①サイド・???『好きで幼女をしているわけではないからね!』『ヨーキは幼女ではないわ』『へ?』『美幼女よ』『……なにそのドヤ顔』
快晴である。
空は高く青々として広大で、夏の日差しに肥えた入道雲がそこを気持ち良さそうに泳いでいる。
蝉の鳴き声が痛快に響き渡り、これでもかと言わんばかりに夏を演出している、そんな長く長く続く田舎道を二人の人物が歩いてる。
キラキラと水面輝く田んぼの間を縫うようにある小道を颯爽と歩く姿は周囲とのギャップも相まって何処か現実離れをしている。
「いやぁ、夏だなぁ、こんなに天気のいい日は虫取り、魚取り、野草取りと洒落込みたいものだけど」
「止めてね、主が野蛮だと従者の方まで色眼鏡で見られるから」
軽口を叩き合いながらも軽妙なテンポで会話は進む、そこからもこのおかしな二人の並々ならぬ関係を示している。
片方は童女と言っても差し支えの無い容姿をしている、満面の笑みを浮かべ早足で横に並ぶ女性に付いて行く様は一見親子のようにも見える。
しかし童女を見る女性の眼は優しくも穏やかで、かつ母性愛に満ち満ちていてるのに何処かそれだけではないような、忠実な犬のみが持つ忠誠心の色を宿している。
賢くもあり小賢しくもあるのに妙な高慢さを手放さない、媚びた笑みを時折浮かべるのにそれが本心では無い様な、複雑な模様を描いている、そんな女性だ。
「ヨーキ、汗が……ほら、逃げないの」
「むぅ、どうせすぐにまた汗まみれになるんだから拭く必要なんてないよ?」
「これから人に会うのだから少しは気を使いなさい、女の子なんだから」
「……げぇ」
優しく諭す女性に心底嫌そうに童女は愛らしい顔をゆがめる、眉を八の字にして色素の薄い舌を出す。
おどけた仕種が良く似合う、少女らしい感性の豊かさがより魅力的な色合いで彼女を際立たせる、それをわかっているのか女性の方もそれを嗜めるような事は言わない。
少女の名は『真師江・祁主ヨーキ』(ましえ・けすよーき)女性の名は『真師江・鳴神』(ましえ・なるがみ)
名字が同じであるのは親子であるからして当然であるし、ヨーキに向ける鳴神の親愛の籠った視線も当然の事と言える、しかしながらそれが世間一般で言う親子に当て嵌まるとは限らない。
しかも彼女たちが住むこの世界は"ちょっぴり狂っている"のだから、それも当然の事とも言える。
「うぅ、鳴神は俺に似なかったね、子は親に似るって言うけれど、見た目が似ているだけで、中身はまったくだ」
「あら、それは残念ね」
手早くヨーキの汗をハンカチで拭う鳴神の表情は言葉とは違い優しげなものだ、ヨーキの世話をするのが心の底から楽しいのだ。
ちなみにヨーキの汗を拭うのはスイス製の高級ハンカチだが、自分の汗を拭うのは名も無き会社の量産品のハンカチだ、それを知ってか知らずかヨーキは呆れたように視線を彷徨わせる。
見た目は少女であり母であるヨーキ、見た目はヨーキより年上であるのに実質は娘である鳴神、かたや和服に身を包み、かたやエプロンドレスを身に付けている。
二人の関係は親子であり主従の関係である、ヨーキの見た目は10歳にも満たぬような幼いものだ、アリス・リデルを彷彿とさせるような白髪のボブヘアに愛らしい顔立ちをしている。
好奇心に満ち満ちた大きな瞳は兎を思わせるような真っ赤な色をしている、そこに兎のような臆病さは無く、ただ明るい色合いを持って彼女の性根の真っすぐさを示しているようだ。
睫毛は長く眉も小奇麗に整っていて西洋人形のように完璧に配置されている、色素の薄い唇は淡い桃色をしており何処か儚げな印象を見る者に与えるが実際の彼女は良く喋り良く笑う。
服装もそんな快活な彼女にぴったりなもので、俗に言う"キッズ浴衣"と呼ばれるものを着ている、この名前を風情や情緒の崩壊と取るか革新と取るかはさておいて、ヨーキに良く似合っているのは間違いない。
淡い桃色の生地には桜の花びらがあしらっていて艶やかだ、また本格的な着物とは違って生地そのものは通気性のある洋服のものと違い無いし、着衣も簡単に出来るお手軽品である。
服装の簡易さとは違って履物は本格的な黒塗りの三枚歯をした下駄を履いている、どう見ても歩きにくそうなそれで快活に歩く姿が妙に様になっていて、足元だけ見れば花魁のようである。
「鳴神はさー、本当に俺の腹を痛めて産んだのかって疑問に思うぐらいは完璧超人だよな、オッパイがこれでデカかったら完ぺきなのにね」
「永久に合法なロリータな母親にそんな事を言われるなんてショックだわ、幼い蕾にしか興奮をしない精神破綻者達に甘い匂いをばら撒くヨーキの娘だけあってこの胸はどうしようもないもの」
「……娘が可愛げがない」
「私はヨーキの事を愛しているわ」
「……しかも話に脈絡が無く、愛の告白をされた」
「家族間でも愛情をちゃんと伝える事は大事だと思うわ」
淡々と母親に応える鳴神を一目でヨーキとの血の繋がりを看破出来ぬ者は早々いないだろう、ソレほどまでに二人は良く似ている、まさに生き写しとはこの二人の為にあるような言葉である。
ヨーキがそのまま成長した姿が鳴神と言えば手っ取り早いだろう、実際その立場は逆なのだが、それだけで言葉足りる程だ。
しかし纏う空気と服装は真逆と言って良い、ヨーキが朗らかさと子供らしさを兼ねて持つのに対し、鳴神は歳相応以上に落ち着いている、幼い少女らしい青さを残しながら淑女と呼ぶにふさわしい振る舞いだ。
