0854時 コーポ長島
「作戦の手順を説明させていただきます」
ウルスラが再びメガネを掛け直す。
「先ず『こちら側』と『元の世界』との接続空域までロケットブースターを用いて上昇。向こう側で攻撃を受けたネウロイが、空域を接続すると同時にこちら側から突入。こちら側と向こう側の中間地点に退避していると予想されるネウロイに攻撃を仕掛けます」
「『こちら側と向こう側の中間地点』? こちら側に出てくるわけではないのか?」
あまりにも簡単に説明された作戦の概要に、バルクホルンが質問をしていく。
「はい。私たちがこちら側に来た際、周囲にネウロイの姿はありませんでした。中間地点に居ると見て間違いありません」
「こちら側はエーテルが存在しない。だからストライカーで飛行することは出来なかったが、ロケットブースターなら……飛べるのか?」
「……納得しました。そもそもエーテルがなかったのですね。ロケットブースターは化学燃料を用いて飛行するので、飛行可能です。こちら側に来た時、実際に飛んでみたので問題はないと思われます」
「燃料はもつのか? ロケットブースターの燃焼時間はそれほど長くはないはずだ」
「今回の作戦に合わせ、燃料タンクを拡張したものを使用します。燃焼時間は三倍になっているので、予定通りに作戦が進めば、余裕をもって帰還できます」
「……わかった」
バルクホルンは目を閉じ、腕を組むと考え込んだ。
とりあえずの疑問点には答えが返ってきた。あとは自分が目的を達成できるかどうか。
「……ん?」
何か気になる単語が出てきたので、眉間にしわを寄せる東雲。
「ま、最悪、撃墜できなくても、追い立ててやるだけでもいいのさ。落すのは向こうに行ってからでいい」
「我々の任務は『ネウロイを回復させないこと』という訳か」
「そういうこと。あのネウロイに『安全な場所はない』とわからせりゃいいのさ。それとアンタの回収も私らの任務だ。上のほうには言えないけど、ミーナにはネウロイよりアンタのことを優先するよう言われてる」
「その……迷惑を掛けるな……すまん」
ざっくばらんに任務達成の最低条件を口にするシャーリー。
バルクホルンはしなければならないことを理解した。
「ね……ねぇ? ちょっといいかな?」
おどおどとした口調で口を挟んだのは、作戦に関係のないはずの東雲だった。
意外なところからの質問に、一同は顔を見合わせる。
ウルスラは視線を東雲に向けると先を促した。
「どうぞ」
「あ……う、うん。あの……それって……さ……ネウロイを倒しても倒せなくても、向こうの世界に……帰るって……こと?」
言葉に詰まる。上手く喋れない。
フリーズしかけた脳みそが必死になって言葉を探す。
嘘であって欲しい。
起きて欲しくなかった事態。
──頼む!
「そうです」
ハッキリとウルスラはそれだけ告げた。
その一言で東雲の時が止まる。
「か……帰る……の?」
ゼンマイ仕掛けの機械のように、カクカクとした動きでバルクホルンを見る。
そこには『帰れる』という実感を噛み締めた、生気あふれるバルクホルンの笑顔があった。
「ああ、帰れるんだ! 東雲、お前には迷惑をかけたな!」
「……ぅ……ぃや……そんなこと……は……」
今まで見たことのない、満面の笑みで感謝の言葉を伝えるバルクホルン。
突然の別れに、ただただ呆然とするしかない東雲。
そして東雲は気付いてしまった。
(……バルクホルンは……俺と別れることが……悲しくないんだ……)
バルクホルンにとって、ただの同居人に過ぎないことに。
気付いてしまった。
自分だけが勝手に盛り上がっていただけなのだ。
(俺は……)
東雲は愕然とした面持ちでうなだれる。
『帰還出来る』という吉報に浮かれるバルクホルンは、東雲の様子に気付かない。
(……んん? この兄ちゃん……まさか?)
シャーリーだけが東雲の態度に違和感を感じた。
宮藤はバルクホルンと共に帰還できることを喜び合っているし、ウルスラは東雲に関心を向けていない。
「作戦の実施は一週間後です」
ウルスラが何の抑揚もない声で、作戦の期日を告げる。
「え? 一週間?」
「何だ東雲? ちゃんと話を聞いていなかったのか?」
素っ頓狂な声を上げる東雲を、バルクホルンがたしなめる。その目には批難の色が浮かんでいたが、東雲には気にしているほど余裕がない。
(……一週間……まだチャンスはある……か?)
