0043時 ホテル馬走湖荘
「……で? その露出狂の女の子が銃を撃ったの?」
「そうなんですよ! お巡りさん!」
興奮した箱崎が警察官に詰め寄る。
箱崎たちはあの後ほうほうの体で警察に通報。三人でカウンターに身を隠し、助けを待った。
そして近くの交番から二人の警官が来た時には、強盗である少女の姿は消えていた。
「おう! こんなバカデカイ銃を俺たちに向けて撃ったんだよ!!」
「そうそう! いきなりズドンって!」
すっかり酔いも醒めた舘と大橋も早口にまくし立てる。舘は両手を目一杯広げ、その「バカデカイ銃」とやらの大きさを伝えていた。
その様子に警官が眉をひそめる。
うるささもさることながら、舘が言う銃のサイズが信じられる大きさではなかったからだ。
平均的な成人男性が両手を目一杯広げた場合、その長さは一般的なライフル銃よりも長い。とても小さな女の子が扱えるようなサイズではない。
「……もう一度聞くけど、その女の子ってどのくらいの身長?」
「このぐらいでした!」
箱崎が自分の胸の辺りを指差す。
「いや! もっとデカかった!」
「違う! もう少し小さい!」
舘は見上げる格好だったのでデカイと言い、大橋は一歩引いた位置から見ていたので小さいと言う。
警官は小さくため息をつくと、手帳に『推定身長140~150cm』と書き入れた。
「どうだ時岡?」
「見てくださいよ。佐藤巡査長」
事情聴取をしていた時岡が、上司である佐藤に自分の手帳を手渡す。
「………………」
一読し、もう一度最初から読み直す。
頭痛に耐えるように眉間に指を当てると、名状し難い表情で時岡に問いかける。
「どう思う……時岡巡査?」
「さぁ……なんと言ったもんですかね……」
聞かれた時岡にしても、その表情は複雑。乾いた笑いしか出てこない。
被害者から聞き取った犯人像はにわかに信じられるものではなく、どれもこれも信憑性に欠ける。
佐藤はボリボリと頭を掻くと、箱崎たちに向き直った。
「……もう一度お聞きしますがね? 犯人は中学生ぐらいの女の子?」
「はい!」「そうだ!」「ええ!」
「身長は150cmぐらい?」
「はい!!」「いや、もう少し大きい!」「いえ、もう気持ち小さいぐらい」
「身の丈を越えるような大きな銃を所持していたと?」
「はい!!!」「あんなデカイ銃は初めて見た!」「大砲みたいなヤツでした!」
「で、下半身を露出していた……」
「はい!!!!」「変態、確かにあれは変態だった!」「もしかしたら俺たちを油断させようとしてたのかも!」
「…………はぁ~」
目の前に被害者が居るにもかかわらず、盛大なため息をつく佐藤。
しかし、被害者の三人はそれを気にした様子はない。興奮していて気にする余裕がない。
佐藤巡査長の事情聴取はさらに続く。
「とりあえず、その女の子が銃を撃って走り去った。間違いない?」
「はい! 何かスゴイ雄叫びを上げながら走っていったんです!」「あれはこの世のものとは思えなかった……」「うんうん」
佐藤は何とも名状し難い表情を浮かべると、時岡と顔を合わせ、声をひそめた。
「……どう思う?」
「……だいぶ誇張されてますね。まぁ、酔っ払いの言うことですから」
にわかに信じられるような話ではない上に、被害者三人のうち二人は酔っ払い。情報の確度は当然落ちる。
ましてや興奮状態にある場合は、誇張や思い込みで話を大きくしてしまう危険性がある。
落ち着いてから事情聴取が出来ればよいのだろうが、非常線を張るために最低限の情報は聞き出さねばならない。
「……他に何か気付いたことは?」
「そうですね……あっ! どうも仲間がいたみたいなんです!」
「仲間? もう一人いるのを見たんですか?」
「いえ、見えた訳じゃないんですが、湖の方から別の声が聞こえたんです」
「何と言っていたか分かりますか?」
「いえ、よく聞き取れなくて……」
「そうですか……」
佐藤は手帳を閉じ、時岡に返した。