今年で15歳になるのだが、対峙する大人ですら緊張してしまうような凛と張り詰めた空気を持っている少女だ、しかし母であるヨーキに構う姿は何処までも愛情に満ちている。
最も特徴的なのはその完成された美貌だが、母親が幼く和らげな輪郭であるのに対し、鳴神の容姿はさらに洗練され、何処か刃物を彷彿とさせるほどに研ぎ澄まされている。
またヨーキのように表情に感情の起伏が出る事は滅多に無く、寒々とした視線を周囲に向けている、唯一、母であるヨーキを見る際には暖かみを持つのが救いと言えば救いだ。
自分よりかなり身長の低いヨーキの動きを見逃さぬように歩きながらも視線は一定の場所から動かさない、子を守る肉食獣の母親の視線が丁度このような感じになるだろう。
服装は古風なエプロンドレス―メイド服と呼ばれるものだ、しかも遊び心の無い実用性重視といった具合のもので、彼女の飾らない性格がそのままに表れている。
黒のシンプルなワンピースにシミ一つない白いエプロン、フリルの付いたカチューシャ、ヴィクトリアンメイドここに極まりと言った所、作業着としての実用性に溢れている。
母と同じ雪のように白い髪はシニヨンにして整然と纏めている、ただ一つ洒落っ気があるとしたらその団子に刺した琥珀色の簪だろう、西洋の出で立ちに不思議と似合っている。
スレンダーなボディに機能美に溢れた服装は従者としては理想的だが、一般的な感覚で言えば親子の関係でありながらそのような形を求めるのは理解に苦しむ所だ。
しかし彼女はメイドであるし、主は目の前にいる幼い姿をした母だ、それは彼女が誰よりも深く知っている。
「こんなに大きくなった娘に今更に愛情を伝えられても困るよ」
「そうね、ヨーキはツンデレだものね、そこら辺はちゃんと理解しているから安心して、四季と同じように、デレにも時期があるものね」
「無いよ!その仮説だとツンとデレはわかるけど秋と冬に当て嵌まるのが無いじゃないか」
「ツン・デレ・ヤン・デレ」
「……や、やん?……てかさ、デレが二つもあるじゃんか」
「その割合が神の割合らしいわ」
「時折、鳴神の事が本当にわからなくなるよ、俺の娘ながら中々におかしな思考回路をしてるね、こうさ、軋みをあげてるね」
「いつでも素直に愛情を示しているだけなのだけれど、そう言われると心外だわ、娘としてもメイドとしても」
目的地はまだ遠い。
②サイド・ヨーキ『羽を出して飛んでけば楽なんだろうけど、みんな驚いちゃうしなぁ』『お姫様抱っこしてあげましょうか?』『な、ななな』『私にとってのお姫様はヨーキですもの』
俺、こと『真師江・祁主ヨーキ』の存在と言うのは自分ながら中々に説明のし辛い存在だ。
この少し王道から踏み外れてしまった外道の世界には様々な生き物が気ままに生活をしている、昔と比べて純粋な人間が占める割合が激減しただけで、人型(ひとがた)は沢山いる。
勿論、人の形をしていなかったり意思の疎通さえ不可能な化け物も多くいるが、長い時間をかけてソレすらも世界に溶け込んでしまった、時の流れと言うのはあらゆる事柄の万能薬だ。
人間、精霊(自然現象)妖怪、人妖(人型の妖怪)悪魔(西洋のあやかし)とまあ代表的なのはこのようなもので、その他多くの雑多な存在が"存在"している、統一性は無く、協調性も無い。
俺はそのどれでも無く、どれにも当て嵌まる、この混沌の世界に生まれた新種の鵺(ぬえ)的な生き物だ、生まれ落ちてから今まで自分の同族に会った事は無い、娘を除けばだけど。
かつて人間がつくり出した文明の遺産とも言える"街"の廃墟に様々な人種が住み着いているのがこの世界の基本的な姿だ、その街の周りには巨大な壁が建てられていて外界と遮断されている。
つまりは強い凶暴性を持つ妖怪や、人間を食うような存在は街に入る事を禁止されている、"許可書"を持つ存在でしか文明の恩恵にありつけないのだ、許可書は街の全権を握る市長から授けられる。
それぞれの街によって審査の厳しさは違うが、激減したからと言って世界の半数以上を未だに占める人類と友好的になれない存在は全て振り落される、と言っても、街へと違法侵入する輩は後を絶たない。
ソレほどまでに街と外界での生活の豊かさは違う、だけれど、古参な妖怪になればなる程に外界に住まうケースが多いのは、街やルールに縛られない生活の方に魅力を感じるのか、そもそもそんな成り立ちも知らないのだろう(古い妖怪ほど、世界や他人に興味を持たない仙人的な思想になる)
正しくは妖怪ではないけれど俺も長く長く生きている、恐らく千年は軽いだろう、ちなみにこの世界が俺に与えた種族名は『新種・鵺』とだけだ、狂った世界に相応しい、いい加減な名称である。
そんな自分も子を孕み、俗世に溶け込んで生活をしているのは、誰一人、誰一匹、同族の持たない寂しさを癒す為だ、傷口をペロペロする為、弱虫なんだよ俺。
この世界でも有数の巨大都市『全能ノ都』で館を構え、探偵紛いの仕事をしながら生活をしている、助手は娘一人だけ、家族経営は融通が利くからとそれだけの理由です。
伊達に長生きをしているわけでは無く、俺の腕っ節はそこそこに強い、知り合いも多くコネもある、なのでこの仕事は天職だとも思っている……成長しない体のせいで普通の仕事が出来ないのもまあ理由かな?