突然の別れと思っていたのだが、一週間の猶予がある。
今までが今までだけに、一週間程度でどうにかなるとは思えないが、まだ一縷の望みが残されていた。
東雲はもはやこれに賭けるしかないのだ。
自らを奮い立たせ、この一週間の間にバルクホルンの想いを伝えようと、改めて決意する。
そしてシャーリーが能天気な声で提案。
「で、兄ちゃんさぁ。それまでの間、ここに泊めてくんない?」
「……へ?」
「いやさぁ、さっき言ったけど私ら扶桑軍に協力してもらうつもりだったんだけどさ、扶桑軍がいないとなると泊る場所がなくってさぁ。飯もそんなに持ってきてないし」
「は……はぁ……」
シャーリーの提案に東雲困惑。
頭の回転が鈍い。
「えっと……ここで寝泊りすると?」
「YES」
「この……五人で?」
「YES!」
妙に怪しい笑顔で頷くシャーリー。
ようやく脳みそが回転した東雲。そこで一つのことに気付いてしまう。
(こ……ここここここここここれはもしや『ハーレムルート』とというヤツではなかろうか!?)
一人の男が複数の女性に囲まれて一つ屋根の下で生活する。すがすがしいまでにベタで王道な展開。男ならば誰しも一度は夢見るシチュエーション。
まさかの展開に東雲の心は浮き足立っていく。
(おおおおお落ち着け俺! 一週間泊るだけで、何かある訳じゃないんだぞ!)
動揺に次ぐ動揺。
そんな風に思っても、思わず何か期待したいお年頃。
「どうした東雲?」
「ちょ……ゴメン、ちょっと考えさせて」
顔を背け、乱れた呼吸を整える。
動揺を悟られぬよう静かに深呼吸。
一回……。
二回…………。
そして東雲は考える。
(ん~と…………………………巨乳……メガネロリ……スク水…………って違う!)
あふれ出る煩悩が東雲の思考を遮る。
今の東雲は煩悩に支配され、まともな思考が出来なくなってしまった。
煩悩、煩悩、また煩悩。
この年頃の男ならば無理からぬことであるが、冷静な判断など今の東雲には無理の無理無理なのである。
「ん……ん~、いいんじゃ……ないかなぁ……」
結局、なんの考えもなしに了承してしまう。
「そうだな。こちらの警察に追われているようだし、ここで匿うのがいいだろう」
バルクホルンも何か観念したように同意した。
「あ……」
バルクホルンの言葉で思い出す。
煩悩が暴れて忘れていたが、彼女たちは今、お尋ね者なのだ。
『ハーレムルート』などと浮かれている場合ではないのだ。自分自身まで警察に追われかねない立場になってしまったのだ。
「あ、ちょ……ちょっと待っ……」
「いや~、話のわかる兄ちゃんでよかったよ。しばらくの間よろしくな」
悪い笑みを浮かべ、あいさつするシャーリー。それに倣い深々と頭を下げる宮藤と、軽く会釈するウルスラ。
逃げ道が塞がれていく。
「……い……ゃ、もうちょっと考え……」
「そうと決まれば、東雲!」
「はい?!」
なんとか撤回を試みようとするも、バルクホルンにあっさりと潰された。
「まず朝食だな!」
「……はい」
もう、なるようにしかならない。
0917時 東雲家(実家)
「……これと……あれと……それも入れた……」
東雲の母が一人段ボール箱と格闘していた。
入れては出し、入れては出しを繰り返し、段ボール箱に目一杯物を詰め込もうと試行錯誤を繰り返す。
そして出来上がった箱を見て、ほっと安堵に胸をなで下ろす。
箱の中身は食料品。
寄木細工のように隙間なくギッチリと詰め込まれている。
もう一度、詰め忘れがないか確認を終えると、ガムテープで封をした。
そして伝票のあて先欄に息子が住む馬走の住所を書き込んだ。
息子から頼まれた訳ではない。
長期休暇だというのに帰省しない息子を心配してのことだった。
それに先日の息子からの説明を聞けば、『追い出しコンパ』が控えているという。そうなれば散財の挙句、月末はひもじい思いをするに違いないというのが母の読み。