それと同時に二人の無線に通信が入る。イヤホンに手を当て、その内容に耳を澄ます。
やがて佐藤は「了解」と短くつぶやくと、箱崎たちに向き直った。
「もう一つお聞きしますが、事件と前後してこの辺りを飛ぶ飛行機を見ませんでしたか?」
「飛行機?」
「ええ。もしくはそんな音を聞いたとか」
箱崎たち三人が怪訝な表情で顔を見合わせる。
「いえ、見ませんでしたが……」
「そうですか……」
そう言うと佐藤は、唯一の遺留品である空薬莢に目を落す。
「あっ、そういえば……」
「何か思い出しましたか?」
「ええ……」
0044時 オホーツク流氷館
「こ、ここまで来れば大丈夫だろう」
「あ、あのシャーリーさん、逃げてきちゃいましたけど……よかったんですか?」
「仕方ないだろ。話を聞いてくれるような状況じゃなかったし……」
シャーリーが肩で息をしながら宮藤の疑問に答える。
ここは天登山に点在する観光施設、『オホーツク流氷館』の駐車場。馬走の観光資源である流氷の展示、解説を行っている。また、山頂に位置する施設であり、展望台からはオホーツク海を眺望できる。国定公園を有する山の中にあるだけあって、周囲はうっそうとした森に囲まれていた。今は営業時間外のため、灯りは消え、周囲は暗い。
少女たち三人はホテルでの『暴発事件』の後、脱兎の如く逃げ出した。
あの時、発砲音を聞いたシャーリーは、即座に宮藤の元へと駆け付けた。そして目にしたのは、あの惨状である。
建物の奥からは男たちの悲鳴と怒号。狼狽しながらも、説明を試みようとする半泣きの宮藤。
何事か理解が出来ないうちに「警察」「通報」の単語が漏れ聞こえ、「厄介なことになる」と判断したシャーリーは、現場の即時離脱を決定。渋る宮藤を引きずるように逃げ出した。
逃げずに説明、説得できればよかったのだろうが、箱崎たちはひどい興奮状態で、こちらの話を聞いてもらえる状態になかったというのもある。
「まぁ、あとで扶桑軍に説明してもらえばいいさ」
「でも、基地の場所聞けませんでしたよ……」
「そうだなぁ……」
シャーリーの眉間にしわが寄る。
彼女達の行動計画では現地扶桑軍と接触し、その協力を得ることが前提条件となっていた。しかし、その扶桑軍がどこにいるのか分からない。
そもそも、この世界には『扶桑皇国』自体が存在しないので、扶桑軍も存在しないのだが、彼女達はそのことを知る訳もない。
「まぁ、なんとかなるだろ」
「そ、そんな~……」
「なんにしても今日はここで野営だ。夜の冬山じゃ下手に動くと危ないからな」
「それはそうですけど……」
シャーリーのお気楽な物言いに、いまいち腑に落ちない宮藤。
半泣きの表情で金髪の少女に助けを求める。
金髪の少女、ハルトマンは黙して語らず、ただ一度コクリと頷いた。シャーリーの意見に賛成らしい。
「よし! 野営の準備だ!」
0600時 コーポ長島
(……何をしているのだろうな。私は……)
朝。
一人、東雲側との境界線を前にため息をつくバルクホルン。
元の世界へ帰るつもりがないのなら、もう朝早くに起きて見回りをする必要はない。そのために東雲を起こす必要もない。必要はないと分かっていても、体はいつも通りに目覚め、気が付くといつものように彼を起こそうとしている。
体に染み付いた習慣は易々と抜けない。
己の行いに自嘲しながらも、体は勝手に動いてしまう。
まだ寝ているであろう東雲に、多少の申し訳なさを感じつつ、バルクホルンは『ベルリンの壁』に手を掛けようとした。
「バルクホルン!」
「ぬわぁっ!?」
突如、東雲がシーツをめくり現れた。
不意を突かれたバルクホルンが後ずさる。
「し、東雲……起きていたのか?」
バルクホルンが驚愕と困惑の表情で尋ねてくる。
共同生活を始めて一ヶ月。その間、東雲がこの時間に起きていたことは、ただの一度もない。いつも彼女が起こしていた。しかも起きていただけならまだしも、着替えまで済ませている。
