞬、その言葉に反応したようだった。しかしすぐに、肩をすくめて小さく息を吐く。うつむき加減に彼女を見ていたハルナには、それが何か意味のある事だったのか、推しはかるのは難しい。

「だって、最近ちうっち、話しかけても何かつれないし」
「早乙女の言葉を借りるわけじゃないが、女同士でベタベタしたって気持ち悪いだけだろ」
「ほら、そう言う言い方をする。私さ、これでも結構真面目な話してるつもりなんだよ?」
「そうか? いや、だったら申し訳ないな。や、なんつーか、近衛の奴がさ――近頃私の目の前で、桜咲とその、アレなわけよ。まあね? 私も別に、個人の趣向に口を出そうとは思わないんだけどさ、あいつの席、私の真ん前だし――ちょっと過敏になってるのかも知れないな。うん」
「近頃気づいたんだけどさ」

 ハルナはそこで腕を組み――一つ大きく息を吸ってから、言った。

「私愛情に性別は関係ないって思ってたんだけど――ひとしきり木乃香と刹那さんの事で興奮した後、でも思ったのね。“女同士”って意外に萌えない。だってほら――最終的にファイナル・フュージョンできないじゃん。男同士ならほらさ、その辺は問題ないんだけど――」
「お前一回頭の病院行ってこい」
「はっ!? い、いや違うのよ!? つ、つうか、ちうっちが悪いんじゃんか! そんなクラスメイトを生け贄にするようなこと言うから!」
「……私が悪いのかな」

 疲れたようにため息をつく千雨を見て、ハルナはしまった、と、思う。この流れでは、何を言ってもふざけた風にしか取って貰えない。
 想像――友人に言わせれば妄想――の世界とは無限であり、それを根源にする創作の種は、日常のあらゆる所に存在している。日頃からそう信じて疑わない自分ではあるが、彼女は今に限っては、その道を究めようとする自分が憎たらしかった。

「いや、その理屈はおかしい」
「何でさ。ちうっちだって言ってたじゃんか。何でウチの制服はセーラー服じゃないんだろうって。セーラー服の存在無くして、女子中学生が語れるのかって、わざわざ――学生服のお店に採寸に行ったじゃん。コスプレ用じゃ安っぽくてダメだって、お店の人にすっげえ怪訝な顔されて――」
「――わかった、創作活動に掛ける熱意って奴に、私がどうこう言う資格がないのはわかったから、大声で人の黒歴史を掘り返すのはやめてくれ」
「ほら、それだよ」

 げんなりした顔で手を振る千雨に、ハルナは言う。

「それって?」
「漫画にせよ、コスプレにせよさ――そういうオタクっぽいことは、今の私には関係ありません、みたいな、その態度」
「……」

 彼女は、机に手を付き、千雨の方ににじり寄った。その剣幕に押されたのだろうか――千雨は椅子の背に手を当てて、後退ろうとする。しかし彼女の席は教室の一番後ろであり、逃げ場所は何処にもない。

「怒ってんのか?」
「何でそうなるの? 私は――“心配”してるんだよ」

 ちうっちがさ――と、ハルナは言った。

「ちうっちが、そういうオタク的な事に興味が無くなったんだって言うなら――私、別にそれについてどうこう言うつもりはない。そりゃ――オタク仲間としては、ちょっと淋しいけどさ」
「私は別に――早乙女の趣味は、単なる“オタク”って言うんじゃなくて、なんつうか……立派な“夢”の一つなんだと思ってる」
「ちうっちのコスプレはそうじゃなかったの?」
「……」
「そりゃ、ちうっちがどういう事を言おうが、そのホントの事を知ってるのはちうっち本人だけだよ。でも、私には――あの時ちうっちが言った言葉が、そんな形だけの自分に酔った挙げ句に出てきたものだとは思えない」
「早乙女、ちょっと落ち着け――私には何も悩みなんてないし、早乙女に心配されるような事は何もない。私は結局、早乙女と違って無気力な今時の子供って奴で――」
「だからそうやって、逃げないでよ!」

 ハルナは強く、机の天板を叩く。
 教室に残っていた何人かが、その音に驚いて、こちらに顔を向ける。だが、少女達のその視線も、彼女を止めるには至らない。

「……私さ、正直に言うと、悩んでるんだ。麻帆良の高等部に進学するか――それとも、美術の専門分野に進んで、本格的に漫画家を目指そうかって」
「それは――」

 何かを言いかけて、千雨は言葉を切った。
 ややあって彼女は小さく息を吐き、ハルナの目を見つめて、口を開く。

「それは――早乙女には申し訳ないけれど、私が口を出して言い問題じゃない。アドバイスは、出来る。けど、最後にそれを決めるのは早乙女だろ? 私みたいな半端な奴の言葉じゃ、逆に早乙女を迷わせるだけだ」
「なんでちうっちが半端なのさ」
「それは――早乙女には夢があって、私はただの中途半端なオタクだったって」
「誤魔化さないでよ」

