0001時 航空自衛隊 馬走分屯地
「馬場市上空にアンノウン!?」
「何ーっ!?」
レーダー上に突如として現れた光点に、渡辺三曹と当直士官が驚きの声を上げる。
つい先程まではレーダーに反応などなかった。
何の前触れもなく現れ、それは今もなお飛行を続けている。
「どこから来た?!」
「わかりません! 突然現れました!」
「数は?!」
「機数は3! 所属不明! 人口密集地に向かっています!」
当直士官の脳裏に『ベレンコ中尉亡命事件』のことがよぎる。
「スクランブル要請!!」
0001時 航空自衛隊 千歳基地
──走る!
──走る!
──走る!
けたたましいベルの音が鳴り出すと同時に、男たちが己の愛機に向かって走り出す。
勢いもそのままにハシゴに飛び付くと、F-15Jのコクピットに滑り込む。
慌しくヘルメットをかぶり視線を上げた時には、機付き整備員がエンジンスタートが可能であることをハンドサインで伝えてきた。彼らの手によりアラートハンガーの扉は、前後共にすでに全開。機首の左側では別の整備員が『REMOVE BEFORE FLIGHT』と書かれた赤いタグを掲げている。
コクピットに収まった松原一尉が人差し指を掲げる。『エンジン始動』の合図。
整備員がエアインテークから距離を取った。
続けて松原は人差し指と中指を立てて『エンジン点火』を合図。
ジェットエンジン特有の音を響かせ、F100-IHIが目を覚ます。
火の入ったエンジンは熱を帯び、その鼓動を早めていく。
動力を得た機体は次々とその機能を立ち上げた。
「ウィザード01、チェック・イン」
管制塔と僚機に発進準備が整ったことを伝える。
間を置いて僚機からも準備完了の無線が入る。
『ウ、ウィザード02、チェック・イン』
(池田のヤツ、大丈夫か?)
アラートハンガーから機体を引き出しながら、二番機に目を向けた。
どこかぎこちない動作で地上滑走を始めた二番機が目に入る。
「池田、大丈夫か?」
『大丈夫です!』
心の中で嘆息を付く。
僚機を努める池田三尉は『イーグルドライバー』になって、まだ間もない。それどころか『アラート要員』になったのもつい最近のことだ。
まだまだ『ひよっこ』。
仕方の無いこととは思いつつ、気を引き締めなおす。その分、自分がしっかりしなければいけない。
ただ、それだけに不安も募る。
(今日のアンノウンは何かが違う……)
通常は国籍不明機が領空に入る前に空自のレーダーが捉え、事前に『領空侵犯しそうな航空機がいる』ことを伝えてくる。それを受け、アラート要員が準備を整え、領空侵犯が確実となった時、すぐに離陸できるようコックピットで待機しているのが普通だ。
ジェット機の時代となった現在、領空に入られてから準備したのでは間に合わないためだ。それだけジェット機の移動速度は速い。
しかし、今日はその『事前通告』なしで、突然の『ホット・スクランブル』である。
明らかに今までのロシア機と違う。
『ウィザード01。オーダー。ベクター040。エンジェル30バイゲイト。コンタクト・チャンネル1。リード・バック(ウィザード01。指令。方位040。高度30000フィートまでアフターバーナーを使用し上昇せよ。チャンネル1でレーダーサイトとコンタクト。復唱しろ)』
「ウィザード01。ベクター040。エンジェル30バイゲイト。コンタクト・チャンネル1」
『ウィザード01。リード・バック・イズ・コレクト』
管制官が指示を伝え、松原が復唱。
その間にも松原と池田の操縦するF-15Jは滑走路へと慌しく向かう。
『ウィザード01。ウィンド・カーム。クリア・フォー・テイクオフ(ウィザード01。風は微風。離陸せよ)』
(風は無くても雪は降ってるがな……)
滑走路に機体を滑り込ませた松原が、心の中で悪態をつく。
冬の北海道、雪の降る中でのスクランブルなど珍しくも無い。事実、今この時も粉雪がパラパラとチラついている。
