1246時 コーポ長島
「え? 警察?」
東雲の目の前には制服の警官。
「お兄さん、この部屋の人だよね?」
「え、ええ。そうですけど……」
急に訪れた警官に呆気に取られる。
「あっ、出掛けるところだった?」
警官は東雲の格好に一瞥をくれると、妙にフレンドリーな声音で聞いてきた。
「え? あぁ……その……さっき帰ってきたばかりなので」
帰ってきてから着替えていないことを思い出す。
宮藤たちの着替えで、一時的に部屋を閉め出されたので着替えられなかったのだ。
「じゃあ、時間大丈夫だね?」
「は、はい……」
やましい事がなくとも、急に警官が現れれば身構えてしまうのは誰しも同じであろう。
もっとも、今の東雲はやましい事だらけなのだが。
──何だこの警官?
──何しに来たんだ?
──まさかバルクホルンたちの事か?
警官の真意がわからない。
警官の目的がわからない。
それを確かめなければならない。
薄氷を踏む思いで警官に問いかける。
「あの、それで……何か?」
「今日は『防犯のお願い』に来ました」
「え?」
目の前の警官は努めて真面目に、だがフレンドリーにそう答える。
「『防犯』……ですか?」
「あれ? お兄さんニュース見てない? 湖荘で強盗未遂があったんだけど」
「あ……ああああぁ。はい。見ました。見ました」
「まだ犯人が逃走中だから、戸締りをしっかりしてください」
「あ、はい……」
警官の目的がわかり一安心。
安堵のあまり間の抜けた返事をしてしまう。
「あ、お友だちにも言っておいてね」
「え? 友だち?」
「え? 今、来てるんでしょ?」
足元に視線を向ける警官。
視線の先には大小取り揃えた靴たち。
警官が来ることなど想定していなかったので、バルクホルンたちの靴は玄関に脱ぎっぱなし。
一瞬で血の気が引く。
「そ、そそそそそそうですね! うん! よく言っておきます!」
「そうしてもらえる?」
内心、汗ダラダラである。
まさか、この奥に犯人が勢揃いとは口が裂けても言えない。
幸い、警官もこのアパートに犯人が居るとは思っていない。気付いていない。
何か確証があってここに来ている訳ではないのだ。
口調と態度から、そのことをおぼろげに感じた東雲がわずかに平常心を取り戻す。
と、同時にある疑問が浮かんできた。
(どこまでわかってるんだろう?)
至極まっとうな疑問である。
そう思ったからには聞かない訳にはいかない衝動にかられる。
「あの……あ~、犯人の『写真』ってあるんですか?」
「ん? どうしてそんなことを?」
警官の表情が引き締まる。
フレンドリーな雰囲気も雲散霧消。
再び血の気が引く東雲。
「あ、いえ、その……ニュースでは『小柄な女性』って言ってただけなんで、特徴がつかめなくて……」
咄嗟に口を突いて出る。
ニュースで言っていた犯人の特徴は『小柄な女性』だけ。これでは対象範囲が広すぎて、犯人の特定に繋がるものが何もない。
「あ~そうかもしれないね~。でもまだ写真ないんだよね~。ただ大きな銃を持っているそうだから、すぐわかると思うよ」
「は、はぁ……」
なんともアバウト。
とりあえず、この警官は手配写真を見た訳ではなさそうだ。
ただ、この警官は『まだ』と言った。この先、手配写真が出てこないとは言い切れない。
「じゃっ、他にも回らないといけないので。戸締りはしっかりとお願いします」
「あ、はい。ご苦労様です……」
パタリと扉が閉められる。
だが東雲は動かない。固まったかのように動けない。
時間にすれば何秒間と言うところだろうか?
警官向けに作った笑顔を張り付かせたまま、音も立てずにぬるりと動き、ドアの覗き穴張り付いた。
まるで軟体生物、例えるなら『海底を走るタコ』のような動作で動くものだから、傍で見ていて気持ち悪い。
だがそんなことはどうでもいい。
(…………行った……か?)
