「はっ!?」
朝
誰にも等しくやってくる朝。
東雲浩二はいつもより早く、いつもよりすっきりとした朝を迎えた。
敷きっぱなしのセンベイ布団から、上半身を引き剥がし、アゴをなでる。
(夢……か?)
酷い夢だった。
アニメのキャラが現れ、助けて、殴り倒される。
いくらアニメ三昧の日々を送り、妄想に耽る毎日とはいえ、これはありえない。
速やかに夢か幻として処理すべきだ。でないと黄色い救急車を呼ばれてしまう。
「目が覚めたか?」
「……………………」
しかし、東雲のその願いは天に届くことも無く、木っ端微塵に打ち砕かれる。
掛けられた声。
見るとそこには、黙々と腕立てを繰り返すバルクホルン。
「ちょっと待ってくれ……200! よし」
切りの良い回数で区切りをつけたバルクホルン。立ち上がり、こちらを向く。
服も乾いたのだろう。東雲が昏倒している間に着替えを済ませ、拾った時の衣装。つまり軍服と『ズボン』に身を包んでいる。
「あー、ところで、その……大丈夫か?」
(……兄さん……大変です……)
「勝手で申し訳ないが、そこに寝袋があったので使わせてもらった」
(僕の部屋に女の子がいます!)
「……まだ、痛むのか?」
不慮の事故とは言え、殴り倒してしまった恩人を放置することも出来ず、部屋に留まってくれたらしい。
後ろめたさからか、控えめな口調で話しかけてくる。
「あの……バルクホルンさん?」
「な、何だ?」
「日本……扶桑語、お上手ですね……」
「ああ。ウチの部隊には扶桑人がいるからな。読み書きは無理だが、会話程度なら問題ない」
(神様……だから、これはやっちゃいけないと……)
「お、おい!? 大丈夫か? やはり痛むのか?」
痛むと言えば痛む。主に頭が。
強烈な頭痛に襲われ、頭を抱え込む東雲。
自分のせいで東雲がおかしくなったかと焦り、のぞき込むバルクホルン。
東雲は身振りで、心配ないことを伝え、大きくため息を吐き出す。
しばしの沈黙。
もう一度、大きく息を吐き出すと東雲は立ち上がり、流し台へ。
「お、おい……」
「とりあえず朝飯にしよう。考えるのはそれから……」
会話の無い、静かな朝食を済ませ、東雲とバルクホルンは再度、ちゃぶ台をはさみ向かい合った。
「さて、バルクホルンさん……いくつか聞きたい事があるんですが……」
「ああ。私も聞きたい事がある」
「あ、じゃあ、お先にどうぞ」
「いや、そちらからでかまわない」
「はぁ……じゃ、どうしてここに?」
「うむ。昨日現れた、ネウロイ迎撃のために上がったのだが……」
そこで言葉を区切ると、天井を仰ぐ。
「ネウロイが青白い光の塊を撒き散らしたのだ。私は接近していたために、回避することも出来ず、光の塊に包まれた。気が付いた時には、この町の上空を飛んでいた。しかし分からないことが多すぎる。出撃前に確認した時刻は1210時。だが、気付くと夜だ。それに夏だったはずなのに雪まで降っている。……一体ここは『どこ』で『どうなっている』?」
「……え~と、まず場所なんだけど……ここは『日本』の『北海道馬走市』」
「ニホン? ババシリシ? 聞いたことも無い地名だ……どの辺りだ?」
「ちょっと待って。今、地図を………………」
本棚を探るが、あったのは『北海道道路地図』だけ。まともな世界地図が出てこない。
正直、道路地図など後でいい。今、見せなければいけないのは世界地図。それが無ければ話しが進まない。
しばし記憶をたどり、何かの教科書に載っていたような気がしたので、適当にめくってみる。
「あった」
見付けたのは、分厚い経済の教科書。コミケのカタログ並にでかく、厚い。中身は全て英語で書かれ、授業も翻訳したプリントを渡されるので存在意義が無い。学生からは『鍋敷き』の愛称で呼ばれる一品。これが必修科目なので、必ず買わなくてはならないから性質が悪い。
バルクホルンに見えるよう、教科書を向けると、地図上の日本を指し示す。