「ラジャー。ウィザード01。クリア・フォー・テイクオフ」
考えている間に管制塔からの離陸許可。
復唱し、滑走路に滑り込ませたF-15Jのスロットを押し込む。
──アフターバーナー点火
──ブレーキリリース
ブレーキという戒めを解かれたF-15Jが猛然と駆ける。
後ろに傾けられたシートに体を預け、強烈な加速Gに耐える。
しかし、それも束の間。
機首を引き上げ、空への階段を駆け上がる。
着陸脚を引き込みながら、僚機を見た。
(池田は……問題ないな……)
池田が搭乗する二番機の航行灯が夜の闇の中、近付いて来るのが分かる。
「ウィザード01。エアボーン(ウィザード01。離陸した)」
『ウィザード01。ディスイズ・トレボー。ロウド・アンド・クリア。レーダー・コンタクト。アンダー・マイ・コントロール。ベクター040。エンジェル30バイゲイト。フォロー・データリンク(ウィザード01。こちらトレボー。無線機の感度良好。レーダーで捕捉した。誘導を開始する。方位040。高度30,000フィートに上昇。データリンクに接続しろ)』
「ウィザード01。フォロー・データリンク」
松原と池田の駆るF-15Jが、粉雪の舞う千歳の空に飛翔する。
そして離陸したことを報告すると、交信先は千歳管制塔から三沢SOC、『北部航空方面隊作戦指揮所』へと変わる。
三沢SOCからの指示に従い、データリンクに接続。
(最悪だ!)
データリンクから流れ込む国籍不明機の情報を読み取りながら、松原は目を覆いたくなった。
突然の『ホット・スクランブル』、そして『バイゲイト上昇』の指示。「もしや」と思ったが、件の国籍不明機はもう『領土の上』を飛んでいる。
レーダーサイトの連中はどこを見ていたのかと、問い質したくなる。
だが、松原をさらに驚かせる事態が直後に起こった。
『ウィザード01。ディスイズ・トレボー。ターゲット・ロスト』
「は!?」
思わず素で聞き返す。
目標を見失うなど、今までなかったし、あってはならないことだった。
「トレボー。セイ・アゲイン」
『アイ・セイ・アゲイン。ターゲット・ロスト』
しかし、管制官は『見失った』と繰り返している。
(……何が起こってる?)
0007時 馬走湖
「で、ここはどこなんだ?」
長身の少女が豊満な胸を揺らしながら、傍らの少女に尋ねる。
「さ……さぁ……」
尋ねられた小柄な少女が苦笑いで答える。
その隣では金髪の少女がマイペースに何かの機械を用意していた。
彼女達は今、馬走湖にいた。凍り付いた湖面は天然の滑走路として使うことが出来る。一番最初にここが目に付いたので、そのまま着陸したのだ。
そしてここ馬走湖はレーダーサイトがある野取岬から見て、天登山を間に挟み反対側にある。山陰、つまりレーダーの死角になっている。
もちろん少女たちがそんな事情を知る由もない。ただの偶然。
「んん~。現在地も分からないんじゃ、動きようもないなぁ……」
「あっ! 見てください、あの建物! 明かりが点いてますよ!」
小柄な少女が指差す先。
そこには大きな建物。見渡す限り周辺に建物はなく、その建物だけが湖畔にポツンと建っていた。
「おっ! 本当だ」
「私、聞いて来ますね!」
そう言うと、小柄な少女は建物に向かって駆け出した。
0010時 ホテル馬走湖荘
(……はぁ~)
夜勤に当たっていたフロントマンの箱崎は、内心辟易していた。
ここは馬走湖のほとりに建つホテル『馬走湖荘』。「馬走湖を見渡せる」という景色が売りだ。また、宿泊だけでなく、大浴場を一般に開放しており、宿泊しなくても入浴が可能。地元の人たちからは手近な入浴施設として親しまれている。
観光シーズンも外れ、宿泊客は少ない。今日はゆっくりと静かな夜勤を期待していた。しかし、それは儚い夢だったようだ。
客が多いのは大変だが、少なくても大変だ。それも問題を起こす客となれば、下手な団体客を相手にするよりも疲れるものだ。