ゲゲゲの鬼太●のように依頼が来るのを待つだけ、嬉しい事にこの辺では少しは名が知れている、自分から仕事を取りに行かなくても向こうから自然と依頼が舞い込んでくる。
しかし、まさかまさか、街の外の人間から仕事を依頼されるのは本当に久方ぶりで驚いてしまった、世間一般的には外界は魔物の巣窟と思われているがそんな事は無い。
どちらかと言えば外で過ごした時間の方が長い俺にとっては住み慣れた庭のようなものだ、しかもこの街の周りに住む妖怪(街に住まないちょっとアレな奴ら)とは古くからの友達が多い。
裏ルートを使って人目のつかないように会いに行ったり、会いに来てもらったりしている身としては、外に出て仕事をする事に抵抗は無い、ただ正規の仕事なので外への出入りの手続きが怠いだけだ。
本当なら今回は一人で依頼を済ますつもりだった、娘の鳴神は街の外に出た経験は無い、とても危険、それを理由にして久方ぶりの一人旅を謳歌しようとしたのだがその野望は儚くも無残に散ってしまった。
『今回は外での依頼だし、手紙を読んだ感じ物騒だからさ、だから、その』(チラチラ
『あら、で?』(ピキ―ン
絶対零度の視線に晒されて頭を垂れてしまった。
どうも過保護で困るのは娘の方で、俺としてはいつもそこからどうにか抜け出そうともがくのだけれども、考えてみれば上手く行った事が無い。
なので親子仲良く、外界の目的地に向かって元気にばく進中なわけである、半日もすれば目的地に着くのだけれど、外の世界を娘に色々と説明して歩いているので少し遅れているかな。
街に住む安全を保障された"普通の人間"には理解出来ないだろうけど、外界でも人間は多く生活している、街に住む事が出来るのは一部の人々で、そこに住めない人も沢山いる。
今回向かう場所もそんな人々の住まう小さな村である、そこまでの道筋は長閑なもので、こんなにも晴々とした日には道草が食いたくなるのも仕方がない事だろう。
「でもさ、本当に鳴神は館に残ってくれて良かったんだよ?」
「あら。私について来て欲しくなかったのかしら?そうだとしたら欝だわ、死にましょう」
「はぁ、こんなんじゃ、いつになったらお嫁に行く事やら、しかし鳴神、その格好で暑く無いの?」
「メイドですから」
理由になってないと思うんだけど、毎回のやりとりなので聞き流す、どうしてこんな娘に育っちゃったんだろ?
でも生活能力が人様に褒められるものではない俺にとってはありがたい存在だ、何せ鳴神の家事能力は国宝級、お嫁さんになって家を出て行かれたら死ぬのは俺の方か……そうしたらまた野に帰ろうかな。
ぺチッ、頭を軽く叩かれる。
「な、なんだよー」
「悪い事を考えてる顔をしていたから、ヨーキはわかりやすいわね、全部考えている事が顔に出るもの」
鳴神は心を読む能力でもあるのかといつも疑ってしまう、でも俺の種族にそんな力は無い、単に俺がわかりやすいだけ。
昔からの友達にも良く言われる、鳴神と同じで普段からして何を考えているかわからない奴らが大半だけど、古い妖怪はそんな奴ばっか、みーんな腹黒い狸なんだ。
「悪い事は考えてないよ!て言うか!母親の頭を気軽に叩かないよーにな、わっ」
「あら」
遠目に見てもわかる、道端に人が倒れこんでいる、それに微かな血のにおい、微かなと言っても乾燥して生臭く無い、錆び付いたにおい、だから走るような真似はしない。
先程のように何て事の無い会話をしながらゆっくりとそれに近づく、丁度、狭い道を遮るかのように倒れ込んだソレは既に仏様だ、夏の日差しにさらされて寝苦しそうだ。
こういった仕事をしていると死体に出くわす事は少なくない、鳴神は顔色一つ変えないし、俺は人を食わないが知り合いで人食いの妖怪なんてざらにいる、昔から慣れたものだ。
なのに、やっぱりこの光景を物悲しく思えるのは俺の感性が人間に近いからだろうか、獣の死体のように無視出来ない、そんな魔性の煙が立ち込めているように思える、捨て置けない。
取り合えず抱き起こしてみるが、腹にポッカリと冗談のように大穴が開いている、顔面は――無い、削られている、そこも空洞になっていて、無残に頭蓋骨が割られている。
脳と内臓と、美味い所だけ食べた、そんな所だろうか……気味の悪い沈黙が辺りを支配する、身なりからして旅の商人といった所か、少し外れた場所に台車が転がっているのを確認する。
「ヨーキ、その人」
「うん、妖怪に襲われたみたいだな、しかも相当にグルメな奴に、取り合えずこのままにしてるとすぐに腐っちゃう、弔ってあげよう」
「外ではこんな事が当たり前なのかしら?」
「そだねー、でもこんな風に酷い食い方は普通しないよ、食べ残しって言えばいいのかな、俺は嫌だな、人間でも妖怪でも、こんな食べ方は――無いよ」
人が獣を食うのも、人食い妖怪が人を食うのも当たり前。
だとしても、そこで美食的な思想で食べれる部分を捨てると言うのは酷く嫌悪感のそそる話だと思う、俺のそんな感覚を親友は変に潔癖な部分があるわね、と嫌な顔をした。
適当に獣や妖怪に荒らされ難い場所を見繕って丁寧に弔ってやる、丁寧にと言っても土を盛って、小枝を立てて上げるといった簡易なものだ、だけれどこれであの世を行く事が出来る。
小枝は天へと昇る道だ、人間の文化に素直に感心してしまう、とても豊かな感性に憧れを抱いてしまうのは無理からぬ事、俺は昔から人間が好きなのだ。
「私の母親ながら変わり者ね、死体を弔う妖なんて聞いた事ないわ」
「分類上、妖に近いってだけだからいいのだ、なんだよ、少し不満そうな顔をしちゃってさ」
お墓を作る事には納得してくれたのに、その鋭利な美貌を僅かに曇らせて口先を尖らせている、鳴神の感性は俺と違って妖寄りだ。
これは嬉しい誤算でもあるのだが……俺のように妖と人間を半端に齧っているような曖昧な性格よりはこの世界に適応出来るだろうと、まあ、素直な親心だったりする。