 ハルナは、千雨の肩を掴んだ。鼻先が触れ合いそうな距離で、唾が飛ぶのも構わずに、彼女に言う。

「何でそう言う事言うの? 私がこれでいいって言ってくれたのは、ちうっちじゃんか! ただの気持ち悪いオタクの私が、それでも欲張って夢を持って良いんだって思えたのは、ちうっちのお陰じゃんか!」
「それはそう思えた早乙女が凄かったってだけだ。私のこと――そんなに買いかぶるなよ」
「――ッ」
「そうだよ、早乙女。今の私は、お前が思うような奴じゃない。早乙女が――ここ最近、私のことを気に掛けてくれたのは、わかってた。でも、私は――私には、お前が気に掛けてくれるだけの資格なんて、無い」
「そんな言葉が聞きたかった訳じゃないよ! ああそうですかって、それで引き下がれると思う!?」
「……私は私で、自分の悩みは解決する。わかった、その後でなら――きっと、早乙女の相談に乗ってやれると思う。胸を張って、“長谷川千雨”として」
「……ちうっち――あんた、まさか」

「ちょ、ちょっと、ちょっと落ち着きなよ、パルも、千雨ちゃんも――どうしたって言うのよ、いきなり!?」

 呆然と二人の遣り取りを見つめていた明石裕奈が、そこで二人の間に割ってはいる。
 それをきっかけに、クラスに残っていた数人が、彼女たちの周りに集まった。
 しかし今のハルナには、自分を宥めるクラスメイトの声はほとんど聞こえない。興奮しすぎて、涙でにじんで見える視界の向こう側で――長谷川千雨は、何処か困ったような優しげな笑みを浮かべていた。

「……ごめん、明石――みんなも、喧嘩してたわけじゃないんだ。早乙女が私のこと心配してくれてるのに、私が適当なこと言って逃げようとしたから」

 違う。そうじゃない。
 最後に彼女が言わんとしたのは――そう言うことではない。ハルナには確信がある。
 今の千雨の顔は――“あの時”と同じだったから。
 泣いて喜ぶ皆の前で――そしてハルナの前で、申し訳なさそうに、苦しそうな声で言ったあの言葉――その言葉を紡いだときの顔と、同じだったから。

「適当な事って……長谷川、何言ったのさ?」

 ハルナを抑えながら問うた柿崎美砂の言葉に、千雨は少し躊躇ったようだが――ややあって、口を開く。
 その瞳は、まっすぐにハルナを見ているようだった。

「何ってわけじゃない」
「いやそんな――私、パルがここまで怒ってるの初めて見たよ? 頭の中身が腐ってるとか、脳みそまでゴキブリになっちゃったのかとか――人格否定されるようなこと言われても、笑って下ネタで返すパルが、だよ?」
「……何気にひでえな、オイ」

 美砂の言葉に、千雨は引きつったような笑みを浮かべたが――すぐに、ハルナに向き直る。

「――早乙女が怒るのは、わかる。でも、お前は目の前の事実から目をそらしてるだけだ。わかってるだろ? 今の私に何を言っても――それは、何の意味もない事なんだって」
「ちうっち――あんた、まだ、そんなことを」
「でもさ」

 彼女の口から紡がれる言葉の意味は、クラスメイトにはまるでわからないだろう。皆が皆――二人を落ち着かせようとした格好のまま、首を傾げるばかりである。

「この前の休日に――早乙女と駅で会っただろ? 私あの時、早乙女には用事があるって言ったけど。あれで――少し、希望が見えた気がするんだ」
「希望だって?」
「そう――もうすぐ早乙女の前に、“長谷川千雨”が帰ってくるんだって――そういう話さ」
「――あんた――っ!」
「おふっ!?」

 その一言で、ハルナは爆発した。自分を宥めようとする裕奈を振り払い――その際に振り回した肘が彼女の顔面に当たったのだが、彼女はまるで無視して、千雨の襟首を掴んだ。

「あんた――それ、二度と言うなって言ったよな!? あんたが、あんたが生きててくれて、私が、みんなが、どれだけ嬉しかったか――なのにそんなふざけたこと言うなって、私はそう言ったよな!?」
「お、落ち着きなさい、パル――ゆーな、大丈夫!?」
「めっ……目が、目があ――ッ!」
「よしあんたは平気だな!? いいから落ち着けって――ちょっ……だ、誰か先生呼んできて!!」
「そこまでで御座る、早乙女殿」
「あんたは黙って――ッ!?」