覗き穴から見える範囲に警官の姿はない。
耳を澄ますが話声も聞こえない。
(助かった…………)
緊張が解けた東雲がへなへなと玄関にへたり込む。
1251時 コーポ長島
「……警察帰ったよ……でもガチで探してるっぽい……」
しばし玄関にへたり込んでいた東雲だが、何とか立ち上がると絞り出すような声で部屋にいる四人に伝えた。
警官がいる間の四人は実に静かで、アンブッシュしているのかと思わせるほどだった。
玄関から漏れ聞こえる会話に不穏なものを感じ取っていたからに他ならない。
とりあえず東雲が自分たちに向かって声を発したことで、安全が確保されたことを察し、全員が息を吐き出す。
「あの……東雲さん?」
「ん? 何?」
宮藤がキリリとした表情で尋ねてくる。
「『ガチ』って何ですか?」
「あ~……ガチってのは『本気で』って感じの意味なんだけど……」
普段、何気なく使っている言葉だけに、説明を求められると戸惑うものである。
「と、とにかく警察が探し回ってる! 上手くやり過ごさないと!」
東雲の訴えは実に切実。
もし宮藤たちが捕まろうものなら、東雲も自動的に犯罪者として捕まってしまう。
「そうだな……作戦決行まで捕まる訳にはいかん。ここで息を潜めるしかあるまい」
「いや、決行した後でも捕まりたくないんだけど……」
潜伏。
現状を冷静に分析したバルクホルンの提案。
と、言うか他に手がない。
そもこの馬走の地において、外国人女性はレアな存在。外を出歩けば目立つこと受け合いだ。
「え~?! せっかく扶桑観光できると思ったのに?!」
不満の声を上げたのはシャーリー。
やっぱりというか予想通りというか、露骨に不満な表情。
「貴様は状況というものがわかっていないのか?!」
「わかってるよ! わかってるけど、一週間も閉じこもってたら気がおかしくなるだろ?!」
もっともといえばもっともな意見だが、状況が状況である。
シャーリーが外を出歩こうものなら、周囲の耳目を集めること必至。
要らぬ詮索から、あらぬ誤解を招くに違いない。
いや、誤解ではないのだ。
こうなると真犯人である宮藤が、この中で一番目立たない存在だというのは皮肉としか言いようがない。
「安心しろシャーリー。幸いこの部屋は娯楽の宝庫だ。一週間退屈することもあるまい」
バルクホルンに促され部屋を見回すシャーリーと宮藤。
棚にギッチリ詰まったマンガに小説、ビデオにゲームソフト、エアガンにプラモと一通りのオタクアイテムが部屋のそこかしこに散らばっている。
確かにこれらを全て消化しようとすれば一週間では足りないだろう。
シャーリーは若干の戸惑いを見せながらも、試しに近くにあったマンガのページをパラパラとめくってみた。
「………………なぁ」
「どうした?」
「私、扶桑語読めないんだけど」
またしても言語の壁。
バルクホルンの時もそうだったが、話せはするが読めないパターン。
これでマンガと小説は全てアウト。
「……じゃあ、映画はどうだ?」
「いや、バルクホルン……プレステが……」
おずおずと指差す東雲。
その先にはウルスラに分解されたプレステ3。
「あれが直らないと、映画が見れないよ……」
「くっ……」
なお、現在進行形でウルスラによる修理という名の分解作業が続いている。
おそらくウルスラはプレステ3を『修理』するだけで一週間ここに篭っていられるだろう。
問題はシャーリーだ。
一週間もの間、この部屋でじっと我慢できるような性格ではない。
「なぁ、ちょっとでいいんだよ~。もしなんだったらさ、車に乗ったままそこら辺を回るだけでもいいんだけどな~」
薄暗い笑みを浮かべたシャーリーがささやく。
明らかに怪しい。
((嘘だ!))