「いいえ、ヨーキの今考えているような不満ではないわ、私は基本、ヨーキのやる事に不平不満なんてものは存在しないわね」
「あぅ、そこまで言われると少し怖いんだけど」
狂信めいたものは好意であれ悪意であれ苦手だ、昔、とある神社の神として讃えられた苦い経験を思い出す、土地から逃げられる様に幾重にも結界を張られ、知り合いを人質に脅された。
結局のところ、300年ぐらい経てば自然にその里は滅んだのだけど、当然だろう、神様でも何でも無い鵺如きに何を期待したのかはさっぱりわからない。
その時に覚えた神様の真似事は以外と役に立っている、何せ元手がゼロで力を得られるのだから、神様って奴は軌道に乗ればボロい商売だ。
「ヨーキは結局の所、甘くて、優しいのね」
突然の娘の告白に目を瞬かせ唸る、素直に頷くべきか聞き流すべきか、それは俺のトラウマにも通じている、妖に成り切れない妖と言われ続けて来たからなのか。
返事を窮する俺に鳴神はまるで母親のような慈愛に満ちた顔で笑いかける、見透かされているような感覚を覚えて気恥ずかしくなる、俺が"おかーさん"なのに。
不思議な親子だと柄にでも無い事を思った。
③サイド・鳴神『ヨーキをくんかくんかしたいわ』『え、あ、えと、うん、別にいいよ?』『我が母ながら危うい子、そしてお日様の匂い!』『あ、あはは』
目的地に着いたのは結局あの死体を弔った数時間後だった、すっかり日も落ちて人里は静寂に満ちていた、辺境の地域特有の張り詰めた夜の空気が辺りを支配している。
私の母であるヨーキは弱ったなぁと呟いた後に何かを思案している、恐らくこのまま依頼主である村長の家に行くか宿屋に一泊した後に日を改めて行くか悩んでいるのでしょうね。
人では無いのに常識をしっかり持っているヨーキからすれば、この夜更けの訪問はやや抵抗がある見たい、依頼したのはあちらなのだからそこまで気を回さなくても良いと思うのだけれど。
虫の鳴き声と夜風が通り抜ける音を聞きながら私はヨーキを見る、シミ一つなくきめ細かい肌に艶やかな綿のようにフワフワした白髪、数年経てば絶世の美女になる事を見る者に思わせる整った容貌、着ている服も軽やかだが質の良い物で、このような辺境の里ではどうしても目立ってしまう。
従者の私を連れている事も考えるに何処かの貴族とでも思われているのかもしれない、先程すれ違った村の男性が驚いたかのような顔をして逃げるように去っていたのも無理からぬ話なのだろうけど、ヨーキは少し寂しそうにその背を見送った後に今の状態に陥った、これでは宿の場所を聞くのも一苦労、そもそもこの村に宿があるのかさえ怪しいものだ。
「いつまでも悩むのもいいけど、朝までそうしているつもりなのかしら?」
「う、うっさいなぁ、決めた!今から村長の家に行こう!」
「場所はわかるのかしら?」
「一番大きなお家が村長のものでしょ、人間ってそーゆー生き物だと俺は記憶している!」
何だか良く分からない理屈だがヨーキが無い胸を張って自信満々に答えたので何も口出ししない。
確かに一理あるでしょうし、でもヨーキって人間を語る時は本当に嬉しそうで楽しそうで、微笑ましい気持ちになってしまう、騙された経験も何度もあるのに何て純真で強い人なんだろう。
今回の旅に同行したのもヨーキのようなお人よしが悪い人間に騙されないか不安だったのが一番大きな理由、本当に私が生まれるまでにどれだけの人間に利用されて来たかと思うと腸が煮えくりかえる。
「そうね、ヨーキは賢いものね」
「え、えへへ、さあ、行こう」
褒めてあげたらすっかり調子づいたみたいだけど、私はヨーキの笑顔が好きだから望む所だ、月の光を頼りに知らない村を歩くのはやはり心細いものがある。
なので手を繋いでなるべく大通りを歩いてく事にした、大通りと言っても村の真ん中を大きな道が無造作に通ってるだけで、別にきちんと舗装されているわけでも店が立ち並んでいるわけでもない。
辺境の人里など多かれ少なかれこのようなものだろう、全能ノ都を今まで一度も出た事の無かった私ですらなんとなくわかってしまう、これがこの世界の実状で多くの人間は質素な生活をして地道に生を謳歌している、妖の恐怖に怯えながらもこうも逞しくある事に僅かな感嘆を覚えてしまう程に。
「結構いい村だね」
「あら、どうしてそんな事がわかるのかしら?」
「すれ違う人の多くが痩せ細っているわけでも怪我をしているわけでもないよね?食料に困っていないし、無理な仕事をして怪我をする程に追い詰められた状況でもない、こーゆーの、人間にとってはとっても大事なのさ♪」
どうしても歩幅のせいでヨーキより歩くペースが速くなってしまう、なのでなるべく意識して歩く速度を合わせてあげる、私たちの事を知らない人間が見たらどのような関係に見えるのかしら?と思案する。
それは当然、私が母親か姉に見られてヨーキが娘か妹に見られるのだろう、少し、見っとも無い笑顔になりそうなので堪える、ヨーキはそんな私の邪な考えなどは露知らず興味深そうに簡易で質素な村の様子を見ている、まるで玩具を与えられた子供のような瞳の煌めきに少し呆れてしまう、ここまで人好きの人外も相当に珍しいだろう、少なくとも私はヨーキ以外にここまで人間に対して愛情を向ける妖は知らないし(人間と共存する妖は多くいるがヨーキ程に異常に好いてはいない)その娘であり同じ血肉を持つ私ですらそのような稀有な感情は持ち合わせてはいない、その事実から考えるにヨーキの人間好きは後天的なものなのだろうが、深く追求した事は無いので事実は闇の中である。
「眉間に皺を寄せて、美人が台無しだよ鳴神、何か考え事でもしているのかな?かな?」
「二回言うのが可愛いわ」
「うっ、そーゆーの口に出すかね、ホント」