 その瞬間、ハルナの視界が回転した。自分の意思とはまるで関係なく視界が天井を捉え――一瞬の、浮遊感。自分が投げ飛ばされたとは、最後まで理解できなかった。
 ただ、床にたたきつけられる事だけは本能的に理解できた。彼女は思わず目を固く閉じて――

「――少々手荒であったが、頭は冷えたで御座るか?」

 いつの前にか目の前に立っていたのは、銀髪を三つ編みにしたクラスメイト。そして宙を舞っていた筈の自分は――いつの間にか、ちゃんと床に立っていた。

「び、びっくりした……」
「え? え? 今、犬塚さん何したの? てか、パル、空中で一回転しなかった?」
「何今の!? 柔道!? 合気道!? カンフー的なアレ!?」

 突然の事に目を白黒させるクラスメイトを余所に――シロは、顔を押さえて倒れている裕奈に手を伸ばす。

「こちらはどうにか落ち着いたようで御座る。明石殿――怪我は?」
「――そっ――ごっ、ごめん、ゆーな! 私、ついカッとなっちゃって――思いっきり肘、入っちゃったよね!?」

 それを見て我に返ったハルナは、慌てて彼女に謝った。
 幸いにも、彼女の額が頑強だったのか、当たり所が良かったのか――彼女は、額を抑えて涙目になりながらも、ハルナに手を振って見せた。
 安堵の吐息が木霊する。美砂は、千雨の肩に手をやったまま、がっくりとうなだれる。

「犬塚さん――たすかったぁ……」
「いえ、こちらこそ割って入るのが遅れてしまって申し訳ない。よもや早乙女殿が、あそこまで怒りをあらわにするとは思いもよらなんだもので」
「――ご、ごめん。ごめんなさい、私、私――」

 頭が冷えてくると、自分が一体何をしたのか、と言うことが理解できてくる。
 千雨の言葉は、自分にとって許せないものであった。それは間違いない。
 けれど――自分が爆発させた怒りも、また理不尽なものであったことを、ハルナは理解する。謝ろうとするが、誰に何を謝ればいいのかわからない。
 ざわめく教室の中で――犬塚シロの吐息が、やけに大きく彼女には聞こえた。自然に、肩が小さく震える。

「早乙女殿、長谷川殿――事情を聞いても宜しかろうか?」
「犬塚――すまん、迷惑掛けたな。でも――悪いのは私一人だし、早乙女を責めないでやってくれないか?」
「委細承知。されど――拙者もまた、何の理由も無しに早乙女殿がこうまで怒るとは思えぬ故」
「……悪いが、犬塚には関係ない。言ったところで――」
「不躾で申し訳ないが――それはもしや、長谷川殿が先日、唐巣和宏神父の元に持ちかけた相談に関係した事で御座るか?」
「――」

 千雨の瞳が、大きく見開かれた。

「……何で犬塚が?」
「あのお方には、拙者にも縁がある――安心なされよ。かのお方は軽々しく秘密を口外するようなお方では御座らん。ただ長谷川殿が己のことを“麻帆良女子中”と――拙者と同じ学校であると申したのが気になったらしく、拙者に連絡を」
「……そっか。それじゃ、犬塚は知ってるのか?」

 シロは、首を横に振る。
 それを見た千雨が、小さく息を吐いた。それは何から来たものだったのだろうか――ハルナには、安堵のように思われた。

「……拙者は、話してくれと言えるような立場では御座らんが」
「そうだな。敢えて話したいような話じゃない。けど――早乙女に聞くだろう?」

 シロはその問いに、否定も肯定もしない。

「私から言うことは、何もない。どうせ、言っても信じてくれるとは思わない」
「……」
「――今日はもう帰る。みんな――ごめんな」

 千雨は鞄を持つと、彼女らを呆然と見守るクラスメイトをかき分けて、振り返りもせずに教室から出て行った。
 ――ハルナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
 シロが、自分に困ったような目線を向けているのは、わかる。けれど――今の自分は、彼女に何を言うべきなのか。
 それが――わからなかった。