「とりあえず、これを見て。ここが日本」
「扶桑だと? ストライカーで飛べる距離では…………? 何だ? この地図は?」
教科書を受け取り、まじまじと見つめるバルクホルン。眉間にしわが寄る。
無理も無い。現実世界の地図とスト魔女世界の地図では、大陸の形も違えば南洋島も無い。
「……ふざけているのか?」
「いや、至って真面目。それが『この世界』の地図」
「『この世界』だと?」
「そう。ここには扶桑もなければ、カールスラントも存在しない」
「カールスラントが存在しないだと? 何をバカなことを……」
「ああ、存在しない。そして今は1945年でさえない」
「バカな!? そんなはずが……」
反射的にバルクホルンが否定する。
しかし、東雲の瞳に力がこもり、真実であることを主張する。
その瞳にバルクホルンがわずかに気圧される。
「何を……何を言っている……ここは一体……」
「まずはコレを見て欲しいんだ」
取り出したのは一枚のブルーレイディスク。
──『ストライクウィッチーズ2』一巻
他の巻にしようかとも思ったが、止めた。
理由は単純。
パッケージの裏面を見れば分かる。ドラム缶風呂だったり、サウナのシーンが描かれていたりと、まともに見せられるものが少なすぎる。
(割られる……見せたら絶対に割られる!)
最悪プレステ3ごと破壊されかねない。涙ぐましいまでの節約生活の末に、ようやく手に入れたのだ、破壊される訳にはいかない。
ともあれプレステ3と、年季の入った28型ブラウン管テレビの電源をON。
ディスクを読み込ませる。
真っ暗な画面に、角川のロゴが浮かび上がり、バルクホルンの絶叫が木霊する。
「!? な、ななななな何だ!? これは!?」
「っ!? 何事ぉ!?」
「総天然色だと!? 一体これは!?」
「へ? や、その……『テレビ』だけど……あれ? あの時代って、まだテレビ無かったっけ?」
「いや、テレビは分かる」
「って、それは後で説明するから、とにかく見て!」
「あ、ああ。……!? 竹井少佐に赤ズボン隊だと!?」
「頼むから、黙って見てくれっ!」
見せた。
ただ黙々と見せた。
バルクホルンも見た。黙って見てくれた。
途中、宮藤が出てくるシーンで腰が浮きかけたような気がしないでもないが、最後まで黙って見てくれた。
視聴が終わると、東雲はバルクホルンに懸命に説明した。テレビのこと、アニメのこと。
話して、話して、話し倒した。口の端はツバにまみれ、のどは渇き、肩で息をするまで話した。
彼女がこの世界に存在しないと、アニメの中の架空の人物であると。
「ご、ご理解いただけたでしょうか?」
「…………つまり、私は『おとぎ話の住人』だと、そう言いたい訳だな」
「そう! そう!」
「信じられん……」
(そりゃ、そうか……)
無理も無い。自身はこうして存在しているのに、『架空の人物』だとその存在を否定されているのだから。
呆然とするバルクホルン。
見かねた東雲の提案。
「とりあえず、墜落地点に行ってみるのはどうかな? 『こっち』に来た手掛かりがあるかもしれないし」
「着陸だ!」
「……すいません。でも、まぁ、このままここにいても、何も解決しないと思うんだ」
「確かにその通りだ。よし、行ってみよう。ただ、その前に聞かせて欲しい」
「何?」
「お前の名前だ」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「ああ。聞いていない」
よくよく思い出してみれば、昨晩は碌に話も出来ずに殴り倒されたのだ。そりゃ名乗る暇もない。
「あ、じゃあ。東雲。東雲浩二です」
「シノノメ……か」
「で、俺からは『お願い』なんだけど……」
「何だ?」
「服着てください! お願いします!」
「何を言っている! 服ならちゃんと着ているだろう」
「誰だ! こんな設定作ったヤツは!!」
いつもは神とあがめる島田フミカネ先生を、この時ばかりは呪わずにはいられない東雲だった。