困った顔をしてそっぽを向く仕種も愛らしかったのだけれど、それをまた口にしたら拗ねてしまいそうなので自重する、しかし人の機微には敏感なのに自分の事となると無自覚で愛嬌を振り撒くのは問題ね、こう、世の中には小さな女の子が好きな変人が多くいると言うのを物の本で読んだ事がある、しっかり見ていないとホイホイと知らない人間に付いていきそうな危うさがヨーキにはある………ヨーキはとても"強い"のだけれど、それとこれとは話が別でしょうに。
だから私は一時もヨーキから眼を放さない。
「――おー」
「悪趣味ね」
「こうね、鳴神も時には言葉を選ぼうな、確かに悪趣味なのかも知れないけれど、それをそのまま口にするのはどうかと思う」
「高尚な趣味過ぎて私のようなつまらない一般的な感性には理解出来ない代物だわ」
「……ごめん」
青白い月の光に照らされた村長のものであろう住宅は何とも言えない代物だった、遠目に見ながらもしかしたらあのキチ●イハウスが目的地なのかしら?と心配をしていたのだが残念ながらその予感は正解だったみたい。
村の最奥に位置する村長の家は少し小高くなった地面の上に異様な姿を持って鎮座していた、少なくとも今まで見たこの村のどの家よりも立派なのは確かだし、権力者の家と言われれば成程と納得してしまう、ヨーキはぶるっと体を震わせてそそくさと私の後ろに体を隠してしまう、エプロンドレスの裾をキュッと握る様は怯える小動物のようだ、どうやら私に先行を希望のようである。
「怖気たのね」
「う”ーう”ーう”ー」
反論するわけでも口答えするわけでもなく、ヨーキは意味の無い呟きを悔しそうに発する、強い興味心や冒険心とは別にヨーキは臆病で怖がりな一面を持っている。
それを私に面と向かって言われたものだから咄嗟の言葉が出ずに今のような謎の呟きが漏れたのだ、どうにも、頭の回転が遅い時はとことんに遅いのがヨーキ。
そんなヨーキを怯えさす村長の住まいを一言で表すなら"貧乏人が大金持ちになると持つ家"だ、成金主義ここに極まりと言わんばかりの眩い姿はこの集落に恐ろしいほどに馴染んでいない。
ヨーキが怖がるのも無理は無い、あまりに醜悪な外観をしたその建物は持ち主の自己顕示欲を一方的に主張するばかりで眼に痛い、このような村であのような屋敷に住まうにはまず普通の感覚では無理だろう。
「ほらほら、唸ってないでしっかりなさい、しかしまあ、これでもかと言わんばかりに"金色"ね、しかもこれ、二号色ね、相当に良い商売をしていないとこんなの出来っこないわ」
「うわ。良く見ただけで比率がわかるね」
「メイドは何でも一通りの教養は備えているものなの」
「……流石は完璧メイド」
ヨーキの役に立ちたい一心で備えた技能はそれこそ多岐に渡るのだが本人の眼の前でそれを口にするのは少し憚られる、努力している私を知られるのが怖いと言えば良いのか、母親に素直に自分の努力を口にするのはどうにも品が無い様な気がして抵抗がある。
(―――単に、ヨーキの為に努力をするのは当たり前で、そんな事を態々口にして褒められようとするのが卑しいと感じているのね、我ながら厄介だわ)
「んー?」
ヨーキが不思議そうに息を吐く、何事かと眼を向けると一点を見つめて首を傾げている、眼を瞬かせて小さな掌で何度も擦りながら見つめる、私も視線の先を追ってみると、屋敷の前の和風構えの立派な門の前に若い一人の女性が立っているのがわかる、こんな夜中にうら若い女性が一人で外にいる事も変だし、何より――いつから龍は人里に平然と住まうようになったのだろうか?
「待ちくたびれたぞ、"鵺"の」
「……うぇ、龍じゃん、どうして龍が自然に待ち伏せしているのかなぁ」
人の姿をしていても『龍・竜』の気配と言うのは独特で人にはわからなくとも同じ妖にはすぐに見破られてしまう、特に目の前の女性はそれを隠す気が無いらしく気配に何の細工もない、ヨーキはそのあまりの堂々っぷりに頭痛がしたらしく頭を抱えてしまった、かく言う私も流石に龍と遭遇したのは人生で二度目なのでその気配に体を固くしてしまう、一般的なイメージ通り、龍の力と言うのは普通の妖から隔離している、それこそ天変地異を歪めるような存在なのだからなるべくお近づきにはなりたくない。
「なぁに、この村の村長と言うのがワシで、今回の一件を依頼したのがワシだからじゃ、他意はないぞぃ」
二カッと快活に笑う龍の言葉はとことんまで胡散臭かった。
④サイド・ヨーキ『流石に友人に龍は数えるほどしかいないなぁ』『あら、いるにはいるのね』『体が一つで首が幾つもある奴を一頭として捉えるか否かが問題だよね』『それはもう哲学ね』
鹿威しの奏でる音が幾つか響いた後に俺たちは日本庭園の見渡せる畳みばりの客間に案内された、何処か緊張した風になるのは依頼主が龍だとか罠にはめられたとかそんな事では無くて、単純に外観からは想像も出来ない程に良く手入れされた小ざっぱりした品のある部屋の内装に驚いたからだ。
「ああ、あれはのぉ、ワシの吐き出す息には物を金にする作用があるのじゃが、流石に屋敷の中は特殊な呪いでその効果を弾いているのじゃは、外に漏れ出したのが時を重ねる内に屋敷の壁に張り付いての、めんどいしのぅ、そのままにしておるのじゃ、時期が来ればそれを売って村の潤いにするわけじゃな」
「どうせならその呪いとやらを屋敷全体にかければいいのに」
「めんどいしのぅ」
「……えぇぇぇ?」
何だか個性的な龍を相手にしていると正座をしている自分がバカらしくなって来るので足を崩して胡坐をかく、別段無礼と言うほどではないけれど、突然態度を変えた俺を面白そうに村長だと名乗る龍は観察している、眠たげな視線と絡まり、何だか妙な対抗心のようなものを感じる。
「お前のように使用人を雇う甲斐性は無い物でな、まずい茶しか出せん事を申し訳なく思うぞ」
と言いながらも手慣れた仕種で常滑焼であろう急須から茶を注いでくれる、茶漉しを通して出る小さな滝を無言で見る様はさぞ滑稽だろうなと思う。
(龍が茶を注ぐ時代か――鵺か商売を始めるような世の中だから嘆く事でも無いのかな?)