「そうですか、早乙女さんと、長谷川さんが――すいません、僕からは特に、二人に何か変わった様子があるようには見えませんでしたから……」
「それは拙者達とて同じで御座るが――あの、ネギ先生? とりあえずネギ先生は大丈夫なので御座るか?」
「何故僕が? 今問題になっているのは、早乙女さんと長谷川さんの方でしょう?」
「いや――その顔を見れば、誰でも気になると思うが」
「顔? ああ――お見苦しいところを。大丈夫ですよ――せいぜいが、三日寝ていないくらいですから。何でもアメリカでは十日間眠らない実験が行われた事があったそうですが、被験者の健康状態に異常は無かったそうですよ?」
「だめだこいつ早く何とかしないと……」

 シロと共に職員室を訪れた神楽坂明日菜が、顔を手のひらで覆って天井を仰ぐ。
 彼女らの担任教師であるネギ・スプリングフィールドの顔には、明らかな疲労が現れていた。具体的には、いつもは血色の良いその肌は心なしか青ざめ、目の下にはハッキリと隈が浮き出ている。

「そうですか? でしたら明日菜さんは、ワークブックの二章から三章を、次の英語の時間までにやって来てくれませんか? 担任として褒められた事でないのは理解していますが、何でしたら寮での勉強にも付き合いますよ? ええもう、あなた方の成績がもう少しばかり上向いてくれたら、僕も枕を高くして眠れるもので」
「――正直スイマセンデシタ」

 感情の全てをそぎ落としたようなネギの視線に晒されて、果たして先程彼のことをあきれ顔で見ていた明日菜は、さっさとシロの後ろに引っ込んで白旗を揚げた。
 いつも通りと言えば、いつも通りのこと――だが、今は馬鹿らしいことをやっている場合ではないと、犬塚シロはため息をつく。

「あ、いや、すいません……実際、少し疲れているのは確かなもので。教師が弱音を吐いたらいけないってのは、わかってるんですけど」
「ネギ先生はもう少し加減というものを覚えなされ。どれだけ根を詰めて計画を立てたところで、先生が倒れてしまったのでは、何の意味があろうか」
「頭ではわかっているんですけど」

 ネギがここまで根を詰める原因もまた、彼女たちにはわからなくもない。
 京都の修学旅行が不完全な形で幕を閉じ、“リベンジ修学旅行”が提案された。その為に夏期補習の一部が犠牲になり、それを圧縮する形で授業計画を組まなければならない――ネギの苦労は必然だろう。
 しかしそれ以上に、彼はそうなってしまったことの責任のいくらかは、自分にあると感じているのだろう。
 自分が――“魔法先生”たる自分が、このクラスの担任でなかったとしたら、彼女らはあんな目には遭わなかったかも知れない。むろん、直接狙われたのは彼ではなく近衛木乃香であったのだが、果たして当初は多少の“トラブル”を覚悟で決められた京都行きだった。
 責任感の強い彼がどれほどの事を思っているのか、想像には難くない。

「明日菜さんも、ごめんなさい。少し仕事が滞ってイライラしてました――それで、早乙女さんと、長谷川さんが?」
「早乙女殿――話して貰っても、良かろうか? 今は、辛いと思うが――」

 シロの言葉に、彼女の後ろに立っていたハルナは、力なく首を横に振った。




 職員室では何だから――と、進路相談室に場所を移した後、ネギを前に、ハルナはぽつりぽつりと語り始めた。

「ネギ先生や犬塚さんは知らないと思うけど――私、中二の時分までは――自分で言うのもなんだけど、暗くて気持ちの悪い子だったと思うんだ」

 ネギの視線が、明日菜に向けられる。彼女は慌てて、首を横に振った。
 それが彼女なりに気を遣っての事だと言うことは――ハルナには、良く分かる。自分を貶めるわけでもなんでもなく、単純にそう思うのだ。あの頃の自分は、ただの根暗なオタクであったと。

「早乙女さん、自分を――そんなに、悪く言ったらいけないと思います。早乙女さんは――昔はどうあれ、今は素敵な人だと、僕は思います」
「ありがとうネギ先生。お世辞でも嬉しい。自然と女の子のこと持ち上げてくれるのは、やっぱり英国紳士としての嗜みなの?」
「い、いえ――そう言うわけでは」

 言われたネギは、居心地が悪そうに頭を掻く。徹夜続きの疲れた顔では全く様になっておらず、明日菜などは露骨に嫌そうな顔をしていたが。

「いやこいつね、お風呂が嫌いだって――三日徹夜したってことはどうせあんた、三日風呂に入ってないんでしょ。頭掻くな。フケが散るから」
「う……い、今は、それは、ともかく」
「帰ったら委員長の所に放り込んで磨いて貰う事にするわ」
「明日菜、それはやめときなよ……猛獣の檻に兎を放り込むに等しい行為よ、それは?」

