????時 コーポ長島
草木も眠る丑三つ時。
今日も今日とて平和に惰眠を貪るはずだったのだが……
「東雲……」
「……」
「東雲……」
「……?」
眠りの縁にあった東雲の意識を呼び戻す声。
かすかに、しかしハッキリと、東雲を呼ぶ声。
見なくても分かる。バルクホルンの声。
「起きろ……」
「ふぁ……何? バルクホル……んんんん!?」
目を開けると、東雲の体に馬乗りにまたがるバルクホルン。
その姿に息を呑む。
身にまとうのは『ズボン』と『Yシャツ』のみ。あまつさえシャツのボタンがほとんど留められていない。腹の辺りのボタンがかろうじて留められているだけ。
その扇情的な姿に狼狽し、目を逸らす。その時、自分の体が視界に入る。
「ちょっ!? 何!? 何事!? って、何で俺、裸なのぉぉぉお!?」
一糸纏わぬ、いや、かろうじてトランクスだけは残った自分の姿に気付く。
「フフフフフフフ……」
バルクホルンが妖艶な笑みを浮かべ、顔を近付けると、東雲の首筋に「ふぅ」と息を吹きかける。
「ひゃ!?」
驚いてバルクホルンを振り払おうするが、手足が動かない。
張り付けにでもされたかのように、大の字に手足を縛られている。
体の自由を求めてもがくが、振りほどけない。
「な、な、な、何!? 何をするつもりなのバルクホルン!」
「分からんか、東雲?」
貼り付けたように変わらない笑み。
バルクホルンはすっと体を離すと、力強く拳を固めた。
「発電だ!」
高らかな宣言。
──はつでん【発電】(名・する)
水力や火力、原子力などを利用して電気をおこすこと。
──例解新国語辞典(三省堂)より引用
「ちょ!? は、発電!?」
「一人で発電するより、二人の方が効率も良かろう?」
「二人!? ままままま待って! それは『自家発電』と言って、一人でするものであって、二人でするものじゃ……」
その意味を察し、狼狽し、激しく体を揺すり、逃げようともがく東雲。
そんな哀れな姿さえも、愛おしいと言わんばかりの目で微笑むバルクホルン。
そのまま東雲の下腹部に顔を近付けると、彼の肌に舌を突き立てた。
「ひゃっ!?」
東雲の腰が逃げる。
バルクホルンはその初々しい反応を、目を細めて楽しむと、東雲の左わき腹から胸部にある起動スイッチまで、駆け上がるように一気に舐め上げる。
彼女の舌が東雲のやせ細った体を、浮き出た肋骨を、次々と乗り越える。後に残るはキラリと光る一筋の唾液。
そして何のためらいもなく、バルクホルンの舌は、東雲の起動スイッチを押した。
「っ! っ! っ! っ! っ! っ! っ!」
──東雲に電流走る
飛び上がるように体が跳ねる。
しかし、手足を縛る縄が体を押え付ける。
「はぁはぁはぁはぁ……バルクホルン……や……止めて……」
蚊の鳴くような細い声。東雲の懇願。
一人、恍惚の表情で聞き入るバルクホルン。嗜虐的な笑みを浮かべ、東雲の頭を持ち上げると、彼自身の下半身を見せ付けた。
「『止めて』? 貴様のタービンは発電したがっているようだぞ?」
既に起動し、準備を整えた東雲の発電用タービン。
「ち、違う! これは……」
「違わん。何も違わんぞ。東雲」
男前な微笑みを浮かべ、静かに体を離すバルクホルン。
膝立ちで腰を浮かせると、発電用タービンの真上で止まる。
「東雲……私のダムは、もう決壊寸前だ……楽しませてもらうぞ」
「だ、ダメっ! 初めてはサーニャと、って……」
「サーニャのことなど忘れさせてやる」
バルクホルンの腰が沈み、水門に手が掛かる。
このままバルクホルンの水門が開けば、東雲のタービンが回り、発電が始まってしまう。
「ら、らめぇぇぇぇぇ……」
0233時 コーポ長島
「ぇぇぇぇぇぇ!!」
跳ね起きた。
上体を起こし、荒い呼吸を繰り返す。
多少落ち着いたところで、自分の体を見る。
服を着ている。縄で縛られてもいない。縛られた痕もない。
部屋を見回す。
いつも通り、変わらない自分だけの空間。
バルクホルンが侵入した形跡はない。
部屋の中央に目を移す。部屋を二分する白いシーツこと『ベルリンの壁』。