最後の最後で泣き付いて来る姿が想像できたので、先手を打とうというのである。
息子のことを熟知しきった先手である。
そしてその読みは当たっている。理由が違うだけで。
「さて、電話。電話」
母はダイヤルを回し、宅急便の集配サービスを頼んだ。
0934時 コーポ長島
「とりあえず服か?」
「服だね」
朝食を摂り終えた一行を見渡し、バルクホルンが一言。
それに東雲が同意する。
「服? これじゃマズイのか?」
二人の言葉に首をかしげるシャーリー。
予想通りの反応に苦笑いを浮かべる東雲。
バルクホルンの時の『事故』を思い出してしまい、軽く噴き出した。
「……なんだ東雲? 気持ち悪いぞ」
「ゴメン、ゴメン」
何かを感じ取ったのか、バルクホルンが冷たい視線を向けてくる。
「ひとまずバルクホルンの服を着ててもらおうよ。買いに行くにしても、まだどこも店やってないから」
「まぁ、それしかあるまい……」
ため息と共にバルクホルンが同意。人数分の衣類の選択を始めた。
二人が服と言い出したのは、もちろん『急な来客対策』である。バルクホルンの時のようなことは面倒なので、早めに手を打っておきたい。
あと、東雲の精神衛生上的な意味でも。
「え~……別にこれでもいいじゃん」
一人文句を垂れるシャーリー。
ピクリと眉の釣り上がったバルクホルン。ゆらりとシャーリーに向き直る。
「ダメだ。その格好では目立ちすぎる」
「目立つって、別に礼服着てる訳でもあるまいし……」
「そうじゃない! 私の格好を見て気付くことはないか?」
すっくと立ち上がると、三人によく見えるように仁王立ち。
それに合わせ、怪訝な面持ちでバルクホルンを上から下まで観察するシャーリーたち。
と、何かに気付いた宮藤が口を開く。
「軍服はダメってことですか?」
「それもある」
次いでシャーリーも口を開いた。
「暗い色ばっかりだな……明るい色の服は着れないのか?」
「それは関係ない!」
最後にウルスラ。
「男性用のズボン……ですか?」
「その通りだハルトマン!」
妙に嬉しそうな声で応えるバルクホルン。
うんうんとひとしきり頷くと、教官口調で説明である。
「この世界では『ズボン』を晒してはいけないという風習がある。故に、このように『ズボン』の上に『男性用ズボン』を穿かなければならない。でなければ、あらぬ誤解を受けることになる」
「あっ……私、露出狂って言われた……」
バルクホルンの説明で、昨夜のことを思い出した宮藤がボソリと独り言をつぶやく。
「ん? どうした宮藤?」
「いえ、なんでもないです……」
ものすごく気まずそうに宮藤は目を逸らす。
「ん? そうか? まぁいい。お前たちは早くこれに着替えろ。東雲、お前は向こうだ」
「はい……」
東雲は追い出された……。
0958時 コーポ長島
「とりあえずはこれでよかろう」
「……そうだねぇ」
着替えが終わったところで部屋に戻された東雲。
見れば大体予想通りのことになっていた。
「なぁ、もう少し大きいサイズはないのか? 胸のところがキツイんだけど」
不満を漏らすシャーリーの胸に東雲の目が吸い寄せられる。
巨乳派ではなかったはずだが、目の前に大きい乳があれば、自然と見てしまうのは男の悲しい性である。
「あ、生憎と、それより大きい服は今ありませんで……」
「貴様の胸が無駄に大きいだけだ。我慢しろ」
「なにを!?」
バルクホルンがにべもなく却下。
シャーリーが食って掛かる。
「それよりも問題はこっちだな」
バルクホルンはシャーリーを無視すると、宮藤とウルスラを指差す。
「あ~、うん。そうだね~……」
東雲は二人を見て、バルクホルンが何を言いたいか理解した。
完全にサイズが合っていない。
裾と袖を折っているが、そもそものサイズが大きいのでダボダボ。服が歩いているという表現が適切な状態。
「……やっぱり服買わないとダメか」