 苦笑しつつ、ハルナはその言葉尻を捉えた。
 その時明日菜の顔に浮かんでいた表情を見るだけで、彼女が自分に対して気を遣っているのだろう――と言うことがわかる。
 確かに、自分を知る彼女からすれば、先程までの自分は信じられるものではないだろう、と、彼女は思った。

「さ、早乙女さんはそう言っていますが――明日菜さんは、どう思うんですか?」
「昔のパルの事? うーん……本人目の前にして言うのもアレなんだけど……」
「私は気にしてないから、いいよ」
「……そりゃ、その――明るい子じゃ、うん……無かったよね。いつもクラスの端っこのほうで、怪しげな漫画読んでたみたいな」
「まあね、私あの頃は何て言うか、自分の想像の世界にだけ生きてたからね。現実逃避って言ってもいいと思う。ただただ漫画とかアニメとかの世界に憧れてさ――でも、心の根っこでは、そんな風に逃げてちゃダメだってのはわかってたんだけど。やっぱり、私みたいな根暗な娘が“中学生日記”をやるのは、怖かった」

 俯いて、ハルナは言った。
 あの頃の事は、確かにあまり思い出したくない。
 そのころからA組は毎日がお祭り騒ぎのようなクラスで――けれど、そんな場所には入っていけないと思っていた。そう言う場所で明るく振る舞う事の出来る人間は、きっと自分のようなタイプとは正反対の人間であろうと思っていたし、その中心にいる明日菜やあやかや、そんな彼女らが理解できないと思っていた。
 だから彼女は、いつも自分の空想の世界に生きていた。
 漫画やアニメの中に展開される奇想天外な世界に胸を躍らせて、非日常の恋愛にときめいて。
 そういう世界にのめり込むうちに、いつしか彼女の中にも、自分の空想の世界が広がっていった。
 漫画を描き始めたのも、その頃からだった。
 自分の世界を形にすることは楽しかった。
 けれど、そうすればするほど――彼女は、世の中は漫画のように上手くは行かないのだと考えるようになった。
 自分が生み出した漫画の主人公は、結局自分ではない。現実の自分は、明日菜の言うとおり、教室の隅でただ漫画を読んで押し殺した笑みを浮かべているような――何も出来ない、気持ちの悪い“オタク”なのだ。

「……ごめん、私――あの頃パルが、そんな風に思ってたなんて、知らなかった」

 申し訳なさそうに、明日菜は言う。
 けれど、彼女が謝る必要は何処にもない。
 彼女にはそれを察する義務はないし、彼女たちに対して壁を造っていたのは、むしろ自分の方なのだから。

「ネギ先生――先生は、知ってるよね? 私が漫画家目指してるって事――馬鹿だとは思ったけど、この間の進路希望の用紙に書いたし」
「進路きぼ――ああっ!?」

 ネギが絶望したような表情で、頭を抱える。

「授業計画に気を取られて忘れてた!? 確かアレは明日には整理して新田先生に出さないと――うぁぁああぁあ……」
「……明日菜」
「う、うん……私に手伝えることがあったら、出来るだけのことはするよ」

 こほん、と、ハルナは一つ咳払いをする。
 我に返ったネギは、もの凄い勢いで彼女に頭を下げた。

「ご、ごめんなさいっ! いえ、決して皆さんの進路の事を軽んじていたわけじゃないんですっ! けれど仕事が忙しくて授業の合間にやったあれの事をすっかり忘れて――い、いえ、言い訳する訳じゃなくて、悪いのは全部僕なんですけど!」
「あ――……わかった、改めて言う。私ね、漫画家目指してるの」
「は、はい……立派なことだと思います」

 苦笑して言い直したハルナに、ネギは恐縮して頭を下げる。

「ぼ、僕も日本の漫画は大好きですから――ああいうことが出来るのは素晴らしいと思います」
「そう? ありがとう――ま、正直――今は迷ってるんだけどね」

 漫画で喰っていける人間など、結局才能と幸運に恵まれた一握りの人間だけだ。自分には必ずそれだけのものがあると自惚れることは、彼女には出来なかった。
 あるいはそれが出来ることが、条件の一つなのだろうかと、そう考えてみた事も無くはないが――やはり、それは自分には難しいのである。

「でも――とりあえず“そこ”までは吹っ切れた。ウジウジ暗いだけのオタクなんてやってらんないって、そう思えた。私は漫画家をやりたいのか、どうかって。“悩める”ところまでは、来た」