耳を澄ませば、その向こうから聞こえる穏やかなバルクホルンの寝息。
「また、この夢……か……」
0734時 コーポ長島
「東雲、ドレッシングを取ってくれ」
「う、うん……」
いつも通り、二人揃っての朝食。
いつもと変わらない風景。
いつもと違う東雲の態度。
視線を下に向けたままの東雲が、バルクホルンの前に静かにドレッシングを置く。
(おかしい……)
朝起きてから、今まで、東雲は一度もバルクホルンと目を合わせようとしない。
それどころか話そうともしない。
こちらが話しかけたことに、機械的に反応しているだけだ。
「東雲、どこか調子が悪いのか?」
「え?」
「先程からうつむいてばかりいるぞ」
バルクホルンの指摘に、東雲が慌てて顔を上げる。
かろうじて顔をバルクホルンの方に向けるが、目は彼女を見ていない。その後ろにある食器棚に焦点を合わせている。
「そんな事ないよ~、うん、元気元気。大丈夫」
白々しい答えとしゃべり。
バルクホルンの眉間にしわが寄る。
(おかしい……)
1205時 大学構内
「東雲さん!」
「ん~?」
授業も終わって一休み。食堂へと向かう途中、廊下で聞き慣れた声に呼び止められる。
振り向くとそこには後輩の荒井がいた。
「東雲さん、頼まれてた本が届きましたよ」
「ん? ……お! おお! 届いたか!」
一瞬、何の事か分からなかったが、少し前に頼んでいたものだったことを思い出す。
邪魔にならないように揃って廊下の端に移動する。
荒井がカバンから茶色い紙袋を取り出すと、東雲に手渡した。
「どれどれ~」
周りの人に見えないように、紙袋の口を軽く開いて覗き込む。
中には注文通り、エイラーニャの18禁同人誌。前回のコミケで惜しくも買い逃した本だった。
その後、委託に出たことは知っていたのだが、他に欲しい本も見当たらず、一冊だけでは送料が高くつくので、二の足を踏んでいた。
その時、荒井が同人ショップの通販を頼むということだったので、便乗させてもらった。そうすれば送料は割り勘になるので、二人ともお得である。
「むふぉ! これは、これは楽しみでござるなぁ~」
表紙にはかわいらしいサーニャとエイラ。
期待に胸が、いや、下半身が熱くなる。
「ん?」
ふと気付く。
袋の中に、もう一冊入っている。
「荒井、何かもう一冊あるぞ?」
「いやぁ、実はですね。間違えてポチッてしまいまして、東雲さんに引き取ってもらえないかなぁ、と……」
「まぁ、別にいいけど。何の本だ?」
先日バイトをしたので、懐は暖かい。同人誌一冊分ぐらいはどうということはない。このぐらいの些細なミスは、笑って許すべきだろう。
袋の中に手を入れ、表紙を覗き見る。
「ぐ!? が!?」
絶句。
表紙に踊る「18禁」の文字。それはまだいい。
問題なのは表紙に描かれているキャラと、タイトルだ。
『いや~ん お姉ちゃんのいちゃ×2ラヴ×2 妹地獄』
──バルクホルン×宮藤×クリス
何とコメントして良いか、分からない。
体も思考も氷付く。
「あ、荒井……な……んだ……この……本は……?」
タイトルからは、もはや中身が想像できない。
今までバルクホルンメインのエロ同人など、買ったことがないのでなおさらだ。
「こ、これを俺に……引き取れ……と?」
「すいません。他はみんな断られまして、もう東雲さんしか頼める人が……」
「ぐっ……」
言葉に詰まるが、「引き取る」と言ってしまった。
「荒井くん? 君が引き取るというのは……」
「実は二冊買っちゃったので……」
逃げようとするも無駄。
「お願いします東雲さん! あと二日で仕送りが入るんですが、それまでしのげそうになくて……これを買ってもらえれば一食、いえ二食は食いつなげるんです!」
「……わかった」
つい先日、自分も同じ立場になっただけに、そう言われると弱い。
かわいい後輩の頼みだ、無下には出来ない。
東雲は財布を取り出すと、キッチリと金を払う。
「ありがとうございます!」
(よりにもよって『バルクホルン本』かよ……)
手に持った紙袋をもう一度見つめる。
観念したように重いため息をつくと、東雲は自分のカバンにそれをしまった。