何回かに分けて均一の濃さにしてから汗をかく湯呑みを手早く清潔な布巾で拭き茶托に置く、その動作に迷いは無く普段から日常でこなしている事なのだろうとわかる。
あまりに鮮やかな手つきに感心しつつ湯呑を手に取る、内側に一か所咲いた蒲公英の絵柄がきちんと見えるように置いてくれた気遣いか嬉しく、思わず笑みが出てしまった。
「ほう、笑うと可愛いではないか小さい鵺の、折角、愛らしい姿をしておるのだからもっと笑うが良い」
「へ?」
「お生憎様、ヨーキは笑った顔は勿論可愛いのだけれどそれは素人の浅はかな考えね、拗ねたり不貞腐れた顔もそれに匹敵するものだと知って初めて一人前のヨーキマスターになれるの、だからといってヨーキの笑顔が最もヨーキらしい愛らしさを伝える究極な方法だと言う考えには異論はないわね、むしろ支持するわ」
「意外に良く喋るではないか大きい鵺の、アハハハハ、親子と言ったか?なんとも面白い二匹じゃわい、今回の件、御主らに頼んで正解だった見たいじゃな!」
「依頼と言うと、村人が行方不明になるってあれだよね、でも龍がいる村で……そもそも何で人間の村で村長なんてしているわけなの?」
「ふむ、まずはそこから話せねばならんか、と言っても、めんどいしのぅ」
「またそれか!」
妖は長寿で高位になればなるほど怠け者で怠惰な性格に落ち着いてくるのは仕方の無い事だ、何せ人間からしたら永遠とも取れる時間を持て余し生きているのだから仕方がないと言えば仕方がない。
俺の知り合いの妖たちの多くにしたって本当に人間の生活に興味なんて無く、みんな気ままに塒(ねぐら)に籠って各々に怠惰に日々を過ごしている、しかしそれでもここまでめんどくさがりはいないように思える。
「なぁに、話すからそのように怒鳴らんでくれぇ、傷つく」
「い、意外に打たれ弱いんだ、ご、ごめんね」
「うん」
へにゃと大人びた相貌を泣き顔に歪めようとする龍に為す術も無く、謝るとすぐにパーっと晴れやかな笑顔になる、見た目は20代前後の女性なのに中身は幼い子供のような印象を受ける、最初に感じた胡散臭さと合わさってどうにも掴みどころの無い性格を思わせる。
でも、悪い妖では無いと思うのは俺の長年の感である。
「まず名乗るのが遅れたの、ワシはこの村で村長の役についておる白龍(はくりゅう)の白旗(はっき)と申す、気軽に呼び捨ててくれ」
「えっと、知ってると思うだろうけれど、俺が鵺の真師江・祁主ヨーキ、こっちのメイドさんが娘の真師江・鳴神、名字だと被っちゃうから下の名前で呼んでくれると助かるかな?」
「ほほぅ、祁主ヨーキ、"妖鬼"、"妖姫"とな、そして真師江、くくっ」
含みのある笑い方だ、でも嫌な印象を受けないのは彼女が本当に嬉しそうに笑ったからだろう、確かに変わった名前だけれどもそこまでの反応をされるとややうろたえる、名前をくれたあの人がどんな意味合いを持ってこの名を授けてくれたのか結局は聞けずじまいだったなぁ、ちなみに鳴神の名付け親は俺、好きな歌舞伎の演目からまんま取ったのはここだけの話、言えない、言えやしないさ、誤魔化す為に読みを微妙に変えたとか!
「あらあら、ヨーキったら凄い汗、体調が悪いの?」(ニコニコ
「な、なんでもない」(ダラダラ
「ふふ」(きゅぴーん
「あわわわわわ」(ぶくぶく
「面白いのぉ」
取り合えず軽い自己紹介を終える、しかし白龍(はくりゅう)かぁ、龍の中でも高位なものに位置する有名所である、全身の鱗が雪のように白く空を飛ぶ速度が他の龍と比べて尋常ではないほどに速いと聞く。
日本や中国では不可侵である神聖なものとされ、それを祭った神社もかつては多く存在していた、四竜(四龍)の一つにも数えられ知名度・実力ともにそれこそ鵺と比べるまでも無い。
「まあ、長い眠りから目覚めて見ればこの世もすっかり変わってしもーた、人間が減り、妖が増え、それこそそこらにあらゆる国の妖が蠢いておる、しかし面白い、長い間、世界を見て回った後に流れに流れてこの村に辿りついたのじゃ」
「長い眠りって?」
「ザ☆冬眠じゃ」
何とも言えない回答だった。
「での、あれはそうじゃ、七つの首を持つ大蛇がこの近隣に住みついて人間を困らせておるのを目撃しての」
「困らせるって?」
「での、あれはそうじゃ、七つの首を持つ大蛇がこの近隣に住みついて人間を捕食しておるのを目撃しての」
「言いなおした!そして急に生々しくなった!?」
「ヨーキったらそんなに声を荒げて、荒げた分、ヨーキの吐いた息が私の中に入って来るのね」
怖い事を言う娘は華麗に無視、しかし聞いている限り随分と昔の話のようだ。
「ワシもかつては聖獣として崇められ人に恩恵を与えた身、黙って見過ごすわけにはいかんと、その大蛇と半年にも渡る戦いの末、勝つ事に成功した」
「……つーかね、七つの首を持つって、確実にあれだよなぁ」
「言わんとしてる事はわかるけどヨーキ、言わぬが花よ」
窘められて口を紡ぐ、しかし、この混沌とした世界ではあらゆる夢の対戦が可能だね。
「で、暫しの後にこの村の人々に神として祭り上げられての、今やそのような時代でも無いだろうと同じ人間としてここで生活をする事にしたのじゃ、行くあても無いしの」
俺が一生望んでも恐らく叶わぬ夢であろう二つの胸を震わせて白旗が口を開く、あえて描写を避けていたのは幼児体型である俺には彼女の容姿の説明をするのはかなりの苦痛だからである。