 ハルナは一つ息を吐いて、ネギに視線を戻す。

「多分それは――ちうっちの、お陰だから」




 ネットアイドル“ちう”が、最初にネット上に登場したのは二年ほど前。某動画投稿サイトに、本人が投稿したとある動画であったという。
 ――と言うのは、ハルナ自身はその辺りのことを知らないからだ。
 いくら自身をオタクと自称していても、彼女はアイドルオタクではないし、彼女自身、年頃の少女である。自分とそれほど年の変わらない少女が、画面の中で振りまく愛嬌など、見ていて面白いものでもない。
 だから、彼女がそれを見かけたのは、本当に偶然だった。
 ネットサーフィン中にとある電子掲示板で、あまりにも議論が白熱していたので、何となく眺めていたのだ。
 自分も気持ち悪いオタク娘を自称しているが、こいつらも大概である――などと、半ば自嘲めいたことを考えつつ、そこに貼り付けられた画像を見て――吹き出しそうになった。
 自分のクラスメイトが、見たこともないような可愛らしい――それも妙に露出度の高い服装で、満面の笑顔を浮かべて画面に踊っていれば、当然と言える。
 さすがに一度は人違いだとか他人のそら似だとか思っては見たが、見れば見るほど、その少女は自分のクラスメイト――長谷川千雨本人であるような気がしてくる。
 彼女が髪を切った翌日に、ネットアイドルの“ちう”もまたショートカットになっていた段になって、ハルナは確信した。
 意外だった。
 長谷川千雨という少女は、自分ほどではないが、どちらかと言えばあの馬鹿騒ぎが日常のクラスの中では、物静かな方である。
 麻帆良の非常識に頭を抱え、クラスで巻き起こる馬鹿騒ぎにため息をつく、そんな彼女が。
 ただ――何となく、納得してしまった部分もある。
 彼女はハルナと同じく漫画研究会に所属している。しかしどちらかと言えば、その活動に積極的には参加してこない。
 けれど、ただ部室に来て漫画を読んでいるだけ――そんな“やる気のない”部員とは、明らかに何かが違っていた。

「だから、ストレートに聞いてみたんだよね。あんた、ネットアイドルの“ちう”じゃないのか、って」

 その瞬間にハルナは首根っこを引っ掴まれて、人気のない階段裏に引っ張り込まれたと言う。
 どうやら表では常識人を自称している千雨にとって、ネットアイドルとして活躍しているという事実は、隠したいものだったようである。

「でも、それっておかしいよね。アイドルって結局、自分を見て欲しいわけじゃない? 私だったら外も歩けないような格好で、誰が見てるかもわからないカメラに向かってポーズして――なのに、バレたら恥ずかしいって、おかしくない?」
「ハルナが外も歩けない格好って――あの娘どんなカッコしてたのよ」

 明日菜にとっては、ハルナ以上に理解しがたい世界なのは間違いない。半ば呆れたような顔で、彼女は問うた。

「少なくとも――街角に立ってたら間違いなく逮捕される格好」
「……」
「あ、ごめん、勘違いしないで。ちうっちは別に露出狂じゃないから。漫画のキャラクターのコスプレだったんだよ。明日菜は知らないだろうけど、コミケのコスプレエリアとか、もう凄いよ? これ大丈夫なの? みたいな人がいっぱいいるから」
「――出来れば一生知りたくないわ」
「まあそう言わずに――次のコミケに付き合わない?」
「少しいつもの調子が戻ってきたみたいで安心したけど、遠慮しておく」

 顔の前で手を振る明日菜に苦笑を浮かべ、ハルナは話を続ける。
 疑問を投げかけた彼女に対して、千雨は言ったのだという。自分にとってコスプレとは、単なる趣味以上のものなのだ、と。
 聞きようによってはただのおかしな人である。
 けれど、その時の彼女を見て、ハルナはそれを茶化そうとは思わなかった。
 驚きはしたけれど、果たしてネットアイドル“ちう”は、同性である自分から見ても可憐で、引きつけられるような何かがあった。

「私は、別にちうっちが何をやっていようと文句はなかったし、隠しておきたいならバラそうって気もなかった。ましてや、ちうっちの事を馬鹿にしようとなんて」

 けれど、彼女もまた、ハルナのことをよく知っているわけではなかった。
 ハルナが“オタク”であることも、知らなかったのだろう。そんな千雨から、彼女はどう見えたのか。少なくとも世間一般で、コスプレ等という行為がどう見られているか――それを、千雨は理解していた。

「馬鹿にしたけりゃ勝手にしてくれって、ちうっちは言ってた。ただ、クラスメイトには言わないでくれって」

 その顔は、自棄になったようには見えなかった。
 馬鹿にするならそうすればいい。ただハルナがそうしたところで、自分の意思は変わらない――言外にそう言っているように思えた。