「そのようだな……」
不満げな三人を横目に東雲とバルクホルンが買い物の打ち合わせを始める。
とりあえず、室内着兼寝巻きと外出用にそれぞれ一着づつ。サイズは今着せている服を基準に、バルクホルンが目分量で調整することにする。
「服買いに行くなら私も一緒に行くって。バルクホルンに任せると、地味なのしか買ってこないだろうし」
シャーリーの同行の申し出に、東雲は当惑、バルクホルンは怒りの表情をもって応える。
「お前たちは今、『犯罪者』なんだ。連れて歩く訳にはいかん」
「見られたのは宮藤だけだから大丈夫だって」
「ダメだ!」
食い下がろうとするシャーリーを、バルクホルンが一喝をもって封殺。
とはいかず、なおもブーブーと文句を言い続けるシャーリー。
バルクホルンは相手にしていられないとばかりに、東雲に向き直る。
東雲は居心地の悪さを感じながら、バルクホルンと打ち合わせを進めた。
「とりあえず、お金下ろさないと……」
「私がもらったバイト代が、まだ残っている。それを使おう」
「あの……」
と、宮藤が話に割って入ってきた。
「お金だったら、坂本さんが『困ったら使え』って持たせてくれたのがあります!」
「え? 本当?!」
「でかしたぞ宮藤!」
宮藤の言葉に東雲とバルクホルンが歓喜の声を上げる。
どんなに安物の衣類を買ったとしても、三人分を揃えるとなると手痛い出費。また、一週間も滞在するとなると食費もそれなりに掛かってくる。
衣類にあまり金をかけたくないのが本音だ。
「これです!」
宮藤はカバンから、ちょっと厚めの茶封筒を取り出すと、東雲に差し出した。
普通の学生なら見たことがないような厚さ。
その厚さにビビリながら、おずおずと受け取る東雲。
「あ……ありがとう……これだけあれば、十分足りると思うよ……」
ビビッている。
初めて体験する『札束』というものに。
そして同時に湧き上がる欲望。
(これだけあれば……パソコン……ブルーレイ全巻セット……フィギュア……)
邪念渦巻く東雲頭脳。
今まで触れたことのない札束という存在に飲み込まれ、金がなくて買えなかった物が、次々と頭に浮かんできた。
「どうかしたんですか?」
茶封筒を握ったまま動かない東雲を訝しみ、声をかける宮藤。
その声で物欲が作り出す幻想から、現実に引き戻される。
「!? な、なんでもないんだ! な、中を確認させてもらっていいかな?」
「は、はい……」
物欲の幻想からは逃れたが、金欲の魔法は解けていない。
挙動不審に陥った東雲にとって周囲の目など、もはや瑣末ごと。不審な目を向けられていることに気付きもしない。
微かに震える手が封筒の封を解き、中を覗きこむ。
(……さ、札束!? 紙幣だ!)
ゴクリと唾を飲む東雲。
封筒の中にある紙の束は、まさしく紙幣の質感。間違いない。
(お……お……おおおおおおおぉぉぉぉぉ!)
心の中で驚愕の声を上げる東雲。
降って沸いた突然の幸運。あまりの出来事に声が出ないのだ。
東雲にとって、これはまさに天孫降臨。苦学生活に終止符を打ち、快適なオタライフを手に入れた瞬間といえよう。
今の心中を一言で表すなら、
(ハレルヤ!)
である。
そして東雲は金額を確認すべく、封筒から紙幣を抜き出した。
「ん?!」
出てきた紙幣を見て動きが止まった。
『百円』
紙幣にはしっかりと、そう書かれている。
さらによくよく見る。
『扶桑皇国海軍軍票』
これもしっかりと、そう書かれている。
今までの浮かれた動きから一転。錆び付いたゼンマイ仕掛けのような動きで宮藤に顔を向ける。
「あの……宮藤さん? これは……?」
「軍票……ですけど……」
何が起こったのか理解できない宮藤が恐る恐る答える。
「軍票なんて、どこで使うんじゃーい!」
東雲の悲しい叫びが木霊する。
そこには何かに裏切られた者だけが発する、物悲しさがあった。
※リハビリ中