今までなかったことだけに、戸惑いを隠せない。
しかし、東雲は意にも介せず言葉を続ける。
「出かける準備して!」
「? 東雲、もうその必要は……ん?」
バルクホルンが東雲の背後、床の上に置かれた箱に気付く。
箱は中が覗けるように、透明なPVCが貼り付けられている。そしてその中に収められたサーニャのフィギュア。
「その箱……どうしたんだ?」
箱を指差し、不思議そうに尋ねるバルクホルン。
東雲がサーニャのフィギュアを大切にしていることは、理解していた。棚の良く見える位置に飾り、愛おしそうに眺める姿を、この世界に来て間もない頃に何度も見ていた。
もっとも、最近はその光景を見なくなってしまったが。
「そのサーニャの人形はお前が大切にしていたものではないのか?」
「こ、これは……その……」
しどろもどろで返答に窮する。
今ここでフィギュアを仕舞った理由を話す訳にはいかない。キッと表情を引き締め直すと、声を張り上げバルクホルンの質問を押し流す。
「い、い、か、ら! 早く!」
「わ、わかった……」
何が何やらさっぱりわからないまま、頷いてしまうバルクホルン。
東雲はそれを確認すると、足早に部屋の外に出てしまった。
「あっ?! おい、東雲!」
呆気に取られ、反応が遅れた。慌ててジャンバーをつかむと、東雲を追って外に出る。
そうこうしているうちに聞こえてくる車のエンジン音。暖気を始め、霜を取り、雪除けまでこなしていく。
いつもの東雲らしからぬ、テキパキとした動きに面食らう。
「行こう、バルクホルン」
0623時 オホーツク流氷館 駐車場
「さあ、降りて」
東雲が車を走らせることしばし。
早朝ということもあってか、他に走る車はなく、スムーズに目的地に到着した。
腕時計に目をやり時間を確認。幸いなことに、まだ目的の時間になっていない。
(間に合った……)
心の中で安堵する。
東の空は白み始めているが、周囲はまだ薄暗い。
素早く周囲の森に目を走らせる。こちらも問題はない。
「東雲。ここに一体何があるんだ?」
周囲を見回していたバルクホルンが、東雲に尋ねる。彼女の目で見て、特筆すべきことがなかった。
「バルクホルンに見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
眼前に広がるのはありふれた冬の森。
わざわざこんな時間に見に来るようなものではない。
もう一度周囲を見渡すが、やはり変わったところは見付からない。駐車場にただ一台、東雲の車が止まっているだけ。
そして東雲に目を戻すと、彼は腕時計とにらめっこをしていた。
時計が時を刻んでいく。
「もう少し……」
0624時 オホーツク流氷館 駐車場脇の森の中
「シャーリーさん……シャーリーさん……」
「んん~…………」
宮藤が小声でシャーリーを揺り起こす。
彼女たちは森の中に『かまくら』を作り、一夜を明かしていた。
「誰か来ました」
「………………何!?」
身構え、音を立てないように外の様子を伺う。
周囲はまだ薄暗く、顔を見ることが出来ないが、二人分の人影が確認できる。
「どうしましょう?」
「……ハルトマンを起こしておいてくれ」
0626時 オホーツク流氷館 駐車場
「これは……」
日が昇る。
流氷に閉ざされたオホーツク海の彼方から、ゆっくりと太陽が姿を現す。
始め、薄っすらと空を白めた太陽は、昇るにつれて光を強め、東雲とバルクホルンを囲む森を照らし出す。
そして森の木々は日の光を受け、幻想的な輝きに包まれる。辺り一面、輝く木々で埋め尽くされる。
バルクホルンはその光景にしばし言葉を失った。
「…………」
「どお、バルクホルン?」
「東雲……これは……?」
「樹氷だよ」
樹氷は過冷却となった水滴が、樹木に衝突し、その衝撃で凍結・付着して出来る。
いわば樹木の氷付け。
その樹木に張り付いた氷が、日の光を浴びて輝いている。