女性の理想を実現したような、そして男性の理想を実現したかのような圧倒的なスタイルッ!出る所はしっかりと主張して控えるべき所は慎ましく……あまりに完璧すぎる造形美に軽く眩暈がするほどだ、正直に言えば羨ましいです、はい。
自分の胸を触ってみる、見事にぺったん……なんぞ、これ。
「おっぱい、ちいさい、ざけんな、おれ、ざけんなよ、うー」
「瘴気が溢れ出てるわよヨーキ、あまりに痛々しい姿につい私の涙腺も緩んでしまいそう、今日から私が揉んで大きくしてあげるから泣かないの、ね?」
「それは断るよ!?」
それとなく自分の欲望を俺の理想に上乗せして提案して来る鳴神に心底恐怖した、ケラケラとそんな俺たちを見て笑う白旗は本当に楽しげだ。
彼女がこの村に住んでいる事情は大雑把ながら理解できたけれど、白龍の実力から考え見るに大体の事は自分で解決出来るのではと邪推してしまう、少なくとも俺達よりは強い力を持っている事は容易に想像できる。
だとしたら力云々では解決出来ないような事情の依頼かな、依頼内容に書かれていた事は村人が行方不明になる怪事件を解決してほしい、それだけだった。
(それで引き受ける俺もいい加減なものだけれど、かと言って、むやみやたらに依頼を蹴っていたら懐に響くし)
「さて、それでは依頼の話なのじゃが、何処から話せば良いのやら」
「はぅ」
少し垂れがちの瞳を潤ませながらこちらに流し目をしてくる白旗からつい逃げるように視線を逸らしてしまう。
どうも、大人の女性のこうやった所作には同性であろうと照れが出てしまう、何とか赤面した顔を見られずに済んだだろうか?畳を睨みつけながら場違いな事を思った。
「と言うても至極簡単な話なのじゃがの、この村にいる人間がここ最近、月夜の晩に攫われる事件が発生しての、しかもこのワシに気付かれずに老若男女問わず、じゃ」
「それは穏やかな話では無いわね、人攫いか妖の仕業か…………自分で言っといてあれだけれど、やはり、貴方に気付かれずにそれを出来るとしたら妖の仕業と考えるのが妥当なのかしら?」
火照った顔が冷めるのを待っていると鳴神が俺のかわりに会話をしてくれる、気配りが出来る娘で大変にありがたいのだが赤面してる事実がばれている事に軽くショック!
「うー、でもさ、人間だって呪いの道具を使えばそーゆーの出来るよ?」
「だろうの、龍と言っても霊気が強いだけでそこまで細かな感知能力があるわけではないからのぅ、しかも先程言った過去の戦いでワシの力はかなり落ちてしまったし」
妖にとっては自分の力が落ちる事は存在そのものが希薄になると言う事だ、それを何ともなしに口にする白旗に素直に尊敬の念が芽生える。
龍のように有名所の妖は正直者で大器の者が多い、逆に名が知られていなかったり若い妖は策を好み秘密を多く持つ、ちなみに俺は中間に位置する微妙な存在だ。
「このままではこの村の守護者としてのワシの面目が丸つぶれでのぅ、とは言っても、攫われた村人は霊気を吸われた状態で生きて戻って来るのでそこまで危機的な意識は村人に無いようじゃし」
「はっ?戻って来るの?……霊気を吸われた状態で?」
「そうさ、しかも死ぬ寸前まで霊気を吸ったわけでもなく、そこそこに余力を残してくれてのぅ、これではワシも本腰を入れて退治をする気力も削がれてしまって、と言うわけで金は有り余っておるしの、ならばと噂の何でも屋に依頼を頼んだのじゃ」
「うわぁ、何だか凄く投げやりな依頼だったんだ」
「それでも報酬が出るのだからいいじゃない、これでヨーキにまた新しい服を買ってあげる事が出来るわ」
「い、いらないよ」
鳴神の趣味と言うか悪い癖と言うか自分は基本的にはメイド服しか着ない癖に俺には様々な服を着せたがるのだ、人間の服はとても精密で精巧で魅せられるけど……長い間、そういった服を変えるといった習慣を持たない生活をしていた俺には抵抗がある。
この簡易な着物にしても動き易さ重視で自分の霊気で編んだ言わば体の一部、無精するわけではないけど大抵の古参の人型の妖はこのような技を持っている。
「いるわ、だってそれが私の趣味なのだし、娘の趣味を理由も無しに安易に奪おうとする母親は感心しないわよ?ヨーキだって私が虫取りを止めてと言ったら嫌でしょう?」
「う、うん、それはそうだけど」
「だったらそう言った心無い発言はしない方がいいわね、ヨーキは賢い子だから一度言ったらわかるものね?」
「う、うぅぅぅ」
「唸っても可愛いだけよ?」
何だかあっと言う間に丸めこまれてしまった、悔しさに下唇を噛んで抗議するがしれっとした顔で窘められた、自分と同じ顔の作りをしているのにこーゆー時は他人に感じてしまう。
「ほんとに可愛いだけねヨーキ」
「むぅぅ」
いつも小ざっぱりとしたメイド服に身を包み、きっちりと髪を結い、感情の少ない表情で淡々と物事をこなしてゆく、従者にしてはあまりに隙が無くて一応立場上は主である俺の方が情けなさを見せてしまう。
≪カコーン≫
静けさを際立たせる鹿威しの音があいの手のように絶妙なタイミングで鳴り響いて俺は撃沈した。
「しかし、丁度良いとはこの事じゃ、今宵は月夜、夜も更けて、いつも被害者が出る時間帯になったわ」
「ここまでつまずきも無く話が進むとちょっと怖いかなぁ」
「なぁに、物語としては"普通"じゃろうに」
快活さの中に胡散臭さが見え隠れする龍だった。
⑤サイド・鳴神『ヨーキ、ヨーキ』(ぎゅう)『うわ、今日は甘えん坊だね』『本当はいつも甘えたいのよ?』『いつでも甘えて良いよ?』
丁度、村の入り口に当たる場所でヨーキと二人寝ずの番をする事にした、立ちっ放しでも良いのだけれどそれでは何処か優雅さに欠ける。