そしてそういった問題を起こすヤツは、どこにでもいるものである。
「ほら舘、立てって!」
「うるせー! まだ飲むって言ってんだろ!」
「お客様。こちらではお風邪を召しますので、お部屋に戻られたほうがよろしいかと……」
「なにおう! 客に指図しようってか!? 部屋には酒なんて残ってねえんだよ!」
同じ問答を繰り返して早一時間。
フロントの目と鼻の先にある自販機コーナーに陣取った泥酔客は、未だ動く気配はなく、床に大の字になっている。
客の少ない時期の団体客ということで、喜んで受け入れた一行だった。企業の慰安旅行ということだったので、人数も多く、支払いも期待できた。
しかし、
「大橋ー! 早く金入れやがれ!」
ビッと酒の自販機を指差す。
団体客の中に厄介な客が紛れているのは日常茶飯事だが、ここまで粘る客は珍しい。
「いや、ホントすいません……」
大橋と呼ばれた泥酔客の同僚が、申し訳なさそうに頭を下げる。そして床に座り込んだ同僚を立たせようと腕を引っ張るのだが、どうにも上手くいかない。
それもそのはず大橋も酔っていて力が出ないのだ。
「いえいえ、お気になさらずに……」
何とか営業スマイルを保ち続ける箱崎。
これもこの一時間で何度も繰り返したやり取り。回数を重ねるごとに箱崎の顔が引きつっていっているのは気のせいではない。
忍耐力もそろそろ限界、と言う時、それは聞こえてきた。
──コンコン
入り口から聞こえてくるガラス戸を叩く音。
箱崎が入り口に目を向ける。気のせいかとも思ったが、二度三度と規則的に自動ドアのガラス戸をノックしている。
入り口は全ての宿泊客が館内にいることを確認してから施錠。そしてカーテンを閉めてあった。
団体客は皆へべれけで外に繰り出すだけの余力などなかったし、チェックインしていない予約客もいない。ましてや大浴場の営業時間も終わっており、入浴客とも考えづらい。
「何の音ですかねぇ?」
「さあ?」
大橋が怪訝な顔で箱崎に尋ねるが、箱崎だって知る由もない。
「お客さんですかねぇ?」
「ど、どうなんでしょう?」
「ひひひひひひっ! バカ大橋、幽霊に決まってんだろ~!」
何が楽しいのか、床に寝転んでいた舘がむくりと立ち上がる。
どうやらオカルト系の話は大好物のようだ。
(こいつ、起きれるんじゃねぇか!)
その様子を見た箱崎の心中に宿る殺意。
しかし、そこはホテルマンとして鍛え上げた忍耐力で押し殺す。
「私が確認してまいりますので、お客様はどうかお部屋にお戻りください」
箱崎はそう言い置くと、くるりと踵を返し自動ドアへと向かう。
時間外れの客であれ、幽霊であれ、この酔っ払いの相手をするより気が楽だ。そう思えば足取りも軽い。
が、後ろから二人分の足音。
「ひひひひひひひ、さ~てどんな幽霊かな~?」
「おい、舘。戻ろうぜ」
音の元をすっかり幽霊と決め付けた舘が千鳥足で追ってくる。
それを止めようと大橋が舘を追うが、本気で止めようとは思っていないようだ。
(……この酔っ払いどもが)
付いて来る二人を苦々しく思いながら心の中で毒づく。
そうこうしているうちに箱崎は入り口に着いてしまった。もともと自販機コーナーからそれほど離れている訳でもない。
二人の泥酔客も追い着いてしまった。
挙句、
「さぁ、ご対面~! 早く! 早く!」
などと煽ってくる始末。
箱崎は心の中でうんざりとしたため息をつくと、自動ドアに掛けられたカーテンをめくる。
そして眼前に広がる暗闇。
「?」
箱崎が首をかしげる。
と、同時に下から声が聞こえてきた。
「あ、よかった~。誰も居なかったらどうしようかと……」
視線を下に向けると、小柄な少女が安堵の声を漏らしている。
小さいので死角に入ってしまっていたようだ。
年の頃は中学生ぐらいだろうか、いや小学生でも通じそうなあどけなさが残る。
(子供?)