「……気に入ってもらえたかな?」
「あ……ああ……」
バルクホルンの顔にわずかに喜色が浮かび、ゆっくりと視線を周囲の木々に巡らせる。
「よかった……」
一人、安堵の息を吐く東雲。
本当によかったと心の底から思う。
花を贈れないならと、悩みに悩んで悩み抜いて「木も花もカテゴリは『植物』で一緒だろ!」という暴論の末に辿り着いた答え。
『金がかからず』『綺麗な植物』という、東雲のニーズを見事なまでに満たしている。
しかし問題が無かった訳ではない。
そもそも樹氷が出来ているかわからなかったのだ。
分かっていたのは寝る前に見た、天気予報と水道管凍結注意のCMによって得られた情報のみ。そう、『晴れる』ことと『冷え込む』ということだけ。
だから東雲は携帯電話からネットにつなぎ、樹氷のこと、日の出の時間などを調べあげた。そして最低限の条件は満たしていることはわかった。
だが、樹氷が出来ているかどうか確証が持てなかった。
しかし東雲は自分の気持ちを抑えることが出来なかった。一刻も早く想いを伝えたかった。
賭けに出た。
賭けに負ければ、何の変哲もない冬の森を見せるだけで終わってしまう。そのリスクを冒してでもバルクホルンの喜ぶ顔が見たかった。
どうしても想いを伝えたかった。
そして東雲は賭けに勝ったのだ。
東雲は望んだシチュエーションを手に入れ、バルクホルンも気に入ってくれたようだ。
あとは
「……バルクホルン」
東雲はバルクホルンとの距離を、一歩詰める。
0626時 オホーツク流氷館 駐車場脇のかまくら
「…………」
「大丈夫ですか、ハルトマンさん?」
宮藤に起こされたハルトマン。
未だ覚醒しきらないのか、焦点の合わない目で宮藤を見ている。
「起きたか? ハルトマン」
外の様子を伺っていたシャーリーが、視線はそのままに声だけ掛けてくる。
ハルトマンは目をこすりながら、小さく頷く。
「どうですかシャーリーさん?」
「……警察とか、厄介なのではなさそうだな」
観察を続けていたシャーリーの所見。
若干距離があるため、声も聞こえなければ、顔も見えない。
「……どうしましょう?」
「……もう少し、様子を見よう」
0627時 オホーツク流氷館 駐車場
「……ねぇ、バルクホルン……」
「どうした東雲? 改まって」
樹氷に見入っていたバルクホルンが、東雲と向き合う。
呼応するように東雲が、また一歩詰め寄る。
手を伸ばせば届く、手を回せば抱きしめられる距離。
自分で距離を詰めておきながら、その距離の近さにひるみそうになる。早まる鼓動は心を乱し、思考を混乱させようとなおも高まる。
東雲は息を止め、歯を食い縛ると、空っ欠の肺から残った空気を搾り出し、新たに冷気を吸い入れる。冬の冷たい空気が、火照った体を内側から冷やす。
わずかに落ち着きを取り戻した東雲は、意を決して言葉を搾り出した。
「バルクホルンがこっちに来て、もう一ヶ月経ったけど……」
「あ、ああ……」
バルクホルンが悲しそうに目を伏せる。
東雲の言葉が止まる。バルクホルンが悲しんでいることをわかっていながら、あえてそれ無視すると、さらに言葉を紡ぐ。
「色々あったけど、その……俺、思ったんだ! バルクホルンと一緒で楽しかったって……」
そこでまた東雲の言葉が止まる。
意を決して告白すると決めたものの、緊張のあまり言葉が続かない。水槽から飛び出た金魚のように、パクパクと口だけが空しく動く。
(い、言え! 言うんだ! 俺!)
脳からの指令に東雲の声帯は応えない。体も鉛のように重くなり、まるで言うことを聞かない。
それでも、それでも東雲は懇親の力を振り絞り、両腕を持ち上げ、バルクホルンの両肩を掴む。
「っ!」
バルクホルンの瞳が驚きと困惑で見開かれる。
突然のことに戸惑いながらも、東雲の真剣な瞳に気圧され、振り払うことも出来ずに立ち尽くす。
「し、東雲っ?!」
「バルクホルン……お、俺……俺は……バルクホルンのことが!」