「……今にして思えば、恥ずかしかったのか、目立ちたくなかったのか――どっちなんだろうって思う。あと――ほら、漫画やアニメのキャラクターって、結構過激な格好が多いからね。中学生のちうっちがそう言う格好して――学校にバレたら何言われるかわからないし」
「う、うーん……私はやっぱり、その辺の事よくわかんないなあ」
「拙者も――長谷川殿には悪いが、何処の誰とも知らぬ輩の目に肌を晒して、それがどう思われているのかなど――寒気がするで御座る」
「まあ、そう言う余計な心配されたくないんじゃないかってね。でも――その辺のことは安心して良いと思うよ? 確かに世の中、エロい事ばっかり考えてるような気持ち悪いオタクは多いけどさ、何て言うか――後でちうっちのコスプレ写真見たらいいよ。どんだけ大胆な格好でもね、そう言うんじゃないんだ。見てくれたら多分、私が何言いたいかわかってもらえると思うから」

 何というか――ネットアイドル“ちう”は、とにかく輝いて見えるのだと、ハルナは言う。
 男にこびたようなアイドルではなく、露出狂まがいの自己満足でも、もちろん無い。

「何て言うか――全身から何かを伝えたいって言う気持ちが、ガンガン伝わってくるって言うのかな」

 ハルナの言葉に、明日菜とシロは顔を見合わせ、ネギは少し難しい顔になる。

「だから、私勢いで言っちゃったんだ。私もオタクなんだけど――って」

 その言葉が、どれほどの意味合いを持って千雨に届いたのかはわからない。
 ただ後日、ハルナはありったけの勇気を振り絞って、自分の描いた漫画を彼女に見せたのだ。馬鹿にされても、笑われてもいいと、その時は思っていた。きっかけは偶然だったとは言え、千雨の秘密を知ってしまった自分には、それくらいでフェアというものだろうと思っていた。

「そしたらさ、ちうっち――真面目な顔して言うんだよ。『すごいな早乙女』――って」

 それから二人は、友人になった。
 友人であり――世間には認められにくい夢を持つ、同志になった。

「ちうっちは、本当に凄いよ。コスチュームって結局、飾りなのね。人を引き立ててみせる、飾り。それをホントの意味で理解してるって言うか――たとえば漫画を読んだら、その“見せ方の意図”を、ちうっちは理解しちゃうの。その上でコスプレするから、本当に“うは、これテラ本人”みたいなすっげーのが出来ちゃうのよ」
「は、はあ……」
「よ、よくわかんないけど――何かすごそうね?」
「そうですね――……あ、いえ、本当にそう思ってますよ? でも」

 ハルナの力説に、いまいちついて行けていない三人は、それでもどうにか、長谷川千雨という少女がいかに凄いのかを理解しようとしたのだろう。
 しかしふと、ネギが言った。

「その、長谷川さんが凄いというのは何となく分かりましたけど――どうして、早乙女さんと喧嘩になんてなったんですか?」

 何処か輝いた顔で話をしていたハルナのその顔に――その言葉と共に、影が差す。
 むろん、彼女は、千雨の素晴らしさを説くためにここに来たわけではない。
 話さねば、ならないだろう。シロや裕奈には、実際に迷惑を掛けてしまったのだ。それにあの場でクラスメイト達が止めてくれなかったら――彼女はその“素晴らしい”友人に、殴りかかっていたかも知れない。

「それは――」

 目を伏せ、拳を握りしめて、ハルナは言った。

「……あの娘が、自分はもう死んだんだとかって――フザケた事、言うから」

 その言葉にネギと明日菜は驚きの表情を浮かべ――シロはその瞳を、薄く細めた。




『そう――“自分はもう死んだはずの人間であって、長谷川千雨というこの娘ではない”と――彼女はそう言ったよ』

 場所を移して、夕刻――午後六時過ぎ、麻帆良学園都市郊外、横島邸。
 電話の向こう側で、優しげな声の男――唐巣和宏神父は、そう言った。
 その言葉を受話器から聞いたシロは、自分で何かを納得するように唇に指を当て――小さく頷いた。
 話の発端となった早乙女ハルナは、今現在台所で、神楽坂明日菜、近衛木乃香と共に夕食の準備をしている。
 話が“こういう”事態になってきた以上、一度唐巣神父に事の次第を告げておこうと提案したのは、先日彼から連絡を受けたシロだった。ハルナ本人もまた、オカルトじみた話には縁遠い普通の少女である。何か助言が出来るならと同行し、明日菜もまたそれに付き添った。
 ネギは手伝いたい様子だったが、本来の仕事が山積して動くことが出来ず、今日は新田教諭のサポートを受けて、彼の自宅で溜まった仕事を片付けるのだという。必ず報告をすることを約束して、別れた。彼の“使い魔”を自称するオコジョ妖精も、何を思ったかそちらに向かっているから、結果として寮の部屋には木乃香一人が残される事となる。
 彼女を一人にするのも何だか申し訳がないと明日菜が言ったのと、こういうときには人数が多い方が安心できるだろうという適当な理由付けから、彼女もまたこちらに来ている。