ハッキリと見えるので、とりあえず幽霊ではなさそうだ。
しかし、こんな時間、こんな場所に何故子供が一人でいるのか分からなかった。
こちらの疑問をよそに少女が口を開く。
「あの! 道をお聞きしたいんですけど!」
こちらを見上げ、懸命な様子で尋ねてくる。
(……迷子か)
「なんでぇ~。迷子かよ!?」
箱崎がそう確信すると同時に、付いて来た舘が残念そうな声を上げる。
期待していたものと違ったため、舘がふてくされたようにその場にドッカと腰を下ろす。期待外れもいいところだ。
そして舘は恨めしげな目で、少女をもう一度見た。
短い栗色の髪に、飾り気の無い緑色のコート。コートは少し大きいのだろうか、裾が余っていて少女の小ささを強調している。
そして右肩には皮製の負い紐(スリング)。それに繋がれているのだろう、一本の鉄の棒が少女の肩越しに見える。棒の下の方は少女の体に隠れ、見る事が出来ないが何やら大きな物のようだ。
しかし、何より目を疑ったのは少女の足。先程まで見下ろしていたので気付かなかったが、腰を降ろし目線の高さが下がったので、ようやくその特異な格好に気付く。靴こそ履いているが、スカートもズボンも身にまとっていない。それどころかタイツはおろか靴下さえ履いていない。とても冬の北海道でする格好ではない。
「おい大橋! 痴女だぞ! 痴女! 露出狂だ! 下なんも穿いてねぇ!」
「止めろよ舘。子供だぞ? そんな訳ないだろ」
「アホか! 年なんて関係あるかよ~。変態は変態です~」
無遠慮に好奇の目を向ける舘を、大橋がたしなめるが、どこか引き気味。
箱崎もその声に釣られて少女を見直す。
確かに格好だけを見れば、舘の言う通りかもしれない。しかし箱崎にはそう思えなかった。
第一に子供の痴女など聞いたことがなかったし、目の前の少女にそんな雰囲気はない。
第二に冬の北海道をこんな薄着で出歩く人間などいない。日中でも気温はマイナス、高くて0℃にしかならいこの土地で、露出狂が出来るような薄着で出歩けば、凍死するのは子供でも分かる。
以上の理由から箱崎は何らかの訳ありだろうと考えた。
「あ~、お嬢さん? そこは寒いでしょうから、どうぞ中へ。今、暖かいココアでも……」
「おいおい。コイツ中に入れるつもりかよ?! 変態だぜ?!」
「なにか事件に巻き込まれたのかもしれないでしょう?!」
箱崎は人道的観点に立ち、少女を中に入れようと思った。後ろで喚いている泥酔客はこの際無視しようと決める。
もしかしたら厄介な事になるかもしれないが、子供を見捨てるのは気が引けた。
しかし、目の前の少女はそんな箱崎の思いに気付くこともなく、彼の行動を『親切心』と解釈したらしい。
少々戸惑いながらも笑みを浮かべると、感謝の念を込めて勢い良く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!」
そう、勢い良く。
──ゴンッ
少女の背中から伸びる鉄の棒の先端が自動ドアを叩く。
──ずるり
そのせいか右肩に掛けていた負い紐が少女の肩からずり落ちる。
少女の背中に隠れていた物が姿を現す。
鉄の塊。
──それは少女が持つには無骨で
──それは少女が持つには巨大で
──とても銃には見えなかった
『それ』は少女の背後から姿を現すと、箱崎たちが何であるか認識する前に地面へと落下した。
──ドンッ
銃床がコンクリートの床を叩く。
そして次の瞬間
──暴発!
乾いた炸裂音と共に吐き出される一発の13mm弾。
弾丸はガラス製の自動ドアを粉微塵に叩き割り、箱崎の鼻先をかすめ天井へ。天井のコンクリートを抉り取ると、舘の眼前の絨毯に大穴を穿つ。
マズルフラッシュの閃光に目をやられた箱崎が、二度三度と目をしばたかせる。
突如起こった出来事を理解出来ずに立ち尽くす。
まるで時間が止まったかのように、場の全てが凍り付く。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! あの、大丈夫ですか?! お怪我はありませんか?!」
目の前の少女が懸命に頭を下げていた。
脳の処理が追いついてきたのか、箱崎たちがゆっくりと視線を巡らせる。
──砕け散った自動ドア
──抉られた天井
──穴の開いた床
脳の処理速度が跳ね上がる。
箱崎たち三人は、ようやく少女が持つ鉄の塊が何であるかを理解した。
「ご……」
「ご?」
「「「強盗だー!!!」」」
「え? え? ……えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」