1245時 コーポ長島
「ただいま~」
アパートに戻ると普段、口にしないようなことを言ってみる。当然、無人の部屋から返事が返ってくる訳もなく、バルクホルンが気を利かせて「おかえり」と言ってくれる訳でもない。
「何をしている」
「扶桑式の『帰ってきた時のあいさつ』など……」
「早く入れ」
「……はい」
この有様である。
おとなしく部屋に入り、買って来た物を広げてみる。といっても大した数があるわけではない。
歯ブラシなどのバルクホルン専用となる日用品がいくつかと、物干し竿が一本。
まずは天井からぶら下がっているシーツを外す。と、思ったら釘でしっかりと止められている。
「ねぇ、バルクホルン?」
「何だ?」
「どうやって釘打ったの?」
「普通に押し込んだだけだが」
「あ~……」
バルクホルンの固有魔法が『怪力』だったことを思い出す。金槌の音がしなかったと思ったら魔法で解決したらしい。
仕方ないので釘抜きで外していく。
(大家さんに怒られないかな……)
天井に残る釘穴を見ながらぼんやりと考える。
部屋の中央に物干し竿を渡す。次いでシーツに金具を付けて、そこに掛けてやる。
「よし、完成」
東雲が作ったのは即席のカーテン。
こうしておけばすぐに片付けることが出来るし、必要な時だけ出せばよい。東雲が感じる不便さも多少は軽減できるだろう。
一人ご満悦な東雲が、試しに即席カーテンを動かしてみる。
「こんなもんでどうかな?」
「それはいいのだが……私が作ったジークフリート線と何が違うのだ?」
バルクホルンの疑問も当然。
東雲が作ったものは可動式になっただけで、大差がない。布なのだから『のれん』だと考えればどうということはない。
しかし東雲には東雲の事情がある。
「ん~、まぁ、こうしとかないと色々と不便なんだよ……俺の部屋は……」
「?」
事情はあるのだが、上手く説明できそうにないので、苦笑いでごまかす。
ともあれ部屋は二分され、お互い最低限のプライベート空間を確保した。部屋の入り口側をバルクホルンが。奥側を東雲が使う。
本当は逆の方が良いのだろうが、奥側は東雲の趣味の荷物であふれている。
特にその中にある本棚の一画。同人誌が収まっている棚だけは、死守しなければならない。
中身は言わずもがなの『エロ同人』。エイラとサーニャがちゅっちゅしてるのだったり、宮藤とリーネがあんなことやそんなことしてるものに、その他の作品のものまでビッシリと詰まった段があるのだ。
(後で隠しておかないと……)
境界線作りも終わったので、今後のことを話し合う。
まずは『元の世界』に帰る方法を探さなければならない。しかし、昨日の偵察では何ら手掛かりを得ることは出来なかった。それどころか『飛べない』という事実まで発覚。状況は悪化している。
だが、バルクホルンは『元の世界』への帰還をあきらめた訳ではない。
普段「女の子降ってこないかなぁ」とか「美少女落ちてないかなぁ」などと、のたまわっていた東雲にしてみても、無事に帰してあげたいと思っている。
だから、出現場所と着陸地点を定期的に見回ることにする。今はそれ以上のことが出来ないし、してみようもない。
次に話し合ったのは家事の分担。
居候させてもらうのだからと、バルクホルンが自ら申し出てくれた。
東雲にしてみればありがたい話なので、二つ返事でお願いする。
「では、今日の私の担当は洗濯だな」
「うん、お願いね。俺は少し部屋を片付けるよ」
「任せろ」
すっくと立ち上がると、洗濯カゴを抱えて風呂場へ。
「? バルクホルンさん?」
「東雲、洗濯板はどこだ?」
(そうきたか……)
思わず眉間を押える。
「いや、洗濯板なんて無いから。洗濯はこの機械でするんだよ」
「……それが洗濯機なのか? いやに小さいが……」
バルクホルンが知っている洗濯機と、形が違いすぎて分からなかったようだ。
とりあえず東雲が実演してみせる。とは言っても洗濯物と洗剤を入れてスイッチを押すだけだ。全自動なので後は待つだけでいい。
その間に、他の家電やガステーブルなど、部屋の設備を一通り説明しておく。
「なるほど。ずいぶんと便利な世界なのだな……これがあれば宮藤に楽をさせてやれるのだが……」
「…………」
何と返して良いのか、分からない。気の利いた慰めの言葉が思いつかない。思い付いたとしても、バルクホルンの心中を思えば、安い慰めの言葉など掛けられなかった。
洗濯機が電子音を響かせる。洗濯が終わった。
「……あ、洗濯終わったし、干そうか」
「……そうだな」
洗い終わった衣類を洗濯カゴに収めると、東雲側の領土に移動。普段、洗濯物を干しているもう一本の物干し竿は東雲側にある。