バルクホルンと東雲の直感がささやく。
あのシャーリーが車内から景色を眺めただけで満足するはずがない。
しかし抑え込めるかと言えば、それも難しい。
何せ相手はシャーリーなのだから。
ありとあらゆる口実を付け、様々な手段を用いて外出を企てるに違いない。
「とりあえずは二、三日様子を見た方がいいだろう」
「そうだね。今は警察がうろついてるし……それ間はテレビでも見てさ」
と、なればシャーリーの興味を引き続けられる物は、あとはテレビしかない。
誤魔化すようなバルクホルンの提案に、東雲が阿吽の呼吸で合わせる。
バルクホルンがチラと目配せ、わずかにうなずく東雲。
以心伝心。
僅か一か月の間に東雲はバルクホルンの呼吸に合わせられるようになっていた。
テレビのスイッチをON。
『発砲事件のあった馬走市では、警察による捜査が続いています。なお、この事件の影響で市内の小中学校は臨時休校に……』
「事態が悪化してないか……東雲?」
「マズいよ、これ……全国版だし……」
テレビを点ければ、発砲事件の続報。
ただし、今度は全国版。
事態は着々と悪化の一途を辿っている。
「…………」
「…………」
「……な、なんだよ?」
無言でシャーリーを見詰める東雲とバルクホルン。
「……………………」
「……………………」
「……………………わかったよ、大人しくしとくよ! それでいいんだろ?」
ついにシャーリーが無言の圧力に屈した。
1847時 コーポ長島
「お……おお~!」
食卓に五人分の食事が並ぶ。
東雲はその光景に感嘆の声を漏らした。
質素ながらも綺麗にまとめられた佇まい。
本日のメニュー
・縞ホッケの干物
・きゅうりの浅漬け
・白米
・味噌汁
巨大な縞ホッケが皿からはみ出し、その存在感を誇示している。
縞ホッケは北海道ではよく流通している魚で、大きさもさることながら身が厚く食べ応えがあり、安価でありながら大変美味な魚である。
おかずとしてだけでなく、酒の肴としても優秀。
ただ、北海道外で食べようとすると流通コストのせいか、安価とは言い難くなってしまうのがいささか残念。
宮藤が丹念に焼いたのだろう。焦げ目は最小限に綺麗な焼き色。
そして白米。
東雲と同じ米、同じ炊飯器を使ったというのに、見るからに出来が違う。
「米が……光ってる……」
「炊飯器って、初めて使いましたけど便利ですね」
衝撃を受ける東雲を尻目に、あっけらかんと笑う宮藤。
つい数時間前に使い方を教えたばかりだというのに、この適応力。
「なんとなくわかったので、明日はもっと上手に炊きます」
(?! これで本気を出していないだと……?!)
絶句。
宮藤はまだ上手くできると豪語している。
「さあ、冷めないうちに食べてみてください」
「そ、そうだね……じゃあ、いただきます……」
宮藤に促され、手を合わせる。
東雲の言葉を皮切りに、各々がそれぞれの地域の食前の言葉を口にする。
(まずは味噌汁を……)
味噌汁を一口すする。
「?!」
カッと目を見開くや、そのまま固まる東雲。
その様子を不安に思った宮藤が、恐る恐る声を掛ける。
「あの……お口に合いませんでしたか……?」
「……美味い…………」
「え……?」
泣いている。
東雲が泣いている。
いや、実際には泣いていないのだが、東雲の心は泣いていた。
久方ぶり和食。
それも飛び切り美味い和食となれば、心動かされぬはずはない。
味噌汁をもう一口。
「美味い……」
材料はこの部屋にあったものだけ。
つまりは東雲と同じ材料で作っているにも関わらず、東雲が作ったものとは雲泥の差。
(違う……俺は顆粒の出汁の素を使っていたが……これは……まさか鰹節か……?!)
椀の中にかすかにひらめく鰹節。
東雲は面倒なので顆粒の出汁の素を使っていたが、宮藤は違った。
部屋に転がっていたパックの鰹節を使ったのだ。
すかさず米を口に運ぶ。
ふわりと米の香りが口の中を満たす。
噛み、噛み、噛み。
噛むごとに米の甘味が溢れてくる。
味噌汁との相性、秀でるものなり。
(何が……? 何が違う?! 同じ米、同じ炊飯器……なぜここまで違う?)
「あの東雲さん……?」
「気にするな宮藤。この男はたまにこうなる」
「はぁ……」
何が起きたか理解できない宮藤を、達観した言葉でなだめるバルクホルン。
いかにも冷静と言った口調だが、ヒクりヒクりと口の端が持ち上がる。
「……バルクホルンさん?」
「……………………」
「あ、あの……」
「…………ぅまい」
「へ?」
「やっぱり宮藤の飯は美味いなぁ~!」
「っひ?!」
バルクホルンが壊れた。
思わず仰け反る宮藤。
だらしなく。
これ以上ないぐらいにだらしなく相好を崩したバルクホルン。
基地では決して見ることのない表情。
「うん……美味い……美味すぎる……」
「ああ……宮藤の飯は最高だ……」
久しぶりの和食に感銘を受ける東雲。
久しぶりの宮藤の飯に心打たれるバルクホルン。
生ける屍の如き一心不乱さで飯をむさぼる。
噛んだ縞ホッケの脂がジワリと口に広がり、心を満たす。
白米が脂を包み込み、穏やかな味噌汁の流れが清流の如き爽やかさをもたらした。
「「美味い! おかわり!」」
バルクホルンと東雲が揃って茶碗を突き出す。
ドン引きで放心していた宮藤が自我を呼び戻すと茶碗を受け取った。
「は、はい! すぐに!」
その脇ではウルスラが黙々と食事を進め、シャーリーは呆気に取られていた。
「なんだ、この状況……?」