「唐巣神父は、どう思われるので御座るか?」
『正直なところ――私には判断が付けられない、と言うべきだろう』

 霊視はしてみた、と、彼は言う。
 しかし長谷川千雨という少女の魂に、おかしな波動は感じられなかった。それはシロも同じ意見だ。人間には感知できない、魂の微細な匂いまでをも感じ取る、人狼のずば抜けた霊感をもってしても――彼女が“おかしい”とは、思えない。

『シロちゃんがそう言うのなら、彼女は霊的には全く問題ないと言うことになる』
「では――単純に、拙者らの範疇外の仕事で御座ろうか?」
『いや――これは私の勘だがね。そう単純なものでは、無い気がするのだよ』

 聞けば、千雨は以前、生死の境をさまよう程の大事故に遭った。
 そういう大変なことを経験して以来、少し様子がおかしい――などというのは、オカルトに関係なく、ままある事である。死ぬような目にあって人生観が変わったというのもあるし、あるいは単純に、事故の心的外傷から、今までと違った行動を取り始めるだとか。
 そうであれば、霊能力者の出る幕などではない。精神科医かカウンセラーの世話になるのが、道理だろう。

「はあ――しかしそうとなれば、拙者らにはどうしたものか」
『横島君ならあるいは、と、思ったのだがね』

 唐巣の言葉に、シロの整った眉根に、僅かに皺が寄った。

「神父――恐縮で御座るが、先生は既にゴースト・スイーパーを退いた身。拙者が言うことでは御座らんが――便利屋のように扱われても、些か宜しいものでは御座らん」
『――……すまなかった。つい――こんな事を言うのは愚かな事なのだろうが、どうも自然と――ね。全く君の言うとおりだ。我々はどれだけ、あの心優しき青年を頼れば気が済むというのだろうか』
「いえ――もしも拙者が神父の立場であったならば、同じ事を思ったで御座る――否、正直に申せば――拙者も、真っ先に先生を頼ることを……考えた」

 シロは歯を食いしばる。奥歯が立てた嫌な音を隠すために、彼女は受話器を遠ざける。

『――シロちゃん。私が言えた義理ではないが――君がそうやって苦しんでも、きっと彼はいい顔はしないだろう』
「……はい。それは――重々承知。いえ――先生は、御尊父様に仕事の関係で呼ばれて、暫く不在にすると」
『そうか――いや、もう一度謝らせて貰う。すまない』

 話を戻そう、と、唐巣は言った。

『では、彼女が言う“自分は既に死んだ”――とは、一体どういう事なのだろう?』
「ふむ……時に神父、神父が長谷川殿の言葉を、ただの思いこみの類ではないと判断した理由は何で御座るか?」
『彼女は言ったよ。今の自分が、“長谷川千雨”という少女が、事故の衝撃によって作り出した別人格のようなものではないかと、そう考えた事もある、と』

 確かにそのようなものであれば、ハルナの言葉には納得できる。
 自分が「死んだ」と強く思いこんだが故に、千雨自身が生み出した別人格――大きな事故を経験したという彼女であれば、あり得なくはない話だ。

「しかし彼女は、そうではないと結論づけた――と」
『そうだ。彼女は言ったよ。自分は――』

 唐巣が続けた言葉に、シロは何か変なものを飲み込んだような顔になった。

『自分は目が覚めたとき――“無意識にひげ剃りを探していた”と』
「……は?」




「――蜂蜜は万能調味料なのです。いえ、調味料というカテゴリには収まりきらない、そんな崇高な存在なのです」
「だからと言ってひじきの煮付けに蜂蜜はどうかと思うわよ、あげはちゃん」
「そうよ、ここは思い切ってこのマヨネーズを行っちゃいましょう」
「ハルナはちょっと黙ってて」
「まあまあ……自由な発想も料理には大事なことやと思うで? せやけど――自分で作ったモンは責任持って完食しいや? お残しは――許しまへんで?」
「どうしよう木乃香の目がマジだ。助けて、高畑先生助けて」

 台所の方から聞こえる喧噪が、何処か遠くに感じられる。


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