「しかし……改めて見るとハルトマンの部屋並みに汚いな」
「あそこまでひどくはないだろう……」
「大して変わらん」
東雲側は布団を中心に漫画や教科書、その他趣味の道具が散乱し、『整理整頓』という言葉からは程遠い状況。東雲が「ハルトマンの部屋の方がひどい」などと言う資格はない。目くそ鼻くそ、どんぐりの背比べ、五十歩百歩。どっちの部屋も汚い。
「とりあえず干す時はこっちの物干し竿を……バルクホルンさん?」
「……サーニャ……」
「へ?」
バルクホルンの視線を追う。
その先には棚に飾られたサーニャのフィギュア。東雲がスト魔女のフィギュアで唯一所有しているもの。基本的にフィギュアは購入しない主義なのだが、これだけは買わざるをえなかった。サーニャは東雲にとって『俺の嫁』なのだから仕方がない。
「え? あのフィギュアがどうかしたの?」
「…………」
「バルクホル~ン。お~い」
「あ……いや、何でもない」
「気になる?」
「まぁ……な」
バルクホルンがこの世界に来て三日。自力で帰る手立てはなく、救助が来る気配もない。彼女にとってここは異世界。ただ一人この世界に放り出されたのだ。気丈に振舞っているが、心細くないわけがない。
フィギュアを見て、元の世界にいる501のメンバーのことを思い出したのだろう。
「…………さて、東雲。洗濯物を干してしまおう」
「ん? あ、そうだね。うん」
1922時 コーポ長島
「で、ですね。バルクホルンさん」
「何だ? 急に改まって?」
「楽にしていいとは言いましたが……下にもう一枚はいていただく訳にはいきませんか?」
夕食も食べ終わり、ちょっとまったり。と、いったところで東雲が切り出したのは服装のこと。
今のバルクホルンの格好はといえば、上は紺のトレーナーに、下は『ズボン』一丁。
「家の中でもダメか?」
「ぃ……ゃ、ダメというか何と言うか……その……」
「何か問題があるのか?」
「ぁ……その、問題と言われても……私的にですね……」
目のやり場に困る。
うれしいことはうれしいのだ。だが、うれしさよりも気恥ずかしさが先にきてしまう。女の子に免疫のない東雲には、どうしてよいやら分からない。いっそこのまま楽しむぐらいの根性が座っていれば良いのだが、そんな度胸もない『魔法使い予備軍』である。
「だいたい、この世界の『ズボン』の上に『ズボン』を穿くなどという、珍妙な風習は理解しかねる」
(お前らの世界の方が『理解しかねる』わい!)
「しのちゃ~ん! 酒飲もうぜ~! 酒~」
「ん?」
「あっ!?」
「なっ!?」
突如、二人きりだった部屋に三人目の声が響き渡る。声の主は当然のように部屋に入ってきたが、バルクホルンを見ると、そのまま入り口で固まってしまった。
部屋に無断で上がり込んで来た男、関口。東雲の親友で、酒と煙草をこよなく愛する。背は160半ばと高い方ではないが、体重は90kg程の恰幅の良い体系。だが決してデブではなく、適度に筋トレをして体を引き締めている。
「し……東雲が!? 東雲が同棲してるーっ!?」
「ちっがーう! 関口、誤解だ! 話を聞け!」
「しかも何て、うらやま……否、けしからんシチュエーション!!」
「聞けー!」
「ちきしょうっ! 呪ってやるー!」
「待てコラー!」
東雲の制止も聞かず、部屋を飛び出して行く関口。慌てて追いかけようとするが、その姿はもはやアパート前から消えていた。
「東雲。何だ今のは?」
「マズイ……非常にマズイ!」
玄関口から部屋の中へと急いで戻り、携帯電話を引っつかむ。
アドレス検索。
関口の携帯を呼び出す。が、通話中。
「がっ!? あのボケっ!」
「一体何を慌てているんだ? それに何だ? その機械は?」
バルクホルンが携帯電話のことを尋ねてくるが、今はそれどころではない。質問を無視して、再度、関口を呼び出そうとしたところで後輩からの着信。
「もしもし?」
『東雲さん! 結婚したって本当ですか!?』
「ちげーっ!!」
切る。
着信。
「おう!」
『先輩! 「女は紙かjpgに限る」って言ってたじゃないですか! 俺らを裏切るんすね?!』
「うるせー!」
切る。
着信。
「なんだ?!」
『幼女監禁してるって本当っすか!?』
「黙れペド野郎!」
切る。
着信。
「はい!」
『あ~、ついにやっちゃたか~。ちゃんと自首しないとだめだよ?』
「俺は無実だー!」
切る。
着信……
「し、東雲……どうしたと言うのだ。先程から一人で喚き散らして? そこには誰もいないぞ……はっ! まさか気でも狂ったか!?」
「これは電話だっ! って、誰のせいでこうなったと思ってるんだー!」