私一人ならそれでも全然問題は無い、けれどもヨーキがいるのでそんな分にもいかず、地面に予め持って来ていたシートを敷いてそこに座る。
ヨーキの肉付きの薄いお腹に両手を回して地面に座る、夏とも言えど僅かに湿気を帯びた地面の感触が少しだけ嫌で体をつい捻ってしまう、でもヨーキの軽い体から伝わる熱は最高だった。
呆けたように息を吐き、やっといつもの居場所に落ち着いたと言わんばかりの私の顔をチラチラとヨーキが様子を窺って来る、何の手入れもしていないのに綺麗に整った白い眉がやや不満そうに歪められている。
「どうしたのかしら?」
「こんなのまで用意してたんだぁ」
「ええ、ヨーキを地面に直接座らせる何てそんな事出来ないもの」
「俺、そこまで考えてなかったや、鳴神は初めての外の世界なのに浮かれて何の用意もしていなかった俺とは違うんだなぁ、何だか、その、えと、ごめんね」
「謝られても困るのだけれど、私がいつも勝手にヨーキの為にしてる事だもの、それにこうやってヨーキを抱きしめて月を見れるんですもの」
「んー?」
「私は幸せ者ね、ヨーキのお陰」
「そ、そーなんだ」
「実はそうなのよ?」
フワフワの髪を撫でてやるといつもの甘い匂いの中に僅かに汗のにおいがした、依頼が済んだらお風呂に入れてあげないとね……子供の姿をしているだけあって高い体温をしている。
私の言葉にすっかり照れてしまったヨーキは私の体重を預けて眼を閉じる、こうやって瞳を閉じると少しだけ大人びて見えて、この人が私の母親なんだと改めて認識してしまう。
少し冷やかな風が吹き、それに応じるようにヒグラシが物憂げな声をあげる、一瞬、ヨーキが驚いて体を震わせる、長い時を生きた妖でこれだけ感受性豊かなのはヨーキぐらいのものでしょう。
「ヨーキはもう少し涼しくなったら髪を伸ばしてもいいわね」
「えぇー、嫌だよ、手入れとか大変じゃんか、こ、こんなに短かったら男の子に見えるかな?」
「手入れは私がするから問題ないわ、後、ヨーキはどんな髪型でも素敵な女の子に見えるから安心しなさい」
「べ、別に男の子に見られてもいいんだけどな!」
「ヨーキが男の子になると私と結婚できるわね」
「親子の壁はっ!?」
清々しく言い放った私を涙目で見上げて来るヨーキ、その小動物のような仕種にゾクゾクしてしまうのだけれど表情に出さない様に細心の注意を払う。
ヨーキが手足を振りまわして暴れるけど小さな体を幾ら動かしても無意味だ、絶対に逃がしはしないと私は少しだけ両腕に力を込める。
「もう、鳴神は冗談が過ぎるな!」
ある程度は本気なのだけど冗談と断言されて否定する程私は空気が読めない女では無い、メイドたる者、従者たる者、主の言葉に意見を申し立てるのは本当に大事な事だけでいい。
しかしヨーキは本当に無精というか自分に興味が無いというか……私が服を見立てたり髪型を変えたりさせないと年中そのままでいそうね、しっかり私が世話をしないと。
「だけど本当に驚いたなぁ、白龍なんて久しぶりに見たや、そもそも東洋の龍は西洋の竜に比べて数も少ないし出くわす事なんて稀なんだけどね」
「あら、ヨーキの知り合いに龍なんているのね、初めて聞いたわ」
「龍も竜(ドラゴン)もいるよ、長生きしてるからね、大体の有名な妖とは何かしらの関係はあるよ?」
「ヨーキは古参の妖に好かれるものね」
「そうかなぁー、どうだろう、ただ古くからの友達が多いからそう見えるだけかもよ?長生きした分知り合いも増えるし」
「それは違うわヨーキ、私の知る古いタイプの妖は他人に興味が無く我儘で世捨て人当然のような生活をする気難しい引き籠りが大体よ、そんな彼らがヨーキには定期的に連絡を取ったり遊びに来るのだから、それはきっとヨーキの魅力なのよ?」
「あまりに酷い前半の言葉の羅列に眩暈が……俺も古い妖だよ?」
「ヨーキは特別よ、長く生きていてもいつまでも甘くていつまでも優しいもの」
ぎゅうと強く抱く、この小さな体でこの不器用さで、私が生まれるまでヨーキはどれだけ裏切られて来たのだろう、優しいヨーキに残酷な世界はいつも厳しいのだから。
だから私が守る、いつから芽生えた感情かはわからない、もしかしたら生まれる前から私の中にあったものなのかもしれない――単純に、私はヨーキを愛している、誰にも渡したくないし、渡す気も毛頭ない。
(好き、好きすぎて気が触れてしまいそう、いつでもどこでもずっと、ヨーキの為に存在していたい、狂った娘でごめんなさいね……その分、愛するから)
ふとした切っ掛けで激情に歯止めが利かなくなる。
「特別かどうかはわかんないけどさ、変わり者であるのは確かだよね、昔から知り合いにも何度も言われたし、そもそも本当に"鵺"かどうかもわからない、良く分からない生き物だからねぇ」
「でも今は私がいるでしょ?」
「そーだね、同族も無しで一人生きていくのは流石になぁ、少しだけ弱気になった時に鳴神を孕んだんだけど………このなりだからね、ふふ、死ぬほど苦しかった、二度とごめんさ……おっ、来たみたいだ」
少しだけ意外そうに呟いて私の腕からするりと抜け出すヨーキ、まるで何て事の無い様に、ヨーキはいつもそうだ。
掴んだと思っていても閉じ込めたと確信してもするりと抜け出して何処かに行ってしまう、ヨーキの気まぐれで飼われているのはきっと私なのだろう、胸に僅かな痛みが走る。
「さぁて、妖なのか人なのか、まずはそれだな!」
「そうね」
走り出す小さな背中、腕から擦り抜けた温もりが名残惜しかった。